9月21日の民主党代表選への立候補を主として党内若手から要請を受けた細野豪志環境相兼内閣府特命担当相(原子力行政担当)が立候補を断念、代表選間近の9月8日茨城県日立市での講演で断念理由を次のように発言している。
細野環境相「41歳で12年しか国会議員を務めていない私が党代表になり、首相になるのは、通常では考えられない。悩みに悩んだが、福島をはじめ被災地には厳しい問題があり、猶予できない状況だ」(MSN産経)
党代表資格を政治的創造性や行動力といった能力に置かずに能力を表す指標では決してない年齢や国会議員任期といった形式に置く非合理性を平気で曝け出した。
いずれにしても環境相として福島原発事故の事後処理に専念したい思いを代表選出馬断念の理由とした。細野は「福島のことが頭を離れなかった」(時事ドットコム)とさえ発言している。
民主党代表選は野田首相の再選で幕を閉じた。細野豪志は望みどおりに福島原発事故事後処理・再生に専念することができるようになった。
だが、予定していた第3次改造内閣前の党人事で細野は環境相を外され、民主党政調会長に起用されることになった。
9月24日の記者会見。
細野豪志「きのう、野田総理大臣から連絡を受けたときは、『原発事故への対応と福島の課題に専念したい』と申し上げたが、野田総理大臣からは『政策調査会長として、党全体で原発と福島の問題をサポートするように』という話があった。大変な役だが、原発と福島の問題を党全体でサポートする先頭に立てるのであれば受けようと思い、最終的に『やらせていただく』と申し上げた」(NHK NEWS WEB)
政調会長となっても、政府の福島原発事故事後処理・再生に対して党の側からサポートするようにとの指示を受け、それならばと政調会長を引き受けたと人事了承の弁を述べている。
野田第3次改造内閣が10月1日に発足。細野環境相の後任に長浜博行前官房副長官が就任。事務の引き継ぎは10月2日午前。《長浜環境相“福島の方が満足できるように”》(NHK NEWS WEB/2011年10月2日 13時10分)
細野豪志「お願いしたいのはやはり福島のことだ。なかなかうまくいかないことがたくさんあると思うが、福島のみなさんの立場に立ったうえで、大変な国の責任があるという思いだけは持っていただきたい」
福島の困難な再生と困難な生活を強いられている福島の人々のことが頭から離れない様子がありありと浮かんでくる発言となっている。環境相を離れることは相当に辛かったに違いない。引き継ぎを終えて環境省を出るとき、きっと後ろ髪を引かれる思いがしたはずだ。
長浜新環境相「福島の皆様が今度の大臣は名前も聞いたことがなく不安になっておられるとよく分かった。原点に戻って地域の方々の気持ちをくみ、福島の方が満足できるような結果を出せるように頑張っていきたい」
長浜環境相の職員に対する挨拶。
長浜新環境相「福島の生活の再生や岩手・宮城の復旧、それに廃棄物の問題なども積極的に取り組んでいきたい。聞く耳は持つので、問題意識がある人は遠慮なく声をかけてほしい」
なぜか記事は細野豪志の職員に対する離任の挨拶を取り上げていない。政調会長人事を引き受けた時点で既に終えていたのかもしれない。
10月2日午前の引き継ぎから2日後の10月4日、細野豪志は政策調査会役員会(政調役員会)を開催。政調会長代行の一人に福島県選出の増子輝彦元経済産業副大臣を就け、「福島特命担当」のポストを新設して、そのポストを兼任させることにした。
《民主政調役員「福島シフト」 細野氏 問われる力量》(TOKYO Web/2012年10月5日 朝刊)
記事。〈細野氏が福島担当を新たに設けたのは、党の立場から原発事故や震災復興に積極的に取り組む姿勢を示す狙いがある。脱原発依存を強く訴える馬淵氏の政調会長代理起用とあわせて福島シフトを打ち出した。〉――
福島に向けた熱意は相当なものがある。ニセモノだとは決して疑わせることのないホンモノと思わせる熱意を窺うことができるリーダーシップある政調役員人事となっている。
細野豪志(記者会見)「大臣の方が個別の権限は強いが、政調会長は全体を見ることができる。『ここは足りない』という所を積極的に働き掛けていく」
記事は、〈福島復興の第一線で取り組んできた自負をのぞかせた。〉と解説。
但し政府の側の批判も伝えている。
政府関係者「党が過剰に口出しすれば、かえって復興の遅れにつながる」
原発事故の収束作業や被災地の復興事業は政府が担っていることを踏まえた発言だと解説している。
そして記事は次のように結んでいる。〈党政調の決定が政府の意思決定にどこまで影響を与えるかは分からない。閣外に去った細野氏率いる党政調の「福島シフト」が実るかどうか。政調会長としての力量が問われることになる。 (中根政人)〉――
きっと熱い熱意が力強いリダーシップと目を見張る「力量」を引き出すに違いない。先ずは強い意志、モチベーションが予想外の力を引き出す。
この「福島シフト」は民主党政策調査会(政調会)内に新設することになった「東日本大震災復興調査会」と「福島復興再生プロジェクトチーム」を実行主体として行われるそうだ。
10月4日記者会見。
細野豪志「新たに作る調査会や作業チームでは、福島の再生に向けて、どこに問題があるのかを検証し、政府に申し入れていきたい。福島県の佐藤知事には、民主党が全面的に支援することで、復興が前に進むと思っていただけるようにしたい」(NHK NEWS WEB)
細野は10月1日まで環境相であった。その3日後の10月4日記者会見で、「福島の再生に向けて、どこに問題があるのかを検証し、政府に申し入れていきたい」と言っている。
「福島の再生に向けて、どこに問題があるのか」は環境相に就いている間、環境省のスタッフに命じて復興作業と同時進行で常時検証していかなければならない最重要な作業であったはずである。
だが、党の政調会長に就任してから、「どこに問題があるのかを検証」するということなら、自身が環境相に就任している間は検証していなかったことになる。
もし検証していて、党の立場からも検証するということなら、環境省の検証は不十分であると見做すことになる。
どちらであったとしても、発言自体に論理矛盾が存在することになる。
10月4日の細野記者会見から3日後の10月7日、野田首相が福島第1原発視察。昨年9月以来の2回目の視察だそうだ。次いで福島県楢葉町の除染作業現場を視察。《野田首相:除染加速を担当相に指示 福島第1原発を視察》(毎日jp/2012年10月07日 23時11分)
野田首相「福島の復興・再生の基盤になる除染をスピードアップしなければならず、先程長浜環境相に指示した」
首相が指示した除染の包括的な対策――
▽環境省の出先である福島環境再生事務所への権限の委譲
▽関係省庁の連携強化
▽住民への除染の進捗状況の情報提供
〈環境省の出先である福島環境再生事務所への権限の委譲〉とは、〈これまでの除染は福島環境再生事務所を経て環境省の了承が必要だったが、同事務所に住民や自治体の要望に応じて除染実施を判断する権限を移すことなどを検討。10月中にとりまとめる。〉内容のものだという。
除染が「福島の復興、再生の基盤になる」のは当たり前のことであって、今更改まって言うべきことではないはずだ。原子炉は最早異常事態が想定できないところまで制御が進み、残るは生活環境の回復である。当然、除染が進まないことには被災者は避難先からの生活の原状回復は望むべくもない。原状回復を待つ間に避難先で生活の基盤ができつつあり、そこでの再出発を希望する被災者も出てきている。
だが、「福島の復興、再生の基盤になる」除染加速化の包括的対策は野田首相の指示を待つまでもなく、細野自身が行なっていなければならなかった対策ではなかったろうか。
政府は福島県の除染推進のために政府職員と日本原子力研究開発機構の専門家からなる「福島除染推進チーム」を昨年(2011年)8月24日福島市に発足させている。
当時まだ環境相ではなかった(2011年9月2日就任)細野は原発事故担当相として発足式で挨拶している。
細野豪志「一刻の猶予も許されない除染の問題に取り組むのが福島の除染推進チームだ。
きれいな福島を取り戻し、福島県が本当の意味で復旧、復興に向けて動いてもらう最大の推進役となってもらいたい」(福島民友ニュース)
作業内容――
▽原子力災害対策現地本部と協働して、市町村との連絡・調整、除染計画作りの支援(専門家の派遣など)
▽高線量の12市町村に於ける国のモデル除染事業の推進
人員構成――
チームリーダー(環境省)
チームサブリーダー(環境省)
内閣府 10名
環境省 6 名 (上記の2名を含む。)
日本原子力研究開発機構(JAEA) 22名
以上《我が国の除染への取組み》(原子力災害現地対策本部福島除染推進チーム長・森谷 賢/平成23年10月16日)から
2011年8月24日の発足式から間もない2011年9月2日に環境相に就任しているのだから、既に内定していたのかもしれない。
「福島除染推進チーム」が「福島県が本当の意味で復旧、復興に向けて動いてもらう最大の推進役となってもらいたい」と言っているが、「最大の推進役」にするかどうかは偏に9日後に環境相に就任することになった細野のリーダーシップにかかっていたはずだ。
何しろ党代表選への立候補を請われても、福島の復旧・復興に関わっていたいと断ったくらいの熱意を福島に寄せていたのである。
