細野原発事故担当相の原子炉40年原則廃炉、例外60年延長運転の胡散臭さ

2012-01-20 11:34:40 | Weblog

 1月6日(2012年)の細野原発事故担当相の記者会見。東電福島第一原発事故を受けて見直しを進めてきた国の原子力安全規制について新たな方針を示した。《原発の運転期間 法律で40年に》(jNHK NEWS WEB/2011年1月6日 18時15分)
 
●法律に規定のなかった原発の運転期間
 を40年に制限。
●例外として延長する場合は施設の老朽
 化の評価や安全確保ができる技術的能
 力があるかを審査する制度を新たに法
 律に盛り込む。
●地震や津波などに対する新たな知識や技術を取り入れた安全基準を国が設ける。
●運転中の原発が上記安全基準を満たすよう法律で義務づける。

 このような新たな方針は福島第一原発事故が津波や過酷事故への対策が不十分で、電力会社の自主的な取り組みでは限界があると指摘を受けた措置だとしている。

 要するに民間企業は信用できないから、国が厳格に規制するということなのだろう。

 政府は新たな安全規制を盛り込んだ法律の改正案を今月中にも国会に提出し、ことし4月の原子力安全庁の発足に向けて法律を改正することにしているという。

 細野原発事故担当相「40年が経過したら基本的には廃炉にする。したがって、それ以上の運転は極めて厳しい状況になる。原発の安全対策については電力会社任せにせず、最新の知識や技術を取り入れた対策を電力会社に義務づけることでたゆまぬ努力を義務化する」

 40年を超える「運転は極めて厳しい状況になる」としつつも、原発の運転期間40年はあくまでも「基本的」な制限であって、いわば40年をベースとして、40年を超える運転が認められないわけではないと、例外規定を設けるという既定事実に添った、前後の脈略に矛盾のある発言となっている。

 この矛盾は例外をさも少ないように見せかける必要上、「運転は極めて厳しい状況になる」と付け加えざるを得なかったために生じることになった矛盾ではないだろうか。

 何とも胡散臭い感じがしないでもない。

 民間企業は信用できないから厳格に規制する方針を示しながら、国の規制は必ずしも厳格でないというのは矛盾するが、それ以上の矛盾点は「地震や津波などに対する新たな知識や技術を取り入れた安全基準を国が設ける」としている以上、現在定期検査運転停止中の関西電力大飯原発3、4号機の「安全評価」1次評価結果(ストレステスト結果)は新たに国が設けた安全基準に則って評価するのが当然の措置のはずだが、経済産業省原子力安全・保安院がそういった措置は取らずに1月18日に「妥当」とする審査書案を纏めたのは矛盾も矛盾、最大の矛盾点ではないだろうか。

 細野原発事故担当の1月6日の記者会見から11日経過した1月17日内閣官房原子力安全規制組織等改革準備室が早くも原子炉の運転制限40年の例外延長は1回限度、期間は最長でも20年の考えを明らかした。《原発“例外延長 最長20年”》NHK NEWS WEB/2011年1月17日 21時52分)

 細野原発事故担当相は運転制限を40年とし、と同時に例外規定を言いながら、何年の延長かは示さなかった。細野一人で決めることではなく、内閣の関係者一同で決めたことだろうから、一度出しだと反響が大きくなるからと、ワンクッション置いて二度出しにした疑いが濃い。

 工藤和彦九州大特任教授「原発の運転制限を40年と決めた根拠がそもそもよく分からないなかで、最長20年延長できるという考え方には疑問を感じる。どのような議論を経て決めたのか、その科学的根拠を明確にすべきで、老朽化した原発の運転のどこに問題があり、どう改善すべきなのかを詳しく検証したうえで制限を決めるべきだ」

 発言を翻訳すると、期限の決め方に胡散臭いものがあるということだろう。
 
 原子力安全規制組織等改革準備室「世界的に見ても運転の延長を認めるのは最長で20年が妥当で、厳しい基準を設けてハードルを高くするうえ、安全の観点からのみ厳格に判断する」

 「厳しい基準を設けてハードルを高くするうえ、安全の観点からのみ厳格に判断する」ことに40年+20年例外延長の正当性を置いている。

 原子力安全規制組織等改革準備室の20年延長公表翌日の1月18日、訪米中の細野原発事故担当相が訪問先のワシントンで発言している。

 《細野原発相「40年で廃炉の原則、変わりない」》asahi.com/2012年1月19日13時25分)

 細野原発事故担当相「40年で廃炉という原則に変わりない。それぞれの原発で状況は異なり、個別に確認をしたうえで、例外を排除する必要はないという考えだ。(既存の原発にも安全性に対する新たな知識を盛り込んだ新基準への適合を義務づける「バックフィット」制度の導入を挙げて)40年を超える原発の稼働にとって極めて高いハードルになるという状況に変わりない」

 いくら「バックフィット制度」を導入したとしても、40年超えの原発運転は「極めて高いハードルになる」というだけのことで、皆無ではないことになる。

 皆無なら、例外規定を設ける必要はない。

 「バックフィット制度」とは最初のNHK NEWS WEB記事が取り上げていた、国が設けるとしていた「地震や津波などに対する新たな知識や技術を取り入れた安全基準」を既存原発にも適用して、「運転中の原発が上記安全基準を満たすよう法律で義務づける」ということなのだろう。

 だとしたら、なおさらに定期検査の原子炉に対するストレステストは新たな安全基準で行うべきだが、この点からして矛盾した、何とも胡散臭い政府の対策となっている。

 原発に対してより厳しくは当然の措置のはずだが、より厳しくは細野原発事故担当相の言葉の中だけにとどまっていて、実際行動が伴っていない。

 このことを以って胡散臭くないと言えるだろうか。

 細野が訪米中の留守の間に原子力安全規制組織等改革準備室が例外は20年一回限度と公表したことについて。

 細野原発事故担当相「私の知らないところで何かが決まることはない。伝え方も含め、不十分なところがあれば、私の責任。原発の規制のあり方に国民の関心が集まっているので、改めて丁寧に説明していきたい」

 事務方が例外は20年一回限度だと事務的・機械的に公表する。細野がそれに対して、「極めて厳しい状況になる」だ、「極めて高いハードル」だとブレーキをかける。連携プレーではないと一概には否定できまい。

 大体が延長の例外を設けることを決めた時点で、延長がどの程度の年数かを決めないまま細野が記者会見で発言すること自体がおかしい。細野訪米中を狙った連携プレーだと勘ぐられても仕方はあるまい。

 そもそもからして例外延長期間を最初から「最長でも20年」とすることは、場合によっては40年+20年の可能性を前提としていることになる。

 その可能性を前提としていなければ、「最長でも20年」は出てこない。

 JNES(独立行政法人 原子力安全基盤機構)のサイトに次のような記述がある

 〈定期事業者検査

 電気事業法第55条の規定にもとづき、事業者(電力会社)は原子力発電所の運転を停止して、原子炉本体およびその附属設備は約1年ごとに、タービン設備などは約2年ごとに検査を実施すると同時に、記録保存・報告することが義務づけられています。 主な検査としては、ポンプ、弁などの分解検査、圧力バウンダリーなどの供用期間中検査、格納容器や主蒸気隔離弁などの漏えい率検査、計装機器の特性試験などがあります。〉・・・・・

 原子炉本体およびその附属設備は約1年ごとの検査を受けることを法律で義務付けられている。

 そこへ持ってきて、より厳しい新しい安全基準を国は法律で設けて、既存原発にも適用する。

 当然、1年ごとの検査がより厳しくなることが予想される。にも関わらず、運転期間を法律で40年に制限すると言いながら、延長の例外を認めて、その期間を「最長でも」と断りながら、運転制限の40年の半分に相当する20年に一気に持っていくこと自体が胡散臭いではないか。

 「40年で廃炉という原則」とは原子炉は一般的には40年で寿命がくるということである。少なくとも安全性の点で40年を寿命と看做すべきだということであろう。

 80歳の高齢者にまだどうにか車の運転はできるが、万が一の安全を考えて免許証の返還を決めさせるということに喩えることができる。

 それをまだ運転はできる、80歳の半分の40年は無理にしても、4分の一のあと20年は大丈夫だと運転を許容するようなものではないのか。

 40年が寿命でありながら、寿命を超える耐久性を保持する原子炉は例外的に40年以上を認めるとしても、法律で40年の寿命で終わらせるところを寿命の半分の20年をさらに上乗せして、「最長でも60年」まで認めるとするのは、いくら例外だと言っても、耐久性の過大視に当たらないだろうか。

 40歳の人間に40歳の半分の20歳の体力を期待するのに似て、胡散臭さを通り越していかがわしい印象さえ受ける。

 また、40年の寿命の半分の20年の運転延長を最長でさらに認めるとするなら、40年の寿命とすることの根拠を逆に失うことになるはずだ。

 どう見ても運転年数を60年近く認めるための、胡散臭いばかりの「40年で廃炉という原則」に見えて仕方がない。

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民主党はバカばっかなのか、岡田副総理は今頃になって消費税増税使途の説明不足を言い出している

2012-01-19 10:57:58 | Weblog

 肩書が仰々しい、その仰々しさに活動が伴って仰々しさを打ち消すことができるのかどうかは未知数だが、岡田副総理兼社会保障と税の一体改革担当相が消費税に関して増税することは国民に伝わっているが、その使途について「政府の説明も必ずしも明確ではない」と1月17日(2012年)、記者会見で発言したという。

 《副総理 “増税分は子育てなどに”》NHK NEWS WEB/2011年1月17日 18時54分)

 岡田副総理「消費税率を引き上げることは国民に伝わっているが、段階的に5%引き上げる分で何をするのかは十分に理解されておらず、政府の説明も必ずしも明確ではない」

 今さら何を言っているのだろう。民主党はバカばっかなのだろうか。

 増税率5%と使途は切っても切れない深い関係にあって、使途は増税率の算出根拠となっているはずである。増税率を決めてから、使途を考えるわけではあるまい。

 口には出さないが腹の中で、国民からこれくらいふんだくっても大丈夫だと5%の増税を決め、合わせて10%だ、10%の税収があれば、これとこれに使うことができると、使途を後付けのものとしたわけではあるまい。

 当然、「何をするのか」の使途――何にどう使って社会を活性化する、あるいは社会を向上させるかは頭に持ってこなければならない説明であって、そのためには財政(と言うよりも正確に言うと、巨額赤字財政との兼ね合いで)これこれの増税が必要だと、このことを次の説明とし、そして後先の説明のそれぞれの正当性と両者の整合性ある関係性を国民の判断に委ねて理解を得る基とする手順を踏まなければならなかった。

 それを増税率は「国民に伝わっているが」、使途は「十分に理解されて」いないと逆の手順としているばかりか、常に政府の説明は明確でなければならないにも関わらず、当然、頭に持ってきて理解を“明確に”得ていなければならない説明の理解がまだだ、その理由が政府の説明が「必ずしも明確ではない」からだと、間が抜けたことを間が抜けたことと知らずに真面目臭って口にしている。

 バカ丸出しではないか。

 要するに満足に説明責任を果たしてこなかった。そのことに今更ながらに気づいた。説明責任を果たすことができない野田内閣は失格内閣である。

 読売新聞の世論調査では、野田首相が自らの政策や考えを国民に十分に説明していると思わない国民が昨年11月調査から3か月連続で8割を超えて、「説明不足だ」としていることも頷くことができる岡田副総理の説明手順を間違えたトンチンカンな発言であり、使途と増税率のそれぞれの正当性と両者の整合性ある関係性が政府の説明責任不履行のために理解されていないにも関わらず、増税時期だけはしっかりと決めたトンチンカンな政策決定だと言わざるを得ない。

 また、使途と増税率のそれぞれの正当性と両者の整合性ある関係性を説明するにしても、大多数の国民の生活が成り立つことを前提とした増税となっていなければならないはずだ。

 当たり前のことを言うが、生活が成り立つ前提がなければ、消費税増税に対する国民の拒絶反応は払拭できない。いくら政府の側が「増税には痛みが伴う」と口を酸っぱくして言っても、生活が成り立たない痛みまで引き受ける国民はいまい。

 「人間はパンのみにて生きるにあらず」と言うが、パンあってこその精神的生活である。一般的に精神的生活はパンの量に比例する。

 いわばパンが基本となる。パンの保障こそが、国民の生活が成り立つ前提――生活の保障となる。

 各マスコミの世論調査では消費税増税に半数を超えた国民が反対を示し、半数を下回る国民が賛成を示している。中には民主党に反対だから、消費税増税に反対するという国民もいるだろうが、人間が生活の生きものである以上、生活が成り立つか成り立たないかを前提とした増税判断となり、このことは世論調査の賛否にほぼ重なっているはずである。

 ということは、特に中低所得層、そして小零細企業が増税されても生活の保障を前提とした使途と増税率のそれぞれの正当性と両者の整合性ある関係性の納得のいく説明と国民の理解が必要となる。

 こういったプロセスを踏まないことには岡田副総理が説明が十分でない政策として子育て支援を挙げ、次のように発言したというが、意味を成さないことになる。

 岡田副総理「働きながら子育てをする態勢の準備ができていないという議論に、さらにドライブをかけて取り組むことを子育て世代に伝わるようにしなければいけない」

 非正規雇用ゆえに所得が不安定で少なく、結婚出来ない、子育てに無縁の場所に立たされている20代、30代の若者がゴマンといる。当然、雇用の点でも、給与の点でも、消費税増税の点でも、生活保障の前提は欠かせないことになるが、岡田副総理にはその視点がないようだ。

 消費税増税反対派の「この不景気に消費税増税は自殺行為だ」という警告は生活の保障を第一番の前提としているからこその発言であろう。

 いわば生活の保障を欠かすことのできない前提に置いているということを意味する。

 この前提に関して閣議決定した素案では、〈所得の少ない家計ほど、食料品向けを含めた消費支出の割合が高いために、消費税負担率も高くなるという、いわゆる逆進性の問題も踏まえ、2015 年度以降の番号制度の本格稼動・定着後の実施を念頭に、関連する社会保障制度の見直しや所得控除の抜本的な整理とあわせ、総合合算制度や給付付き税額控除等、再分配に関する総合的な施策を導入する。〉としているのみで、確定した前提となっているわけではない。

 確定していないのに、大多数の国民の生活を保障することを前提とした増税だと、どう説明ができるのだろうか。

 また、低所得層の逆進性対策としての給付付き税額控除はバラ撒きだと多くの識者が指摘し、反対している。バラ撒きは歳出のムダを生む。回りまわって特に中小所得層に生活上の打撃を与えることになる新たな増税となる。

 ただでさえ、多くの国民が生活に不安を抱えているのである。バラ撒きとはならないと国民に十分に納得させる説明こそが国民の生活が成り立つことを前提とした増税ということになるが、懇切丁寧なその説明もない。 

