
2016年7月に南スーダンの首都ジュバで大統領派と反大統領派が激しい戦闘行為を繰り広げた。安倍政権は首都ジュバに派遣している自衛隊PKO施設部隊の当時の活動記録を2016年9月に情報公開法に基づいて開示請求されたものの、内規では保存期間は「1年未満」(日経電子版)となっているが、廃棄したとして2016年12月に非開示扱いとした。
ところが一昨日、2017年2月7日、電子データーとして残っていたとして、一転して開示に踏みきった。開示された2016年7月11日と7月12日のその日報にはマスコミ報道によると、「戦闘」の文字が11個所もあるという。
2018年2月8日の衆院予算委員会で民進党の小山展弘が昨年2016年9月、10月当時の政府側答弁は戦闘行為を否定、単に武力衝突があったのみとしていたことを取り上げて、日報が示している戦闘が実際にはあったのではないか、そのことを認めべきではないかという点と、日報が電子データとして残っていながら、昨年の内に開示しなかったのは情報隠蔽ではないかという点に絞って防衛相の稲田朋美を追及した。
だが、戦闘があったのではないかという点については、民主党の衆議院議員だった金田誠一の2001年12月3日提出の質問書に対する2002年2月5日の政府答弁書を根拠に昨年の国会答弁と同じく論旨で交わした。
その政府答弁書は〈テロ対策特措法第二条第三項の「国際的な武力紛争」とは、国家又は国家に準ずる組織の間において生ずる武力を用いた争いを言〉い、〈テロ対策特措法第二条第三項の「戦闘行為」とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為を言う。〉としている。
以後、「国際的な武力紛争」と「戦闘行為」の解釈は「テロ対策特措法」に基づく法的根拠として繰り返し政府側答弁に利用されることになった。
要するに大統領派と反大統領派の争いは一つの国の中の二つの勢力争いに過ぎなく、「国家又は国家に準ずる組織」とは言えないのだから、そのような両者間に於いて生ずる「国際的な武力紛争」には当たらないことになり、「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する」「戦闘行為」とは解釈できないという論理の当てはめである。
小山展弘は両派共に迫撃砲や戦車を用いて戦っているのだから、戦闘でないはずはないと何度も追及を続けるが、稲田朋美は追及を受けるたびに国と国、または国と国に準ずる組織との間の国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為に当たらないから戦闘行為と認めることはできないと、昨年の秋の国会論戦と同じ堂々巡りが繰返されたのみである。
そのような不毛な繰返しよりも、安倍政権の法的根拠が現実とかけ離れているとの理由で政府解釈自体の変更を求めた方が近道のように思える。例えばアフガニスタンではアフガニスタン政府とタリバンと間で内戦状態に陥っている。タリバンは国内勢力であり、両者の争いは「国家又は国家に準ずる組織の間において生ずる武力を用いた争い」とは言えない。
だからと言って、両者の衝突を「国際的な武力紛争」の一環とは言えないだの、その武力衝突を「戦闘行為」とは言えないなどとは解釈できないはずだ。
稲田朋美は答弁の中で憲法9条に言及している。
稲田朋美「なぜ法的な意味に於ける戦闘行為があったかどうかに於ける法的な意味での戦闘行為に拘るかと言うと、国際的に武力紛争の一環として行われる人を殺傷し、物を破壊する行為が仮に行われていたとすれば、それは憲法9条上の問題になりますよね。
そうではない。だから戦闘行為ではないと言うことになぜ意味があるかというと、憲法9条の問題に関わるかどうかということでございます。その意味に於いて戦闘行為ではないということでございます。
そして何が問題かと言うと、国際的な武力紛争の一環として行われるかどうか、この点がないので、戦闘行為ではないということでございます」
稲田朋美「(大統領派と反大統領派との間の衝突は)事実行為としてはですね、武器を使って人を殺傷したり、あるいは物を行為はあったが、それは国際的武力紛争の一環として行われるものではないので、法的な意味に於ける戦闘行為ではないということであります。
