以前にも同じようなテーマでブログを書いたが、再度取り上げてみる。
(10年)8月5日の参議院予算委員会で、「どっこいしょ たちあがれ日本」の片山虎之助が質問に立ち、冒頭に「ねじれ国会」の追及を行った。
片山虎之助「えー、たちあがれ日本・改革の片山虎之助でございます。3年前まではこの参議院予算委員会、大変、私の古巣のようなところでございましてね、よく質問させていただきましたけれども、今回は3年ぶりです。大変風景も変わっておりますね。いささかの感慨がありますが、もう時間がありませんので、早速入らせていただきます。
私は、あの、質問・答弁共にですね、あのー、いつも、特に閣僚のみなさんにお願いしているのは、率直で、簡潔で、分かりやすい答弁を是非よろしくお願いいたします。そっちに座っておりますとね、答弁するのもくたびれますけれどねぇ、じっと座っているのもくたびれますねぇ。みなさん、もうちょっとですから、ご辛抱願います。そういうふうに思います。
先ず、この・・・・、ねじれ国会の話から、させていただきたいとこう思います。先だっての参議院選挙で、わが国会は、衆参完全なねじれ現象となりました。これまではですね、特に、あの、前回は、あー、自民党・公明党の与党がですね、衆議院で3分の2持っておりましたからね、本格的なねじれではなかったんですね。再決できるが、今回はそれがありませんので、完全なねじれ現象。午前中の質問にもありましたが、私はねじれというのは完全なマイナスの意味だけではないと思います。
あるべき二院制から言うと、ねじれていた方がいいんですよ。衆参が同じようなことを言って、同じように決めるんならねぇ、二院制の意味がない。いいねじれはね、私は国政のためにも必要だと、まあ、あのー、こういうふうに思っております。
特に私は平成元年に参議員にして貰いましてね。あと、政権与党が参議院で単独過半数持ったことないんですよ。2回続けて勝つということも、なかなか難しい。今大変ね、国民のみなさんの考え方も流動化していますからねぇ、そう同じとこばっかしいつまでも支持するというわけにはいきませんよ。何かヘマをやったら、おかしくなったら、代わるんです。
だから、これからはねじれが常態化するんです。そういうことの中でね、どうやって二院制をしっかりしたものにし、二院制民主主義を成熟化させていくかはね、与野党の姿勢なんですよ。私はそう思いますが、首相、どうですか?」
菅首相「まあ、片岡先生は、あー、あー、失礼。片山、あー、先生。えー、すみません。えー、申し訳ありませんでした、あの(前原国交相が後ろで膝を一つ叩き、笑う。腹の中で、しっかりしろよ、このド阿呆がと思っていたかどうかは分からない)。
あのー、岡山、私も本籍地でありまして、えー、昔から、片山虎之助先生について、色々、おー、特に参議院では、片山先生の、えー、多くの経験、えー、場合によっては、色々と教えていただかなければ、というふうにも思っております。
いま、あのー、ねじれ、国会について、エ、必ずしもねじれというのが、あー、悪いことではないんだということを、言っていただきまして、私も、マイナスばかりに考える必要がなくて、えー、この形から、あー、よりよいものが生れる、可能性は、あると思っています。
えー、1998年の、当時は自民党政権の元で野党が参議院で過半数を超えました。あの金融国会の中で、私共も、ある意味で政局というもの以上に、ま、国民の生活を考えて、えー、金融再生法を提案し、当時の小渕総理が丸呑みをされて、えー、金融危機を乗り越えていくことができたと。まあ、その後、私が政局にしないと言ったことについて、色々一部から批判がありましたけれども、私は、あの金融危機を越えることに、役に立てたのであれば、それでよかったと思いますし、そういう意味で与党(野党の間違いだろう)のみなさんにも、この日本のまさに長期に亘る危機を乗り越えていく道筋を是非、共に、えー、考えていく、そういうねじれ国会にしていただければと、えー、私たちもそうなるように誠心誠意努力したいと、このように考えております」
片山虎之助「ねじれ国会になりますとね、与野党の力量っつうか、器量が問われるんですよ。私はそう思います。総理はね、小渕内閣のときの金融国会の話ばかりされますけどね、一番最近、この間までねじれですよ、平成19年からね。あの参議院選挙で、あのー、私も不覚を取りましたが、安倍内閣がちょっとでありましたけれども、あとの麻生、福田内閣は完全なねじれだったんです。
そのときのですね、野党ですよ、みなさんは。どういう態度だったでしょうか。人事案件は全部否決。日切れ法案は否決でしょ?そうでしょ?特措法も、新しい法律も全部否決。3分の2で全部返したわけですよね。税なんか日切れが切れて、また返す。国民のみなさん、どれだけ迷惑したか。国民経済がどういう影響があったか。国際的な信用はどうだったか。インド洋の給油問題。これについての反省がないと、いくら野党に協力を求めたって、己を省みずに人に求めるっつうことは、それはいけませんよ。どうですか、総理?」
菅首相「まあ、あのー、このー、3年間、あるいは、あー、もう少し長い期間かしれませんけれども、えー。我が党が、あー、野党として、えー、参議院で、過半数を、野党が得ていましたときの、行動について、えー、ご指摘をいただきました。
えー、確かに今振り返ってみますと、ま、色んな場面がありましたけれども、おー、かなり、ま、政権を追い込むという、まあ、そういうことを、お、まあ、あのー、かなり念頭に置いた、あー、行動が、ま、なかったかと言われれば、えー、そういう観点も、あー、いくつかあったと思っております。ま、一つ一つの問題では、ア、それなりに私たちも、え、政策的な、観点から、反対をし、てきたつもりでありますけれども、ま、その行動の全体がですね、今ご指摘をいただいたようなことも、オー、あったということで、反省すべきところは、きちっと反省をさせていただくと、そう思っております」
片山虎之助「野党ですからね、フェア・アウト、仕方がない、少しは。しかしあのときはすべて党利党略ですよ。小沢さんの指揮の元に一致結束して妨害したんですよ、国政を。私はその反省がないと、これからのねじれ国会の収束は、この運営は大変難しくなると思います。もう一度お願いします」
菅首相「あの、先程3分の2ということも言われましたけれども、ま、当時3分の2を与党が持っておられて、ま、そういう意味では、多くの課題では我が党が反対をしても、3分の2の規定で、えー、成立をさせられました。
まあ、人事案件間では、3分の2の規定がないものについては、えー、いくつか、止まる。あるいは期限切れになる。色々ありました。エ、色々なご指摘、まあ、十分に受け止めてですね、えー、反省すべきことは、あー、反省していきたいと、このように思っております」
片山虎之助「ま、反省をしっかり言いましたんで、まあ、この問題は、時間もありませんし、次に参りますが・・・」
菅首相は衆参ねじれ国会当時の1998年に民主党を加えた野党が金融再生法案を自民党政権小渕内閣に丸呑みさせ、成立させた例をねじれ国会乗り切りの最良の参考書として挙げているが、7月30日の総理記者会見でも取り上げ、9月1日の民主党代表選共同記者会見、そして翌9月2日の民主党代表選公開討論会でも取り上げてバカの一つ覚えにしているが、バカの一つ覚えにすること自体が一種の勲章としているからだろう。
このことは上の質疑応答でも見ることができるが、自身が「政局にしない」と発言したことと、その発言が党内から批判されたことを常にセットにして1998年の金融再生法案の与党丸呑みが語られることにも現れている。
このような勲章意識は同時に与野党攻守の立場を変えていることに対する意識の希薄さが可能としている、その裏返しの意識としてあるものであろう。
1998年当時は野党の立場で与党に仕掛けて丸呑みさせたが、今度は丸呑みということでは、与党の立場で野党から仕掛けられる構図を取る丸呑みとなる。だが、その攻守所を変えた意識が希薄だから、攻守所を変える前の野党時代の与党に呑ませた丸呑みをバカの一つ覚えとすることができる。
ねじれ状況下で野党に与えられた利点を最大限に利用することで可能となった丸呑みであり、一時的ではあっても、野党自身の存在意義の最大限の発揮へとつながった。
野党は常にそのようなチャンスを窺い、そのチャンスが訪れたとき、自身の存在、政策を売り込む。どの政党が野党となったとしても、変わらないだろう。
与党となった民主党は逆にそういった野党からの攻勢を受ける立場に立たされたということだが、そのことへの意識を欠いている。
各政党は与党であろうと野党であろうと、自分たちの政治理念、あるいは政策を掲げている。そこに存在意義を置く。政権党は自分たちの政治理念、あるいは政策を法律等の形にして世に実現を図ることができる立場にあるが、野党は“ねじれ”という状況を手に入れていたとしても、政権を取ってこそ、満足な形で自分たちの政治理念、政策を実現できる立場を獲得し得る。
当然、野党は与党を追い込み、窮地に立たせて政権を奪い、与党の立場に立つことで自身の政治理念、政策の実現を図ることを役目とすることになる。菅首相が片山虎之助との質疑応答で使った言葉で表現するなら、「政権を追い込む」、追い込んだ上、政権を奪い、自分たちの政治理念、政策の実現を図る。このことを常に役目とするということである。
民主党もそのような経緯を辿って自公政権を追い込み、最終的に政権を掌握し、自らの政治理念、政策の実現を図る立場に立つことができた。
野党となった自民、公明にしても、またその他の野党にしても、自らの政治理念、政策のために与党の政治理念、政策を阻止することを基本的立場とすることになる。
例え与党に協力するとしても、得点にならない協力はしないだろう。つまり与党民主党は何らかの失点を代償としなければ、野党の協力を得ることはできない。得点もなく与党に協力したら、野党としての存在意義を失うからだ。何のために自分たちの政治理念を掲げ、政策を掲げているか意味を失うからだ。
そしてチャンスと見たら、「政権を追い込む」野党としての役目を果たすべく攻勢に出る。食うか食われるかの戦い、存在意義と存在意義の戦いを強いられ、展開しているのである。
片山虎之助が言っている。野党時代の民主党が参議院与野党逆転状況を最大限に利用して与党法案否決の政局に走った結果、「国民のみなさん、どれだけ迷惑したか。国民経済がどういう影響があったか。国際的な信用はどうだったか」
だが、自民党は公明との連立で衆議院で3分の2を確保していながら、立ち往生し、国民は昨年の衆議院選挙で政権党として民主党を選択した。言ってみれば、片山虎之助が「あのときはすべて党利党略ですよ」と言う、「小沢さんの指揮の元に一致結束して妨害した」「政権を追い込む」政局戦術が政権交代につながった。
それ程までにも自公政権は国民に追いつめられていたということだろう。
だが、民主党が戦術とした「政局」を今度は立場を変えて自民党や公明党、その他の野党が自らの戦術としない保証はない。野党が紳士に構えていたなら、政権を取ることは愚か、「政権を追い込む」ことさえできないだろう。「政権を追い込」み、政権を奪取するという野党としての役目自体を自ら捨てることになる。
菅首相のねじれ国会対策の諸々の発言を見ると、そういったことへの意識を全く欠いている。厳しさが足りないとも言える。
「今、日本が置かれている長期の経済の低迷、そして、膨大な財政赤字、そして、不安な社会保障の現状、いずれもそうした金融危機に勝るとも劣らない、大変な国難とも言える状況であります。どうか、野党の皆さんにも国民のために役立つ政策であれば、私たちも真摯に耳を傾け、謙虚にお話を聞いて、そして、合意ができたものはしっかりと取り組んでいきたいと、このように考えているところであります」(7月30日総理大臣記者会見)
各政党は自分たちの政治理念、あるいは政策を掲げていると書いた。当然、「国民のために役立つ政策」にしても、各政党が自分たちの政策こそが「国民のために役立つ政策」だとそれぞれに掲げている。
その「国民のために役立つ政策」を法律の形に変え得るかどうかは議席の力関係に従う。ねじれ状況下では力関係によっては野党案の丸呑みもあり得るし、そこまでいかなくても、野党が何らかの得点とすることができ、その代償として与党が失点となる野党案の一部受入れといった形を取ることもある。
当然、民主党が自らが信じ、掲げている「国民のために役立つ政策」は一部変更を余儀なくされる。丸呑みの場合、自らの「国民のために役立つ政策」を放棄して、野党が掲げる「国民のために役立つ政策」の実現に手を貸すことになる。
だが、菅首相はこういった経緯を取るかもしれないことを考えることすらできず、「国民のために役立つ政策」を云々している。その鈍感さは、鈍感を“鈍菅”と書いたら、うまく言い当ててることができるかもしれない。
野党はこういった硬軟合わせた攻勢で「政権を追い込む」チャンスを窺い、最初は与党の議席を少しでも減らし、野党の議席を増やす経過を辿りつつ、政権奪取を窺う。
かつての野党の立場で成功させた金融再生法案与党丸呑みをねじれ国会乗り切りの参考書とすること自体が意識がズレている上に、「野党の皆さんにも国民のために役立つ政策であれば、私たちも真摯に耳を傾け、謙虚にお話を聞いて、そして、合意ができたものはしっかりと取り組んでいきたいと、このように考えているところであります」と甘いことを言っているようでは、そこには食うか食われるかの戦い、存在意義と存在意義の戦いだとする厳しい意識を窺うことができず、とてもねじれ国会を乗り切ることはできず、早晩行き詰まるように思えて仕方がない。
麻生、福田の二の舞を演じかねない。あるいは麻生、福田の二の舞が待ち構えている。
9月7日付の米ニューヨーク・タイムズ紙が「Japan's Leadership Merry-Go-Round」と題した社説を記載したと日本の各紙が翌8日付で伝えている。各紙とも異なった紹介をしていることと各記事自体が短い文章となっているために全文参考引用してみる。
《指導者の頻繁な交代に目まい…NYタイムズ紙》(YOMIURI ONLINE/2010年9月8日10時48分)
【ワシントン=小川聡】7日付米ニューヨーク・タイムズ紙は、日本の民主党代表選を前に、「メリーゴーラウンドのような日本の指導者の地位」と題する社説を掲載。
「指導者の頻繁な交代は目まいがするほどで、ますます非生産的だ」と懸念を示した。
社説は、「代表選で誰が勝とうとも、最優先の課題は経済だ」と指摘して追加の景気刺激策を求めた。
また、小沢一郎前幹事長が沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で交渉を再開する意図を表明した点について、「非現実的な立場を考え直す必要がある」と指摘した。
《米紙社説、頻繁な日本の首相交代を批判》(MSN産経/2010.9.8 01:16)
7日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、日本の首相の頻繁な交代が日本の政治に「ますます逆効果になっている」と批判する社説を掲載した。
社説は「日本は世界第3の経済大国で、強靱で信念を持った首相が一定期間続けて必要」と主張。民主党代表選に出馬している菅直人首相、小沢一郎前幹事長の「どちらが勝利しても最優先課題は経済政策」とした上で、菅首相が重視する公的債務削減政策は「景気後退局面にあってはまずい考え」と指摘した。
また日米関係の再強化も重要とし、小沢前幹事長が米国人について「単細胞なところがある」と述べたことに触れ、新たな友好関係にとって好ましくないと指摘。
一方で社説は、両候補ともに弱点を持ちながらも、自民党政権下の過去何人かの首相よりは望ましいとの考えを示した。(共同)
《米・NYタイムズ社説で 「頻繁な総理交代は損」》(朝日テレビ/10/09/08 11:54)
民主党の代表選挙について、アメリカのニューヨーク・タイムズは、「日本の総理大臣が頻繁に交代することは、世界にとってマイナスだ」という社説を掲載しました。
社説は、冒頭で「総理大臣のめまぐるしい交代は、日本にとって逆効果だ」として、「これでは、どんな国でも政治はうまくいかない」と指摘しています。菅総理大臣が主張する国の借金の削減については、「景気後退の局面では良くない考えだ」と批判しました。
小沢前幹事長については、「アメリカ人は単細胞なところがある」と発言したことを改めて取り上げ、「新しい友人を作る際に良い方法ではなかった」と皮肉を込めています。そして、「回転ドアから出てくるように次々と指導者が交代するのは、日本だけでなく世界の得にもならない」と主張しています。
《米紙「ニューヨーク・タイムズ」、民主党代表選についての社説掲載 痛烈に批判》(FNN//10/09/08 10:42)
7日付のアメリカのニューヨーク・タイムズは、民主党の代表選についての社説を掲載し、「日本の首相は回転ドアのようにころころ変わる」と痛烈に批判した。
「メリーゴーラウンドのようなリーダーシップ」と題した社説では、「日本では、この1年間で3人目の首相が誕生するかもしれない」と皮肉を交え紹介したうえで、「世界第3の経済大国である日本には、長期安定政権が必要だ」と苦言を呈している。
また、菅首相と小沢前幹事長のどちらが勝っても、「最優先課題は経済対策であるべき」と指摘した。
また、小沢前幹事長が普天間基地移設に関する日米合意見直しに触れたことに対しては、「再考が必要」と反論している。
社説は、「回転ドアのように首相がころころ変わる」状態は、日本にとっても世界にとっても好ましくないと締めくくっている。
最後にブログから部分訳を参考引用。
《EE-英語》
日本のトップはメリーゴーラウン
日本の首相交代は目まぐるし過ぎて、マイナスだ。過去20年間に日本では14人の首相が就任した。そして、15番目が現れるかもしれない。そうすると、この12カ月だけでも3人目となる。新たな政策を導入する時間もなければ、ましてや、それを遂行する時間もない。
菅氏は小沢氏よりも人気はある。しかし、小沢氏は、政治の裏舞台で政治資金を動かしながら、実際に党首選挙に参加する党所属の子分を多く支配している。
党首選挙の結果が出れば、新首相はまともな経済・外交政策を遂行できるだけ長く政権を維持してほしいものだ。トップが回転ドアのようにくるくる変わるようでは、日本の国益だけでなく、世界の利益にも反することになる。
Japan’s Leadership Merry-Go-Round
Japan’s frequent leadership changes are dizzying and increasingly
counterproductive. The country has had 14 prime ministers in the last two
decades and could soon have another. That would make three in the last 12
months alone ? hardly time enough to introduce new policies, much less
effectively implement them.