ところが、2011年8月24日の「福島除染推進チーム」発足から約1年1ヶ月後の、10月7日、野田首相が福島の地に立って、除染加速化を図ることを目的として環境省が持っていた除染了承の権限を出先機関である福島環境再生事務所へ委譲という指示系統の改編まで指示した。
例えこの指示の発信元が細野政調会長であったとしても、あるいは党政調会の総意に基づいた発信だったとしても、細野が強力なリーダーシップを発揮して率いていたはずの「福島除染推進チーム」が目立った除染加速化に役立っていなかったこと――除染の遅滞の裏返しとして現れた指示であることを証明することになる。
実際にも除染の遅れをマスコミは伝えている。
細野豪志は環境相として、あるいはその他の兼任大臣として一体何をしていたのだろうか。
党代表選への立候補要請を「悩みに悩んだが、福島をはじめ被災地には厳しい問題があり、猶予できない状況だ」、「福島のことが頭を離れなかった」と断り、野田首相から、「政策調査会長として、党全体で原発と福島の問題をサポートするように」と言われて、「大変な役だが、原発と福島の問題を党全体でサポートする先頭に立てるのであれば受けようと思い、最終的に『やらせていただく』と申し上げ」て党政調会長を引き受け、後任の長浜博行環境省に対して、「福島のみなさんの立場に立ったうえで、大変な国の責任があるという思いだけは持っていただきたい」と要望、そして「原発と福島の問題を党全体でサポートする先頭」に立つべく、政調会長として「東日本大震災復興調査会」と「福島復興再生プロジェクトチーム」を立ち上げて、「福島の再生に向けて、どこに問題があるのかを検証し、政府に申し入れてい」くことを福島に関わっていく自らの使命とした。
そしてその成果を佐藤福島県知事に「民主党が全面的に支援することで、復興が前に進むと思っていただける」地点に置いた。
このようにも福島への関わりを強く意志し、福島を頻繁に訪れては復旧・復興の現状をつぶさに目の当たりにし、各作業チームに指示を出していたはずだが、ここに来て野田首相が従来の方針を転換する除染の加速化を打ち出した。
同じことを繰返すことになるが、野田首相のこの指示の発信元が細野政調会長であったとしても、あるいは党政調会の総意に基づいた発信だったとしても、細野のこれまでの作業従事を変更する方針転換は細野がこれまでしてきたことの努力に疑問符をつけることになるはずだ。
口ではいつもいつも立派なことを言っていることに反して、一体何をしてきたのだと。
――中1女子電車事故原因調査は「家族の意向次第」とする条件づけは学校社会が健全な状態で維持できているかどうかの常なる検証に蓋をする責任放棄であろう――
二つの記事から、学校社会が一般的としている無責任体制を見てみる。《死亡は中1女子と判明 「いじめない」と学校 山手線事故》(MSN産経/2012.10.4 23:42)
10月4日(2012年)朝、東京都品川区のJR山手線五反田駅で同区在住の私立中学1年女子生徒(13)が制服姿で電車にはねられて死亡した。
大崎署は目撃者の話や駅ホームの防犯カメラの映像から、自殺の可能性が高いとみているという。但し遺書は見つかっていないとのこと。
在校中学校教頭「現時点で、いじめなどのトラブルは把握していない。今後、調査するかは遺族の意向次第だ」
学校が自殺原因を「今後、調査するかは遺族の意向次第だ」と言っている。
いわば遺族が要請しなければ、調査はしないことになる。
だが、学校当局は自らの学校社会が健全な状態で維持できているかどうか、常なる検証を自分たちの責任としているはずである。
その検証は生徒間の人間関係の摩擦や衝突、あるいはいじめなどの対人抑圧等が表立って起きていなくても、学校の目の届かない場所で行われているケースが一般的傾向となっているのだから、問題点の存在の有無は主体的・積極的に生徒の間に入って行う構造を常に取っていなければならないはずだ。
対人抑圧はそれが酷くなれば直接的な精神的・心理的対人抹殺という形を取ることになるが、自殺へと発展した場合、精神的・心理的対人抹殺に間接的な物理的対人抹殺が加わることになる。
教頭が言っている「現時点で、いじめなどのトラブルは把握していない」が主体的・積極的に生徒の間に入って、学校社会が健全な状態で維持できているかどうかの検証を確実に経てきている上での発言ならいい。
だが、一般的には公式的な把握であることが多く、教師が把握していながら、大事(おおごと)になって責任を問われることを恐れ、いじめの取り扱いをしない、見て見ぬ振りをする、あるいは教師には見えない隠れた場所で公式的な把握から漏れたいじめが進行しているといったことは学校社会には一般的に見る例であって、公式的な把握に漏れがないか、念には念を入れて確認の検証を行うことが学校社会が健全な状態で維持できているかどうかの常なる検証を自分たちの責任としていることに応えることになる改めての責任行為となるはずだが、その責任行為の履行を「今後、調査するかは遺族の意向次第だ」と、学校自らが主体性・積極性に蓋をして責任放棄に走っている。
いわばいじめが関連していないことを主体的・積極的に調査し、証明することも、自らの学校社会が健全な状態で維持できているかどうかの検証となる学校の責任行為としなければならないということである。
また、「いじめなどのトラブルは把握していない」が事実そのとおりだったとしても、学校社会を構成する所属成員の一人の少女が自殺と思われる死に方をしているのである。自分自身の生存に対する自らの遮断に果たして学校社会が何らかの抑圧作用を与えていなかったか、その面からの検証も自らの学校社会を健全な状態で維持するための責任行為に入るはずだし、もし13歳というまだ幼い少女が尊いはずの生命(いのち)を自ら無にすることになる死への衝動から、学校が生命(いのち)というものに対する何らかの驚きや畏れを抱いたなら、遺族の意向など待っていられないはずだが、遺族の意向を調査の条件としたということは、生徒たちに対して口では「生命(いのち)は尊い、大事にしなければならない」と言っていたとしても、口先だけのことで、それぞれの生命(いのち)に無感覚な学校教育者の姿を見せたということでもあるはずである。
児童・生徒に対するこの無感覚な生命観こそが、深刻ないじめを受けている児童・生徒の生命(いのち)をも無感覚に把えることになって、学校や教師自身の自己保身や責任回避を優先させることになっているに違いない。
もしいじめを受けている児童・生徒の一人ひとりを生命(いのち)の観点から把えることができたなら、十全な喜怒哀楽の表現を抑圧されて鬱々としている様子や、あるいは生命(いのち)そのものが悲鳴を上げている様子が頭に浮かび、とても自己保身や責任回避に走ることはできまい。
だが、その逆の状態にある。
同じ事故を扱ったもう一つの記事。《山手線ではねられた制服女性、私立中1年と判明》(YOMIURI ONLINE/2012年10月5日)
運転士「飛び込んできたように見えた」
在校中学校教頭「いじめは一切ない。2学期になって特に変わった様子も見られず、悩んでいたといった、思い当たるところはない」
頭からのいじめ否定があとで簡単に「いじめがあった」と肯定に転換する場面を我々は何度も見てきた。
少なくとも教頭の発言は自らの学校社会が健全な状態で維持できているかどうかの常なる検証に蓋をする責任放棄を提示しているだけではなく、この発言自体が13歳の少女の自身の生存に対する自らの手による遮断、その衝動に生命(いのち)というものに対する何らかの驚きや畏れにまで踏み込んでいないことを証明している。
児童・生徒一人ひとりの生命(いのち)というものに対する何らかの驚きや畏れを持ってこそ、学校社会が健全な状態で維持できているかどうかの常なる検証を学校自体の絶対的な責任行為とすることになるはずである。
――もし言っているところの「最悪の事態」が回避できなかったなら、それを「不運」だと言い、それで片付けることができるのか
最悪事態回避が幸運に助けられたことなら、最悪事態波及は幸運の助けを得られなかった不運を理由としなければならなくなり、不運で済ますことになる
大自然災害や重大事故発生被害の収束・拡大の決定権が幸運の助け・不運の招来にあるとしたら、人間の危機管理努力が目的とする結果への具体化は偶然性に委ねられることになる
投げたコインの裏表を答とするようにである――
時には原理主義者、時にはアンチ原理主義者と使い分けるご都合主義の原理主義者岡田副総理が10月6日(2012年)三重県桑名市で講演。福島原発事故の最悪事態回避は「幸運」によるものだったと発言したそうだ。原理主義者が、「幸運」を要因とするとは驚きだが、ご都合主義の所以たる所以であろう。
《岡田副総理、原発は慎重に検討=最悪の事態回避に「幸運」-福島事故》(時事ドットコム/2012/10/06-17:42)
岡田克也「(原発事故の)影響は非常に深刻だ。
(今後の原発利用は)何かあったときに極めて深刻な影響を及ぼしかねないことを考えても、慎重に検討していかなくてはならない。
(最悪事態回避は)いろんな関係者が言っているが、これは(ある意味で)非常に幸運だった。最悪の場合は東京圏も含めて汚染される可能性があった。
講演後の記者会見。「幸運」の意味を問われて。
岡田克也「そういう(最悪の)事態になれば、福島ももっと影響が及んで、高濃度(の放射能)で汚染されていた。現状もひどい状況だが、最悪の事態を考えれば幸運に助けられたということ。菅直人前首相も含め専門家も多くの人が(そう)言っている」
あくまでも最悪事態回避を最終的に決めた要因は“幸運の助け”だとしている。
