菅首相が9月17日(2010年)、改造内閣発足に当たって首相官邸で記者会見を開催。冒頭次のように発言している。
菅首相「改造内閣のスタートに当たって、国民の皆さんにこれからの菅内閣の目指す方向を含めて私の考え方をお伝えしたいと思いまして、この記者会見を開かせていただきました。
ちょうど1年前に政権交代による最初の鳩山政権が誕生いたしました。そして、1年経った今日、改めて私の改造内閣はスタートいたしました。私なりにこの1年間とこれからを考えて、この1年間はいろいろな意味で試行錯誤を繰り返した1年であった、試行錯誤の内閣であったと考えます。そしてこれからは、その試行錯誤を踏まえて1つの具体的な事柄を実行していく、有言実行内閣と皆さんが呼んでいただけるような、そういう内閣を目指す。有言実行内閣をまさに実現をしたいとこのように考えております」(首相官邸HP)
民主党政権発足後の1年は「試行錯誤の内閣」だといとも簡単に言っているが、例えば内閣に置く組織の人員及びその配置や指示・命令系統などの変更等の構成自体の試行錯誤は許されるが、国政そのものに関する試行錯誤は許されないはずである。国政は国民相手の振舞いであり、国民の社会的生存を基本のところで規定する営みだからだ。
いわば試行錯誤は自分たちの関係に収まるものでなければならない。国民に及ぼしてはならない。
もし国政そのものの試行錯誤が許されるなら、「政治は結果責任」の約束事をも裏切ることになる。ある政策が国民に多大な不利益をもたらしたとしても、「この政策は試行錯誤中で、この失敗を糧に今度は成功する政策を打ち立てたいと思います」とすることが罷り通ることになったなら、責任を取らなくても済むことになる。
マニフェストに掲げた数々の政策の変更を以って「試行錯誤の内閣」だと譬えているのだろうか。
普天間飛行場移設を「国外、最低でも県外」と言い続けて、最終的に自民党政権が決定した辺野古移設へ戻ったのも試行錯誤の一つに入れているのだろうか。
あるいは消費税増税発言が災いして参院選に大敗、増税発言を封じたのも試行錯誤だとしているのだろうか。
如何なる政策も万全を期して国民に問い、その結果責任を負う。菅首相は合理的判断能力が軽くできているから、この1年間は「試行錯誤の内閣」だったと簡単に自分たちを許してしまっている。自分に甘いところがあるからではないのか。
今後は「有言実行内閣」を実現したいと言っている。国政に携わる内閣が如何なる政策も万全を期して国民に問い、その結果責任を負うを国民との間のルールとするなら、「有言実行」は極々当たり前のことで、このことを基本姿勢とする責任と義務を負っているのは菅内閣のみならず、如何なる内閣も負っているはずだから、殊更に言うべき「有言実行内閣」のキャッチフレーズではなかったはずだ。
だが、殊更に「有言実行内閣」と言わなければならなかった。
「有言実行内閣」は内閣のトップたる者の指導力、リーダーシップなくしてその実現可能性を失う。自らの指導力、リーダーシップに自信があったなら、「有言実行」は自ずからついてくるものだから、わざわざ宣伝しなくてもいい「有言実行内閣」だったはずである。
自らの指導力、リーダーシップに自信がないことの裏返し意識が言わせた事情からの「有言実行内閣」ではなかったろうか。ウソつきが、「俺は正直な人間だ」と言うように。
だとしても、内閣の最高責任者としての指導力、リーダーシップには元々「有言実行」という見えない手錠をかけられているにも関わらず、改めてのように「有言実行内閣」と言った以上、自身の指導力、リーダーシップに「有言実行」という手錠を二重、三重にはめたことになる。厳しい言い方をするなら、「有言実行」に目に見える形で雁字搦めにされたことを意味する。
ほんの一つの政策でも「有言実行」が「有言実行」でなかったときの反動は大きいだろう。
菅政府は拉致情報を得るためと称して金賢姫元北朝鮮工作員を来日させ、その厚遇ぶりにマスコミや国民の間から批判が出ると、彼女の帰国後、政府が負担した経費に関して「必要なら担当者が説明することがあってもいい」(日本経済新聞電子版)と発言している。
それ以降、経費説明の報道に触れていない。インターネットを検索しても、政府からの経費説明を伝えた記事に出会わない。経費説明を手始めの「有言実行」として貰いたいと思う。
これは鳩山内閣のときのことだが、1月12日(2010年)のハイチ地震の緊急支援に対する初動対応に遅れがあったのではないかという批判に、当時の岡田外相が「私は今回の派遣について合格点だと思っておりますが、合格点が70点なら、80点、90点という対応ができなかったか、より迅速に派遣できなかったか、特に被災地が遠方の場合に情報が不十分でも被災地近くまで派遣できないか、例えば今回であればマイアミまでは(人員を)送っておくことができなかったとか、このあいだ申し上げたとおりであります。治安が劣悪な場合の派遣をどう考えるのか、つまり『緊急支援隊の安全』ということと『迅速さ』ということをどの辺でバランスを取るべきなのか、この前もお話したかと思いますが、法改正を行った時の付帯決議や閣議決定などあるわけです。それから、通信体制を強化できないかといった諸問題について省内で検討し、迅速に結論を出すべき事項と関係省庁やJICAなどとも協議して結論を出すべき事柄、それから中長期的な課題の3つに分けて検証を行い、そして、改善策を立てていくこととしております。具体的には、西村政務官をヘッドにして、それぞれの項目ごとに担当の部局を指定して、検討することとしたいと思います。そう時間をかけずに、1ヶ月ぐらいで何かの結論を出したいと考えているところであります」(外務省HP)と検証を方針を立てたが、どう結論づけたのかの発表が「有言実行」どおりに行われたのだろうか。
「有言実行」は何も菅内閣の専売特許ではなく、如何なる内閣もそれを当たり前の約束事としなければならないはずであるし、内閣に所属するすべての閣僚が当然のこととして従わなければならない約束事だからだ。
《アーミテージ氏「知事選次第で県内不可能に」 「普天間」移設》(琉球新報/2010年9月16日)
記事はブッシュ政権下で国務副長官を務めたリチャード・アーミテージ氏が9月15日、日本記者クラブで会見し、沖縄の米軍基地移設問題で自身の考えを述べたことを伝えている。
アーミテージ「当事者の意志と善意さえあれば、もともとの目標である普天間の全面移設には到達しないかもしれないが、日米同盟を維持する解決策があるはずだ。他の米軍再編問題はうまくいっているので、(普天間問題についても)次善の策を話し合わないといけない」
新たな解決策の模索を訴えている。しかし世界一危険とされている普天間の全面移設だけは守らなければならないはずだ。日米同盟を維持しつつ、県外・国外移設を解決策とすべきだろう。
現在の沖縄の政治状況についての発言。
アーミテージ「日米合意は国際合意なので拘束力を持つことは事実だが、去る名護市議会議員選挙や11月の知事選挙の結果によってはその実施が不可能になるかもしれない。『難しい』と『不可能』は違う。今はまだ『難しい』という状況だ」
「不可能」となれば、「日米合意」という拘束力は形骸化する。「日米合意」という交渉の前提が無意味化する。
前原新外相が岡田前外相に代って外務省の立場から沖縄基地問題に関わることになった。9月17日に外務省で就任記者会見を行い、基地問題について発言している。会見記録を外務省HPが《前原大臣会見記録(要旨)》として載せている。沖縄の基地問題に関する箇所のみを抜粋してみた。
【冒頭発言】
前原外相「21世紀にふさわしい形で日米同盟を深化させる。普天間飛行場の移設と沖縄県における基地負担の軽減については、平成22年5月28日の日米合意及び閣議決定に基づき、関係大臣と連携して必要な取組みを速やかに進める」
【米軍再編問題】
岩上「普天間問題についてお伺いしたいと思います。先ほど、リチャード・アーミテージ氏が来日して講演で中国のことについて述べられたという話がありましたが、中国のことだけでなく、普天間問題についてもこの講演の中で言及されたと伺っております。11月の沖縄県知事選で、もし普天間移設反対の候補が知事に当選するようなことがあったら、これは移設が不可能になるという判断を示して、そのまま全面移設は無理でも、部分移設でも何でも次善の策を講じなければならないだろうというように米国側も柔軟な姿勢を見せるというところを示したと伺っております。現時点でこの米国側の姿勢の柔軟化と言いますか、それを受けて大臣はどのようにお考えになられるのか、お考えをお示し頂きたいと思います。
前原外相「アーミテージ氏は私もよく存じ上げております。ブッシュ政権の一期目の国務副長官で、私もそれ以前からも、あるいはその仕事を辞められた後からも何度もお話をしている間柄でございますけれども、現在は政府の方ではございません。私も実際、本日、外務大臣を拝命して、米国の現在の政権内部におられる方と具体的な話をした訳でございませんので、そういう意味においては、今後話し合いをしていく中で、米国の考え方というものをしっかりと私も感じ取らなくてはいけないと思っております。
しかし、私が今思っているのは、米国はやはり日米の合意というものをしっかり尊重して日本にそれを着実に履行することを求めてくるだろうと思いますし、合意をした訳ですから、沖縄の皆さん方に今までの基地の負担を過剰に押しつけてきたお詫びをさせていただくと同時に、鳩山内閣の時には、「少なくとも県外、できれば国外」と言って、また辺野古に戻ってきた訳でありますので、そういう意味のお詫びもしっかりとし、説明責任を果たしながら、ご理解を求めていくための努力をしていくということに私は尽きるのではないかと考えております。