 安住財務相を含めた政務3役が今週末から各地を回って一体改革の狙い、使途について理解を求めるという。《財務省 一体改革を地方で説明へ》NHK NEWS WEB/2011年1月18日 4時0分)

 1月17日記者会見。

 安住財務相「5%の引き上げ分を具体的にどう使うのか、分かりやすい説明をする必要がある。私自身もこれから日本全国津々浦々に伺って、国民の皆さんと精力的な話し合いをしたい」

 何に使うかだけでは言葉だけの説明で終わるに違いない。パンを約束する説明――生活の保障を前提とした増税だと請合うことのできる説明を欠いていたなら、心からの理解、心からの賛意を得ることはできないだろう。

 また政治が国民の生命・財産を守るとしている以上、増税にかぎらず、大多数の国民の生活を保障することを前提とした政治、生活の保障を前提とした政治でなければならないことは断るまでもない。

 こういった姿勢が見えてこないのはやはり民主党はバカばっかだからなのだろうか。

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“演説の人”野田首相の民主党大会挨拶/消費税増税、思い上がった不遜な心得違い

2012-01-17 13:49:39 | Weblog



 昨日1月16日、民主党大会が開催、野田首相が挨拶に立ち、消費税増税を柱とする社会保障と税の一体改革の推進に不退転の決意を示したというが、ニュースを見ると、相変わらず国民への説明責任を欠いているばかりか、その他心得違いだらけの挨拶となっている。



 先ず挨拶全文を「日テレNEWS24ノーカット工房」動画から文字化。
 

 野田首相「民主党の2012年度定期大会開催に当たりまして、先ずは冒頭、先程お言葉をいただきましたご来賓のみなさま、そして全国からご参集いただきました。えー、同士のみな様、本日は本当のありがとうございます。

 また、とりわけ、岩手県連、宮城県連、福島県連、日々復興に向けて、この取組み、お忙しい中を、ご参加を頂いたこと、心から敬意を表すると共に、感謝を申し上げたいというふうに思います。

 ここに集う民主党同士のみなさん、そして全国の国民のみなさん。この大会を通して、大震災復興と原発事故の闘いに勝ち抜く決意を、高め合いたいと思います。

 政府は被災地の復興と福島の再生に全力を上げます。そしてこの困難な事業を成し遂げることによって、日本全体の再生を実現させます。

 災害があったから、二度と立ち上がれない、そんな日本を認めては、ネバー、ネバー、ネバー、ネバー、ギプアップ、いけません。

 それを政府と国民全体で支えていくことを新年の決意としたいと思います。そして本日はこの困難を乗り超える闘いに力強い仲間、友人のみなさんがご参加をいただきました。

 先程、常に苦しい闘いに共に挑んでいただいている、連立与党国民新党の、亀井静香代表から、大変力の篭った、連帯の言葉をいただきました。郵政改革、派遣法改正など、多くの政策課題でご協力いただいている社会民主党の福島瑞穂党首にも、叱咤激励をいただきました。

 経済界を代表して、今日大変お忙しい日程を調整して、経団連の米倉弘昌会長からご出席をいただき、温かいお言葉をいただきました。

 また、結党以来、苦しいときも困難なときもお支えいただいている連合代表として、古賀伸明会長から心の篭ったご提起をいただきました。本当に有り難うございす。

 また、新党大地・真民主党の鈴木宗男代表、新党日本の田中康夫代表には、ご多忙の中、ご臨席をいただきました。心から感謝を申し上げます。

 毎日、政権与党をお支えいただいている多くの経済団体、労働団体、市民団体から本大会に、ご来場を賜っております。連合からは古賀会長だけではなく、幹部のみな様、産別のみな様がご参加を頂いております。

 改めて党代表として心から御礼を申し上げます。

 ちょっと今日は視界不良なので(右目に眼帯)、ご紹介漏れがあったら困りますが(笑いながら)、ご紹介できたのではないかと思います。

 え、さて、今年1年、民主党野田政権にとりまして、そして日本にとって、正念場の年となります。冒頭申し上げたとおり、大震災からの本格的な復興、原発事故との闘いに打ち勝ち、福島の再生を確かなものとしていかなければなりません。

 その際、政権交代直後の鳩山元総理が、衆参本会議の壇上に於いて、命を守りたい、命を守りたい、と絶叫されたことが、今なお鮮烈に残っています。この言葉の重みを重く噛みしめたいと思います。

 そして人間の不幸の原因である災難や疾病や、犯罪や、放射能、一つ一つ取り除いて、最小不幸社会をつくろうということを訴えた菅前総理の理想も、今こそまさに輝きを増していると思います。

 こうしたお二人の、先輩総理の掲げた理念をしっかりと継承しながら、震災復興と原発事故との闘いに挑んでまいりたいと思います。

 同時に経済の再生に全力で取り組んでまいります。年末からヨーロッパでは不気味な風が吹いております。対岸の火事ではありません。風と災いは日本列島にも、届きかねません。雇用を守り、雇用を取り戻す。雇用を創り出していく。

 我が国の経済に活力を取り戻すために新しい成長を築いていく知恵を出していかなくてはなりません。農林漁業の再生を通して地域の立て直しを果たしていかなければなりません。

 経済の立て直しと雇用の確保こそ、大震災からの復興を初め、日本再生の第一歩となる。その決意で臨みます。

 この仕事はたゆまぬ努力と確固たる信念がなくては達成できません。遣り抜く決意があるのか、誰がリードしていくのかそれは政権与党民主党が、ここに集う皆さんと一所に遣り抜くしかありません。

 本年の党大会は全国から集まり、単年度、1年間の活動方針を確認して地域に帰るだけでは事足りません。我々の不退転の決意、情報を確かめ合い、例え何年かかろうと、難しい困難を乗り越えていく、今年を、日本再生元年とすることを、それぞれの心に刻む大会にいたしましょう。

 政権交代から2年半が過ぎました。リーマン・ショックの困難な経済状況、参議院選挙の与党敗北、衆参国会のねじれ現象、国益と思惑が交錯する国際環境。厳しい毎日の積み重ねであります。

 民主党が掲げたマニフェストもイバラの道を歩みます。昨年の夏、マニフェストの中間検証が纏められました。率直な中間総括であったと思います。私たちは野党の時代にあって、情報や資料を十分に把握できていなかった面があります。また、政権交代後の経済財政状況もマニフェストの前に立ちはだかりました。

 但し、私は野党が反対だから、マニフェストが実現していない部分があるとは申しません。参議院選挙の結果も、これも国民の審判であるからです。 

 これらのことを踏まえて、反省をすべきは反省をし、お詫びをすべきはお詫びをし、しかし、この反省と教訓を、国民のために役立てなければいけないと思います。

 出直しをして解散しろと言う野党に対してはやるべきことをやって、遣り抜いて民意を問うことを、はっきりと宣言をしたいと思います。

 マニフェストは状況の変化、現在の到達点を踏まえ、政策選択と優先順位を踏まえ、今後も出来る限り実現を目指していかなければなりません。

 但し、できないことも出てくるかもしれません。できないことはなぜできなかったのか、率直に国民のみなさんに説明していく勇気を持たなければいけないと思います。

 私たちは国民の付託を受け、政権を担当しております。そして大震災、原発事故、国際的な金融危機は待ったなしであります。勇気を持って国民に対する責任を、果たさなければなりません。

 私たち民主党はもう一度政権交代の原点に立ち、残る任期、率直に反省すべきは反省し、日本と国民のために全力を尽くしていかなければなりません。

 これは民主党のためでも、議員の生き残りのためでもなく、政権交代という、日本の民主主義の到達点を、国民の勇気ある選択を、擁護し、発展させるために必要なことだと思います。

 野党は解散、総選挙を実施せよといいます。しかし新しい、政治に新しい地平を、切り拓かない限り、不毛な政治、先送りと積み残しの政治が、繰返されるだけであります。

 私は経済連携の推進、日米合意に基づく、普天間基地の移設という、これからの民主党政権が政策を継承し、社会保障と税の一体改革という、あまり人気のない政策の実行を訴えております。

 しかし、これらの政策を遣り切ることなくして、日本と国民の将来はないと確信しております。

 与党も野党もありません。政治全体の責任が問われているとき、与党だ、野党だという言い訳は通じません。

 私たちは誰もが自分の子供は可愛い。孫が愛おしい。しかし子供たちが孫たちが置かれている状況はどうか。そして将来に責任を持てるでしょうか。

 子供たちは安定した職業に就き、十分な所得を得て、そして将来に亘って社会保障が子供たちの老後を支えてくれるんでしょうか。孫たちは健やかに育ち、生き甲斐のある職業に就き、平和を享受し、患ったときには手厚い医療を受けることができるでしょうか。

 国民の生活が第一であります。これは現在生きるすべての世代、子供たちからお年寄りまで通じるものでなければなりません。

 そして孫たちが大人になり、歳を取った時にも、持続をしていかなければなりません。

 公平と公正を取り戻さなくてはなりません。年金も医療も介護も、子育ても、公正であるためには、不公正・不平等を正していかなければなりません。

 痛みは当然伴います。昭和30年代の、そして高度経済成長期も、その時代の既得権は、もはや通じません。官民の格差、正規と非正規の格差、世代の格差、男女の格差、貧富の格差は正されなくてはなりません。

 3丁目の夕日を国民の心の中に取り戻すことこそ、民主党が目指すべき道であります。勿論政治家が過去の感傷に浸り、既得権を享受していることは許されません。

 政治資金の規正は強化されなければなりません。自らが先ず痛みを受けなければなりません。議員の定数や待遇は自らを律する実践をしなければならないと思います。

 みな様、これが民主党の原点ではないでしょうか。新しい政治文化を築く、政治家自らが意識改革を実践する。自らの議席を心配するよりも、国民生活を心配し、日本の将来に責任を持つ。これこそ民主党政治の原点であり、政権交代の原点ではないでしょうか。

 自殺者が3万人を超える社会は正さなくてはなりません。居場所と出番を保証する、チルドレンファーストを推進する。そして教育と雇用を育てる。分厚い中間層を復活させる。これこそ民主党らしさではないでしょうか。

 私は昨年の代表選挙の結果を踏まえ、ノーサイドと申し上げました。この気持は変わりはありません。それぞれの考え、色々な立場があります。だけども、みんなが力を合わせて、心を合わせて、政権交代をしてよかったと、思える実績を共にみなさんとつくっていきたいと思います。

 不毛な政局談義はやめ、大局に立って、身を捨てて、国民に奉仕をする。これが我が民主党にとっては一番、求められていることだと思います。

 今崖っぷちに立っているのは民主党ではありません。日本と国民であります。

 まもなく通常国会が始まります。私は各政党に政策協議に応じていただくよう、心からお願いをしてまいります。もう社民党は協議に応じるとお話がありました。まだちょっと渋っているところがあるんです。是非、あの、米倉会長、来週自民党の大会にも出られるそうですが、是非、お口添えの方をよろしくお願いをしたいと思います。

 民主党一人一人の、議員のみなさまに於かれましては、それぞれの御党のみなさんにお声掛けをいただいて、協議と建設的な議論を呼びかけていただいきますようお願いしたいというふうに思います。

 そして議論を国民のみな様に聞いていただきましょう。どちらが正しいのかという小さなことは言いません。今何を為すべきか、今、なぜこの政策が必要か、議会でも、街頭演説でも、訴えていこうではありませんか。

 参議院では少数だから、法案が通らないのではなく、野党のみなさんにどうしてもご理解をいただけない場合は、法案を参議院に送って、野党にもう一度、この法案を潰したら、どうなるかということを、よく考えていただく手法も、ときには採用していこうではありませんか。(わずかに拍手)

 展望は自ら切り拓く。勇気を持って不退転の覚悟を示していく。是非国会でも、地域でも、民主党の原点を、貫きましょう。

 先週、内閣の改造を実施しました。合わせて党役員人事も実施させていただきます。今、次は大震災復興の陣容が整います。

 野田内閣の使命は不変です。大震災からの復興、原発事故との闘いに勝つこと。そして経済再生を成し遂げ、生まれてよかったと誇りと希望が持てる日本を築く。この目標は必ず達成させなければなりません。

 社会保障と税の一体改革は、国家公務員給与削減を含めた聖域なき行政改革、そして政治家自ら身を切る政治改革を実施した上で、必ずやり抜きます。

 私は代表選挙で表明したこと、約束したことを貫く決意であります。逃げてはならないときに逃げる、避けてはならないときに避ける、肝心なときにブレる。この道は絶対に取りません。

 同志にみなさん、そして友党のみなさん、国民のみなさん、是非ご一緒にこの改革を成し遂げ、明日の日本を切り拓いていきましょう。この沸々たる思いをみなさまにお伝えさせていただき、私の代表としてのご挨拶としていただきます。ありがとうございます」
 挨拶から受けた印象は野田首相は“演説の人”だということである。昭和61年の10月から4半世紀、街頭に立ち、駅立ちして演説を磨いただけのことはあると感心した。

 “演説の人”であることの証拠を挙げよう。「大震災復興と原発事故の闘いに勝ち抜く決意を高め合いたい」、「大震災からの本格的な復興、原発事故との闘いに打ち勝ち、福島の再生を確かなものとしていかなければなりません」、「震災復興と原発事故との闘いに挑んでまいりたい」等々、勇ましく高らかに宣言しているが、菅前内閣に始まって野田内閣が既に取掛っていて、何らかの成果を挙げていなければならない「大震災復興と原発事故の闘い」である。

 どういう対策・政策を進めてどういった成果を挙げているのか、今後どのような進捗スケジュールにあるのか、具体的な日程を挙げて説明すべきを、抽象的に決意・覚悟の言葉を並べているのみである。

 また、「崖っぷちに立っているのは民主党ではない。日本と国民だ」などという解説はいい。必要としていることは野田内閣の消費税増税案、社会保障改革案、あるいは経済財政政策が「崖っぷちに立っている」「日本と国民」のどのような救済策となり得るのかどうかの意を尽くした説明である。その説明責任を果たすことである。

 抽象的な決意・覚悟の並べ立ては経済政策を述べる件(くだり)でも、同じ構造を取っている。

 「日本全体の再生を実現させます」、「雇用を守り、雇用を取り戻す。雇用を創り出していく」、「我が国の経済に活力を取り戻すために新しい成長を築いていく知恵を出していかなくてはなりません。農林漁業の再生を通して地域の立て直しを果たしていかなければなりません」、「年金も医療も介護も、子育ても、公正であるためには、不公正・不平等を正していかなければなりません」、「官民の格差、正規と非正規の格差、世代の格差、男女の格差、貧富の格差は正されなくてはなりません」、「生まれてよかったと誇りと希望が持てる日本を築く。この目標は必ず達成させなければなりません」、「自殺者が3万人を超える社会は正さなくてはなりません」等々。

 すべて政治が取り組まなければならない課題であることは分かりきったことで、“演説の人”だからできるのだろう、分かりきった課題を改めて課題として取り上げただけで済ましている。