この発想は、例え様々な不備・不足・遅滞・逡巡・過ち・遠回り等々を随所に見せたとしても、各関係機関の危機管理努力やアメリカやフランスの支援を限りなく過小評価することになる。あくまでも“幸運の助け”が与えてくれた最悪事態回避ということになるからだ。
岡田ご都合主義原理主義者は最悪事態回避を“幸運の助け”だとしている理由として、「最悪の場合は東京圏も含めて汚染される可能性があった」ことだとしている
いわば、そうはならず、遥かにそれ以下の現状の被害規模で推移していることが“幸運の助け”によるものだということである
だが、「東京圏も含めて汚染される可能性があった」と言っている「最悪の場合」はあくまでも想定上の可能性であって、その可能性は最悪という結果に至っているわけではない。結果としての最悪事態は事故発生から今日に至る経緯が全てであって、現状の事態を超えるものではない。
今回の福島原発のような原子力事故とその高濃度な放射能物質の拡散といった重大事故の場合、最悪事態の可能性の想定は格納容器の亀裂・爆発、原子炉の損壊、広範囲な放射能物質の拡散等、考え得る範囲にまで及ぶ。
当然、放射能物質の拡散は東京圏のみならず、日本列島全体、あるいは海を超えて海外にも波及する最悪事態が想定可能となる。
だが、そのように想定した最悪事態の可能性を最大限に回避し、縮小・阻止に向けて努力するのが人間の危機管理であろう。その危機管理が満足のいく完璧なものではなくても、それぞれの努力が一つ一つ形を取って、それなりの収束を答とする。
努力が一つ一つ実を結ばなかった場合、危機管理は順次規模の大きな最悪事態を答とすることになる。
決して“幸運の助け”が招いた危機管理の答ではないはずだ。
にも関わらず、最悪事態回避を“幸運の助け”とすることは、逆に人間の危機管理上の関与を無価値とする主張となる。
このような発想の何よりの問題点は、すべての結末が人間営為の絡まりあった総合的な結果であるにも関わらず、その面での肯定的な関与を無視することになるばかりか、否定的な関与を例え批判することはあっても、結果的に問題外に置く働きを持たせることができる点である。
例えば2010年10月20、21日に菅直人を政府原子力災害対策本部本部長とする中部電力浜岡原発事故を想定した政府主催の原子力総合防災訓練を行い、SPEEDIを用いた放射物質拡散のシュミレーションを行っていながら、福島原発事故の際、「SPEEDIの存在すらしなかった」とし、その情報を公開せずに放射能物質拡散方向への被災者の避難を許してしまった官邸の危機管理失態にしても、同訓練で浜岡オフサイトセンターを介して首相官邸と浜岡原発や静岡県庁とテレビ会議システムでつないで情報共有を謀っていながら、そのことを忘却の彼方に吹っ飛ばしてしまって、テレビ会議システムを一度も活用しなかった菅の危機管理の失態にしても、あるいは官邸に対策本部や対策室、対策チームを20近くも立ち上げて、指揮命令系統を混乱させた失態等にしても、現場の原発事故対応や被災者の避難に混乱を与えたはずの否定すべき関与でありながら、さらに原発事故発生の翌日に現場を視察して現場作業に支障をきたし、事故収束の遅れに貢献したはずの否定的関与でありながら、最悪事態回避を“幸運の助け”とすることによって、大したことではなかったと問題外とすることができる。
菅仮免にしても機会あるごとに最悪の事態回避を吹聴していたのも、自身の否定的な関与を不問に付す意図からだろう。但し最悪の事態に至らなかった理由を岡田克也みたいに“幸運の助け”に置いてはいなかった。
菅仮免「今回の原発事故では最悪の場合、首都圏3千万人の人の避難が必要となり、国家機能が崩壊しかねなかった。そういう状況もありました」(国会事故調参考人証言2012年5月28日午後)
菅仮免「そんなことは言っていない。最悪のことから考え、シミュレーションはした。(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら放射能が放出され、200キロも300キロも広がる。色々なことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない。高齢者の施設、病院もあり、それも含めて考えれば、(避難範囲決定の)当時の判断として適切だと思う」>(時事ドットコム/2011/09/17-19:58)
言っている内容自体は岡田克也と同じあくまでも想定上の可能性であって、そのような最悪の想定は関係機関の決して万全とは言えなかった危機管理によって、兎に角も阻止することができた状況にあった。
実態としては終わった想定であり、終わった可能性である。
にも関わらず繰返し持ち出すのは、「首都圏3千万人の人の避難」等々の最悪事態を回避して現状事態へと持っていくことができた危機管理に東電全面撤退阻止と政府と東電の情報共有が改善されたとされている政府・東電事故対策統合本部設置が役立ったことを印象づけることができ、自身のその他大部分を占める危機管理の失態を不問に付すことができることからの、その意図に添った最悪事態の吹聴であろう。
岡田克也と菅仮免の最悪事態提示の狙いは同じだということである。
以上の主張を根拠がないとするなら、岡田克也はどのような幸運がどのように働いて、原発事故が現状の事態に収まっているのか、説明責任を果たすべきだろう。
野田首相は10月1日(2012年)の首相官邸記者会見で内閣改造の目的を次のように説明していた。
野田首相「今般の内閣改造は、山積する内外の諸課題に対処する上で、政府・与党の連携を一層深め、内閣の機能を強化するために行うものであります」
2日後の10月3日、野田首相は民主党最大の支持母体である連合中央委員会で行った挨拶の中で、内閣改造の目的とした「内閣機能強化」の具体的課題に言及している。《チームの突破力不足を反省 野田首相「内閣改造で強化」》(MSN産経/2012.10.3 12:11)
野田首相「不足しているのはチームとしての突破力だった。政府と与党が一致結束して政策を前進させるためチーム力アップの新しい体制を発足させた」
政府・与党協力関係に於ける政策前進の突破力不足解消が内閣改造の目的だった。当然与党を仕切っている人間と政府を仕切っている人間のそれぞれのチームに対する統率能力と相手チームに対する相互的な関係構築能力にかかってくることになる。
統率能力にしても関係構築能力にしても、それぞれの立場に於ける指導力と深く関わっていることは断るまでもない。
いわば自チームに対するそれぞれの統率の上に相手チームとの間の強力な関係構築が可能となり、そのようなそれぞれの統率能力を基盤とした相互的な対関係構築能力が外部に向かって総合的なチーム力としての政策前進の突破力へと発展していくはずだ。
自らのチームを統率するだけの指導力を発揮できずに相手チームとの有効な関係構築は期待できない。結果として、例え両チームがどのように協力しても、政策前進の突破力は生まれてこないことになる。
だが、与党を仕切っていたのは当然輿石幹事長であり、政府を仕切っていたのは内閣の長たる野田首相である。政策前進の突破力不足は第一義的にはいずれかのチームを取り仕切っていた差配者たる輿石幹事長か野田首相の統率能力不足が原因ということになる。
だが、野田首相は党代表を再選されたのだから、政府というチームに対する統率力は所属議員や党員、その他から合格点を与えられたことになる。
その合格点が正しい判断であったかどうかを問題としなければならないが、取り立てて異議申立てがなかった以上、与党を仕切っていた輿石幹事長の統率力欠如が「政府と与党が一致結束」する関係構築能力に悪影響して、チーム力としての政策前進の突破力にまで昇華できずに、その不足を招いていたということになるはずだ。
だが、野田首相は内閣改造に当っての党役員人事で与党に対する統率能力欠如の輿石幹事長を留任させて、与党に対する取り仕切りを再度任せている。
ここに生じる矛盾は決して無視できないはずだ。承知の上で敢えて統率能力欠如の輿石幹事長を留任させたとすると、不足していたのはチームとしての突破力であったから、政策前進の突破力確保のために党人事をも含めて内閣改造をしたとする口実は的外れとなる。
もし輿石幹事長の与党統率能力を何ら疑わずに留任させて、与党仕切り役以下の人事の変更と改造内閣で政府・与党一致結束の政策前進の突破力確保が可能であると考えているとしたら、判断が甘すぎるということになる。
いずれにしても野田首相は与党代表でもある。政府・与党の一番のトップとして与党を実質的に仕切る幹事長をも統率下に置く強力な指導力――全体的な統率能力・全体的な関係構築能力まで求められているはずだ。
このことは内閣改造に関係なく、党代表となる資格、首相となる資格として前以て備えていなければならない資質であって、それなくして与党の統率も内閣の統率も不可能であろう。
だが、「不足しているのはチームとしての突破力だった」と言っていることは、党代表及び政府代表として自らが当初から備えていなければならない、野田首相自身の政府・与党全体に対する統率能力や指導力の発揮不全に対する言及でもなければならないはずだが、自身が関係していない、他所事(よそごと)の指導力欠如や統率能力欠如の発言となっている。
この発想の構造には自身の統率能力や指導力に対する認識不足だけではなく、責任感の不足も含まれているはずだ。
野田首相の指導者としての各能力に対する所属議員や党員、その他の合格点が正しい判断であったかどうか、些か疑わしくなる。
