【大津市中2男子いじめ自殺】市教委・学校の殆ど犯罪に等しい情報隠蔽を通した自己保身と責任回避

2012-07-11 12:50:51 | Weblog

 7月7日(2012年)の当ブログ記事――《大津市中2男子いじめ自殺と大河内清輝君いじめ自殺との類似性と教師たちの自己保身と責任回避 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》では、市教委や学校教師の過去のいじめ事例を学習していない姿を描いた。

だが、各マスコミ各社の追及報道に接するうちにいじめと自殺の因果関係をなかったことにしようとする事勿れ一辺倒の情報隠蔽がなお一層のこと露骨に透けて見えてきた。情報隠蔽の殆んどは事実が明らかにされることを恐れる自己保身と責任回避を根拠としている。

 今や殆んど犯罪に等しい自己保身と責任回避だと言える。

 以下記事は先のブログ記事と重なる個所もある。

 市教委は10月11日朝の生徒の自殺後の10月17~19日、いじめがなかったか学校の全校生徒859人対象のアンケートを文書で行った。

 だが、「自殺の練習をさせられていた」という回答が複数ありながら、公表しないという情報隠蔽が先ず存在した。

 市教委「15人のうち名前を記した複数の生徒から聞き取りをしたが、すべて伝聞の情報で、直接見た生徒がいなかった。『自殺の練習』が、実際にあったという確証が得られなかったため、公表しなかった」(NHK NEWS WEB/2012年7月4日 17時50分)

 「自殺の練習をさせられていた」という目撃情報がもし事実だとしたら、いじめと自殺との因果関係の強力な直接証拠となり得る。

 当然、市教委にしても学校にしてもいじめは勿論、いじめを原因とした自殺などはあってはならないことだから、あってはならないことが実際にあったことなのか、なかったことなのかの事実関係を明確にする調査を徹底的に行わなければならない重大な責任が生じたことになり、そのような重大な責任が生じた教育者として、あるいは教育機関として取るべき行動を取らなければならなかった。

 だが、そういった行動とはなっていなかった。

 伝聞情報だから公表しなかったということは「確証が得られなかった」という理由のみで「自殺の練習をさせられていた」という事実をなかったことにしたことを意味する。

 情報は公開することによって、情報が含む事実が明らかにされるが、公開しないことによって事実は隠されることになる。

 このことは菅前首相の地震・津波対応、原発事故対応で十分に学習させられた。

 例え「確証が得られなかった」としても、市教委にしても学校にしても、教師にしても生徒を管理・監督する立場上、「確証が得られなかった」ことを一つの事実として、あるいは自分たちが取らなければならない責任遂行の証明として公表する責任を有していたはずだが、公表しなかった。

 だが、公表しないことによって、「自殺の練習をさせられていた」という伝聞情報があったという事実も、「確証が得られなかった」という調査事実も隠されることになった。

 ここで問題となるのは、結果的な隠蔽だったのか、意図的な隠蔽だったのかである。いわば「確証が得られなかった」が「自殺の練習をさせられていた」という伝聞情報を隠蔽するための単なる口実ではなかったかという疑いである。

 後者なのは市教委も学校もいじめた側の生徒に対する聞き取り調査をしなかったことによって明らかになる。

 市教委「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」(YOMIURI ONLINE

 この発言からは、いじめは勿論、いじめを原因とした自殺などはあってはならないこととしなければならない教育者としての、あるいは教育機関としての重大な責任感を些かも窺うことはできない。

 いわば取るべき責任遂行を取らなかった。

 「確証が得られなかった」を「自殺の練習をさせられていた」という伝聞情報を隠蔽する口実(虚偽の情報伝達)としただけではなく、自分たちが取るべき重大な責任を回避したのであり、その責任回避まで情報隠蔽するために「自殺の練習をさせられていた」という伝聞情報を公表せずに情報隠蔽する何重もの情報隠蔽が存在した。

 《暴力「あった」 全校調査で150件 大津中2自殺》asahi.com/2012年7月7日)によると、アンケートは次のような四分類形式で行われたという。

 「記名で、直接確認」(A)
 「記名で、伝聞」(B)
 「無記名で、直接確認」(C)
 「無記名で、伝聞」(D)

