安倍晋三の対高校生・大学生主権者教育と靖国参拝の矛盾

2015-02-18 08:17:29 | 政治


 国家主義者安倍晋三が2月17日午前中の参院本会議代表質問で主権者教育の推進を表明したという。与野党が近く選挙権年齢を「18歳以上」に引き下げる公職選挙法改正案を提出することを踏まえてのことだそうだ。

 国家主義者が主権者教育を口にするとは一種のパラドックスである。民主主義の時代の国家主義者は限りなく主権を国民から遠ざけて、国家に主権を置きたい衝動を抱えているはずだからだ。

 安倍晋三の答弁は誰かの作文なのだろう。今の時代、そう言わざるを得ない。

 安倍晋三「若者の声が政治に反映されることは大変、意義のあることだ。若い世代の投票率の向上に向けて最も重要なことは、国や社会の問題を自分の問題として捉え、考え、行動していく主権者を育てることであり、学校教育と選挙管理委員会、地域が連携し、あらゆる機会を通じて主権者教育を進めていく」(NHK NEWS WEB

 要するに主権者であることの自覚を求める教育と言うことであろう。その自覚を持った「国や社会の問題を自分の問題として捉え、考え、行動していく」自律的な社会的行動性を担うことへの期待である。

 基本的には自律性のススメである。

 【自律性】

1 他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。「―の精神を養う」⇔他律。
2 カントの道徳哲学で、感性の自然的欲望などに拘束されず、自らの意志によって普遍的道徳法則を立て、これに従うこと。」⇔他律。(「goo辞書」

 教育は、あるいは教育や教えという形で受け取る、人が人として社会的に生存していくことに必要な様々な考え・思想は大人から子供に伝えられる。主権者教育も同じで、もし大人が主権者であることの自覚を総体的に自らの精神としていたなら、安倍晋三みたいな国家主義者がわざわざ言い出さなくても、親と子供、教師と児童・生徒の日常普段の関係の中で自ずと受け継がれていくはずである。

 わざわざ言い出さなければならなかったということは日本の大人たちの多くが主権者としての自覚を有していないということでなければならない。

 その証拠の一つは昨年2014年12月14日投開票の自民党大勝の総選挙に現れている。総選挙での投票率としては戦後最低だった前回2012年の59.32%を大きく下回る56.44%を記録。都道府県別では8県で50%割れ、全ての都道府県で60%に届かなかった。

 有権者数約4900万人。約2766万人が投票。約2135万人が棄権。約1.8人に1人が投票。1.2人に1人が棄権。

 自らの声を政治に反映させるという主権者としての基本的な行動を多くの有権者が放棄した。

 また有権者をして主権者としての基本的な行動を放棄させるに至らしめている政治の側の責任もないとは言えないはずである。国民の側の主権者としての自覚と政治の側の国民の信託を受けていることの自覚の相互欠如が反映し合っている結果の大量棄権であろう。

 いわば自民党大勝にしても野党敗北にしても、両自覚の欠如の上に成り立った。

 そもそもからして主権者とは国家の主権を有する者を言う。日本国憲法はその前文で次のように主権者を規定している。

 〈日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。〉

 国政の権威は主権者である国民に由来する。だが、国政の権威が堕ちたからなのか、国民が主権者としての自覚を未成熟なままにしているからなのか、卵が先か鶏が先なのか分からないが、投票を介した信託は満足に機能していない。

 日本国憲法が国民主権を規定している以上、基本的には主権者としての自覚は日本国憲法の三大要素の残る二つ、基本的人権と平和主義を自己存在性の基盤に置いて自己を律し、「国や社会の問題を自分の問題として捉え、考え、行動していく」自律的な社会的行動性を見い出し、確立していかなければならない。

 そうでなければ、日本国憲法の精神は日本人の血肉に根づいていないことになる。

 基本的人権と平和主義を自己存在性の基盤に置いた自律性の確立と言い換えることができる。

 だとすると、安倍晋三は一方で主権者教育の推進を言い、一方で靖国参拝を正当化することは矛盾することになる。

 同じ2月17日だが、その午後の衆院本会議代表質問で共産党の志位和夫委員長の2013年12月の靖国神社参拝に対する質問の答弁として靖国参拝に言及している。

 安倍晋三「国のために戦い尊い命を犠牲にした方々に対し、尊崇の念を表し、ご冥福をお祈りするのは国のリーダーとして当然のことだ。

 (閣僚の参拝について)もとより自由だ」(時事ドットコム
 
 戦前の日本国民は主権を有していなかった。主権は天皇にあると大日本帝国憲法は規定していた。基本的人権も満足に認められていなかった。国政や軍を批判すると、国賊だ、非国民だ、英米のスパイだと糾弾された。政府や軍に批判的な集会は禁止され、強行した場合、あるいは秘密裏に開催して露見した場合、逮捕され、時には刑務所に収監された。

 いわば基本的人権と平和主義を自己存在性の基盤に置いた自律的な社会的行動性に則って活動することは許されず、それを当然のこととして慣らされていた。

 個人の権利・自由よりも国家を至上の存在としてその利益を優先させる国家主義に支配され、国民は天皇と国家に奉仕する存在とされていたからである。戦死は国民にとって天皇と国家に対する奉仕の最大級の表現であった。

 だから、特攻にしても玉砕にしても進んで戦死を目的とすることができた。

 靖国に祀られるということは奉仕の誉れある最大級の褒賞、あるいは生存の最大級の証しであった。

 だが、このような天皇・国家と兵士、あるいは国民との関係性は国民が自律的存在ではなく、他律的な存在、あるいは天皇と国家に対して従属的存在であることによって成立可能となる。

 当然、靖国参拝は天皇と国家への奉仕を最終的、最大限の表現とした他律性からの戦死を国家主義に立って顕彰するものとなる。

 安倍晋三は靖国参拝によって「国のために戦い尊い命を犠牲にした」と、天皇と国家への奉仕であった戦死を讃え、讃えることで天皇及び国家と兵士をそのように関係づけている国家主義を、「尊崇の念を表し、ご冥福をお祈りするのは国のリーダーとして当然のことだ」と正当化していることになる。

 既に書いたように主権者教育は戦前の日本軍兵士が天皇と国家への最大級の奉仕を戦死と定め、実行した他律的・従属的行動性とは真逆の基本的人権と平和主義を自己存在性の基盤に置いた自律的な社会的行動性――自律性を教え育むものである。

 だが、安倍晋三は靖国参拝を通して前者の他律的・従属的行動性を讃え、戦前の国家主義を戦後生まれながら自らの資質としている国家主義に立って正当化していながら、その一方で民主主義下で十全に可能となる後者の自律的行動性を育む教育を言う。

 前者・後者の矛盾した関係性は後者をニセモノとしなければ、成り立たない。ケースバイケースで演じ分けることはできるが、本質的に両者をホンモノとすることはできない。

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安倍晋三の相変わらず自分に都合のいい統計を並べただけの2015年2月16日衆院本会議代表質問答弁

2015-02-17 11:09:03 | 政治




  『生活の党と山本太郎となかまたち』PR

  《谷亮子・主濱了両副代表、高等教育負担軽減法案を参議院へ提出・高等教育負担軽減法案関係資料 》    

  生活の党と山本太郎となかまたちは1月30日、日本を元気にする会、新党改革・無所属の会の野党3会派共
  同提案で「高等教育に係る家計の負担を軽減するための税制上その他の必要な施策の推進に関する法律案
  (高等教育負担軽減法案)」を参議院へ提出しました。