政策が一致するというみんなの党との合流も否定して、独立独歩の姿を見せていた橋下徹「日本維新の会」代表が急にみんなの党に対して連携を主張し出した。
あれあれと思った。魂胆は見え透いている。ここ最近の各新聞社世論調査で日本維新の会への政党支持率が低迷しているのを見て、総選挙での議席への反映を考えざるを得なくなり、早速方向転換に出た変わり身の早さであるのは誰が見ても明らかである。
勿論、政治は自分たちの政策実現の合従連衡駆引きを当たり前の行動としているが、一旦冷たく肘鉄砲を食らわしたみんなの党を改めて招き寄せようというのは変わり身の早さの証明でしかなく、余りに打算的に過ぎる。
《橋下氏 みんなの党含め選挙で連携を》(NHK NEWS WEB/2012年10月4日 20時31分)
10月4日(2012年)の記者会見。
橋下市長「みんなの党とは政策が一緒なので、第3極が1つの固まりとして有権者に選択肢を提示するのが、本来の在り方だ。みんなの党と日本維新の会が、2つの別個独立のグループのままで選挙を迎えるのは国のためにならない。
1つの固まりがどういうことかは、幹事長を務める大阪府の松井知事が、今やっている」
「2つの別個独立のグループのままで選挙を迎えるのは国のためにならない」とは、合流を念頭に置いているのだろうか。「2つの別個独立のグループのまま」であっても、選挙協力にしても政治的連携にしても可能な方法はあるからだ。
合流とまで念頭になくても、「第3極が1つの固まりとして有権者に選択肢を提示する」ことが「本来の在り方」と言う以上は、なぜみんなの党との間の合流話を双方が納得のいく形で纏め上げることができなかったのだろうか。
この場合の「本来」とは、「最初から」という意味であるはずだ。最初からの「在り方」であるなら、時間をかけて「本来の在り方」を達成すべきだったが、主導権争いで終わらせた。
大体が日本維新の会では国会議員団との間に於いて主導権は党執行部にありとする政治決定構造とは矛盾する「本来の在り方」となる。
《日本維新の会 主導権巡る争いが表面化》(NHK NEWS WEB/2011年10月2日 6時10分)
維新の会所属の松浪衆議院議員が自身のHPに「国政での決定は国会議員団ですべきことを橋下代表も認めた」などと書き込んだ。橋下市長の反応。10月1日の記者会見。
橋下市長「国政で、国会議員が中心的な役割を果たすことは間違いない。大きな方針や戦略は国会議員団より私の方が長けているので、私が方針を出す」
「大きな方針や戦略は国会議員団より私の方が長けているので、私が方針を出す」と、自身を優越的且つ独裁的高みに位置づけている橋下大阪市長である、他の党と「本来の在り方」である「1つの固まり」にどうなし得るというのだろうか。
自身を優越的且つ独裁的高みに位置づけているからこそ、みんなの党を解党の上維新の会に吸収させて、自らが主導権を握ろうとしたのだが、渡辺喜美みんなの党代表の主導権とかち合って交渉決裂となったということなのだろう。
だが、鼻息の荒さに反した最近の支持率から、そんなことは言っていられなくなったということか。
また、橋下市長は例え維新の会が衆議院選挙で過半数を超える議席を獲得したとしても、自身は首相に就任しない意向を示しているが、首相には自分はならない、だが、「大きな方針や戦略は国会議員団より私の方が長けているので、私が方針を出す」では、首相を傀儡とすることになり、これまた矛盾することになる。
政治はチーム作業である。例え代表が打ち出した政策であっても、党というチーム全体で議論し、一つの政策意思に纏め上げて正式の政策とするのが民主主義のルールであるはずだ。
みんなの党と維新の会との合流に関わる会談が大阪開かれたのは8月20日夜。この会談で渡辺代表からみんなの党と維新の会が対等な形で合流することの提案があったそうだが、会談は決裂。
8月21日の記者会見。
松井大阪府知事「みんなの党は我々と同じような政策を掲げているが、国会ではみんなの党と一緒に政策を実現する動きがほかの党に広がっていない。みんなの党と組むことは、今のわれわれの考え方にはない」(NHK NEWS WEB)
ここでは連携の条件として政策の一致ではなく、なぜか分からないが、国会に於けるみんなの党の政策の賛同の広がりを基準としている。
橋下大阪市長の8月30日ツイッター。
〈渡辺さんに、僕と知事は、みんなの党をいったんなくして新しいものを作らないと、既成政党に対する第3極にならないのでは?と問いましたが、渡辺さんは、みんなの党の拡大路線でした。みんなの党に、大阪維新の会も全て吸収するような話でした。 〉――
ここでの「第3極」は合流そのものとなっている。
要するに橋下市長は渡辺みんなの党代表にみんなの党の解党を求め、例え党の名称を新しく変えたとしても、実質的には大阪維新の会への合流を求めた。対して渡辺代表はその逆を行って、大阪維新の会のみんなの党への合流を求めたということになる。
対して渡辺代表の反応。9月6日のBSフジの番組。
渡辺代表「みんなの党は2回の国政選挙、地方選を経験し、全国に根っこが生えている。全部解党して(維新側に)来いというのは無理だ。
連携は新党以外にいろいろある。みんなと維新はよきライバル、よき友であればよい。交渉は継続している」(時事ドットコム)
普段の言動からも分かるように自身を優越的且つ独裁的高みに位置づけている橋下大阪市長が自身を渡辺代表の下に置くことはプライドが許さなかったに違いない。何と言っても、「私が方針を出す」意志でいる。
だが、最近のどの世論調査でも、維新の会への期待度が低迷状態にある。特にショックな事態は朝日新聞と読売新聞の世論調査での政党支持率、次期衆院比例投票先共に政権を失うと予想されている民主党を遥かに下回っている人気しか橋下氏を以てしても獲得できていないことだろう。
朝日新聞
政党支持率
自民21(前回15)
民主14(前回16)
日本維新の会2
比例投票先
自民30(前回23)
民主17(前回15)
日本維新の会4(前回-)
読売新聞
政党支持率
自民28(前回21)
民主18%(前回15)
維新2%(前回2)
比例投票先
自民36(前回31)
民主18(前回14)
維新13%(前回16)
決定的なのは政党支持率で少数野党並みの2%しか獲得できていないことだろう。読売新聞の比例投票先では維新は13%獲得しているが、前回の16%から3ポイント下落している。政党支持率との兼ね合いで比例投票先が下落傾向にあるということは今後共下落が予想されることを意味する。
いわば自身を優越的且つ独裁的高みに位置づけた独立独歩周囲に振り撒きながらも、そのことに反してみんなの党との連携を打ち出したのは世論調査が走らせた目敏い、機を見るに敏な変わり身の早さといったところに違いない。
と言うことは、ご都合主義の独裁者の姿を現したと言うこともできる。
9月29日の当ブログ記事――《さいたま市小6児童突然死に見る学校のAED使用責任 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に対して「Unknown」氏から、「御存知でしたら失礼します。 「体育活動時等における事故対応テキスト」を作成しました(さいたま市HP)
さいたま市小6児童突然死について検証委員会報告とは別に御遺族、市教委、校長、教員等が協力し教訓を明らかにし女児の名を愛称にした「ASUKAモデル」体育活動時等における事故対応テキストが9月30日にさいたま市から発表されました。」という内容の、アドレス付きのコメント投稿があった。
で、アクセスしてみて、内容を下記に転載、思ったことを一言。
平成23年9月、さいたま市立小学校6年生の桐田明日香さんが、駅伝の課外練習中に倒れ救急搬送された後、翌30日に死亡するという大変悲しい事故が起きました。
さいたま市教育委員会では、「さいたま市立小学校児童事故対応検証委員会報告」(平成24年2月21日)を受け、校長、教員など「教育実践者レベル」の視点で、事故を巡る対応の在り方について掘り下げて教訓を明らかにし、教員研修のためのより分かりやすいテキストを作りました。
詳細は下記のとおりです。
記
1 内容
「体育活動時等における事故対応テキスト」~ASUKAモデル~
体育活動時等に特化した教員研修のためのテキストです。体育活動時等における重大事故を未然に防ぐための取組や、事故発生後にとるべき対応について具体的に示しました。
(1) 日常における重大事故の未然防止
・児童生徒を対象とするAEDの使用を含む心肺蘇生法の実習の実施
・「傷病者発生時における判断・行動チャート」の作成
・口頭指導に対応する記録用紙の活用
・重大事故発生時携行機材等のパッケージ化 など
(2) 体育活動時等における重大事故の未然防止
・体育活動時等の指導開始前及び指導終了後におけるチェックリストを活用したブリーフィング(簡単な打合せ)の実施
(3) 重大事故発生時における対応
○第一発見者としての対応
・傷病の状況把握、応援要請、応急手当の実施
○ 応援者としての対応
・指揮命令者
・指揮命令内容チェックシートによる確認
・傷病者発生時における判断チャートによる確認
・AEDを含む重大事故発生時携行機材等の手配
・救急車の要請
・児童生徒の状況及び対応の記録 など
2 発行日 平成24年9月30日
◇平成24年度版「体育活動時等における事故対応テキスト」~ASUKAモデル~(さいたま市教育委員会/平成24年9月30日)