琉球新報 滝本記者「普天間問題についてですが、政権交代の意義として戦略的思考とマネージメントの無さというものが、国民に希望を失わさせているということなのですが、まさに普天間移設について、野党時代に大臣が沖北委員長をされていたときに、琉球新報のインタビューにもお答えいただいて、辺野古への移設というもの、キャンプシュワブに移すという計画がそもそも無理だったと、きれいな海を埋め立てるのは駄目だと環境面からもおっしゃっておられて、まさに辺野古に移すという、県内移設ということ自体が戦略的思考もなく、マネージメント上も問題があるということで、ずっと14年間移設が進んでこなかったと私は考えているのですが、そういう意味からして、またそこに戻ってきたということが、今回の移設反対の世論がこれだけ高まっているという状況も含めて、やはり現実的に無理なのではないかというように思うのですが、その部分、過去におっしゃられた発言の趣旨も踏まえて、大臣は今この日米合意、改めて今あるものをどうお考えかということをお伺いしたいのですが」
前原外相「鳩山さんも含めて、我々民主党は、野党時代に普天間飛行場の、「できれば県外移設、そして国外移設」ということを目指してきた訳です。その中で現実に政権を取る中で、なかなかそれは難しくて、結果として鳩山政権の末期になりますが、普天間の移設先はやはり辺野古にということで戻ってきたということであります。
私は、そのことによって沖縄の皆さん方の期待値を上げてしまって、期待値を上げたにもかかわらず、結果的に辺野古に戻ってしまったことに対する怒り、そういったものがあるということは、私は否定をいたしません。
しかし、さまざまな経緯の中で、私も沖縄担当大臣として、外務大臣や防衛大臣が、あるいは官房長官がご努力をされていた経緯というのは、よく見させていただきましたが、そういった中にあって、結局は、苦渋の選択として辺野古に戻ってきたということでございます。
それをベースに日米間での合意を行って、そして専門家の協議で8月末にある一定の方向が決まった訳でございまして、我々としては、この日米の合意に基づいて、沖縄の皆さん方にそういった紆余曲折をお詫びをしながら、なんとか受入れていただき、基地負担の軽減にも全力で取り組み、トータルとして沖縄の皆さん方の負担軽減に我々は名実共に努力していくということをご理解いただくために、誠心誠意、応対するしかないのではないかと思っております」
前原まで、「野党時代に大臣が沖北委員長をされていたときに、琉球新報のインタビューにもお答えいただいて、辺野古への移設というもの、キャンプシュワブに移すという計画がそもそも無理だったと、きれいな海を埋め立てるのは駄目だと環境面からもおっしゃっておられ」たとは驚きである。野党時代は何を言っても許されることになる。許される条件は「苦渋の選択」ということであろう。しかしこの「苦渋の選択」は民意を一切排除したキーワードとなっている。
民意を一切排除しても許される政治上の「苦渋の選択」とは何を意味するのだろうか。アメリカの外交及び防衛上の意思をより優先させた「苦渋の選択」であった。
外国の意思を優先させて民意排除を前提としているなら、その姿勢を一貫させるべく機動隊を大動員して強権的に基地建設を進めたらどうなのだろうか。建設に反対する沖縄住民のデモ隊を力で排除する。そうすることによって民意排除の姿を誰の目にもはっきりと見える形で曝すことができ、自分たちを正しい場所に置いて民意を合法を装って排除するよりは正直というものであろう。
機動隊を動員して民意排除を具体化させ、政府が傷つけば、民意排除とのバランスが僅かながらでも取れる。場合によっては次の選挙で大敗する全うなバランスを取る可能性も期待できる。
鳩山首相は「国外、最低でも県外」と沖縄県民の「期待値」を上げておきながら、民意として現れたその「期待値」を裏切り、「合意をした訳ですから」と沖縄民意の排除によって成立させた「合意」という内実を無視し、そのような「日米合意」を「米国はやはり日米の合意というものをしっかり尊重して日本にそれを着実に履行することを求めてくるだろうと思います」と絶対視する立場にのみ立ち、アミテージが「日米合意は国際合意なので拘束力を持つことは事実だが、去る名護市議会議員選挙や11月の知事選挙の結果によってはその実施が不可能になるかもしれない。『難しい』と『不可能』は違う。今はまだ『難しい』という状況だ」と指摘してはいるが、現在の沖縄県民の民意からしたら、11月の沖縄県知事選の結果予測は「不可能」に近い状況を示しているのだから、「今後話し合いをしていく中で、米国の考え方というものをしっかりと私も感じ取らなくてはいけないと思っております」と米国の出方を待つ一方の受け身の姿勢を取るのではなく、沖縄県民の民意としての「期待値を上げてしまった」ことの責任を取るためにも日本側から働きかけて沖縄の民意を代弁した日本側の「考え方」を説明すべきではないだろうか。
だが、前原外相にはそういった発想は皆目ないらしく、あるのは「米国はやはり日米の合意というものをしっかり尊重して日本にそれを着実に履行することを求めてくるだろうと思います」、あるいは「今後話し合いをしていく中で、米国の考え方というものをしっかりと私も感じ取らなくてはいけないと思っております」と、沖縄民意排除が成立せしめた「日米合意」をアメリカ次第の実現要素とのみ位置づけていて、新外相としての指導力、リーダーシップがどこ見も見えない。
このような指導力、リーダーシップの欠如とアメリカ次第の姿勢を以て対米追従姿勢と言わないだろうか。これが菅首相の指導力、リーダーシップに対応した前原外相の指導力、リーダーシップだとしたら、限界を感じざるを得ない。
民主党が2009年衆議院選挙のマニフェストに、「官邸機能を強化し、総理直属の『国家戦略局』を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する」と謳い、法律の裏付けを取るまでの暫定措置として鳩山前首相が9年9月に内閣官房に設立した「国家戦略室」を菅首相が参院選大敗を機に与野党逆転状況の参院を通らない見通しから「局」格上げを断念、名称は「国家戦略室」のまま、機能を首相に政策提言や情報提供を行う「助言機関」へと菅首相自らの政治主導(?)で格下げした。
「国家戦略室」について「民主党HP」が次のように解説している。
国家戦略室って何?
国家戦略室は、政治主導の政策決定を実現するため、縦割り行政を打破し、総理のリーダーシップの下に新時代の総合的な国家ビジョンを打ち出していくことを目的として内閣官房に設置された総理直属の機関です。具体的には、「税財政の骨格」、「経済運営の基本方針」のほか、内閣の重要政策に関する基本的な方針等のうち内閣総理大臣から特に命ぜられたものに関する企画・立案や、政府全体の総合調整を任務としています。国家戦略室と行政刷新会議は政策や予算の優先順位を決定し、新しい社会を創り出す車の両輪、共同のエンジンとしての役割を果たしています。
要するに「国家戦略室」にしても「国家戦略局」にしても、法律の裏付けがあるかないかの違いのみで、ちょっと大袈裟になるが、政治主導国家創造運営機関だということである。
だとするなら、「局」への格上げを断念し、「助言機関」への格下げは、法律の裏付け獲得を断念するだけではなく、“政治主導”の司令塔としての役目そのものの断念を意味する。
大体が「国家戦略室」と、「戦略」の名前を冠したまま、助言機関とすること自体が矛盾する。政治に関して言うなら、「戦略」とは全体的・長期的展望に立った体系的・統一的な政治の創造・策定・運用を言うはずだからである。
尤も菅首相は「戦略」の名前を冠したままの「助言機関」への移行を矛盾だとも思っていないし、“格下げ”とも認めていない。“格下げ”はマスコミが言っているに過ぎないと見ていたはずだ。
7月18日に岐阜県八百津町野上の豪雨による土砂崩れ現場を視察、記者団に「国家戦略室」について話している。《豪雨災害「情報の提供しっかりやりたい」18日の菅首相》(asahi.com/2010年7月18日19時54分)
菅「国家戦略室については若干皆さん方の報道で色々まあ、色々ありますけども、真意はですね、イギリスでポリシーユニットというものがあって、当初、私と古川現官房副長官が去年の6月に視察に行ったときに、ポリシーユニットをひとつのモデルにしたらどうかというのがあったわけです。まあスタートの段階ではポリシーユニットを超えた権能を、特に私が、あの、担当になったもんですから、総理ということも含めて多少そういうものを超えた権能を総理から、当時の総理から言われたわけですが、今回は官房……失礼、政調会長が大臣としても入ってもらうことになりましたし、また、官房長官にもしっかりと内閣主導で、官邸主導でやっていただくということになりましたので、国家戦略室は元々のですね、総理に対する直接のアドバイス、まあ、ある意味で総理直属のシンクタンクと。こういう位置づけでしっかりした態勢をつくっていただくということで、この間話をしてまいりました。
これは決して何かこうウエートが下がったということではなくて、私の見方からすると、より大きな役割をお願いすると思っています。たとえば従来は国家戦略室は外交関係は、少なくとも私や仙谷さんの時代は一切触れておりませんでしたが、総理に対するアドバイス、シンクタンクという中では、いろんなですね、たとえば『専門的な知識を持った人の、こういう人に会って話を聞いたらいいですよ』とか、『こういう論文はぜひ総理自ら読んだほうがいいですよ』とか、そういう政策的アドバイスという意味では、あらゆる分野についてもですね、広くかかわってもらおうと思っていますので、性格は変わりますが、しかし重要性は別の意味で大変重要な役割を担っていただくと、そういう風に考えています」・・・・