 各課題に具体的にどういった政策・対策で取り組んでいるのか、費用対効果の面も含めて成果を挙げているのか、挙げていないのか、いわばどういった結果を出しているのか、「政治は結果責任」の意識からの説明が一切ない、不備だらけの演説となっている。

 もっともらしい耳障りのいい、あるいは聞き映えのいい言葉を並べるだけの“演説の人”であり、「政治は結果責任」意識を欠いているから、演説に抜けたところが生じる。

 「私たちは誰もが自分の子供は可愛い。孫が愛おしい。しかし子供たちが孫たちが置かれている状況はどうか。そして将来に責任を持てるでしょうか。

 子供たちは安定した職業に就き、十分な所得を得て、そして将来に亘って社会保障が子供たちの老後を支えてくれるんでしょうか。孫たちは健やかに育ち、生き甲斐のある職業に就き、平和を享受し、患ったときには手厚い医療を受けることができるでしょうか。

 国民の生活が第一であります。これは現在生きるすべての世代、子供たちからお年寄りまで通じるものでなければなりません。

 そして孫たちが大人になり、歳を取った時にも、持続をしていかなければなりません」・・・・・

 「安定した職業」、「生き甲斐のある職業」、「十分な所得」、将来に亘った「社会保障」、「平和」が保証されるべき対象として子や孫を例として取り上げ、「国民の生活が第一であります。これは現在生きるすべての世代、子供たちからお年寄りまで通じるものでなければなりません」と総体的な問題としているが、先ず第一番に取り上げなければならない問題は貧しい親の子が貧しさを受け継ぐ格差の連鎖であろう。

 高額所得者は国の社会保障制度が少しぐらい不備があっても、極端なことを言うと、破綻したとしても、安定した生き甲斐のある職業が保障され、十分な所得が保証され、当然、日々の平和を享受する権利も保障されるからだ。

 いわば高額所得層は社会保障制度と離れた場所で裕福な生活を送ることも可能である。

 このことを逆説すると、貧困が解決されない限り、社会保障制度が少しぐらい整ったとしても、貧困層は満足のいく、人間らしい生活が保障されないことになるばかりか、その制度自体を脅かす存在として残ることになるのは福祉のみの社会保障給費が17兆円超、医療が31兆円近くといった、年々増大して膨大な額になっていることが証明している。

 いわば貧しい親の子が貧しさを受け継ぐ格差の連鎖を「政治は結果責任」の最優先の課題として解決を図る視点から、雇用も社会保障も取り上げなければならないはずだが、もっともらしい言葉を並べ立てる“演説の人”で済ませているから、単に子だ、孫だと言い、「現在生きるすべての世代、子供たちからお年寄りまで」だと、耳障りのいいことを述べるだけで終わらせている。

 最後に、消費税増税案に関して、「参議院では少数だから、法案が通らないのではなく、野党のみなさんにどうしてもご理解をいただけない場合は、法案を参議院に送って、野党にもう一度、この法案を潰したら、どうなるかということを、よく考えていただく手法も、ときには採用していこうではありませんか。(わずかに拍手)」 と声を強めて挑戦的に言っているが、思い上がった不遜な心得違いとしか言いようがない。

 「この法案を潰したら、どうなるか」を正当化するためには自らの消費税増税案が多くの国民に先ず正当性を持って受け入れられなければならないはずだ。

 一昨日のブログに次のように書いた。〈自らの消費税増税論議を正しいとするなら、全体的な国民の利益を前提としている以上、その正しさを国民に十分に説明して、国民の納得を得、それを支持率に変えることを第一番に持ってきて、その支持率を強力なバックアップとして野党や党内の反対派を説得することを基本的な戦術としなければならないはずだが〉云々と。

 いわば野党の理解よりも大多数の国民の理解を優先させなければならないはずだ。

 国民の理解を得たなら、野党は「この法案を潰したら、どうなるかということ」は考えるまでもなく悟ることになる。

 増税案の中身・全体像が確定したわけでもないのに先に税時期だけは2014年4月に8%、2015年10月に10%と早々(はやばや)と決めていること自体が十分な説明ができない状況にあることの証明でしかなく、このことが各マスコミの世論調査に現れている、賛成意見よりも反対意見が上回っている、理解が行き渡っていない実態ということであろう。

 優先させるべき国民に対する説明責任を果たしもせずに、また国民に対する説明責任を欠いていること自体が、社会保障制度に限らず、どんな政策も最終的に国民の利益につながることを目的としているはずだから、国民を蔑ろにしていることだが(そうでなければ、「国民の生活が第一」とならない)、そういったことは棚上げにして「野党にもう一度、この法案を潰したら、どうなるかということを、よく考えていただく手法も、ときには採用していこうではありませんか」などと偉そうなことを言う。

 思い上がった不遜な心違えとしか言いようがない。

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消費税増税の全体像が決定しない前の増税時期決定を安住出演の1月15日放送「新報道2001」で見る

2012-01-16 11:40:24 | Weblog

 1月15日(2012年)フジテレビ放送「新報道2001」で、消費税増税の低所得対策を論じていた。出演者は須田哲夫アナ、吉田恵アナ、平井文夫フジテレビ解説副委員長、野口悠紀雄早稲田大学ファイナンス総研顧問、鈴木亘学習院大教授、そして安住財務省の面々。

 先ず政府が導入するとしている低所得者対策としての「給付付き税額控除」が、低所得者全体に給付するのでは効果がないする専門家の声をビデオで伝えている。

 森信茂樹中央大学法科大学院教授「私はこれはですね、バラ撒きだと思うんですよ。ワーキングプア対策、あるいは、あー、シングルペアレント対策、あるいは少子化対策としてですね、給付付き税額控除というのを使うことによって、えー、まあ、社会全体をですね、えー、活性化していく、効果が出てくるんじゃないかと」

 単に給付付き税額控除を行うのではバラ撒きで終わるが、ワーキングプア対策やシングルペアレント対策、少子化対策等、対象を限定した給付付き税額控除であるなら、社会全体を活性化できると言っている。

 「給付付き税額控除」の導入は1月6日(2012年)に閣議決定した「社会保障・税一体改革素案」に次のように記している。

 〈所得の少ない家計ほど、食料品向けを含めた消費支出の割合が高いために、消費税負担率も高くなるという、いわゆる逆進性の問題も踏まえ、2015年度以降の番号制度の本格稼動・定着後の実施を念頭に、関連する社会保障制度の見直しや所得控除の抜本的な整理とあわせ、総合合算制度や給付付き税額控除等、再分配に関する総合的な施策を導入する。〉・・・・・

 「導入する」としているが、「2015年度以降の番号制度の本格稼動・定着後」のことであり、「関連する社会保障制度の見直しや所得控除の抜本的な整理とあわせ」た導入としている以上、いわば検討段階であって、制度設計の全体像が一から十まで確定しているわけではない。

 いわば全体像が確定しないうちに増税時期だけは2014年4月に8%、2015年10月に10%と早々と決めたことになる。

 須田哲夫アナ「消費税増税の低所得者対策という、纏めて把えると、どういう考えを一番お持ちですか」

 安住財務相「あのー、色んな世界をみますとね、あのー、このー、所得の低い方の対策っていうのがあるんです。

 例えば、複数税率と言って、食料品だけは安くしましょうとか。様々な、あの、品目について、贅沢品はあー、法律のまま、生活必需品は安くとかね。

 そういうことを採っているところもあれば、まあ、いわゆる所得税を、おー、控除対策を設けるとかね、所得税から、やっぱ、必要な増税分ぐらいは控除しますとか。

 また、もっと、少ない方には給付をしたりとか給付状態は現金を直接お渡しするということですね。

 あのー、所得全体がいくらか、それから貯蓄をいくら持っておられるのかなど、はっきり分からないので、そういうことを先ず、先程申し上げたましたけども、番号制度を導入させていただいて、やっぱり、ある程度、おー、そこは把握させていただいた上で、必要な方々に対してはですね、複数税率は今求めないで、あの、単一税率でいくつもりなんですね。

 えー、これは、あのー、非常に複雑になりますから、じゃあ、食料品を扱っている会社は消費税かからないでやるのかですね、非常に複雑なもんですから、あの、今回は単一税率にさせていただく代わりに給付付き、イー、の控除制度等を設けると、いうことを基本に制度設計をしました」

 単一税率にした理由の一つとして「食料品を扱っている会社は消費税」を掛けることにするのかどうか非常に複雑だと言っているが、商品流通の一番の川下である消費者から消費税を受け取っていないのだから、例えばスーパー等で販売したそのような商品に使用した原材料等に関しては消費税の支払いを免除していく逆の順序を取れば、何も複雑なことはないはずである。

 日本から海外へ輸出する場合、消費税は内国税ゆえに海外の買い手に消費税を請求できない。海外輸出商品の仕入れや製造、完成までに発生した消費税は還付申請できる制度となっているが、還付制度ではなく、食品会社が扱うこれこれの原材料は流通の出発点まで遡って消費税は掛けないと最初から決めて、パソコンソフトに入力、売買伝票に自動的に記入されるようにしておけば、問題はないはずだと思うが、そうはならないのだろうか。

 但し、「社会保障・税一体改革素案」が〈食料品等に対し軽減税率を適用した場合、高額所得者ほど負担軽減額が大きくなること、課税ベースが大きく侵食されること、事業者の負担が増すこと等を踏まえ、今回の改革においては単一税率を維持することとする。〉と言っているように、実質的には低所得者対策よりも、「課税ベースが大きく侵食され」て税収が減ることの回避を優先させた単一税率ということなのだろう。

 しかし欧米では実施している軽減税率である。

 須田哲夫アナ「鈴木さん、如何ですか。給付付きということになりますと、鈴木さんなりにいつも批判している、バラ撒きになるんじゃないかと指摘しておりますが」

 鈴木教授「ですからね、まあ、そういう分配をやるときにはですね、きちんと所得が把握されていないと、まあ、ニセ弱者に、弱者だけじゃなくて、ニセ弱者にも分配してしまうということになるので、まあ、背番号制を入れるということはいいことなんですけども、ただ、背番号制もですね、きちんと試算を把握できるような、まあ、結局、所得を把握するためには、資産も一緒にみないとですね、あの、なかなかよく分からないということなので、まあ、ぜひ、資産の分かるような番号制にしていただきたいというふうに思います」

 須田哲夫アナ「野口さん、共通番号制についてどうお考えですか」

 野口総研顧問「あの、共通番号制を導入しても、直ちに所得が、あのー、把握できるわけではないんですね。ですから、これは大変なことで、10年や20年ではできないと思います。

 ですから、給付付き税額控除など、実行不可能だということなんですね。で、あのー、消費税、あるいは付加価値税をやっているのはヨーロッパなんですが、ヨーロッパ、ヨーロッパの国では先程、大臣がおっしゃったように複数税率を採用しています。これが、あの、本当の措置なんですね。

 イギリスでは食料品にはゼロ税率というのは適用してるんですね。で、本当はそれをやるべきです。ところが日本ではできないんです、技術的に。

 ちょっと技術的な複雑な話になりますけれども、日本の、消費税はインボイスという制度がないんです。で、複数税率を実行するためにはインボイスがどうしても必要なんです。

 今まで5%でしたからね。まあ、欠陥税でも何とか行ったんですが、10%の税率になったら、インボイスがないと、非常に大きな問題が起きます。

 ですから、税率の引き上げということを言う前にですね、日本の消費税の制度を、きちんとした制度にするようにインボイスを導入する」

 須田哲夫アナ「インボイスというのは、売値ですとか、消費税率を、その、含めた伝票ではっきりしている」

 野口総研顧問「伝票です。あのー、取引に使う――」
 
 安住「取引の段階でアカウント(=勘定)のところに、あのー、きちんと税率を入れた書類を、あのー、つくるというのが・・・・」

 「インボイス」が何か、インターネットで検索した中で一番分かりやすい説明は、「製造元・卸売・小売と商品が流通する間の二重課税を回避するために、仕入商品のインボイス(納品書)に前段階までの支払税額が記され、次段階の税額からそれを控除する。EU諸国で採用されている。」で、このコンピュータ発達時代に複数税率であっても、各原材料・商品の税率が前以て数値化されていたなら、コンピューターが自動的に差引き計算してくれないということがあるのだろうか。

 インボイス導入によって、脱税や租税回避防止につながるという指摘もインターネット上に散見する。

 須田哲夫アナ「やっぱり指摘のとおりですか」

 安住「これはね、あのー、確かにそういう意見が税調でも、政府税調でも相当に議論はしたんです。ただ、日本の商取引の仕組みが複雑なんですね。この、仕入れからですね、まあ、生産からですね、非常に多くの複数の会社が関わってきますので、そういう点から言うとですね、まあ、非常に、あの、簡易課税方式を取り入れたりしてきた、歴史があるのもですから、それで、その、今回は単一税率でやはり引き続きやらせていただいくと。

 2年後の、2年3年後の話なんですね。野口先生の言うように、この制度は設計難しいものですから・・・・」

 「簡易課税方式」とは、これもインターネットで調べたところ、預った消費税の計算は原則課税方式と同様だが、支払った消費税の計算は一切せず、その代わり預った消費税に一定率(みなし仕入率)を掛けて算出した額を支払った消費税と看做して、簡便的に納税額を計算する方式だそうだが、サービス業を営んでいる場合、簡易課税のみなし仕入率は50%の半分だそうで、メリットが生じることになる。

 中小企業の事務煩雑化の防止のための制度導入だそうだが、消費税でメリットが生じること自体が問題となるはずで、その簡易課税方式を放置して、消費税のあるべき姿として提案されているインボイス制度を導入しないまま済まそうとしている。

 さらに軽減税率の導入は「生産からですね、非常に多くの複数の会社が関わって」いる「日本の商取引の仕組みが複雑」さが障害となっていると言っているが、以前は生産者と消費者の間に卸問屋だ中卸問屋だ、小売業者だといくつもの中間業者が間に存在していて、それぞれが自分で相場を決め、手数料を決めて取っていたために不必要に高い商品・製品を消費者は買わされていたが、スーパー等ができて生産者からの直接の買い入れによって安い商品・製品が出まわるようになった。

 また電化製品や自動車製造といった場合でも、中小の多くの下請が関わっているといっても、下請ごとに前以って単価を決められたほぼ一定の数の部品を扱っているのだから、単に下請け業者の数が多いというだけのことで、安住が言うのとは反対に日本の商取引の仕組みはかなり簡素化しているはずである。

 要するに税収を増やそうとするための口実に持ち出した“日本の商取引の複雑さ”といったところで、このことから分かることは安住は財務省の回し者だということである。
 
 平井解説副委員長「そうすると、共通番号制は時間がかかりますよねえ。それまでの間、この低所得者対策というのは例えば、失業対策とか、そういうことになるのですか」

 このことに関して素案には次のように書いていある。共通番号制に基づいた総合合算制度や給付付き税額控除等の〈再分配に関する総合的な施策の実現までの間の暫定的、臨時的措置として、社会保障の機能強化との関係も踏まえつつ、給付の開始時期、対象範囲、基準となる所得の考え方、財源の問題、執行面での対応可能性等について検討を行い、簡素な給付措置を実施する。〉