◇「さいたま市立学校児童生徒事故等危機管理対応マニュアル作成指針」を作成しました
要するに運動中に突然倒れたものの救命処置を放置された小6女子児童に対する教職員の危機管理対応の不備をモデル(=教訓)とした、不備解消の対策として作成した規則集である。
どういう手順に従って、どう行動するかの具体的な細かい取り決めは上記、《平成24年度版「体育活動時等における事故対応テキスト」~ASUKAモデル~》(さいたま市教育委員会/平成24年9月30日)のPDF文書に書いてあって、ざあっと覗いてみた。
最初に「さいたま市教育委員会教育長 桐淵博」名で、次のようなことが書いてある。
〈はじめに
平成23年9月29日、さいたま私立小学校6年生の桐田明日香さんが、駅伝の課外練習中に倒れ、救急搬送された後、翌30日に死亡するという大変悲しい事故が起きました。この事故では、明日香さんが倒れた当初、現場で指導をしていた教員等が「脈がある」「呼吸がある」ととらえたことから、心肺蘇生及びAED装着を実施しませんでした。約11分後の救急隊到着時には心肺停止状態になっていたことから、対応が適切であったか、また、緊急時の学校の危機管理体制が十分であったかなどが検証課題となりました。
そこで教育委員会は。ご遺族とも話し合い、まず医療の専門家等に協力をお願いして設置した「さいたま市立小学校児童事故対応検証委員会」において検証を進め、平成24年2月に報告(以下「検証委員会報告」とします。)をいただきました。「検証委員会報告」に基づき、平成24年4月、学校で起こりうる様々な危機事案に対する組織的・実践的な危機管理の基本的な在り方を示した「さいたま市立学校児童生徒事故等危機管理対応マニュアル作成指針」を作成するとともに、教員研修の充実や、中学生以上の保健体育の授業にAEDの使用を含む心肺蘇生法の実習を導入するなどの取組を進めてきました。
一方、ご遺族と話し合いを続ける中で、再発防止策を徹底し学校の安全度を高めるためには、「検証委員会報告」を踏まえて、さらに、「教育実践者レベル」(教育委員会事務局職員、校長、教員など)の視点で、この事故を巡る対応のあり方について細部を掘り下げて分析し、教訓を明らかにするとともに、教員研修のためのより分かりやすいテキストを作ることが必要であると考えました。〉云々とあり、上記《「体育活動時等における事故対応テキスト」~ASUKAモデル~》で取り上げたおおまかな項目の具体的行動として重大事故の日常的な防止策や危機事案発生の場合のAED装着、その他の心肺蘇生の判断とその行動方法等の手順、その知識取得のための研修会や講習会の受講とその頻度、教職員による救急車の要請、保護者への連絡、到着した救急車の誘導等、対応のあり方の規則を事細かに定めているが、〈対応が適切であったか、また、緊急時の学校の危機管理体制が十分であったかなどが検証課題となりました。〉と書いている、その責任検証については、他処のところで触れているのかどうか分からないが、そこでは触れていない。
その場にいた教師の全員が学校に備えていたというAEDの存在すら失念していたのか、失念していたとしたら、当然、AEDを使用して蘇生措置を施すといった危機管理は思い浮かぶはずもないことで、その疑いが濃いが、事実はどうであったかを明らかにすることが同時に、責任を云々するまでもない、危機管理に欠かすことのできない重要な資質である教師の日常的な咄嗟の判断能力を明らかにすることになる。
咄嗟の判断能力とは、規則や決まり事といった与えられた情報に情報通りに従うのではない、自身の情報をも駆使して瞬時に判断して適切な行動を選択する能力であるから、その行動は常に責任を受け止める態勢にあることになる。
また、そのような臨機応変な判断能力は児童・生徒に対する教育上の情報伝達にも深く関わって、教科書の知識・情報を教えるだけではない、臨機応変な判断能力を伝えていくと同時に、そのような判断が紡ぎ出していく教科書にはない知識・情報を伝えていくことにもなる。
と言うことは、教師の臨機応変な判断能力とそのような判断能力に従った日常的な知識・情報の伝達行動は救命行動のみならず、日常的な教育上の責任と関連し合うことになる。
もし咄嗟の判断能力を働かすこともできずにAEDの存在を失念していたとしたら、〈「脈がある」「呼吸がある」ととらえたことから、心肺蘇生及びAED装着を実施しませんでした。〉と言っていることは単なる責任逃れの弁解と化す。
忘れてはならないことは、何か大きな事故が起きて、その事故に満足のいく適切な対応ができずに人命等の重大な犠牲を払ってから、そのような対応の不備・不足をモデル(=教訓)に対策をつくり出す例が殆どだということである。
いわば事前対策ではなく、その多くが事後対策であって、自分たちの行動不備と責任を忘れないことが次の対策を有効にしていくはずだ。
今回の、《「体育活動時等における事故対応テキスト」~ASUKAモデル~》にしても、同じ経緯を辿った事後対策と言える。
そしてその事後対策たるや、発生した危機事案に適切な対応が取れずに再び人命等の重大な犠牲が生じた場合の責任が過重になることを恐れて、行動の漏れがないように念には念を入れた事細かな規則尽くめの対策となる傾向にある。
ページを覗いてみれば分かるが、《~ASUKAモデル~》も実際にそうなっている。
もし教師が日常的な咄嗟の判断能力――臨機応変な判断能力を欠いたままなら、《~ASUKAモデル~》に書き込んである事細かな規則に忠実に従った行動を取ることになる。
但しこのような行動には一つの利点がある。例え結果的に人命を失う事態が生じても、規則通りに救命措置を行ったとすることで責任を回避できる利点である。
ということは、自身の判断を働かすことのない、臨機応変な判断能力を欠いた規則通りの杓子定規な行動は巧まずして責任回避を伴わせた行動となると言うことである。
その場その状況に応じてちょっとでも気を利かしていたなら救えたかもしれないケースであっても、規則通りの行動が責任履行のアリバイ証明となってくれる。
あるいは失敗を恐れる自己保身から最初から責任回避意識の強い人間は自身の判断があっても、その判断を抑えて規則に忠実な行動を取って、そのことを以って責任履行とする自己保身を図ることになる。
いわば規則通りの忠実な行動は結果がどう出ようとも、意図的であろうと意図的でなかろうと、責任回避の免罪符とし得る。
寸秒を争う時間が勝負の救命行動に於いて規則通りの忠実な行動が自己保身や責任回避につながったとしても、時にはそのことが原因となって、救命に手遅れが生じない保証はない。
漏れのない規則やルールを作ったからといって、常に救命を保証するわけではない。救命措置に限らず、規則やルール云々ではなく、その場その状況に応じた臨機応変な判断能力に基づいた責任ある行動を取れるかどうかに児童・生徒の普段からの生きて在る生命(いのち)はかかっているはずだ。
児童相談所の対応不備から、親の虐待から引き離すことができずに子どもを死なせてしまう事案にしても、教師の危機管理不備からいじめを受けていた子どもを保護できずに自殺に追い込んでしまう事例にしても、それぞれの関係者がそれぞれの取扱いの規則を含めた日常的な行動を自らの行動のルールとしていて、そこから一歩も出ずにそのルールに従うだけで、その場、その時に応じた臨機応変な判断能力に基づいた責任ある行動を取れていないことが原因となっているはずだ。
オスプレイの沖縄配備が進められた。
アメリカ海兵隊は今年(2012年)4月、モロッコで米軍とモロッコ軍との合同訓練中に発生し、米兵2人死亡、2人重傷のオスプレー墜落事故は副操縦士の操縦ミス――人為的ミスだと結論づける調査報告を纏め、8月17日公表した。
《オスプレイ 海兵隊“操縦誤る”強調》(NHK NEWS WEB/2012年8月18日 7時37分)
シュミドル海兵隊航空部門副司令官「最も重要なことは、機体に欠陥は全くなく安全性に問題がないことがはっきりしたという点だ。
(副操縦士が)十分な速度も出ておらず、後ろから強い風が吹く状況の下で、規定の角度以上にプロペラを前に傾けたため、尾翼部分が風に押し上げられ、前のめりになる形で墜落した」
〈海兵隊ではオスプレイのすべての操縦士にモロッコでの事故当時の状況を詳しく説明したうえで、フライトシミュレーターに状況を再現した訓練を導入するほか、操縦のマニュアルや訓練学校の教科書の一部を変更するなど事故の再発防止に向けた取り組みを強化していくことに〉したという。
他の多くの記事が、「経験の浅い」といった形容詞をつけて、副操縦士の操縦ミスだとするアメリカ側の調査報告を伝えている。
この副操縦士単独犯説は調査報告書を纏める前からアメリカ側は頻繁に情報発信していたが、その一つを捉えて、2012年7月29日当ブログ記事――《オスプレーのモロッコ墜落事故は人為的ミスとする米側発表の不自然過ぎる疑惑 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に、主操縦士(機長)の姿が見えないと書いた。
この「NHK NEWS WEB」記事が伝える海兵隊関係者の発言からも、見えてこなければならない主操縦士(機長)の姿が見えてこない。
副操縦士が一人で操縦していたということなら理解できるが、通常のヘリコプターと同様に機長(主操縦士)と副操縦士の2人態勢の操縦となっているという。
当然、副操縦士の操縦に自らは操縦に熟練しているであろう機長が補佐しなければならないはずだ。