かつて自ら、「言語明瞭・意味不明」と自身の発言を評した元首相がいたが、菅首相は「言語不明瞭・意味不明」の全面短所となっている。もう少し明快に論理立って発言できないものだろうか。少なくともどのような組織にしたいのか、自らの頭に何度も思い描いていたはずである。思い描くにつれ、考えは整理整頓され、表現は簡潔化されて的確な説明の姿を取る。
いわば的確な説明の姿を取った発言が上記発言なのだろう。どうにか意味を要約すると、「ウエートが下がったということではな」いと格下げを否定、逆に「より大きな役割お願いする」と格上げであると指摘。組織の役割としては多方面からの専門的な助言・情報の処理機関として「重要性は別の意味で大変重要な役割を担っていただく」と、「助言機関」であることに変わりはないことを強調している。
2010年7月30日の総理大臣記者会見では菅首相は「国家戦略室」を次のように言っている。
菅「国家戦略室については、総理に直接意見具申をするシンクタンクとしての機能を強化していただきました。これは、各省庁が総理大臣にいろいろな意見や情報を上げてくるときには、どうしてもその役所がやりたいことに沿った情報で、それと矛盾する情報はなかなか上がってきません。そういったことに対して、縦割りの役所とは違う立場から、総理大臣として知っておくべきこと、考えなければならないことを国家戦略室にしっかりと収集し、総理に伝達していただく。より重要な仕事をお願いをしているとこのように考えております」(首相官邸HPより)
前以て原稿を用意したからだろう、スムーズな話し方となっている。「機能を強化」しているとし、「より重要な仕事をお願いをしている」と、ここでも格下げどころか、格上げであるかのように発言し、「シンクタンクとしての機能を強化」と言っているが、「シンクタンク」とは研究機関のことを言うのだから、「戦略」の名前を冠したままの助言機関であることを説明しているに過ぎない。
ところが8月1日日曜日の「NHK日曜討論」でこの格下げが菅首相自身によってではなく、枝野幹事長によってその風向きに乱れが生じる。《枝野氏 戦略局格上げに努力の余地》(NHK/10年8月1日 13時45分)
江田みんなの党幹事長「戦略局を総理大臣直属の機関とし、政治任用のスタッフを増やすように修正するのであれば、法案に賛成したい」
多分、みんなの党のこの誘い水をキッカケにみんなの党を民主党勢力に引き込みたい思惑があったのだろう。菅首相の「国家戦略室」の助言機関への移行意思をあっさりと無視、たちまち色気を見せる。
枝野「国家戦略局の法案が今の政治状況で通りにくいだろうという前提の中、別のやり方で当面やっていこうということでやっているが、みんなの党の協力で、具体的に前に進むならば、国会で十分に議論の余地があると思っている」
多分、江田みんなの党幹事長の発言に恋をしたのは枝野幹事長ばかりか、江田幹事長の背後にある衆院5+参院11の財産目当ての思惑を一致させて、菅首相もたちまち恋に落ちたに違いない。
「日曜討論」から2日後の8月3日の午後の衆院予算委員会。《戦略室の格上げ目指す=デフレ脱却は雇用回復最優先-菅首相》(時事ドットコム/2010/08/03-17:28)
みんなの党の江田幹事長の質問に答えての菅首相の答弁。いわば誘い水の質問だったに違いない。記事は、江田幹事長が提示した戦略局の機能を次のように書いている。、
〈(1)首相直属とし局長は閣僚
(2)国会議員や民間人を増員
(3)所掌事務は予算編成の基本方針の企画立案および総合調整〉
2009年民主党衆議院マニフェストに謳った機能とほぼ同じであることが分かる。2009年民主党衆議院マニフェスト回帰とも言える。
菅「衆院で継続審議になっている。まずはその審議をしかるべき国会で継続させていただきたい」
審議を継続し、参議院の過半数は121議席、122議席の賛成を得ることができれば成立する。民主党106議席に対してみんなの党の11議席の賛成と国民新党3議席の賛成120議席、あと2議席。4議席の社民党の扱い方で成立の見通しが立たないわけではない。
例え成立したとしても、菅首相は自らの発案で助言機関としたのである。それをいとも簡単に元の姿に回帰させる首尾一貫性のなさ、ブレは残る。
みんなの党の誘い水に渡りに船とばかりに乗った審議継続の予定であるにも関わらず、同じ3日夕方の首相官邸での記者会見では矛盾したことを言っている。
《国家戦略室「直接意見具申できる機能を」3日の菅首相》(asahi.com/2010年8月3日20時59分)
記者「秋の臨時国会で国家戦略室を局に格上げを議論すると。総理の意向は戦略室を格上げしたうえでシンクタンク化するという考えでいいか」
菅「あの、格上げという言葉そのものがですね、この間、格下げという言葉も使われたんですが、私としていつも申し上げているのは、総理に直接意見具申ができる、そういう機能をですね、しっかり持った国家戦略室に、あるいは国家戦略局になってもらいたいと、こう思っております。で、この法案についてはですね、ま、次期国会で、えー、議論をしてもらいたい。そう思ってます」 ・・・・
江田みんなの党幹事長が、「所掌事務は予算編成の基本方針の企画立案および総合調整」と提示しているのに対して、「総理に直接意見具申ができる、そういう機能をですね、しっかり持った」助言機関に相変わらず位置づける矛盾を見せている。
菅首相は翌8月4日の参議院予算委員会で国家戦略室を「局」に格上げする法案の取り扱いについて答弁している。《首相 財政健全化へ決意示す》(NHK/10年8月4日 12時29分)
菅「法案には、総理大臣官邸の機能を強化するための官房副長官の増員などの内容も入っている。この法案を基本に議論し、各党の議論も含めて、そのまま成立させるか、法案を修正させるかになる。法案を取り下げることは考えていない」
参院選に大敗するや、参院通過は無理だろうと「戦略室」から「戦略局」への格上げを盛り込んだ政治主導確立法案の成立をあっさりと断念しておきながら、「法案を取り下げることは考えていない」と様変わりの強気を見せている。自身のコロコロと代る姿勢には気づいていないから、たいしたものだ。
そして8月6日に臨時閉会、9月1日告示、9月14日投開票の民主党代表選に向けた前哨戦と本番に突入。代表選は菅首相の大差での勝利で決着。昨9月17日、改造内閣が発足。
玄葉光一郎国家戦略相の菅改造内閣発足後の今日9月18日未明の記者会見。《戦略室“当初の構想に戻す”》(NHK/10年9月18日 5時35分)
記事の解説。〈国家戦略室について、前の鳩山内閣では、予算編成の基本方針の策定などを行う政治主導の政権運営の柱となる組織と位置づけられていましたが、菅総理大臣は、ことし6月の就任後、総理大臣に政策提言を行うことにとどめる組織に改める方針を示していました。〉・・・・
玄葉国家戦略担当大臣「国家戦略室のねらいは2つあり、1つは総理大臣への提言だ。ただ、民主党の政策調査会長と国家戦略担当大臣を兼ねるので、これからは、もう1つのねらいである、重要政策の企画立案や閣内の調整も担う立場になったと考えている。機能を元に戻し、民主党政権の発足当初構想していた国家戦略局をしっかりと稼働させるのが自分の役割だ」
玄葉「国家戦略室を『局』に格上げする法案は、臨時国会で成立が図れればいいが、官房長官の所管でもあるので、調整しながら判断したい」
みんなの党という恋人の当てがあることからの法案提出だろうが、「機能を元に戻し、民主党政権の発足当初構想していた国家戦略局をしっかりと稼働させるのが自分の役割だ」は内閣の一員として単独行動は許されないのだから、菅首相の指示を受けた「役割」であろう。
だが、「国家戦略室のねらいは2つあり、1つは総理大臣への提言だ」としていることは、「国家戦略室」から助言機関に格下げした菅首相自身の発案を否定するわけにはいかないことからの“狙い”の付け足しであろう。
2009年民主党衆議院選挙マニフェストは、「官邸機能を強化し、総理直属の『国家戦略局』を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する」と謳っているのみで、「総理大臣への提言」などどこにも謳っていない。
謳わなくても、提言・助言の類は常なる付き物だからだ。「国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する」場合に於いても、助言・提言の類なくして成り立たない。助言・提言の類があって、初めて機能する。わざわざ「国家戦略室のねらいは2つあり、1つは総理大臣への提言だ」と謳わなくてもいいはずだ。
菅首相の助言機関への格下げ発案を正当化し、決して迷走ではないことを示すために謳う必要があった。
勿論、提言機関、助言機関と機能を限定し、役割を提言・助言に集約する場合もあるだろうが、組織設立の趣旨は提言・助言に機能を限定することになり、あくまでも“戦略機関”とは別物であろう。
玄葉氏のこのゴマカシは国民との契約を目指すマニフェストを「マニフェストと言うのは生きものであり、常に手入れが必要なものだというふうに認識をしております。従って、環境や状況の変化に柔軟に対応することが重要だということで、改めるべきは改めると言う観点から書かれているということです」と、契約書からいつでも手直しが許される政策ガイドラインに変えた誤魔化しに通じる。
菅内閣が6月8日に発足して3カ月余、たった3カ月の間に「国家戦略室」が何と迷走したことが。この迷走は菅首相の指導力、リーダーシップに呼応した迷走そのものであろう。
菅首相が9月14日の民主党代表選で再選されあと、都内のホテルで記者会見を開き、普天間移設問題で記者と遣り取りしている。普天間に関する部分のみ参考引用。
