橋下大阪市長の過去不倫なんぞはどうでもいいが、そこに現れている言葉の信用性は現在進行形

2012-07-20 11:02:17 | Weblog

 橋下徹大阪市長が大阪府知事就任前の2006年、大阪市内の高級クラブ勤務の女性と不倫していたする記事を7月19日発売の週刊文春が取り上げているという。

 橋下市長の過去不倫なんぞはどうでもいいが、そこに現れている言葉の信用性は現在進行形であって、簡単には見過ごすことはできない。特に政治家の言行一致・不一致に対する判断は言葉の信用性と深く関係してくる。

 《橋下市長が女性問題認める 週刊誌報道めぐり「僕のポカで家族に迷惑」》MSN産経/2012.7.18 21:43)

 7月18日午後の記者会見の発言だそうだ。

 橋下市長「事実の部分と事実でない部分があるが、まずは妻に説明したい。

 僕のポカで家族に迷惑をかけた。子供には本当に申し訳ない」

 週刊誌の不倫報道は全部が事実であるわけではない、ウソが混じっているとしている。

 と言うことは、全部がウソではない(何から何まで虚偽報道ではない)、事実も混じっているということになる。当然、両者の比率、各重要性が問題となる。

 例えばある日のホテルへの出入りは橋本徹の車で行ったと書いてあるが、それはウソで、彼女の車で行ったのが事実だと言ったとしても、そのウソ・事実は取り上げるに足らない、重要でも何でもない問題であって、そこにウソがあるとすることはできない事実であるはずだ。
 
 但し橋下市長はホテルへの出入りを否定している。いや深い関係になったことを否定している。

 橋下市長「(女性との)飲食までは認める。まだ妻に説明していない。これから凄いペナルティーが待っている」

 まさかこの「飲食までは認める」という言葉は深い関係になったが、飲食までの関係は認めて、妻にも誰にもそれ以上の関係は認めないという意味ではあるまい。飲食を共にしただけの関係で、それ以上の発展はなかったという意味であるはずだ。

 いわばウソ偽りのない事実は定期的に特定の若い女性と飲食を共にした。それだけの関係なのに、「凄いペナルティー」を覚悟しなければならないということは妻は「凄い」厳格な女性ということになる。

 記事。〈(週刊誌の)記事は女性が橋下氏との関係を告白する内容。女性は当時20代後半で、“茶髪の弁護士”としてテレビのコメンテーターなどで活躍していた橋下氏が知人らと来店するうちに親しくなり、飲食などを共にするようになったと報じている。〉――

 橋下市長「(知事就任前は)聖人君子のような生き方はしていなかった。茶髪だったころの姿と重ね合わせてもらえば分かるかもしれない」

 飲食を共にしただけの関係であって、深い関係になったわけでも何でもないのに、「聖人君子のような生き方はしていなかった」とは大袈裟に過ぎ、奇異な弁解に映る。

 妻以外の女性と何回か食事しただけで、男はみな聖人君子ではなくなることになる。「何回か一緒に食事しただけですよ」で済むはずだ。

 しかも、「茶髪だったころの姿と重ね合わせてもらえば分かるかもしれない」と言って、見た目、茶髪イコール聖人君子ではないとしている。

 いわば髪の色などの外見を人格や性格の判断基準としていることになる。例え茶髪・金髪であっても、正直に生きている男性に失礼を働くことになり、見た目で判断しないでくれとよ批判を受けそうだが、「入れ墨をやったからといって、人間的に全てだめだとか言うつもりもないんですけど」と言いながら、市役所の全職員を対象に入れ墨調査をしたのも、見た目の外見を人格や性格の判断基準としていることの影響なのかもしれない。

 翌日の新聞記事。人気者だから、マスコミは放っておいてはくれない。《「家庭内のことなので…」15連発 橋下市長、女性問題で「妻と子供に謝り続ける」》MSN産経/2012.7.19 21:59)

 写真のキャプションには、冗談交じりの〈前日とは一転、神妙な表情で取材に応じる橋下徹市長。言葉も歯切れが悪かった〉と書いてある。

 発言は7月18日午後の記者会見に続いて、夜の退庁時も市役所で記者団に応対した時の発言となっている。

 橋下市長「市民からの信頼が大きく失墜することは間違いない。(「大阪維新の会」への影響について)政治団体は応援してもらえるかが全て。大きな影響になり、メンバーに申し訳ない。

 妻は怒っている。きちんと妻に話して謝り続けないといけない。妻にとって最低の夫。子供にとって、これほど最低な父親はいない。

 (自身の進退について)僕が携わる選挙で審判がある」

 記事結び。〈19日夜の記者団対応は12分間にわたり、中には「土下座はしたのか」「家庭内での支持率は」などと厳しい質問も。橋下氏は15回ほど「家庭内のことですから」と言葉をにごす返答を繰り返し、いつもの明快さは影を潜めていた。〉――

 午後の記者会見では、「飲食までは認める」と言って、深い関係になったわけではないことを訴えていたが、退庁時の発言は深い関係になったことは事実だと自ら認めて、その事実を前提とした発言となっている。

 当然、「飲食までは認める」はウソをついたことになる。このウソは既に茶髪ではないのだから、茶髪という見た目の外見のせいにすることはできない。

 橋下市長の現在進行形の言葉の信用性に深く関わってくるウソということになる。

 過去の女性問題はこれくらいにして、橋下徹大阪市長の言葉の信用性は政治発言にも現れている。相互に響き合っている言葉の信用性なのかもしれない。

 その一つとして、次の記事が際立った証明となる。全文参考引用。

 《橋下市長、全廃撤回“改革”後退 公明に配慮》47NEWS/2012/07/19 19:32 【共同通信】)

 大阪市の橋下徹市長は19日の市議会委員会で、市内5館の市立男女共同参画センター(クレオ大阪)について、事業見直し案で掲げた全廃方針を撤回し1館を残す意向を表明した。同様に全廃方針だった生涯学習センター5館も「複数箇所を存続させる」と方針転換した。
 いずれも施設の重要性を訴える公明党議員の質問への答弁。市議会第2会派で議会運営の鍵を握る同党に配慮した格好だが、「聖域なきゼロベースの見直し」をうたった橋下改革の後退も印象付けた。

 大阪市は6月にまとめた「市政改革プラン」案で、経費削減のためクレオ大阪と生涯学習センターを2014年3月で全廃する方針を打ち出していた。

 「Wikipedia」によると、市町村長の議会解散権は議会から不信任の議決を受けた場合(地方自治法第178条)と不信任の議決を受けたと見なせる場合(地方自治法第177条第4項)に限られ、この要件を満たさない市町村長の議会解散権の行使は無効とされるということだが、この件で反対の採決であったなら、不信任の議決を受けたと見做して解散に打って出て、選挙で維新の会の市議会議員で過半数を占めてから目的の政策を実行したなら、言葉の信用性を失わずに済むはずだ。

 議会解散ができなければ、次の選挙を待って、多数派形成を果たすべきだろう。言葉の信用性を失うことが重なった場合、このことに対応して支持率が下がることになり、市議会で維新の会が過半数を獲得できなければ、妥協を重ねることになって益々言葉の信用性を失う悪循環に陥らないとは限らない。

 このことは野田首相が既に数々演じてきた、与党の主体性を失った妥協を証拠として挙げることができる。

 橋下市長は野田政権の大飯原発再稼働に向けた動きを批判、4月13日に次のように発言した。

 橋下市長「こんな再稼働、絶対許しちゃいけないと思いますね。もしストップかけるんだったら、国民の皆さんが民主党政権を倒すしかないですよ。僕はもう、民主党政権には、反対、反対でいきます」(FNNニュース

 いわゆる民主党妥当宣言である。

 さらに消費税増税一辺倒で突っ走る野田政権に対しての6月22日の発言。 

 橋下市長「マニフェスト(政権公約)に書いていないことをやるのは、国民との間の重大な手続き違反だ。(消費税増税は)安全保障と並ぶぐらい重大な政策。民主党内の手続きを経ているかもしれないが、(選挙という)国民の信を問う手続きを経ていない。増税や社会保障の議論は、選挙を踏んでからやるべきだ」(YOMIURI ONLINE

 ところが2週間も経つと、野田政権を評価するようになった。《橋下市長 首相は決める政治をしている》NHK NEWS WEB/2012年7月10日 17時34分)

 7月10日の発言。

 橋下市長「集団的自衛権の議論をするとか、TPP=環太平洋パートナーシップ協定への参加を表明するとか、消費税率も上げて社会保障の議論もするなどと、確実に『決める政治』をしている。

 野田総理大臣を核に、民主・自民両党の考え方が近い人が集まれば、ものすごく力強い政権運営になり、支持率も上がる。今の民主・自民両党の再編で、国民は満足すると思う。

 首相はどんどん今、自らの価値観で(政策の)軸を示されている。(首相らと)考え方が同じ人たちでグループ再編されることをすごい期待している。

 野田総理大臣が大変なのは労働組合との関係だ。われわれと民主党とは、公務員の労働組合との距離感が決定的に違う。政治は考え方も重要だが、誰から支援を受けるのかも、すごく重要だ」

 相互の支持母体の違いに言及しているが、それ以外の評価に関しては君子豹変とはこのことかもしれない。従来の批判に対する突然の評価の言葉の信用性だけではない。「決める政治」とは何を決めてもいいわけではない。的確な政策目標とその中身・実効性を伴って、なおかつ国民に利益をもたらす「政治は結果責任」の結果を待って初めて「決める政治」であると評価可能となる。

 消費税増税を果たしました。それを財源とした社会保障制度改革は満足に機能せず、消費税増税によって国民の生活が苦しくなっただけのことでしたでは「決める政治」でも何でもない。

 だが、政策目標の如何、その中身と実効可能性を評価する言葉、結果責任対する見通しの言葉を用いずに政府の妥協の上に妥協を重ねたことによって成り立った3党合意による衆院採決のみを以って、「決める政治」だと無条件の評価を与えている言葉の信用性が問題となる。

 改革を目指しているとしている社会保障制度にしても、与党と野党では同床異夢である。どう決着がつくかは数の力が関係してくる。

 同床異夢について言うと、橋下氏の茶髪時代の不倫は女性と橋下氏が一つベッドに寝ていても同床異夢だったからこそ、今頃になって週刊誌に情報を売ることになったはずだ。

 もし相手の女性も橋下氏も単なる浮気だと割り切っていたなら、ネタ売りなどしないはずだ。割り切っていたのは橋下氏の方だけだった可能性が高い。

 大体が集団的自衛権にしても、TPP=環太平洋パートナーシップ協定への参加にしても、社会保障にしても、議論だけは誰でもできる。議論と「決める政治」とは似ても似つかないプロセスにある。

 にも関わらず、議論を持って「決める政治」とすることができる言葉の信用性には確かなものがあって、素晴らしい。

 橋下大阪市長の言葉の信用性は現在も進行形で続いている。

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前原誠司のオスプレイ配備日程見直し提言は野田政権を守るためのアリバイ作り

2012-07-19 12:22:14 | Weblog

 ―前原はオスプレイ配備で民意を言うなら、「普天間の辺野古移設反対」の沖縄の基本的民意を言え―

 口先だけの体裁のいいことを言い、実行力が伴わないことから口先番長の尊称を賜っている民主党政策調査会長前原誠司が7月13日(2012年)、都内で記者団に対して沖縄普天間基地配備計画のアメリカ軍最新型輸送機「オスプレイ」の安全性への懸念を考慮して配備計画を見直すべきだと発言。

 《前原氏 オスプレイ配備見直しを》NHK NEWS WEB/2012年7月13日 22時6分)

 前原誠司「墜落事故が立て続けに起きているにもかかわらず、今の計画を見直さずに岩国基地に持っていき、万が一のことが起きたら日米安保の土台そのものが大きく揺らぐことになる。今の配備計画のままでは、絶対に理解がえられない。

 民主党は、政府に対しても、アメリカのルース駐日大使に対しても、配備計画の見直しを申し入れている。あとは一呼吸置くことを、日米両政府で実務的に考えていただければ結構だ」

 記事。〈「オスプレイ」について、アメリカ軍は、今月下旬にいったん山口県の岩国基地に運び込み、整備や試験飛行を行ったうえで、沖縄の普天間基地に配備し、10月上旬には本格的な運用を始める方針です。〉・・・・・

 口先番長だけあって、前原誠司の発言にはウソがある。アメリカ側は今年4月モロッコ墜落と、同6月フロリダ墜落を操縦ミスであって機体の安全性に問題はないとし計画通りの配備を進めている。例え墜落するという「万が一のことが起きたら日米安保の土台そのものが大きく揺らぐことにな」ったとしても、日本が中国や北朝鮮の脅威に単独で対抗できるだけの力を持っているわけではなく、日本側が自国の軍事的な安全保障上、アメリカとの軍事同盟を求めている以上、決定的に決裂することはない。

 但し、「万が一のことが起きたら」、決定的に揺らぐのは野田政権である。ただでさえ離党者が相次ぎ末期症状に至っている野田政権が多くの国民の配備反対の声を無視し、党内にも抱えている配備反対の声まで無視して、アメリカが主張する機体の安全性に問題なしに言いなりに従属して配備に協力、「万が一のことが起きたら」、共同責任どころか、その主体性なき従属性に非難が集中、責任問題が噴出して野田政権の「土台そのものが大きく揺らぐことになる」最悪の事態に行き着くことは火を見るよりも明らかである。

 当然、前原誠司が「万が一のことが起きたら日米安保の土台そのものが大きく揺らぐことになる」と言っていることは日米関係の棄損を恐れているわけでも、国民の配備反対の声を尊重しているからでもない。野田政権を守る口実に利用しているに過ぎない。

 もし前原が「万が一のことが起きたら」と日米関係を心配するなら、もっと早い段階で安全性の確認に政府と党共々動いていなければならなかったはずだ。

 だが、動いていなかった。

 沖縄県民のオスプレイ沖縄配備反対の声は今になって始まったことではない。アメリカ側が普天間にオスプレイ配備計画を立てていたのに対して開発段階で墜落事故が相次いだことや2010年4月にアフガニスタンでオスプレイ墜落事故を起こし、4人が死亡、その危険性の有無に注意が向けられるようになった。

 2010年10月26日にはアメリカ海兵隊が南部ノースカロライナ州の基地に日本の報道機関を招き、最新鋭の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを公開、安全性に問題はないことをアピールして、日本側の危険性に対する疑念の払拭に務めている。

