《橋下市長、全廃撤回“改革”後退 公明に配慮》(47NEWS/2012/07/19 19:32 【共同通信】) 橋下徹大阪市長が大阪府知事就任前の2006年、大阪市内の高級クラブ勤務の女性と不倫していたする記事を7月19日発売の週刊文春が取り上げているという。
橋下市長の過去不倫なんぞはどうでもいいが、そこに現れている言葉の信用性は現在進行形であって、簡単には見過ごすことはできない。特に政治家の言行一致・不一致に対する判断は言葉の信用性と深く関係してくる。
《橋下市長が女性問題認める 週刊誌報道めぐり「僕のポカで家族に迷惑」》(MSN産経/2012.7.18 21:43)
7月18日午後の記者会見の発言だそうだ。
橋下市長「事実の部分と事実でない部分があるが、まずは妻に説明したい。
僕のポカで家族に迷惑をかけた。子供には本当に申し訳ない」
週刊誌の不倫報道は全部が事実であるわけではない、ウソが混じっているとしている。
と言うことは、全部がウソではない(何から何まで虚偽報道ではない)、事実も混じっているということになる。当然、両者の比率、各重要性が問題となる。
例えばある日のホテルへの出入りは橋本徹の車で行ったと書いてあるが、それはウソで、彼女の車で行ったのが事実だと言ったとしても、そのウソ・事実は取り上げるに足らない、重要でも何でもない問題であって、そこにウソがあるとすることはできない事実であるはずだ。
但し橋下市長はホテルへの出入りを否定している。いや深い関係になったことを否定している。
橋下市長「(女性との)飲食までは認める。まだ妻に説明していない。これから凄いペナルティーが待っている」
まさかこの「飲食までは認める」という言葉は深い関係になったが、飲食までの関係は認めて、妻にも誰にもそれ以上の関係は認めないという意味ではあるまい。飲食を共にしただけの関係で、それ以上の発展はなかったという意味であるはずだ。
いわばウソ偽りのない事実は定期的に特定の若い女性と飲食を共にした。それだけの関係なのに、「凄いペナルティー」を覚悟しなければならないということは妻は「凄い」厳格な女性ということになる。
記事。〈(週刊誌の)記事は女性が橋下氏との関係を告白する内容。女性は当時20代後半で、“茶髪の弁護士”としてテレビのコメンテーターなどで活躍していた橋下氏が知人らと来店するうちに親しくなり、飲食などを共にするようになったと報じている。〉――
橋下市長「(知事就任前は)聖人君子のような生き方はしていなかった。茶髪だったころの姿と重ね合わせてもらえば分かるかもしれない」
飲食を共にしただけの関係であって、深い関係になったわけでも何でもないのに、「聖人君子のような生き方はしていなかった」とは大袈裟に過ぎ、奇異な弁解に映る。
妻以外の女性と何回か食事しただけで、男はみな聖人君子ではなくなることになる。「何回か一緒に食事しただけですよ」で済むはずだ。
しかも、「茶髪だったころの姿と重ね合わせてもらえば分かるかもしれない」と言って、見た目、茶髪イコール聖人君子ではないとしている。
いわば髪の色などの外見を人格や性格の判断基準としていることになる。例え茶髪・金髪であっても、正直に生きている男性に失礼を働くことになり、見た目で判断しないでくれとよ批判を受けそうだが、「入れ墨をやったからといって、人間的に全てだめだとか言うつもりもないんですけど」と言いながら、市役所の全職員を対象に入れ墨調査をしたのも、見た目の外見を人格や性格の判断基準としていることの影響なのかもしれない。
翌日の新聞記事。人気者だから、マスコミは放っておいてはくれない。《「家庭内のことなので…」15連発 橋下市長、女性問題で「妻と子供に謝り続ける」》(MSN産経/2012.7.19 21:59)
写真のキャプションには、冗談交じりの〈前日とは一転、神妙な表情で取材に応じる橋下徹市長。言葉も歯切れが悪かった〉と書いてある。
発言は7月18日午後の記者会見に続いて、夜の退庁時も市役所で記者団に応対した時の発言となっている。
橋下市長「市民からの信頼が大きく失墜することは間違いない。(「大阪維新の会」への影響について)政治団体は応援してもらえるかが全て。大きな影響になり、メンバーに申し訳ない。
妻は怒っている。きちんと妻に話して謝り続けないといけない。妻にとって最低の夫。子供にとって、これほど最低な父親はいない。
(自身の進退について)僕が携わる選挙で審判がある」
記事結び。〈19日夜の記者団対応は12分間にわたり、中には「土下座はしたのか」「家庭内での支持率は」などと厳しい質問も。橋下氏は15回ほど「家庭内のことですから」と言葉をにごす返答を繰り返し、いつもの明快さは影を潜めていた。〉――
午後の記者会見では、「飲食までは認める」と言って、深い関係になったわけではないことを訴えていたが、退庁時の発言は深い関係になったことは事実だと自ら認めて、その事実を前提とした発言となっている。
当然、「飲食までは認める」はウソをついたことになる。このウソは既に茶髪ではないのだから、茶髪という見た目の外見のせいにすることはできない。
橋下市長の現在進行形の言葉の信用性に深く関わってくるウソということになる。
過去の女性問題はこれくらいにして、橋下徹大阪市長の言葉の信用性は政治発言にも現れている。相互に響き合っている言葉の信用性なのかもしれない。