Mr. Kan has more popular support. Mr. Ozawa ? who has largely operated in
the political shadows ? has more chits with the party members who will
actually elect the party chief.
Once the choice is made, we hope the next prime minister is around long
enough to enact coherent economic and diplomatic policies. Revolving-door
leaders with constantly shifting agendas are not in Japan’s interest ? or
the rest of the world’s.
「指導者の頻繁な交代は目まいがするほどで、ますます非生産的だ」
「日本の総理大臣が頻繁に交代することは、世界にとってマイナスだ」
「回転ドアから出てくるように次々と指導者が交代するのは、日本だけでなく世界の得にもならない」
「日本は世界第3の経済大国で、強靱で信念を持った首相が一定期間続けて必要」・・・・
ニューヨークタイムズ紙は現在の日本にとって目眩(めまい)がする程の指導者の頻繁な交代が日本の政治の文化だということに気づいていないらしい。目眩がする程に頻繁に交代してこそ、日本の政治文化なのだと。だから、英語の「Change」に当たる日本語の「交代」が「後退」と同じ音を踏む同音語となっている(というのはデタラメ)。
決して「非生産的」でもなければ、「世界にマイナス」でもない。日本の国情が“経高政低”となっているから、世界の諸問題の解決に政治の力を以ってしてではなく、カネの力を以ってして解決する世界に突出した日本方式が戦後世界に出現、カネの面でどれ程世界に役立ってきたことか、測り知れないではないか。
自らに欠けている政治の力はアメリカに頼って対米追従外交を生み出し、アメリカの言いなり、アメリカにとっては日本は常に有り難い存在となっていた。どこに不服があるというのか。
小泉政権の場合、日本の政治文化に反して5年も続いたから、1年2年で交代していたなら、あるいは1年で何人か交代していたなら、最小限の後退で済んだところを、地方格差、収入格差等々最悪の後退現象を招くことになった。頻繁に交代してこそ、日本の後退を最小限に防ぐ最大の防御策なのである。
このような日本の政治文化を無視して、ニューヨークタイムズ社説は指導者の頻繁な交代は非生産的で世界にとってマイナスになるという制約を掲げ、「日本は世界第3の経済大国で、強靱で信念を持った首相」を条件に、「一定期間続け」る必要性を訴えているが、例え日本の政治文化に反することになったとしても、あくまでも「強靱で信念を持った首相」を条件とするなら、菅首相の就任して3カ月しか経っていないという「一定期間」を満たさない在任期間は排除されて然るべき条件となる。少なくとも優先条件とはならない。
果して菅首相は「強靱で信念を持った首相」の条件に当てはまるのだろうか。消費税発言をしたかと思うと、その発言が原因で選挙に大敗すると沈黙に転じ、鳩山前首相提案のトロイカ体制に則った挙党態勢に一旦は同意しておきながら、次の日にはその同意を撤回、テレビの収録番組で、代表選後の人事に関して「小沢氏にも得意な分野で活躍していただければありがたい」とさも要職で起用するかのような発言をしておきながら、まだ舌の根が濡れている間に「一般論を述べただけ」と言い繕う。
その他、日米同盟や日本に於けるアメリカの抑止力に関する過去の発言の撤回等、頻繁に見ることができる言葉の軽さ、言葉の一貫性のなさ、言葉に責任を持たない態度等々は言葉に信念を込めることができない意志薄弱から現れることになっている菅首相に於ける言葉の光景であろう。
「回転ドアから出てくるように次々と指導者が交代するのは、日本だけでなく世界の得にもならない」からと、日本の政治文化に反してそのことのみを非生産的とし、「強靱で信念を持った首相」とは言えない政治家を指導者の位置に据え続ける日本の政治文化に則って、そのことを生産的とするのか、何が生産的・非生産的かの判断にかかっている。
9月6日夜、日本テレビの番組収録。《「小沢氏、得意分野で活躍を」 首相、起用問われ発言》(asahi.com/2010年9月6日23時49分)
菅首相「(小沢氏とは)選挙が終われば協力しあうことを約束している。・・・・大きな政治家で、これだけの経験と見識を持った政治家はいないのではないか。決断力があり、特に選挙の指導は非常に的確だ」
司会者から内閣の要職に起用するのかを問われる。
菅首相「すべての(党所属)議員が自分の得意な分野で働ける態勢を作ることが挙党態勢だ。小沢氏にも得意な分野で活躍していただければありがたい」
番組収録後に記者からの番組での発言についての問いに対して。
菅首相「小沢氏の議員としての資質について一般論を述べただけで、代表選後の人事には言及するつもりはなかった。要職起用と受け止められたら、本意ではない」――
多分、記者から、代表に選ばれたら場合の小沢氏を要職で起用する意図からの発言だったのかと問われたのだろう。「特に選挙の指導は非常に的確だ」と小沢氏の得意中の得意分野を挙げて、「小沢氏にも得意な分野で活躍していただければありがたい」と言ったのだから、幹事長起用かと受け止めたとしても、早トチリと非難はできまい。
菅首相はその種の記者の質問を否定、「小沢氏の議員としての資質について一般論を述べただけ」とした。
だが、テレビで何と言われ、新聞で何と書き立てられるか、発言の波紋が心配になって、仙谷官房長官に連絡を入れた。
《菅首相は小沢氏処遇を「言ってない」》(スポーツ報知/2010年9月7日13時41分)
7日午前の記者会見。仙谷官房長官が菅首相から、「代表選後の体制を話したと報道される可能性があるが、そういうつもりではなかった」と釈明を受けたことを明らかにする。
仙谷官房長官「選挙後の体制は今からとやかく言う話ではない。新代表がじっくり考えて行えばいい」――
だが、「選挙後の体制は今からとやかく言う話ではない」にも関わらず、そのぐらいのことも合理的に判断して分別をつけることもできず、「とやかく言」った。
この手の合理的判断もできない、分別もつかない政治家が一国の総理大臣でございますと総理大臣の椅子に座っている。
菅首相は、「小沢氏の議員としての資質について一般論を述べただけ」と言った。これは挙党態勢のあり方や人事の取り扱いについての一般論についての言及とは明らかに異なる。
確かに、「すべての(党所属)議員が自分の得意な分野で働ける態勢を作ることが挙党態勢だ」までは一般論を述べたに過ぎない。「すべての(党所属)議員」と言った場合、匿名の不特定多数を対象とした発言であって、特定の議員を誰と名指ししたわけではないからだ。
「小沢氏も含めてすべての議員」ということなら、例え「小沢」という特定の人物を名指しして付け加えていたとしても、主体的位置を占めるのは匿名の不特定多数の「すべての議員」であって、小沢氏を「すべての議員」に準ずる位置に置くことになるから、一般論とすることはできる。
だが、「小沢氏にも得意な分野で活躍していただければありがたい」は特定の議員に対する名指しの要請、と言って悪ければ、名指しの願望であって、「小沢氏の議員としての資質について」の「一般論」でないばかりか、挙党態勢や人事についての一般論とも違う。それを「小沢氏の議員としての資質について一般論を述べただけ」で片付けるのはマヤカシ以外の何ものでもない。
さらに言うなら、菅首相続投の場合、人事決定権者である菅首相自身が小沢氏が「得意な分野で活躍」できる要職を提供しないことには小沢氏は「得意な分野で活躍」できようがない。
まさかペイペイの仕事の起用は考えることはできまい。いわば、「小沢氏の議員としての資質について一般論を述べた」は自身の発言を誤魔化すマヤカシそのもので、代表選後の人事そのものについて「得意な分野で活躍していただければありがたい」と述べた発言であろう。
合理的判断に欠ける、分別がつかない。その上に自身の不適切な発言を、その不適切さを隠蔽するためにマヤカスことまでする。
何人かの閣僚が「小沢氏の議員としての資質について」の「一般論」を、挙党態勢のあり方や人事の扱い方にすり替えて味方している。
《菅首相、「小沢氏起用」で釈明=閣僚からも発言相次ぐ》(時事ドットコム/2010年9月7日 14:03)
荒井聡国家戦略担当相「党の有為な人材が政府・与党でそれぞれ活躍していただく、と発言したと理解している」
小沢氏という特定人物の名指しから、「党の有為な人材」へと匿名の不特定多数化することで挙党態勢、あるいは人事についての一般論としている。
野田佳彦財務相「特定のポジションをイメージして話したとは思わない」
人物に於ける匿名の不特定多数化ではなく、ポジションの不特定多数化で一般論化を謀っている。
蓮舫行政刷新担当相「首相は一貫して適材適所でチーム民主党という言い方をしている。特段、踏み込んだ発言とは思っていない」
これは人物に於ける匿名の不特定多数化であると同時にポジションの不特定多数化による挙党態勢、あるいは人事についての一般論化であろう。
北沢俊美防衛相「一般論で言ったのだろう。方向性とすれば当然のことだ」
担ぎ上げている当の相手が不適切な発言をすると、担ぎ上げている手前、担ぎ上げているそれぞれが結果的にグルになる形を取ることになってその不適切さを誤魔化さなければならなくなる。誤魔化して、適切な発言だと見せかけなければならない。
誤魔化しを働く点に於いて菅首相も閣僚も共犯関係に位置していることになる。勿論、主犯は菅首相である。自分で言っている先から誤魔化し、その誤魔化しに各閣僚が協力して誤魔化しにかかったのだから。
《【民主党代表選】補佐官が首相の小沢氏要職起用発言を「真意でない」と否定》(MSN産経/2010.9.7 13:00)
寺田学首相補佐官「首相に確認したが、真意ではないとのことだった。小沢先生のすごいところはどこかと聞かれて、『選挙(での指導)が得意』だったと答えた。その後に『挙党態勢はどう築くか』と問われ、1人1人が小沢さんも含めてがんばっていけるような態勢が一番いいという一般論を述べたということだ」
寺田は菅首相が「一般論」だと言っているから、「一般論」が正しいとイエスマンを演じているに過ぎない。自分の判断を何ら差し挟まずにイエスマンを演じたのは、差し挟んだら都合が悪くなるからか、自分で判断するだけの能力がないからかどちらかだろう。
前者、後者どちらであっても、菅首相にとって好都合なだけのイエスマンとして有り難い存在とされるだろうが、逆に首相補佐官としての資質が問われることになる。あるいは問うだけの能力が菅首相にはないのかもしれない。
「大きな政治家で、これだけの経験と見識を持った政治家はいないのではないか。決断力があり、特に選挙の指導は非常に的確だ」の発言、さらに「すべての(党所属)議員が自分の得意な分野で働ける態勢を作ることが挙党態勢だ。小沢氏にも得意な分野で活躍していただければありがたい」の発言を番組収録後に記者からのインタビューに答えて、「小沢氏の議員としての資質について一般論を述べただけ」とした発言の整合性も問わなければならない。
菅首相は代表選を通じて小沢氏を古い政治手法の政治家の範疇に入れ、「カネがまつわる古い政治から脱却しなければならない」、あるいは20年間の日本の停滞を「カネと数合わせの政治」が原因だとし、「おカネにまみれた政治文化を変えなければならない」と小沢氏の存在否定を暗に策してきた数々の発言との整合性である。
「カネと数合わせ」を得意とする古い政治手法の政治家の範疇に入れて否定的存在と看做しながら、「大きな政治家で、これだけの経験と見識を持った政治家はいないのではないか。決断力があり、特に選挙の指導は非常に的確だ」と一転して肯定的存在と看做して褒め上げる。その褒め上げを「小沢氏の議員としての資質について」の「一般論」だとする。
発言のどこにも整合性を見い出すことはできない。
ここに見ることができる菅首相の資質は、ここだけのことではなく、前々から言ってきたことだが、自身の言葉に対する責任意識の希薄さである。責任意識が希薄だから、言葉が軽くなる。あるいは発言に一貫性を欠くことになる。
このことは合理的判断能力や分別の問題と重なる。これらの能力を欠いているから、自身の発言を瞬時に吟味することもできずに思いついたままを言うから、不適切な発言ということだけではなく、言葉に一貫性を欠くことになって、後になって誤魔化しの訂正に追われることになる。
テレビ収録番組の翌日の7日に民主党本部での新聞・通信各社のインタビューで菅首相は改めて発言を訂正している。
《菅首相、小沢氏の処遇「白紙」強調 発言を軌道修正菅首相、小沢氏の処遇「白紙」強調 発言を軌道修正》(asahi.com/2010年9月7日21時34分)
菅首相「テレビ収録の中で人事は適材適所と申し上げた中から話がはずんだが、新代表に選ばれた方が、方向を出される」――
「小沢氏の議員としての資質について」の「一般論」としていたはずが、人事に於ける適材適所論に自らすり替えるマヤカシをやらかしている。
また、「話がはずんだ」ではすまないことを「話がはずんだ」で片付けてしまうなお一層の言葉の軽さも如何ともし難い。
消費税発言でもトロイカ体制による挙党態勢問題でも一貫性のない態度・発言を見せて、自分から自分の言葉を軽くしてきた。いや、元々言葉が軽いから、態度・発言に一貫性を失うことになる。言葉の軽さと態度・発言の一貫性の欠如は相互性を持った資質であろう。
また合理的判断能力とも相互反映し合う資質であるはずである。合理的判断能力を欠くから、言葉が軽い、言葉に責任を持たない。当然、指導力、リーダシップを発揮しようがない。
そういった首相が「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と自分を売り込む。介護分野での雇用創出を言う。