 数日前になって数紙が、米国防総省運用試験評価局に関係する国防分析研究所(IDA)でオスプレイの主席分析官を務めた航空専門家であるレックス・リボロ氏の09年証言として機能上の欠陥を指摘、墜落の危険性があると主張していたことを取り上げているが、2011年7月9日に照屋寛徳社民党議員がこのことを既に取り上げて、菅内閣に質問主意書を提出している。

 (参考までに。2011年8月3日当ブログ記事――《菅仮免の原発問題とオスプレイ配備問題に見る「国民の安心と安全」の二重基準 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 菅内閣の答弁書は「安全性等については、引き続き、米国政府に対して、更なる情報の提供を求め、詳細な情報把握に努めているところである」とする姿勢を見せる一方、アメリカ側の配備計画を受け入れる姿勢を終始一貫して取り続けてきた。

 その象徴が今年3月の岡田副総理のオスプレイ配備を懸念する当時の普天間第二小学校長に対する次の発言である。《[オスプレイ7月配備]日本は米国の「属国」か》沖縄タイムズ/2012年4月26日 09時25分) 

 岡田副総理「今のヘリとの置き換えで、プラスアルファではない」

 何ら危険性はないと明言している。

 外務省幹部「一般的な装備の変更であり、配備がいい、悪いという議論にはなり得ない」

 安全性の絶対的保証となっている。

 ところが、岡田副総理発言の翌月の4月11日、モロッコでモロッコ軍との合同演習中にオズプレイが墜落、海兵隊員2人が死亡、2人が重傷。

 さらに2カ月後の6月13日、フロリダ州で訓練中に墜落、5人が負傷。

 アメリカ側が躍起となって墜落は人為ミスだ、操縦ミスだと言い、その安全性に問題なしを訴えて、日本国内で高まっている配備反対の世論を抑えようとしたが、アフガニスタン墜落事故調査委員長を務めた元軍高官のドナルド・ハーベル元准将がエンジンが2つとも80%の出力しか出ない機体の不具合があることを証言、このことを事故報告書に盛り込もうとしたことに対して空軍上官から検証し直すよう要求されたことを明らかにしたと「NHK」が報道、その安全性に対する疑念ばかりか、危険性隠蔽の疑念までが生じた。

 このような疑念を受けて前原誠司の配備日程見直しの提言に繋がったはずだが、野田首相自身が配備見直しを模索していたと伝えている記事がある。

 《オスプレイ:首相が通報先延ばし模索 米は拒否》毎日jp/2012年07月01日 0時37分)

 〈垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に配備することを米政府が日本政府に正式通告する「接受国通報」をめぐり、野田佳彦首相が外務、防衛両省に、先延ばしを求めるよう指示していたことが分かった。米国は拒否し、通報は予定通り(6月)29日に行われたが、首相は沖縄県などの反発を強く懸念したとみられる。〉

 野田首相は6月25日に〈玄葉光一郎外相、森本敏防衛相と首相官邸で対応を協議、「もう1回交渉できないか」と指示。事故原因が判明するまで通報を遅らせることができないかを模索〉、6月26日、森本防衛相が〈カーター米国防副長官、玄葉氏はルース駐日米大使らと協議したが、米側は拒否した。〉・・・・

 記事はこの先延ばし模索が、〈沖縄県などの反発を強く懸念したとみられる。〉と書いているが、安全性に自信を持つことができたなら、国民の配備反対など無視したことは世論調査で50%以上が消費税増税に反対であっても無視し、増税に拘っていることを見れば分かる。

 あるいは普天間の辺野古移設に沖縄県民の殆どが反対していることを無視、日米合意順守一辺倒で辺野古を目指していることからも証明できる。

 沖縄県民の反発を恐れたのではなく、ある条件下でのオスプレイ操縦に難点があることが判明、機体の欠陥からではなくても、操縦ミスで墜落しただけでも野田政権の土台が覆る恐れからの先延ばし模索であったはずだ。

 当然、アメリカ側の拒否に遭ったとしても、自己保身から配備を先延ばししたい気持は残っていることになる。

 そこへ来ての前原誠司の唐突な配備見直し提言である。政府側の配備延期の申し出に代わる党側からの配備見直しの提言の形を取った連携プレーでなければ、自己保身は生きてこないことになる。

 あるいは「接受国通報」先延ばしのアメリカ側の拒否の段階で自己保身を断念したことになる。

 前原誠司が配備日程見直し提言をした7月13日から3日後の7月16日にフジテレビ番組に出演、次のように発言している。

 野田首相「配備自体は米政府の基本方針。同盟関係にあるとはいえ、どうしろ、こうしろという話ではない。安全性の確認をしないで飛行運用するということはない。政府の中で国土交通省、第三者の専門的知見を入れて(安全性を)再確認した上で、飛行運用する」

 配備はアメリカ任せ、日本政府の意思関与不可能を言いながら、日本政府の安全性の確認の必要性を言う矛盾した発言となっている。自らの政権を守る自己保身からの、せめてのもの抵抗であろう。

 大体がモロッコやフロリダの墜落前までは、安全性はアメリカ側が説明する安全性をそのままに公表する無条件の追随を見せていたのである。

 前原誠司は7月17日の記者会見でも、配備見直しを再び求めている。《オスプレイ配備で政府批判=前原氏「野田首相は民意軽視」》時事ドットコム/2012/07/17-20:01)

 前原誠司首相も官房長官も沖縄、山口の皆さんの民意を軽く考えているのではないか。今の配備計画をそのまま押し付けて沖縄の理解を得られるのか。見通しは甘いと言わざるを得ない。

 安全性が確保されないものを、米国が言ってきただけで導入し、万が一事故が起きたとき、日米同盟は極めて大きく傷つく。日米安保を堅持、強化すべきだからこそ、責任を持って米国と話をしてほしい」

 但し記事は、〈野田佳彦首相と藤村修官房長官ら関係閣僚は17日午前、当初の予定通り、24日にも米軍岩国基地(山口県岩国市)にオスプレイが搬入されるとの日程を確認。〉と書いている。

 「沖縄の民意」や山口の民意を理解しているかのように言っているが、少なくとも「沖縄の民意」を口にするなら、安全性を確認してからのオスプレーの配備ではなく、普天間の辺野古移設の断念、「国外、最低でも県外」移設を目指してこそ、初めて「沖縄の民意」を理解することになり、口にする資格が生じるはずだ。

 だが、安全性を確認してからのオスプレーの配備のみを以って、「沖縄の民意」に対する理解だとしている。

 もし安全性を確認してからの配備後、墜落しても安全性確認を努力したことを野田政権を守るアリバイ作りに利用するだろうし、アメリカ側がこのまま配備したのちに墜落したとしても、配備見直しを訴えたことを同じく野田政権を守るアリバイ作りに利用できることになる。

 この点、同じ与党である国民新党の下地幹事長は正直である。

 7月18日午前、在日米国大使館でカート・トン首席公使と会談。オスプレイの普天間配備計画について次のように延期を要請している。

 下地幹事長「日本国民の感情は厳しく、野田佳彦首相を政治的に追い込みかねない」(MSN産経

 沖縄県民やその他の反対民意よりも野田首相に与えるだろうダメージを心配している。民主党政権が崩壊したなら、元々泡沫政党でしかない国民新党ははたちまちその存在意義を失ってしまうのだから、その危機感からの懸念なのだろう、無理もない。

 トン公使「日本の外務省も防衛省も配備計画を支持してきた。(前原の配備日程見直し提言を)唐突で驚いている」(同MSN産経

 アメリカ側は野田政権の先行きなど眼中にはない、お家の事情でしかないというわけである。

 決して「沖縄の民意」や山口の民意を考えてのことではない。民意を考えてのことなら、既に触れたようにアメリカ任せの安全性の確認に終始することはなかったろうし、それ以前の問題として、普天間の辺野古移設を決めることもなかったろう。

 前原も野田首相も自分たちの保身のことしか頭にはない。

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オスプレイは機体が欠陥原因の墜落は危険で、操縦ミスが原因の墜落は危険ではないのか

2012-07-18 11:21:43 | Weblog

 ―野田首相のオスプレイ配備を「日本政府が『どうしろ、こうしろ』という話では基本的にない」は、日本をアメリカの支配下に置く発言―

 アメリカは最近のオスプレーの2度の墜落を機体の欠陥ではなく、操縦ミス、あるいは人為ミスだと盛んに訴えている。 

 米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが今年(2012年)4月11日、アフリカ北部モロッコの南西部アガディールを拠点に行われていたモロッコ軍との合同演習中に墜落し、海兵隊員2人が死亡、2人が重傷を負った。

 この2カ月後の6月13日、フロリダ州で米空軍の垂直離着陸輸送機CV22オスプレイが訓練中、墜落し、5人が負傷。

 モロッコの墜落事故に関しての国防総省の発表。《“オスプレイ墜落は操縦ミス”》NHK NEWS WEB/2012年7月14日 8時10分)

 国防総省「パイロットの操縦ミスが原因で、機体に欠陥があるわけではない」

 〈パイロットは離陸直後のまだ速度が十分に出ていない状態で、操縦マニュアルに反して可動式の回転翼を水平方向に傾けすぎたうえ、後方から追い風を受けたため、バランスを崩して墜落した》・・・・

 この文章を読んだ限りでは、パイロットは速度計が示す出力を確認せずに自身の勘に頼って回転翼を水平方向に傾け過ぎた初歩的な人為ミスということになる。

 要するに必要な出力以下で垂直方向に向けていた回転翼を水平方向に転換した場合、風向きによっては墜落の危険という欠点を抱えていることになる。

 素人の素朴な疑問だが、必要な出力以下で回転翼を水平に傾けるべく操作レバーを動かそうとした場合はハザード音とハザードランプで危険を知らせる装置は装着していないのだろうか。1機当たりの価格が約7000万ドル(約55億円)と言われている高額商品である。

 もし装着していないとしたなら、速度計(もしくは出力計)をしっかりと確認してから、回転翼の移動の操作に入らなければならないことになる。

 敵が待ち構えていたといった急激な戦闘状態に遭遇した場合、回転翼の移動の危険を知らせる装置があったなら、例え操作しても思いとどまることができ、敵と戦闘しながら出力の向上を待って回転翼の移動に入り、墜落を免れることもできる。

 フロリダの墜落事故解明は機体の安全性に関する調査が8月末までに終わるとしているが、モロッコと同様に間接的に操縦ミスを示唆している。《オスプレイ「性能に確信」=普天間配備時期に変更なし-米国防総省》時事ドットコム/2012/06/16-05:38)

 6月15日の記者会見。

 カービー国防総省広報官、「オスプレイは毎日、アフガニスタンでの作戦で大活躍している。性能については確信を持っている。

 調査結果は完全かつ透明性をもって日本政府に伝える。今回の事故と配備計画に与える影響に関し、日本側から懸念の声が上がっていることは承知している」

 そして沖縄県の米軍普天間飛行場への配備スケジュールに現時点で変更はないと明言したという。

 調査が終わらないうちに「性能については確信を持っている」と機体の安全性に問題なしを前提に計画通りに配備を進めていく。矛盾を感じないわけにはいかないが、野田政権は何ら矛盾を感じることなく、アメリカ側の方針に追従するだけの姿勢でいる。

 例え機体の安全性に問題ないからと機体上の欠陥からの墜落を否定したとしても、操縦ミス、人為ミスとしている墜落は否定し難い事実として二度も立て続けに起きている。

 前者は危険だが、後者は危険ではないとすることができるのだろうか。特に日本に配備した場合、多くの場合、基地近くに人口密集地帯を抱えている。

 配備予定の沖縄の普天間基地は過密な人口密集地帯を抱えていることから、世界一危険な基地だと言われている。人口密集地帯に墜落した場合、機体の欠陥からの墜落よりも操縦ミスからの墜落の方が被害を僅少に抑えると保証できるのだろうか。

 フロリダの墜落がモロッコの墜落と同様にオスプレイ特有の原因であることが次の記事で判明する。《オスプレイ事故の最新情報は》NHK NEWS WEB/2012年6月26日 18時12分)

 森本防衛相が6月22日に受け取ったアメリカ国防総省提供の事故調査最新情報を6月26日の記者会見で公表、その中で明らかにしている。

 いずれの墜落事故もプロペラが上向きと前向きの中間の位置で飛行している最中の出来事だとしている。

 森本防衛相「(フロリダの墜落について)射撃訓練中、プロペラを上向きと前向きの中間の位置で飛行している最中に墜落し、炎上した。

 (モロッコの墜落について)プロペラを上向きから前向きに傾ける動作を行いながら、追い風を受ける方向に旋回したことで、機体がバランスを崩した。

 この情報を鞄に入れて、地元に行って説明するという考え方には立っていない。もう少し地元に納得してもらえる情報が必要だとアメリカ側に言っている」・・・・

 「もう少し地元に納得してもらえる情報が必要だとアメリカ側に言っている」と言っているが、自身の言葉の中に自ら解釈すべき問題点が含まれているはずだ。

 要するに垂直方向と水平方向の中間の位置にプロペラを移動させて飛行した場合、あるいは中間の位置に固定して飛行した場合は機体の墜落を誘発しかねない操縦の難点があるということである。

 だとすると、単なる操縦ミスとすることはできないし、単純な人為ミスとすることはできない。機体上の欠陥があることになる。

 以上の飛行をした場合、墜落の危険が確度の高い状態で付き纏うことになる。

 モロッコの墜落の場合は、「追い風を受ける方向に旋回したこと」を墜落原因の一つとしているが、実際の戦闘中には機体の近くで敵発車のミサイルが爆発したり、敵ヘリコプターが爆発・炎上、あるいは味方のオスプレーが敵弾を受けて爆発・炎上して、突発的な突風が発生するケースを想定した場合、プロペラを垂直に固定して垂直方向に離着陸、水平方向に移動させて水平飛行も可能というオスプレイ独特の機能は作動できないことになる。

 特に戦場ではいつどこで突発的に敵機と遭遇しない保証はなく、ヘリコプターモードで離陸し、水平飛行に入るべくしてプロペラを水平方向に移動した途中過程で敵機に遭遇、機体を急旋回しなければならなくなったとき、墜落の危険は増すことになる。