《民主代表選:菅首相会見(4)止 普天間「日米合意踏まえ、沖縄の負担軽減に全力」》(毎日jp/2010年9月14日)
Q:普天間問題についておうかがいします。さきほど沖縄では小沢さんの方に支持という形で出ています。これはすべてではないにしても、普天間の問題について小沢さんに希望を託すという県民の世論があったと思う。そういう沖縄県民への、あるいは先の名護市議選で出た普天間移設についてのノーということについて、今後どのように進めていく考えか。それともう一つ、普天間問題についても特別チームを作っていくつもりか。
A:普天間移転問題については、この間も、何度も申し上げていますように、今年5月28日の鳩山政権の元での日米合意というものを踏まえて、同時に沖縄の負担軽減に全力を尽くすという姿勢で臨んできましたし、これからも臨んでいくという基本は変わりません。
もちろんこの合意に対して、沖縄のみなさんがかなり厳しい見方をされている。また、今度の名護の市議選でもそういう見方が一つの形に表れたということは私も十分認識しています。ま、そういう中でこれからどのような形でこの問題をさらに前進させることができるかどうか、しっかりとした形で取り組まなければと思っております。
この問題については私自身、外務省、防衛省、あるいは官邸に、官房副長官に実務をかなり担っていただいて、状況の把握には私自身が、ある意味直接に携わっております。ですから、今のところ、改めて別に設けるというより、官邸の中の、ま、いわば私がトップで、官房長官がその次で、副長官、政務事務含めて取り組むと、そこに外務省、防衛省の担当者もきちっといつづけていますので、それがある意味では官邸の特命チームにあたると理解していただいていいのではないかと思っています。
NHKニュースを聞いていて、「ある意味」という言葉を使っていたことに奇異な感じがして、引っかかった。
「状況の把握には私自身が直接に携わっております」ではなく、「状況の把握には私自身が、ある意味直接に携わっております」と言っている。
「それが官邸の特命チームにあたると理解していただいていいのではないかと思っています」ではなく、「それがある意味では官邸の特命チームにあたると理解していただいていいのではないかと思っています」と言っている。
この場合の「ある意味」、あるいは「ある意味では」とは、全面的な役割としていることとは反対の限定した役割を示す枕詞(まくらことば)として使っている言葉であろう。
全面的な役割を自らに担わせていたなら、「状況の把握には私自身が、ある意味直接に携わっております」とは言わずに、「状況の把握には私自身が直接に携わっております」と断定するはずである。
記者の「普天間問題についても特別チームを作っていくつもりか」の質問の回答に直接当たる発言として、「それがある意味では官邸の特命チームにあたると理解していただいていいのではないかと思っています」と言って、沖縄基地問題に当たっている「私自身、外務省、防衛省」、さらに官邸の「官房副長官」をひっくるめて「官邸の特命チーム」に見立てているが、「ある意味では」の枕詞をつけることによって、「官邸の特命チーム」そのものではない、限定した意味での組織としている。
「ある意味」で「状況の把握には私自身が」、「直接に携わっております」、「ある意味では」、「官邸の特命チームにあたる」と役割を限定している。
解決困難が予想される難しい課題に向けた取組みに於けるこのような限定性からはどのような決意も窺うことができない。
県民の殆んどが普天間の辺野古移転を反対して県外、もしくは国外移転を望み、辺野古のある名護市長が沖縄県民と名護市民の辺野古反対、国外・県外移転の意思の代弁者の立場に立ち、今回の名護市議選で辺野古反対派が多数を占めた結果、日米合意の沖縄県及び沖縄県民合意がより困難となった状況下で、沖縄県及び沖縄県民合意に向けた確固とした強力な「特命チーム」を組織し、沖縄及び沖縄県民双方の合意を経た日米合意遂行を図る姿勢の提示なら理解できるが、「状況の把握には私自身が、ある意味直接に携わっております」、あるいは「ある意味」で「特命チーム」に見立てていると、何事も「ある意味」で事に当たられたのではたまらない。無責任に過ぎる。
指導力、リーダーシップを欠いているから、自らをトップとする、あるいは自らを最終責任者とする組織を構成し、全面的な役割を最終的に自らが引き受ける決意と責任を持つことができない。
もしも「ある意味」なる言葉が、あるいは「ある意味では」なる言葉が口癖だとするなら、行動に関しても責任に関しても全面的に関わる姿勢を元々欠いていることから、そのような意識がつくり出した口癖であることは間違いない。
多分、「特命チーム」をつくった、うまくいかなかったでは判断能力、指導力、リーダシップを問われることになるから、前以て用心して、全面的関与を避けたい姿勢がつくらないを選択したといった程度のことではないだろうか。
――当たるも八卦、当たらぬも八卦――
文部科学省が全国学力調査で成績がトップレベルだった秋田、福井両県などの成績上位県を対象に、どんな取り組みが好成績につながっているのか本格的に調べることになったと今年の8月下旬にマスコミが伝えていた。
どういった答が出るか分からないが、マスコミが既に秋田や福井の高成績(好成績?)県の小中生徒は「朝食を毎日食べる」、「朝7時前に起きる」、「家で復習をする」等、基本的な生活習慣が身についている生徒の割合が全国平均よりも相当に高い傾向にあると伝えていたことから、権威主義の地域性が強いことが理由の高成績(好成績?)ではないかと思っていた。
私の言う権威主義とは親や教師、会社で言えば上司等の上の者が自らの指示・命令によって子どもや生徒、部下等の下の者を無条件に従わせ、子どもや生徒、部下等の下の者は親や教師、上司等の上の者の指示・命令に無条件に従う、いわば上位者に権威を置いて、その権威に従う上から下への一方通行の関係性――相互に主体性・自発性に基づいて自らの責任で行動する要素を一切省いた関係性を指す。
この関係性が日本人のほぼ共通した思考様式・行動様式となっている。
当然、日本の教育に於ける知識・情報の授受に関しても、生徒の行動に関しても上位者として権威を持った教師の命令・指示に下位者の生徒が無条件に従う権威主義の関係性にある。
最近は教師の権威が薄れて教師の言うことを聞かない生徒が存在するが、基本的には教師対生徒の上下の権威主義関係で成り立っている。
日本の教育が暗記教育であるのは権威主義の関係性に於けるこの無条件性――教師が教える知識・情報を生徒自らが考え、思考して自分なりの知識・情報へと高めるのではなく、教えるままになぞり、記憶する、あるいは教師の知識・情報をそのまま生徒の知識・情報とする無条件性の構造を取り、このような構造を成り立たせる唯一の方法が暗記だからである。
いわば暗記自体が権威主義性によって成り立っている。
結果として、生徒の成績は生徒それぞれの暗記能力にかかってくる。教師が伝える知識・情報を如何に多くそのまま暗記できるか、その量(暗記量)の多い生徒が好成績を収める暗記量と成績の比例関係が生じる。
秋田や福井の生活習慣を権威主義性からの傾向と見たのは、基本的な生活習慣にしても、暗記教育の知識・情報の授受と同じ形式の教師や親等の上からの指示・命令が生活指導に於いても作用した権威主義性の生活習慣の場合と、生徒自身が自らそうあるべきだと自発的、主体的に確立した生活習慣のケースと大きく二つに分けることができるはずであるから、秋田や福井の生活習慣が上からそうするよう仕向け、下が忠実に従っている権威主義性の生活習慣であると断定できないわけだが、一般的には都会よりも地方の方が権威主義性の上下の人間関係が色濃く残っていることからの第一印象であった。
権威主義性の生活習慣だとすると、学校社会に於いても権威主義性の関係力学が働いた教育となっているということであり、学校と家庭に相互反映した上からの指示・命令を下が従う地域性の風景としてあるものであろう。
いわば教師や親の指示・命令が都会よりも有効な状況にあり、生徒が親や教師の言うことに従って勉強もし、復習もし、予習もし、読書にも時間を取り、その結果としての高成績ということになる。
当然、そこには自発性が存在しないことになり、あるいは主体的に学ぼうとする姿勢からの勉強ではなく、暗記をベースとした勉強、もしくは予習、復習であり、少しは役に立っても、読書にしても要点を機械的に暗記する読書の可能性が高くなる。
このことを証明する一つの資料がある。秋田県の学力の状況と主な取り組み(全国学力・学習状況調査結果報告)(平成20年12月21日( 日) 秋田県教育委員会)
この中に、「H19全国学力・学習状況調査の調査問題を授業の中で活用しましたか」というアンケートがある。
「H19全国学力・学習状況調査の調査問題を授業の中で活用しましたか」
学校質問紙調査結果概要
○ 全国の平均値との差(「よく行ったた」 「どちらかといえばよく行った」の合計)
(例えば+20.0%となっていたら、全国の平均値に20%上回るということであろう。)
(きめ細かな指導)の項目
・「放課後を利用した補充的な学習サポートを実施していますか」
小学校 「はい」――+19.30%
中学校 「はい」――+27.69%
・「長期休業期間を利用した補充的な学習サポートを実施していますか」
小学校 「はい」――+12.0%
中学校 「はい」――+14.7%
・「国語の指導として、補充的な学習を行いましたか」
小学校 「はい」――+11.6%
中学校 「はい」――+11.9%
・「国語の指導として、発展的な学習を行いましたか」
小学校 「はい」――+0.7%
中学校 「はい」――+8.9%
・「算数( 数学) の指導として、補充的な学習を行いましたか」