9月7日の『朝日』社説には、〈介護を産業としてみると、現在7兆9千億円の市場規模が2025年には約20兆円になると厚生労働省は見込んでいる。介護従事者は現在140万人を数え、年6万3千人のペースで増えている。 〉と書いているが、介護、その他の社会保障分野には国費投入が常に伴い、国民の負担が常に伴う。
雇用が〈年6万3千人のペースで増えている〉にしても、不景気が多分に恩恵した労働力増加であろう。2009年4月からの介護報酬3%上げでも、すべてが人件費に反映したわけではなく、介護労働者の〈平均賃金は月21万円程度で全産業平均より10万円以上低〉いと書いてあることからすると、景気が回復すればより高賃金の産業に流れていきかねない雇用創出と言わざるを得ない。
少子高齢化が現在以上に加速したなら、国民負担も加速度的に増加する。消費税増税で賄うとしても、消費税という形の負担が肩代わりするだけの話となる。
菅首相の言葉の軽さ、一貫性のなさ、合理的判断能力の欠如、指導力、リーダーシップのなさ等を考えると、菅首相の言っている雇用が経済成長を加速させ、税収を増加させるといったいいこと尽くめが“オオカミ中年”の大騒ぎに見えて仕方がなかったが、今回の「小沢氏、得意分野で活躍を」を濡れた舌のまま「小沢氏の議員としての資質について一般論を述べただけ」の資質一般論に、あるいは「テレビ収録の中で人事は適材適所と申し上げた中から話がはずんだ」の適材適所論にすり替えるマヤカシは“オオカミ中年”と決定づける言葉の軽さ、言葉の無責任さを示していないだろうか。
民主党代表選世論調査を《「首相は菅氏」65%、小沢氏17% 朝日新聞世論調査》(asahi.com/2010年9月5日22時31分)とその《世論調査―質問と回答〈9月4、5日実施〉》、さらにの《民主代表には…菅氏66%、小沢氏18%》(YOMIURI ONLINE2010年9月5日22時14分)とその質問と回答を記載した《「内閣・政党支持と民主党代表選」 2010年9月電話全国世論調査》から、国民から民主党の次の代表として菅首相が圧倒的支持を得ていながら、逆に小沢候補が圧倒的に拒絶反応を以って扱われていながら、にも関わらず、指導力と言うと、誰と言っているのか見てみる。
尤も答は既にいくつかのマスコミが出しているから分かっていることだが、世論調査の具体的な数値から改めて検証してみる。
「asahi.com」は(調査日:2010年9月4、5日)、(前回調査8月7、8日)――赤文字
YOMIURI ONLINEは(調査日:2010年9月3-5日)――緑文字
両調査とも部分的抜粋引用
●菅内閣支持・不支持
支持する 49(37)
支持しない 30(43)――
支持する 59
支持しない 28
●支持理由(択一)
首相が菅さん 29〈14〉
民主党中心の内閣 27〈13〉
政策の面 20〈10〉
実行力の面 13〈6〉
●不支持理由(択一)
首相が菅さん 4〈1〉
民主党中心の内閣 15〈5〉
政策の面 27〈8〉
実行力の面 51〈16〉
●次の首相に誰がふさわしいか
菅 さん 65 小沢さん 17
菅首相 66 小沢氏 18
●政策・資質に関する期待度
■景気・雇用対策の面
菅さん 44 小沢さん 34
菅首相 37 小沢氏 36
■米軍普天間飛行場の移設問題
菅さん 37 小沢さん 30
菅首相 47 2.小沢氏 36
■実行力の面
菅さん 34 小沢さん 49
■政治の進め方の面
菅さん 50 小沢さん 29
■官僚主導から政治主導への転換
菅さん 56 小沢さん 23
菅首相 39 小沢氏 43
■ねじれ国会対応能力
菅首相 37 小沢氏 32
●衆院選マニフェスト修正派の菅、マニフェストどおり実行の小沢、いずれを支持するか
菅さん 63 小沢さん 24
菅首相 71 小沢氏 17
●小沢氏の子ども手当、2011年度月額2万円引き上げ、2012年度から満額2万6000円支給への評価
評価する 24 .評価しない 68
●政治資金の問題で今年6月に民主党の幹事長を辞任小沢氏の今回の代表選立候補は納得できるか
納得できる 18 納得できない 75
●菅首相のこれまでの仕事ぶりに対する評価(択一)
大いに評価する 2
ある程度評価する 45
あまり評価しない 42
まったく評価しない 8
●消費税の引き上げへの賛否
賛成 48(41) 反対 44(47)
●消費税引き上げの議論について、菅さんは「社会保障と一体で議論する必要がある」と述べ、積極的な姿勢を示しました。この菅さんの姿勢を評価しますか。評価しませんか。
評価する 65 評価しない 22
●小沢さんは「行政のムダを省くことに全力を挙げる。消費税はその後だ」と述べました。この小沢さんの姿勢を評価しますか。評価しませんか。
評価する 55 評価しない 34
●消費税率の引き上げについて、菅首相は社会保障制度改革の中で、消費税を含む税制の抜本改革を議論するとし、小沢氏は当面は引き上げない考えを示しています。どちらの主張を支持しますか。
.菅首相 52 小沢氏 38
国民の圧倒的多数が次の首相に菅候補を推している。この点では積極的評価と見ることができる。だが、この場合、1年で何回も代えるべきではないという意見があるにしても、代表選たけなわとなった現在では小沢氏を対局に置いた圧倒的性格の評価と見るべきではないだろうか。
「朝日」は、「菅 65」対「小沢 17」、「読売」は、「菅 66」対「小沢 17」。
「政治とカネ」の問題で説明責任を果たしていないと見ている国民が70%~80%もいる、その拒絶感、アレルギーからすると、小沢氏に持つ印象の反動、小沢アレルギーが向かわせた次の首相菅評価と見た場合、その圧倒的な積極的評価はかなり相殺されることになる。
このことは、「読売」の調査の場合は支持・不支持理由の調査がないから分からないが、「朝日」の調査で見ると、内閣支持調査の中での各回答のうち小沢氏を直接的に対局に置いて判断したであろう項目と間接的にしか置いていないだろう項目をそれぞれ見ることによって証明できる。
いずれであっても、民主党代表選の菅首相の対立候補として小沢氏を対局に置いた意識を全体に反映させて、それぞれを判断していたことは間違いないはずである。
小沢氏立候補の動きがマスコミに取り沙汰されてから立候補表明、そしてそれ以降というもの、菅首相が選挙の支持獲得を意識した各企業や各種施設への視察、関係閣僚への指示等によってさも有能であるかを演ずるパフォーマンスをマスコミに露出させていたことも支持率上昇に貢献しただろうが、この場合でも小沢氏を対局に置いた、小沢氏対する反動が貢献した相対的上昇の要素も多分に入っていると見るべきだろう。
改めて「朝日」の支持・不支持理由を掲載してみる。
●支持理由(択一)
首相が菅さん 29〈14〉
民主党中心の内閣 27〈13〉
政策の面 20〈10〉
実行力の面 13〈6〉
●不支持理由(択一)
首相が菅さん 4〈1〉
民主党中心の内閣 15〈5〉
政策の面 27〈8〉
実行力の面 51〈16〉
「政策の面」と「実行力の面」は小沢氏を対局に置いた判断であると同時に当事者の政治的資質、政治的能力の判断を求める項目であって、“次の首相は誰がふさわしいか”と同傾向の圧倒的数値を見せてもよさそうなものだが、支持理由の中で2倍程度上昇したものの、相変わらず下位を占めていて、“次の首相は誰がふさわしいか”とは逆の傾向を示していることから、“次の首相は誰がふさわしいか”に於ける積極的評価は相対的低下を免れ得ない。
逆に不支持理由では、 「実行力の面」が前回16ポイントから4倍強の51ポイント、「政策の面」では前回8ポイントから3倍強の27ポイントで、合わせて78ポイントの圧倒的多数で、それぞれ不支持理由の第1位と第2位を占めている。このことも“次の首相は誰がふさわしいか”の圧倒的支持を相殺することになるマイナスの能力評価、資質評価となっている。
その一方で、直接的には小沢氏を対局に置いていない、置いていたとしても意識の面でのみ置いた、それゆえの上昇要素が含まれていると見ることができるものの、当事者の政治的資質、政治的能力を直接的に問うものではない、「首相が菅さん」が前回の14ポイントから29ポイント、次が菅首相の資質・能力も、小沢氏の影響も直接的には関係しない、「民主党中心の内閣」が前回13ポイントから27ポイントで、支持理由の第1位と第2位を占め、名指しで支持を問う“次の首相は誰がふさわしいか”の結果と整合しない傾向を見せている。
この不整合こそが、“次の首相は誰がふさわしいか”で菅首相が指導力や政策遂行能力(=実行力)等の政治的能力、政治的資質で支持を得ているのではなく、1年で何回も代えるべきではないという意見を基本としていながらも、あくまでも小沢氏を対局に置いた候補者だからということの現れではないだろうか。
この構図は当事者本人の指導力や政策遂行能力(=実行力)を直接的に問う項目の結果値に表れている。
〈官僚主導から政治主導への転換〉では、
菅さん 56 小沢さん 23
菅首相 39 小沢氏 43
となっていて、「朝日」と「読売」では逆の結果となっているが、〈実行力の面〉では、
菅さん 34 小沢さん 49
さらに〈菅首相のこれまでの仕事ぶりに対する評価(択一)〉では、
大いに評価する 2
ある程度評価する 45
あまり評価しない 42
まったく評価しない 8
と“次の首相は誰がふさわしいか”に真っ向から反する評価しないが合わせて50ポイントを占め、評価も「ある程度評価する」の消極的評価が45ポイントを占めていることからすると、やはり1年で何回も首相を変えるべきではないとする多数意見があるとしても、小沢氏を対局に置いた、小沢氏に対する拒絶反応、アレルギーが仕向けている“次の首相は誰がふさわしいか”であろう。
これらの調査の結果から見て取ることができるのは、例え菅首相が“次の首相は誰がふさわしいか”で圧倒的支持を受けていたとしても、国民世論は指導力なら小沢と言っていることになるはずである。
昨9月5日日曜日のテレビ朝日『サンデーフロントライン』に菅首相が出席した。そこでマニフェストについて変更を正当化する新たな騙しのテクニックを披露していた。
小沢候補が掲げている国の補助金の地方への一括交付金化に対する反論から入ることにする。
菅「補助金は21兆の中で15兆、16兆は実は社会保障費の関係、例えば生活保護とか。ですから国がやればかかるけれども、地方へ移せばもっと少なくて済むというにはなかなかできないところもあります。そういう意味では、必ずしもマニフェストで謳ったところまで、初年度もそこまで一遍にはいきませんでしたけど、完全にいくことはなかなか難しい面があります」
もし菅首相が言っていることが事実なら、最初から分かっていたシナリオとなり、マニフェストに地方への一括交付金化を掲げたこと自体が誤魔化しだったことになるが、「必ずしもマニフェストで謳ったところまで、初年度もそこまで一遍にはいきませんでしたけど、完全にいくことはなかなか難しい面があります」と軌道修正を計ることのみを正当化し、その誤魔化し自体はカエルの面にショウベンとしている。
このことだけでも、民主党のマニフェストの程度が知れる。
星浩(朝日新聞)「マニフェストの行程表ですと初年度、7.1兆円。2年目は確か12兆3千億円。そうなると、どうも初年度(ムダを削ったのは)3兆円そこそこですから、2年目の12兆というのはなかなか難しいとなると、マニフェスト全体の行程表を少し見直していくしかないかなと気がするんですけれど、その辺如何ですか」
菅「それも含めて、来年度の予算をつくる中で、例えば子ども手当ですね、1万3千円を超える部分は現金でいくのか、保育園の拡大でいくのか、どの規模するのか(ママ)、そういうことがありますので。
あの、基本は昨年のマニフェスト通りにやるということは誠心誠意頑張りますけれども、あくまでマニフェストはおカネをこちらを削って出したもので、これをやるという、両方がマニフェストですので、そういう意味では、ギリギリのところでできないときにはちゃんと説明をしなけりゃいけないと、こう思います」
「誠心誠意」という言葉を使っているのだから、「あくまでマニフェストはおカネをこちらを削って出したもので、これをやるという、両方がマニフェストです」が、こちらを削ることができなければ、これはできないという意味で言ったわけではあるまい。
なぜなら、政策は常に財源の裏付けを一体としていなければならないからだ。政策作成の初歩であろう。ムダを削減して、マニフェストに掲げた政策の財源とすると謳った。政策と財源の裏付けとの一体化である。
そうでなければ、若い男が財源の裏付けもないのに若くて綺麗な女の子にブランド物の時計や靴やバッグや衣服を買ってやると約束したことと同じになる。
ムダの削減が当初計画していたようにはうまくいかなかったから、できないでは、財源の裏づけが甘かったことになり、そのことの責任を取らなければならないはずだ。
玄葉政調会長が6月17日の参院選民主党マニフェスト発表記者会見でマニフェストについて次のように発言している。
玄葉「マニフェストと言うのは生きものであり、常に手入れが必要なものだというふうに認識をしております。従って、環境や状況の変化に柔軟に対応することが重要だということで、改めるべきは改めると言う観点から書かれているということです」
マニフェストに掲げた政策が環境や状況次第で常に手入れを受けて変化する性格を有するなら、鳩山前首相が普天間移設で当初掲げた「国外、最低でも県外」から県内辺野古移設案への大変化にしても何ら非難されることはなく、辞任することもなかったことになる。
「手入れをいたしました」、あるいは、「環境や状況の変化に柔軟に対応」しましたで片付いたはずである。
尤も鳩山前首相は辞任したが、「国外、最低でも県外」から県内辺野古移設案への大変化を受け継いで、菅政権は着々と実行しつつある。
マニフェストを環境・状況次第の変数としたと思ったら、菅首相が今度は、「あくまでマニフェストはおカネをこちらを削って出したもので、これをやるという、両方がマニフェストです」とマニフェストを財源次第の変数に変えた。