 最初の「NHK NEWS WEB」が米国防総省の発表として、墜落の原因がパイロットが離陸直後のまだ速度が十分に出ていない状態で、操縦マニュアルに反して可動式の回転翼を水平方向に傾け過ぎ、そこへ後方から追い風を受けてバランスを崩して墜落したと伝えていたが、次の記事を読むと、やはり素人考えだが、プロペラを垂直方向から水平方向へ、あるいは逆に水平方向から垂直方向へ移動するとき、機体を安定に保った状態で移動できるように出力自体を抑えていることが、逆に墜落の誘因となっているのではないかと思えてきた。
 
 《米元高官オスプレイ不具合指摘》NHK NEWS WEB/2012年7月17日 20時5分)

 一昨年アフガニスタンで墜落したオスプレーの事故調査委員長を務めた軍の元高官であるドナルド・ハーベル元准将がNHKのインタビューに答えている。

 ドナルド・ハーベル元准将「調査の結果、エンジンが2つとも80%の出力しか出ていなかった。これは機体に不具合があるということだ」

 ドナルド・ハーベル元准将が事故の原因として視界不良や天候などに加えて、事故報告書にエンジンの出力低下を原因の1つとして盛り込もうとしたところ、空軍の上官から検証し直すよう求められたことを明らかにしたという。

 ドナルド・ハーベル元准将「軍の上層部は議会などから装備品の予算を獲得し続けなければならないというプレッシャーを感じていて、不具合などを認めることに消極的だったのではないか」

 記事結び。〈沖縄への配備を前に国防総省はオスプレイの機体の安全性は証明されていると主張していますが、今回の証言は安全性を巡って軍内部にも懐疑的な見方があることを示したものといえます。〉・・・・

 果たして、「エンジンが2つとも80%の出力しか出ていなかった」ということだろうか。常にほぼ水平方向に固定していなければならない機体自体が垂直に固定していたプロペラを水平方向へ斜めに向けたとき、あるいは水平方向に固定していたプロペラを垂直方向に斜めに向けたとき、斜め方向への推力が働くことになって、水平方向に維持する機体の維持が困難になるために出力を80%以上を超えないように抑えて設計してあるということはないだろうか。

 あくまでも素人考えである。オスプレーが操縦の難点を抱えている以上、機体上の欠陥ということになるし、それが素人考えで当たっていないとしても、機体上の欠陥から墜落することと操縦ミスから墜落することの危険性に何ら違いはないことに変わりはない。


 野田首相は7月16日、フジテレビ番組に出演、オスプレイの配備について発言したことが様々に批判を受けている。《首相発言要旨》時事ドットコム/2012/07/16-21:10)

 野田首相「配備自体は米政府の基本方針。同盟関係にあるとはいえ、どうしろ、こうしろという話ではない。安全性の確認をしないで飛行運用するということはない。政府の中で国土交通省、第三者の専門的知見を入れて(安全性を)再確認した上で、飛行運用する」

 「安全性の確認をしないで飛行運用するということはない」を絶対的姿勢としているなら、「配備自体は米政府の基本方針。同盟関係にあるとはいえ、どうしろ、こうしろという話ではない」は言う必要のない発言であるばかりか、前後相矛盾した発言となる。

 後者を事実とするなら、安全性の確認なしでも飛行運用を認めることになる。

 「同盟関係にあるとはいえ、どうしろ、こうしろという話ではない」を最初に持ってきた以上、この発言が本音であって、「安全性の確認をしないで飛行運用するということはない」は国民を納得させる見せかけの言葉となる。

 「同盟関係にあるとはいえ、どうしろ、こうしろという話ではない」は軍事的安全保障面で、同盟関係であっても対等な関係ではなく、相手の言うまま、するままに任せるということであり、日本をアメリカの支配下に置いているということを意味することになる。

 野田首相の対米追従根性がこれ程までとは思わなかった。言葉のうまさに誤魔化されてはいけない。

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野田首相はいじめている子、いじめられている子、周りの子に語りかけるよりも同じ大人の教師に語りかけよ

2012-07-17 12:10:46 | Weblog

 人の心に直接訴えかけて感動を与える美しい言葉を紡ぎ出す能力の長けた言葉の人、野田首相が昨日、祭日である「海の日」の7月16日、フジテレビ番組に出演し、大津市の中2男子いじめ自殺に関して、「いじめは卑劣」と呼び掛けるメッセージを送ったという。

 「海の日」にふさわしく、青々とした海の色を見たときの清々しが多くの国民の心に染み渡って、誰もがいじめはいけないんだという思いを強くしたに違いない。

 《首相「いじめは卑劣」 テレビ番組でメッセージ》MSN産経/2012.7.17 00:29)

 メッセージの前なのか、いじめに関わる自身の思い出を発言している。

 野田首相「小学校3年生か4年生の時に、養護施設から通っている女の子をやんちゃな何人かの男の子がいじめて、その時の担任の毅然たる態度は今も忘れられない」

 いじめ側の生徒を語るとき、「やんちゃ」と表現する言葉の能力は素晴らしい。さすがは言葉の人である。「やんちゃ」には憎めないという意味を併せ持ち、いじめ側の子どもに対するのとは違って、決して否定すべき対象とはしていないことになる。

 もし野田首相が言っているように実際にいじめ側の何人かの男の子が「やんちゃ」であったなら、いじめではなく、単なる悪ふざけの類だったことになるはずだ。

 但し、悪ふざけに対して担任の教師が「毅然たる態度」と取ったというのは矛盾することになる。

 勿論、最初は悪ふざけでも、悪ふざけの対象を固定化し、度重なって度を越すと、行為主体の子ども自身があくまでも悪ふざけを装っていたとしても、実質的には悪ふざけから遠ざかって陰湿的な攻撃の姿を取ることになり、いじめとの境をなくして逆転した姿を見せることになる。

 だが、こういった経緯を取ること自体、悪ふざけがいじめとの境をなくして逆転した姿を現すように、「やんちゃな」性格にしても、既にその姿を隠して陰湿的・攻撃的な姿を取っているはずで、やはり「やんちゃな」という表現は不適切であって、使うべき言葉とは決して言えない。となる。

 次にメッセージ。 

 「弱い者を、集団でいじめている子がいるならば、その行為はとても恥ずかしい、卑劣だと理解してもらわなければいけないと思います。

 人間として大事なのは、自分が相手の立場になった時にどう思うかということです。その痛みを感じる心を、持ってもらわなければいけない。

 いじめられている子がいるならば、ぜひ伝えたいことがあります。あなたは独りではありません。あなたを守ろうという人は必ずいます。それを信じてお父さん、お母さん、先生、友だち、誰でもよいから相談してください。

 一番大事なのは、その周りにいる子です。いじめている子がいる、いじめられている子がいると分かっているならば、見て見ぬふりをしないこと。そばにいる生徒さんたちが先生と相談する、あるいは両親と相談する、見て見ぬふりをしない、これが一番大事なことなので、ぜひ理解してほしいと思います」 

 ときおり声を詰まらせながら語りかけたと伝えている記事もあるが、決して演技であるはずはない。あるいは自分のメッセージに酔ったわけでもあるまい。いじめを受けて自殺した子どもの苦しみを心から思い、万感込み上げてきて、思わず涙ぐんだに違いない。

 だが、鈍感なまでにあまりにも理解していない。学校は一つの社会である。そこに陰湿ないじめが起きたとき、学校という一つの社会の上に位置する主たる構成員である校長・教師、下に位置する生徒それぞれが構成員として上下担っている役割と、担っているがゆえに上下期待される役割の遂行(=責任と義務の履行)にまで含めて考察すべきだが、野田首相は生徒の役割にのみ視点を置き、他を除外する偏った考察となっている。

 だから、少なくとも大津市の中2男子いじめ自殺事件で、今何が問題となっているのかに気づかないトンチンカンなメッセージとなっている。

 2006年11月17日に当時の自民党政府伊吹文科相もいじめ事件に関するメッセージを発している。

 後を絶たないいじめやいじめが原因の自殺事件を受けたものだが、主な事件では2005年9月9日には北海道滝川市の小6女児がいじめを受けて自殺している。「Wikipedia」によると、滝川市教育委員会は2005年11月に聞き取り調査を行い、いじめは無かったと結論づけているが、2006年9月、遺族が新聞社に遺書を公開、2006年10月上旬にマスコミが報道。

 滝川市教育委員会は2006年10月5日に遺族に謝罪したものの、マスコミに対しては女児の遺書について「遺書ではなく『手紙』である」と回答。

 2006年10月14日に滝川市教育長が辞職、滝川市は同年10月16日付で教育委員会幹部職員2人を不適切対応で更迭した上で停職2ヶ月の懲戒処分、滝川市教育委員会は同年12月5日に調査報告をまとめ、同月9日調査報告書の市民説明会を開催。

 札幌法務局がこの事件の調査を行い、人権侵害事件と認定。

 2007年5月8日付で札幌法務局が事件発生当時の校長(事件後他校に異動)に対して事件の反省を促す説示の措置を、また滝川市教育委員長と2007年時点の校長に対して再発防止を求める要請の措置をそれぞれ行なっている。

 北海道教育委員会は2006年12月にいじめの実態の調査を実施しようとしたが、2007年1月、北海道教職員組合の執行部が21ヶ所の支部に対して調査に協力しないよう指導していたことが報道された。(以上)

 札幌法務局がこの小6女児いじめ自殺事件を人権侵害事件と認定後、新旧学校長と市教育委員長それぞれに勧告を行ったのは2007年5月8日であって、伊吹文科相がメッセージを発した2006年11月17日以後のことである。

 だが、2006年10月14日に滝川市教育長が辞職、滝川市は同年10月16日付で教育委員会幹部職員2人を不適切対応で更迭した上で停職2ヶ月の懲戒処分を行なったのは伊吹文科相がメッセージを発する前のことであって、伊吹文科相は学校教育を所管する文科省の責任者として、他のいじめ事件とも照らし合わせて主として何が問題となっていたかを把握していなかければならなかった。 

 未来のある君たちへ

 弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。

 仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。

 君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。後になって、なぜあんな恥ずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今やっているいじめすぐやめよう。

    ○      〇      〇

 いじめられて苦しんでいる君は、けっして一人ぼっちじゃないんだよ。

 お父さん、お母さん、おじいちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近所のお友達、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられていることを話すゆうきを持とう。話せば楽に張るからね。きっとみんなが助けてくれる。

 平成18年11月17日

 文部科学大臣 伊吹 文明 

 野田首相のメッセージと伊吹文科相のメッセージは6年以上の経過を感じさせない、言っている趣旨も形式も、ほぼ同じで、何の発展もない。伊吹文科相のメッセージが漢字を殆ど使わずに平仮名を多用しているのは小学生への語りかけの体裁を取っているからだろう。

 両者とも何が問題となっているのか把握できずに、いじめている子、いじめられている子、そして周囲の子への語りかけで終わっている。児童・生徒のみで成り立っているわけではない学校という一つの社会を上の立場で構成し、下の立場で構成する児童・生徒を律する役割を担っている校長・教師がいじめという学校社会に於ける否定的な一つの営為に関しても上下の立場で相互に影響し合う関係性を築いているはずだが、その関係性を取り払って、いじめを児童・生徒だけの問題、いわば学校社会を児童・生徒だけの社会だと見做している。

 だからだろう、野田首相が言っていることも、伊吹元文科相が言っていることも、趣旨自体は既に前々から教育評論家やその他の識者が繰返し言っていたことの手垢のついた百番煎じとなって、似たり寄ったりのキーワードから踏み出すこともできないでいる。

 相手の立場に立て、君は一人ではない、勇気を持って相談しよう、痛みを感じる心を持て、見て見ぬ振りの傍観はいけない・・・・・等々、何度繰返し言われてきたことか。

 繰返し言われてきながら、なお繰返す。一向に通じない、何ら役に立っていない言葉、メッセージの類いでしかないことの証明としかならないのだが、合理的判断能力を生まれながらに持ち合わせていなからなのか、通じることのない役に立たない言葉、メッセージの類でしかないことに気づきもしないで、繰返している。

 国民の目線に立つとか、国民に寄り添うという言葉がウソでしかないことの証明ともなる。真に国民の目線に立っていたなら、真に国民に寄り添う気持を持っていたなら、学校社会を児童・生徒だけの社会だと勘違いして、いじめを児童・生徒だけの問題と扱うこともなく、何が問題となっているのか直視できたろう。

 当然、メッセージは違った言葉となる。

 何が問題となっているのか、報道番組が集中する15日曜日に大津市の中2いじめ自殺問題を取り扱った番組が多くあった中から、あさひテレビの「報道ステーションSUNDAY」から、いくつかを改めて取り上げてみる。

 自殺して生徒の祖父「生徒がな、(いじめを)先生に言うとるのだけどな、真剣にやってくれたら、こんなことならんかったさかいにな。

 ウーン、それが悔しい」

 何が問題なのか、何が問題となっているのか的確に指摘している。

 7月14日・大津市役所記者会見。

 中学校校長「トイレでいじめ、ということで、女の子が、あの、通報を、おー、してきました。担任が、あー、行きました。そしたら、既に、イー、そういった状況は終わっていました。

 険悪な状況と、いうようなものではなかったと、いうふうに記憶していると。じゃれ合いという言葉を使うとるわけですけれども。えー、その中で、えー、例えば、ヘッドロック。えー、それから、後ろからですね、覆いかぶさる(自分で腕を回す仕草をする)、ということについてですね、えーやられる方の立場ということが、あー、見受けられたと。力関係については。

 あー、そういった、えー、そういった形で――」

 いじめの場合、よく使う手として、仲間の誰かを少し離れた場所に見張り役に立てて、先生が来たらすぐ知らせるというのがある。知らせが入ると、それまでは無抵抗の相手を顔は痕がついて露見するから、首から下を服の上から殴っていたとしても、さもじゃれ合ったり、ふざけ合ったりしているかのようにプロセスごっこなどを始めて、教師の目からいじめを隠すといったことはよくある例として、学校教師であるなら、学習していなければならないはずだ。

 もし教師がこういったことを学習していなかったとしたら、学校社会に於ける上の立場としての役割(責任と義務)を果たしていないことになり、学校教師としての資格を失う。

 学習していながら、いじめ側の生徒の存在を恐れて何もなかったことにする事勿れな態度に出たとしたなら、あるいはいじめの存在が自らの教師としての教育能力に関わってくるからと自己保身と責任回避から気づかない振りをしたなら、なおのこと学校教師としての資格はないことになる。