 「簡素な給付措置」を行うものの、どういう形を取るのか、あくまでも今後の検討で決めることであって、全体像が確定したわけではないことをさらけ出している。

 安住「過去ですね、消費税を引き上げたときには、やはり、その、おー、福祉寄付という形でおカネを、やっぱり渡してるんですね。

 そういう点ではですね、そういうことも参考にしながら、先ず給付をするということで、先ず、あの、サポートしたいなと、私、今、思っております」

 現金給付ありきで、公平性という視点は持ち合わせていないらしい。

 吉田恵アナ「直接現金を配るという――」

 安住「方向としては、そういうことになるかもしれません」(以上)

 野口悠紀雄早稲田大学ファイナンス総研顧問は、共通番号制は10年や20年ではできない、給付付き税額控除などは実行不可能だ、消費税はヨーロッパのように食料品はゼロ税率の複数税率を採用するのが本当の措置だ、そのためには税率の引き上げということを言う前に日本もヨーロッパのようにインボイス制度を導入すべきだと、公平性の観点から提言しているが、安住だけではなく、野田内閣全体が公平性の観点も正確さの観点も持ち合わせていないからだろう、消費税増税の全体像が決定しないうちから増税時期を決定し、預金しないでタンス預金することで隠すことができる、正確な資産状況の把握不可能な、またいつ導入できるかも不透明な共通番号制を持ち出して、バラ撒きになると指摘を受けている給付付き税額控除を以てして税収増優先の観点を隠して低所得者対策だと言い募っている。

 全体像が確定しているわけではないから、国民に具体的に説明することもできない。

 無責任な消費税増税姿勢となっている。

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橋下流教育改革は生徒の暗記思考強化には役立つ

2012-01-15 11:44:05 | Weblog

 2007年より開始の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)(小学6年生、中学3年生全員対象)の大阪府の成績が指定席というわけでないだろうが、2008年と最下位に近い成績を獲ち取った(?)ことに、当時知事だった橋下徹が怒り心頭に達した。

 悪い成績を逆に笑いのネタにして笑い飛ばす大阪人の思考的余裕はなかったようだ。

 《全国学力テスト:「このざまは何だ」 大阪府低迷、橋下知事が教委批判》毎日jp/2008年8月30日)

 8月29日結果公表。小中学校の国語、算数・数学とも基礎を問う「知識」(A)と応用力をみる「活用」(B)の双方で2年連続で全国平均を下回り、34~45位に低迷。1都1道2府43県、合計47地方自治体中の2年連続34~45位内である。「教育日本一」を目指していた橋下氏から見たら、バンジージャンプ台から見た奈落の底の飛んでもない順位に見えたに違いない。

 橋下徹「教育委員会には最悪だと言いたい。さんざん『大阪の教育は違う』と言っておきながら、このザマは何なんだ。抜本的に今までのやり方を改めてもらわないと困る」

 2007年単独では41~45位に終わったと記事に書いてあるから、08年は少しは成績を挙げていることになる。それでよしと済ますわけにはいかなかったらしい。

 だが、日本の教育は暗記教育で成り立っている。テストの成績だけを問題とすること自体、既に暗記教育の強化のみに囚われていたことの証明となる。

 日本の教育が暗記教育そのものであることは、文科省を初めとして多くの教育学者が「考える力」の育成を訴えていること自体が証明している。散々に言ってきたことだし、誰もが同じことを言うと思うが、暗記教育とは教師が教える知識を教えたとおりにそのまま頭に暗記することをいう。そこには「考える」という思考作用を介在させない。生徒が思考作用を介在させたなら、暗記教育とはならない。生徒それぞれが自身の知識に高めていく思考型教育となる。

 テストの成績だけを問題とすれば、次にその成績を上げることだけを問題とすることを必然化する。暗記型思考のなおさらの刷り込みである。

 府教委は、〈今年の全国学力テストまでに教員向けセミナーを開き、学力向上担当教諭の各校配置などを提案した。〉

 だが、その取り組みが市町村教委や各校に委ねられたことについて。

 末永尚子大阪府豊中市主婦「補習のため放課後に先生が待機する学校があると聞いたが、長女の中学にはない。対策は学校に任せず、横断的にノウハウを共有してほしい」

 全地域的に平等となる暗記教育の徹底を求めて、その徹底化によるテストの成績の底上げを願っている。

 公立中学校国語科男性教諭「結果が出るたび、教育施策を変えられてはたまらない。現場が地道に積み上げてきた人間教育が壊されないようにしたい」

 記事はこの発言を学力偏重に警鐘を鳴らしたものだとしている。

 府教委職員「就学援助を受ける割合が全国より高いことなどを踏まえ、長い目で学校と家庭を変えていくべきだ」

 この発言に対する記事の解説は載っていないが、経済的な教育環境の整備の必要性を訴えたに違いない。昨今、教育格差と経済格差の相互関連性が言われている。

 橋下徹が代表を務める維新の会は大阪府と大阪市で共同して教育改革を進めようとしている。勿論、以上見てきたように維新の会の教育改革とは、あるいは橋下徹の教育改革とは暗記教育の徹底化によるテストの成績の底上げを狙いとしていることは次の記事を見ても明らかである。

 《クローズアップ2011:大阪ダブル選 都構想に難問山積》毎日jp/2011年11月28日

 (維新の会)教育基本条例案

▽知事が教育目標を設定し、目標実現の責務を果たさない教育委員は罷免
▽全府立高校長を公募
▽3年連続定員割れの高校は統廃合
▽2年連続最低評価の教職員は分限処分(免職を含む)
▽学力テストの学校別結果を公表

▽君が代起立斉唱を想定し、職務命令違反の教員の分限処分(免職を含む)

 暗記教育によって機械的に植えつけた暗記知識を問うテストの成績が上からの強制的な規定に基づいて、即、教育委員や校長、教師の地位・生活、名誉・不名誉を決定するバロメーターとなる。

 生徒のテストの成績次第で地位や生活、名誉や不名誉が守られたり、守られなかったりするということである。

 当然、大多数の教育委員、校長、教師が自己保身を優先させて、生徒のテストの成績を上げるためにせっせと暗記教育を強化し、徹底させる態度を取ることになるだろう。

 暗記教育の強化・徹底とは暗記型思考の育成であり、その反動としての考える教育の一層の排除を意味することになる。

 橋下徹「(現場の抵抗は)狙い通りだ。ダメな教員には去ってもらう。教育現場に民意が届くようにする」

 「ダメな教員には去ってもらう」の発言は一見、競争原理の導入に見えて、結構毛だらけに受け止められるかもしれないが、あくまでも暗記教育の場での競争原理の導入であって、教師は生徒に如何に多くを暗記させて、テストの成績の底上げを図り、それを以て自らの実績とする競争を展開することになる。

 成果が上がるまでの時間がかかる思考型教育は文科省がいくら「考える教育だ」、「自分から考え、自分で決定し、生きる力を養う教育だ」と騒いだとしても、生活がかかってるんだ、短期決戦で生徒の成績を挙げなければ、自分のクビが危ないとばかりに見向きもされないことになるだろう。

 いわば見えないムチで教師は橋本徹に尻を叩かれ、教師は生徒の尻を叩き、暗記を励ますことになる。

 橋下氏「市教委が機能していない。教育現場の感覚と市民の感覚にはずれがある。大きな方向性を有権者が支持すれば、修正も含めて詰め直す」

 「教育現場の感覚と市民の感覚にはずれがある」のは当然の成り行きである。世の親はその場その場のテストの成績さえよければ、その知識がその場限りの暗記知識であっても構わないとしているからである。

 テストを終えて暫くすれば忘れてしまうテスト限定の暗記知識となっているから、大学生の学力低下が言われ、基礎学力の欠如を指摘されることになる。

 では、以前の大学生はそうではないのかと言うと、暗記知識を忘れずに新たな暗記知識を詰め込み、積み重ねていって、それらの知識を当てはめていく知識活用の構造と、現在ある製品を改良のたびに新たに知識を付け加えて改良に改良を重ねていくモノづくりの知識活用の構造と重なるゆえにモノづくりには役立っても、あくまでも思考作用を介在させて自身の知識として積み重ね、新たな知識の発見につなげていく創造型知識ではないから、無から有を作り出すような発明には向かないことになる。

 日本人の発明とされるものであっても、外国人が既に打ち立てていた理論をモノづくりの技術で製品化したという例が少なくないはずである。

 大阪維新の会のこの「教育基本条例案」は昨年9月21日(2011年)、大阪府議会に提出。現在継続審議中。

 同じく維新の会は同じ昨年9月に市議会に提出したが、否決。

 府議議会と市議会に同時期に案提出となったのは共通の内容ながら、府立高校と市立小・中学校を対象とした条例であることからの動きだそうだ。

 橋下徹は2008年9月6日、枚方市で開催の日本青年会議所大阪ブロック協議会主催フォーラムで次のように発言している。

 橋下徹「指導助言が無視されるようなら府教育委員会も解散する、小中学校課の予算は付けない」

 以前当ブログに、いくら地方分権を叫んでも、中央(=国)を上として地方を下とした中央集権の構造を地方自治に持ち込み、都道府県を中央として上に立ち、市町村を地方自治に於ける地方と看做して下に置いた中央集権の構造を取った場合、真の地方分権・地方自治は期待不可能となるといったことを書いたが、橋下徹氏のこの「指導助言が無視されるようなら」、「小中学校課の予算は付けない」は国が地方に対して予算の権限を楯に言うことを聞かしてきた中央集権の構造を踏襲するもので、国の中央集権体制を自らの血とし、肉として小中学校を支配下に置こうとする意志の発動が見える。

 橋下大阪府知事「国と地方は奴隷関係」

 如何に日本の現在が強固な中央集権体制となっていて、国が如何に地方を縛っているかを表す府知事時代の発言である。

 この発言を前の発言に重ねると、「大阪府と小・中学校は奴隷関係」となる。

 中央集権体制は日本人性としている権威主義の思考様式・行動様式から発している。いわば前々から指摘していることだが、橋下徹自身が中央集権体制を性格傾向としている権威主義者だということである

 だから、橋下徹のこの権威主義が教育にも発揮されることになる。「暗記教育と権威主義との関係性」について、2010年9月23日当ブログ記事――《2010年7月11日放送「新報道2001」『答のない時代 教育とはナンだ?』を読み解く- 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に次のようのように書いた。
 
 〈暗記教育は何を発生原因としているかと言うと、このこともHPやブログで前々から言ってきていることだが、日本人が伝統的に行動様式・思考様式としている権威主義を成り立ちの基としている。教師と生徒との関係を上下関係に規定して知識・情報の伝達・受容に於いてもその他あらゆる指示に関しても、上の教師が下の生徒を機械的に従わせ、下の生徒が上の教師に機械的に従う権威主義の構造を取るためにそこに教師が伝える知識・情報、その他指示に対する生徒の機械的なぞりが発生し、必然的に暗記教育の形式を取ることになる。

 なぞり覚えるは暗記の別名でもある。そこにあるのは機械性を持った記憶である.

 ゆえに暗記教育を権威主義教育とも言い換えることができるはずである。教師の知識・情報を権威と看做し、それに従う。なぞって、暗記し、教師の知識・情報のままに機械的に自分の知識・情報とする。

 当然、生徒に於いて知識・情報の画一化、平均化が発生する。違いは多く暗記しているかいないか、暗記能力に応じた暗記量の違いしか出てこないことになる。

 教師の知識・情報をそのままの形・内容で生徒自身の知識・情報とする伝達形式はその中間に教師の知識・情報に対する生徒自身の側からの思考に関わる濾過・咀嚼を何ら置かないことを意味する。生徒自身の側からの思考に関わる濾過・咀嚼とは生徒自身が主体的に自分なりの考え・思考で以って教師の知識・情報を解釈し、自分なりの知識・情報へと主体的に消化・発展させることを言う。

 逆説するなら、教師の知識・情報を生徒が受容する中間過程に生徒自身の側から主体的に思考に関わる濾過・咀嚼の工程を置いて自分なりの知識・情報へと消化・発展させた場合、その知識・情報は暗記知識でも暗記情報でもなくなる。

 いわば暗記教育は生徒が自分なりの考え・思考で教師の知識・情報を主体的に(=自分から)濾過・咀嚼することを阻害要因として成り立つ。暗記教育は生徒の考える力を養う教育形式ではないということである。考える力をつける教育は暗記教育ではなくなる。

 逆説するなら、暗記教育は生徒の考える力を養う教育とはならないということである。

 主体性という点でのみ説明すると、生徒が自分から学ぶ、自分から考える主体的姿勢を取る学習のプロセスを暗記教育(=権威主義教育)は構造としていない。そのようなプロセスを備えていたなら、同じように暗記教育(=権威主義教育)でなくなるからだ。あくまでも教師が与える知識・情報を生徒がなぞり暗記する非主体的・受動的学習のプロセスを取る。それが権威主義教育であり、暗記教育である。

 日本の政治体制、官僚体制が中央集権と言われるのも中央を上に位置づけて、下に位置づけた地方を従わせ、下の地方が上の中央に従う権威主義の行動様式・思考様式を構造としているからなのは断るまでもない。日本人全体が権威主義の行動様式・思考様式に絡め取られているから、教育にしても、政界、官界の組織・体制にしても、その他、上が下を従わせ、下が上に従う上下の力関係に従った意思伝達で何事も推移することになる。

 上下の関係を取った者が対等に意見を闘わすことは、会議の場等のそれが前以て許されている形式を取っている場以外、先ず存在しない。下の者が対等な意識で意見を言うと、上の者は下の者を生意気だと把え、下の者は上下関係を気まずくしないために上の者の言うことを聞いて置けば無難だといった態度を取ることになる。

 教育について論ずるどの場面でも、誰もが「基礎学力」の必要性を訴えるが、例え基礎学力が身についたとしても、それが暗記教育に則った基礎学力の授受であるなら、教師が伝える基礎学力を単になぞって暗記する形式を踏んだ基礎学力に過ぎないことになり、考える力への発展に役立つとは思えない。単に基礎学力がついていると言うことだけで終わるだろう。

 その視点なく、誰もが基礎学力だ、基礎学力だと基礎学力の必要性を訴える。〉・・・・・

 結果、橋下流教育改革は暗記教育の強化・徹底化、暗記思考の強化・徹底化に向かい、テストの成績の底上げには役立つことになる。

 このことは当然のこととして生徒から柔軟性に満ちた考える力、思考能力の育成の機会を奪うことを必然化させる。

 またこのことは子供たちを教科書に書いてある知識、教師の知識の奴隷にするということでもある。

 単に暗記して、テストの設問に当てはめていくためだけの知識の暗記なのだから、知識という点で、教科書や教師の知識の奴隷となるということであろう。

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野田首相の適材適所を裏切り、不退転が泣く任命責任隠しの信念なき内閣改造