 伝聞の回答が一番多い。さらに「記名で、伝聞」(B)よりも「無記名で、伝聞」(D)がさらに多くを占めている。

 「無記名で、伝聞」(D)のみを見てみる。

 「自殺の練習」――12人
 「恐喝・金品要求」――9人
 「万引き強要」――6人
 「自殺の予告」――6人(以上)

 「自殺の予告」とは、複数の生徒が学校のアンケートに男子生徒が自殺する直前、いじめ側の生徒に「死にます」などとメールしたり、電話をしていたと回答していたことを指す。

 無記名で伝聞だから、確認の取りようがないとすることはできるが、往々にしていじめ側の生徒の報復等々の考えることのできる後の面倒を恐れて無記名・伝聞にするといった人間が持つ性格的傾向を考えた場合、調査を手づかずにすることはできないはずだが、逆に無記名・伝聞のみを理由に調査しないで済ませている。

 ここにも責任回避を窺うことができる。
 
 このことは記事が次のように伝えていることからも証明できる。

 〈市は昨年11月、結果をもとに「複数の生徒のいじめがあった」と発表。その根拠として、殴る蹴る▽手足を縛る▽首を絞める▽ハチを食べさせる――といった暴力行為を挙げた。暴力行為の回答は計約150件にのぼり、その半数近くを「A」の回答が占めた。〉――
 
 暴力行為に関して「記名で、直接確認」の「A」回答が約150件中半数近くを占めながら、いじめ側の生徒に対する聞き取り調査をしなかったばかりか、後難を恐れて「無記名・伝聞」としがちな人間が持つ性格的特性と関連付けもしないままに「自殺の練習をさせられていた」がすべて伝聞情報で「確証が得られなかった」からと、その事実の存在を否定、しかも公表もしなかった

 果たして教育者と言えるだろうか。

 「無記名・伝聞」の回答は後の面倒を恐れる生徒には救いとなったろうが、逆に市教委や学校・教師にとっても調査をそれ以上進めなくて済む救いとなったようだ。

 あるいは自ら進んで救いとしたのかもしれない。自己保身と責任回避はコインの表裏をなすと前のブログに書いたが、自己保身の救いとし、責任回避の救いとするために。

 このことは10月11日朝の生徒の自殺を受けてアンケート調査を行った10月17~19日から8日後の昨年11月1日に実施した追加アンケートに関しても、その内容を未公表とする情報隠蔽を謀っていたことにも現れている自己保身と責任回避と言える。

 《葬式ごっこも…中学生自殺の追加アンケも非公表》YOMIURI ONLINE/2012年7月11日01時32分)

 〈市教委は昨年12月の市議会で(アンケート調査を)2度実施したことを認めていたが、内容は明らかにしていなかった。〉・・・・・

 但し学校も市教委も内容未公表を巧妙に釈明している。市教委が7月10日夜、緊急記者会見を開いて、明らかにしたという。

 「葬式ごっこをした」、「『自殺の練習』と言って首を絞めた」等、いじめを示す新たな回答があったにも関わらず、〈しかし当時、学校側がこうした記述を見落としたうえ、市教委には「新たな情報は確認できなかった」と報告した。このため、市教委は追跡調査は必要ないと判断し、回答についても非公表にしたという。〉・・・・・

 なぜ、「自殺の練習をさせられていた」という回答があったにも関わらず、それまで隠していたことを公表した7月4日に併せて公表しなかったのだろうか。7月11日に公表するまでさらに隠蔽していたことになる。

 追加のアンケート実施内容の隠蔽にもまして、学校はこうした記述を見落としていた。「葬式ごっこをした」にしても、「『自殺の練習』と言って首を絞めた」にしても、その証言は存在しないと葬ったことになる。

 果たして見落とすことが許される責任レベルとすることができるのだろうか。

 証言を存在しないと闇に葬ったばかりか、学校教育者として負っている責任を見落とすことが許される責任レベルに自ら貶めたのである。

 沢村憲次教育長「『葬式ごっこ』などの文言は、最近になってこちらで気づき、学校側に再調査を指示した。事実確認が不十分だった点もあり、批判を受けても仕方がない。深くおわびしたい」