  本法案は、大学や高等専門学校、専修学校といった高等教育を受ける際にかかる費用について、家計への
  負担を軽減するため、税制措置や制度の拡充等に関する基本理念を定め、学ぶ意欲のある人が高等教育を
  受ける機会を確保することを目的とした内容となっています。

 ――現状の格差自体が既に拡大化していて許容できない危機的な飽和状態にある――

 2月16日の衆院本会議代表質問での岡田民主党代表に対する答弁で安倍晋三は相変わらずゴマカシ名人の才能を遺憾なく発揮していた。

 岡田代表の質問は《衆議院本会議代表質問》民主党・無所属クラブ岡田克也/平成27年2月16日)に載っている。 

 岡田代表は最も重要な課題として、「経済成長と格差是正の両立」を訴え、その具体例を挙げた。

 岡田代表「給与所得者の内、年収200万円以下の人は1120万人で、全体の4分の1を占めています。相対的貧困率は近年急上昇し、今や過去最悪の16%にも達しています。特に深刻なのは子どもの貧困であり、ひとり親家庭の子どもの貧困率は実に50%を超え、OECD諸国の中で最低で国家として恥ずべきことです。不安定雇用が多い非正規労働者は増え続けて2016万人となり、雇用者全体に占める割合は38%になっています。いずれも深刻な事態です。

 これをしっかり変えていく。経済成長と格差是正を両立させることで、先進国の中でも格差の小さい希望の持てる国にする。そのモデルに日本がなる。そのための新しい経済政策を民主党が打ち出していく決意です」――

 そしてこのことに関わる質問を放った。

 岡田代表「総理は予算委員会で、『格差が人々にとって許容の範囲を超えているものなのかどうかということが重要』と答弁されていますが、総理自身、今の格差が人々の許容範囲を超えていると判断しているのでしょうか。それともそうではないのか。すべての議論の前提ですから、それぞれについて、イエスかノーか、はっきりお答えください」

 岡田代表は東日本大震災からの復興についての質問で、「耳触りのいい数字を強調するだけでなく、本当に被災者に寄り添う気持ちが大切です。総理の答弁を求めます」と言い、最後に、「聞かれてもいないことを長々と答弁したりすることは是非やめていただきたい」と釘を差している。

 両方共質問者の追及を巧みにかわすときの安倍晋三お得意中のお得意のゴマカシのテクニックである。

 では、今の格差が人々の許容範囲を超えていると判断しているのかどうかに限って、超えていると認めるわけはないから、どうゴマカスか、その答弁を見てみる。

 安倍晋三「格差の現状についてお尋ねがありました。格差についての指標は様々であり、格差が拡大しているかどうかについては一概に申し上げられませんが、例えば我が国の場合、当初の所得に比較して税や社会保障による再分配での所得の格差は概ね6倍で推移しています。

 また最近の世論調査によると、国民の中流意識は根強く続いており、個人の生活実感に於いて格差が許容できない程拡大しているという意識変化は確認されていません。

 いずれにしても安倍内閣は経済再生に取り組み、世界に冠たる社会保障を次世代に引き渡していく責任を果たすと共に子どもたちの誰もが家庭の経済事情に左右されずに希望通りの教育を受けられるようにしてまいります。

 こうした取り組みを通じ、誰にでもチャンスがある、そして頑張れば報われるという社会の実現に向け尽力して参ります。

 なお格差の状況について引き続き検証してまいります」(以上)

 「当初の所得に比較して税や社会保障による再分配での所得の格差は概ね6倍で推移しています」と言って、推移状況が変わらないから格差は拡大していないと逆説的に答弁しているが、平均で6倍だろうから、上下両極端同士の格差は相当なものがあるはずである。 

 《税・社会保障の所得再分配効果~JSTARによる検証~》中田大悟〈RIETI 独立行政法人経済産業研究所〉/2012年8月)に次のような記述がある。    

 〈日本の税・社会保障の再分配機能は、65歳以上の年金受給世代の世帯でしか機能しておらず、現役世代においては、ほとんど機能していないか、もしくは、指標によっては格差が悪化している可能性があることが確認された。また、年金の給付は相当程度の防貧機能を果たしているものの、中高齢者の自助(労働)よりも効果は若干弱いこと、手段的日常動作能力の悪化が貧困転落の要因になっているということも示された。〉――

 2012年8月発表の文章である。非正規雇用が年々増加傾向にあることから、「税や社会保障による再分配での所得格差」が急激に改善しているということはないはずである。もし改善しているなら、低賃金の非正規雇用を増やしていけば、「税や社会保障による再分配での所得格差」が是正されていくことになる。この倒錯は誰も認めまい。

 もう一つ、「税や社会保障による再分配での所得の格差は概ね6倍で推移して」いることが格差拡大を示すものではない指標足り得るなら、消費税増税分の値上がり感を再分配に対する期待感が吸収することになって、個人消費が冷え込むことはなかったはずである。

 だが、「概ね6倍で推移」が消費税増税前と増税後も変わらないにも関わらず、個人消費が停滞した。多くの消費者にとって「税や社会保障による再分配」が独立行政法人経済産業研究所の中田大悟氏が書いているように「現役世代においては、ほとんど機能していない」からこその消費税増税を受けた個人消費の低迷ということであろう。

 いわばいくら「概ね6倍で推移」しようとも、多くの消費者には「税や社会保障による再分配」は力強い味方とはなっていないということである。

 にも関わらず、安倍晋三は格差が拡大していない証明として「概ね6倍で推移」を持ち出した。自分に都合いい統計を示して、得意としているゴマカシのテクニックをさらっと発揮したに過ぎない。

 岡田代表が言っている「給与所得者の内、年収200万円以下の人は1120万人で、全体の4分の1」、「相対的貧困率は近年急上昇し、今や過去最悪の16%」、「ひとり親家庭の子どもの貧困率は実に50%超」で、「OECD諸国の中で最低で国家」であり、「不安定雇用が多い非正規労働者は増え続けて2016万人」で「雇用者全体に占める割合は38%」という事実は長年放置してきたがゆえの負の状況であり、一つ二つの政策では手直しが簡単には効かない格差拡大傾向の要素として直視しなければならないはずだ。

 特に最後の非正規雇用の増加は例え全体の賃金が上昇傾向にあっても、その主たる原因の一つが人手不足からの囲い込みによる上昇だが、賃金抑圧の力が非正規側により強く働いていることからの増加と見なければならず、世紀と比較した収入格差、あるいは生涯賃金格差の問題は依然として残る。

 安倍晋三はまた格差が拡大していないことの根拠として「最近の世論調査によると、国民の中流意識は根強く続いており、個人の生活実感に於いて格差が許容できない程拡大しているという意識変化は確認されていません」と言っている。

 中流とはどのくらいの年収を言うのだろうか。《男女を問わず下流は結婚相手として見なされにくい-「上流vs中流vs下流」の習慣と財布の中身》PRESIDENT Online/2010年7月5日号)からみてみる。 