いわば一体であるべき財源の裏付けからマニフェストを解放したとも言える。財源が出できた分の政策を実行する、出てこなければ、出てこない分、政策を縮小する。そういうことであろう。
と言うことなら、財源の裏付けなくして政策を掲げることも自由となる。
「誠心誠意」の言葉の実質が知れるというものである。
だったら、国の経営も税収分のみを出てきた財源として、その範囲内で賄い、赤字国債発行はやめるべきだが、二重基準を平気で設けている。
政権担当は政策の優位性を訴え、国民にその政策の優位性を認められた結果として選挙で獲得した、例え連立を組むことになったとしても他党に優る議席の優位性を基本的条件とするはずである。
だが、マニフェストに掲げた政策が環境や状況の変化次第で手入れ自由、財源の裏づけと一体とすることから解放することができるとなったなら、政策の優位性は何を基準として国民に提示するのだろうか。あるいは国民は各党の政策の優位性を何を基準に見届けたらいいのだろうか。
いや、何を基準としようとも、他党に比較した自党の政策の優位性を訴えること自体がマヤカシとなる。
だが、半数以上の国民がこのマヤカシ、騙しのテクニックを許している。
9月6日、今日の日付の「朝日新聞」世論調査にそれが出ている。(部分的参考引用)
実施日は9月4、5日。
◆民主党の代表選挙が始まり、菅直人さんと、小沢一郎さんが立候補しました。民主党の代表は次の首相になります。どちらが首相にふさわしいと思いますか。
菅さん 65 小沢さん 17
■実行力の面
菅さん 34 小沢さん 49
◆民主党が昨年夏の衆議院選挙で掲げたマニフェストについてうかがいます。菅さんは、「実現困難な場合は修正する」という立場です。小沢さんは「約束したことは実行する」という立場です。どちらの立場を支持しますか。
菅さん 63 小沢さん 24
◆菅首相のこれまでの仕事ぶりをどの程度評価しますか。(択一)
大いに評価する 2
ある程度評価する 45
あまり評価しない 42
まったく評価しない 8
63%の国民が結果として政策と財源の裏付けとの一体化を問題としないことによって国民に提示する政策の優位性の基準が無化するのを認めている。
世論調査全体を見ると、どう見ても消極的理由の菅評価にしか見えない。内閣支持率上昇も反小沢意識が押し上げた相対的上昇に過ぎないのだろう。
番組でキャスターの小宮悦子が、菅首相の「一に雇用、二に雇用、三に雇用が経済成長につながる」という主張を取り上げて、普通は経済成長が雇用をつくり出すのではないのか順序を問うと、このことにも巧妙な騙しのテクニックで対応している。
菅「まさに双方向なのです」
「双方向」などという言葉は共同記者会見でも公開討論でも言っていなかった。雇用が経済成長の原動力となるといった意味での言葉の使い方であった。
菅「まさに双方向なのです。例えばですね、内需の拡大を考えたときに、介護の分野は需要があるにも関わらず、供給がない。で、なぜかと言うと、介護に携わる人の給料が安いから供給がない。
そうするとそこに財政的な裏づけがあれば、雇用が生れて、仕事が生れて、そこにサービスが誕生しますから、経済が成長していく。さらに言えば、給料貰って、税金を払えばですね、それで財政的にも良くなる。また、需要が増えるということはデフレギャップにも、これを解消することにつながっていく」
菅首相は雇用創出による経済成長を介護を主体的に取り上げて主張しているが、介護の市場規模は7兆円程度で、自動車産業は44兆円程度であることからすると、いくら介護に「財政的裏付け」を以ってして雇用を創出しても、主要産業自体の経営が活発化しないことには経済成長自体見込むことができないように思えて仕方ない。
小宮悦子「財政的裏付けがあってということでしたが、具体的にどういうことを考えればいいんでしょうか?」
菅「ですから、今申し上げたような雇用の創出について、新たな雇用をつくるには、これは今申し上げたような介護とか、医療とか、保育とかの分野。外国に企業が出てしまって、雇用が失われるものをしっかりと国内でも雇用を確保するため、例えば先日も見てきました、炭素のリチウムなど造っている会社が国内立地することの応援をしています。ま、そういう形で、経済成長、そして立地を残すことで、雇用が生れる。
それからもう一つ、雇用という面で言うと、例えば大企業は求人倍率が0.5ぐらいで、中小企業全体だと、実は4ぐらいあるんです。ですから、そういったみなさんにですね、あの、高校生、大学生の卒業した人がきちんとこの企業の方を望めばいいじゃん。卒業生なら、こういうことなら、いいやという、ミスマッチを、こう解消することによって、雇用が生れます。
そういう点を含めた、新成長戦略、勿論新成長戦略には、あの、もっと幅広くですね、例えば環境問題に於けるクリーンイノベーション。例えば医療・介護とかのライフイノベーション。さらにアジアとの関係のアジアの成長を日本の成長につなげていくという、まあ、例えば一つの例を、中国からの観光客を多くしようということで、ビザの緩和をしましたけど、これは非常に大きな効果を常に上げています。
まあ、こういったことを網羅した項目の新成長戦略を6月末に発表して、いよいよこれを具体的に実現するための新成長戦略実現会議を、これは経済界、労働界からもいろいろな方が出てきてもらって、それをつくり、具体的な・・・・(聞き取れない)ではなくてですね、例えば新幹線を外国に売り込もうとかですね、いろんな問題で実践活動にいよいよ入っていく。
こういう段階にきています」
最後まで小宮山悦子の「財政的裏付けがあってということことでしたが、具体的にどういうことを考えればいいんでしょうか?」の、「財政的な裏付け」について一言も答えていない。
答えることができなかったから、雇用の例やその他の政策を長々と喋ってゴマカす必要があったのだろう。
菅首相が「大企業は求人倍率が0.5ぐらいで、中小企業全体だと、実は4ぐらいある」、このような「ミスマッチを、こう解消することによって、雇用が生れます」とさも簡単に雇用創出が可能であるかのように安請け合いしているが、このミスマッチは一面的には「介護の分野は需要があるにも関わらず、供給がない。で、なぜかと言うと、介護に携わる人の給料が安いから供給がない」雇用状況と重なるミスマッチであろう。
簡単な安請け合いでは解決できないミスマッチだということである。簡単に解決できないからこそ、不景気で失業者が巷に溢れることになっても、求人倍率が3.5に開いたままでいることになる。
菅首相は介護の場合のミスマッチは「財政的な裏付け」で解決するという。だが、どのような「財政的な裏付け」かは誠心誠意を示す男だから、言わない。
2009年4月からの+3%の介護報酬改定が行われた。この改定は介護労働者の賃金アップを目的としていたが、この3%分は介護企業に支払われるために必ずしも賃金に反映しなかった。企業が人件費に回す余裕がなかったからなのは言うまでもない。
問題はこの3%の財源だが、HP《介護労働者の処遇は改善されるか》によると、介護保険支払い者の負担を避けるために+3%上昇分は約1154億円の国費投入で賄っているという。但し国費投入は2年間の暫定措置であって、2011年度から国民が払う介護保険料に撥ね返ってくるという。
〈民主党の医療・介護改革作業チームはこの3%に加えて一般財源から7%上乗せする案を検討している。7%分の財源規模は4400億円と想定し、これが全額人件費に回った場合、介護労働者の賃金は月額4万円の引き上げが可能になると推計している。しかも、暫定的に財源は全額を税財源とし、介護保険料の引き上げはしないという。
だが、暫定的に税財源にするとしても、最終的には介護労働者の賃金引上げを含む介護保険財政を誰がどのように負担し、支えていくかの問題が残る〉――
要するに菅首相が言っていた「そこに財政的な裏づけがあれば」とは、4400億円規模の国費投入を言っていることになる。
但し人件費が実質アップするかと言うと、あくまでも〈全額人件費に回った場合〉である。
また、毎年4400億円で済まない、年々増えていくであろう4400億円+αの税財源はあくまでも暫定措置と言うことなら、一度にではなく、少しずつ国民負担にまわすとしても、十分に支払い能力を有する生活者なら構わないが、そうでない場合、迫りくる消費税増税と併せ考えた場合、当然のこととして消費の抑制が起きることになる。
介護労働者が「給料貰って、税金を払えばですね、それで財政的にも良くなる」にしても、介護保険料アップからの消費抑制を差引いた場合、丸々「財政的にも良くなる」わけのいいこと尽くめではないことになる。
菅首相は消費税増税発言をしたとき、税収分を社会保障費に回すと言っていたのだから、4400億円+αの税財源自体、増税した消費税の税収分の一部を充てる予定でいるのかもしれない。
参院選大敗の失敗に懲りて、ここで消費税を財源に予定していると言うわけにはいかないとの理由で小宮山悦子の「財政的な裏付け」についての質問に一言も答えなかったのかもしれない。
そうだとしたら、素晴らしい「誠心誠意」に満ちた騙しのテクニックとなる。
菅首相の言う、“国民が参加する政治”とはこういったことを指すのだろう。
民主党代表選、各報道を見ると、小沢候補の方が旗色が悪い。国会議員では僅かに上回るものの、地方議員票では菅候補にかなり差をつけられているようだ。「1年で何人も首相が交代するのはよくない」という理由の国民世論の圧倒的支持が影響していると報道している。
いわば3人目はいらない、小沢一郎の場合は「政治とカネ」の問題もあるのではないかが菅続投の強力な推進力となっているようだ。
菅首相は9月1日の民主党代表選立候補者共同記者会見で雇用に関して次のように発言している。
菅候補「私は先ずやるべきことは一に雇用、二に雇用、三に雇用だと考えております。つまり仕事がないということは人間の尊厳に関わることでありまして、仕事があることによって尊厳が保たれ、そして安心な生活になってまいります」
翌日の立候補者公開討論会でも同じパターンで雇用を人間の尊厳確保の必要事項だとしている。
「やるべき政策課題。私は1に雇用、2に雇用、3に雇用と、このように申し上げております」と訴えた上で、「雇用こそが人間の尊厳、将来の不安に対して、最も必要最小限の必要なものでありまして、そういう意味では不安の解消にもつながってくると思います」
このパターンを街頭演説でもテレビ出演でも力強く繰返して、人間の尊厳確保を最優先の出発点とした雇用政策を公約していくことだろう。みなさん、安心してください。国民のみなさんに等しく人間の尊厳を維持できる雇用をお約束いたします。「この雇用を生み出せば、経済の成長につながります。また働く人は税金を払っていただいて、財政の再建にもつがなります。介護や保育の分野で働けば、社会保障の充実にもつながるわけであります」と。
確かに仕事がなく、収入がない、満足な生活を送れないとなると、人間を惨めにする。誇りを失い、胸を張ることを忘れ、卑屈に構えることになる。不安ばかりが先に立ち、その不安に責め苛まれ、生きていく自信を失い、自殺を考える者、生きていても仕方がないと実際に自殺してしまう者も出るに違いない。
不安は心身の健康をも害する。苛立ちを誘い、怒りっぽくなるばかりか、心臓に悪影響する。あるいは全身から力が抜け、脱力感、倦怠感が身体ばかりか、精神をも蝕んでいく。生きるエネルギーそのものを奪っていく。
菅首相の「仕事がないということは人間の尊厳に関わることであります」が代表選用の奇麗事でなければいい。人間存在のありようそのものを心の底から思い、その基礎となる雇用創出への政治家としての執着心が言わせた実のある言葉なら、問題はない。
現在失業している者や非正規などで低所得に苦しんでいる者に人間としての尊厳を与えたい、回復させたいの一心で言っているのだろう。結果として、人間の尊厳回復が日本経済の再生にもつながるからと。
しかしこのことは6月17日の民主党マニフェスト発表記者会見で公表した消費税発言と整合性をつけることができるのだろうか。
なぜなら、消費税増税はそれが招く一時的景気悪化のみならず、悪化からの回復期に於いても景気回復の恩恵の授与は最後となるだろうから、仕事がない若者や中年層、安い給与で働いている非正規労働者、あるいは低額の年金で暮らしている高齢者、あるいは現在の不況化で苦しい経営、赤字経営に喘いでいる中小零細企業経営者等、彼らの生活を真っ先に直撃し、ただでさえ失っているかもしれない人間の尊厳を壊滅させない保証はないからだ。
それを可能な限り防ぐためには彼らの生活が成り立ち、現在以上に人間の尊厳を失わしめない軽減税や税還付方式等の救済策をしっかりと講じた消費税増税策を準備期間を置いて計画立て、これならどのような社会的弱者にも納得できる増税であり増税策だと自信が持てた時点で公表すべきを、何の準備もなく公表、しかも結果として同じ税率の10%で政府財政の再建に間に合うという計算があってのことなら構わないが、なぜ10%増税なのかの説明もなく、「当面の税率については自由民主党が提案されている10%というこの数字、10%を一つの参考とさせていただきたいと考えております」と政権党の与党が野党自民党の10%増税案に乗る、政権党としての主体性、責任放棄に当たる安易さまで見せた。
念入りな準備も念入りな計算もしていなかった消費税増税発言だったことは、「当面の税率については」の「当面」という言葉が何よりも明確に証明している。
国民生活に影響を与える、特に低所得層、失業・無所得の社会的弱者の生活を直撃しダメージを与える、ただでさえ逆進性の高い消費税増税に関して、前以て増税率に備えて支出を抑えなければならない社会的弱者にとって、10%が「当面の税率」では備えようがないからだ。
雇用のあるなしのみが人間の尊厳に関係するわけではない。雇用はあっても、苦しい生活を強いられ、常に生活費の計算をしながらでなければ生活することができない、それゆえに行動の自由・精神の自由を束縛されることも深く人間の尊厳に関係している。