小学校 「はい」――+11.80%
中学校 「はい」――+ 9.0 %
・「算数( 数学) の指導として、発展的な学習を行いましたか」
小学校 「はい」――+12.5%
中学校 「はい」――+12.0%
(生活)
・「算数( 数学) の指導として、実生活における事象との関連を図った授業を行いましましたか」
小学校 「はい」――+14.5%
中学校 「はい」――+14.6%
(調査活用)
・「H19全国学力・学習状況調査の自校の結果を学校全体で活用しましたか」
小学校 「はい」――+16,5%
中学校 「はい」――+18.0%
・「H19全国学力・学習状況調査の調査問題を授業の中で活用しましたか」
小学校 「はい」――+43.0%
中学校 「はい」――+44.9%
(連携)
・「地域の人が自由に授業参観などができる学校公開日を設定していますか」
小学校 「はい」――+17.7%
中学校 「はい」――+21.6%(以上)
すべての項目に亘って全国平均を上回っている。ここから一生懸命に勉強に取り組む姿が浮かんでくる。だが、授業に於ける「細かな指導」の項目のすべてに於いて、生徒が自発的に取り組んだ結果としての全国平均を上回る成績だとしても、(調査活用)項目の「H19全国学力・学習状況調査の調査問題を授業の中で活用しましたか」の調査に対する小学校で全国平均を「43.0%」、中学校で全国平均を「44.9%」と、それぞれに大きく上回る「活用」が行われていたことは、他の項目の自発性を帳消しして上の指示・命令に従う権威主義性の暗記教育をベースとした成績だということを示している。
要するに学力に関しては学校が前回の調査問題(=テスト問題)を取り上げて、それをベースに似た傾向の様々な問題を範囲を広げて出し、それに答えさせる訓練に時間を割いて、本番の全国学力テストで少しぐらい違った傾向の出題であっても間違いなく答えることができるように試験問題そのものに慣れさせる、塾や学校の補習授業で行うような、いわゆる“対策と傾向”に普段の算数( 数学)や国語の授業ばかりか、放課後や長期休業期間まで利用して徹底的に取り組み、学校のそのような“対策”に生徒が忠実に従ったという姿が浮かんでくる。
「朝食を毎日食べる」、「朝7時前に起きる」、「家で復習をする」等の生活指導に関しても、H19年の全国学習状況調査の結果を授業に取り入れ、そういった生活習慣がテストの成績につながるからと、その対策として「朝食を毎日食べる」、「朝7時前に起きる」、「家で復習をする」等の家庭での生活が全国平均より上回るように授業や補習時間の中で指導し、生徒が教師の上からの指示に素直に従った姿が浮かんでくる。
その結果として秋田の場合、学力に関しても生活指導に関しても授業の中での「活用」が全国平均よりも40%以上も上回るという数値となって現れた。
勿論、全国学力テストが開始される前からその手の生活習慣が存在したとも言えるが、それが秋田の子どもたちの全般に亘る自発性を持った生活習慣であったなら、勉強に対しても相互反映の形で自発性は浸透していただろうから、何も全国平均を40%以上も上回る学校の指導という第三者による上からの指示に生徒が従う構図でH19年のテスト問題と学習状況調査の調査結果を授業の中で活用する必要はなく、普段の授業をしていれば勉強、生活習慣両面に亘って生徒が持つ自分から何事も進んで行う自発性が教師が伝える知識・情報に対しても応用されて自分から理解を深めていき、常に先へ先へと進むことができていたはずである。
あるいは全国学力調査と学習状況調査の調査問題を放課後や夏休みや冬休みといった長期休業期間を利用して全国平均を優に上回る補充的な学習サポートを行うことまでする必要もなかったはずである。
いわば秋田県では全国学力テストに絞った授業が集中的に行われ、生活習慣に関しては元々権威主義性の強い地域性であることから規律正しい生活が守られていたとしても、全国学力テストの成績を上げるために「朝食を毎日食べる」、「朝7時前に起きる」、「家で復習をする」等の生活習慣を徹底するよう授業を使ったり長期休業期間を使ったりして指導が行われていた。“対策と傾向”なくして、全国1位2位の成績はなかったということではないだろうか。
07年(平成19年)の第3回全国学力調査に於ける学習状況調査では学力1位の秋田県の小学校6年生の通塾率は全国最低であり、学力2位の秋田県中学校3年生の通塾率は全国平均を大きく下回っていて、通塾率と学力テストの成績は比例関係になく、逆に反比例関係にある場合が多いということだが、「放課後を利用した補充的な学習サポートを実施していますか」の小学校の全国平均との+19.30%の差と、中学校の全国平均との+27.69%の差、さらに「長期休業期間を利用した補充的な学習サポートを実施していますか」の小学校の全国平均との+12.0%の差と、中学校の全国平均との+14.7%の差が学校がよりよく塾の代わりをしていたことを物語っている。
このような教育状況からは教師や親の命令・指示に子どもが素直に従う権威主義的な自発性を窺うことはできても、権威主義的関係から離れて、教師や親の命令・指示がなくても、それぞれの生徒自身が主体的、あるいは自発的に自らの責任で勉強に取り組む姿は見えてこない。
こういった生徒の姿はやはり地域に色濃く残る権威主義性の影響を受けた受動性からのものであろう。親にしても教師にしても地域社会に生きる大人であり、彼らの権威主義性なくして生徒の権威主義性はないからだ。
大人と子どもそれぞれの権威主義性がうまくマッチして機能していることが忠実に反映した全国学力テスト向けの“対策と傾向”の十全な機能とも言えるかも知れない。
権威主義性、もしくは大人と子どもとの権威主義的関係性を分かりやすく言うと、テレビを見ている子どもに親が、「テレビを見るのはもうやめて、学校の勉強しないさい」と言ったとき、ハイと素直に聞いてテレビを消し、勉強することが常態となっている関係を言う。
もし子どもが権威主義性を離れて自発的、もしくは主体的姿を取っていたなら、親の指示で動く姿が常態となることはなく、一般的には親に言われる前に自身のスケジュールで勉強の時間を定め、そのスケジュールどおりに勉強しているはずである。それがどうしても見たいテレビ番組であったなら、その時間を避けてその前後に勉強時間を取るといったことをしてスケジュールを立て、そのスケジュールを守っていたなら、親が、ああしなさい、こうしなさいと指示して言うことを聞かせる関係が常態化することはないし、逆に子どもに任せることによって親自身も子どもに対して権威主義性から離れることができる。
子どもが親の言うことを聞かずにテレビをずっと見ていたとしたら、親子は権威主義の関係にありながら、親の権威が子どもに通用しなくなっている状況を示す。親子間に自発性、もしくは主体性等の関係要素が全然存在しないゆえの親の子どもに対する干渉であり、子どもの親の干渉に対する拒絶という姿を取っていることになるからだ。
小沢前幹事長が民主党代表選で敗れた。相互にほぼ関連し合うものの、党員・サポーター、地方議員で支持を受けなかったことはともかく、国会議員票で6人の差をつけられたのは惨めな惨敗だったに違いない。
但し、国会議員200人の支持を受けた。菅首相は2006人。十分対抗できる発言力、影響力を残すこととなった。反小沢強硬派の前原国交相や仙谷官房長官、野田財務大臣などの強い小沢反発力に引きずられがちな菅首相の小沢支持グループを影の存在としながらの党運営、そしてねじれ国会状況下の野党を正面に置いた国会運営、さらに待ち構えている普天間問題や緊急を要する景気対策等々・・・どう乗り切ることができるか、見ものだが、一貫性のない態度からくる言葉の無節操、合理的判断能力欠如と指導力欠如、芯のないご都合主義で成り立たせている政治姿勢の菅首相を頭に抱いている民主党政権はもはや支持はできない。
たった1票の逃避だから、痛くも痒くもない、菅首相のツラにショウベンだろうが、無党派へと回帰することにする。
菅内閣は早晩普天間移設問題で行き詰まる
菅内閣が10日(9月)、円高、デフレ対応の経済対策を閣議決定した。《経済対策:決定 「効果、限定的」の見方も 円高・株安で即応性重視》(毎日jp/2010年9月11日)
〈「雇用」や「環境」を柱に、10年度予算の予備費から9150億円を投入し、波及効果などを含めた事業規模は約9・8兆円。ただ、今回は足元の急激な円高や株安への緊急対応策として、スピードを重視しただけに「効果は限定的」との見方が根強い。菅直人首相が補正予算に前向きな姿勢を示すなど、早くも「次の一手」に注目が集まっている。〉・・・・・
10年度予算予備費からの支出は国会議決を経ず、事後承諾で済む即応性を考えての選択であろう。注意点は、〈国会の承諾が得られない場合でも取引の安全を保つため支出は有効である。ただし内閣の政治責任が問われる。過去には1989年12月1日と2008年5月28日に参議院が予備費を承諾しなかったことがある。〉(Wikipedia)ということだから、政府のこの緊急経済対策を〈規模が小さいと批判し、4兆~5兆円を投入するよう求めている〉(《追加経済対策―新成長戦略の第一歩に》『朝日』社説/10.9.12)自民党や公明党が参議院での「承諾」にどう出るかである。
経済対策の内訳は、雇用対策、エコポイントの延長の2項目となっている。
雇用対策――
〈雇用対策では、大学新卒者の就職率が6割に低迷するなど、深刻な状況の若年層の就職支援策に重点を置き、20万人の雇用確保を目指す。高校や大学を卒業時に企業に採用されないと、その後の就職活動で不利になる現状を改善するため、卒業後3年以内の既卒者を「新卒」扱いで採用した企業に奨励金(100万円)を支給する制度を創設〉・・・・・
エコポイント――