 30歳~39歳の対年収中流意識は300万~800万未満
 40歳~49歳のそれは400万~1000万円未満
 50歳~59歳のそれは500万~1200万円

 年齢層によって年収で判断する中流の把え方に違いがある。   
 
 ネット上に次の区分を見つけた。

 「中流の下」300万円~500万円未満
 「中流の中」500万円以上~1,000万円未満
 「中流の上」1,000万円以上~5,000万円未満

 因みに「富裕層」は5,000万円以上としている。

 中流と言っても、300万円から5000万円まで相当な格差がある。それを一言で「中流」と言って、「国民の中流意識は根強く続いており」と問題なしとしていることも自分に都合のいい統計を持ち出して自らの政策を正当化する一種のゴマカシのテクニックであろう。。

 年収が300万円程度で停滞している中流世帯も多く存在するはずである。

 どちらの区分も300万円以上からが中流となっているが、300万円で果して中流と言えるのだろうか。月収25万円である。
 
 平成25年6月調査の《国民生活に関する世論調査》内閣府/2013年8月12日)は自身の生活程度がどの階層に所属しているか、その意識を尋ねている。  

 「上」1.0%

 「中の上」12.6%
 「中の中」56.7%
 「中の下」22.7%

 「下」4.7%

 翌平成26年6月調査の《国民生活に関する世論調査》内閣府/2014年8月25日)は次のようになっている。   

 「上」1.2%,

 「中の上」12.4%
 「中の中」56.6%
 「中の下」24.1%

 「下」4.6%

 「上」が0.2増え、「中の上」が0.2%減り、「中の中」が0.1%減り、「中の下」が1.4%減っている。

 300万円以下の世帯と中流の上中下それぞれの世帯がどのくらいか、平成24年1月1日から12月31日までの1年間の所得を調べた、《平成25年度調査 国民生活基礎調査の概況 各種世帯の所得等の状況》厚労省)の世帯別の「所得の分布状況」から当てはめてみる。

 300万円以下の世帯が32.7%(うち100万円以下が6.2%)と、全世帯の3分の1強を占める。

 「中流の下」300万円~500万円未満が24.2%
 「中流の中」500万円以上~1,000万円未満が31.8%
 「中流の上」1,000万円以上~5,000万円未満が8.5%

 合計で全世帯の64.5%を占める。

 5000万円以上の富裕層が残る2.8%。

 《平成24年度調査 国民生活基礎調査の概況 各種世帯の所得等の状況》厚労省)は300万円以下の世帯が32.3%(うち100万円以下が6.9%)となっている。   
 
 100万円以下の世帯が6.9%から6.2%に僅かに減っているものの、300万円以下世帯が32.3%から32.7%へと逆に増加している。

 以上見てきたことを繰り返すと、日本の税・社会保障の再分配機能は、65歳以上の年金受給世代の世帯でしか機能しておらず、現役世代に於いては殆ど機能していない現実、安倍晋三は「子どもたちの誰もが家庭の経済事情に左右されずに希望通りの教育を受けられるようにしてまいります」と言ってはいるが、既に経済格差が教育格差となっている頑固に膠着化した相互反映状況、岡田代表が「年収200万円以下の人は1120万人で、全体の4分の1を占めている」貧困状況、中流から外れた300万円以下の世帯が依然として全世帯の3分の1強を占めていること、さらに例え給与が僅かながら上がっているとしても、非正規雇用が年々増加していること、上記「PRESIDENT Online」も触れているが、年収の低さと未婚率の相関関係が統計として現れていることは非正規雇用と無関係ではない事実、男性の場合年収が300万円以上あれば、結婚率が30%程度になるが、300万円未満の場合は結婚率が一桁台まで大きく減少するという状況等々まで併せ考えていくと、一見すると、格差が目に見えて拡大しているようには見えないものの、現状の格差自体が既に拡大化していて許容できない危機的な飽和状態にあるということではないだろうか。

 だから安倍晋三は、「なお格差の状況について引き続き検証してまいります」と、最後の最後になってまでゴマカシた。本会議で検証した結果を用意したのではゴマカシが効かなくなるから、自分に都合のいい統計を並べだけで終わらせたというわけである。

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曽野綾子の産経コラム「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる」の人種融合思想は偽りの言葉

2015-02-16 08:43:36 | 政治


 南アフリカ大使が2月11日(2015年)の産経新聞に載せた曽野綾子のコラムが人種隔離政策のアパルトヘイトを許容するものだとして産経新聞に文書で抗議したとマスコミが伝えていた。

 かつて教育再生実行会議委員を務め、「学校教育の場では日の丸を掲揚し、君が代をきちんと歌わせるべし」と主張し、教育についての議論・提言も多い、教育家としての一面を備えた曾野綾子である。人種差別的な思想の持ち主ということになったなら、マズイじゃないか。

 どんなコラムなのかネット上を探し、やっと見つけ、そこから拝借することにした。



 《産経新聞『曽野綾子の透明な歳月の光 労働力不足と移民』全文》 テレビ大菩薩峠/2015年02月15日)から拝借した。 

《透明な歳月の光》 「労働力不足と移民 適度な距離」保ち受け入れを」〉曾野綾子/産経新聞2015年2月11日)

 最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めなければならないという立場に追い込まれている。

 特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。

 どの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでいいのだ。

 「おばあちゃん、これ食べるか?」

 という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。

 しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。

 ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。

 もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。

 南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活はまもなく破綻した。

 黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションにどんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである

 住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、一戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。

 間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。

 爾来、私は言っている。

「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」



 移民とは自由意思に基づき平和的に生活の場を外国に移し定住する人のことであるとネットで解説されているが、定住年数やその他の条件によって国籍取得も可能となる自由を保障されている。

 ところが曽野綾子が言っている労働移民は移民としての法的身分を厳重に守らせる制度の必要性と彼ら移民を日本人とは隔離した専用の居住区に人種別に住まわせる必要性を訴えているところを見ると、移民と言うよりも、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーン等の中東諸国がフィリピンやバングラデシュ、インド、パキスタン、スリランカ等から受け入れている出稼ぎ労働者を念頭に置いてこのコラムを書いたようだ。

 そもそもからして入国を認められて以降の定住地の選択は個人の自由意志に基づく決定事項だが、専用居住区への定住は法(=国家権力)の意志に基づく決定事項となって、移民の条件から外れることになる。

 どう見ても労働移民ではなく、出稼ぎ労働者の受け入れを考えてのコラムとしか見えない。

 だが、例え出稼ぎ労働者受け入れであっても、日本人という人種から隔離し、その上、「白人、アジア人、黒人というふうに」出稼ぎ労働者の人種別にそれぞれの専用居住区を決めてお互いを隔離するという思想は人種別のゲットーを決めて、例え夜間や休日のみであっても、そこに閉じ込めることを意味して、人種隔離政策(アパルトヘイト)の性格を持つことになる。

 南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)が白人優越主義の決定的な表現であったように曽野綾子の人種隔離思想は明らかに日本人優越主義を色濃く漂わせることになる。

 自己民族優越主義はまた自己人格肯定と他者人格否定を構造とする。自己民族を絶対者に位置づけているということである。

 南アフリカの白人が自己を絶対者に位置づけていなければ、居住区を白人から隔離して黒人を専用居住区に閉じ込めたり、白人専用のバスと黒人専用のバスを決めたり、白人専用の学校と黒人専用の学校に分けて、共に生活することも共に学び合うことも禁止することはなかったろう。
 