もし菅首相が社会的弱者に纏わる人間の尊厳なるものについて常に頭に入れていて、頭から離れない心底からの思いであったなら、人間存在のありように欠かすことはできない必須要素として思い描いていた人間の尊厳であったなら、不用意な準備なしの消費税増税発言はできなかったろう。
ただ単に政府財政の健全化を目的とした、社会的弱者へのダメージも人間の尊厳も頭に入れていなかったからできた消費税増税発言であったということであろう。
当然、「仕事がないということは人間の尊厳に関わることでありまして、仕事があることによって尊厳が保たれ、そして安心な生活になってまいります」にしても、代表選で自身を立派と見せる付け焼刃――俄仕込みのウリ言葉に過ぎないことになる。
そうと解釈しなければ、消費税増税発言の不用意さ、準備不足との整合性が取れなくなる。
こう考えると、参院選民主党大敗の主因は消費税増税発言ではなく、社会的弱者に対する人間の尊厳軽視こそが真の敗因で、その軽視のしっぺ返しが敗北ということではなかったろうか。
トヨタ自動車の豊田章男社長が9月3日、朝日新聞の単独インタビューに応じている。《トヨタ社長「円高でも日本にこだわる」 拡大路線転換も》(asahi.com/2010年9月4日3時30分)
記事題名に関する発言箇所は次のようになっている。
――円高の影響は。
「今の状況は大変厳しい。だが、トヨタは日本で生まれたグローバル企業。どこの国でもよき企業市民でありたい一方、日本で頑張り続けることにこだわっていきたい」
――国内向け主力車の生産を、海外に移す考えは。
「日本でのものづくりにこだわりたい思いは強く、基本は売れるところでつくる。ただ、結果的に、そうなることもあるかもしれない」 ――
企業人としては当然の考えであるが、同時に矛盾したことを平気で言っている。
問題は若者の車離れに関する発言に生活に困らない菅首相と同じオッサンの発想を見せている点である。
――若者の車離れが進んでいる。
「というより、自動車会社が若者から離れた。私がイベントなどで自ら車を運転するのは『あのおじさんは何であんなに楽しそうなんだろう』と、子どもたちに興味を持って欲しいから。大人が格好よく見せれば、子どもは車に興味を持つはずだ」
いくら子どもが車に興味を持とうと、車を運転できる世代に成長したとき、車を買ってローンを組み、計画的に支出できるだけの収入の保証、生活の保証がなければ、車を買いたくても買うことはできない。現在、収入が不安定な非正規労働者が労働者全体に占める割合が3人に1人、20代前半以下では2人に1人と言われている。
2008年の調査で世帯ごとの所得格差が過去最大になったという統計もある。年収400万世帯以下が全世帯の約半数近くを占めている。
雇用調整弁として簡単に首を切られてきた非正規雇用者の失業も一昨年と昨年、社会問題となった。正規雇用であっても、簡単にリストラされる雇用状況にある。特に非正規雇用として働き、将来に展望を持てない若者の多くが計画的に支出できない生活を抱えていることを考えていると、そのことが若者の車離れの大きな理由となっていると見るのが妥当な線ではないだろうか。
トヨタ自動車は高級車を目指したかもしれないが、軽自動車を主力商品と売り出している自動車会社もある。豊田章男社長はカネに困らない生活を送っているから、20代前半以下では収入の低い、かつ不安定な非正規雇用が2人に1人を占めると例え新聞・テレビで知ったとしても、右の耳から左の耳に素通りしてしまうのだろう。
だから、若者の車離れを、「自動車会社が若者から離れた」と言える。菅首相が一方では、「仕事がないということは人間の尊厳に関わることでありまして」と言いながら、特に社会的弱者を直撃して彼らの人間の尊厳を脅かす、最悪喪失せしめる危険性ある故にその救済策を講じる準備してから公表すべきを準備もせずに消費税増税を不用意に発言できたように。
9月1日の民主党中央代表選挙管理委員会主催の民主党代表選、菅・小沢共同記者会見でも9月2日の日本記者クラブ主催公開討論会でも選挙大敗して参議院与野党逆転状態と化した、いわゆる“ねじれ国会”対策を記者から問われて、菅候補は口では大敗の責任を言っているが、参院選大敗は天の配剤だと見事な詭弁を弄して責任逃れを図っている。
9月1日の共同記者会見は「プレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局」動画の文字化から、9月2日の公開討論会は、「MSN産経」記事――《【公開討論会・詳報】(3)菅氏「真摯な姿勢で臨めば野党も応えてくれる」》(2010.9.2 15:14)と《【公開討論会・詳報】(4)小沢氏「参院過半数、6年ではとても無理」》(2010.9.2 15:43)から、菅候補と小沢候補の発言を見てみる。
9月1日共同記者会見――
――読売新聞の東(吾妻?)です。参院選での大敗をどう総括され、その結果生じたねじれ国会をどう克服されていかれるおつもりなのか、具体的には政権の枠組みを変えるおつもりであるのかを含めてお願いします。
小沢候補「選挙というのは、主権者たる国民が意思表示する唯一最大の場でございます。ですから、その意味に於いて、民主主義社会に於いては、選挙の結果というのは、大変、国民の意思として、意思表示として、重大に受け止めなければならないと思います。
3年前の参議院選挙で、野党合わせてでありますけれども、過半数を国民みなさんからいただきました。これが今回、大きく議席を失ったということは大変な大きな問題として、トップリーダーから、われわれ一兵卒に至るまで考えなくてはならないことだと把えております。
国会については、私は今度の代表選の審判を受けた後に考えればいいことだと思っておりますけれども、いわゆるみなさんがおっしゃる政界の再編といいますか、そういう類のことで国会運営を乗り切っていこうというふうな考えを持っているわけではありません。我々が国民のための政策を実行するということであれば、野党も賛成せざるを得ないだろうと思っておりますし、そういう意味で私たちがきちんと筋道の通った主張と政策を参議院に於いても示していくということが大事だと思っております」
菅候補「参議院の結果については私自身の責任論も含め、反省をしてまいりました。その上で、ねじれという状況になったことについて、私は一般的には厳しい状況でありまけれども、ある意味では天の配剤ではないかとも同時に思っております。
つまり今の日本の大変深刻な、例えば成長が20年間止まっている、あるいは1千兆にも近い財政赤字が蓄積している。あるいは少子化、高齢化が急速に進んでいる。こういう問題を二大政党であったとしても、1つの党だけでなかなか超えていけない状況がこの10年、あるいは20年続いてきたわけでございます。そういう意味ではねじれという状況は、逆に言えば、そうした与党、野党が同意しなければ物事が進まない。逆に言えば合意をしたものだけが法律として成立をするわけすから、そういうより難しい問題も合意すれば超えていけると、そういう可能性が出てきたと言えるわけであります。
私の経験では確か1988年でしたか、金融国会というものがありまして、長銀、日債銀の破綻寸前になったときに当時の野党でありました民主党、そして自由党、公明党で、金融再生法というものを出しました。色んな経緯がありましたけれども、最終的には当時の自民党がそれを丸呑みをされた。私は政局しないと申し上げて、小沢さんから少し批判をされましたけども、しかしあそこで政局にしていた場合は、私は日本発の金融恐慌が世界に広がった危険性が高かったと思っておりますので、そういう意味では、そういう真摯な気持を持って臨めば、野党のみなさんも合意できるところはあって、これまで超えられなかった問題も超えていくチャンスだと把えて努力してまいりたいと思っております」
9月2日公開討論会――
「MSN産経」記事から
【政権運営、ねじれ国会への対応】
--小沢氏からお願いします
小沢氏「国会運営ですか?」
--「えー」
小沢氏「はい。あのー、この間の選挙で44議席という、参院大敗を喫してしまいました。従って、何を、政策を法律化して通そうと思っても、数だけでは到底できません。そして今、野党各党とも、菅政権にいろいろな政策で協力するということはできないという趣旨の話を各党ともしております。それがまあ、現実だと思います。そうしますと、衆院で圧倒的な多数で、言うまでもないですが、参院の国会運営、自分たちの主張を通すためにはやはり野党の賛同を得なければならないと思っておりますけども、野党のみなさんがそういう趣旨の政治スタンスをとっていることについて、菅総理としてどのようにこれを打開していかれるのか、お聞きしたいと思います」
菅氏「私はですね、先の参院選で大きく議席を減らし、敗退したことについて、その責任を痛感いたしております。しかし、このことで、何かもうこれで政治が進まなくなったとはこのように思ってはおりません。ある意味では、新しい局面が生まれる可能性がある。つまり、自民党が参院が少数でねじれた時期もありました。今回逆の時期もあります。つまりは、自民党もあるいは他の野党も、自分たちが全部反対すれば法案は通らない。しかし、本当に国民のためにどうすればいいかということをですね、考えたときに、私は謙虚に話し合いをすれば、大きい問題であればあるほど、共に責任を感じて何らかの合意形成を目指すということはありうると思っております」
「私が例に出しますあの金融国会の時、当時自民党が過半数割れを起こして野党、私が代表する民主党、そして小沢さんが代表された自由党、公明党で金融再生法案を出しました。この法案が通らなければ長銀、日債銀が破綻(はたん)して金融恐慌になるのではないか。そういう中でありましたので、私は徹底的な議論をいたしまして、わが党、野党の案に自民党が全面的に賛成されるのならば、それを政局としては扱わないで、政策合意をしてもいいと申し上げましたが、100%野党案を賛成するという形で成立をし、金融恐慌を避けることができました」
「それについて、小沢さんからは政局にしないなんていうこと言うのはおかしいと言われましたけども、私は今でも日本のため、世界のためにはその選択は間違っていなかったと思います。これからの政権運営においても、そういう真摯(しんし)な姿勢で臨めば野党のみなさんも必ず応えてくださると、このように考えております」
小沢氏「あのもちろん、今、総理がおっしゃったように私どもが本当に国民のための政策だ、法律案だということでもって、野党の皆さんと合意することができるものもたくさんあると思います。ただ、今、お話があったように、あのときも野党案を丸飲みしたというのが現実でありました。本当の危機的な状況の中ではそういうことも、当然、お互いにあり得ることではございますけれども、自分の政策、主張を野党とは違う基本的に考え方の違う政策、主張というのは現実的にはできなくなってしまうわけでございますので、その意味についての国会運営というのは大変厳しいものではないかと思っております」
「もちろん、ぼくは選挙の結果のいかんにかかわらず、一兵卒として協力することは党員として当然ではありますが、なかなかわが党が野党で、過半数をもっておったときの自民党政権下でわが党がもっておったときの、国会の状況をみてもおわかりの通りだと思いまして、そういう意味では私はここがリーダーとしての手腕が問われるところであって、本当に真摯(しんし)に一生懸命、野党に対して話をすれば、一定限度の理解はえられるということは、そう思いますけれども、本当に主張、政治的な考え方の違う問題についてはまったく動かないということになりますので、そういう意味で大変、厳しい国会運営になっていくのではないかということを心配しておりまして、このリーダーとしては打開策をきちんと考えておかなくてはならないだろうというふうに思っておりますものですから、そういう質問をさせていただきました。
菅氏「私は先ほど申しあげましたようにですね、今の日本の行き詰まりはこの1年、2年の行き詰まりではありません。約20年間にわたる行き詰まりです。それは景気対策をやっても一義的にはよくなっても成長には戻りませんでした。あるいは社会保障についても少子高齢化がなかなか止まらなくて不安感が高まってます。財政の状況はいろいろな見方はありますけども、いずれにしても膨大な借金が積み上がっていることが事実であります。こういう大きな課題、金融国会の金融破綻(はたん)に匹敵する課題、あるいはそれをこえる課題であるからこそ、私はたとえば二大政党の一方が多少力を持っていても、それをこえてこれなかったために、それが今日のこの行き詰まりがあると私は思っております」
「ですから、この大きな行き詰まりをこえるためにはある意味では、党をこえた合意形成、国民の合意形成が必要になる。熟議の民主主義といってまいりましたけれども、この間、私どもが野党でねじれ国会のときにはやや率直に申しあげて政権交代を目指すという政治的な目的のためにかなり行動したことも事実でありますから、そういう意味ではそれぞれがそういう行動をとった上で今日の状況をむかえて、ある意味の新しい局面にきたわけですから。そういうより大きな課題こそが、私は天の配剤だと申しあげているんですけれども、こういう中で合意形成ができると、私も30年間、国会におりますので、自社さ政権、いろいろな政権、ご一緒した方もあります」
「たとえば、子供手当ては公明党が賛成いただいて、現在の法案もできているということもありますし、やはり財政健全化についても自民党も中期目標などではわが党と一致をした意見を出させていただいておりますので、もちろん、簡単だとは思っておりませんけれども、まさに真摯(しんし)に政局ではなくて、国民のことを考えて話し合おうという、その呼びかけをきちっと。既に多少の努力はしておりますけれども、させていただいたときには他の野党の皆さんもですね、国民の皆さんのことを考えて、そういう話し合いに参加をしていただけるものと思っています」