予備費から9150億円からほぼ半分の約4500億円を消費対策として投入。
●家電エコポイント制度の12月末終了期限の3カ月延長。
●環境性能に優れた住宅対象の住宅エコポイントと住宅ローン金利優遇の優良住宅取得支援制度(フラッ
ト35S)の12月末終了期限の1年延長。
家電エコポイント制度の場合は現行通りの無条件の延長ではなく、〈来年1月からは、対象商品が省エネ性能基準で現行の「四つ星以上」から最高位の「五つ星」に限定され、薄型テレビの場合、現在の6割程度に絞られる見通しだ。〉と言う
記事は歓迎・非歓迎の相反する声を伝えている。
家電量販店コジマ「12月に期限が切れれば、駆け込み需要が年末商戦と重なり、品切れなどの恐れがあった」
大手電機メーカー「需要の先食い期間を延ばすだけで、新たな需要を掘り起こすわけではない」
一方の住宅優遇制度に関しては、〈今年1月に開始した住宅エコポイントは、年末まで1000億円の予算を確保しているものの、8月末時点の支出額は176億円に過ぎない。〉と解説している。
また、〈エコカー補助金の打ち切りで、10~12月期はマイナス成長に陥るとの予測もある。〉ことから、政府は景気動向に対応して補正予算の年内編成を視野に入れると同時に11年度予算で「新成長戦略」の施策に資金を重点配分する方針で臨む態勢でいると記事は書いている。
この、
(1)予備費活用
(2)補正予算の検討
(3)「新成長戦略」資金重点配分の11年度予算
を以ってして、「3段構え」の景気回復策だそうだ。
菅首相は9月10日(10年)首相官邸で経済関係閣僚委員会を開催、冒頭次のように挨拶している。
菅首相「基本的な視点の第1は、スピード感です。まず、ステップ第1として、予備費の活用を念頭に入れた円高、デフレ状況に対する緊急的な対応。第2のステップとして、補正予算を念頭に入れた今後の動向を踏まえた機動的な対応。そして、ステップ第3は、平成23年度予算編成、さらには、税制改正においての新成長戦略の実施。このスピード感を持ってステップ1、ステップ2、ステップ3といくという考え方に立っています。
基本的視点の第2は、雇用を機軸とした経済成長の実現です。これは、雇用と成長を機軸として、予算、税制、企業社会のシステム全般にわたる雇用の基盤作りを通して、成長につなげ、成長を通して雇用につなげていくという考え方です。
基本的視点の第3は、財政と規制・制度改革の両面の取組です。予算や税制といった財政措置も大きく講じることになっていますが、需要、雇用創出効果の高い規制・制度改革を強力に進めることにしています。
緊急的な対応には、予備費9200億円を活用し、今日の閣議決定で実行に移します。事業規模で言いますと約10兆円になり、20万人程度の雇用創出あるいは雇用の下支え効果を見込んでいます。
そして、今後の景気、雇用状況を踏まえ、必要ならば1兆円の国庫負担債務行為の活用も含めて補正予算の編成など機動的、弾力的に対応していきたいと思っています」・・・・
相変わらずいいこと尽くめを言っているが、野党時代から暖めていた農業・林業等で100万人の雇用を創出すると言っていたいいこと尽くめはどうなったのだろう。
そう言えば日本の偉大な自民党最後の首相、麻生太郎も「100年に一度の金融危機」対策に「3段ロケット」の経済対策を打ち出し、その効果を盛んに喧伝していた。「3段ロケット」の上にさらに1段積み増し、4段ロケットを打ち出したのは3段ロケットが喧伝に反して見るべき効果がなかったからだろう。
3段構えだろうと4段構えだろうと5段構えだろうとお好きにやってくださいだが、予備費活用のエコポイント制度の延長そのものは金持優遇とまでは言わないが、安定収入世帯層優遇の制度であろう。低所得層には手の届かない、無縁の制度であるはずだ。エコカー減税も安定収入世帯層を対象とした優遇制度であり、低所得層には何ら恩恵とならない制度であった。
一方で生活関連費の支出を抑制している世帯の存在、生活困窮者の増加が証明している優遇制度であろう。
《幼児の教育費、5年前の3分の2に 不況の影響か》(asahi.com/2010年9月9日10時48分)
ベネッセコーポレーション(本社・岡山市)が0~6歳の子をもつ首都圏の保護者を対象とし、1995年から5年ごとの今回で4回目となる調査だそうだ。
今回は3月、東京、神奈川、千葉、埼玉の各都県の生後6カ月~6歳(就学前)の子をもつ7801人の保護者に質問用紙を郵送し、45.1%に当たる3522人から回答を得ている。
習い事(塾、通信教育を含む)をしている子どもの比率
2005年――57.5%
2010年――47.4%(-10.1ポイント)
習い事、絵本、おもちゃなどにかける費用の平均
1995年――8556円
2000年――7323円
2005年――8771円
2010年――5829円(最低)
「1カ月で千円未満」支出の比率
1995年――11.3%
2000年――18.6%
2005年――11.7%
2010年――23.3%(過去最高)――
幼児教育費にかける「1カ月で千円未満」の世帯の比率から見ても分かるように、幼児教育費の縮小を担っているのは低所得層ということであろう。
《生活保護 最多の136万世帯》(NHK/10年9月13日 4時12分)
今年5月に生活保護を受けた世帯は全国で136万4219世帯で、前の月より1万983世帯増えて、過去最多となったと出ている。
内訳は――
▽仕事を失った人を含めた「その他の世帯」――4763世帯
▽「高齢者」 ――2832世帯
▽「障害者」 ――1038世帯
▽「母子家庭」――718世帯
月ごとの増加世帯数は一昨年の12月から18か月連続で5000世帯を超える立派な記録だそうだ。世帯数が立派な記録ということではなく、政府の景気回復対策、経済対策が低所得層への恩恵として反映されていない象徴としての18か月連続の5000世帯超えであり、4月より1万983世帯増加の2010年5月の生活保護申請許可世帯全国136万4219世帯だということである。
断るまでもなく、政府の景気回復策が功を奏していたなら、少なくとも微減の状況となっているはずだ。
家電エコポイント制度も住宅エコポイント制度も住宅ローン金利優遇の優良住宅取得支援制度も、またこれらの今回の緊急経済対策下の延長も、9月終了のエコカー減税制度も金持優遇制度ないし安定収入世帯優遇制度であると同時に家電メーカーや自動車製造メーカーへの利益提供の優遇制度であったものの、低所得層に何ら恩恵をもたらさない制度であった。
いずれの国の社会でも社会の利益循環は企業や銀行、投資家、投機家等の社会の上層を占める組織、あるいは個人が利益を上げて好景気を形づくり、それが社会の下層に向かって、より上の段階により多く配分しながら順次下の段階に先細りする形で流れ落ちていく配分を骨組みとするトリクルダウン方式(trickle down=〈水滴が〉したたる, ぽたぽた落ちる)を取るが、政府の経済対策によって生じた利益のパイが下層にまで滴り落ちずに社会の上層、あるいは中層を占める組織、あるいは個人止まりとなっていると言うことである。
《個人消費支出、2カ月連続で増加 猛暑効果で好調》(asahi.com/2010年8月28日0時51分)が6月、7月2カ月連続で増加したという記事を伝えているが、幼児教育費の支出減少傾向と保護世帯増加傾向等を見ると、あるいは猛暑下にありながら、電気代が勿体ないからと扇風機やエアコンをつけずに部屋で過ごして熱中症にかかる高齢者の決して少なくない存在等を見ると、「個人消費支出2カ月連続で増加」の殆んどは安定収入世帯が貢献した状況であろう。
菅首相は9月10日(10年)の民主党代表選公開討論会で、「海外に移転するような企業に対して、国内で仕事がしやすい状況を作る。一部低炭素事業への補助金も出すが、法人税のあり方も含めて海外に税が高すぎて出ていくという傾向もあるので、年内にしっかりと法人税のあり方を検討する」と法人税の減税を意図した発言を行っている。
法人税減税にしても、トリクルダウン方式の利益循環を狙った景気回復策でしかない。問題は法人税減税によって企業が国際競争力を回復し、利益を挙げたとしても、その利益が社会全体に亘って還元されるかである。
だが、小泉元首相の在任期間にほぼ重なる02年2月から07年10月まで続いた戦後最長景気では大企業が軒並み戦後最高益を上げながら、個人消費伸び率、1.5%、所得伸び率、-1.4%の一般国民には反映されない、トリクルダウン方式に反する、一般国民にとっては徒花(あだばな)の好景気であり、「実感なき景気」と言われた。
この大企業が軒並み戦後最高益を上げながら、就業者に利益が反映されずに個人所得がマイナスとなった構造は低賃金の非正規雇用を大量に雇用することで実現可能とした利益配分の偏向が理由とされている。
中国とアメリカの好景気に支えられた戦後最長景気でも一般個人には徒花でしかない「実感なき景気」だったのである。菅内閣の法人税減税が企業の国際競争力の回復に役立ったとしても、外需依存を日本経済維持の主体とし、円高の為替状況で海外の安価な人件費を相手にしている以上、厳しい国際競争を勝ち抜くと言うよりも、凌ぐのが精一杯で、企業はそれなりに潤ったとしても、その利益が一般国民に反映される保証はなく、なお一層「実感なき景気」を色濃くしないとは限らない。咲いても実を結ばない徒花どころか、花も咲かない、実もつかない枯れ花になりかねない。
だとしても、政府は個人消費の低迷を放置しておくわけにはいかないはずだ。12年間自殺者3万人も生活苦からの自殺者が無視できなく存在する。その解決を難しくするだろうし、生活保護世帯の増加は国と地方の財政を圧迫する。個人消費の低迷はそのまま税収の悪化に直結してくる。