 人口減少で人手不足が顕著になっている。特に安い賃金で過酷な労働現場となっている介護の分野の人手不足は大きな問題となっている。「衛生上の専門的な知識」や堪能な日本語能力など求めずに簡単な日本語が話せさえしたら、「日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和」すべきだ、だが、居住区は日本人と隔離しなければならないと言っていることは相手の人格を考えない、自分たちの人格だけを満足させて日本人を絶対者に置く優越主義からの発想そのものであろう。

 だが、一転して「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる」と言って、日本人の人格と外国人の人格を平等と見做して、日本人を絶対者に置いてはいない。そして続いて、「しかし居住だけは別にした方がいい」と言って、居住に限った自己人格肯定と他者人格否定だとしている。

 ここにこそ最悪の問題点が存在する。 

 居住区に限った日本人からの隔離であるとしたとしても、日本人から隔離され、その上人種別に小分けされて隔離されたそれぞれの外国人が果して心の底から日本人に信頼を寄せて「事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる」人種融合を行動として示すことが果してできるだろうか。

 隔離そのものが日本人の絶対化と外国人の人格否定を発想としているのである。信頼は相互に人格を認め合うことによって成り立つ。人格の対等性を基盤としない信頼など存在し得ない。

 特に人種融合の信頼は厳格な人格の対等性を必要とする。

 その対等性を認めない出稼ぎ労働者の受け入れでありながら、「一緒にやれる」はずもないことを「一緒にやれる」と矛盾したことを言う。

 曽野綾子の最後の言葉の矛盾はコラム全体が日本人を絶対者に位置づけた日本人の人格肯定と外国人の人格否定を趣旨としていることからも、「居住だけは別にした方がいい」とする主張を正当化するために持ち出した方便――「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる」の偽りの言葉に過ぎない。

 このことの証明に戦時中の朝鮮人強制連行労働を挙げることができる。特に炭鉱に強制連行された朝鮮人は平均労働時間が1日12時間を超える過酷な労働と、日本人の半分程度の賃金、強制貯金と労務係のピンハネ、居住は狭いタコ部屋に多人数が閉じ込められ、まずくて少ない食事で高い死亡率にあったというが、彼らは果たして人格の対等性がないままに日本人に信頼を寄せるという倒錯を無視してまで日本人を信頼して炭鉱労働に従事できただろうか。

 日本人は常に絶対者として強制連行の朝鮮人労働者に君臨していた。だから、虫けらのように扱うことができた。

 悲しいことに曽野綾子は有識者として教育問題に多く関わりながら、自身の外国人出稼ぎ労働者受け入れの思想が彼ら外国人の人格を否定し、日本人の人格肯定一辺倒の、日本人を絶対者に位置づけた日本人優越主義を内面に抱えていることに気づいていない。

 にも関わらず、平気で「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる」と人種融合を言う。その無恥・鉄面皮は素晴らしい。

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安倍晋三の2月14日の岩手県・宮城県視察は陽の当たる場所へのピクニックさながらに訪問先を選んだ

2015-02-15 06:59:40 | 政治

 
 安倍晋三様々のお通りだとばかりに昨日2月14日(2015年)、岩手県と宮城県を視察した。

 昨日のツイッターに次のように投稿した。

 〈復興が軌道に乗った陽の当たる場所にだけ出かけていって、自分の成果のように誇り、マスコミに目を向けさせて、復興全体が軌道に乗っているかの如くに国民に印象づけの(情報)操作をする。〉

 「情報」という言葉を丸括弧にしてあるのは、今朝付け加えたから。

 上記言葉が如何にそうであるか証明しなければならない。

 先ずは岩手県を視察後、宮城県に入り、視察を終えてからの記者会見での発言を「首相官邸HP」から採録する。文飾は当方。

 安倍晋三「22年ぶりに大船渡市、そして、気仙沼市を訪問しました。

 そして、発災前よりも生産性、効率性を向上させた水産加工業者の方にもお目にかかり、日本では最も高い水準の衛生管理設備を整えた魚市場を視察しました。

 また、新たにニット事業を立ち上げた女性の皆さんともお話をさせていただきまして、復興の担い手として頑張っている皆さんの活力を感じ取ることができました。

 そしてまた、気仙沼においては初めての災害公営住宅を視察をさせていただき、住民の皆さんのお話を伺いました。復興もいよいよ新たなステージに移りつつあるということを実感することができました。

 その中において、我々政府としても、見守りや心のケアに対して、しっかりと予算面において、あるいは税制面において、金融面において、そうした支援に力を入れていきたい。

 改めて、安倍内閣においては全員が復興担当大臣であるという意識を持って、取り組んでいくように指示をしていきたいと思います。

 また、国連世界防災会議が3月に開催されます。日本が震災の経験を活かした知見、減災、防災に対する考え方を発信し直していきたいと思っていますし、そしてまた、復興状況も世界に示していきたい。さらには、被災地の復興に資する会議としていきたいと思っています」(以上)

 水産加工業者にしても、ニット事業者にしても、災害公営住宅入居者にしても、言ってみれば再建の軌道に乗った成功者の部類に入る。このような成功者が6割7割と占めるなら、「復興もいよいよ新たなステージに移りつつある」と確実に言うことができる。

 だが、そうはなっていないのは今以て視察しなければならないことと、再建の軌道に乗った視察事業を選ばなければならないこと、そして災害公営住宅に入ることができずに仮設住宅とその類似住宅に取り残されている被災者が災害公営住宅入居者よりも遥かに多いことが何よりも証明している。

 災害公営住宅建設の進捗率について宮城県は纏めたデータを見つける事ができなかったから、岩手県のデータを用いる。

 《災害公営住宅の進捗率について》(岩手県 平成27年1月末) 

県・市町村整備  建設予定戸数5,933戸数  工事中2,415戸数  完成1,049戸数  進捗率17.7%
県整備      建設予定戸数2,872戸数  工事中1,615戸数  完成 363戸数  進捗率12.6%
市町村整備    建設予定戸数3,061戸数  工事中 800戸数   完成 686戸数  進捗率22.4%

 見て分かるとおりに、まだ工事にかかっていない場所が相当に残っている。

 岩手県の災害公営住宅家賃を一部紹介する。

 月収入が0円の場合 1DKで5,100円 

 月収入104,001円~123,000円で1DKが19,100円、2DKが23,600円 3DKが27,000円

 月収が0円でも、5,100円取る。低年金の高齢者にとっては辛い金額に違いない。

 2015年1月30日復興庁発表の《全国の避難者等の数》を見てみる。 

 2015/1/15現在の避難・転居者数 22万9897人(前回より3,615人減)

 前回より3,615人減ったと言っても、未だに 22万9897人が避難・転居している。岩手県の災害復興住宅完成進捗率の一例から見ても、災害復興住宅入居者が成功者の部類に入っているとすることはできるはずである。

 避難・転居者数の内訳を見てみる。

 〈<内訳>
 住宅等(公営、仮設、民間賃貸等) 213,098人
 親族・知人宅等 16,296人*
 病院等 503人

 *復興庁注「福島県の”親族・知人宅等”には親戚・知人宅のほか、施設・病院、県の借上げでない住宅、社宅等への避難者数が含まれている。」〉――

 ここにある「公営」とは災害復興住宅のことでは勿論なく、元々からある県市町村営住宅のことである。

 如何に安倍晋三が陽の当たる場所に出かけて、さも復興が進んでいるかのように振る舞ったことは明らかであろう。

 安倍晋三は、(「復興もいよいよ新たなステージに移りつつある」「中において、我々政府としても、見守りや心のケアに対して、しっかりと予算面において、あるいは税制面において、金融面において、そうした支援に力を入れていきたい」と言っている。