機長の姿が見えてこないということは機体の不具合を隠す必要上、そのことに替えて副操縦士を墜落事故の単独犯に仕立てる企みではないかとさえ疑うことができる。
アメリカ側のこの調査報告書を受けてかどうか分からないが、沖縄県はオスプレイの安全性を巡って防衛省に質問状を提出、防衛省は9月21日、沖縄県側に回答を提出している。《オスプレイ:操縦士経験も非公表 県の質問へ回答》(沖縄タイムズ/2012年9月22日 09時39分)
副操縦士の熟練性に関する言及のみを取り上げる。
沖縄配属操縦士の配属前の飛行訓練時間についての質問に対して――
防衛省回答「部隊の能力にかかわるため公表できない。
飛行時間を含め、米の規則に従い、必要な資格を得て、米本土で経験を積むと米側から説明を受けている。
通常どの部隊でも副操縦士の中に経験の浅い者が含まれる。その副操縦士が飛行する場合、経験を積んだ機長が指揮・監督する」
以上の回答はアメリカ側の見解をそのまま追認した内容でなければならない。オスプレイーに関わる日本側の具体的な知識は皆目所有していないはずだからだ。
また、モロッコの墜落事故が経験の浅い副操縦士の不慣れな操縦という人為的ミスを受けて、「副操縦士が飛行する場合、経験を積んだ機長が指揮・監督する」という規則を操縦マニュアルに新たに付け加えたというわけでもあるまい。
戦闘時の不可抗力といった特殊事例を除いた機体安全運行の最終責任者はあくまでも機長である。当然、「副操縦士が飛行する場合、経験を積んだ機長が指揮・監督する」役目は一般的慣行としていなければならないはずだからだ。
当然、モロッコでの米・モロッコ軍合同訓練に於いても、「副操縦士が飛行する場合、経験を積んだ機長が指揮・監督」していたはずだ。
だが、墜落は機体上の欠陥ではなく、経験の浅い副操縦士単独の人為的ミスだとするアメリカ側の主張やその線に添った報告書を取り上げた記事からは、「副操縦士が飛行する場合」は、経験の浅いその操縦を補って役立たなければならない「経験を積んだ機長」の「指揮・監督」がどういった理由で生かされなかったのか、どういった理由で機能しなかったのか、そのイキサツは一切見えてこない。
もし「経験を積んだ機長」の「指揮・監督」の技術が経験の浅い副操縦士の操縦に何ら影響を与えることができなかったということなら、いわば、「十分な速度も出ておらず、後ろから強い風が吹く状況の下で、規定の角度以上にプロペラを前に傾けた」副操縦士の未熟な操縦を機長は自らの「指揮・監督」を無為にして見逃したことになり、機長と副操縦士の共犯説を採るべきで、副操縦士単独犯説は副操縦士一人に罪を着せる冤罪の疑いが出てくる。
6月のフロリダ州でのオスプレイ墜落事故は操縦士(機長)と副操縦士二人の操縦ミスとなっていて、共犯説を採っているが、特に操縦が難しいとされているオスプレイの機長は高度の操縦技術を備えていなければならないことに反して機長の経験が操縦に役立たず、副操縦士並みだったことの暴露にしかならないことも疑いを抱かせる。
いずれにしても、モロッコ墜落に於ける操縦経験が浅いことからの副操縦士単独犯説に見えるその操縦の無効性のみを浮き立たせて、その無効性を補って有効であるべき「副操縦士が飛行する場合、経験を積んだ機長が指揮・監督」の一般的慣行が補うことのできなかった矛盾した、経験を積んでいるはずの機長の無効性を見えなくしている情報発信の数々が、米側調査に否応もなしに疑惑を与えることだけは確かである。
野田第3次改造内閣の顔ぶれがなかなか評判がいい。
先ず代表的な評価を見てみる。
自見庄三郎国民新党代表「実務的で精力的。若々しく、エネルギーに満ちた内閣だ」(MSN産経)
人間歳を取ると、5歳年下の人間を見るだけで、能力とは無関係にその存在感に眩しさを印象づけられるようだ。だから、若い女の子を見ると、手を出さないでは我慢できなくなる。
その他、高い評価としては、「在庫一掃セール」、「たらい回し人事」、「幕引き内閣」等々がある。
野田首相は昨日の第3次改造内閣組閣記者会見で陣容編成の目的を次のように発言している。
野田首相「今般の内閣改造は、山積する内外の諸課題に対処する上で、政府・与党の連携を一層深め、内閣の機能を強化するために行うものであります」――
渡部恒三民主党最高顧問は次のように評価している。
渡部恒三民主党最高顧問「国民から見て、未来に輝かしい希望を持てるような人がいないが、『あの大臣では困ったな』という人もいない。『60点内閣』か『まあまあ内閣』だ」(同MSN産経)
「国民から見て、未来に輝かしい希望を持てるような人」を配置していない代わりに、「あの大臣では困ったな」という人も配置していないと言っている。
何て言ったって民主党最高顧問の渡部恒三の慧眼である。内閣を無難に運営することを目的とした陣容であって、国民に希望を抱かせる目的の組閣ではないと見抜いたというわけである。
あるいは最初からそういった目的の改造内閣であることを知っていて、単に解説してみせたのかもしれない。
「『あの大臣では困ったな』という人もいない」と言っていることは、これまでの野田内閣では「あの大臣では困ったな」という人がいたということを意味する。
いわばこれまでの野田内閣は万全の陣容・万全の態勢ではなかったということになる。だから、内閣を無難に運営できることを目的とした改造内閣が必要になった。
但しである。野田首相自身は万全の陣容・万全の態勢であることを常に宣言してきた。
どちらの言っていることが正しいのだろうか。
野田内閣は2011年9月2日発足。この内閣陣容を自身は「適材適所」だと表現した。
【適材適所】「人の能力・特性などを正しく評価して、ふさわしい地位・仕事につけること」(『大辞林』三省堂)
要するに野田首相は初組閣に当たって、所属各議員の能力・特性などを正しく評価して、それぞれに相応しい大臣職に就けた。
当然、自らの能力・特性などが正しく評価され、それらの資質に相応しい大臣職に任命された一人残らずの議員は評価通りの力を発揮した。
このような結果を予定調和として、初めて適材適所は正当性を得る。
一人でも評価が外れたら、いわば適材ではない人物が一人でもいたなら、適材適所はウソとなる。
閣僚人事はそれ程にも責任は重いということであろう。
国家運営に関わってくることだから、少なくとも一人でも期待外れをつくり出してはいけないという責任感と気概を以って人事に当たらなければならないはずだ。
逆に全ての閣僚任命に於いて適材適所を結果責任とすることができたなら、その内閣は力を発揮し、国益向上に貢献、国民の支持も上がるはずだ。
だが、2011年9月2日発足の野田内閣は各陣容が適材適所であったにも関わらず、約4ヶ月しか経過していない2012年1月13日に内閣を改造。陣容に不足を感じたからこその改造内閣であったはずだ。
いわば適材適所だと宣言した内閣は適材適所ではなかった。
このことは2012年1月13日の第1次改造内閣記者会見の発言が証明する。
野田首相「最善かつ最強の布陣を作るための、今回は改造でございました」
要するに最初の内閣は「最善かつ最強の布陣」ではなかったと、適材適所を否定している。
ということは、野田首相には「人の能力・特性」等に対する評価能力を欠き、「ふさわしい地位・仕事につける」人事マネジメント能力を欠いていたことを約4ヶ月の内閣運営で既に露見させてしまったことになる。
真に適材適所を結果とすることができていたなら、内閣改造は必要ではなかったはずだ。
当然、最初の組閣で「適材適所」と言ったことは少なくとも結果的にはウソとすることになった。
他者評価能力を欠き、人事マネジメント能力を欠いた指導者が一度ウソをついた人事を次は事実とすることができるのだろうか。
もし党内力学から、他の実力者の押し付けで適材適所とは言えない、あるいは「最善かつ最強の布陣」から外れるような人物を大臣に付けなければならなかったということなら、野田首相の指導力が問題となる。
また、例え後者であったとしても、自身の他者評価能力に基づいて「適材適所」と言い、「最善かつ最強の布陣」と言ったはずだから、言葉のウソ・ホントに対する責任は免れることができるわけではない。
2012年1月13日の第1次改造内閣で、「最善かつ最強の布陣」だと、その適材適所を誇ったものの、約4カ月と20日経過しただけで、「最善かつ最強の布陣」でありながら、2012年6月4日、再度内閣改造を行なっている。
プロ野球にしたって、「最善かつ最強の布陣」なら、誰かが怪我をして登録メンバーから外されなければ、チームメンバーは1シーズンは続くものである。
内閣改造は「最善かつ最強の布陣」ではなかったことの証明でしかなく、「最善かつ最強の布陣」の謳い文句はウソに過ぎなかったことになる。
野田首相は一度のウソではなく、二度までウソをついた。
2012年6月4日、野田首相は第2次改造内閣組閣に関して記者会見を開いている。
野田首相「今回、内閣の機能強化という視点の下で改造を行わせていただくこととなりました」
要するに「最善かつ最強の布陣」はウソの適材適所だったから、内閣機能が不完全状態にあった。そこで内閣機能を強化するために内閣改造が必要となった。
野田首相が第2次改造内閣で、内閣機能強化を謳い文句どおりに実現させることができたとしたら、断るまでもなく、その改造内閣は当分続くことになるし、続かなければならないことになる。
人事は短期間でそうそういじるものではないからだ。