2012-01-14 10:55:07 | Weblog

 昨1月13日(2011年)、野田首相が内閣改造を経て、首相官邸で記者会見を開いた。冒頭発言で、「最善かつ最強の布陣」だと自ら太鼓判を押している。

 野田首相「復興に万全を期すとともに、この際、間もなく通常国会が始まりますけれども、予算を通し、そして昨年来からの大きな命題である復旧・復興を加速させ、原発の事故の収束をさせ、新たな戦いに向かって様々な取組を評価をする、あるいは経済の再生を図るといった野田内閣の当初からの命題の他に行政改革、政治改革、そして社会保障と税の一体改革という、やらなければならない、逃げることのできない、先送りをすることのできない課題を着実に推進をするための最善かつ最強の布陣を作るための、今回は改造でございました」

 この論理展開には幾つかのゴマカシがある。

 「野田内閣の当初からの命題」は東日本大震災からの復旧・復興と原発事故の収束、日本経済の再生であったが、行政改革、政治改革、そして社会保障と税の一体改革が新たに野田内閣の命題に加わったとしている。

 だが、行政改革、政治改革と社会保障改革はマニフェストに公約したことであり、消費税増税を前提とした「社会保障と税の一体改革」は菅前内閣以来命題としていたことで、それを新たに加わった命題とすることはゴマカシ以外の何ものでもない。

 大体が野田首相自身が昨年の8月29日の民主党代表選で、「先ずは隗より始めよ。議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減、それはみなさんにお約束したこと。全力で闘っていこうじゃありませんか。

 それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」と、間接的な言い回しながら、消費税増税の前提として議員定数の削減と公務員定数の削減、さらに公務員人件費の削減を自らが成し遂げる命題として既に挙げていたのである。

 さらに言うなら、昨年9月2日の首相就任記者会見で、震災からの復旧・復興を野田内閣の最優先課題だとした上に、 「福島の再生なくして日本の再生はございません」とまで言い、徹底的な無駄削減のための行政刷新の推進と税と社会保障の一体改革の与野党協議を経た成案の取り纏めを自らの命題としていたのであり、そうでありながら、新たな命題とすることはやはりゴマカシとしか言いようがない。

 なぜこのようなゴマカシを必要としたかは、あとで述べる。

 これら命題の内、昨年の12月16日に原発事故の収束宣言を出していて、この宣言自体がゴマカシに当たるが、出した以上、引き続いての命題から外すべきだが、未だに加えているゴマカシまでやらかしている。除染や帰宅、風評を含めた放射能被害等はもはや原発事故から切り離して、単なる復旧・復興の中に入れているのだろう。 

 野田内閣が取り組むべき命題が野田内閣発足以来ほぼ変わっていないということなら、当然、9月2日発足時に既に、「やらなければならない、逃げることのできない、先送りをすることのできない課題を着実に推進をするための最善かつ最強の布陣を作るための」内閣人事でなければならなかった。

 いや、取り組むべき命題が新たに加わろうと加わらなかろうと、一国の首相となって内閣を率いる以上、常に「最善かつ最強の布陣」となる内閣人事でなければならなかった。

 「最善かつ最強の布陣」に反する“最悪かつ最弱の布陣”であったなら、これ程国民をバカにすることはあるまい。

 “最悪かつ最弱の布陣”などとは飛んでもない、「最善かつ最強の布陣」だったからこそ、就任記者会見で、何度も「適材適所」の人事だと断言したはずである。

 適材適所の「最善かつ最強の布陣」だったはずが、就任約4カ月にして、新たな命題が加わったわけでもないにも関わらず、早くも「最善かつ最強の布陣」を取り替える内閣改造を行わなければならなかった。

 いわば内閣発足当時の内閣人事が「最善かつ最強の布陣」ではなかったことの証明以外の何ものでもあるまい。「最善かつ最強の布陣」を敷く内閣人事を一国のリーダーとして野田首相は自らの責任能力としていなかったということの証明でもあろう。

 にも関わらず、改造人事を「最善かつ最強の布陣」だと言う。

 何重ものゴマカシがある。

 就任当初の内閣人事が「適材適所」だと断言しながら、適材適所ではなかったということでもある。「適材適所」と言っていたのはゴマカシであった。

 このゴマカシをゴマカスために野田内閣がこの場に来て取り組むべき命題が新たに加わったとゴマカス必要が生じたに違いない。

 当初からの命題を新たに加わった命題であるかの如くにゴマ化して、その命題に応じた「最善かつ最強の布陣」だとする更なるゴマカシを働かざるを得なかった。

 どの時点で内閣を率いようとも、あるいは取り組むべき命題が何であろうと、一国のリーダーとして首相は常に「最善かつ最強の布陣」と言える内閣人事を行う責任を負う。そのための「適材適所」でなければならない。
 
 もし野田首相が発足内閣でも「最善かつ最強の布陣」の「適材適所」であったとするなら、「不退転」をモットーとし、信念としている以上、発足内閣の人事を守るべきであった。

 そうすることがまた、自らの任命責任を守ることでもあった。

 沖縄を理解しない不適切発言の一川防衛相にしても、マルチ業者との不明朗な関係、不透明な献金の山岡国家公安委員長兼消費者担当相にしても、野党が参議院で問責決議を可決し、更迭を要求しながら、「適材適所」の人事だとして更迭を拒否、擁護したのである。

 今月召集の通常国会で野党の不必要な追及を避けるため、国会を乗り切るためと口実をつけた、要するに政局を理由とした両者の交代ではあるが、「適材適所」を一旦は口にした以上、任命責任も関わってくるゆえに「不退転」の信念を守って、留任させるべきであった。

 野田首相は「不退転」という自らの信念さえも、政局を前にしてそれがメッキでしかないことを、あるいはニセモノでしかないことをさらけ出したのである。

 両者の交代が政局なのは山岡国家公安委員長兼消費者担当相の辞任記者会見の発言が証明してくれる。

 山岡国家公安委員長兼消費者担当相「何となくやり残したことがあり、残念だという気持ちであり、退任は政局だと割り切っている。野田総理大臣からも『瑕疵(かし)は、まったくないと思っているが、政治の動きの中でのことであり、ご理解いただきたい』ということだった。政局のいろいろな部分もあるわけで、それなりの理解はしている」(NHK NEWS WEB

 この発言を翻訳すると、「適材適所だったが、政治の動きの中でのこと、政局だと思って理解していただきたい」と野田首相から引導を渡されたとなる。

 いわば適材適所もクソもない、「最善かつ最強の布陣」もクソもない。すべては政局だということになる。

 では、任命責任はどこでどう位置づけたらいいのか、意味を失することになる。
 
 また、平岡前法相が死刑反対論者で、死刑執行に判を押す動きを見せないことを野党が追及していても、あるいは党内から批判が出ていても、「適材適所」を理由に改造内閣でも留任させるべきだったが、「適材適所」を裏切り、「不退転」の信念を裏切り、辞任に持っていったことも政局優先の「不退転」だったということであろう。

 それが政局であったことは新しく就任した小川法相の記者会見の発言が証明している。 

 小川法相「死刑という刑罰そのものは人の生命を断つという大変重い、厳粛な刑罰なので慎重に考えなければならないと思うが、一方で、それが法律で定められてい職責でもある。大変つらい職務だが、わたしはその職責をしっかりと果たしていくのが責任だと思っている」(NHK NEWS WEB

 平岡前法相の死刑執行に判を押さないことに対する死刑執行に関わる職責遂行の弁であろう。

 いわば死刑執行の是非を基準とした野党や党内受け入れ可能な政局優先の人事変更だということであり、平岡前法相は死刑執行という点で「適材適所」ではなかったということである。

 当然平岡氏を法相に任命した任命責任を問わなければならなくなるが、知らん顔の無視を決め込んでいる。多分、政局しか頭にないから、任命責任だ、適材適所だはどこかに吹っ飛んでしまっているのだろう。

 また、適材適所という観点からではなく、人事の頻繁な交代という観点からも、野田首相はゴマカシ行為、裏切り行為を働いていることになる。

 野田首相は“首相コロコロ交代忌避論者”である。このことは閣僚人事にも反映されなければならない主義・主張であろう。首相はコロコロ代わるべきではないが、閣僚はコロコロ代わっても問題はないとしたら、論理矛盾そのものとなる。コロコロ変わること自体が自らが主張して止まない「適材適所」の予定調和を破る人事であり、「最善かつ最強の布陣」をガラス細工とする倒錯を演じるゴマカシとなる。

 4カ月そこそこで大臣が交代する省庁もたまったものではないし、国内外の公的、民間を問わない交渉相手も担当大臣の頻繁なコロコロ交代は政策の一貫性に疑義を与え、困惑を与えるばかりか、日本の政治の安定性、あるいは日本政治の質の程度に疑いの目を向ける要因ともなるからである。

 要するに閣僚のコロコロ交代は国益に反する人事であることに加えて、自らが信念している「適材適所」の人事とも、「最善かつ最強の布陣」とも矛盾する人事であり、深く任命責任に関わってくるということになる。

 12月4日(2011年)の前原政調会長の大津市での講演発言。

 前原政調会長「(首相が)コロコロ代わるのは、どの政権でも海外では腰を据えて話をできない国と思われ、国益を損なうことになる」

 このことは閣僚についても言えることである。

 2010年7月11日参院選で菅民主党は大敗、衆参ねじれ状況をプレゼントして、与党民主党ばかりか、野党からも一気に菅退陣の声が噴き出た状況に加えて9月の代表選挙に立候補する意向を表明すると、菅退陣の声は一段とかしましく高まることとなった。

 このような状況に対して菅擁護派も声を挙げた。

 7月29日午前、TBSの番組収録。

 岡田外相「(首相が短期間で代われば)日本の存在感が小さくなりかねない。長い間やってもらいたいと国民も感じている。菅政権が)スタートしたばかりなのにまた代えるといえば、自民党と一緒だ」 

 2010年7月30日――

 北澤防衛相「わが国の政治のためにも、ひと月やふた月で総理大臣が辞めるというようなことはあってはならない」

 野田財務相「トップがコロコロ変わるのは不安定につながるので、しっかり菅さんを支えたい」(以上NHK NEWS WEB

 野田首相が実力主義の人事、即ち実力のない者は去れを信念としているなら、問題はないが、実力主義ではなく、一定の時間的長さを(菅前首相は自らの実力を顧みずに衆院4年間をあるべき就任期間としていた。)就任の基準としていた以上、自らの閣僚に於いてもこの基準に準ずるべきを、そうなっていない以上、すべてを裏切るゴマカシとして、今回の改造人事があったとしなければならない。

 と言うことは、最初から「適材適所」の人事も任命責任の意識も「不退転」の信念も存在しない内閣人事であり、内閣運営であったと結論づけなければならない。

 このことは改造内閣に於いても引き継ぐはずだから、「最善かつ最強の布陣」だとする人事も、例えそれが事実であっても、野田首相がリーダーである以上、的確な活用も相乗効果も期待できないことになるだろうから、砂上の楼閣で終わるに違いない。

 このことの証明として、野田首相が昨日の記者会見で示した「社会保障と税の一体改革」に対する姿勢を挙げておく。

 関口東京新聞記者「東京新聞の関口と申します。岡田さんは民主党内で小沢一郎元代表と距離を置く存在とされています。元代表を支持する議員からは、消費税増税に批判的な議員が多いとされています。岡田さんの副総理、社会保障と税の一体改革担当大臣への起用については、元代表を支持する議員から党分裂の道を突き進むなどと反発の声が上がっていまして、消費増税の反発をさらに高める可能性があります。総理は今後一体改革の実現に向けてどのように党内融和を図るお考えでしょうか」

 野田首相「今ご指摘いただいたような声って本当に多いんですか。多いですか」

 関口東京新聞記者「あるとは思います」

 野田首相「そこまで、ちょっと私はそんな空気が充満しているとは思わないんですが、少なくとも反なんだとか親なんとかというのはもう止めようというのは、私は代表選挙のときに申し上げたつもりであります。

 誰かが何かのポジションを退いたら退くよなんていうような、了見の狭いようなそういう政治は止めた方が良いです。もし政策で違うんだったら、その政策でものを言えばいいと思いますが、いま誰かさんのグループがこうだからという、私は議論はあり得ないと思います。なぜならば、今回の一体改革を党内で議論でまとめていく過程において、決して別に反対の意見があったわけじゃありません。むしろ慎重な意見で、こんなことをやらなければいけないよという中で、一番多かったのが行政改革です。その行政改革を党内の中で調査会長として中心になってまとめられてこられた方が岡田さんです。その岡田さんが行政改革と税と社会保障の一体改革を、これをパッケージとして、責任を持ってやっていこうというお立場になったことで、むしろそれを期待する人の方が私は多いんではないかというふうに思っておりますので、いまちょっと私は認識が違います」 

 反対意見がないとしていること自体がゴマカシであるが、自らの消費税増税論議を正しいとするなら、全体的な国民の利益を前提としている以上、その正しさを国民に十分に説明して、国民の納得を得、それを支持率に変えることを第一番に持ってきて、その支持率を強力なバックアップとして野党や党内の反対派を説得することを基本的な戦術としなければならないはずだが、そういった正攻法の戦術を取ることができず、自分から「適材適所」も「最善かつ最強の布陣」も任命責任も投げ捨てて政局優先の「了見の狭い」政治を行なっている。

 そしてそのことに気づいていない。

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野田首相の震災10カ月後を以てして被災地復興、「よりスピード感を持って対応したい」の不見識な認識能力

2012-01-12 10:34:57 | Weblog

 野田手首相が1月8日(2011年)の被災地福島県訪問に続いて1月10日に被災地宮城、岩手両県を視察した。《首相 被災地で住民と意見交換》NHK NEWS WEB/2011年1月10日 18時2分)

 宮城県では先月操業再開の水産加工会社を訪れ、その後1000人余りが暮らす石巻市内の仮設住宅を訪問、住宅の中に上がって寒さ対策の現状などを確認したあと、住民らと意見交換。

 午後には岩手県大船渡市に移動し、去年11月に操業を再開し、被災地で出た瓦礫を燃料や原料の一部として使用しているセメント工場を視察、瓦礫処理の仕組みを質問、その後、大船渡市内の仮設住宅を訪問。

 未だ操業を再開できずに藻掻き苦しんでいる企業の経営者や自営業者を集めて、再開できないでいるのはどこに問題があるのかといったことをこそ意見交換すべきだと思うが、政治の成果をインスタントに示すには前者の視察が効果的で、後者は逆効果となりかねない危険性があるということで避けたのか、あるいは最初からそういった発想はなかったことからのスケジュールだったのだろうか。