 この「見守りと心のケア」は災害復興住宅入居者に向けていった言葉で、仮設住宅等に取り残されている被災者向けの言葉ではない。

 災害公営住宅入居と言う陽の当たる場所を迎えてはいると言っても、震災前とは激変の環境に置かれているだろうから、勿論「見守りや心のケア」は欠かすことはできない。肉親を失って、心の空虚と戦っている入居者も数多く存在するに違いない。

 だが、それは今以て仮設住宅等で避難している被災者についても言えることで、そのような被災者にはなおのこと「見守りや心のケア」は欠かすことはできない。

 安倍晋三は東日本大震災3年目を迎えるに当って、その前日の2014年3月10日に首相官邸で記者会見している。

 安倍晋三「インフラや住宅の復興が幾ら進んでも、被災者が心に受けた傷が癒されるわけではありません。震災から3年、長期にわたる避難生活が大きな精神的な負担ともなっています。人と人のつながりを守り、被災者が孤立することのないよう、地域の見守り体制をつくります。仮設住宅への保健師などの定期巡回を進め、被災者の心に寄り添った支援に重点を置いてまいります。

 特に子供たちへのケアは欠かせません。従来から、カウンセラーの学校への派遣を行ってきましたが、仮設住宅への巡回訪問も実施することとし、子育て世帯も含めてバックアップしてまいります。さらに、仮設住宅の空き部屋を遊び場や、学習スペースとすることで、子供たちが安心して過ごせる場所をつくってまいります。これからは、ハード面の復興のみならず、心の復興に一層力を入れていきます」――

 「見守りと心のケア」は本来自治体の問題であり、地域の問題であるはずである。にも関わらず、国のトップが2013年3月10日に被災者に対する「見守りと心のケア」を言い、2年近く経過した2015年2月14日になお「見守りと心のケア」を言わなければならない。

 如何に機能していないか、様々な問題点を抱えているかを物語って余りある。

 その一例としてネット上で見つけたのだが、青森県八戸市が今年3月8日の「被災者のメンタルヘルス講演会」の開催を市のHPで知らせている。

 〈震災直後から現在まで、被害の大きかった岩手県沿岸地域に出向き、多くの被災者の「思い」を傾聴された方からお話をうかがい、地域全体で取り組むこころのケアのあり方について、皆さんで一緒に考えてみませんか。〉云々と書いている。

 現在もなお「心のケア」について考えなければならない問題点が存在する。

 このことは安倍晋三の「安倍内閣においては全員が復興担当大臣であるという意識を持って、取り組んでいくように指示をしていきたいと思います」という言葉をウソにする。

 2014年9月3日の第2次安倍改造内閣で「閣僚全員が復興担当」という意識を共有し、スピード感を持って取り組む方針を確認し、9月16日の改造内閣発足後初の復興推進会議でも安倍晋三は「全員が復興大臣であるとの意識を共有し、全力で尽くすよう」指示を出している。

 何度同じ指示を出せば、気が済むのだろう。何度も同じ指示を出さなければならないところに「見守りと心のケア」についても、さらに復興全体についても進捗がないことを証明して余りある。

 そう、安倍晋三は陽の当たる場所を選んで視察し、取り残された被災者を他処にさも復興が全体的に進んでいて、「新たなステージに移りつつある」かのように国民向けの情報操作を行ったに過ぎない。

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安倍晋三が望む日本の軍事的プレゼンスの世界的関与は非常に危険な要素を孕んでいる

2015-02-14 09:16:38 | Weblog


 ――グレーゾーン事態はブラックゾーン事態への変身を限りなく抱え込んだ安保法制である――

 安全保障法制整備の与党協議〈座長高村自民党副総裁)を控えて自民党メンバーが会談、グレーゾーン事態の際の防護対象にアメリカ軍に加えて防衛協力を進めているオーストラリア軍も加える必要性で認識を一致させたと「NHK NEWS WEB」が2月12日付で伝えていた。

 この必要の認識は自民党の総裁は安倍晋三だから、安倍晋三の必要性の認識と見なければならない。

 まあ、手を広げるということである。手を広げていって、自衛隊の日常的活動とする狙いがあるのかもしれない。

 こうして日本の軍事的影響力を世界に広めていき、日本のプレゼンスを高めていく。安倍晋三の最終目的はここにあるようだ。軍事的にも「世界の真ん中で輝く」日本にしようという魂胆なのだろう。

 この認識で2月13日からの与党協議に臨んで、反対意向の強い公明党を説得しようということらしい。

 但し公明党は最初は反対の姿勢を示すが、最後には議会勢力を反映した自民党案有利な妥協に持っていくことを常套手段としている。

 どうも「グレーゾーン事態」の意味が理解し難い。「Hatena Keyword」によると、「グレーゾーン事態」とは〈安全保障分野において、武力行使はされてはいないものの、国の主権が脅かされかねないと判断される事態を指す語。戦時でも平時でもない緊急時を指す。2014年、現行法に則っていては十分な対応が取れないとし、グレーゾーン事態を想定した制度再編の検討を本格的に開始。
 グレーゾーン事態に該当する具体的なケースとして、「武装している可能性のある集団が離島を不法占拠した」場合が挙げられている。〉とある。

 〈武力行使はされてはいないものの、国の主権が脅かされかねないと判断される事態を指す〉。その具体的ケースとして「武装している可能性のある集団が離島を不法占拠した」場合だとしている。

 確かに主権侵害の例とすることはできる。だが、離島不法占拠武装集団の排除には海上保安庁では手に余るから言って武装した自衛隊部隊を派遣した場合、武力行使抜きで排除できるというのだろうか。

 多人数の自衛隊に包囲されてたちまち戦意喪失して投降してくれればいいが、常に無条件で投降するとは限らない。逆に不法占拠ではなく正当な占拠だと、その正当性を衝撃性を持たせて世界に広く知らしめ、記憶させるために玉砕を覚悟で危険な反撃を試みる危険性も考えなければならない。

 そうなれば、自衛隊側からも少なくない犠牲者が出ることも想定しなければならない。

 いわば「武力行使はされてはいない」という状況の継続性はたちまち失い、双方共に“武力行使する”状況へと転換することになる。

 このような転換の確率が例え低かったとしても、その可能性が排除できない以上、安全保障上の危機管理から言って、「グレーゾーン事態」という想定そのものが妥当性を失うことになる。

 他国艦船防護について言うと、防護は攻撃の危険性がある場合にのみ防護を必要とするはずである。いわば防護は攻撃の危険性を前提とする。

 閣僚はSPの防護対象となり得るが、一般議員がなり得ないのは特別な例を除いて攻撃の危険性を低いか、ゼロと見ているからであって、このことと同じである。

 だが、他国艦船防護を武力行使はされてはいないものの、国の主権が脅かされかねないと判断される「グレーゾーン事態」の事項に入れようと目論んでいる。

 ここにある矛盾をどう解消しようとしているのだろうか。矛盾があることさえ、認めていないのだろうか。

 両国艦船が日本の領海内を航行中、攻撃を受けた場合、日本の領海と他国艦船に対して守らなければならない安全な航行に他国の不法な干渉を受けたことになって日本の主権侵害に当たるが、武力行使を受けたのだから、「武力行使はされてはいない」状況には当たらない。もしこの艦船の防護に自衛隊が当たるとしたら、紛れもなく集団的自衛権の行使となる。