ところが、2012年6月4日第2次改造内閣発足から4ヶ月足らずの2012年10月1日、要するに昨日、第3次改造内閣を発足させることになった。
同10月1日の記者会見で次のように改造の目的を発言している。
野田首相「今般の内閣改造は、山積する内外の諸課題に対処する上で、政府・与党の連携を一層深め、内閣の機能を強化するために行うものであります」
「政府・与党の連携を一層深め」と言っているが、政府・与党の連携は常に緊密でなければならないはずで、緊密化達成は野田首相自身の他者評価能力や人事マネジメント能力、これらの能力を下敷きとした何よりも指導力が問われるのであって、実際には満足できる程の緊密関係とはなっていなかったということは、野田首相自身の指導力等の各能力の問題となる。
しかも第2次改造内閣記者会見で、「今回、内閣の機能強化という視点の下で改造を行わせていただくこととなりました」と言って、内閣機能強化の内閣改造だと謳いながら、今回も内閣機能強化を謳っている。
つまり4ヶ月間、内閣機能強化という点で野田首相は無為無策のまま過ごしてきたことになる。
「適材適所」もウソ、「最善かつ最強の布陣」もウソ、前回の「内閣の機能強化」もウソということなら、今回の「内閣の機能を強化」も当然、ウソにウソを重ねたウソと見做さざるを得なくなる。
僅かな上下の変動はあるものの、野田内閣支持率が低空飛行状態にあることも各内閣陣容編成の謳い文句をウソとしていたことの結果値であろう。
大体が第3次改造内閣の閣僚継続率44%・交代率56%のあまりにも酷すぎる変動である。大方が指摘しているように民主党最後の政権ということで、野田体制構築功労者を主要閣僚以外は万遍なく配した内閣改造だから、こういった閣僚継続率44%・交代率56%の結果を招いたということなのだろう。
主要閣僚以外は功労者の万遍のない配置が目的だから、渡部恒三が言うように「国民から見て、未来に輝かしい希望を持てるような人がいないが、『あの大臣では困ったな』という人もいない。『60点内閣』か『まあまあ内閣』だ」といった全体評価となったはずだ。
いわば今度の組閣は国民に目を向けた組閣ではなく、党内の野田体制構築功労者に目を向けた組閣だった。
インターネット記事で「日本維新の会」代表の橋下大阪市長が9月27日の記者会見で、靖国に祀られている先人に対する敬意の表明と戦争総括の必要性を発言したことを知った。 記者「先日の記者会見で靖国参拝について日本維新の会の意見を質問させて頂いた者です。選挙までに国政政党としての方針を纏めるというご回答ありがとうございました。一方、回答の中で、靖国参拝について、個人としての考えを持ってらっしゃると答えていました。
私自身も戦争総括の必要性を、役に立たないながらも言い続けてきた。日本国家は戦前の日本国家や国家に関わった個人の責任を検証する総括を行いもせずに敗戦から10年も経たない1950年代前半に戦犯の釈放決議・赦免決議を行なって、一国主義的に戦犯の名誉を回復させている。
総括というものに責任検証の目的を持たせる以上、橋下市長の先人に対する敬意表明と戦争総括の必要性の間に齟齬がないか、詳しく知りたいと思って記者会見の動画がないか探したところ、「YouTub」動画で都合よく記者会見の動画を見つけることができた。
靖国参拝に関係する個所のみを文字に起こした。
大阪府知事を3年8カ月、大阪市長を9カ月、1997年から大阪府知事になる2008年までの約11年近くも弁護士を職業としていて、相当コツを得た簡潔な話術に長けていると思いきや、的確・簡潔な情報発信とは正反対の、饒舌ではあっても、同じことを何度も繰返す堂々巡りの発言を随所に見受けることになった。
新聞記事は纏めて短くして取り上げるから、記事からでは分からないが、合理性を備えた話しぶり、情報発信とは言い難い。
そこで、現時点のもので構わないですが、靖国参拝について、橋下さん個人の考えを今一度お聞かせ頂ければと思います」
橋下市長「ハイ。僕前に一度言いましたけども、やはり日本をつくるに当たって、えー、命を落とされた方、色んな事情、まあ、おー、イー、まあ、日本のために、国のために命を落としたと、いう、方々に対して、えー、きちんと、敬意を表するということは、これは絶対に必要だと思いますね。
で、日本維新の会でね、えー、靖国参拝については議論しました。
結論としては、これは、あのー…、個人の問題だと。おー、個人の、おー、まあ、宗教心も含めてね、個人の問題でもあるんで、えー、これは政党として、えー、方針を決める問題ではないと、いうことになりました。
ですから、これは個々人の、おー、それぞれの態度・振舞いに委ねていくことになります。これは、あの、日本維新の会の考え方で、日本維新の会として、こうしましょう、ああしましょうと言わずに、個々人の政治家に委ねる、ということになりました。
僕自身は、あのー…、その先人の、命を落とされた先人に対しては敬意を評されなければいけない、という思いがありますが、先ずね、これいくつかの、二点問題があって、一点はあまり大したことのない問題で、二点目はこれはちょっと、また外交安保問題につながる問題ですが、一点目はね、僕がこの話をした時にね、(苦笑混じりに)うちの母親からね、僕自身感じていいたのですけど、『やー、あんたね、それはね、爺ちゃんの墓参りも行ってないんではないか』と、
で、それはね、記者会見で靖国に対してあんなように堂々と、言ってもね、『爺さんの墓参りすら行ってないのにね、どういうことや』って言われましてね。
で、それは確かにね、あのー、そうなんですよ。だから、こうやって先人の、命を落とした先人に対してね、あのー、敬意を表さなければいけないって、うちの爺さんにも、そうやってやっぱり命、日本のために頑張って。あの、海軍出身ですから。あの、頑張って、別に戦で死んだわけじゃないですけども、あのー、日本のために頑張ってきた。
確かにそう言われるとね、何で急に政治家になって、何で急に格好つけるんだっていうところあります。だから、あの、爺さんの、墓参りも、あんまり行っていない。
えー、勿論、父親の、実の父親の墓参りも、それはもう殆ど、たまに行くぐらいで、殆ど行っていない。そういう人間です。
だから、先に格好つけんなって言われた。そういう人間だけど、その話もね、日本維新の会でやったんだけど、ま、そうは、それは個人の、そういう人間だけれども、役職に就いたら、やっぱり国民を代表してね、えー、僕はやっぱり知事、とか市長とか立場になるから、戦没者追悼式に出るわけです。
ただ、そういう立場としてね、やはり靖国問題を把えなければいけないと思っています。
そうなってきた時には、僕はね、先人に対する敬意っていうものも絶対に必要だけども、僕はこの戦争の総括っていうものもやらなきゃいけないと思ってるんですね。
で、僕はね、あの、メッセージの出し方、その、そういう役職に就いた立場になればね、メッセージの出し方っていうところも非常に僕は重要だと思っていましてね、えー、周辺諸国について気を使うことはないという考え方もあるかもしれませんが、実際に日本は過去に於いて、えー、僕は、そのー、戦争の総括までは出来切れていないから、歴史家じゃないから確定的には言えないけれども、それでもやっぱり周辺諸国に過去、迷惑をかけたことは間違いないわけです。
謝り続けたら、、それでいいじゃないかなんて言うのはね、弁護士やっててね、日本国内に於いて、色んな事件・事故の代理人やりましたけども、加害者サイドがね、もう謝り続けたから、もう謝るのはいいじゃないか。そんな加害者は見たことない。
加害者になったらね、弁護士やってみて、被害者サイドから見ればね、ずうっと腹ん中にね、恨みつらみ残りますよ、それは。
で、それを加害者サイドの方がね、もう十分謝ったんだから、もう十分賠償渡したんだから、もういいじゃないかって言うのは、心情として、僕は、そういう態度は取れないですね、僕は。
これは弁護士やって実際に色んな命を落とす事件の代理人をやったときに、被害者側の方にも立ったし、加害者側の方にも立ったし、国内ですらですよ、国内でも被害者の方、被害者が加害者に対してね、一生忘れるな、と。
そんなのね、この事件について一生忘れるな、この事故については忘れるなっていうことは、国内に於いても被害者はこれにも、もう、本当にそれはね、遺族としてね、泣きたい気持で言い続けるわけですよ。
で、恨みつらみを持ち続ける場合もある。
そしたらね、対中国、対韓国に於いてね、あの、謝り続けたからもういいじゃないとかね、おカネ払ったからいいじゃないのっていう、そういうことは僕は違うと思います。ただ、それを事実誤認とか、違うことを言われたら、それは反発しますよ。それは。
だから、僕は慰安婦問題のね、あの暴行・強迫で以て、あのー、強制連行されたとか、ああいう問題に関して違うことは違うって言いますけども、しかしね、加害者っていう、そういう、うー、国である以上、やっぱりそれはそういう気持ちを持って、えー、そして然るべき立場に立った場合、には、メッセージの出し方っていうのは気をつけていかなきゃいけない。
で、なれば、靖国参拝に於いて、終戦記念日っていう時にね、えー、そのときに参拝するのかね、それとも、靖国神社に於いては例大祭っていう、そっちの方で重きを置いた行事であるから、そっちの方でいいじゃないかとか、そういう、あのー判断はしなければいけないっていうのは思ってますね。