小沢氏「国会運営についてこれ以上は何もありません。ただ、今、繰り返しますが自分たちが国民に約束した主張を実行していくためにはやはり参議院でも過半数を有するということは本当に大事なことだと思っております。このままですと、仮に民主党政権が続くとしても、もう、最低でも6年、とても6年じゃ無理だとは思いますが、9年、12年の歳月をかけないと過半数というのはなかなか難しいという結果が現実だと思っておりますし、また、われわれが政権をめざしておったからというお話がありましたが、今、自民党は政権の奪還を目指して頑張っていることだと思いますので、状況は立場は変わりましたけれども、同じことだと思います」
菅候補が9月1日の共同記者会見で、「私の経験では確か1988年でしたか、金融国会というものがありまして」と言っているが、1998年の間違いだそうだ。
菅候補は共同記者会見で言っている。「例えば成長が20年間止まっている、あるいは1千兆にも近い財政赤字が蓄積している。あるいは少子化、高齢化が急速に進んでいる。こういう問題を二大政党であったとしても、1つの党だけでなかなか超えていけない状況がこの10年、あるいは20年続いてきたわけでございます」と。
だが、“ねじれ状況”になれば、話し合って政策の中身を決めていかなければならないから、そこに合意形成が生まれ、国会を通すことが可能となり、「1つの党だけでなかなか超えていけない状況」を、「そういうより難しい問題も合意すれば超えていけると、そういう可能性が出てきたと言えるわけであります」という言い回しで乗り越え可能としている。
公開討論会では、社会保障や少子高齢化、膨大な赤字財政等々の「こういう大きな課題、金融国会の金融破綻(はたん)に匹敵する課題、あるいはそれをこえる課題であるからこそ、私はたとえば二大政党の一方が多少力を持っていても、それをこえてこれなかったために、それが今日のこの行き詰まりがあると私は思っております」と言い、余りにも日本が抱える課題が難しい問題であるために与党が多少数の力が優っていても解決できなかった、その点ねじれ国会となって与野党が話し合わなければならなくなったから、合意形成が可能になり、社会保障や少子高齢化、膨大な赤字財政等々の課題を乗り越えていけると主張している。
だから、参院選敗北は天の配剤だと。
見事な論理だが、矛盾だらけ、これ程自己都合な馬鹿げた詭弁はなかなか見当たらないのではないのか。
9月1日の共同記者会見では小沢候補が先に発言を済ませていて、菅候補のこの矛盾だらけ、自己都合の詭弁に対する反論はなかったが、9月2日の公開討論会では討論形式であるゆえに、菅発言に答えている。
かつての金融再生法案の与党自民党丸呑みの事実とこのような事実の今後の可能性を認めながらも、「自分の政策、主張を野党とは違う基本的に考え方の違う政策、主張というのは現実的にはできなくなってしまうわけでございますので、その意味についての国会運営というのは大変厳しいものではないかと思っております」と言っている。
菅論理の最大の矛盾は1998年の金融再生法案与党丸呑みのときと立場を逆転させている点を無視していることである。当時は野党の立場にあった。野党として与党に丸呑みさせた。現在は与党の立場にある。丸呑みということで言うと、与党の立場で野党に与党の法案を丸呑みさせるのではなく、野党の法案を丸呑みさせられる与野党関係を維持していくということである。
これは与党としての主体性の放棄につながる。この主体性の放棄は政策自体に反映されて、政策上の主体性をも失うことになる。
この点を考えずに金融再生法案与党丸呑みの例をねじれ国会対策として取り上げる合理的判断は素晴らしい。
では、このような与野党関係を何年維持しなければならないかというと、小沢候補が「仮に民主党政権が続くとしても、もう、最低でも6年、とても6年じゃ無理だとは思いますが、9年、12年の歳月をかけないと過半数というのはなかなか難しいという結果が現実だと思っております」と予測している6年、9年、12年の根拠は、続けのての発言が示している。
「今、自民党は政権の奪還を目指して頑張っていることだと思いますので、状況は立場は変わりましたけれども、同じことだと思います」
自民党は政権奪還を目指す野党の立場にあり、単独では無理だと言うことなら、野党共闘という形を取るだろうから、そう簡単には民主党政権の思惑通りの国会運営を許さないだろうということである。
例え国民生活に密着した役立つ政策だと言っても、いや野党の政策の方が役立つと譲らないケースも十分に考えられる。
参議院の議席を失うことで生じたこういった不利な状況を無視して、3年で議席を挽回できると請合ったとしても、その間に国会運営に行き詰まった場合、有利な状況での停滞ということはないから、不利な状況での停滞が災いした衆議院解散となった場合、衆議院の議席まで失わない保証はない。
国会運営に関して野党が与党の主導権を奪って自ら主導権を握った場合、当然、与野党協調よりも野党間の協調を優先させる。野党が主導権を握った意義を最大限に維持し、最大限に活用するためにである。与野党協調はその上に築くことになる。
菅首相は、「合意形成」、「合意形成」と「合意形成」が万能であるかのように振り回しているが、「合意形成」にしても野党主導下の「合意形成」となる可能性が大きくなるということである。与党側から言うと、与党が主導権を失った状況下での「合意形成」となる関係性を強いられるケースが多々生じることを意味する。
この関係性の最大形が野党の法案を与党が丸呑みするケースであろう。与党は主導権を全面的に失い、野党が主導権を全面的に握ることによって可能となる丸のみである。与党が些かでも主導権を保持できる状況にあったなら、例えば何らかの取引によってほんの少しでも主導権を与党側に引き寄せることができたなら、丸呑みという関係は生じることはない。
要するに菅候補は“主導権”というキーワードに視点を置かずに、かねがね言っているように合理的判断能力ゼロだからだろう、詭弁でしかない論理を進めているに過ぎない。しかも1998年の金融再生法案の丸呑みを持ち出してねじれ国会が片付くようなことまで言っている。全く頭の悪い男だと言わざるを得ない。
菅候補は、「二大政党であったとしても、1つの党だけでなかなか超えていけない状況がこの10年、あるいは20年続いてきた」と言っているが、それは与野党間の「合意形成」を基に各法案を成立させてこなかったというよりも、社会の発展に有効可能な政策を創造するだけの政治能力を与党が単に有していなかったということであろう。
野党の政策は与党のこのような政策に於ける無能状況・閉塞状況に対するアンチテーゼとして常に存在させているはずである。自民党政治ではダメだ、日本を再生できない、民主党が掲げる政治こそが国民の利益となり、社会の発展に貢献し、日本再生の契機となると訴え続けてきたはずである。
少子化・高齢化、あるいは社会保障等の解決困難な緊急重大政策程、政策的に満足な解決方法を見い出していないことを意味するから、与党政策に対する野党のアンチテーゼ度は強かったはずである。似たり寄ったりであったなら、解決は進まないことになる。
当然、民主党の子ども手当、高速道路無料化、高校授業無料化、社会保障政策等のマニフェストに主として掲げた政策は与党自民党政策に対するアンチテーゼ度はかなり高かったはずである。普天間の「国外、最低でも県外」移設はその最たるものとして挙げることができる。だが、簡単に頓挫した。
菅首相は「私は金と数ということを、あまりにも重視する政治こそが古い政治だと。そうではなくて、お金がなくても、志と努力と能力のある人はどんどん国会議員にも、政治にも参加できると。そして、数の前に中身の議論をしっかりすると。その中で合意形成ができてくると、そういう政治こそが新しい政治で、今、日本に必要となっている政治は、その新しい政治だと、こう思ってます」と甘っちょろい理想論を展開しているが、こういった役にも立たない甘っちょろい理想論を言えるのも合理的判断能力ゼロに助けられているからだろうが、政治資金が、それが正当な方法で得たものであるなら潤沢であることに越したことはなく、「数」(=頭数)にしても、全部が全部カネの力で獲得できるわけではなく一般的には政策の訴えに国民が応えた結果として現れる「数」、議席数であるはずである。
いわば単に「数」を求めて獲得できる要素ではなく、政策の優位性によって獲得した「数」の優位性なのだから、逆にその「数」の優位性を力として、国民に訴え、賛同を得た優位性あるとした政策の優位性を事実かどうか法律化し、社会に反映して証明する責任を有する。
だが、基本となる「数」の優位性を参議院選大敗によって主導権の喪失を伴いつつ失ったばかりか、政策の優位性も「合意形成」の名の元、手放そうとしている。
にも関わらず、参院選敗北は天の配剤だと言って憚らない。見事な合理的判断能力ではないか。
元々合理的判断能力の欠如に伴って指導力、リーダーシップのない首相となっているから、主導権を失おうと、「数」の優位性を失おうと、政策の優位性を手放そうと鈍感でいられるのだろう。
小沢前幹事長は9月1日の民主党中央代表選挙管理委員会主催の民主党代表選、菅、小沢共同記者会見で、普天間問題に関して、「沖縄もアメリカ政府も、両者共、納得できる案をつくる知恵を出せば必ずできるというふうに私は確信しております。今、それをするためには、今後、沖縄県民のみなさん、それから外交関係として、アメリカ政府と話をしなければなりませんので、今、自分の頭にあることをこういう席で申し上げるわけにはいきません」と、沖縄県民の国外移設に応えることができる案があるかのような発言をしたから、これはと期待したが、翌9月2日の二人の日本記者クラブ主催討論会では、「日米合意を尊重することに変わりはない」と変化、菅候補者から、「知恵があるのなら一部でも披瀝してもらいたい」と言われると、「三人集まれば文殊の知恵ということがあります。今、具体的にこうするとかという案を持っているわけではありません」と、普天間国外の期待を萎ませるかのような後退を見せた。
いや、ここで披瀝したら、菅側からいいように利用される、当選するまで腹の中にしまっておくのだろうと思い直したが、根拠のない希望的観測で終わるかもしれない。沖縄県民の徹底抗戦あるのみだろうか。
9月1日の民主党中央代表選挙管理委員会主催共同記者と9月2日の日本記者クラブ主催民主党代表選討論会の両候補者の立候補理由を述べる冒頭発言で、菅候補が「政治とカネ」の言葉を持ち出して間接的に攻撃を仕掛けてくるのに対して小沢候補がまともに立候補理由を
述べているのを聞いて、ちょっと正直過ぎるのではないかと思った。
「プレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局」から、記者会見と討論会の両候補の各冒頭発言を、それぞれの両内容に殆んど違いがないことが分かるが、殆んど違いがないことが分かるように比較のために候補者ごとに並べてみる。共に最初の発言者は小沢候補となっている。
小沢候補、9月1日記者会見――
小沢候補「このたびの代表選挙に立候補することになりました小沢一郎でございます。今回の代表選挙は野党のときの代表選挙とは違いまして、民主党の代表、そしてそれは国政を預かる責任者となるわけでございますので、私としましても、自分自身、そのような重要な職責に自らが耐えるかどうか、色々と熟慮したわけでございますけれども、多くの仲間のみなさん、そして全国のみな様の激励をいただきまして、敢えて立候補する決意をいたしました。
その理由は、今日の日本の社会を見てみますと、戦後の民主主義というものは、必ずしも十分に正確に理解されないままに今日に至ったということが一つの大きな日本社会の構造の一因を成すものだとは思いますけれども、特に今日の政治・経済の不透明化、危機的な状況の中で、日本の社会は卒業しても就職できない若者たちやら、あるいは自殺者も絶えません。
また親殺し・子殺し連続、連日のニュースもございます。そういう日本の社会が崩壊しつつあるのではないかという強い認識の中で、それを立て直し、あらゆる意味で特に経済を再生させていくためには国民主導の、政治主導の政治を実現しなくてはいけない、いうのが我々の主張であり、昨年の総選挙に於いて国民のみなさんにお約束をし、政権を委ねられたのだと思います。
私共はその意味に於いて個々の約束した政策の実行は勿論、大事でございますが、その前提として政治主導、国民主導の政治、官僚任せではない、政治家が自ら責任を持って決断し、自らの力で実行する、そういう行政、国会も同様でございますが、そういうものに変えていくということが我々の主張であり、理想であったはずであります。
今日は菅総理の元で一生懸命頑張っておられることは十分承知いたしておりますけれども、来年度の予算編成の、例えば例を挙げてみますと、結局財源がないということで、歳出の1割削減、これは一律1割削減いう形で方針が決められたようであります。私共の主張しているところは色々な予算の中でムダを省き、我々の主張する政策を実行するために、その中から政治家が予算を作っていくということであったと思いますし、そうしなければ今日の困難を解決できないと思います。
私はそういう意味に於いてもっと政治家が自らの責任で政策決定を、予算の決定をすることのできるような、そういう態勢をつくらなければならない、そのことを強く感じまして今日の代表選挙に立候補し、自ら国民との約束を果たしていきたいということで、みなさんの審判を仰ぐことになった次第であります。どうぞよろしくお願いいたします」
小沢候補、9月2日討論会――
小沢候補「このたびの代表選に立候補することになりました小沢一郎でございます。先程お話ありましたように民主党の代表は今日では政権運営の最高責任者を選ぶということになります。従いまして、私自身、今日のような大変厳しい困難な時期にトップリーダーとして、その責任を果たすことができるのかどうか、今回の代表選に出馬すべきかどうか思い悩みました。
しかし一方で今日の日本社会を見るときに毎日毎日人殺しの話し、子殺しに始まりまして、そういう本当に信じられないような報道がされております。また自ら命を絶つ自殺者が減る気配が一向にありませんし、高齢者の行方が分からないという問題も出てまいりました。