 昨年11月1日実施の追加アンケートであるにも関わらず、なぜ「最近になってこちらで気づ」いたのだろうか。追加アンケートの内容を隠蔽していたことと照らし合わせた場合、とても信用することのできない釈明にしか聞こえない。

 今朝の「NHK総合テレビ」で伝えていた市教委の記者会見では、「葬式ごっこ」の事実確認の調査は生徒の伝聞+生徒自身の否定で調査打ち切りとなっていた。

 記事で探したが、見つからなかった。

 要するに生徒に聞き取り調査はした。Aの生徒に聞いたところ、Bの生徒に聞いたと伝聞であることを証言。Bの生徒に聞き取りをしたところ、Cの生徒に聞いたとやはり伝聞であることを証言。Cの生徒に聞き取り。

 Cの生徒(解説)「『葬式ごっこ』という言葉を聞いたこともなければ、『葬式ごっこ』と言ったこともない」

 記者会見の場。

 記者「それで調査はおしまい?」

 市教委「え、まあ・・・・」

 伝聞だからとして「確証が得られなかった」とするこれまでのパターンと少々異なる。だが、Cの生徒が「『葬式ごっこ』という言葉を聞いたこともなければ、『葬式ごっこ』と言ったこともない」と証言したとき、なぜBの生徒に戻って、「Cは言っていないと言っているが、なぜなのか」と問い質さなかったろう。

 調査という目的からしたら、そうするのが普通の行動であるはずである。だが、そうしなかった。

 もしBの生徒が「確かにCから聞いた」と言ったなら、Cの生徒自身にいじめ生徒の報復等を恐れて証言を変えたと疑うこともできる。再びCの生徒に戻って、Bの言葉を伝えた上で、誰に聞いたとは言わない、事実を知りさえすれば目的を達するのだから、正直に証言して貰いたいと頼んでみる事実解明の責任を負っているはずだが、そういった責任すら果たさなかった。

 事実解明の重大な責任が生じた教育者として、あるいは教育機関として取るべき行動を取らなかった。

 市教委の全校生徒アンケートに「教師が見て見ぬふりをしていた」と複数回答があったことを伝えている記事もある。《大津中2自殺、本人が担任に「いじめ受けてる」》YOMIURI ONLINE/2012年7月7日07時31分)

 「教師が見て見ぬふりをしていた」だけではない。

 〈複数の関係者によると、この直後、学校で担任教諭が生徒数人に対し、「死亡した生徒から、いじめを受けていると電話で相談があった」などと話していたという。〉――

 市教委(読売新聞の取材に対し)「担任教諭が、生徒から相談されていたとは聞いていない。そんなことはあり得ない」

 この発言は別の記事が伝えている事実を根拠としているのだろう。

 市教委「教師から聞き取りをしたが否定したので、事実とは判断しなかった」(NHK NEWS WEB

 この発言には生徒を預かる学校教育者でありながら、いじめ側の生徒の報復等の後の面倒を恐れて直接確認を無記名・伝聞に変えがちな、あるいは伝聞さえも否定してしまう人間が持つ性格的傾向を考える判断能力の欠如させていることと同じく、否定が事実を無根とする証言ばかりではなく、自己保身と責任回避から事実を歪曲する証言まで含むことを考える判断能力を欠如させていることを窺うことができる。

 否定が必ずしも否定とはならないということである。にも関わらず、否定を素直に否定と受け止めた。是が非でもという事実確認の意志の強さ、責任遂行の意志をどこにも感じ取ることができない。
 
 隠蔽の上に隠蔽を重ねただけではなく、自殺した生徒に対してのみならず、全校生徒に対する自らの重大な責任に対応した徹底的な調査を率先して遂行しない、教育者としての役目を果たしていないという意味で殆ど犯罪に等しい情報隠蔽を通した自己保身と責任回避と言わざるを得ない。

 大津市が有識者らによる外部委員会を設置することを決めて調査に乗り出し、滋賀県が緊急対策チーム発足を決定、大津署が専従班を組織、捜査に入ることを決め、文部科学省が事実関係や市教委の対応が適切だったかどうかを調査する方針を決めたというから、いくら市教委と学校が一体となって自己保身と責任回避でガートを固めようとも、そう遠くない日に多くのことが明らかになるに違いない。

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