 このトイレ事件は女子生徒がトイレで男子生徒が殴られているのを目撃、教師に「(男子生徒が)いじめられている。やめさせてほしい」と訴えたと他の記事では伝えている。

 校長がこのことを把握した時点で、それが最近のことであっても、教師に、見張りを立てたり、いじめをプロレスごっこに偽装したりすることがあると、自らが学習しているいじめに関わる知識を教師に伝えて、教師の取り扱いに間違いはなかったか問い質すべきだが、校長の記者会見は目撃者の証言に一切意味を持たせず、いじめの疑いを排除しているところを見ると、学習していなかったのか、学校にいじめが存在することは校長としての職責に関わってくるという事勿れが働いて見て見ぬ振りの傍観の態度に出たか、いずれかの疑いが出てくる。

 事程左様に生徒が見て見ぬ振りの傍観の態度を取らずに教師に訴えていながら、教師の側が見て見ぬ振りの傍観の態度に出ていることが問題となっているのであって、このことを把握もできす、野田首相のメッセージは生徒の見て見ぬ振りの傍観を問題としている。

 ここで番組は自殺した生徒と幼馴染の女子生徒の顔を撮さない証言の場面となる。

 女子生徒「あの事件、どうなってるのーって先生に聞きはったら、何か・・・・ってとぼけはる。

 詳しいこととかは一切、あのー、私たちにとかは、言わない」

 女子生徒の母親「この子たちィーの心の気持というのも、聞いてやって欲しい。で、先生の正直なー、心の気持ィーも、教えてやって欲しい。言ってやって欲しい」

 二人共野田首相とは違って、何が問題なのか的確に把握して、発言している。
 
 女子生徒「隠して、隠して、隠してという、ことをして欲しくない。これからどうしていいのかとかいうのを、言って欲しいし――」

 ここで保護者会での自殺した生徒の父親の発言を伝聞の形で伝える。

 父親の発言「ご迷惑をお掛けしていることに本当に申し訳なく思っております。私自身、把握し切れないことがたくさんありまして、何卒、ご協力をお願いしたいと思います。

 よろしくお願いします」

 再び幼馴染の女子生徒の証言。

 女子生徒「学校が隠蔽だとか、裏切られている内容じゃないですか、お父さんにしたら。それでも、お父さんは謝りはるんですよ。声を震わせてー。どん底というか、ウーン、声を震わせて、泣いてはりました」

 父親は学校に対して怒りを示してもいい立場にあるが、謝罪し、声を震わして協力を願った。

 女子生徒「『無理しとんきやー』とか、『無理して笑わんときやー』とか、『大丈夫、大丈夫、言うてたら、あかんでー』とか、私から絶対、何かもっと言えることがあったと思う(泣きながら)。

 こんなに限界の限界だったん、思います。不登校でも良かったのにとか、引きこもりでも何でもいいから、死んで欲しくはなかったです」

 学校社会を上の立場で構成し、上の立場として担っている期待されている役割を期待されているとおりには満足に果たさなかった結末が13歳の少年の自殺だった。

 役割の不履行を犯していながら、なお言い逃れに終始している。

 役割の不履行に対するこの見苦しいばかりの言い逃れは自己保身と責任回避に起因していることは断るまでもない。

 自己保身と責任回避の意識を働かす余り、事実を事実として扱うことができずに事実を誤魔化すか、事実の隠蔽に走ることになる。

 いじめやいじめ自殺が起きるたびに繰返されてきた自己保身と責任回避と事実隠蔽であるはずだ。

 政治家や教育評論家等の識者が語りかけるべきは先ずは学校社会を構成する大人たちであろう。

 野田首相の奇麗事のメッセージは要らない。

 いじめを受けて自殺を選択する児童・生徒はいじめる児童・生徒や周囲の児童・生徒よりも学校社会の大人である校長や教師に絶望し、その虚無感から自殺を選択するのではないだろうか。

 自殺の3日前だかに自殺した生徒が、「泣きながら電話で担任教諭に相談したと聞いた」と、昨年11月実施の2回目の全校生徒アンケート調査の回答の形で2人の生徒が証言している事実に対して担任は救いとなる具体的などのような措置も取らなかったのである。

 何が問題となっているのかの何がに焦点を合わせずに、それが一向に解決されずにのさばらせていることが結果的に子どもを犠牲にしているように思える。

 何がとは改めて言うまでもなく、校長や教師、あるいは市教育委員会委員長まで含めた、いじめをなかったことにしようとする自己保身と責任回避、事実隠蔽である。

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前原誠司の学習能力なき首相選択基準「首相はころころ代わるべきではない」は菅で既に破綻している

2012-07-16 09:35:29 | Weblog

 ―首相はころころ代わるべきではないを選択基準とするのではなく、有能を選択基準とすべき―

 7月15日(2012年)日曜日のテレビ朝日番組での前原誠司の発言。《前原政調会長、民主代表選不出馬の意向 細野環境相も 野田首相再選強まる》MSN産経/2012.7.16 01:22)

 〈9月の民主党代表選の有力候補とみられてきた前原誠司政調会長が15日、代表選に出馬せず野田佳彦首相の再選を支持する意向を表明した。「ポスト野田」の一人である細野豪志環境相も出馬を否定。「国民の生活が第一」の小沢一郎代表らの離党により民主党内の反主流勢力は退潮が著しく、会期末(9月8日)までに内閣総辞職に追い込まれない限り、首相が代表に再選される見通しは強まった。〉――

 内閣不信任案可決等の突発事態が起きて内閣総辞職に追い込まれない限りという条件付きで代表再選の確率が高まったと前置きしている。

 記事もそのように結んでいる。〈むしろ首相にとって不安要素は野党の動きだ。社会保障・税一体改革関連法案などをめぐり与野党の対立が激化すれば、衆院で内閣不信任案が可決される可能性もある。参院で首相の問責決議案が可決され、退陣に追い込まれる可能性も否定できない。〉・・・・・

 前原誠司「首相はころころ代わるべきではないし、野田さんはしっかりと仕事されている。しっかりと野田さんをどんな立場でも支えていきたい」

 前原がチャンスだ、立候補しようと考えたとしても、“首相ころころ交代忌避論”は前原自身が鳩山政権時代から掲げてきた主張であって、その主張の縛りに遭っているとも言える。

 鳩山元首相の場合は普天間の迷走と母親からの多額の資金提供問題、政策秘書による個人献金虚偽記載問題で支持率を下げ、鳩山首相では参院選が戦うことができないと悲観論が飛び出していた頃である。当時前原氏は国交相であった。

 前原誠司「日本のトップがころころと変わるべきではないと思っているし、今の状況は鳩山総理大臣1人の責任ではまったくなく、我々が共同責任をとるべき問題と考えている」(NHK NEWS WEB)

 菅政権時代の前原、“首相ころころ交代忌避論”――

 2010年7月30日国交相記者会見。9月の小沢元代表を対抗馬とした民主党代表選で管支持を打ち出したことを記者から問われて。

 前原国交相「参議院選挙があって、確かに消費税の発言等もあって敗れはいたしましたけれども、私が民主党の風土を変えていかなければいけないと言うのは、短兵急に結論を求めてお互いの足を引っ張り合っているというそのカルチャーを早く脱しないと、仮に菅さんが辞めても、また何かの問題があったら足の引っ張り合いで、そして結果的にはコップの中で権力闘争をやっているということになって、日本の国を変えるという大きな絵姿を描ける政党に脱皮できないと思いますよ」

 「ころころ」と直接的には言っていないが、「短兵急に結論を求め」ることへの警告はイコール「ころころ代わる」ことへの忌避の提示であろう。

 この頃、野田首相も財務相を務めていたが、“首相ころころ交代忌避論”を掲げている。

 野田財務相「トップがころころ変わるのはどうかと思うので、しっかり菅さんを支えたい」

 今になって考えると、上昇高度を制限されたような内閣支持率低空飛行を前にして、野田首相はこの“首相ころころ交代忌避論”に助けられているとも言える。

 そして2011年9月2日、野田首相となって3カ月目にして前原誠司は再び“首相ころころ交代忌避論”を口にする。

 12月4日(2011年)の大津市で講演。

 前原誠司「(首相が)ころころ代わるのは、どの政権でも海外では腰を据えて話をできない国と思われ、国益を損なうことになる。

 野田佳彦首相をしっかり支え、厳しい意見も頂きながら、日本の政治を前に進めるため努力する」(時事ドットコム

 こうまで“首相ころころ交代忌避論”を繰返してきたのではいくら菅が野党時代の「沖縄には海兵隊は要らない。米本土に帰ってもらう」の発言を首相になると紙屑のように反故にする言葉の軽さを見せたとしても、野田首相にしても野党時代、「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです」と言いながら、首相になるとマニフェストに書いてない消費税増税に向けて不退転の姿勢に転じる言葉の裏切りをやらかしたとしても、今の支持率では次の総選挙が戦えないから、交代してくださいと言えまい。

 しかし首相はころころ代えるべきではないという“首相ころころ交代忌避論”は特に菅仮免で破綻していたはずだ。

 小沢一郎を対抗馬とした2010年9月民主党代表選挙当時の国民世論も指導力・リーダーシップの点では小沢氏に軍配を上げて、菅に対しては指導力を認めていなかったが、「首相はころころ代えるべきではない」を首相選択の基準としていて、結果的にそのような世論の後押しを受けて菅は特に地方票、党員票、サポーター票等で大勝することになった。

 「首相はころころ代えるべきではない」が菅を勝利に導いたのである。

 このことが間違いだったと特に露わとなったのは2011年3月11日東日本大震災発生以降に於ける菅の危機管理対応能力であった。地震・津波被災者に対する救援物質その他の救助・生活救済の遅ればかりではなく、福島原発放射能被災者に対しては2010年10月21日に菅を原子力災害対策本部本部長とする浜岡原発事故想定の原子力総合防災訓練を、SPEEDI使用の環境放射能影響予測訓練やテレビ会議システム利用の情報共有・情報伝達等の情報処理訓練を行いながら、SPEEDIの存在を知らなかったと言い、その予測結果を公表もしなかったし、テレビ会議システムを有効に活用して的確な情報処理を図ることもしなかったために、避難住民の被曝しなくても済む放射能を被曝させたり、情報混乱を招くに至った。

 その結果の与野党から石もて追われる如くに退陣を迫られ、本人は衆院任期4年間の首相任期があるべき姿だと抵抗したが、抵抗むなしく4年任期から程遠く1年2カ月で辞任することになった。

 この菅という無能な政治家像から政治家も国民も学習したはずだ。国民世論は菅を指導力のない政治家だと見抜いていながら、“首相ころころ交代忌避論”を首相選択の基準とする間違いを犯してしまったと後悔と共に学習したはずだし、学習していなければならない。

 “首相ころころ交代忌避論”を首相選択の基準とするのは愚かな選択であって、無能を排除、有能を選択の基準とするのが賢い選択だと。

 国民世論は各マスコミの世論調査で野田首相を人柄では選択するが、指導力のない政治家と見ている。内閣支持率30%以下がその結果値となって現れている。

 だが、菅で既に破綻している“首相ころころ交代忌避論”を前原誠司は愚かしくも何ら学習能力もなく再び持ち出して、国民が指導力がないと見ている野田首相の民主党代表選再選を支持した。

 蓮舫当時行政刷新担当相は次のように発言して菅の代表選再選を支持した。

 蓮舫行政刷新担当相「民主党のすべての国会議員が代表選に出る権利を有している。代表選がらみの動きは出てきていると思うが、国民が民主党に何を求めているのか、代表選に願っていることは何かを忘れないようにすべきだ。国民が民主党に求めていただいたのはクリーンな政治。政治とカネの問題で、さまざまなことを起こしてもらいたくないという思いが昨年の政権交代につながった。その声を無視できない」(MSN産経

 クリーンな政治よりも何よりも最悪・最低なのは無能だということである。無能は国民を直接被害者とする。

 国民にしても“首相ころころ交代忌避論”を再度持ち出して、再び過ちを犯すのだろうか。

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大津市中2いじめ自殺/学校はいじめに何も対応して来なかったわけではないことのアリバイ作りに走り出した

2012-07-15 12:09:42 | Weblog

 新しい事実が出てきた。各紙が伝えているが、次の記事から見てみる。

 《大津いじめ自殺:担任ら複数の教諭が話し合い 問題把握か》毎日jp2012年07月14日 13時25分)

 市教委学校教育課からの情報がそうなっていたからなのだろう、生徒から教師に対して二度の報告があったという形式で伝えている。

 昨年(2011年)9月末、大津市の中2男子生徒が執拗ないじめを受けて自宅マンションから飛び降り、死亡した10月11日朝から10日以上前のことになるが、女子生徒がトイレで男子生徒が殴られているのを目撃、最初に出会ったからなのだろう、担任とは違う教諭に「(男子生徒が)いじめられている。やめさせてほしい」と訴えた。

 この教諭が男子生徒に確認すると、「大丈夫」と答えた。

 9月末のこの事件そのものに関する具体的な言及はこれのみである。

 10月5日、10月11日朝自殺の6日前となる、別の生徒が担任に「いじめがある」と伝えた。

 〈学校側は男子生徒が同級生とけんかをしたとして、両方の保護者を呼んで謝罪させた。このとき担任は、男子生徒1人を残し「本当はどうなんだ」と、いじめについて聞いたところ、生徒は「きょうはちょっとイヤやった」と答えたという。〉・・・・

 担任と2年担当の別の教諭たちがその後、男子生徒について話し合った。〈その際「いじめかもしれないから、人間関係に気をつけていこう」という意見も出されたという。男子生徒はこの6日後に自殺した。〉・・・・・

 記事は次のように疑いの目を向けた批判を行なっている。〈学校や市教委はこれまで一貫して「担任も含めいじめについては知らなかった」と話しているが、少なくとも自殺の直前に、いじめがあった可能性を認識していた疑いがある。〉――

 市教委学校教育課の説明は学校からの報告によって成り立っているはずだから、学校発の情報として見る。

 9月末のトイレ事件も10月5日の生徒の報告も、生徒が「いじめ」の存在を訴えたとする学校側の報告となっている。

 生徒に確認すれば分かることだから、この事実に間違いはないはずである。

 喧嘩といじめを混同して、単なる喧嘩をいじめだと誤認する例もあるかもしれないが、女子生徒はいじめの雰囲気を嗅ぎ取ったからなのか、以前からいじめの存在に気づいていたからなのか記事からでは判断できないが、「喧嘩している。やめさせてほしい」という言葉遣いではなく、「いじめられている。やめさせてほしい」という言葉でいじめの存在を訴えたのであり、学校はそのままの言葉で市教委に報告したことになる。
 