その一つとして、次の記事が際立った証明となる。全文参考引用。
大阪市の橋下徹市長は19日の市議会委員会で、市内5館の市立男女共同参画センター(クレオ大阪)について、事業見直し案で掲げた全廃方針を撤回し1館を残す意向を表明した。同様に全廃方針だった生涯学習センター5館も「複数箇所を存続させる」と方針転換した。
いずれも施設の重要性を訴える公明党議員の質問への答弁。市議会第2会派で議会運営の鍵を握る同党に配慮した格好だが、「聖域なきゼロベースの見直し」をうたった橋下改革の後退も印象付けた。
大阪市は6月にまとめた「市政改革プラン」案で、経費削減のためクレオ大阪と生涯学習センターを2014年3月で全廃する方針を打ち出していた。
「Wikipedia」によると、市町村長の議会解散権は議会から不信任の議決を受けた場合(地方自治法第178条)と不信任の議決を受けたと見なせる場合(地方自治法第177条第4項)に限られ、この要件を満たさない市町村長の議会解散権の行使は無効とされるということだが、この件で反対の採決であったなら、不信任の議決を受けたと見做して解散に打って出て、選挙で維新の会の市議会議員で過半数を占めてから目的の政策を実行したなら、言葉の信用性を失わずに済むはずだ。
議会解散ができなければ、次の選挙を待って、多数派形成を果たすべきだろう。言葉の信用性を失うことが重なった場合、このことに対応して支持率が下がることになり、市議会で維新の会が過半数を獲得できなければ、妥協を重ねることになって益々言葉の信用性を失う悪循環に陥らないとは限らない。
このことは野田首相が既に数々演じてきた、与党の主体性を失った妥協を証拠として挙げることができる。
橋下市長は野田政権の大飯原発再稼働に向けた動きを批判、4月13日に次のように発言した。
橋下市長「こんな再稼働、絶対許しちゃいけないと思いますね。もしストップかけるんだったら、国民の皆さんが民主党政権を倒すしかないですよ。僕はもう、民主党政権には、反対、反対でいきます」(FNNニュース)
いわゆる民主党妥当宣言である。
さらに消費税増税一辺倒で突っ走る野田政権に対しての6月22日の発言。
橋下市長「マニフェスト(政権公約)に書いていないことをやるのは、国民との間の重大な手続き違反だ。(消費税増税は)安全保障と並ぶぐらい重大な政策。民主党内の手続きを経ているかもしれないが、(選挙という)国民の信を問う手続きを経ていない。増税や社会保障の議論は、選挙を踏んでからやるべきだ」(YOMIURI ONLINE)
ところが2週間も経つと、野田政権を評価するようになった。《橋下市長 首相は決める政治をしている》(NHK NEWS WEB/2012年7月10日 17時34分)
7月10日の発言。
橋下市長「集団的自衛権の議論をするとか、TPP=環太平洋パートナーシップ協定への参加を表明するとか、消費税率も上げて社会保障の議論もするなどと、確実に『決める政治』をしている。
野田総理大臣を核に、民主・自民両党の考え方が近い人が集まれば、ものすごく力強い政権運営になり、支持率も上がる。今の民主・自民両党の再編で、国民は満足すると思う。
首相はどんどん今、自らの価値観で(政策の)軸を示されている。(首相らと)考え方が同じ人たちでグループ再編されることをすごい期待している。
野田総理大臣が大変なのは労働組合との関係だ。われわれと民主党とは、公務員の労働組合との距離感が決定的に違う。政治は考え方も重要だが、誰から支援を受けるのかも、すごく重要だ」
相互の支持母体の違いに言及しているが、それ以外の評価に関しては君子豹変とはこのことかもしれない。従来の批判に対する突然の評価の言葉の信用性だけではない。「決める政治」とは何を決めてもいいわけではない。的確な政策目標とその中身・実効性を伴って、なおかつ国民に利益をもたらす「政治は結果責任」の結果を待って初めて「決める政治」であると評価可能となる。
消費税増税を果たしました。それを財源とした社会保障制度改革は満足に機能せず、消費税増税によって国民の生活が苦しくなっただけのことでしたでは「決める政治」でも何でもない。
だが、政策目標の如何、その中身と実効可能性を評価する言葉、結果責任対する見通しの言葉を用いずに政府の妥協の上に妥協を重ねたことによって成り立った3党合意による衆院採決のみを以って、「決める政治」だと無条件の評価を与えている言葉の信用性が問題となる。
改革を目指しているとしている社会保障制度にしても、与党と野党では同床異夢である。どう決着がつくかは数の力が関係してくる。
同床異夢について言うと、橋下氏の茶髪時代の不倫は女性と橋下氏が一つベッドに寝ていても同床異夢だったからこそ、今頃になって週刊誌に情報を売ることになったはずだ。
もし相手の女性も橋下氏も単なる浮気だと割り切っていたなら、ネタ売りなどしないはずだ。割り切っていたのは橋下氏の方だけだった可能性が高い。
大体が集団的自衛権にしても、TPP=環太平洋パートナーシップ協定への参加にしても、社会保障にしても、議論だけは誰でもできる。議論と「決める政治」とは似ても似つかないプロセスにある。
にも関わらず、議論を持って「決める政治」とすることができる言葉の信用性には確かなものがあって、素晴らしい。
橋下大阪市長の言葉の信用性は現在も進行形で続いている。