こういう状況はまさに日本社会、日本の精神的な崩壊が始まりつつあるということのシンボリックな状況ではないかというふうに考えております。かてて加えて、今日の経済の停滞が学校卒業しても就職できないという若者たち、それがたくさん増えております。そして最近、この経済がさらに一層不透明感を増し、景気の崩壊が進むのではないかと言われております。
私共はそういう中にあって、昨年の総選挙でこういう経済を始めとする政治、経済、そして社会全体の停滞を打破するためにマニフェストを掲げ、官僚任せの政治、行政ではなくて、国民主導、即ち国民の選んだ代表が政治家を主導する政治をするんだということを訴えて政権を委ねられたと思います。
この今日困難を乗り越えて、そして本当に私たちが掲げた『国人の生活第一』と、国民の生活を守ると、そういう政策を実行していく、そのためには国民の代表である政治家が自分自身で決断し、そして自分自身の責任を持って実行していく、そういう政治をつくり上げることが色々な施策を実行する上に於いて、先ず最大の前提だと思っております。
私はそのことを最大の主眼としつつ、経済再生、国民生活の再生、そして地域の再生、そういった問題を主眼として取り組んでまいりたいと、そのように考えております」
菅候補、9月1日記者会見――
菅候補「菅直人でございます。大変厳しい経済、社会情勢の中で代表選挙を行うということで、国民のみなさんから政治運営しっかりやれという声をいただいております。私は現職の総理大臣という立場でありますので、総理大臣の職務は完璧を果して頑張っていきたい、こう考えております。本日も朝から防災訓練、静岡に出かけまして、小・中・高生と共に土嚢や、あるいは簡易担架の製作など一緒にやってまいりました。
また、今日、この後はスペインの、サト、サパーテ首相とも会談をして、今スペインは大変な財政の立て直しを図っておりますが、こういった議論もさせていただこうと総理の職分だけは全力で実行していきたいと、先ずそのことをご理解いただきたいと思っております。
私の政権が誕生して3カ月足らずが経過をいたしました。この間に参議院選挙などがありましたので、いよいよこれからが菅政権としての本格稼動の時期に入ったわけであります。8月後半から全国各地を視察をしてまいりました。本当にですね、地方の状況、特に雇用の状況が大変厳しいということを、それぞれの地域でお聞きいたしました。
私は先ずやるべきことは一に雇用、二に雇用、三に雇用だと考えております。つまり仕事がないということは人間の尊厳に関わることでありまして、仕事があることによって尊厳が保たれ、そして安心な生活になってまいります。
先日は犯罪を犯した方が社会復帰する、それを支えられている保護司のみなさんとお話をしましたが、仕事のない人は3分の1近く再犯になるけれども、仕事のある人は再犯率が極めて低いということもお聞きしまして、そうなんだと改めて思ったところであります。
少し具体的に申し上げますと、この雇用を生み出せば、経済の成長につながります。また働く人は税金を払っていただいて、財政の再建にもつがなります。介護や保育の分野で働けば、社会保障の充実にもつながるわけであります。
京都のジョブパークでは、新卒者の支援の取組みがしっかり行われている。私たちの内閣の中でも新卒者支援の特命チームをスタートさせました。また九州では低炭素型雇用創出立地、つまり中国や外国に企業を出そうかと思っていたけれども、私たちの出した補助金によって国内に立地をしたというLED、あるいはリチウム電池の会社をお訪ねをいたしました。さらに芦屋では介護と言っても、家庭で支えられるお年寄りの介護ということから、単独で生活をしておられる高齢者に対して24時間ブザーを押してくれれば、すぐに駆けつけてくれるという、そういう介護をやっている大きな集合住宅を見てまいりました。
私は介護保険制度を導入するときの厚生大臣を務めましたが、これからは第二段目の、つまりは単身高齢者が安心して暮らしていける介護に進んでいきたいと考えております。そういったことをやるために、政権をこれからも是非担当させていただきたいと思います。
その中でクリーンな、オープンな民主党をつくっていきたいと思います。私の初出馬は1976年、ロッキード事件と言われたあの選挙でありまして、もう政治におカネのことがまつわるような古い政治からは是非脱却しなければならない、そのように改めて感じておるところであります。
そして今回の選挙は党代表を選ぶだけではなくて、いずれの候補者が総理大臣としてふさわしいのかという選択を国民のみなさんに選択していただく選挙だと私は理解しております。是非国民のみなさんには直接投票権がないまでも、それぞれ地域に民主党の党員、サポーター、国会議員、地方議員がおられますので、みなさんの意見をそうしたみなさんに伝えて、国民のみなさんの声が新しい総理大臣をお選びしていただきたい。私もそれに向けて頑張りたいと思っております。どうか宜しくお願い申し上げます」
菅候補、9月2日討論会――
菅候補「菅直人でございます。総理大臣に就任して3カ月を達しようとしております。こういう経済の厳しい中でございますので、この代表選挙の間も、総理大臣としての仕事は一切手を抜かないで、併せて選挙戦を戦いたいと思っております。
今日は午前中にも規制改革について、これはまさに政治主導でやらなければならない分野でありますが、副大臣会議の中で、大胆にやってくれとの指示をいたしておりまして、私は大きな点で二つの変革を行わなければならないと思っております。
一つは行政、役所の文化であります。つまりは今までお役人はお役所のためには働くけれども、国民のためにちゃんと働いていない。私が取り組んだ薬害エイズでも患者さんや国民よりも、自分の天下り先のために行動したために大変被害が拡大した。それを根本から変えなければならないと思っております。
そしてもう一つはおカネにまみれた政治、政治文化を変えなければならない。この二つの文化を変えられえるかどうか、私はこの選挙を通して国民のみなさんに訴えていきたい。クリーンでオープンな政治を目指していきたいと思っております。
特に難しい時代であるからこそ、多くのみなさんが政治に参加をする。政党とは国民が政治に参加をする、いわば土俵だ、公共財だ、そういう意味で多くの皆さんの声を政党が受け止めて、政策に変えていく、全員参加の政治、熟議の民主主義が必要だと。そういった新しい政治文化を創って参りたいと思っております。
その上でやるべき政策課題、私は一に雇用、二に雇用、三に雇用と、このように申し上げております。雇用こそが今の経済の低迷、あるいは社会の不安感、ある意味では社会保障の問題点を変えていくキーになる、カギになると考えるからであります。
つまりは雇用というのは仕事ですから、仕事が増えれば経済が大きくなり、あるいは税収が増えていく。介護や医療、あるいは保育といった分野の雇用は社会保障の充実にもつながってくる。そして雇用こそが人間の尊厳、将来の不安に対して最も必要最小限の必要なものでありまして、そういう意味で不安の解消にもつながっていくると思います。そういった観点から、この日本を元気な日本に建て直し、そしてまさに『生活第一』の日本にしていくために頑張っていくところであります」
両者ともほぼ同じパターンの内容を両場面で繰返している。小沢候補者は、政権運営の最高責任者の総理大臣を選ぶ選挙だから出馬に思い悩んだが、今日の社会の停滞、経済の停滞等を見るにつけ、政治主導、国民主導の政治が必要と感じて立候補するに至ったをパターンとしている。
菅候補者の場合は、経済政策としては「一に雇用、二に雇用、三に雇用」、「仕事(=雇用)が増えれば経済が大きくなる」の、経済が拡大していく中で雇用が増大していく関係を逆転させた不可能の主張と、「政治とカネ」から決別したクリーンでオープンな政治を目指すを、さらに現職の総理大臣であることを有効活用して、結果を見ないうちから自画自賛の成果とする活動報告をパターンとして両場面共に訴えている。
「私の初出馬は1976年、ロッキード事件と言われたあの選挙でありまして、もう政治におカネのことがまつわるような古い政治からは是非脱却しなければならない」の共同記者会見での訴えにしても、「おカネにまみれた政治、政治文化を変えなければならない」の討論会での訴えにしても、小沢候補の「政治とカネ」の問題を狙い撃ちした間接攻撃、簡単に言うと、当てつけ、ボクシングで言えば、後からじわじわと効いて、最終的には相当なダメージとなるブロー攻撃の類と言える攻撃に当たる。
相手のこのような攻撃に対して小沢候補が出馬に思い悩んだが日本を建て直すべく立候補に踏み切ったのパターンでは正直過ぎる。菅候補の「政治とカネ」を狙い撃ちする間接攻撃にしても、視察や閣僚への指示を例示して自らの成果とする自画自賛にしても、すべて無効とする攻撃方法を以って対抗することが必要ではないだろうか。
例えば、「菅内閣は発足から3カ月しか経過していないものの、国民世論の続投支持は70%近く、あるいは70%を超える調査もあるが、内閣支持率自体は私に対するアレルギーの反動として不支持率を上回って上昇傾向にあるものの、最大の支持理由が、『首相が短期間に代わるのは良くない』といった消極的理由一辺倒からで、政策や指導力に対する期待が一ケタ台の後半に過ぎない。逆に不支持の理由が政策や指導力に期待できないという理由が相当部分を占めている。このような支持理由・不支持理由から見て取ることができることは、菅首相には指導力、政策をキーワードとした場合、そのキーワードに関しての政治的資質は何ら備えていないと国民は判断していると言うことである。
いくら国民世論が次の首相は誰がふさわしいかで圧倒的支持を与えているとしても、その理由の『首相が短期間に代わるのは良くない』が首相自身の政治的資質の評価となるならまだしも、指導力がない、政策に期待が持てないと国民がその資質を判断している総理大臣をこのまま続投させることは日本経済の建て直しに期待が持てないばかりではなく、日本の政治に今以上のダメージを与える最悪の結果を招きかねず、国際社会に対しても日本の政治の評判を落とす悪材料を提供することになり、見て見ぬ振りをすることができず、敢えて自らの実行力、リーダーシップを以って日本の政治を建て直し、併せて日本の経済の立て直しを図るべく立候補を思い立った」と菅候補に対してもっと攻撃的な姿勢を見せるべきではないだろうか。
この攻撃は菅候補の政治的資質がゼロだと訴えることだから、視察や閣僚への指示を例示して自らの成果とする自画自賛をも無効とするばかりか、菅首相が口にする「政治主導」も、その他の発言すべてを無効とすることが可能となる。
昨9月1日の民主党代表選菅、小沢共同記者会見。普天間問題に限って《プレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局》の動画から取り上げることにした。
記者「朝日新聞の倉前(蔵前?)と言います。普天間問題についてお伺いします。小沢さん、今回、政権の中で沖縄もアメリカも納得できる解決のために改めて話し合うとされていますが、この1年間の普天間問題をどのように見てきたかということと、辺野古に移設する日米合意を一旦白紙にするお考えがあるのかということを願いいたします。
菅さんにはですね、日米合意を踏まえ、沖縄の負担の軽減に努力するとしていますが、沖縄の反対が強い中、具体的にどのように進めていくのかということをお願いします」
小沢「過去のことをどうのこうのということを言っても仕方のないことだと思っております。私自身は普天間・辺野古の問題につきましては、政策メモにも載せております。けれども、沖縄もアメリカ政府も、両者共、納得できる案をつくる知恵を出せば必ずできるというふうに私は確信しております。今、それをするためには、今後、沖縄県民のみなさん、それから外交関係として、アメリカ政府と話をしなければなりませんので、今、自分の頭にあることをこういう席で申し上げるわけにはいきませんけれども、十分両者と話し合いをして、解決を見い出すことができると。今のままではいくらやろうとしても沖縄県民がみんな反対する以上はできないわけでありますので、そういう意味で、沖縄の県民のみなさんも納得できる、アメリカ政府も納得できる、そういう案を見い出さなければならないし、私は必ずできると、そう思っております」
菅「この普天間を巡る経緯、昨年の9月、鳩山政権が誕生して6月に至るまで、まあ、ある意味で最大のテーマであったわけであります。当時私はどちらかと言えば、内政に、内政と言っても、財政とか雇用の方をやっておりましたので、直接には携わっておりませんけれども、非常に苦労され、苦労された中で、最終的には5月の28日の日米合意ということに鳩山政権でなり、私もそれにサインをいたしました。当時の幹事長は小沢先生、小沢幹事長でありました。
私は今、話を聞いてですね、勿論沖縄のみなさんに納得され、アメリカに、アメリカ政府も納得するあり方が最も望ましいことは当然のことであります。それを目指して鳩山前総理が苦労に苦労を重ねられた中で、5月28日の一つは日米合意を苦渋の選択であったと思いますけども、なされたわけであります。
私はそれを引き継ぐに当たりまして、この間のこの問題に関連した、色々な国内ばかりではなくて、日米合意を含めたある種の混乱なり、場合によっては不信感というものを考えたときにある意味で職を賭してですね、この日米合意をなされて、逆に言えば、その責任を取って辞職をされるという形でありましたので、先ずその鳩山前総理のそうした苦渋の選択の日米合意から、やはりスタートしなければ、これ以上ですね、方向性の定まらない状況を継続することは、やはりいろんな意味での悪影響が国内にも国際関係にも出ると、このように考えたわけでございます。