 それがいじめと喧嘩を混同して、喧嘩をいじめだと誤認したと仮定したとしても、「いじめがある」といじめの存在を具体的事実として指摘したことに変わりはない。

 対して担任を含めた2年担当の教師たちは生徒たちの具体的事実の指摘に反して、「いじめかもしれない」と可能性の段階で受け止めている。

 生徒たちの具体的事実の指摘をそのとおりに受け止めて、その指摘が正しいのか正しくないのか調査する方法を議論したわけではない。

 この矛盾と切迫感のなさはどう解釈したらいいのだろうか。可能性の段階にとどめたから、「人間関係に気をつけていこう」と距離を置いた注意義務にとどめた。

 もし生徒の指摘を切迫感を持って調査する姿勢が教師側にあったなら、「いじめかもしれないから、人間関係に気をつけていこう」などと結論づけずに直ちに生徒に対する聞き取り調査に入ったはずだ。

 その場合、いじめ側の生徒は勿論、否定するだろうし、いじめられる側の生徒も報復を恐れたりプライドに拘ったりして否定する過去の例に習って、周囲の生徒から聞き取りしなければならない。

 ところが記事は、学校が10月11日にいじめについてアンケートを行う予定だったことを市教委学校教育課が7月14日、明らかにしたと伝えている。

 その上で、これまで学校は一貫して「いじめの存在は知らなかった」としていたことに反して、「いじめの指摘の認識については、(教諭らで)共有していた」と認めたという。

 共有していながら、何ら対応を取らなかったことは犯罪そのものである

 昨年9月末に女子生徒がトイレで男子生徒が殴られているのを目撃、教師に「(男子生徒が)いじめられている。やめさせてほしい」と訴えたにも関わらず、いじめとしての対応を何ら取らなかったばかりか、自殺6日前の10月5日に別の生徒が担任に「いじめがある」と訴えたのに対して、担任を含めた2年担当の教師たちが男子生徒について話し合い、いじめとして調査しようと行動義務を自分たちに課したわけではなく、「いじめかもしれないから、人間関係に気をつけていこう」と注意義務を課したのみであった。

 にも関わらず、その5日後か6日後の10月11日に学校はいじめについてアンケートを行う予定だったと調査をすることの行動義務に変えている。

 だが、男子生徒は話し合いから5日後か6日後の10月11日に自殺してしまった。そのために行われなかったということなのだろう。

 この注意義務から行動義務への急転換の矛盾はどう説明できるのだろうか。

 学校は男子生徒の自殺後、生徒の自殺があった場合は3日以内にすべての教師を対象に調査するよう求めた文部科学省の指導に基づいて約50人すべての教師を対象に調査を行なっている。

 但し男子生徒へのいじめを「認識していた」と答えた教師は1人もいなかった。

 そして現在も当時の認識は事実だと、いわばウソ偽りのない認識だと、自殺した男子生徒が通っていた中学校校長が7月14日、問題発覚後初めて記者会見して述べている。《直前にいじめ連絡も認識せず》NHK NEWS WEB/2012年7月14日 19時45分)

 藤本一夫校長生徒が亡くなるまで、学校としていじめがあったというはっきりした認識はなかった。

 もっと詳しく調べなかったことはわたしたちの大きな見落としだと感じています。わたしたち職員の対応の仕方がまずかったことは否めないと思っています。警察の強制捜査など、いろいろな形で学校全体を混乱させることになってしまったことは十分責任を感じています」

 7月14日に校長が記者会見して、「生徒が亡くなるまで、学校としていじめがあったというはっきりした認識はなかった」と発言していながら、いわば校長・教師の意識の中には男子生徒に関わるいじめを全然存在させていなかったにも関わらず、10月11日にいじめについてアンケートを行うことを予定していた。

 認識もしていないのに認識したアンケート調査を行うという矛盾は、学校教育者だから可能とすることができるのか、素晴らしい。

 この矛盾を無理にではなく、常識的に解釈するとしたら、学校は何も対応していなかったわけではないという事実をつくり出すための、自己保身と責任回避を目的としたアリバイ作りとしか思い浮かばない。

 無理にアリバイ作りに走ろうとしているから、いじめの認識はなかったとしていることと辻褄が合わなくなって、矛盾が生じることになる。

 10月11日というアンケート予定日も自殺後では学校が対応していたことを示すためには遅過ぎる。だが、自殺前では、現実には行なっていないし、証拠も残していないのだから、自殺前の予定日設定は到底無理となる。

 自殺した10月11日とすれば、行わなかった理由も正当化できるし、いくらでも虚偽の事実をつくり出して、自己保身と責任回避を謀ることができる。

 10月11日予定のいじめについてのアンケートが学校も対応していたことを見せかけるアリバイ作りだとしたら、他の生徒たちからの男子生徒に対するいじめの具体的事実の指摘を受けて担任を含めた2年担当の教師たちが男子生徒についての話し合いを持ったということも、それなりの対応をしていたことを証明するアリバイ作りと疑うこともできる。

 その理由は既に述べたように、他の生徒たちのいじめの具体的事実の指摘に聞き取り調査を行う等々の行動義務で応えるのではなく、「いじめかもしれないから、人間関係に気をつけていこう」と注意義務で応えた矛盾にある。

 上記「毎日jp」記事が伝える経緯と次の記事の経緯は少しニュアンスが異なる。《中2自殺6日前、複数教諭がいじめの可能性疑う》YOMIURI ONLINE/2012年7月14日15時29分)(一部抜粋)

 〈市教委や学校はこれまで「男子生徒が亡くなるまで、いじめの認識はなかった」と説明していた。
 市教委によると、昨年10月5日、校内のトイレで同級生が男子生徒を殴り「やり返してこなければ、もっとひどいことをするぞ」と挑発。このため男子生徒も殴り返したという。

 目撃した女子生徒から連絡を受けた学年主任と担任は、同級生と男子生徒から事情を聞いた結果、2人とも暴力を振るったことから、けんかと思い、双方に謝罪させた。その後、男子生徒に「大丈夫か」と尋ねたところ「大丈夫。仲良くする」と答えたという。

 しかし、担任らは女子生徒らから「あれはいじめ」との指摘を受け、以前にも同様の情報があったため、この時点で「いじめの可能性もある」と判断。同月11日に当事者から事実確認を行う予定だったが、同日朝、男子生徒は自宅マンションから飛び降り、亡くなった。〉――

 この記事では「毎日jp」記事にあった、「人間関係に気をつけていこう」と距離を置いた注意義務で結論づけたわけではなく、いじめの可能性を疑い、「毎日jp」記事が伝えているアンケート調査ではなく、〈同月11日に当事者から事実確認を行う予定だった〉と調査の行動義務をいきなり結論づけたことになっていて、男子生徒の自殺によってその行動義務が中断することになったという形を取っている。

 この経緯にも矛盾が存在する。

 トイレでの喧嘩は10月5日である。教師たちは最初単なる喧嘩として処理したが、女子生徒たちから「あれはいじめ」だと指摘を受けた。しかも9月末にもいじめの指摘を受けている。当然、事実確認の調査は緊急を要する行動義務として自らに課し、生徒たちの指摘通りにいじめが事実であったなら、男子生徒をいじめから救い出す次の行動義務に移行しなければならなかったはずだ。

 だが、10月5日の喧嘩から6日後の、緊急を要する行動義務から比較すると遅過ぎる事実確認の予定――遅過ぎる行動義務としていて、あまりにも疑わしい。

 生徒を管理・監督する教育上の責任遂行の点から見ても、不作為(「自ら進んで積極的に行動しないこと」『大辞林』三省堂)に等しい遅過ぎる対応であって、この手遅れそのものが矛盾そのものを示している。

 遅過ぎたからこそ、身体的にも精神面からも生命(いのち)の救いが間に合わなかった。

 以上の疑念からもアリバイ作りに見えて仕方がない。警察の捜査が入り、事実が明らかにされる。その場合、何も対応していなかったことが事実とされると、それだけ責任が重くなる。そこで何も対応してこなかったわけではないとアリバイ作りに走った。

 だが、現実には何も対応してこなかったが事実であるために、アリバイそのものがツケ焼刃でしかなく、矛盾を見せることになった。

 男子生徒の自殺以前に多くの生徒たちのいじめが存在するという具体的事実の指摘に満足な聞き取り調査もしなかったし、自殺後のアンケート調査の生徒たちの回答に対してもいい加減な調査で終始したばかりか、昨年11月実施の2回目の全校生徒に対するアンケート調査で2人の生徒が「(男子生徒がいじめについて)泣きながら電話で担任教諭に相談したと聞いた」YOMIURI ONLINE)と回答しているにも関わらず、事実なら担任がいじめを認識していたことになり、自らの認識に対して何ら調査する行動義務を自らに課さなかったことはいじめをないことにする傍観姿勢を取ったことを意味し、他の教師も自殺後も一貫して同じ姿勢でいたのだから、自己保身と責任回避から発したアリバイ作りだと断言できる。

 大河内清輝君のいじめ自殺事件でも、二人の教師が清輝くんの顔にアザがあることに気づき、本人がいじめを否定したために過去のいじめ例を何ら学習していないままにいじめではないと判断。その後「いじめ・登校拒否対策委員会」で話題としたが、いじめではないかという疑いを共有し、明らかにするためではなく、単に顔のアザがあったという事実説明で終わったというから、自分たちがいじめと認識していなかったことの正当化のためのアリバイ作りに見えてきた。

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マニフェストを語る資格のない野田首相の「国会公認答弁」の覚悟の程度

2012-07-14 11:41:40 | Weblog

 野田首相が7月12日(2012年)午前の衆議院予算委員会で茂木自民党議員の質問に対して次回総選挙で消費税増税のマニフェスト明記に反対議員は公認しないと答弁した。

 この問題は6月26日(2012年)午後の消費増税関連法案の衆院採決で与党内で反対票を投じた議員に対する処分に端を発している。いつ衆議院が解散、総選挙に雪崩を打つか分からない状況下で2カ月、3カ月と、あるいはそれ以上に党員資格停止の処分を受けた議員が資格停止中に選挙があった場合、公認されないという噂だか話したかが流れた。

 小沢グループの離党・新党結成の動きもあって、公認されないなら新党に加わった方がいいという動きを抑えるために、民主党は党員資格停止中も公認するという方針を打ち出した。

 党員の資格を失っている議員に党の公認を与えるということは矛盾そのもだが、小沢グループの目減りの上にさらに目減りを加えるわけにはいかないという自己利害からの打算を働かせた結果の方向転換なのは明白である。

 しかも元総理の地位にありながら党決定に造反したと当初は6カ月の党員資格停止に処した鳩山元首相も3カ月に短縮と相なった。

 この選挙都合の寛大な処置に自民党や公明党が3党合意の信義に反するとして猛反発したという経緯がある。

 7月12日午前の衆院予算委での野田首相と茂木自民党議員の質疑応答を見てみる。 

 茂木自民議員「財源がないのに政策はできません。これは一回生議員でも分かっていただかなきゃいけないことなんだなと思います。ですから、総理も税と社会保障の一体改革と、こういったことを仰ってるんだと思います。

 まあ、あのー、鳩山元総理の処分、あの、党員資格停止が、えー、6カ月から3カ月に軽減されたと。これは税と社会保障、支持していただいている国民からも強い批判が出ているのは間違いないことであります。

 ただ、処分は民主党の問題であります。ただ、この税と社会保障の一体改革、我々は全員賛成し、今支部長として落選している我々の仲間もですね、これはきちんとやっていこうと必死で地元で訴えているんです。

 一方で、民主党で造反をされた方、国会では党の方に残っている。しかし地元に戻ると、私は消費税で反対をした、増税の前にやるべきことがあるんだ。こういったことを今でも言っている。

 私、今これを見るとですね、呉越同舟状態、さらに言えばですね、獅子身中の虫ですよ。こんな状態放置してしていいんですか。総理お答えください」

 野田首相「あのー、いわゆる投票行動、行動についての対応は先般の党内の手続きを経て、対応させていただきました。で、これからも引き続きですね、党内のコンセンサスを得られるように一致結束した対応できるよう。

 勿論、これから参議院の審議ですから、参議院のまさに結束というものもありますけれども、あの、衆議院に於いても、おー、まさに地域の活動と絡んでまいります。賛成を苦渋の決断で賛成された方も、一生懸命、今国民の皆さんに説明をされているときに、そうでない方が違う形で隣の選挙区でやっているというのは、どなたも違和感を持つと思いますので、そういうことのないようなコンセンサスづくりをやっていきたいというふうに思います」

 茂木自民議員「是非代表としてですね、そこら辺、指導力を発揮して欲しいですよ。総理が政治生命をかける。こう言っている法案でありますから、党内に残られるからには、この一体改革、きちんと賛成をする。苦しくてもやはり国民に説明をする。こういう努力なかったら、私は残念ながら、党員として失格じゃないかな、こんなふうに思います。

 あの、因みにですね、獅子身中の虫、これ元々仏教語なんですね。えー、菩薩になろうと誓った人が守るべき規律を定めた梵網経、これに言葉がありまして、仏法を破り、害をもたらすのは内部にいると。

 ぜひご参考にしていただきたいと、こんなふうに思うわけでありますが、野田総理はこれまでですね、消費税、マニフェストには書いてなかった。だから、引き上げの決定はするけれど、引き上げの前には国民に信を問う。こういうことを行ってこられたと私は思っております。

 当然、次回の選挙では今度こそ、民主党の選挙公約、マニフェストで言うか別にして、選挙公約にこの税と社会保障の推進、そして消費税の引き上げ、公約として盛り込まれますね」

 野田首相「これは国民生活に非常に直結するテーマであります。社会保障の持続可能性を確保して、その安定財源を確保するということは、それは本当に国民のためだと思って、厳しい決断でありますけども、あの、推し進めてきたわけでありますので、国民生活のために我々はそれを約束としてマニフェストに明記したいと思っております」

 茂木自民議員「マニフェストで明記をされると明言されました。で、小泉元総理は郵政改革の時に郵政改革に反対の我が党の議員、切ってですね、賛成の候補者、刺客とも呼ばれましたが、すべての選挙区に立ったわけであります。

 当時、小泉総理は殺されてもいいんだと。そんなことも言っていました。やはり私は政治生命をかけると言ったことには、そういう覚悟が必要なんだと、こんなふうに思っております。