 但し集団的自衛権の行使要件の重要な一つとした国家存立と国民生存存立の権利が根底から覆される明白な危険に迫られた事態に当たるとは言えない。

 矛盾は更に広がる。

 大体が軍隊は衝突(軍隊とデモ隊が衝突して、デモ隊が武器を使用していないにも関わらず、軍隊が武器を使用するというケースもあるが〉に始まって紛争や戦争という形で双方共に“武力行使する”状況に備えて存在する。 

 この存在理由からして、最初は武器使用はなくても最終的には武器使用に至る確率の高い「グレーゾーン事態」の想定は軍隊が存在した当初から一つのケースとして軍事活動の中に含まれているはずもので、わざわざ持ち出すまでもない。

 武装集団が離島を不法占拠した場合は、不法占拠自体が主権侵害に当たるのだから、「グレーゾーン事態」を持ち出さずに自衛隊が個別的自衛権に基づいて出動し、例え武力行使はされようがされまいが武装集団自体を排除して主権回復に務めなければならない。

 だが、わざわざ「グレーゾーン事態」を想定して、そこに自衛隊活動を様々にはめ込もうとしている。最初は離島防衛を想定していながら、それを手始めに自衛隊活動を他国軍隊と関り合いを持たせようと意図している。

 日本の軍事的プレゼンスの広範囲化が行われることになる。

 繰返しになるが、自衛隊活動の広範囲化と他国艦船防護を手始めとした日本の軍事的プレゼンスの世界的関与の印象しか浮かんでこない。

 だからこそ、自衛隊の活動範囲を地理的条件を外して、地球の裏側までを望んでいる。自衛隊と共に日の丸の旗を世界中になびかせようということなのだろう。

 その反動としてのテロの攻撃も想定しなければならない。テロ攻撃の危険率が高まるということであり、そのことを覚悟しなければならない。

 どう転んだとしても、グレーゾーン事態はブラックゾーン事態への変身を限りなく抱えることになる安保法制と言うことになる。

 果たしてそこまですることが必要なのだろうか。国家主義者・軍国主義者ならではの発想を見る思いがする。

 非常に危険な要素を孕んだ安倍晋三が考えている日本の軍事的プレゼンスの世界的関与に見える。

 安倍晋三の「戦後70年の間に日本は自由で、そして民主的で、人権を守り、法の支配を尊重する国を創り、平和国家としての歩みを進めてきた」とする言葉をウソにする。

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安倍晋三の「日本を取り戻す」とは第189回国会施政方針演説で戦前迄の軍国日本のことだと間接白状した

2015-02-13 07:34:22 | 政治


 昨日2月12日(2015年)、安倍晋三が衆議院本会議で施政方針演説を行った。冒頭、2邦人殺害事件に触れて2人に対して哀悼の意を述べ、例の如くに常套句となっている「日本がテロに屈することは決してありません」を繰り返した。

 但し「国内外の日本人の安全確保に、万全を期してまいります」とは言うものの、アルジェリア人質・日本人10人犠牲事件でもそうだったが、こういったケースに迫られた場合の邦人保護はどういう対策で応じるかの説明が一切ない。これまでもなかったし、多分、今後もないだろう。今まで通りに政府は解放に全力を尽くしていると言葉で言い、そういった姿勢を見せるだけで終わるに違いない。

 本題に入っていきなり 「日本を取り戻す」と、静かな声ではあったが、確信に満ちた断言口調で宣言した。

 アベノミクスによって取り戻すのは日本の経済であって、日本の全体的な国力・地位を取り戻すのはその国家主義や歴史認識等を基盤とした安倍政治全般に亘る力によってであるのは断るまでもない。

 続いて総選挙に勝利して民意を得たこと、取り組む政策を述べた後、

 安倍晋三「明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。

 『日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない。』

 明治の日本人に出来て、今の日本人に出来ない訳はありません。今こそ、国民と共に、この道を、前に向かって、再び歩み出す時です。皆さん、『戦後以来の大改革』に、力強く踏み出そうではありませんか」・・・・・

 安倍晋三が言う「日本を取り戻す」とは明治から戦前迄の日本を取り戻すことだと間接的に白状したのである。いわば安倍晋三は「明治の日本人に出来て、今の日本人に出来ない訳はありません」からと、明治から戦前迄の日本を自らの国造りのモデルに据えようとしている。

 日本が日露戦争(1904年(明治37年)2月8日~1905年(明治38年))の勝利による朝鮮半島と満州の権益確保や日韓併合植民地化(1910年(明治43年)8月29日)等によって国際的な発言力をつけていったのは、明治に入ってからその備えはしていただろうが、実際には明治末期のことで、その後の中国領土一部侵奪の1932年(昭和7年)から1945年(昭和20年)までの植民地満州国経営、さらに中国侵略後の1937年(昭和12年)からの日中戦争によってさらに国際的な発言力を高めていった。

 いわば明治末期から始まって大正・戦前昭和に向かって進行させていったアジア大陸への進出・侵略が日本の国際的地歩を確固とする原動力となっていったのであり、その集大成は戦前昭和に凝縮されていた。

 と言うことは、岩倉具視が言う「世界で活躍する国」は明治時代のみで成り立ったわけではなく、特に戦前昭和を舞台として成り立たせていた。しかも戦争や侵略を手段として。

 当然、岩倉具視が描いた言葉の実現は正確には戦争と侵略で「世界で活躍する国になった」としなければならない。

 その他に日本に国際的発言力を確保できる手段があったと言うのだろうか。

 元々資源があるわけではない資源小国であり、そのために資源を求めて中国に侵略したのであり、南方の国々を次の侵略の標的としたのだが、戦前の日本は石油、鉄類、機械類等を70%近くから70%以上を特にアメリカからの輸入に依存していた。

 1936年~1937年の個人消費額は日本98ドル、アメリカ473ドルという統計もあり、1940年の実質国内総生産(GDP)は日本2017億6600万ドル、アメリカ4.6倍の9308億2800万ドル、総合的国力は約20倍の格差があったと言われている。

 また明治維新後の日本の主要輸出品は生糸、茶、米、水産物、石炭等の1次産品であり、その1位の座を占めていた生糸が機械設備や軍艦などを購入する外貨獲得の主力になっていたと言う。

 戦争と侵略以外に日本の国際的発言力の有力な後ろ盾を見い出すことはできない。まさに戦争と侵略を手段として世界で活躍したのである。

 安倍晋三は明治の初期に活躍し、明治16年に57歳で没した岩倉具視の「日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない」という言葉を紹介することで、世界で活躍するために、安倍晋三自身の言葉を借りると、「世界の真ん中で輝く」ために取り戻す「日本」のモデルを、間接的な物言いながら、明治から戦前昭和迄の軍国日本としたのである。

 戦前日本が戦争と侵略を背景に国際的地位を獲得したということは本人は考えもせず、またそうした認識は元々ないままに件(くだん)の発言をしたのだろうが、軍事力でも国際的地位を高めたいと欲していて、その手始めが集団的自衛権の一内閣の憲法解釈による行使容認に置いている国家主義者であり、右翼の軍国主義者でもあるのだから、戦争と侵略を可能とした戦前の日本の世界に冠たる軍事力を意識下に置いた岩倉具視の「世界で活躍する国」という言葉と見なければならない。