社会の上層が利益を上げて、それが社会の下層に向かって先細りしながら滴り落ちていくトリクルダウン方式の利益循環が機能しないといということなら、下層そのものが利益を生む方法を講じてトリクルダウン方式による利益循環構造の機能不全を補わない限り、個人消費の拡大は望めないばかりか、社会全体の景気浮揚も望めないことになる。当然、国民の活力も生まれてこない。
その方法は消費税を一時停止して、5%分の可処分所得を個人に直接還元する方法である。当然、1%当たり2兆円、5%で10兆円辺りの国の税収が減ることになるが、法人税減税や企業対策が高所得層や収入安定世帯層にのみ偏った利益を与える不平等を正すための緊急措置と看做さない限り、利益配分の不平等の解決は先送りされ、難しいことになる。
イギリスが景気対策として2008年12月から2009年12月末まで日本の消費税に当たる付加価値税を17・5%から15%に下げた。但し、日本の消費税と違って、イギリスの付加価値税の場合、食料品、子ども服、書籍などは0%だから、これらは影響を受けない。
その分の補充として、財源確保のために国債を増発するほか、年収15万ポンド超の富裕層に新たな税収枠を設定し、12億ポンドを徴収。それでも次年度の財政赤字は1180億ポンドに拡大する見通しだというから(毎日jp〉、大変なことは大変なのだが、直接一般国民に利益を提供する形で景気回復に寄与する方法として止むを得ないと見たのだろう。
その効果は有力調査機関エコノミストの分析報告として、この減税で68億ポンド(約1兆円)の個人消費が増え、国内総生産を0・5%分押し上げたと指摘したと(《英 消費税減税 の効果 個人消費 1兆円増加》しんぶん赤旗/2010年1月4日)が伝えている。
しかしイギリスの付加価値税が食料品が0%であることに留意しなければならない。日本の国民にとっては、特に中低所得層にとっては食料品に支払う5%の犠牲は大きいものがあるはずである。
勿論、消費税の一時停止は高所得層にも同じ5%分の恩恵を与えるが、エコカー減税やエコ家電ポイント制だけでは高額所得者、あるいは安定収入世帯層の優遇のみで終わることと比較して、高額所得層や安定収入世帯層には5%は取り立ててたいした犠牲ではないだろうが、中小所得層には同じ5%がかなりの犠牲を強いる逆進性から言って、より中低所得層にとっての恩恵となるはずである。
HP《DI★ction★ARY : 税金 Part-8 ・・・消費税~税収の推移》によると、消費税の一人当たり年間負担額は77,345円であり、夫婦子供2人の4人家族なら77,345円×4=309,380円となるそうだから、かなりの犠牲から解放、かなりの可処分所得の増加となる。
因みに消費税1%上がると国民一人当たり15,469円の負担増だそうだ。
雇用不安や社会保障に対する信頼失ったことからの将来の不安等で、消費税を一時停止しても貯蓄に回るのではないかという指摘を払拭するために、5%分はポイント制で還元し、何らかの消費で使用しなければいけない制度とすれば、貯蓄に回らずに確実に消費に向かう。
ポイント還元はレジスターを操作すれば、可能であろう。どの店でも使えるようにする。
5%丸々停止した場合、税収が追いつかず、予算編成もままならないと言うことなら、スーパーやコンビニ、百貨店、その他の商店の食品に限った5%停止でも、逆進性から言って、中低所得層への相当な利益配分の恩恵となるはずである。
このような消費税一時停止は政府の経済対策の不平等を補い、一般国民に対して可処分所得を直接増やして個人消費の増加につなげ、間接的に社会全体の景気浮揚の一助とする、また税収を幾分取り戻す方法として土台無理な提案だろうか。
民主党代表選は政策で争うよりも指導力、リーダーシップを基準に争われるべき
どのような選挙も言葉で訴える。落選という自己存在否定を突きつけられたくないばっかりに有権者の歓心を買う姿勢が生じ、勢い言葉が現実を離れて走りかねない。いわば実行可能性を無視して、いいこと尽くめの言葉で満たしかねない。
菅首相が11日午後、都内(有楽町)で街頭演説を行った。これは菅陣営のみの街頭演説だそうだ。からした声で言葉を区切り区切り訴えかけていた。
《首相 国民の支持を得て改革を》(NHK/10年9月11日 19時12分)
菅首相「いよいよ、これから、本格的な、日本の、大改革の、本丸に攻め込む。私はリーダーシップというのは、一人の政治家が、一人でやれるもんではない。400人の国会議員、2500人の自治体議員、35万人の民主党党員・サポーター、そして何と言っても、1億2000万人のみなさま方国民、そのチームプレーでなければ、日本は変えることはできない。その先頭に立たせていただきたい」(NHK記事動画から)
消費税発言が災いして参議院選挙を大敗すると、たちまち消費税発言を自ら封じてしまう、羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くような政治家に、リーダーとは名ばかり、「大改革の本丸に攻め込む」ことなどできようがない。
それにしても「大改革の本丸に攻め込む」とは言葉だけは勇ましいことを言う。
官僚主導から政治主導転換の中枢機関と位置づけた首相直属の「国家戦略室」を「局」に格上げして法的根拠を持たせる「政治主導確立法案」の国会上程を与野党逆転した参議院通過は覚束ないと早々に断念するような諦めの早い男、信念と執念を欠いた男、逆境に反撥も持って立ち向かう踏ん張りを知らない男に(私自身にはすべてないが、一国のリーダーは逆にすべてを備えていなければならないはずだ。)「攻め込む」といった猛々しいことは期待しようがなく、口先だけの言葉なのは目に見えている。
そのくせ8月24日の新人議員との意見交換会、実態は新人の囲い込みが目的の場に過ぎなかったが、「今までの古い体制や官僚の省益を優先する仕組みを壊す力が、自分にとって一番強いメッセージだ」と実際行動とは離れたことを平気で言う。
「おかしいところをおかしいと思って立ち向かう姿勢と、物事を作り替える上で必要になる壊すことに対しては、自分は相当力を持っている」と、相手が新人議員と見て、何も分からないだろうと甘く見たのか、実際行動で示すべきを言葉で勇ましく示す自己顕示にかけては誰にも負けないところを披露する。
上記街頭演説での再選後の党役員人事、内閣改造についての発言。
菅首相「挙党態勢というのは、それぞれの持ち味や能力、自分の得意な分野がある人たちが党の内外から集まっているので、適材適所で、みんながその力を発揮できるような体制を作る」
だが、鳩山辞任の後の代表選で当選すると、挙党態勢に反する「脱小沢」を演じた前科を抱えているのだから、挙党態勢云々は“オオカミ少年”の「オオカミが来た」の可能性が高い。
「ねじれ国会」への対応。
菅首相「採決をすれば、すべてが進むわけではない。与野党でしっかりと話をして、その中で『よし、わかった、ここまではいっしょにやろう、しかしこの部分は自分たちの言うことも聞いてくれ』そういう熟議の民主主義こそが、しっかり議論する民主主義こそが、私は本物のリーダーシップを生み出す条件だと考えている」・・・・
「リーダーシップ」とはリーダーが自分が信じた政策を、失敗したら責任を取る覚悟で貫き通そうとする姿勢にこそ生み出される。勿論、他の協力を得る必要上、「一人の政治家が、一人でやれるもんではない」が、それは政策の構築や法案化と国会通過に関してであり、政策理念の維持や政策の方向性指示は偏にリーダー一人の信念と責任意識にかかっていて、そのような全体像を取りつつ、リーダーが自らの責任に於いて政策を法律の形に持っていき、国民生活向上の一制度として社会全般に反映させる務めを負うはずであり、そういった実現過程の全体に亘る指揮を以ってリーダーシップと言うはずである。
それを「リーダーシップというのは、一人の政治家が、一人でやれるもんではない」とリーダー自身にかかっている意志・能力の所在を他の政治家にも拡散させようとするのは自身のリーダーシップ欠如を誤魔化す詭弁でしかないだろう。
このことは参院選前は消費税増税を主体とした税制改革による税収を財源とした「強い財政・強い経済・強い社会保障」、特に消費税増税の税収を社会保障分野に投入して、それを強い財政と強い経済の実現に結び付けていくと訴えていた、自らが信じていたであろう政策を参院選大敗を境に貫くとは反対の後退を演じた上、参院選大敗の責任も取らなかったことの変節がリーダーとしての菅首相一人の意志にかかっていた決定であることが何よりも証明している。
これが他の政治家の指示による決定であったとしたなら、菅首相のリーダーとしてのリーダーシップになおさら疑問符がつくことになる。
「熟議の民主主義」と言えば聞こえはいいが、話し合いで、「よし、わかった、ここまではいっしょにやろう、しかしこの部分は自分たちの言うことも聞いてくれ」といった、実質は妥協を実態とした取引からはリーダーシップは決して生れない。
そうでなければ、国家のリーダーであることの意味を失う。単なる纏め役ではないからだ。「熟議の民主主義」を体裁のいい口実に纏め役を自任していながら、「いよいよこれから、本格的な日本の大改革の本丸に攻め込む」と矛盾したことを言って、何ら恥じない。
「攻め込む」ことと「よし、わかった、ここまではいっしょにやろう、しかしこの部分は自分たちの言うことも聞いてくれ」とは異質の行為だからだ。
菅首相からしたら、「攻め込む」のは官僚に対してであり、「熟議」は野党に対してであると使い分けるだろうが、どのような場合でも「攻め込む」意志を確固たる最大公約数とした姿勢を維持していなかったなら、官僚に対しても、「よし、わかった、ここまではいっしょにやろう、しかしこの部分は自分たちの言うことも聞いてくれ」と取引による妥協を演じることになる。