そういった意味で私は総理に就任したときから、日米合意を踏まえると、しかし、同時に沖縄の負担を軽減するために全力を尽くしていくと、このことも併せて申し上げ、私なりにですね、色々な努力を現在行っております。そういった意味で、勿論沖縄のみなさんが日米合意そのものに対してかなり厳しい見方をされていることは承知をし、それだけにこれからの誠意ある対応が益々必要だと思っておりますけれども、それをもう一回ですね、白紙に戻した中で議論をスタートするということになりますと、この約1年近く続いたこの問題の混迷を改めて招くことになるのではないのか。
この11月にはAPECがあって、オバマ大統領が来日される予定になっておりますけれども、そういった、私は日米合意というものを踏まえながら、もっと幅広いですね、世界の平和という視点でどう日米が協力できるか、そういう大きな次元での日米同盟の進化というものを目指しているところでありまして、そういった意味ではですね、これを白紙に戻して議論するということは、幹事長という立場ではありますけれども鳩山政権下で合意されたことについてですね、やはり責任を持った態度で臨んでいただきたい。
それが国益にも適うこと、そして国民の利益にも適うこと、私はそのように確信しております」
小沢「ちょっとすみません(と手を挙げる)。(笑いながら)誤解されるといけませんが、私は白紙に戻すというようなことを言っているわけではありません。そこは是非誤解ないようにしていただきたいと思います。
また幹事長時代と言うことを強調されておりますが、あの時はきちんと政府の政策決定と党のことは分けておりまして、私は政府の政策決定に全く関与しておりません」
――(以上)――
小沢前幹事長の「沖縄もアメリカ政府も、両者共、納得できる案」がどのような案か明かしていないが、沖縄県民が納得していない案である辺野古案でないことだけは確かである。
菅首相の日米合意経過論は盗人猛々しい詭弁としか言いようがない。
先ず第一に、「当時私はどちらかと言えば、内政に、内政と言っても、財政とか雇用の方をやっておりました」とさも沖縄の基地問題に一切関わっていないかのように言っているが、政策上は関係ない場所に立っていたとしても、副総理として鳩山首相に準じた地位で内閣全般の運営に責任を負っていたはずである。責任を負っていなかったとしたら、何のための副総理だったのだろうか。
沖縄の基地問題が鳩山首相内閣自体の主要な命取りとなった。当然、副総理としても運営自体の責任を負っていたはずであるが、蛙のツラにショウベンで何ら責任を感じていないらしい。
しかもわざわざ内政問題専門だと言って基地移設問題に関係ないようなことを言うのは、自身の主張としてかつて国外・県外を主張していたことからしても、二重・三重の意味で責任感のない首相だと言わざるを得ない。
第二に日米合意を錦の御旗としているが、鳩山内閣は当初約束していた日米合意と沖縄地元合意、三党連立合意の併行した三者合意を裏切って日米合意のみを以って辺野古への移設を決定、その決定を全てだとする、その不完全な決定内容と矛盾した決定経緯を無視している。
いわば沖縄に約束したあるいは連立政党に約束した手続きを踏まずに結論づけた日米合意を振り回しているに過ぎない。不完全さや矛盾を無視して、「鳩山政権下で合意されたことについてですね、やはり責任を持った態度で臨んでいただきたい」との口実で、日米合意の網を沖縄県民にまでかぶせようとしている。
最後に、「勿論沖縄のみなさんに納得され、アメリカに、アメリカ政府も納得するあり方が最も望ましいことは当然のことであります」と言いながら、「鳩山前総理が苦労に苦労を重ねられた」「苦渋の選択」を沖縄県民の意思、「選択」よりも優先させて、そのことの方を大事だとして、それを絶対前提に辺野古移設で完結させようとしている。
だから、「鳩山前総理のそうした苦渋の選択の日米合意から、やはりスタートしなければ」ならないといったことが言える。沖縄県民の「苦渋」は一切頭にない。
これは沖縄県民の気持などどうでもいいということであろう。
このことは「11月にはAPECがあって、オバマ大統領が来日される予定になっております」の発言にも現れている。沖縄県民の意思よりも「APEC」や「オバマ大統領の来日」の方が大切だと言っている。このような態度を、市民運動家出身だと言っているが、国家主義の態度と言うはずだ。
こういった国家優先を取り繕うために、「もっと幅広いですね、世界の平和という視点でどう日米が協力できるか、そういう大きな次元での日米同盟の進化というものを目指しているところでありまして」とさも立派なことを言っているが、単なる口実に過ぎないのは沖縄県民の意思を蔑ろにする国家主義の態度そのものが証明している。
また、小沢前幹事長が言う「沖縄もアメリカ政府も、両者共、納得できる案」にしても、世界平和の視点や日米同盟の進化の視点を欠いた提案ではあるまい。これらの視点を欠いていたなら、アメリカ政府自体が賛成はしないはずだからだ。
当然、「沖縄もアメリカ政府も、両者共、納得できる案」で、尚且つ世界平和と日米同盟に貢献できる案という可能性は否定できない。
このことに気づかずに自分ひとりの専売特許のように世界平和を持ち出したのは合理的判断能力を欠いていると言うだけではなく、国家主義の態度を隠す必要からの口実に過ぎないからだろう。
また、沖縄県民の大方の反対を押し切った日米合意を以っての決着を、「国益にも適うこと、そして国民の利益にも適うこと、私はそのように確信しております」と言うことができることも、沖縄県民の気持を一切考えていないからだろうが、「沖縄もアメリカ政府も、両者共、納得できる案」が実現可能性ある案なら、現行の日米合意以上に、「国益にも適うこと、そして国民の利益にも適うこと、私はそのように確信しております」と言うことができるはずである。
小沢案が例え、「この約1年近く続いたこの問題の混迷を改めて招くことにな」ったとしても、沖縄県民とアメリカが納得する案であるなら、それに越したことはないはずだ。
菅首相は確かに口達者で、長々と喋るが、言っていることの矛盾、責任感の欠如、合理的判断の不在は如何ともし難い。
謝罪と訂正
8月31日のブログ《鳩山前首相自身も一枚加わって小沢・鳩山・輿石の神輿に菅首相を乗せる「トロイカ体制」なのか 》の冒頭部分で、首相公邸で開催の菅首相と鳩山前首相の会談日を間違えて「昨8月31日夕方」と書いてしまいました。「昨8月30日」の間違いでした。謝罪します。訂正しておきました。
昨8月31日夕方、民主党本部で小沢・菅、直接会談となったが、挙党態勢、菅一本化に失敗、全面対決となった。各記事によると、小沢・菅会談の前の午前中に菅首相から鳩山前首相に電話が入り、「人事を巡る話は密室批判を受けかねないので、やめたい」との趣旨の話があったという。
会談の目的を失ったのだから、会談を開く必要はなくなるはずだが、菅首相の方から小沢前幹事長と二人で会いたいということで会談が行われたが、マスコミはこれをセレモニーと見ているが、当然であろう。
小沢・鳩山側が申し出たトロイカ体制なる挙党態勢を拒む以上、全面対決となるのは目に見えているのだから、何の成果も生むことはなくなった会談を省いて早々に全面対決に持っていく決断をすべきを、その決断を取ることができずに菅首相は決めていた会うということに拘った。当然、会談はセレモニーで終わることになる。
必要とされる決断を下すことができずに踏まずともいい形式を踏んだところにも、菅首相の指導力、リーダーシップ欠如を見ることができる。
8月30日の首相公邸での鳩山前首相との会談では前首相からトロイカ体制を挙党態勢の方法として提案した。
鳩山前首相「経済的にも円高などで大変対策が急がれている。こういう時こそ挙党態勢を築くことが重要だ。・・・・挙党態勢とは、小沢先生が(民主党に)加わってからいわゆるトロイカ体制で今日までやってきた、その原点に立ち戻ること」
菅首相「基本的な考え方はまったく異存がない。その体制を大事に考えて活動を進めていくという鳩山さんからの提案に同意した」
二人は会談後に記者団にこのように発言している。具体的な人事の話はなかったとしても、相手側が意図している人事がどの程度の要職かは判断できていたはずである。当然、菅首相はそのことを念頭に、「基本的な考え方はまったく異存がない。その体制を大事に考えて活動を進めていくという鳩山さんからの提案に同意した」と言ったはずだ。
鳩山前首相に「人事を巡る話は密室批判を受けかねないので、やめたい」といった電話を入れたこと自体が人事を軸とした挙党態勢話が会談目的だったことを証明している。
この菅首相のトロイカ体制同意に対して前日のブログで、強硬な脱小沢・反小沢の仙谷官房長官、前原国交相、枝野幹事長、蓮舫等の反応次第だといったことを書いた。
8月30日の菅・鳩山会談の翌日の昨8月31日午後、菅首相は自身を支持する脱小沢派・反小沢派の前原国交相や岡田外相、その他の閣僚を交えて会談をしている。だが、菅首相が「人事を巡る話は密室批判を受けかねないので、やめたい」趣旨の電話を入れたのは8月31日の会談に先立つ午前中である。
菅首相は菅・鳩山会談後、直ちに話の内容を支持派の重要メンバーに伝えただろうから、賛否の反応にしても直ちに返ってきたはずである。
菅首相の方から伝えなかったとしても、待ち構えていれば、少なくとも8月31日の早朝にはインターネット記事が配信されて、会談の内容を知ることができる。内容を知った者の方から、賛否の電話を入れただろうことは想像に難くない。
賛否に対する菅首相の答が鳩山前首相に電話で伝えた「人事を巡る話は密室批判を受けかねないので、やめたい」であった。
そして午後になって、菅首相は先に書いた脱小沢の立場の閣僚と会談を持った。答は既に出してあるのだから、会談は答の再確認、あるいは菅首相が取るべき態度の再確認と正式な手続きを踏んでみなで決めたと見せるセレモニーとなったであろうことは容易に窺うことができる。
いずれにしても菅首相の最終的答、最終的態度は鳩山会談で菅首相自身が選択した「基本的な考え方はまったく異存がない。その体制を大事に考えて活動を進めていくという鳩山さんからの提案に同意した」の答、もしくは態度とは百八十度異なる答、態度となっている。
いわば自身の決定、あるいは自身の決断を押し返されたと言うことであろう。この自身の決定、あるいは自身の決断を確かなこととするところから指導力、リーダーシップは始まるはずだが、それが逆の状況となっている。
また自身の決定、自身の決断は言葉によって表現する。一旦下した決定、決断が不確かということは言葉自体を不確かとする。言葉の不確かさは言葉自体を軽くする。
菅首相は「トロイカ体制」について31日午後の前原国交相や野田財務相等との会談で次のように話したと言う。
菅首相「何かあったら(鳩山由紀夫前首相、小沢氏に)相談するという意味だ」(時事ドットコム)
相手が望むトロイカ体制がどういった挙党態勢なのか、具体像を説明しなかったとしても、主役を3人に据えて重要場面を演ずる態勢を意図していたことは大体の察しがついたはずで、「何かあったら相談する」関係構築ではないことぐらい理解していたはずだ。口先だけの挙党態勢ではなく、小沢氏自身の処遇をどうするかであったはずである。
自己決定、自己決断を誤魔化す、言葉を軽くする言い逃れに過ぎない。
菅首相は小沢前幹事長との会談後立候補を表明、記者会見して次のように抱負を語っている。
菅首相「政治とカネの問題で混乱するようなことがない政治をつくりたい」(時事ドットコム)
だったら、鳩山首相とも小沢前幹事長とも最初から話し合いを持つべきではなかった。代表選の一本化を自身で図る挙党態勢を優先させて、何らかの要職で小沢氏を処遇していたなら、国民の批判だけではなく、野党の追及を受けるのは目に見えていた。それを敢えて、少なくとも一時的には人事で縛られることを承知しながら、延命を希望した。それがトロイカ体制の同意だったはずだ。
「政治とカネの問題で混乱するようなことがない政治をつくりたい」は聞こえはいいが、自分で自分の言葉を軽くする後付の言い繕いに過ぎない。
こういった言葉の軽い首相、言葉の軽さに応じて指導力、リーダーシップを欠如させている首相を1年のうち何回も交代させるべきではないという理由のみで大方の国民は続投を支持している。
「毎日jp」記事――《クローズアップ2010:「普天間」民主党代表選争点に 「小沢氏勝てばやり直し?」》(2010年8月29日)が小沢前幹事長が辺野古移設に否定的な考えを示していると伝えている。
かつて次のように発言していたという。
小沢前幹事長「きれいな海を埋め立てるのはダメだ」
記事は、〈共同声明見直しも視野に入れているとみられている。〉と書いている。
代表選で「小沢氏支持」を明言する川内博史衆院議員(鹿児島1区)が6月11日、東京都内で小沢氏と会談。「普天間は国外移設」との持論を説明。その際、小沢前幹事長は以下の発言を行ったと言う。
小沢前幹事長「普天間問題は代表選の争点になるよな」
小沢前幹事長「まず米国にしっかり話すべきだよな」
防衛省幹部の発言も伝えている。
防衛省幹部「代表選で小沢氏が勝って首相になったら普天間はどうなるのか。またやり直しか」
遣り直し、大いに結構ではないか。沖縄にとっても結構。
11月末の沖縄知事選では、自民、公明両党が支援する現職の仲井真氏知事と、社民、共産両党などの支援を受けて「県内移設反対」を掲げる伊波洋一・宜野湾市長に対して「第三極」と自らを位置づけた、小沢前幹事長と親交がある儀間光男・浦添市長を中心とした勢力の動きが焦点に上ってきたという。
この〈「第三極」は「辺野古移設反対」を掲げる一方、一時的な県内移設は容認する立場。〉だというから、一気に国外は望めないかもしれない。だが、普天間から米領グアム、米自治領北マリアナ連邦テニアン等への直接的国外移設こそが指導力を印象づけて、強力に日本の政治を変えていく象徴行為となり得るのではないだろうか。
儀間光男・浦添市長「指導力ある人が求められている。荒療治でも小沢さんが必要かもしれない」
伊波洋一・宜野湾市長「小沢さんが辺野古移設以外への転換を打ち出して勝てば、転換が始まる。そうでなければ知事選で転換を図りたい」
言葉の軽い、指導力、リーダーシップを全く欠いている菅首相には発言の翻しやブレは期待できても、政治の変化は望めない。