今日の生活の安心をつくり出し、その安心を将来に亘って明日の生活の安心につなげていくのが政治

2012-07-08 10:17:29 | Weblog

 民主党の陰険な権謀術数家仙谷由人、自民党の自衛隊オタクの石破茂が民主党を離党、新党結成に向けて動き出した小沢一郎の「国民の生活が第一」を批判した。場所は7月6日開催の読売国際会議2012(読売国際経済懇話会=YIES、読売新聞社共催)の夏季フォーラム。

 詳しい発言内容は分からないが、伝えている次の記事に頼ることにした。

 《民主・仙谷氏と自民・石破氏、小沢氏の主張批判》YOMIURI ONLINE/2012年7月6日21時52分)

 仙谷由人「今日の国民の生活を守った瞬間、(財政やエネルギー事情で)明日の国民の生活が倒れかねない時の政策展開として疑問だ」

 石破茂「誰も反対できないことを唱え、他の考えを一切封じるやり方はポピュリズムの極致」

 先ず石破の矛盾。「誰も反対できないことを唱え」、「ポピュリズムの極致」だと批判していること自体が反対の意思表示であって、「誰も反対できない」と言っていることと矛盾していることに気づかない。

 言っている言葉、あるいは言っている理念を問題とするのではなく、方法論をこそ問題とすべきで、方法論に違いがあれば、その違いは常に反対・批判の対象足り得る。

 日本は戦前のような独裁国家ではない。自身が正当とする方法論の理由を述べさえすれば、違いに対して誰もが何に対しても反対できる。その反対意思が第三者に受け入れられるかどうかである。

 小沢氏はその戦いに挑もうとしている。

 仙谷由人が言っていることも、別の意味で矛盾する。

 誰が「今日の国民の生活を守っ」て、「明日の国民の生活が倒れかねない」政策展開を目指すだろうか。「今日の国民の生活を守った瞬間」、「明日の国民の生活が倒れかねない」と決めつけること自体が政治の劣化を示し、矛盾そのものである。

 言っていることの裏を返すと、「明日の国民の生活が倒れ」ないようにするためには、いわば「明日の国民の生活」を守りさえすれば、「今日の国民の生活」は守らなくてもいいということになる。

 仙谷の主張は野田首相の主張と相通じている。2012年1月24日の第180回国会野田首相施政方針演説を一例に取り上げて説明してみる。

 野田首相「昨今、『今日よりも明日が良くなる』との思いを抱けない若者が増えていると言われます。日本社会が次世代にツケを回し続け、そのことに痛痒を感じなくなっていることに一因があるのではないでしょうか。将来世代の借金を増やし続けるばかりの社会で、若者が『今日より明日が良くなる』という確信を持つなど、無理な相談です。社会全体の『希望』を取り戻す第一歩を踏み出せるかどうかは、この一体改革の成否にかかっている、といっても過言ではありません」――

 要するに一体改革を基本にして「今日よりも明日が良くなる」社会を目指すと言っている。言っていることを裏返すと、今日の生活よりも明日の生活に重点を置いていることになる。

 大多数の国民が今日の生活を満足の行くレベルで生活できているのなら、よりレベルアップするという意味で明日の生活に重点を置くことは許される。国民も元気が出てくるだろう。さあ、もっと生活が良くなるぞ、良くしようと目標を生活の向上にしっかりと見定めて、勤労に励み勉学にいそしむ。

 だが、大多数の国民が今日の生活を満足に送ることができないでいる。今日の生活を維持するのに精一杯で、明日の生活のことなど考える余裕を持つことができないという国民も多く存在する。

 それは若者だけではないだろう。中高年の中にも多く存在するはずだ。今日の生活を維持するのに精一杯な国民にとって、一体改革の約束の実現まで果たして待つことができるだろうか。明日の生活に重点を置いた政治を快く受け入れることができるだろうか。

 このことは次の記事が証明してくれる。《22年世帯所得は昭和62年並みに低下、平均538万円》MSN産経/2012.7.5 17:49)

 厚生労働省「平成23年国民生活基礎調査」

 平成22年の1世帯当たりの平均所得(岩手、宮城、福島3県を除く)は前年比13万2千円(2・4%)減の538万円

 昭和62年(513万2千円)、63年(545万3千円)並みのレベル。

 生活についての調査。

 「苦しい」――全世帯の61・5%
      ――子供のいる世帯69・4%・・・・

 これでも今日の生活よりも明日の生活を優先することができるだろうか。

 大体が一体改革を唱えるのはいいが、少子高齢化の加速に対応して加速化している生産年齢人口(15~64歳)減少が予測する経済の縮小に備えた的確な人口政策を打ち出しもせずに一体改革だけを言うのは政策的に調和を欠くはずだが、人口政策に手を付けないままで、約束できるはずもない一体改革のバラ色の将来を振り撒いている。

 統計による将来の生産年齢人口は2010年8173万人に対して、2013年8000万人、2027年7000万人、2051年5000万人をそれぞれ割り、2060年には4418万人になると予測している。

 生産年齢人口減少は社会保険料支払い人口の減少を意味する。このことは社会保障制度は消費税で支える割合が逆に増加することを意味する。

 将来的なマイナス点はこのことだけに限らない。「YOMIURI ONLINE」記事が伝えている世界知的所有権機関(WIPO)が7月3日(2012年)発表した世界約140か国の「技術革新力」の日本の順位は昨年の20位から25位へと名誉ある後退を示している。

 スイス2年連続1位、スウェーデン2位、シンガポール3位、以下は日本と同様に順位を下げている口だが、米国10位(昨年7位)、韓国は21位(同16位)、中国34位(同29位)。

 同じ順位下げの仲間だとしても、非資源国日本にとって技術革新力こそを国力維持と向上の最大の武器に位置づけていたはずだ。技術革新力が劣化し、生産年齢人口も縮小では消費税やその他の税を取る一方で社会保障制度を充実させとしてもどれ程のバラ色の将来を約束することができるだろうか。

 人口政策や経済再生政策を欠いた社会保障制度改革と税の一体改革は消費税やその他の増税だけを残して、社会保障制度を徒花(あだばな)とし、結果として政治全体の亀裂を招きかねない。

 政治全体の亀裂は国力の破壊要因となる。

 政治が国民の今日の生活の安心をつくり出し、その安心を将来に亘って明日の生活の安心につなげていく実質性を備えていなければ、政治自体の意味を失う。

 野田「社会保障と税の一体改革」は明日の生活の安心を目指してはいるものの、今日の生活の安心を保障する政治とはなっていない。

 しかも人口政策と経済再生政策を欠いた社会保障制度改革と税の一体改革は二重の意味で明日の生活の安心を奪いかねない。

 「国民の生活が第一」の主張の中にこそ、今日の生活の安心をつくり出し、その安心を将来に亘って明日の生活の安心につなげていく政治理念が存在する。

 「国民の生活が第一」は今日だ、明日だ、将来だといった時間軸を最初から排除しているからだ。

 あとは効果的な方法論を如何に実行していくかにかかっているが、そのためには数の力を欠かすわけにはいかない。

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