―首相はころころ代わるべきではないを選択基準とするのではなく、有能を選択基準とすべき―
7月15日(2012年)日曜日のテレビ朝日番組での前原誠司の発言。《前原政調会長、民主代表選不出馬の意向 細野環境相も 野田首相再選強まる》(MSN産経/2012.7.16 01:22)
〈9月の民主党代表選の有力候補とみられてきた前原誠司政調会長が15日、代表選に出馬せず野田佳彦首相の再選を支持する意向を表明した。「ポスト野田」の一人である細野豪志環境相も出馬を否定。「国民の生活が第一」の小沢一郎代表らの離党により民主党内の反主流勢力は退潮が著しく、会期末(9月8日)までに内閣総辞職に追い込まれない限り、首相が代表に再選される見通しは強まった。〉――
内閣不信任案可決等の突発事態が起きて内閣総辞職に追い込まれない限りという条件付きで代表再選の確率が高まったと前置きしている。
記事もそのように結んでいる。〈むしろ首相にとって不安要素は野党の動きだ。社会保障・税一体改革関連法案などをめぐり与野党の対立が激化すれば、衆院で内閣不信任案が可決される可能性もある。参院で首相の問責決議案が可決され、退陣に追い込まれる可能性も否定できない。〉・・・・・
前原誠司「首相はころころ代わるべきではないし、野田さんはしっかりと仕事されている。しっかりと野田さんをどんな立場でも支えていきたい」
前原がチャンスだ、立候補しようと考えたとしても、“首相ころころ交代忌避論”は前原自身が鳩山政権時代から掲げてきた主張であって、その主張の縛りに遭っているとも言える。
鳩山元首相の場合は普天間の迷走と母親からの多額の資金提供問題、政策秘書による個人献金虚偽記載問題で支持率を下げ、鳩山首相では参院選が戦うことができないと悲観論が飛び出していた頃である。当時前原氏は国交相であった。
前原誠司「日本のトップがころころと変わるべきではないと思っているし、今の状況は鳩山総理大臣1人の責任ではまったくなく、我々が共同責任をとるべき問題と考えている」(NHK NEWS WEB)
菅政権時代の前原、“首相ころころ交代忌避論”――
2010年7月30日国交相記者会見。9月の小沢元代表を対抗馬とした民主党代表選で管支持を打ち出したことを記者から問われて。
前原国交相「参議院選挙があって、確かに消費税の発言等もあって敗れはいたしましたけれども、私が民主党の風土を変えていかなければいけないと言うのは、短兵急に結論を求めてお互いの足を引っ張り合っているというそのカルチャーを早く脱しないと、仮に菅さんが辞めても、また何かの問題があったら足の引っ張り合いで、そして結果的にはコップの中で権力闘争をやっているということになって、日本の国を変えるという大きな絵姿を描ける政党に脱皮できないと思いますよ」
「ころころ」と直接的には言っていないが、「短兵急に結論を求め」ることへの警告はイコール「ころころ代わる」ことへの忌避の提示であろう。
この頃、野田首相も財務相を務めていたが、“首相ころころ交代忌避論”を掲げている。
野田財務相「トップがころころ変わるのはどうかと思うので、しっかり菅さんを支えたい」
今になって考えると、上昇高度を制限されたような内閣支持率低空飛行を前にして、野田首相はこの“首相ころころ交代忌避論”に助けられているとも言える。
そして2011年9月2日、野田首相となって3カ月目にして前原誠司は再び“首相ころころ交代忌避論”を口にする。
12月4日(2011年)の大津市で講演。
前原誠司「(首相が)ころころ代わるのは、どの政権でも海外では腰を据えて話をできない国と思われ、国益を損なうことになる。
野田佳彦首相をしっかり支え、厳しい意見も頂きながら、日本の政治を前に進めるため努力する」(時事ドットコム)
こうまで“首相ころころ交代忌避論”を繰返してきたのではいくら菅が野党時代の「沖縄には海兵隊は要らない。米本土に帰ってもらう」の発言を首相になると紙屑のように反故にする言葉の軽さを見せたとしても、野田首相にしても野党時代、「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです」と言いながら、首相になるとマニフェストに書いてない消費税増税に向けて不退転の姿勢に転じる言葉の裏切りをやらかしたとしても、今の支持率では次の総選挙が戦えないから、交代してくださいと言えまい。
しかし首相はころころ代えるべきではないという“首相ころころ交代忌避論”は特に菅仮免で破綻していたはずだ。
小沢一郎を対抗馬とした2010年9月民主党代表選挙当時の国民世論も指導力・リーダーシップの点では小沢氏に軍配を上げて、菅に対しては指導力を認めていなかったが、「首相はころころ代えるべきではない」を首相選択の基準としていて、結果的にそのような世論の後押しを受けて菅は特に地方票、党員票、サポーター票等で大勝することになった。
「首相はころころ代えるべきではない」が菅を勝利に導いたのである。
このことが間違いだったと特に露わとなったのは2011年3月11日東日本大震災発生以降に於ける菅の危機管理対応能力であった。地震・津波被災者に対する救援物質その他の救助・生活救済の遅ればかりではなく、福島原発放射能被災者に対しては2010年10月21日に菅を原子力災害対策本部本部長とする浜岡原発事故想定の原子力総合防災訓練を、SPEEDI使用の環境放射能影響予測訓練やテレビ会議システム利用の情報共有・情報伝達等の情報処理訓練を行いながら、SPEEDIの存在を知らなかったと言い、その予測結果を公表もしなかったし、テレビ会議システムを有効に活用して的確な情報処理を図ることもしなかったために、避難住民の被曝しなくても済む放射能を被曝させたり、情報混乱を招くに至った。
その結果の与野党から石もて追われる如くに退陣を迫られ、本人は衆院任期4年間の首相任期があるべき姿だと抵抗したが、抵抗むなしく4年任期から程遠く1年2カ月で辞任することになった。
この菅という無能な政治家像から政治家も国民も学習したはずだ。国民世論は菅を指導力のない政治家だと見抜いていながら、“首相ころころ交代忌避論”を首相選択の基準とする間違いを犯してしまったと後悔と共に学習したはずだし、学習していなければならない。
“首相ころころ交代忌避論”を首相選択の基準とするのは愚かな選択であって、無能を排除、有能を選択の基準とするのが賢い選択だと。
国民世論は各マスコミの世論調査で野田首相を人柄では選択するが、指導力のない政治家と見ている。内閣支持率30%以下がその結果値となって現れている。
だが、菅で既に破綻している“首相ころころ交代忌避論”を前原誠司は愚かしくも何ら学習能力もなく再び持ち出して、国民が指導力がないと見ている野田首相の民主党代表選再選を支持した。
蓮舫当時行政刷新担当相は次のように発言して菅の代表選再選を支持した。
蓮舫行政刷新担当相「民主党のすべての国会議員が代表選に出る権利を有している。代表選がらみの動きは出てきていると思うが、国民が民主党に何を求めているのか、代表選に願っていることは何かを忘れないようにすべきだ。国民が民主党に求めていただいたのはクリーンな政治。政治とカネの問題で、さまざまなことを起こしてもらいたくないという思いが昨年の政権交代につながった。その声を無視できない」(MSN産経)
クリーンな政治よりも何よりも最悪・最低なのは無能だということである。無能は国民を直接被害者とする。
国民にしても“首相ころころ交代忌避論”を再度持ち出して、再び過ちを犯すのだろうか。