そして国会答弁する場合は法的な意味に於いて法律、または憲法9条上の問題に於いて規定されている言葉を使うべきではないということから、私は一般的な意味に於いて武力衝突という言葉を使っております。
しかしながら、日報の中では一般的な、辞書的な意味に於いて戦闘という言葉を使われたのではないかと推測しております」
ネットで調べたところ、政府は1991年に「隊員個人の生命・身体を守るための必要最小限の武器使用は自己保存のための自然権的権利に基づくものであって、憲法の禁じる武力行使には当たらない」といった趣旨の統一見解を示している。
稲田朋美が言っていることは、国際的武力紛争の一環としての戦闘行為が行われていた場合、駆け付け警護か宿営地共同防衛でその戦闘に関わった際の自衛隊の武器使用は最小限度のものであっても憲法が禁じる武力行使には当り、違憲となるから、「戦闘行為」とすることはできないという意味になる。
とすると、現実問題として、それが国際間であろうとなかろうと、戦闘行為でしかない武力衝突を憲法9条の網を通して戦闘行為でないと解釈していることになる。憲法9条に触れるから、戦闘行為とすることはできないんだとの論理となる。
いわば現実の事案が憲法に触れるかどうかではなく、現実の事案を曲げて、憲法に合わせていることになる。そんなことは許されるはずもないのだから、稲田朋美のこの発言を捉えて追及すべきだったはずだが、 小山展弘は追及しないまま、「戦闘があった」という言質を一貫して取ろうとし、対して稲田朋美は法的根拠としている「戦闘行為」の解釈を振りかざし続けて、追及しきれずじまいの不毛な質疑で終わっている。
小山展弘は持ち時間の最後の方になって開示請求した日報が開示されずに今回開示された問題についての稲田の責任を問う。
稲田朋美は一旦は非開示としたが、その後も複数の開示請求がなされたことを踏まえて、探索範囲を広げた結果、見つかったと答弁している。
稲田朋美「河野太郎議員からも再度探索すべきとのご指摘受け、私からもさらに探索するよう指示し、再度日報にアクセス可能な部局に範囲を広げたところ、統合幕僚監部に於いて日報が電子データーとして見つかった次第でございます。
防衛相としては再度同種の開示請求がなされれば、日報が二つ見つかったことを踏まえ、適切に対応したいと思います」
対して小山展弘は河野太郎から言われてできたというは情けないとか、文書だったら廃棄するけど、データーだったら、残っていることは多いとか、国民に謝罪する考えはあるかなどと尋ねているが、稲田朋美は最後まで謝罪するなどと言わない。
河野太郎議員だけではなく、私も探索を指示していた、非開示としたのは情報隠蔽ではない、防衛省は4500件、月に約400件の開示請求に対応している、当該文書の不存在が確認されても、再度入念に確認して探索範囲を拡大して、行政文書の特定の判断は正確を期していきたいなどと安倍晋三ばりの関係のない話で時間を稼いで、小山展弘を時間切れに追い込んでいる。
南スーダンPKO派遣自衛隊施設部隊にしても日報を書くのに手書きではなく、パソコン入力をし、作成後、そのパソコン文書を陸自の中央即応集団司令部に送信したはずである。
それを必要部数印刷して、必要個所に閲覧に回したはずである。
例え電子メールシステムに侵入される危険を避けるためにパソコン文書を印刷して郵送していたとしても、それを再度電子データ化することによって内規の保存期間「1年未満」という短い期限に常に対応可能な態勢を取ることができる。
電子データー化せずに全ての文書を廃棄したなら、そのときの事例や経験を他の部隊やPKOの計画立案の部署が参考とすることも学習することも不可能となってしまう。
大体が今時電子データー化せずに文書を廃棄することなどあり得ない。
昨年2017年9月、10月と国会で南スーダンでの大統領派と反大統領派の武力衝突が「戦闘行為に当たるかどうか」で盛んに議論していた時期であることも考え併せると、安倍晋三が遣りそうな不都合は隠す情報隠蔽を目的とした日報の非開示そのものであるはずだ。