小沢候補と菅候補の政治姿勢の主たる違いは一時的に財政再建を無視して景気回復のために財政出動する、一方は財政再建を重視するの違いと、同じ民主党に所属し、2009年民主党衆院選マニフェストに掲げた同じ政策にほぼ則っているが、その実現の手法の違いぐらいであろう。
だが、議員票でほぼ拮抗する現在の状況から見たら、誰が首相になったとしても、なれなかった側は一大勢力として残る。政策の調整を話合う場面が否応もなしに生じる可能性を考えなければならない。
当然、政策の決定、実行は首相と決定した一国のリーダーが自らの信念を如何に守り通し、維持するかの確固たるリーダーシップにかかってくる。勢力として残った側との話し合いで妥協した政策を取り、参議院を通過させるために野党と妥協して、さらに自身の最初の信念を曲げる、あるいは後退させるようでは自らの理念、政策を掲げて一国のリーダーとなった意味を失う。
話し合いを強いられる状況下に於いては何よりも指導力、リーダーシップが問われることになる。そうである以上、政策実現の手法の違いを問うことも然ることながら、何よりも指導力、リーダーシップの有無を争点に代表選は戦われて然るべきだと思うが、菅首相の場合、リーダシップに関しては言い逃れ、詭弁で誤魔化してばかりいる。
二つの世論調査とは社会的正当性を得ていて、市民権を獲得している新聞やテレビの世論調査。もう一つは社会的正当性も市民権も今一歩世間から与えられていないインタネットの世論調査。
《民主代表選 ネットで人気逆転の謎 政治好きは小沢氏好き?》(MSN産経/2010年9月10日 08:00)
「新聞・テレビ」世論調査」
MSN産経・FNN
菅首相 ――60%
小沢前幹事長 ――16%
朝日新聞
菅首相 ――65%
小沢前幹事長 ――17%
日本テレビ
菅首相 ――72%
小沢前幹事長 ――16%
「ウエブサイト」世論調査」
YAHOO!JAPAN
菅首相 ――28%
小沢前幹事長 ――59%
Infoseek
菅首相 ―― 6%
小沢前幹事長 ――93%
ニコニコ動画
菅首相 ――21%
小沢前幹事長 ――78%
「YAHOO!JAPAN」「ネットの投票者は自らID(本人証明)を登録して政治コーナーに入り支持候補を選択する。政治に積極的にかかわりたい人たちの声だ」
記事解説。〈特に小沢氏が出演した番組では、熱心な小沢氏のファンが視聴、投票した可能性がある。
一方、新聞・テレビの世論調査は、電話や面接調査の対象を無作為・広範囲に選んで、回答に政治的傾向が出ないようにしており、こうした違いも背景にありそうだ。〉――
各新聞・テレビの世論調査に於ける菅支持理由は、その殆んどが菅首相自体に指導力がない、政策に期待が持てないと、その政治能力を否定していながら、1年に何人も首相が交代すべきではないという、消極的選択というよりも、常識論に則った選択を理由としている。
例えば、一度結婚したなら、一生添い遂げるべきだを常識としているように。
これだと一生添い遂げることが目的となって、日々の結婚の内容、それぞれの在り様(ありよう)を犠牲にしなければならなくなる。少なくとも問題にしてはならないことになる。一生の添い遂げはあくまでも結果であって、結果を目的とする履き違えを犯すことになる。
首相の交代に関して言うと、1年に何人も首相が交代するしない云々はあくまでも能力の結果としなければならないはずだが、1年に何人も首相が交代させてはならないが目的となって、結果を目的とする履き違えが行われることになる。
いわば首相自身の能力とは無関係に1年に何人も首相が交代すべきではないを常識としているということであり、それを常識としている人たちに支持され、そういった人たちが圧倒的多数を占めているということであろう。
常識に則るということは無難の選択を意味する。安全策を選んでいる言うこともできる。
だが、共同通信社が9月9日、10日に実施した民主党代表選全国電話世論調査によると、その差が少し僅かだが、縮まっている。
《菅氏67%、小沢氏22% 民主代表選で世論調査》(共同通信/2010年9月11日16:44)
代表になってほしい候補者(前回調査 8月末)
菅首相 ――67.3%(前回調査 -2.6ポイント)
小沢前代表 ――22.8%(前回調査 +7.2ポイント)
極々少数の人が無難、安全策から抜け出て、冒険する気になったようだ。実現の見込みのない冒険だが。
民主党代表選は菅首相の勝利で終わる形勢であるかのように報じるマスコミも現れた。勝利したら、機会あるごとに「普通のサラリーマンの息子」だと誇っていた自らの出自を再び誇ることになるのだろうか。
このこと自体が既に菅首相が結果責任意識を欠如させていることの何よりの証明となる。大金持ちの息子だろうが、ホームレスの息子だろうが、愛人・妾の類の息子だろうが、あるいはハーフの息子だろうが、帰化外国人の息子だろうが、政治家として何を成したかの結果が何よりも重要であって、その事実を欠いたなら、大金持ちの息子だろうが、ホームレスの息子だろうが、愛人・妾の類の息子だろうが、あるいはハーフの息子だろうが、帰化外国人の息子だろうが、出自自体への誇りは意味を成さなくなる。
もし菅首相が結果責任意識を常に頭に置いている政治家であったなら、「普通のサラリーマンの息子」であることが指導力、リーダーシップと呼び習わされている政治家に欠かせない必須能力を根拠づける資質とは無関係であることに気づいていたろう。指導力、リーダーシップは父親の身分や職業、学歴、さらに自身の学歴等の出身、あるいは出自に関係なく、その人自身に備わる能力であり、備えなければならない能力だからだ。
また指導力、リーダーシップが結果を保証し、結果責任をもたらす。
菅首相が指導力、リーダーシップを欠いていると言うことなら、結果も結果責任も期待しようがなくなる。
《【民主党代表選】旧民社「首相支持」決定、所属各議員は拘束せず》(MSN産経/2010.9.10 19:15)
民主党の旧民社党系グループ(約30人)が10日、国会内で会合を開き、代表選対応について菅首相を支持するが、一人一人の考えは拘束しないことを決めたと書いている。
民社協会会長として同グループを束ねているのは田中慶秋衆院議員だそうだ。代表選でもなければ、記者に囲まれると言ったことは滅多にないのではないのか。
田中慶秋「(菅政権成立後)約3カ月しかたっていないのに、なぜ首相を代えなければいけないのかという国民の声が多く聞かれた」
誰もが「政治は結果責任」と言う。「約3カ月」では「政治は結果責任」の「結果」は出せないと言うだろうが、「結果」は指導力、リーダーシップによって導かれる。「普通のサラリーマンの息子」であることが導くわけではない。
いわば田中慶秋は「政治家結果責任」の重要な保証要素である指導力、リーダーシップの有無を基準に支持を決めるべきを、首相の在任期間の短さを基準として支持を決めた。田中慶秋自体が結果責任意識が希薄だからだろう。
結果責任意識に立っていたなら、否応もなしに指導力、リーダーシップを問わなければならなくなる。
田中慶秋が旧民社党グループの一員として結果責任意識が希薄であることを証明する記事がある。
《代表選どっちにつこう? 民主党、分裂模様のグループも》(asahi.com/2010年9月7日5時1分)
〈民主党代表選で菅直人首相と小沢一郎前幹事長のどちらを支持するかをめぐり、各グループの結束が揺らいでいる。旧民社党系、旧社会党系は態度を決められず、小沢氏支持を決めた鳩山由紀夫前首相のグループの足並みも乱れる。どちらが勝ってもしこりが残ることは避けられそうにない。〉と冒頭部分。
旧民社党系議員が中心の「民社協会」(旧民社党グループ)の6日の国会内での理事会。
古本伸一郎財務政務官――首相支持
三井辨雄国会対策委員長代理――小沢支持
田中慶秋「基本政策について(候補者)両方から返事が来ているが、満足できるものはない」
だが、菅支持に動いたことは「MSN産経」が伝えている。
記事は解説している。〈態度表明がいつも遅く「勝ち馬に乗る」と揶揄(やゆ)される同グループだが、3日には所属の直嶋正行経済産業相が「内閣の一員として成長戦略を実行するのが私の役割」と首相支持を表明し、「首相支持の流れが強まっている」(ベテラン)との見方も。だが、今回は勝敗が見極めにくいうえ、所属議員の支持も股裂き状態で「対応は決められないだろう」(中堅)との声もある。〉
記事の解説どおりだとすると、「勝ち馬に乗る」を基準とした態度決定だから、勝敗が見極めにくいとなると、誰が「勝ち馬」かそれぞれの判断が分かれて、当然所属議員の支持が股裂き状態となる。
「勝ち馬に乗る」以外の基準、指導力、リーダーシップや結果責任を一切基準としていないこと自体が田中慶秋を含めた旧民社党グループが結果責任意識が希薄であることの何よりの証明となる。
菅首相が1996年当時、自民党橋本内閣で厚生大臣を務めて薬害エイズ問題に見るべき成果を挙げ、結果責任を果たしたのは事実である。だが、様々な場面でそのことを誇ることも、結果責任意識の希薄からきていると言える。
求められているのは首相として成すべき結果であり、このことに関する結果責任であって、内閣に於ける一大臣としての過去に見た結果ではない。立場も能力発揮の対象・範囲も時代状況も異なる。
このことを自覚していたなら、結果責任を求めて常に目を前へ向けることとなり、過去の経験が役立つことはあっても、立場も能力発揮の対象・範囲も時代状況も異なるために結果責任をもたらす保証となるとは限らないのだから、過去の成果を成果とすることはなかったに違いない。
菅首相自身が結果責任意識が希薄であるということだけではなく、首相が1年に何人も代わることは好ましくないと把える国会議員やジャーナリスト、さらに国民世論にしても、結果責任に疎いからこその首相頻繁交代”アレルギーということではないだろうか。