 それで、次の選挙に、その消費税の問題、公約として掲げる。そうなりますと、この消費税・一体改革に反対をされる議員、これを公認することはまさかありませんね。

 党内の手続きの規定の問題を聞いているんじゃありません。総理の覚悟を聞いているということです。明確のお答えください」

 野田首相「これは、あのー、この一体改革だけではなくて、それぞれ今回掲げ…ま、マニフェストの中身はそれぞれこれからあると思いますが、しっかりマニフェストに書いたことをちゃんと順守するかどうかというのは公認の基準になると思います」

 茂木自民議員「一丁目一番地だと思います、総理にとって。そう仰ってきた。我々もその意気込みに協力をしてきた。

 それをマニフェストに掲げる。それについて反対の方は公認されない。トーゼンのことだと思います。明確に是非お答えください」

 野田首相「マニフェストに明記することに賛同できないんだったら、それは公認の基準から外れると思います」

 茂木自民議員「えー、明確にお答えいただきました。えー、次回選挙、民主党、消費税、そして一体改革の推進に反対する議員は公認をしない。

 えー、総理の方からしっかり仰っていただきました」 (以上)

 茂木議員は「総理の覚悟」を聞いた。それに対して野田首相は勿論総理としての「覚悟」を述べた。

 それが、「マニフェストに明記することに賛同できないんだったら、それは公認の基準から外れると思います」という発言となった。

 覚悟ということなら、「公認の基準から外します」という主体的意志提示の強い言葉となるはずだが、またそのような言葉遣いをすることによって普段言っている「不退転」の姿勢と整合性を獲ち得るはずだが、「外れると思います」と受動的推定語となったのでは覚悟の程を窺うことができない。

 だから茂木議員はわざわざ「明確にお答えいただきました」とか、「総理の方からしっかり仰っていただきました」と念を押す形の言葉を繰り返さなければならなかったのだろう。

 但しこの茂木要求には誰の目にも分かる仕掛けがある。

 消費税増税反対議員が公認欲しさに増税反対の旗を降ろしたなら、信念のない政治家だと非難を受けて、公認を得たとしても次の選挙で当選は覚束なくなる。原口一博なら、元々信念などないから、空売りの形でいくらでも信念を売るだろうが、普通の議員は信念のある政治家だという体面を保つためにも離党の選択を選ばなくてはならない。

 離党が続発して民主党議員の数が減ることは自民党や野党にとって都合のいいことこの上ない。野田首相にしたら、この仕掛に潜む危険性を承知で敢えて覚悟を示すことができる強い言葉を発信することができなかった。

 「総理の覚悟」が茂出木議員が念を押さねければならなかった程度のものだったと、野田首相自身の発言によって分かるのは、いわば受け身の推定語を使ったとおりだったと分かるのはその日の夕方(6月12日夕方)、いわば舌の根が乾く暇もないうちの国会の憲政記念館で開催の民主党両院議員総会の場であった。

 野田首相「マニフェストの原則論に立って答弁したつもりだが、誤解を生むことになった。すぐ衆議院を解散するわけではないが、丁寧に政権公約をつくり、公認候補については、私だけではなく、輿石幹事長や県連も含め、適正に判断したい」(NHK NEWS WEB

 茂木議員は「マニフェストの原則論」を聞いたのではない。消費税関連法案の参議院審議を控えて造反を避けるためにも不退転の決意で「税と社会保障の一体改革」の実現のために党内の反対議員を次の総選挙で公認しないという形を前以て示すことができるのかどうかと「総理の覚悟」を聞いたのである。

 尤も茂木議員の質問に対する覚悟も何もない野田首相の国会答弁から判断したなら、上の発言となったとしても不思議は何もない。

 但し、当然と言えば当然だが、この「覚悟」違反の発言を自民党や公明党が黙ってはいなかった。

 《石原自民幹事長「首相はうそつき」》時事ドットコム/2012/07/13-17:09)

 13日党本部で記者団に。

 石原伸晃自民幹事長「うそつきだ。首相がこのような態度を続けるなら、首相と決別することもある。首相には『きょろきょろするな。腹を据えて当たれ』と言いたい」

 13日記者会見。

 岸田文雄自民党国対委員長「首相は予算委員会での(当初の)発言の重みをどう考えているのか。あまりに無責任ではないか」

 渡辺喜美みんなの党代表「朝令暮改で(発言を)変えた。代表再選を確実にしようといろんなところに気を使うから、発言のぶれが出てくる」

 公明・山口代表「ぐらつくなら国会で答弁するな!」 野田首相の消費税反対議員「公認しない」発言にMSN産経/2012.7.13 11:31)

 山口公明党代表「「公認基準など政党内(の問題)を首相の立場で国会で答弁することではない。自らの国会答弁の内容がぐらつくことになるなら国会で答弁しないほうがいい。国会の答弁を軽視していると言っても過言ではない」

 野田首相は翌日7月13日午前の参院本会議でも同じような趣旨の弁解を行なっている。

 《朝令暮改? 「消費税反対は公認せず」は一般論 野田首相が釈明》MSN産経/2012.7.13 11:34)

 自民党の愛知治郎氏への答弁。

 野田首相「マニフェスト(政権公約)は所属議員の議論を集約して作成され、候補者はそのマニフェストを掲げて選挙を戦うのが自然な姿であるということを、一般論として答弁したつもりだった。

 候補者の公認は、幹事長らも含めた執行部として、各都道府県連の意見も含めて判断すべきだ」

 「マニフェストの原則論」が「一般論」に変わっている。どちらであっても、例外を除外している。例外を認めるということである。

 まあ、この程度の覚悟だとは思っていた。「不退転、不退転」と言っていても、言葉の人、口先だけだとは見抜いていた。今回の3党合意にしても妥協の産物に過ぎない。不退転の産物とは程遠い。

 野田首相の「覚悟」の程度が分かっていながら、茂木議員の仕掛けに引っかかって離党者を多く出せば、そのうち何人かは小沢新党「国民の生活が第一」に流れるのではないかと期待したのだが、ついつい果敢ない期待を抱いてしまった。野田首相の「覚悟」をバカにしたい気持だけが残った。

 そもそもから言って、野田首相にはマニフェストを語る資格はない。インターネット上に流れている野党時代の発言がそのことを証明している。

 野田首相「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです。

 書いてないことを平気でやる。これっておかしいと思いませんか。書いてあったことは4年間、何もやらないで、書いてないことは平気でやる。
 
 それはマニフェストを語る資格がないというふうに、是非みなさん思っていただきたいと思います」――

 書いてないことをなり振り構わずに命がけで妥協して実行したのだから、野田首相は自分からマニフェストを語る資格を投げ捨てたのである。

 マニフェストを語る資格のない政治家の自らの発言に対する当然の「覚悟」の程度といったところなのだろう。

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【大津中2いじめ自殺】市教委・学校・教師のいじめ隠蔽の新たな共同犯罪が次々と明らかになる

2012-07-13 13:45:57 | Weblog

 昨年(2011年)10月11日朝、大津市の中2男子が自宅マンションから飛び降りて自殺した。

 10月17~19日、学校が生徒自殺後、いじめがなかったか全校生徒859人対象のアンケート調査を行う。

 以下、順次明らかにされていく事実を改めてその順番通りに追っていくことにする。

 今年(2012年)7月4日、市教委記者会見。15人の生徒から「自殺の練習をさせられていたと聞いた」という回答があったことを認める

 アンケート回収後の記者会見ではこの回答に関しては何も話していなかった。

 大津市教委「15人のうち名前を記した複数の生徒から聞き取りをしたが、すべて伝聞の情報で、直接見た生徒がいなかった。『自殺の練習』が、実際にあったという確証が得られなかったため、公表しなかった」

 しかし公表しなかったことによって、例えどれも伝聞だからと確証を得られなかったとしても、「自殺の練習をさせられていたと聞いた」という回答があったという事実を結果的に隠すことになり、と同時に学校が調査した事実も隠すことになる。

 調査した事実の中にはその調査が適切であったか否かの事実も含む。

 後者の事実まで隠すことになって、必然的に調査が適切であったか否か第三者の検証を受ける機会を自ら排除したことになる。

 7月6日、「自殺の練習をさせられていたと聞いた」との生徒のアンケート回答に対して実名回答の4人の生徒に聞き取り調査をしたが、いじめ側の生徒には調査しなかったことが判明。

 市教委「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」(YOMIURI ONLINE

 アンケート回答の生徒の内、実名回答の4人の生徒のみに行った聞き取り調査をいじめ側の生徒には省いて、伝聞で、「実際にあったという確証が得られなかったため、公表しなかった」とする。

 この調査の不徹底・中途半端から窺うことができる姿勢は事実解明に対する強い意志の不在のみである。

 と同時に、このことを7月4日の市教委記者会見で一度に明らかにしなかった姿勢からは不都合を隠すという隠蔽の意思のみしか窺うことのできない。

 7月10日午後9時過ぎ、市教委緊急記者会見。

 昨年の11月1日、学校が「さらに事実を知りたい」という男子生徒の遺族の要望を受けて2回目のアンケート調査を行ったことを明らかにする。

 イキサツを次のように話している。
 
 生徒の回答には「葬式ごっこをしていた」、「『自殺の練習』と言って首を絞めた」等の記述があったが、学校側がこういった記述を見落とし、市教委に「新たな情報は確認できなかった」と報告。

 このため、市教委は追跡調査は必要ないと判断し、回答についても非公表にした。

 沢村憲次教育長「『葬式ごっこ』などの文言は、最近になってこちらで気づき、学校側に再調査を指示した。事実確認が不十分だった点もあり、批判を受けても仕方がない。深くおわびしたい」(YOMIURI ONLINE

 学校が見落とし、市教委が最近になって気づいたため、「学校側に再調査を指示した」云々。

 このことを以って事実確認の強い意志の欠落だけのこととは認めることはできない。生徒一人が命を落とした事実とその死がいじめとの因果関係が問われている事実、そのための調査として行ったアンケートの回答がいじめとの因果関係を示唆している事実を前にして最近になって気づくまで、学校と市教委が二重に見落としていたことになるからだ。

 しかも調査して得た事実、調査の方法を一度に公表するのではなく、各マスコミが生徒やその父兄が含まれていると思われる関係者に直接取材という形で、「(教室に)貼ってあった男子生徒の写真の顔に、死亡後も、いじめをしたとされる生徒が穴を開けたり落書きをしたりしていた」TOKYO Web=東京新聞/2012年7月7日 09時46分)などと報道するに及んだからに違いない、後追いで事実を明らかにしている姿勢を見ると、隠蔽の意志を優先的に働かせていたことによる事実確認の意志の喪失としか解釈できない。

 一度に洗いザラぶちまけるのではなく、サミダレ式に順番を追った事実公表となっていることも、隠し切れないと観念して事実を明らかにするものの、隠し切れなくなった当面の事実しか明らかにしないからこその小出しの情報提供であって、隠蔽の意志なくしてこのような形式にはならないはずだ。

 要するに7月4日の記者会見で併せて公表すべき事実を、そうしなかったこと自体が隠蔽の意志の存在を証明している。

 「(教室に)貼ってあった男子生徒の写真の顔に、死亡後も、いじめをしたとされる生徒が穴を開けたり落書きをしたりしていた」という証言が示す事実は教師も気づいていなければならない。

 生徒だけが気づいていて、担任なりの教師が誰一人気づいていなかったという事実はあり得ない。 

 2回目のアンケート調査を行ったことを明らかにした11月1日の市教委の緊急記者会見でも隠蔽したままの事実があった。

 《学校の事実確認 1件にとどまる》NHK NEWS WEB/2012年7月11日 12時13分)

 「自殺の練習と言って首を絞める」、あるいは「葬式ごっこ」等の回答があった〈去年11月に学校側が行った〉、〈2回目のアンケートでは、いじめの内容などを記した回答が188件寄せられましたが、これを受けて今月初旬までに学校が生徒に事実関係を確認したのは、「他の学校の生徒からいじめを受けていた」という回答の1件だけだったということです。〉・・・・

 記者会見で明らかにされたのではなく、NHKの取材で判明した。

 新たに見つかった犯罪である。

 〈「他の学校の生徒からいじめを受けていた」という回答の1件だけだった〉という調査事実に学校の姿勢のカギが隠されている。

 他の学校の生徒のいじめなら、いくら調査しても自分たち教師の責任とはならない。在校生のいじめだと、調査していじめが明らかになった場合、自分たち教師の責任となる。

 この使い分けがなかったなら、回答188件すべてを調査したはずだ。何が彼に死を選ばせたのか。学校教育者なら尚更、事実解明に強い意志を示さなければならない。

 だが、188件対1件のみの調査で、しかも他の学校の生徒から受けていたいじめであったということは何らかの意図が働いていたことを物語っている。

 意図的に調査しないということは調査によって知ることになる事実を間接的に隠蔽することを意味する。意図的な隠蔽の意志があって初めて調査の回避が可能となる。

 何が原因しているかと言うと、責任を問われることを恐れる自己保身であって、自己保身と責任回避から隠蔽に走る。

 調査の使い分けは既に触れたように、「教育的配慮」の名目のもと、いじめ側の生徒には調査しなかったことにも現れていた。

 公平・公正であるべきに反した使い分けそのものが既に犯罪である

 7月11日午後7時過ぎ、滋賀県警は生活安全部に20人体制の専従捜査班を設置、同日夜、同級生だった同校3年の3人が男子生徒に暴力行為をしたとして、暴行容疑で市役所と中学校を家宅捜索、関係資料を押収(MSN産経/2012.7.11 20:26)。

 同7月11日、毎日新聞社による関係者への取材で学校側が実施したアンケート結果を遺族に渡す際、口外しないよう確約書に署名させていたことが判明。

 《大津・中2自殺:遺族に部外秘の確約書 学校側》毎日jp/2012年07月11日 22時59分)

 確約書(2011年10月24日付、中学校長宛て)「守秘すべき個人情報が含まれていることを認識し、部外秘とすることを確約します」

 生徒の父親(47)「学校側に求められ仕方なくサインした。これに縛られなければもっと早く真相究明できたのでは」

 市教委「アンケートは外部に公開しない前提で行った。口外しないよう求めたことは間違っていない」

 「自殺の練習をさせられていたと聞いた」、「同級生が男子生徒を脅して銀行の口座番号を聞き出し、金を取っていた」、「銀行の番号を無理やり言わせて遊ぶためにお金を使っていた」、「自殺した生徒が『もうおれ死ぬわ』とメールすると、受け取った同級生が『死ねばいいや』と送り返していた」、「いじめていた人に『死にます』という内容のメールを送ったらしい」等々の回答は、いじめと自殺との因果関係の検証を市教委と学校で終わらせるのではなく、その検証自体の妥当性を第三者が検証するためにも公表すべき事柄である。