 安倍晋三の「日本を取り戻す」の「日本」は否応もなしに明治から戦前昭和までの軍国日本が浮かび上がってくる。

 当然、「日本は変えられる」の項目で述べた「憲法改正に向けた国民的な議論を深めていこうではありませんか」にしても、戦前の大日本帝国を理想の国家像に据え、民主主義の装いを纏わせた日本の憲法の改正を目指していることになる。

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安倍晋三の新ODA「開発協力大綱」は自国国益確保を目的とする積極的平和外交という倒錯精神が基本

2015-02-12 10:03:26 | 政治


 ――安倍晋三には世界の平和構築の名を借りた開発援助で日本の軍事的影響力拡大の狙いもある――

 政府は60年続いた「0DA大綱」を改定して「開発協力大綱」を定め、2月10日(2015年)閣議決定した。

 「法の支配の確立」、「グッドガバナンスの実現」、「女性の権利を含む基本的人権の尊重」、「脆弱国家における人道的課題」、「質の高い成長」、「―人ひとりの権利の保障」、「政府と市民の信頼関係に基づく統治機能の回復」、「社会的弱者への配盧」、「―人ひとりが幸福と尊厳を持って生存する権利を追求する人間の安全保障」等々を社会・経済・政治的な脆弱国家や発展途上国に広める。

 各々の理念は素晴らしい。
 
 全体を包括する理念・目的を世界の「平和 ,繁栄 ,そして ,一人ひとりのより良き未来のために」と定めている。 

 〈平和で安定し,繁栄した国際社会の構築は,我が国の国益とますます分かちがたく結びつくようになってきており,我が国が,国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から,開発途上国を含む国際社会と協力して,世界が抱える課題の解決に取り組んでいくことは我が国の国益の確保にとって不可欠となっている。〉

 確かに「平和で安定し,繁栄した国際社会の構築は,我が国の国益とますます分かちがたく結びつく」こととなっている。だが、あくまでも結果として得る利益であるはずである。特に「積極的平和主義」とは無償のものでなければならない。国益、あるいは何らかの利益を目的とした「積極的平和主義」など存在するのだろうか。存在するとしたら、あまりも逆説的且つ倒錯的であり過ぎる。

 カネにするつもりで仲の悪い夫婦の仲直りに手を出すようなものである。

 だが、安倍政権は「我が国の国益の確保」を目的として世界の平和に貢献する「積極的平和主義」の推進を狙っている。どうも安倍晋三の「積極的平和主義」は有償のものであるらしい。

 次の言及も「国益の確保」を目的としている。 

 〈我が国は,国際社会の平和と安定及び繁栄の確保によりー層積極的に貢献することを目的として開発協力を推進する。こうした協力を通じて,我が国の平和と安全の維持,更なる繁栄の実現,安定性及び透明性が高く見通しがつきやすい国際環境の実現,普遍的価値に基づく国際秩序の維持・擁護といった国益の確保に貢猷する。 〉

 世界への貢献は自国国益を間接的なもの・従属的なものとしなければならないはずだが、国益確保を直接的且つ優先的な目的として位置づけている。

 いわば日本という存在を常に優先させている。例えば原発事故で大きな被害を受けた福島の復興は安倍晋三は「被災地の心に寄り添う」ことを一大テーマとしていたが、このことは被災地、あるいは被災住民の在り様の回復・復興を優先させることの宣言であったはずであって、だからこそ、「現場主義」という言葉も使った。

 復興の実現によって内閣の支持率を上げるといったことを優先目的としたわけでもなく、政府を従属的な立場に置いていたはずである。

 だが、世界への貢献はその逆を行って、日本の国益確保を優先的目的としている。そうしている以上、互恵的利他主義とは言えず、利己主義が露骨な色彩を取った世界貢献と見做さざるをえない。

 経済・軍事的に「世界の中心で輝く」大国日本を目指している安倍晋三にしたら、当然の優先的な自国国益確保欲求なのかもしれない。

 自国国益に目を向ける余り足元に目を注ぐ余裕はなかったようだ。

 《人間の安全保障の推進》と銘打って、〈個人の保護と能力強化により,恐怖と欠乏からの自由,そして,―人ひとりが幸福と尊厳を持って生存する権利を追求する人間の安全保障の考え方は,我が国の開発協力の根本にある指導理念である。この観点から,我が国の開発協力においては,人間一人ひとり,特に脆弱な立場に置かれやすい子ども,女性,障害者,高齢者,難民・国内避難民,少数民族・先住民族等に焦点を当て,その保護と能力強化を通じて,人間の安全保障の実現に向けた協力を行うとともに,相手国においてもこうした我が国の理念が理解され,浸透するように努め,国際社会における主流化を一層促進する。また,同じく人間中心のアプローチの観点から,女性の権利を含む基本的人権の促進に積極的に貢猷する。〉

 「人間一人ひとり,特に脆弱な立場に置かれやすい子ども,女性,障害者,高齢者,難民・国内避難民,少数民族・先住民族等」の「保護と能力強化」こそが日本の世界の「人間の安全保障の推進」に向けた「指導理念」だと謳っている。

 世界が受け入れやすい、どこの国も歓迎する理念であり、安倍晋三の「積極的平和主義」を最も象徴する援助項目であろう。自国国益確保などと言わずにここにこそ無償の「積極的平和主義」を向けなければならない。

 だが、足元の日本の子供の貧困率はOECDの平均を上回り、管理職女性比率アメリカ2011年43.7%に対して日本2012年世界で21位、11.1%の低さにある。障害者の社会参加率も低く、その差別も色濃く残っている。

 また2013年の難民認定申請者3260人に対して認定者はたったの6人(うち3人は異議申立手続における認定者)、難民とは認定しなかったものの人道的な配慮が必要なものとして在留を認めた者は151人に過ぎない主要先進国中最大の難民拒否国となっている。

 「少数民族・先住民族」に対する「保護と能力強化」は社会的政策とはなり得ず、差別が残り、貧困も無視できない状況でそれなりに広まっている。

 安倍晋三は国内の「人間の安全保障の推進」の欠陥を他処に世界に向けたそれに自国国益の確保を置き、それを「積極的平和主義」に基づいているとしている。

 自国国益確保を目的とする積極的平和外交という倒錯精神が自ずと招くことになっている矛盾に違いない。

 マスコミは「開発協力大綱」で、これまで原則禁じてきた他国の軍隊への支援を非軍事分野に限って解禁したことに対して軍事分野への転用の危険性を指摘して懸念を示している。
 
 《開発協力の適正性確保のための原則》として〈軍事的用途及び国際紛争助長への使用の回避〉を謳い、次のように規定している。

 〈開発協力の実施に当たっては,軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する。民生目的,災害救助等非軍事目的の開発協力に相手国の軍又は軍籍を有する者が関係する場合には,その実質的意義に着目し,個別具体的に検討する。〉――

 非軍事分野だと日本から援助を受けて、それをそのまま軍事分野の経費に回す転用もあり得るだろうが、軍が関係する非軍事分野の経費支出を日本の援助で補填して、この通り非軍事分野に支出しましたと証明し、支出せずに済んだ浮いた経費を兵器購入やその他の軍事分野の支出に回す転用の可能性は決して否定できない。