だから、あのー、これもまた日本維新の会で色々議論しなきゃいけないですけども、あの、中国や韓国にね、事実と違うことを言われたら、これはもう猛反発してね、抗議をしてね、日本の国家としてのプライドが、あのー、落とされるようなことになれば、それはもう、猛攻撃しなければいけないし、それから尖閣海域周辺に於いてもね、今の現状では日本が実効支配している以上は、それを実力行使で実効支配を変えていこうとする、そういう力に対しては、これはもう、果敢にですね、そこは対抗措置を取らなければいけない。
だから、海防力、海防の力とかね、そういうものの生身の力っていうものをしっかりと備えなきゃいけないと思いますけども、しかしやっぱり、あのー…、加害者であったという、この事実、はね、世代を超えたとしても、やっぱり忘れちゃいけないことだと僕は思っていますけどね、これはまた考え方違うかもしれないけど、弁護士やっていた以上、被害者側の代理人やってたら、そんなの被害者側からしたら、そんなの何が何でも許せないと、そういう気持ちを否定するわけにはいきませんね」
記者「敬意を表するとしても、するしないっていうのはまだ未定だということでよろしいでしょうか」
橋下市長「 だから、僕がそういう然るべき立場に立ったら、国民の代表という立場に立った場合は、あー、8月15日に行くべきななのか、例大祭、秋――、春・秋の例大祭に行くべきなのか、あー、そこは考えます。
ただ、こういうことを格好よく言っても、爺さんの墓参りも碌々行っていない、えー、そういう人間がね、えー、先人の、あのー、そういう命に対して、敬意を表すべきだと格好つけ過ぎるのも、よくないことだとも思っています。
ただ、然るべき立場に立てば、それは国民を代表してね、あの、それは国民を代表してね、あの、戦没者追悼式に行くのと同じように、それは国民を代表してしっかり敬意を表するね、そういう、あの、所作はしなければいけないと思っていますがね」
記者「敬意を表するんだったら、分祀であるとか、あるいは国立追悼施設とか色んなアイデアが出ていると思うんですが、それについてはどう思いますか」
橋下市長「それはね、神社の在り方について、簡単に、それは政治家の方が、あー、宗教の一番太い軸に関わることですから、あー、簡単にそれは政治家が結論を出すべき問題じゃないと思いますね。
それは靖国神社の方でそういうことを要求していくことですがね、それもまた違うんじゃないですか。
そうであれば、そういう敬意を表するやり方を、別に考えるっていうんであれば、それはまた政治家がみんなで考えていったらいいわけで、でも、それは簡単に分祀とか政治家が言うべきことではないと思いますね。
今の神社の、靖国神社っていう中で、どう先人に敬意を表しながら、しかし加害者であったということも、おー、忘れずに、メッセージの出し方、誤ったメッセージの出し方にならないように、そこは気をつけなきゃいけないと思います。
ただ、8月15日に拘るのか、僕は例大祭というところでしっかりと先人に対してありがとうございましたということで、僕は、あのー、先人に対する敬意というものは、十分ではないんではないかというふうに思ってますけどね。
それはまた自分がそういう立場に立ったときにどうするかっていうときは、どうするかっていうことは、もっと考えたいと思いますけどね、今、まだそういう立場ではないですから、今ここで、こうします、ああしますっていう状況でもないと思っていますね」(以上)
「日本維新の会」は靖国参拝は「個人の問題」であって、参拝するか否かは「個々人の政治家に委ねる」決定を行った。
だが、橋本市長は個人としては爺さんの墓参りも実の父親の墓参りも殆ど行っていないが、「役職に就いたら、やっぱり国民を代表してね」とか、「国民の代表という立場に立った場合」と言っているから、志高く首相になった場合を想定しているのだろう、一方で戦争総括の必要性を言いながら、立場上、先人に対する敬意は絶対必要だと主張している。
但し日本は戦争の加害者であるから、靖国参拝というメッセージの出し方に気をつけなければならない。8月15日に参拝するのか、春と秋の例大祭に行くのかでメッセージの出し方に違いが生じるゆえに、そこは考えたいと言いながら、例大祭の参拝で十分ではないかというふうにも思っていると、一度言えば済むことを二度三度繰返して言っている。
日本が戦争の加害者であることは三度言及している。
「加害者っていう、そういう、うー、国である以上、やっぱりそれはそういう気持ちを持って、えー、そして然るべき立場に立った場合、には、メッセージの出し方っていうのは気をつけていかなきゃいけない」
「加害者であったという、この事実、はね、世代を超えたとしても、やっぱり忘れちゃいけないことだと僕は思っていますけどね」
「加害者であったということも、おー、忘れずに、メッセージの出し方、誤ったメッセージの出し方にならないように、そこは気をつけなきゃいけないと思います」――
先ず、国民の代表となった場合を条件とする、「先人に対する敬意は絶対必要」だとする橋下大阪市長の靖国参拝絶対必要論は国民の代表から離れた場合は、国民の代表となった場合の条件から解放されて、参拝は必要でなくなるという論法となる。
いわば橋下市長は国民の代表となったら参拝する、そうでなかったら参拝しないと、靖国参拝の根拠・基準を国民の代表であるか否か、首相であるか否かに置いているということである。
勿論、どういう根拠・基準で参拝するか否かは個々人の決定にかかっているから、橋下市長の自由ということになる。
但し一般的には戦没者の、「国のために命を落とした」、あるいは「天皇陛下のために命を捧げた」、そのような行為性を根拠・基準として参拝するものだが、橋下市長の場合はそういった行為性を問題とするのは国民の代表でいる間限定という便宜性を持たせた追悼意識らしい。
日本を戦争加害国・戦争加害者だと位置づけているということは橋下市長が「先人」と言っている、靖国神社に祀られた戦没者は生きて兵士として戦争を戦っている間は日本の戦争加害に加担し、命を落とした日本人たちということになる。
だからこそ、8月15日に参拝すべきか、春・秋の例大祭に参拝すべきか、メッセージの出し方に注意が必要となるとしているのだろうが、と同時に、橋下市長自身が明確に認識しているかどうかは分からないが、「先人」に対して天皇陛下のため・国のために戦ったが、戦争加害者でもあったという功罪相半ばする評価を下していることになる。
当然、戦没者は、生きて帰還した兵士をも含めて、結果的には戦争加害のために天皇陛下のため・国のために戦ったとしなければ、事実の合理性を得ることはできない。
安倍晋三のように「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません」と言い、「国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だ。お参りすべきだと思う」と戦没者を功ばかりで評価する政治家なら、メッセージの出し方は8月15日と思い定めているだろうが、首相在任中に参拝を封じたのは中国への配慮という便宜性を優先させたからであった。
対中国配慮を参拝の基準として一旦決めたその場取り繕いの便宜性でありながら、今年5月、安倍晋三が会長を務める「創生『日本』」の東京研修会の壇上で、靖国参拝をしなかったことを非常に後悔していると発言したというから、過去の自身を誤魔化す往生際の悪さを相当なものである。
橋下市長の戦没者に対する功罪相半ばする評価は、だが、「加害者になったらね、弁護士やってみて、被害者サイドから見ればね、ずうっと腹ん中にね、恨みつらみ残りますよ、それは。
で、それを加害者サイドの方がね、もう十分謝ったんだから、もう十分賠償渡したんだから、もういいじゃないかって言うのは、心情として、僕は、そういう態度は取れないですね、僕は」と言っていることと真っ向から矛盾することになる。
橋下市長の発言趣旨は、戦争加害国・戦争加害者である日本に対する中国・韓国の戦争被害国・戦争被害者は日本の戦争加害に加担した「先人」――戦没者に対する功罪相半ばの評価は決して受け入れず、罪(ざい)のみで評価していると言っていることになるからだ。
事実の合理性から言って、結果的には戦争加害のために天皇陛下のため・国のために戦ったのである。当時はそのような国の姿――戦争加害国・戦争加害者の姿を取っていた。
そして、繰返しになるが、靖国神社に祀られた戦没者は生きて兵士として戦争を戦っている間は侵略という名の日本の戦争加害に加担し、命を落とした日本人たちである。
いわば否定しなければならない国家の姿であり、否定しなければならない兵士の姿・国民の姿であった。この否定の文脈での参拝なら許され、そのようなメッセージの出し方をすべきだが、「天皇陛下のために命を捧げた」、「国のために命を投げ打って戦った」英霊としてのみ顕彰、「尊崇の念を表する」と肯定の文脈で参拝する、あるいは橋下市長のように「ありがとうございました」と礼を言うメッセージの出し方は、戦争被害国・戦争被害者たる中韓にとっては事実の合理性を欠いた歴史認識の過ちとして解釈されることとなり、そのような解釈に対する「恨みつらみ」は当然の態度としなければならないはずだ。
口では侵略戦争だと言いながら、意識の底では侵略をも肯定する国家観のメッセージとなって、明らかに論理矛盾を来すことになる。
だが、安倍晋三以下、橋本市長にしてもこの論理矛盾に気づかない。
このような歴史認識に於いて、彼らには独裁国家の独裁者のような頑迷さがある。自分たちを絶対善とする頑迷さである。