 大船渡市内仮設住宅住民「寒さ対策も必要だが、雇用の確保に力を入れてほしい」

 記事はこの要望に対する野田首相の直接の発言は伝えていないが、「力を入れます」と確約したことは視察後の記者会見での発言が証明してくれる。

 野田首相被災者の生活がかかっているので、よりスピード感を持って対応したい。来月にも発足する復興庁で、被災者の声を受け止めながら、事業を行っていく態勢にしたい」

 記事はこの発言を、〈被災地の復興に引き続き全力を挙げる考えを示しました。〉としている。

 〈引き続き全力を挙げる〉とはこれまでも全力を挙げてきたということでなければならない。いわば野田内閣発足当初は「安全運転」と言いつつも、一国の指導者の責任として復興対応に最初からフルスピード、フル回転で取り組んできた。

 まさか、「安全運転」の宣言そのどおりに復興対応に関してもフルスピード、フル回転で取り組まずに、ソロリソロリの安全運転で進めてきたというわけではあるまい。

 フルスピード、フル回転で震災対応に当たってきた。また首相という立場上、そのように全力で当たらなければならなかった。

 だとすると、「被災者の生活がかかっているので、よりスピード感を持って対応したい」という認識能力は不見識極まりないことになる。

 もし当初から震災対応にフルスピード、フル回転で的確・迅速に当たることができ、着実に成果を挙げていたなら、今更「よりスピード感を持って対応したい」などと言う必要に迫られることはないはずだからだ。

 大体が「被災者の生活がかかっている」ことは最初から分かっていたことで、今更言うべきことではなく、このことを理由に「よりスピード感を持って対応したい」などと言うのはこれまでの「スピード感」に欠陥があったことの証明以外の何ものでもないからだ。

 大船渡市内仮設住宅の住民が「寒さ対策も必要だが、雇用の確保に力を入れてほしい」と要望した。寒さ対策の不備・不足の存在を指摘した上に、それ以上に「雇用の確保」に関わる不備・不足の存在を訴えた。

 イコール政府の復興対策の「スピード感」の欠如・欠陥を突いたということであろう。

 野田首相は元々の「スピード感」の欠如・欠陥を認識もせず、さも今までも「スピード感を持って対応した」が如くの前提に立って、「よりスピード感を持って対応したい」と応じたのである。

 根づいてもいない樹に接木をして、さあ、すくすくと育ちますよと言うようなものであろう。

 野田首相は岩手県でも宮城県でも操業を再開した企業を視察した。だが、被害を受けた多くの企業、あるいは自営業者が仕事を再開することができずに苦しんでいる。

 あるいは被災した企業から解雇を言い渡されて再就職できないでいる被災者が多く存在する。野田首相1月8日福島県視察の前日、1月10日宮城、岩手県視察の3日前の1月7日放送の《NHKスペシャル 東日本大震災「“震災失業”12万人の危機」》が菅前内閣・野田内閣の震災対応の「スピード感」の欠如・欠陥を余すところなく暴いていた。

 この放送は「NHK NEWS WEB」記事――《震災で今も失業 推計12万人に》(2011年1月7日 16時41分)でも伝えていて、この記事も参考にしてみたい。

 先ず記事から。

 NHKは去年10月から11月にかけて1100世帯が入居できる宮城県石巻市の大規模な仮設住宅「開成団地」ですべての世帯を対象に聞き取り調査を行い、757世帯から回答を得た。

 757世帯のうち約半数が失業状態。
 757世帯のうち3分の1が1か月の収入が10万円未満。

 年金生活者等を除く497世帯のうち、
 「震災で仕事を失った」――47%の235世帯が失業状態

 失業状態の年代別世帯主

 50代――29%
 60代――23%
 40代――13%
 30代――13%

 失業状態世帯の34%――失業給付等を合わせても1か月の収入が10万円未満
 自営業者――67%が失業状態

 「収入が全くない世帯」――21%

 NHKが日本総合研究所に依頼して行った調査――震災で今も仕事を失ったままの被災者が、被災地で推計12万人に上るという試算結果。
 
 さらに記事は、厚労省の推計として、岩手、宮城、福島の3県では今月から来月にかけて最大でおよそ4000人の失業給付が切れると伝えている。

 記事は最後に、〈被災者の生活再建と地域の復興に欠かせない雇用の創出が緊急の課題になっています。〉と政府の震災対応の不備・不足、いわば「スピード感」のなさを伝えて結んでいる。

 「NHKスペシャル」では、NHKのアンケートで失業者の39%が「死んだ」、「生きていても意味はない」、「絶望しかない、何で助かったのだろう」と考える深刻な精神状態に陥っているとしている。

 番組は石巻市の基幹産業である水産業の復興が遅々として進まない原因を次のように伝えている。

 港一帯が地盤沈下して、土地を1.5メートルから嵩上げしないと事業を再開できない。嵩上げは水産業者が県に申請し、県が申請を基に国の補助金を使って工事を行うが、国や県は計画づくりや手続きに半年かかるとしているという。

 資金のある業者は県の決定を待てないからと、自己責任で嵩上げを行う計画でいると話している。

 だが、自己資金のある業者は極く僅か。水産業の復興が遅れれば、当然雇用の回復も遅れる。

 野田首相は操業を再開した企業を視察し、記者団に向かって、震災発生から10カ月も経ってから「被災者の生活がかかっているので、よりスピード感を持って対応したい」と発言したが、操業を再開できないでいる事業者や再就職できないでいる失業者の状況からしたら、彼らを慰める十分な言葉とはならなかったはずだ。

 仮設住宅開成団地に済む自営業者に対するアンケート。

 自営業者の67%に当たる3人に2人が被災によって仕事を失う。

 自営業者の30%超が月に5万円以下の生活。
 このうちの65%が無収入。

 国も自治体も、失業した自営業者が被災地全体で実際にどのくらいいるのか正確には把握していないとのこと。

 何という不備・不足なのだろう。欠如・欠陥そのものの震災対応を示す事例ではないだろうか。

 番組は1年半前にローンを組んで、2人の美容師を雇って美容院の経営に乗り出したが、津波で店を失った40歳の女性を登場させる。店を再開するには再びローンを組まなければならない。これまでのローンが月々月8万円の返済。新たに同じ金額のローンを組むと、二重ローンとなって月々16万円の返済となり、返済可能かどうか、店を再開していいものかどうか迷いが生じている。

 そこで二重ローン問題に対応するために国が設立した「産業復興機構」に相談する。

 「産業復興機構」は事業者の相談を受け、現在の借金を買い取って、その返済は10年間の猶予を与える、真に結構毛だらけ、猫灰だらけの仕組みだが、借金の買取は再建の可能性が高いと判断した事業者限定で、要するに石橋を叩いて渡る式の産業復興のお手伝いとなっているらしい。しかもお役所仕事だからだろう、手続きに時間もかかるという。

 だからだろう、1000件余りの相談の内、認められたのは岩手県の1件のみという立派な成果だそうだ。

 これでは「産業復興機構」の役人を食わせるために国が設立した組織と見做さざるをえない。

 女性美容師「制度を考えてくれるのは嬉しい。だけど、使える制度を作って欲しいんですね。みんなが求めるのは何か、それを出すべきなのに、自分たちが提供するのに合わせなさいになってるんですね」

 これでは「スピード感」が問題ではなく、復興対策の中身が問題だということになる。それが不備・不足、欠如・欠陥の様相を描いている。
 
 女性は離婚していて、自分一人の美容室経営の稼ぎで月々8万円を返済しながら、2人美容師を雇い、子どもまで養い、なおかつ再建を目論んでいる。

 再建の目論見はこれまでの経営状況(=店の入り)、月々の返済を上回る採算状況が後押ししている目論見であろう。

 このことはかつての利用者や近所の住人から証言を得ることができるはずである。ある種冒険をしないことには、あるいは、「被災者の生活がかかっているので、よりスピード感を持って対応したい」と言っているだけでは復興の歩みに「よりスピード感」を与えることは決してできまい。

 女性は石巻市役所に救済を求める。

 女性美容師「自営業者は失業保険がない。家がなくなった被災者は市から援助があるが、店がなくなった被災者には市からの援助はゼロだったんです。

 二重ローンを一本化して欲しい。今こそ公的な援助が欲しい。せめて市民なんだから、払う年数が長くなっても、月々の返済が少なくなれば、生きていけるのになあと思います」

 涙声になって訴えていた。

 石巻市役所担当者「被災自治体の厳しい財源では限界があり、市独自には支援できない」

 国は去年の11月、「東日本大震災事業者再生支援機構」の発足を決定。困窮する自営業者の対策につながるとしているが、実際に制度がスタートするのは2月からで、利用できるよになるのはさらにその先だと番組では伝えていて、「今まさに事業を再建しようとしている人たちの支援にはなっていない」と批判している。

 女性は降りた地震保険で新たに土地を購入、その土地を担保にカネを借りて、「イチかバチかやってみる。前に進まなければ、何も始まらない」と二重ローン覚悟で店再開に向けてスタートを切る。

 番組は初めから終わりまで国の震災対応の不備・不足を突き、その欠如・欠陥を洗い出している。

 だが、野田首相は視察先で、これまでの「スピード感」が功を奏しているとする前提に立ち、「被災者の生活がかかっているので、よりスピード感を持って対応したい」と請け合った。

 何と言う認識能力ある見識なのだろうか。 

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橋下大阪市長には中央集権体制が日本人のDNAから発しているという認識がない

2012-01-11 09:57:07 | Weblog

 1月8日日曜日放送「たかじんのそこまで言って委員会」は「新春早々緊急提言 たかじんのそこまで言って委員会から日本を変える」をテーマとしていた。提言者の一人として「大阪から日本を変える」をキャッチフレーズとしている橋下徹大阪新市長が登場、「大阪都構想」を通して「日本の国の形を変える」について熱弁を振るった。

 紹介が「大阪新市長」となったことについて、収録が就任の2011年12月19日以前で、まだ市長にはなっていないと言っていたが、就任後のテレビ放送である関係から、番組では「大阪市長」の肩書まま押し通した。

 橋下大阪市長「どんなにいい政策をつくっても、それがどんなに優秀だと言われるリーダーが誕生しても、今の日本の仕組みでは絶対に前へ向いて進むことはできません。

 これは政策と政治家、人です。それから政策を実現する装置、これが三つ合わさって、初めて政策というものは実現できる。

 この仕組って、何やろって言ったら、それが行政の仕組みなんですね。日本のこの行政の仕組みっていうのは、実は、明治時代の廃藩置県以来、明治政府が樹立して以来、なーんにも姿形変わっていないんです。

 これはコンピューターに譬えたら簡単なもんです。あのー、政治家のみなさんは政策ばっかりを語りたがる。政策というのは、コンピューターに言うところのソフトですね。しかし、コンピューター自身が壊れていたら、どんだけいい政策、どんだけいいソフトを開発したとしても、本来動きようにないんです。

 政治家のみなさんは、本当は今この時代に於いてやらなきゃいけないのは、この日本の根幹(「コッカン」と聞こえた。)運営システムを一からつくり直さなきゃいけないんです。

 明治140年前につくられたこの日本の国の仕組みを平成の世に於いてつくり直さなきゃいけないのに、ここを誰もやらない。

 なぜやらないかと言えば、やはりこれは国の形を変えようと思ったら、権力の形を変えるわけですから、ものー凄ーい権力闘争があるわけですよ。今のまんまで利益を受けている人たちが世の中にどれだけいるか。

 でもね、日本の国の形を言い出したらね、言いたいことは山程あるんですが、先ず第一に、今の日本の民主主義は物事を決める民主主義になっていません。物事が決まらないようにしている民主主義なんです。

 誰かに権限を渡さない。責任も渡さない。結局、みんなで話しあって、なーんにも決まらないというのが日本の今の仕組みなんです。

 大阪都構想は今まで大阪府庁、大阪市役所、このバカデカイ役所二つがですね、それぞれ、あのー、お互いの言い分言い争ってですね、なーんにも大阪全体で物事決まらなかったんです。

 大阪府と大阪市のこの戦争、100年戦争と言われていますが、この100年間に、大阪府と大阪市に横たわる問題、千も二千も山程あるんですよ。これを今回大阪都構想の前段階、僕と松井知事で新しい仕組みをつくりますから、この千や二千、大阪に横たわる問題、6カ月で全部解決していきます。これを見せます。

 だから、僕が言っているのは、よく大阪都構想というのは住民サービスがどうなるんだとよく言われるけどね、あんなバカな大学の教授の言うことだとかバカなコメンテーターの言うこと無視して、行っていきます。

 大阪都構想で住民サービスがどうなるんかなんてね、そんな馬鹿なこと考えないでください。物事を決める仕組みなんです。今大阪に課題は山程ありますから、これを決定する仕組みをつくりましたから、この6月までにドンドコ、ドンドコ解決していきます。

 国会見てくださいよ。国の政治、なーんにも決められないじゃないですか。

 そんなに大阪都構想、難しいこと考えないでください。これはなーんかと言えば、今の仕組みを全部ぶっ潰す。ガラガラポンをして、一からつくり直しましょうというのが大阪府庁、大阪市役所、大阪のありとあらゆる仕組みを一回全部崩します」

 桂ざこば「すみません。こういうのがこういうふうになると、言って貰いますか。物凄く分り易く」

 橋下大阪市長「例えば、水道事業については、平松(前大阪市長)さんと3年間話し合っても、結局決まりませんでしたが、今回5分で水道統合決まりました。僕がやるといえば、もう決まりです。後は役所がやります」

 辛坊治郎アナ「今の話はよく分かりましたけど、現実にやろうと思ったら、大阪府は首長(くびちょう)議会過半数ありますから、動きます。ところが、水道事業統合一つにしたって、大阪市議会、3分の2が必要ですね。86議席の内、33しか維新の会、取れていないと。

 現実問題として先に進めようと思ったら、議会で賛成してもらわないと、どうにもならない。どうするんです?」

 橋下大阪市長「物事を進めるには二つの要素が必要でしてね。先ずは統合するという決意を、これを行政側がしっかりと決意していなければなりません。決定した後、今度は議会の承認が必要なんですが、議会の承認はあとは有権者の判断なんですよ。

 だから、もし僕が水道事業の統合をやりたいというふうに決めます。もう決めましたけど。これで議会が反対してきたときに有権者のみなさんが何言ってるんだと、橋下の言うことに賛成しろよと言ってくれれば、議会はそれで動くんです」

 宮崎哲弥「そのー、議会どうなるかっていうことは、いずれ問題になってくる。もしそれに対して、徹底的に抗ってきたら、これは例えばリコールってことも、市民の側が視野に入れる必要があるということですか」

 橋下大阪市長「それはね、有権者が判断するってことです。僕がこれからこれからどんどん改革案を出します。それで議会がどんどん否決してきたら、もうこの議会をどうするか、僕をどうするか。僕を落として貰っても結構ですし、議会を入れ替える。これを有権者の責任だということですね」