 当事者の検証自体が自己保身や責任回避から歪められる、あるいは杜撰を極めるといったことが往々にして存在し、否定できないからなのは断るまでもない。

 「アンケートは外部に公開しない前提」は自己保身と責任回避を全うさせるための隠蔽を目的としたものであり、その延長にあった遺族に対する口止めの確約書であることは第三者の検証に供する意図を持った公表がなかった犯罪、公表に耐え得る満足な調査を行なっていなかった犯罪、調査の使い分けさえ行なうご都合主義の犯罪等々が既に証明している。

 この「確約書」へのサインも新たに見つかった犯罪と言える。

 7月12日記事。《教師 生徒へのいじめ認識せず》NHK NEWS WEB/2012年7月12日 18時24分)

 学校は生徒の自殺があった場合、3日以内にすべての教師を対象に調査するよう求めた文部科学省の指導に基づいて約50人すべての教師を対象に調査。

 〈大津市教育委員会によりますと、このときの調査で、男子生徒へのいじめを「認識していた」と答えた教師は1人もいなかったことがわかりました。〉

 記事は、〈自殺のあと、学校が全校生徒を対象に行ったアンケートでは、複数の生徒が「男子生徒が、教師に『いじめを受けている』と訴えたと聞いた」と回答し、さらに「男子生徒の訴えに教師が対応しなかった」とも指摘していて、教師側の見解と食い違いが生じています。

 このため、大津市教育委員会は、事実関係や当時の学校の対応などをさらに調べることにしています〉と書いて、記事を結んでいる。

 文部省通達は自殺後3日以内であり、1回目のアンケート調査は自殺6日後の10月17日から19日に行なっているから、アンケート調査の方が後に行われたはずだ。

 「男子生徒が、教師に『いじめを受けている』と訴えたと聞いた」、「男子生徒の訴えに教師が対応しなかった」等の回答に関しては生徒に聞き取り調査を行ったかもしれない。例えこの回答がすべて伝聞であったとしても、〈男子生徒へのいじめを「認識していた」と答えた教師は1人もいなかった〉事実との食い違いを疑ってかかって検証する“2回目の対教師調査”を生徒に対する1回目のアンケート後に直ちに行うのが常識だが、行ったのか、行わなかったのか未だにその事実は明らかになっていないことからすると、行わなかったと断定できる。

 行わなかったことは事実解明に反する犯罪に等しい。
 
 この犯罪も調査の使い分けに当たり、教師に責任が振りかかることが学校の責任に振りかかることを恐れる学校・教師の自己保身と責任回避からの教師に対する“2回目の調査”の回避であり、この回避は調査によって明らかになるかもしれない事実に対する隠蔽に相当する。

 自己保身と責任回避から隠蔽したい意識が働き、調査を回避した。学校・教師による犯罪でなくて何であろう。

 7月13日付の次の記事は、自殺直後の対教師調査で学校教師が誰一人いじめを認識していなかったとする回答が学校・教師の犯罪そのものであるあることを証明してくれる。

 《大津いじめ自殺:体育祭での暴行、女性教諭が目撃し注意》毎日jp/2012年07月13日 02時30分)

 複数の生徒が毎日新聞に証言したこととして伝えている。

 〈昨年9月29日の体育祭の昼食時間に、会場の観客席で、男子生徒が同級生3人から鉢巻きや粘着テープで手や足、口を何重にも巻かれていた。この状態の男子生徒を同級生の1人が背負い、別の2人が男子生徒の背中を蹴る場面もあった。

 この様子は、周囲の複数の生徒や教諭が目撃していたという。間もなく、女性教諭が同級生3人に「やめなさい」と注意した。3人は「はーい」などと言って粘着テープをはがすなどし、男子生徒の拘束を解いたという。

 ある生徒は「同級生は男子生徒の背中をかなり強く蹴っていた。周囲の生徒が注意できるような雰囲気ではなかった」。別の生徒は「男子生徒は、いじめられているように見えた」と証言した。〉・・・・・

 さらに記事は書いている。〈昨年10月の男子生徒の自殺直後の学校のアンケートでは、生徒20人が男子生徒が縛られた様子などを目撃したと回答した。一方、同じ頃の教職員からの聞き取り調査で、全ての教職員が「これまで、男子生徒がいじめられていたという認識を持ったことはない」と答えていた。〉・・・・・

 体育祭での女教師の目撃事実と2週間も経たないうちの自宅マンションから飛び降りるという自殺を結びつけた場合、少なくともいじめを疑ってよさそうなものだが、対教師調査では誰一人いじめを認識していなかった。

 疑惑の類も認識のうちに入る。疑っていたとしたら、認識していたことになるが、疑うという認識すら持たなかったとしたら、学校教師の資格を失う。生徒一人ひとりの生命(いのち)と向き合う資格はない。

 自己保身と責任回避から事実の隠蔽に走る姿は既に学校教師の資格を失った犯罪そのものであることの証明でしかないが、学校教育者でありながら、生徒一人の生命(いのち)の在り様に疑うという認識すら持たかった場合にしても、犯罪そのものに当たる。

 次々と学校教師の犯罪が見つかってくる。

 上記事は最後に次のように結んでいる。

 〈捜査関係者によると、体育祭での同級生の行為は、生徒だけでなく教諭も見ていた可能性が高いという。県警は13日から順次、教職員から事情を聴く方針で、実際に目撃したとされる教諭らから、当時の状況などについて詳しい説明を求めるとみられる。

 県警は体育祭での行為について、暴行容疑で強制捜査に乗り出した。関連先として捜索した市教委などからは、いじめに関するファイルや事例集、職員会議の資料なども押収しているという。【村瀬優子、村山豪、石川勝義、杉本修作】〉・・・・・

 新たな犯罪が次々と見つかるに違いない。いじめを傍観した犯罪まで含めて。

 自己保身と責任回避と情報隠蔽がなかったなら、存在しなかった犯罪のはずである。

 但し責任が待ち構えることになる。自己保身からその責任からの回避を謀り、結果的に情報隠蔽に走る犯罪を次々に犯すことになった。市教委ぐるみ・学校ぐるみで。

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【大津中2いじめ自殺】市教委・学校・教師のいじめ隠蔽の新たな共同犯罪が次々と見るかる

2012-07-13 13:45:57 | Weblog

 昨年(2011年)10月11日朝、大津市の中2男子が自宅マンションから飛び降りて自殺した。

 10月17~19日、学校が生徒自殺後、いじめがなかったか全校生徒859人対象のアンケート調査を行う。

 以下、順次明らかにされていく事実を改めてその順番通りに追っていくことにする。

 今年(2012年)7月4日、市教委記者会見。15人の生徒から「自殺の練習をさせられていたと聞いた」という回答があったことを認める

 アンケート回収後の記者会見ではこの回答に関しては何も話していなかった。

 大津市教委「15人のうち名前を記した複数の生徒から聞き取りをしたが、すべて伝聞の情報で、直接見た生徒がいなかった。『自殺の練習』が、実際にあったという確証が得られなかったため、公表しなかった」

 しかし公表しなかったことによって、例えどれも伝聞だからと確証を得られなかったとしても、「自殺の練習をさせられていたと聞いた」という回答があったという事実を結果的に隠すことになり、と同時に学校が調査した事実も隠すことになる。

 調査した事実の中にはその調査が適切であったか否かの事実も含む。

 後者の事実まで隠すことになって、必然的に調査が適切であったか否か第三者の検証を受ける機会を自ら排除したことになる。

 7月6日、「自殺の練習をさせられていたと聞いた」との生徒のアンケート回答に対して実名回答の4人の生徒に聞き取り調査をしたが、いじめ側の生徒には調査しなかったことが判明。

 市教委「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」(YOMIURI ONLINE

 アンケート回答の生徒の内、実名回答の4人の生徒のみに行った聞き取り調査をいじめ側の生徒には省いて、伝聞で、「実際にあったという確証が得られなかったため、公表しなかった」とする。

 この調査の不徹底・中途半端から窺うことができる姿勢は事実解明に対する強い意志の不在のみである。

 と同時に、このことを7月4日の市教委記者会見で一度に明らかにしなかった姿勢からは不都合を隠すという隠蔽の意思のみしか窺うことのできない。

 7月10日午後9時過ぎ、市教委緊急記者会見。

 昨年の11月1日、学校が「さらに事実を知りたい」という男子生徒の遺族の要望を受けて2回目のアンケート調査を行ったことを明らかにする。

 イキサツを次のように話している。
 
 生徒の回答には「葬式ごっこをしていた」、「『自殺の練習』と言って首を絞めた」等の記述があったが、学校側がこういった記述を見落とし、市教委に「新たな情報は確認できなかった」と報告。

 このため、市教委は追跡調査は必要ないと判断し、回答についても非公表にした。

 沢村憲次教育長「『葬式ごっこ』などの文言は、最近になってこちらで気づき、学校側に再調査を指示した。事実確認が不十分だった点もあり、批判を受けても仕方がない。深くおわびしたい」(YOMIURI ONLINE

 学校が見落とし、市教委が最近になって気づいたため、「学校側に再調査を指示した」云々。

 このことを以って事実確認の強い意志の欠落だけのこととは認めることはできない。生徒一人が命を落とした事実とその死がいじめとの因果関係が問われている事実、そのための調査として行ったアンケートの回答がいじめとの因果関係を示唆している事実を前にして最近になって気づくまで、学校と市教委が二重に見落としていたことになるからだ。

 しかも調査して得た事実、調査の方法を一度に公表するのではなく、各マスコミが生徒やその父兄が含まれていると思われる関係者に直接取材という形で、「(教室に)貼ってあった男子生徒の写真の顔に、死亡後も、いじめをしたとされる生徒が穴を開けたり落書きをしたりしていた」TOKYO Web=東京新聞/2012年7月7日 09時46分)などと報道するに及んだからに違いない、後追いで事実を明らかにしている姿勢を見ると、隠蔽の意志を優先的に働かせていたことによる事実確認の意志の喪失としか解釈できない。

 一度に洗いザラぶちまけるのではなく、サミダレ式に順番を追った事実公表となっていることも、隠し切れないと観念して事実を明らかにするものの、隠し切れなくなった当面の事実しか明らかにしないからこその小出しの情報提供であって、隠蔽の意志なくしてこのような形式にはならないはずだ。

 要するに7月4日の記者会見で併せて公表すべき事実を、そうしなかったこと自体が隠蔽の意志の存在を証明している。

 「(教室に)貼ってあった男子生徒の写真の顔に、死亡後も、いじめをしたとされる生徒が穴を開けたり落書きをしたりしていた」という証言が示す事実は教師も気づいていなければならない。

 生徒だけが気づいていて、担任なりの教師が誰一人気づいていなかったという事実はあり得ない。 

 2回目のアンケート調査を行ったことを明らかにした11月1日の市教委の緊急記者会見でも隠蔽したままの事実があった。

 《学校の事実確認 1件にとどまる》NHK NEWS WEB/2012年7月11日 12時13分)

 「自殺の練習と言って首を絞める」、あるいは「葬式ごっこ」等の回答があった〈去年11月に学校側が行った〉、〈2回目のアンケートでは、いじめの内容などを記した回答が188件寄せられましたが、これを受けて今月初旬までに学校が生徒に事実関係を確認したのは、「他の学校の生徒からいじめを受けていた」という回答の1件だけだったということです。〉・・・・

 記者会見で明らかにされたのではなく、NHKの取材で判明した。

 新たに見つかった犯罪である。

 〈「他の学校の生徒からいじめを受けていた」という回答の1件だけだった〉という調査事実に学校の姿勢のカギが隠されている。

 他の学校の生徒のいじめなら、いくら調査しても自分たち教師の責任とはならない。在校生のいじめだと、調査していじめが明らかになった場合、自分たち教師の責任となる。

 この使い分けがなかったなら、回答188件すべてを調査したはずだ。何が彼に死を選ばせたのか。学校教育者なら尚更、事実解明に強い意志を示さなければならない。

 だが、188件対1件のみの調査で、しかも他の学校の生徒から受けていたいじめであったということは何らかの意図が働いていたことを物語っている。

 意図的に調査しないということは調査によって知ることになる事実を間接的に隠蔽することを意味する。意図的な隠蔽の意志があって初めて調査の回避が可能となる。

 何が原因しているかと言うと、責任を問われることを恐れる自己保身であって、自己保身と責任回避から隠蔽に走る。

 調査の使い分けは既に触れたように、「教育的配慮」の名目のもと、いじめ側の生徒には調査しなかったことにも現れていた。

 公平・公正であるべきに反した使い分けそのものが既に犯罪である

 7月11日午後7時過ぎ、滋賀県警は生活安全部に20人体制の専従捜査班を設置、同日夜、同級生だった同校3年の3人が男子生徒に暴力行為をしたとして、暴行容疑で市役所と中学校を家宅捜索、関係資料を押収(MSN産経/2012.7.11 20:26)。

 同7月11日、毎日新聞社による関係者への取材で学校側が実施したアンケート結果を遺族に渡す際、口外しないよう確約書に署名させていたことが判明。

 《大津・中2自殺:遺族に部外秘の確約書 学校側》毎日jp/2012年07月11日 22時59分)

 確約書(2011年10月24日付、中学校長宛て)「守秘すべき個人情報が含まれていることを認識し、部外秘とすることを確約します」

 生徒の父親(47)「学校側に求められ仕方なくサインした。これに縛られなければもっと早く真相究明できたのでは」

 市教委「アンケートは外部に公開しない前提で行った。口外しないよう求めたことは間違っていない」

 「自殺の練習をさせられていたと聞いた」、「同級生が男子生徒を脅して銀行の口座番号を聞き出し、金を取っていた」、「銀行の番号を無理やり言わせて遊ぶためにお金を使っていた」、「自殺した生徒が『もうおれ死ぬわ』とメールすると、受け取った同級生が『死ねばいいや』と送り返していた」、「いじめていた人に『死にます』という内容のメールを送ったらしい」等々の回答は、いじめと自殺との因果関係の検証を市教委と学校で終わらせるのではなく、その検証自体の妥当性を第三者が検証するためにも公表すべき事柄である。