 女優山口もえ「橋本さんは大志を持って変えたいという気持がひしひしと伝わってくるが、もう少し上から目線ではなく、下から目線で言うことができませんか、もうちょっと優しい言い方で」といったことを例の舌っ足らずな感じでやんわりと申し出る。周囲が爆笑。橋下も苦笑い。

 橋下大阪市長「権力というものは物凄い力を持っている。権力を変えようと思ったら、下から目線とか、そんなふうじゃあ、無理です。今までの明治時代につくられた仕組みをね、その継ぎはぎ、継ぎはぎでやってきたのが今の日本の現状、もうボロボロです。あと。3年5年経ったら、日本沈没ですよ。

 もしつくり直そうっていうんであれば、これはもう創造的破壊、一回壊して、新しいものを一からつくり直すということをやらないと、何も変わりません。

 だから、僕は次の総選挙、これはどうするかっていうことで、三宅(久之)先生が解散総選挙のあと、じゃあ、あー、民主党をぶっ壊した後に自民党がなるのかどうなのかと、そういうご指摘ありましたけども、一期4年ということをね、決めたメンバーがね、それこそ集結すべきだと思いますよ。一期4年ですよ。

 だから、普段からね、色んな政治の問題とかね、こういうことにギャーギャー、ギャーギャー口ばっかり言っている、口ばっかり出している人が口ばっかりじゃなくて、本当に一期をね、この期間だけ限定で、みんなが集まるってことをやるかどうか、もうこれしかね、日本は救えないですよ。

 これにね、またコメンテーターとか、また学者とか、学者さんがね、ワアーワアー文句ばっかり言っているような世の中じゃ・・・・」

 宮崎哲弥「僕も口ばっかの人間だけど」と言いながら、大阪府の教育は府教育委員会の決定ではなく、首長の決定とすべきだと前々から主張してきたといったことを発言。

 橋下大阪市長「教育委員会制度を変えようとしたら、どうなったか。僕らどうなったかと言ったら、教職員組合がフル稼働して、それはビラ配りから何から、凄かったんですよ。

 公務員制度改革やろうとしたら、どうなったか。大阪市役所の職員組合が、まあー、それはもう、みんな動いてですよ、橋下潰せで動くわけですよ。

 じゃあ、これを役所自体を変えていこうってなれば、今の大阪市役所で利益を得ている人たちは猛抵抗するわけですよ。大阪市役所と大阪府庁、たった二つの役所の再編成ができないのに何か国の形を変えれるんですか。

 国会の議員はみんな言うんですよ。選挙があったら、日本を変える、国の形を変える。それでいて、変えれない。大阪府庁、大阪市役所、役所の再編だけでも、血みどろの戦(いくさ)ですよ

 これをね、日本全体でやらないと、日本の再生はないです。

 で、やろうと思えば、今の国会議員では無理ですから、一期4年と決めて、もうこれをやったら、あとは解散という、そういう政治グループをつくって、あとはみなさん(パネラーに)、口先だけなんて言わずに、やってくださいよ」

 (以下省略)

 以上、橋下市長は物事が何も決まらない「日本の国の形を変える」には「明治時代につくられた仕組み」、「明治140年前につくられたこの日本の国の仕組み」を一からつくり直さなければならないと熱く語った。

 この「明治時代につくられた仕組み」、「明治140年前につくられたこの日本の国の仕組み」とは、直接的には「中央集権」という言葉遣いはしていないが、日本の政治決定システムが明治の以来の中央集権体制にあると言っていることと同じであるのは、2011年12月5日当ブログ記事――《橋下徹「国の形を変える」の可能性の阻害要件は簡単には変わらない日本人の権威主義性 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取り上げた大阪府知事時代の橋下氏の発言が証明している。

 橋下大阪府知事「国と地方は奴隷関係。(奴隷側に)公民権を。(地方自治体に)拒否権とか議決権を制度として与えてほしい」(時事ドットコム/2009年7月8日(水)14:03)

 ここでも直接的には「中央集権」という言葉は使っていないが、「国と地方は奴隷関係」とは中央(=国)が地方を支配し、地方が中央(=国)に支配され、従属する中央集権体制の関係に他ならないはずだ。

 確かに政治体制は明治維新以降、近代化され、西洋の制度を多く取り入れたものの、国という中央を支配的な上の位置に置き、地方を従属的な下の位置に置いて国という中央が自らに権力を集中して地方を支配・従属させる中央集権の政治体制を西欧化・近代化に反して戦後の現在も引きずっているということは、誰でもない、日本人自身がつくり上げた政治体制と見做さざるを得ないはずである。

 いわば日本人性が反映した中央集権体制であって、国を上に置き、地方を下に置く中央集権の上下の価値観に相互対応する日本人性とは上が下を従わせ、下が上に従う、日本人が自らの行動様式とし、思考様式としている権威主義を措いて他にはないはずだ。

 いわば中央集権体制を構築させているそもそもの精神構造は日本人が血とし肉としている権威主義の行動様式・思考様式から発して、その反映としてあるということである。

 そうである以上、明治の廃藩置県以来の中央集権体制ではなく、明治維新以前の封建時代――中央が地方支配を確立し、歴史的にも証明されている中央集権国家たる6世紀以降の大和政権に始まって飛鳥・奈良・平安と続いて明治政府もその例に漏れず、今日に至るまで生き永らえた中央集権体制と見做さなければならない。

 江戸幕府時代は各藩は独立の領地を持つといってもタテマエ上であって、領地の規模、転封、移封、減封は幕府の意向次第で決定されたし、藩主の任命自体が申し出た継承の最終決定権は幕府にあった純然たる中央集権国家であった。

 日本人が権威主義の行動様式・思考様式を血とし肉としていることは次のように譬えることができる。明治維新で西欧化・近代化を目指して西洋の文物・制度を多く取り入れた。だが、歴史的に引きずってきた権威主義を払拭できず、西欧化・近代化は和服から替えたズボンや靴や背広といった身体の表面を覆う衣装で終わり、封建時代以来の中央集権制制度を明治維新を跨いで踏襲するに至った。

 また、日中戦争、太平洋戦争で歴史的にも国家的にも手痛い敗北を喫し、戦後アメリカによって民主主義と自由・平等の思想を植え付けられながら、それは明治維新のときと同じように身につける衣装で終わり、精神とするまでに至らず、中央集権制度を戦後も政治体制とすることとなった。

 日本人が権威主義の行動様式・思考様式を血とし肉としているからに他ならない。本質のところでどのような時代の波も受けつけなかった原因がそこにある。

 となると、橋下市長が「大阪から国を変える」といくらいきり立っても、一筋縄でいかないことになる。

 最近地方分権が騒がしく言われ、国から地方への権限移譲の要求が高まっているが、2006年8月4日当ブログ記事――《日本人性の反映としてある国と地方の関係- 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたように国の権限を地方の中央を形成している都道府県が握って、その“中央”から見た市町村という“地方”に対して中央集権体制を敷いたなら、中央集権体制の国から地方への移譲で終わるのみで、国を根本的に変えることにはならない。

 何しろ日本人性としてある中央集権体制である。日本人の権威主義的行動様式・思考様式と相互照射し合っている中央集権であって、明治維新や戦後と同様に単に表面的な変化で終わりかねない。

 橋下市長は「明治時代につくられた仕組み」、「明治140年前につくられたこの日本の国の仕組み」として説明している中央集権体制が日本人性から発しているということに強く意識して、一人ひとりの意識の変革を求めることをしなかったなら、制度そものを変えることができたしても、明治維新や戦後の二の舞を繰返すことになるに違いない。
 
 当然、橋下市長の大阪都構想を通して日本の国を変えるという主張には中央集権体制は日本人のDNAとしてある権威主義性から発しているという認識に立った主張でなければならないことになるはずだが、その認識もなく持論を述べているように見える。

 当然、その主張には矛盾が生じる。

 橋下市長は「大阪都構想」とは「物事を決める仕組み」を変えることであって、「大阪都構想で住民サービスがどうなるんか」を、いわば変えることではないと言っている。

 「大阪都構想で住民サービスがどうなるんかなんてね、そんな馬鹿なこと考えないでください」と言っている。橋下政治は住民サービスなど眼中にないと言っているに等しい。

 だが、橋下氏は「今のまんまで利益を受けている人たちが世の中にどれだけいるか」という表現で行政での既得権益化を伝えているが、実質的には「物事を決める仕組み変える」ということは行政の既得権益を剥がして、住民の権益とするということでなければならないはずだ。

 その認識もなく、大阪府や大阪市が国の手を離れた場所で「物事を決める仕組み」をどのように変えたとしても、それが従来どおりの中央集権体制を根付かせて、大阪府や大阪市が国に代わって単に頂点に立ったというだけのことなら、国が省益や政官業癒着を優先させたように下に位置する住民よりも上に位置する府や市の利益を優先させる政治を行うことになる。

 中央集権体制とはそういうものである。国を地方の上に置くだけではなく、国民主権と言いながら、国家を国民(=住民)の上に置いているのが中央集権体制でもあるからだ。

 橋下氏は「大阪都構想」によって「物事を決める仕組み」を変えることは最終的には「住民サービスがどうなるんか」という住民サービスの向上に行き着くと言って初めて中央集権体制を離れて住民主権(国の立場から言うと、国民主権)の政治とすることができる。

 そうでなければ、「物事を決める仕組み」をいくら変えようと、意味を成さないはずだ。

 また水道事業統合について、「例えば、水道事業については、平松(前大阪市長)さんと3年間話し合っても、結局決まりませんでしたが、今回5分で水道統合決まりました。僕がやるといえば、もう決まりです。後は役所がやります」と言っているが、これは単に大阪府、あるいは大阪市を頂点とした(多分橋下氏と松井府知事の力関係から見て、大阪市を頂点に立たしめているのだろう)中央集権による上からの制度のつくり替えを説明したに過ぎない。

 統合以前と比較して統合後は制度のつくり替えによって大阪市民にどれ程の利益となるか、「住民サービスがどうなるんか」、いわばどんな渇水期にも給水を切らさず、水道料をこれだけ安くできるといった具体的、懇切な説明を行なって、中身の制度のつくり替えを証明しないことには事業統合は権益を行政から住民に付け替えたことにはならない。

 「大阪都構想」実現には地方自治法等の改正といった国の支援が必要となる。国の支援を受けることができない場合、次の総選挙で維新の会から立候補者を送り、当選させた数の勢いで国に法律改正を迫る構えでいる。

 それが、「一期4年ということをね、決めたメンバーがね、それこそ集結すべきだと思いますよ。一期4年ですよ」という発言となり、「やろうと思えば、今の国会議員では無理ですから、一期4年と決めて、もうこれをやったら、あとは解散という、そういう政治グループをつくって、あとはみなさん(パネラーに)、口先だけなんて言わずに、やってくださいよ」という発言となって現れている。

 だが、「国の形を変えようと思ったら、権力の形を変えるわけですから、ものー凄ーい権力闘争があるわけですよ。今のまんまで利益を受けている人たちが世の中にどれだけいるか」と自身も言っているように日本の中央集権体制は明治維新でも戦後の民主化でも変えることができなかった程に牢固とした強靭さを誇って眼前に立ち塞がっている。

 だからこその「今の国会議員では無理ですから」の認識だと思うが、「一期4年と決めて、もうこれをやったら、あとは解散という、そういう政治グループ」は現在議席を占めている「今の国会議員」の多くを押しのけて、他党の賛同者も含めて過半数を占めなければ法律一本も通せないことになる。

 このことは辛坊アナが「大阪市議会、3分の2が必要」と言っていたことに対応する困難であるが、国会の場合、より多くの困難さが付き纏うことになる。

 このことを証明しているのが国民新党の郵政改革法案であろう。与党の一角を締めながら、少数政党であることと参議院与野党逆転状況が障害となって、今以て法案を通すことができないでいる。

 議員は選挙民と簡単には解(ほど)くことのできない様々な利害で結びついている。血縁関係からの結びつき、地縁関係からの結びつき、利益供与等の経済的利害からの結びつき等々、一朝一夕には排除できない利害関係である。

 いわばそれぞれが既得権益という利害で動く。大阪都構想と結びついて、遠く離れた選挙区でも選挙で当選を約束してくれる既得権益ともなって、従来の既得権益とプラスマイナスプラスが大きく上回るなら賛成もするだろうが、日本の中央集権体制が日本人のDNAとしてある権威主義性から発しているという認識がないことに加えて、鼻息の荒さだけは窺うことができるが、どおうも楽天的に過ぎるように思える。

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野田政権の消費税増税は中・低所得層の負担軽減よりも行政利益・国家利益を優先させた逆進性対策

2012-01-10 05:54:00 | Weblog

 共同通信社が1月7日、8日(2012年)世論調査を行なっている。

 《内閣不支持 初の50%超 世論調査 増税74%「説明不足」》東京新聞/2012年1月9日)

 この調査を、〈消費税増税を柱とする社会保障と税の一体改革大綱素案の決定を受け全国電話世論調査〉だとしている。

 内閣支持率

 「支持する」 ――35・7%(前回2011年12月調査 -8・9ポイント)
 「支持しない」――50・5%(前回2011年12月調査+10・2ポイント)

 これは政権発足以来の初めての半数超えの不支持率で、支持率と逆転。

 大綱素案に関しての野田首相の国民に対する説明

 「十分に説明していない」――74・4%

 与野党協議について

 「野党は応じるべきだ」――74・6%

 政党支持率

 「民主党」――20・7%
 「自民党」――22・4%

 野田内閣になって初めての民・自逆転だと書いてある。

 次期衆院選比例代表投票先

 「自民党」――27・5%
 「民主党」――20・5%

 記事解説。〈内閣支持率と合わせ増税をめぐる民主党議員離党の動きなどがマイナスに働いたとみられる。〉

 八ッ場ダム建設再開を決定

 「納得できない」――58・7%

 この記事には記載はないが、共同通信の世論調査を伝えている他の記事の増税賛否。

 消費税率を2段階で10%に引き上げる大綱素案について

 「賛成」――45・6%
 「反対」――52・9%

 また、共同通信社の世論調査を伝えているどの記事も議員定数削減や公務員定数削減、そして公務員人件費削減を行った上で、「それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」と消費税増税の前提としながら、消費税増税が先行していることの野田首相の公約違反に関して、調査項目に加えていなかったのか、何ら触れていない。

 この公約違反も影響している内閣支持率の低落でもあるに違いない。

 問題は消費税増税に関する説明不足と増税に反対が半数以上で上回っていることだろう。「反対」の52・9%の殆どが増税が生活不安に直結する、あるいはそれ以上に生活困窮に直結すると把えている国民であって、それが半数を占めていると見ることができる。

 増税されても、生活に余裕を失わない国民は国の財政事情を考えた場合、反対する国民は少ないはずだ。

 だが、例え消費税を増税しても、中・低所得者が安心して日々の生活をしていけるとする十分な説明がないから、反対がなかなか減らない。逆に説明不足の不親切が内閣支持率を下げることになる。

 野田首相は「正心誠意」をモットーとしているが、内実は不親切を性格としていると見做さざるを得ない。

 1月6日(2012年)に閣議決定したという、《社会保障・税一体改革素案について》のpdf記事から消費税増税に関する記載箇所を中・低所得層の視点から覗いてみた。  

 消費税増税の目的について、〈国民すべてが人生の様々な段階で受益者となり得る社会保障を支える経費は、国民全体が皆で分かち合わなければならない。世代を通じて幅広い国民が負担する消費税の税率を引き上げるとともに、世代内でも、より負担能力に応じて社会保障の負担を分かち合う仕組みとしていくことにより、世代間・世代内の公平性を確保しつつ、社会保障の給付水準に見合った負担を国民全体で担っていかなければならない。

 同時に、今回の改革で盛り込まれている社会保障の充実策は、年金国庫負担2分の1の恒久化を含め、消費税率の引上げによる安定財源の確保が前提であり、社会保障の機能強化や安定化を図るためにも、それに見合う安定財源を着実に確保していく必要がある。〉ともっともらしい美しいことを言っているが、その美しさに応えることができる生活余裕者ならいいが、問題は先のことよりも日々の生活が成り立つかどうかといった状況に置かれている生活者である。

 特に日々やっとの生活を送っていて、1日先のことよりも今日1日のことを考えて、その繰返しで日を送っている低所得者にとって、「国民すべてが人生の様々な段階で受益者となり得る社会保障」だ、「社会保障の給付水準に見合った負担を国民全体で担っていかなければならない」だは、殆ど意味もなく映るに違いない。

 低所得者対策は次のような記載となっている。

 〈消費税(国・地方)の税率構造については、食料品等に対し軽減税率を適用した場合、高額所得者ほど負担軽減額が大きくなること、課税ベースが大きく侵食されること、事業者の負担が増すこと等を踏まえ、今回の改革においては単一税率を維持することとする。〉

 〈所得の少ない家計ほど、食料品向けを含めた消費支出の割合が高いために、消費税負担率も高くなるという、いわゆる逆進性の問題も踏まえ、2015年度以降の番号制度の本格稼動・定着後の実施を念頭に、関連する社会保障制度の見直しや所得控除の抜本的な整理とあわせ、総合合算制度や給付付き税額控除等、再分配に関する総合的な施策を導入する。〉

 軽減税率「高額所得者ほど負担軽減額が大きくなる」「課税ベースが大きく侵食される」から、導入しないとしている。

 いわば税収が減ることからの導入反対ということだが、だとすると、逆進性対策としての「総合合算制度・給付付き税額控除」等の導入予定は軽減税率導入よりも税収減を相殺できることが理由ということになる。

 以上のことは中・低所得層の負担軽減よりも行政利益・国家利益を優先させた消費税増税逆進性対策であることを物語っている。

 野田政権は高額所得者の所得税の最高税率を現在の40%から45%に引き上げる方針でいる。軽減税率導入によって高額所得者程負担軽減額が大きくなるなら、このことを十分に説明した上で、負担軽減を埋め合わせる形で高額所得者の所得税最高税率に上乗せして、軽減税率導入による高額所得者程負担軽減額をプラスマイナスゼロ相当に持っていってもいいわけである。

 また、軽減税率導入によって税収が減額される分、一千万円以上の高級車や1億円以上もする豪邸の購入に対してより高い税率とすることで補ってもいいはずである。

 素案では低所得層対策にもっともらしい理屈をつけているが、中・低所得層の負担軽減よりも行政利益・国家利益を優先させた消費税増税逆進性対策であることは次の記事が証明してくれる。《給付付き税額控除制度を採用へ 民主党》MSN産経/2011.12.11 01:37)

 記事は、〈欧州などでは消費税への低所得者対策として軽減税率が広く使われているが、民主党が軽減税率に否定的〉な理由を次のように伝えている。

 藤井裕久党税調会長(「生活必需品」の範囲を決める際に)「政治の恣意的(しいてき)なものが入り、利権も生まれる可能性がある」

 この男の言葉には低所得層に対する視点が一切ない。

 国のどのような補助金制度でも、あるいは官僚の天下り先となっている特殊法人や独立行政法人でも利権や補助金・予算の目的外使途、あるいは私利・私物化がなくならずには存在する。

 このような不正、恣意的使途に目を光らせるのも政治の役目のはずである。第一番に持ってくるべきは低所得層が生活していけるかどうかの視点であって、利権云々は別の問題であるはずである。

 財務省幹部(軽減税率導入は)「対象品目の線引きが難しい」 

 これも中・低所得層の負担軽減よりも行政利益・国家利益を優先させた発言となっている。欧米ではこの男が「難しい」と言っている「対象品目の線引き」を行なって、高額所得者程負担軽減額が大きいことと課税ベースが大きく侵食されることを問題とせずに軽減税率を導入して、中・低所得層の負担軽減対策としているのである。

 財務省の言いなりだからなのだろう、中・低所得層の負担軽減よりも行政利益・国家利益を優先させることができる。

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菅首相の「原発周辺10年、20年住めない」発言の真偽を改めて検証してみる

2012-01-08 09:47:26 | Weblog

 改めての検証を思い立ったのは次の記事を見たからである。《最悪シナリオ、福島事故後に検討 政府は公表せず》47NEWS/2012/01/06 13:51【共同通信】)

 本題と少々外れるが、細野原発事故担当相の12月6日(2011年)閣議後の記者会見で、〈福島第1原発事故発生後、1号機の原子炉が爆発して制御不能となり、4号機の使用済み燃料プールから水がなくなり、燃料が損傷する事態を想定した「最悪のシナリオ」を政府内で作成していたことを明らかにした〉という。

 この「最悪シナリオ」は当時の菅首相の指示で近藤駿介・原子力委員長が事故発生2週間後の3月25日に作成し、その報告書を菅に提出。

 後に触れる「毎日jp」の「最悪シナリオ」の記述は、〈さらなる水素爆発や使用済み核燃料プールの燃料溶融が起きた場合、原発から半径170キロ圏内が旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)の強制移住地域の汚染レベルになると試算していた。〉となっている。

 政府がこのシナリオを公表しなかった理由について。

 細野原発事故担当相「想定しにくいシナリオをあえて描いたもので、過度な、必要ない心配をさせる可能性があった。当時の対応として間違ったことはしていない」

 なぜ、「想定しにくいシナリオをあえて描いた」のだろうか。多分、危機管理上、想定外を想定内と看做して最悪のシナリオを想定したということなのだろうが、だとしたら、最悪のシナリオに対する防御方法も想定しないことには危機管理とはならない。

 断るまでもなく危機を管理するシナリオまで想定することを危機管理と言い、想定した危機が万が一にも実際に発生した場合、想定した危機管理のシナリオに則って、ときには臨機応変の機転を加えて危機を管理することを危機管理と言うからだ。

 この危機管理には原子炉のコントロールとコントロールしきれなかった場合の住民避難の的確なコントロールも想定に入れていなけれがならない。

 このことを言い換えると、危機管理とは想定した危機が現実に起きた場合を前提として前以て対策を練ることを言うはずだ。

 当然、危機管理上、「想定しにくいシナリオをあえて描いた」としたなら、危機を管理する防御のシナリオも同時に描いていた(=想定していた)はずで、万が一にもその想定外の危機が現実のものとなったとしても、公表していなかった場合、突発的危機として住民を襲うこととなって却ってパニックを誘発することになるが、公表していた場合は当座はある程度のパニックを誘うだろうが、住民は前以て公表されていた避難方法に則って避難を心がけようとするだろうから、却ってパニックを制御する働きをするはずだ。

 いわば、「過度な、必要ない心配をさせる可能性」を想定して公表しなかったことが却って仇となりかねない。

 細野のこの発言は3月11日(2011年)東日本大震災発生直後から「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」を作動させて放射性物質の拡散状況を予測していながら、公表もせず、住民避難に役立てもしなかった政府の対応を釈明して、細野が「公開することによって、社会全体にパニックが起きることを懸念したというのが実体であります」と言っていたことに通じるものがある。

 公表しないままの住民避難指示であっても、パニックは起きなかったが、だからと言って、公表したならパニックは必ず起こったとする保証はない。

 公表しなかったことによって、放射性物質の拡散方向に住民は避難し、例え少量であっても、却って被曝させているのである。

 この近藤駿介・原子力委員長が事故発生2週間後の3月25日に「最悪シナリオ」を作成したという事実は「毎日jp」が12月24日付で報じ、「YOMIURI ONLINE」が12月31日付で既に報じている。

 《福島第1原発:「最悪シナリオ」原子力委員長が3月に作成》(2011年12月24日 15時10分)

 この記事は2011年12月25日当ブログ記事――《菅直人の一国のリーダーとしての仮面・元市民派としての仮面が剥がれていく - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で別のテーマで既に利用している

 「毎日jp」は報告書の無公表については何も触れていないが、「YOMIURI ONLINE」記事は政府関係者の発言として触れている。

 政府関係者「最悪の事態が起きても避難する時間的余裕はあり、パニックを防ぐため報告書は公表しなかった」

 「避難する時間的余裕」があるなら、そのことを周知させて、住民の側からの、あるいは国民の側からのこのような場合の危機管理の学習のためにも公表すべきだったろう。

 公表によって住民が次々に避難を開始するパニックが起きたとしても、正しいことだったのかそうでなかったのかを学習するための経験及び機会となるはずである。

 近藤駿介・原子力委員長が事故発生2週間後の3月25日に「最悪シナリオ」を作成し、当時の菅首相に報告した。

 2011年4月14日当ブログ記事――《菅首相の「原発周辺10年、20年住めない」発言の真偽を解く - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも書いたが、松本健一内閣府参与が、菅首相が「原発周辺は10年、20年住めない」と言ったと発言したのは近藤駿介・原子力委員長の「最悪シナリオ」作成の3月25日から19日後の4月13日である。

 松本参与「(福島第1原発から)放射能が漏れ続け、土地が汚染され続けると、復興をそこで考えることはできない。そこの人々は当面戻ることができないので、新しい都市を内陸部につくって、5万人とか10万人とかの規模のエコタウンをつくるという復興の方向があるだろうと(首相に)申し上げた。

 原発の周囲30キロ辺り、場合によっては飯舘村のように30キロ以上のところもあるが、そこには当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる。そういう人々を住まわせる都市を、エコタウンを考えなければならないということを(首相は)言っていた」(時事ドットコム

 だが、菅首相は自分は言っていないと発言を否定し、松本内閣府参与は後に自分の発言だと訂正している。

 菅首相は報告書の中の、〈さらなる水素爆発や使用済み核燃料プールの燃料溶融が起きた場合、原発から半径170キロ圏内が旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)の強制移住地域の汚染レベルになる〉とする試算を目に触れていたはずである。

 勿論、あくまでも危機管理上の「最悪シナリオ」――想定外の想定であって、現実の事態とはなっていないが、頭の隅に認識だけはしていたはずである。

 認識していたと考えると、住民の帰宅時期に少なくとも敏感にならざるを得ないはずである。

 菅直人の人格を考えると、実際に頭を悩ましていたかどうか分からないが、放射能汚染濃度に応じて最も除染困難な地域の帰宅がいつになるか、頭を悩ますことになる。

 少なくとも首相として、帰宅のシナリオを策定しなければならない。

 しかも東京工業大学理学部応用物理学科を卒業していて、3月16日(2011年)首相官邸で笹森清内閣特別顧問と会談、「僕はものすごく原子力(分野)は強いんだ」(asahi.com)と発言したことが笹森特別顧問を通じて伝えられている。

 自身も考えていた帰宅のシナリオであろう。

 一方、松本健一内閣府参与は東京大学経済学部卒業、現在、麗澤大学比較文明文化研究センター所長であり、麗澤大学経済学部教授を務めていて、評論や思想等を文筆してはいるが、原子力に関してはシロウトである。

 原子力にシロウトの内閣府参与が「原子力に強い」一国の首相にして原子力災害対策本部長に向かって、「10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる」などと発言できるだろうか。
 
 少なくとも菅首相の何らかの示唆を受けた、示唆に応える形式の「10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってきますね」でなくてはならない。

 そして政府は8月27日(2011年)の福島県との定期協議の初会合で、年間推定被曝量100ミリシーベルト地域は除染などの作業を行わなかった場合、政府目標の年間20ミリシーベルト以下になるのにおよそ10年かかり、150ミリシーベルトの地域ではおよそ20年かかるという試算を示した。《政府 長期間帰宅困難な地域も》NHK NEWS WEB/2011年8月27日 19時52分)

 政府の責任として除染を行った場合の試算を示すべきを、その責任を放棄して、「除染などの作業を行わなかった場合」という条件をつけたということは3月11日原発事故発生から5カ月を要した8月27日の時点になっても、除染の具体的な進捗状況を正確には把握できていないことを何よりも物語っているはずである。

 正確に把握できたいたなら、「除染などの作業を行わなかった場合」などという条件をわざわざつけはしない。除染を行ったとしても、150ミリシーベルト地域に於ける20年を15年に短縮できるか、10年に短縮できるか、明確には分からないということである。

 このことは細野発言が証明している。
 
 細野原発事故担当相「この期間を今後、除染によって、どれくらい前倒しして短くできるかについて、自治体とも協力して挑戦したい。かなり長期にわたってなかなか帰宅が難しい方が出てくる現実は、直視しなければならない」・・・・

 「直視しなければならない」ということは否定することはできないの意味であるはずである。

 菅首相「原子力発電所そのものは、だんだん落ち着いてきているが、早い段階で放出してしまった放射性物質の影響が、いろいろな形で広がっている。除染の問題にしっかりと取り組み、皆さんが元にいた所に帰っていただけるよう、全力を挙げて取り組むことを約束したい。政府としての役割は、必ず、次の総理大臣にきっちりと引き継ぎたい」

 「除染によって、どれくらい前倒しして短くできるか」不明であるにもかかわらず、その点を言葉の約束で埋め合わせている責任感覚は決して立派なものとは言えない。

 4月13日の「10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる」が誰の発言であっても、8月27日の時点以上に除染の具体的な進捗状況が正確には把握できていない事態下の発言であった。

 なおさらに帰宅時期が把握困難であったはずで、そのような困難を反映した「10年住めないのか、20年住めないのか」云々だとしたら、納得できる年数ということになるが、同時に発言の主体はなおさらに帰宅に責任を負う菅首相でなければならないことになる。

 どう見ても、菅首相が責任回避意識から自分の発言ではないと嘘をついた一騒動だと見做さざるを得ない。

 以上はあくまでも状況証拠に基づいた揣摩憶測に近い検証に過ぎないが、一国のリーダーの資質を占う責任意識、あるいはその逆の責任回避意識に関わってくる問題である。

 どうしても疎かにできない思いで、改めて取り上げてみた。

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