 当事者の検証自体が自己保身や責任回避から歪められる、あるいは杜撰を極めるといったことが往々にして存在し、否定できないからなのは断るまでもない。

 「アンケートは外部に公開しない前提」は自己保身と責任回避を全うさせるための隠蔽を目的としたものであり、その延長にあった遺族に対する口止めの確約書であることは第三者の検証に供する意図を持った公表がなかった犯罪、公表に耐え得る満足な調査を行なっていなかった犯罪、調査の使い分けさえ行なうご都合主義の犯罪等々が既に証明している。

 この「確約書」へのサインも新たに見つかった犯罪と言える。

 7月12日記事。《教師 生徒へのいじめ認識せず》NHK NEWS WEB/2012年7月12日 18時24分)

 学校は生徒の自殺があった場合、3日以内にすべての教師を対象に調査するよう求めた文部科学省の指導に基づいて約50人すべての教師を対象に調査。

 〈大津市教育委員会によりますと、このときの調査で、男子生徒へのいじめを「認識していた」と答えた教師は1人もいなかったことがわかりました。〉

 記事は、〈自殺のあと、学校が全校生徒を対象に行ったアンケートでは、複数の生徒が「男子生徒が、教師に『いじめを受けている』と訴えたと聞いた」と回答し、さらに「男子生徒の訴えに教師が対応しなかった」とも指摘していて、教師側の見解と食い違いが生じています。

 このため、大津市教育委員会は、事実関係や当時の学校の対応などをさらに調べることにしています〉と書いて、記事を結んでいる。

 文部省通達は自殺後3日以内であり、1回目のアンケート調査は自殺6日後の10月17日から19日に行なっているから、アンケート調査の方が後に行われたはずだ。

 「男子生徒が、教師に『いじめを受けている』と訴えたと聞いた」、「男子生徒の訴えに教師が対応しなかった」等の回答に関しては生徒に聞き取り調査を行ったかもしれない。例えこの回答がすべて伝聞であったとしても、〈男子生徒へのいじめを「認識していた」と答えた教師は1人もいなかった〉事実との食い違いを疑ってかかって検証する“2回目の対教師調査”を生徒に対する1回目のアンケート後に直ちに行うのが常識だが、行ったのか、行わなかったのか未だにその事実は明らかになっていないことからすると、行わなかったと断定できる。

 行わなかったことは事実解明に反する犯罪に等しい。
 
 この犯罪も調査の使い分けに当たり、教師に責任が振りかかることが学校の責任に振りかかることを恐れる学校・教師の自己保身と責任回避からの教師に対する“2回目の調査”の回避であり、この回避は調査によって明らかになるかもしれない事実に対する隠蔽に相当する。

 自己保身と責任回避から隠蔽したい意識が働き、調査を回避した。学校・教師による犯罪でなくて何であろう。

 7月13日付の次の記事は、自殺直後の対教師調査で学校教師が誰一人いじめを認識していなかったとする回答が学校・教師の犯罪そのものであるあることを証明してくれる。

 《大津いじめ自殺:体育祭での暴行、女性教諭が目撃し注意》毎日jp/2012年07月13日 02時30分)

 複数の生徒が毎日新聞に証言したこととして伝えている。

 〈昨年9月29日の体育祭の昼食時間に、会場の観客席で、男子生徒が同級生3人から鉢巻きや粘着テープで手や足、口を何重にも巻かれていた。この状態の男子生徒を同級生の1人が背負い、別の2人が男子生徒の背中を蹴る場面もあった。

 この様子は、周囲の複数の生徒や教諭が目撃していたという。間もなく、女性教諭が同級生3人に「やめなさい」と注意した。3人は「はーい」などと言って粘着テープをはがすなどし、男子生徒の拘束を解いたという。

 ある生徒は「同級生は男子生徒の背中をかなり強く蹴っていた。周囲の生徒が注意できるような雰囲気ではなかった」。別の生徒は「男子生徒は、いじめられているように見えた」と証言した。〉・・・・・

 さらに記事は書いている。〈昨年10月の男子生徒の自殺直後の学校のアンケートでは、生徒20人が男子生徒が縛られた様子などを目撃したと回答した。一方、同じ頃の教職員からの聞き取り調査で、全ての教職員が「これまで、男子生徒がいじめられていたという認識を持ったことはない」と答えていた。〉・・・・・

 体育祭での女教師の目撃事実と2週間も経たないうちの自宅マンションから飛び降りるという自殺を結びつけた場合、少なくともいじめを疑ってよさそうなものだが、対教師調査では誰一人いじめを認識していなかった。

 疑惑の類も認識のうちに入る。疑っていたとしたら、認識していたことになるが、疑うという認識すら持たなかったとしたら、学校教師の資格を失う。生徒一人ひとりの生命(いのち)と向き合う資格はない。

 自己保身と責任回避から事実の隠蔽に走る姿は既に学校教師の資格を失った犯罪そのものであることの証明でしかないが、学校教育者でありながら、生徒一人の生命(いのち)の在り様に疑うという認識すら持たかった場合にしても、犯罪そのものに当たる。

 次々と学校教師の犯罪が見つかってくる。

 上記事は最後に次のように結んでいる。

 〈捜査関係者によると、体育祭での同級生の行為は、生徒だけでなく教諭も見ていた可能性が高いという。県警は13日から順次、教職員から事情を聴く方針で、実際に目撃したとされる教諭らから、当時の状況などについて詳しい説明を求めるとみられる。

 県警は体育祭での行為について、暴行容疑で強制捜査に乗り出した。関連先として捜索した市教委などからは、いじめに関するファイルや事例集、職員会議の資料なども押収しているという。【村瀬優子、村山豪、石川勝義、杉本修作】〉・・・・・

 新たな犯罪が次々と見つかるに違いない。

 自己保身と責任回避と情報隠蔽がなかったなら、存在しなかった犯罪のはずである。

 但し責任が待ち構えることになる。自己保身からその責任からの回避を謀り、結果的に情報隠蔽に走る犯罪を次々に犯すことになった。市教委ぐるみ・学校ぐるみで。

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ブログ「菅直人が語る原発事故(1)」が炙り出す自分の頭の悪さに無頓着な自己正当化と責任転嫁

2012-07-12 11:35:28 | Weblog

 菅仮免が昨日7月11日、自身のブログで福島原発事故原因について自身の事故発生後の危機管理能力を抜きにした自己正当化と責任転嫁を用いて尤もらしげに展開している。

 この自己正当化と責任転嫁の文脈は相も変わらずの、これでもかといった反復に過ぎないパターン化に陥っているが、頭が悪いから、気づきもしない。

 元々頭が悪い上に自己正当化と責任転嫁の気持が強過ぎるから、同じ反復を繰返すことになるのだろう。

 短い文章だから、全文参考引用しておく。

 菅直人が語る原発事故(1)(菅直人オフィシャルブログ「今日の一言」/2012-7-11)

はじめに

福島原発事故から約1年4か月が経過した。この間、政府や国会事故調などのヒヤリングを受け、また取材にも限られた範囲で応じてきた。記憶が確かなうちに、事故当時、総理大臣であった私自身の言葉で福島原発事故について書き残すことが、二度と同様な事故を起こさないためにも必要と考えて筆を執ることにした。当面このブログで、当時のことを語ってみたい。

福島原発事故の原因の大半は、事故発生の2011年3月11日以前にある。これが私の結論だ。

その例をいくつか挙げてみたい。事故を起こした福島原発の第一サイトはもともと海面から35mの高さの高台だった。それを海面から10メートルの高さまで土を切り取って建設している。海水をくみ上げるためにわざわざ低くしたものと思われる。当時のことを記録した東電の社史には、「先見の明があった」と述べられている。歴史を紐解けば、三陸海岸には何度も津波が襲っていることが記述されている。しかし、三陸海岸に続く福島での原発建設では、津波のことが考慮された気配は全くない。

もう一つの例は比較的最近のことである。アメリカは2001年、9・11のテロ後、原発へのテロ攻撃で全電源喪失が起きる可能性を考え、対策を講じている。そのことは我が国の原子力安全保安院にも伝えられていた。しかし「日本ではテロは起きない」として、全電源喪失を想定すること自体を否定し、対策も講じていなかった。アメリカと同様な対策を講じていれば事故の拡大は防げていたはずだ。

原子力安全保安院が原子力推進の中心官庁、経産省の一部門であったことも、安全性軽視の象徴だ。安全性をごまかすための「やらせ」を指導するような保安院が、安全性をしっかり監視できたとは思えない。 

 確かブログの中にはパチパチと手を叩くアイコンが取り付けてあって、それをクリックすると気に入ったブログとして1票が登録される仕掛けがあったと思うが、パチパチと手を叩く代わりにそのアイコンを取り付けておきたいと思ったくらい、感心する文章となっている。

 先ず、「事故当時、総理大臣であった私自身の言葉で福島原発事故について書き残すことが、二度と同様な事故を起こさないためにも必要と考えて筆を執ることにした」と書いているが、元々から合理的判断能力を欠き、自己正当化と責任転嫁を専らとしている人間が何を書き残そうと、菅自身の自己正当化と責任転嫁を突きつけられるだけで後世の役に立つはずはない。 

 合理的判断能力はすべての能力の基本となる。満足に判断できない人間が如何なる能力も発揮しようがない。

 その能力を欠いているということは無能であることと等しい。無能でありながら、なまじっか一国のリーダーの地位に就いたものだから、必要とされる能力を発揮し、必要とされる責任を果たす機会もなく、結果として無能を補う自己正当化と責任転嫁の意識が発達することになる。

 このことは、「福島原発事故の原因の大半は、事故発生の2011年3月11日以前にある。これが私の結論だ」と言っていることに象徴的に現れている。

 このことは多くの識者が既に指摘していることで、今更ながらに「これが私の結論だ」と、独自の結論であるかのように大仰に断定すること自体が頭の悪さ、合理的判断能力の欠如を何よりも物語っている。

 過去にあった大型地震や大型津波を想定しなかった危機管理欠如、そのことを踏まえた全電源喪失想定等の危機管理の欠如が東日本大震災の大型の地震・津波の発生を受けて福島第1原発がシビアアクシデントを起こすに至った。

 問題は原発事故発生原因、あるいは発生遠因を究明し、今後の教訓とするだけではなく、発生後の危機管理の的確性の究明を行い、今後発生した場合の教訓とする作業も必要不可欠としなければならないはずだが、このブログにはその視点を一切見受けることができない。

 もし発生前の危機管理さえ万全を期したなら、発生後の危機管理は想定不必要となるとしたなら、新たな「原発神話」に加担することになる。

 自身が関わった発生後の危機管理についてはおいおい書いていくと言うかもしれないが、国会事故調参考人証言からは自己の原発対応にどこか間違いはなかっただろかと自問・自省する態度はどこにもなかった。全編言い抜け・ゴマカシ・自己正当化・責任転嫁で満ちていた。

 特に参考人証言の最後の方で述べた原発事故「東電悪玉論」は東電を戦前の軍部と同等の凶悪犯に仕立て、自身には責任はないとする自己責任の免罪符によって成り立っていた。

 例え今後発生後の自身の危機管理対応を書いたとしても客観的・合理的な評価は期待できない。

 大体が、「福島原発事故の原因の大半は、事故発生の2011年3月11日以前にある」ことは既に多くの識者が指摘している以上、最初に取り上げるべきは多くの批判がある自身の危機管理対応に関する自己検証であろう。

 それを最初に東電と保安院の対応を持ってきていること自体が既に自己正当化と責任転嫁で成り立っていることになる。

 責任転嫁の例として、海面35メートルの高台を10メートルの高さにまで削って原発を建設したことを挙げているが、既に国会事故調参考人証言で発言したことの繰返しに過ぎない。

 アメリカがテロ対策として全電源喪失に備えていることを例に上げ、「アメリカと同様な対策を講じていれば事故の拡大は防げていたはずだ」と言っているが、全電源喪失想定の対策を万全としていたとしても、常に絶対だとは言えない。

 災害や事故はときには人間の想定を超える。常に絶対だとしたなら、このことも新たな「原発安全神話」の構築となって合理的判断能力の欠如を裏打ちすることになるばかりか、事故発生前の危機管理のみを以って「事故の拡大は防げていたはずだ」と言葉を切ること自体が既に合理的判断能力の欠如を証明していることになる。

 菅仮免自身が原発事故発生翌朝に現場を視察、事故対応に専念しなければならない現場の人間の作業を妨害したこと、官邸スタッフが直接現場に電話して作業の妨げとなったこと、海水注入開始時の混乱、官邸と東電・現場との円滑な情報共有の確立が事故発生から4日後となったこと、SPEEDIの公表遅れ、文科省が3月15日午後9時頃、原発から北西およそ20キロの福島県浪江町に職員派遣して放射線量を測定、1時間当たり330マイクロシーベルトの高い数値を測定し、官邸に報告、報道機関に資料配付、インターネットに情報公開したが、それがSPEEDI予測調査に基づいていたことを情報隠蔽したこと、2011年3月11日東日本大震災発生から1週間後の3月17日から3月19日にかけてアメリカ・エネルギー省が航空機を使用して福島上空の放射線量を測定、作成した地図を3月18日と3月20日に日本外務省に提供、外務省が直ちに文部科学省と原子力安全・保安院に伝達したが、文部科学省、原子力安全・保安院共に非公表の情報隠蔽を働いて住民避難に役立てなかったこと等々、例を挙げれば切りがないが、事故発生後の政府対応が住民被曝への影響も含めて事故を拡大させたのではないかと疑われていることは事故発生前の危機管理だけでは済まない、事故発生後の危機管理の重要性を物語っているはずだ。

 いわば発生前と発生後の危機管理があって初めてより安全な危機管理体制と言える。
 
 当然、保安院や東電の事故発生前の危機管理の不備を取り上げて事故拡大の原因だと批判する以上、その批判と同時併行させて事故発生後の首相としての、あるいは原子力災害対策本部長としての自身の危機管理の的確性に対する自身の検証を行うことによって全体性を備えた今後の教訓となるはずだが、保安院や東電に対する批判のみとしていることは自己正当化と責任転嫁なくして成り立たすことはできない偏った自己都合の解釈としか言いようがない。

 元々の無能が、それを誤魔化すための自己正当化と責任転嫁の才能を育てることになった。

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