 例え非軍事分野に限られたとしても、外国の「軍又は軍籍を有する者」に援助することによって安倍日本は確実に軍事的影響力を高めていくことになる。その影響力を高めるためにも安倍晋三は積極的にこの手の援助を進めていくに違いない。

 全ては安倍晋三の「積極的平和主義」の名のもとに行われる。いわば世界に向けた軍事的影響力の強化も安倍晋三の「積極的平和主義」が狙っている目的でもあり、イコール日本の国益確保の目的としているということである。

 ここに胡散臭ささを感じないわけにはいかない。

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萩生田の「安倍談話は本人の専権事項」発言は有識者会議が安倍歴史認識追認装置に過ぎないことを意味する

2015-02-11 08:52:06 | 政治


 萩生田光一「(「安倍晋三戦後70年談話は)与党も野党も、事前検閲のように、いろいろな話が出ているが、それは、わたしはちょっと行き過ぎだと思っていまして。一語 一句、与党の皆さんの了解を取って出すという性格のものではないと思っています。やはり総理の、言うならば、専権事項としてやられたらよろしいと思います」(FNN/2015/02/10 04:40)

 2月9日夜、BSフジの「PRIME NEWS」に出演して、こう発言したそうだ。

 この記事の発言を補うために次の記事の発言も加えることにする。

 萩生田光一「与党には、ある程度、最終的な発表の前に了解いただくことになると思うが、与党協議は馴染まないと思う。安倍総理大臣は、既に戦後50年や60年の談話を踏襲すると公言しているので、良識に任せてもらいたい」(NHK NEWS WEB) 

 後者の発言は2月9日夜、記者団に話したものだという。テレビ局から出てきたところを捕まえたのだろうか。

 萩生田光一は何てたって安倍総裁特別補佐の重職にある。その上自民党筆頭副幹事長まで務めているだけあって、有権者の心に響く声を持っていらっしゃる。単に低音気味の重々しげな声の響きだけのことを言っているわけではない。声によって発せられる言葉の意味・内容まで含めてのことなのは断るまでもない。

 前者の記事では「談話は安倍晋三の専権事項だ」との萩生田の発言を紹介し、後者は「与党協議は馴染まない」の発言を紹介している。「専権事項」という言葉には協議を排除する意味が含まれるから、言葉は違っていても、同じ意味のことを言ったことになる。

 後者の記事は「与党協議は馴染まない」の発言は公明党から政府・与党で認識を共有した上で作成すべきだという意見が出ていることを念頭に踏まえた発言だと解説している。

 要するに萩生田はそうしたい、そうすべきだということなのだろう。

 但し問題が二つある。

 一つは与党協議を求める声を“事前検閲のような動き”だとしていることである。

 検閲とは特に国家権力がその権力維持に不都合な意見・表現(=権力批判)を排除し、権力維持に都合のいいように手直しさせる、あるいは権力維持に都合のいい意見・表現(権力肯定)のみを採用することを言う。

 ここには上から下への一方的な問答無用の強制力が働く。

 「協議」の「協」の字源は「衆人が心を合わせ、力を合わす」意だと漢字辞典に出ている。だから、心を表す立心偏となっている。「叶う」の意だそうだ。

 「議」は「意見を出して話し合う」ことを言う。「協議」には意見を出し合う点に於いて上も下もなく、双方向からの対等な力が働く。そのような力が働かなければ、正式な意味での「協議」とは言えない。特に民主主義の時代に於いてはどちらか一方の強制力は排除されなければならない。

 萩生田光一は安倍晋三の総裁特別補佐をしているだけあって、心を合わせて意見を出し合い、話し合おうと求めていることを“事前検閲のような動き”だと見做して、あるいは「安倍晋三の専権事項」だとして戦後70年談話に関わる意見・表現を排除しようとしている。

 要するに萩生田こそが安倍晋三の歴史認識に都合のいい肯定的な意見・表現は採用するが、不都合な否定的意見・表現は排除しようとする事前検閲意思の持ち主だということになる。

 さすが、安倍晋三と心を合わせているだけあって、不都合な情報の排除・抑圧はお得意のようだ。

 もう一つの問題。
 
 安倍晋三は今年2015年1月5日伊勢神宮に参拝し、参拝後年頭記者会見を行っている。

 安倍晋三「戦後70年の節目を迎えるに当たりまして、安倍政権として、先の大戦への反省、そして戦後の平和国家としての歩み、そして今後、日本としてアジア太平洋地域や世界のために、さらにどのような貢献を果たしていくのか。世界に発信できるようなものを、英知を結集して考え、新たな談話に書き込んでいく考えであります」

 1月28日参院本会議。民主党の柳田議員に対する答弁。

 安倍晋三「先の大戦への反省、戦後の平和国家としての歩み、今後、日本として、アジア太平洋地域や世界のために、さらにどのような貢献を果たしていくのか、世界に発信できるようなものを英知を結集して考え、新たな談話に書き込んでいく。具体的な内容は、今後、有識者のご意見を伺いながら政府として検討していく。安倍政権としては、村山談話をはじめ、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでおり、今後も引き継いでいく立場だ」(NHK NEWS WEB

 「有識者のご意見を伺いながら」と言っていることは、近々歴史学者などからなる有識者会議を設置して議論を本格化させるということだから、有識者会議を指す。

 安倍晋三が言っている「英知を結集する」、「有識者のご意見を伺う」は協議を意味する。決して批判的意見・表現を排除する検閲意思の介在を示しているわけではない。

 このことは萩生田光一の露骨な検閲意思に反する。だが、二人は特に歴史認識に関して心を通わせ合っている。萩生田の発言は「安倍晋三戦後70年談話」に関わるホンネが自ずと出たもので、そのホンネは「70年談話」に反映することになる安倍晋三の歴史認識を代弁していて初めて心の通い合わせを証明し得る。

 このことの証明のために何度でもブログに用いた安倍晋三の発言を再度利用することにする。

 2012年5月11日の産経新聞のインタビュー。

安倍晋三「自民党も下野してずいぶん歯がゆい思いをしてきたが、ムダではなかったと思ってるんですよ。

 例えば先日まとめた憲法改正草案は平成17年の新憲法草案よりはるかに良くなったでしょう。前文に『日本国は国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家』と記し、国防軍も明記した。やはり与党時代は現行憲法に縛られ、あらかじめ変な抑制を効かせちゃうんだな…。

 それにかつて自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない。これは大きいですよ」

 「河野談話」についてはより具体的に拒絶反応を示している。2012年の9月12日の自民党総裁選挙立候補演説。

 安倍晋三(「河野談話」が従軍慰安婦の強制性を認めていることについて)「孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」――

 萩生光一と安倍晋三が歴史認識で心を通わせ合っていると言うよりも、心を一つにしていると言うことができる。
 
 萩生田光一の口を通して言わしめた「安倍晋三70年談話」に関わる二人のホンネは安倍晋三が言っている「英知を結集する」にしても、「有識者のご意見を伺う」にしても、協議の体裁を取るように見せてはいるものの、あるいは検閲意思の不介在を示唆しているかのように見せているものの、安倍晋三がよく使う手だが、安倍晋三と歴史認識を似通わせた有識者で多数派を占める会議を開く形で実際は協議を排除し、検閲意思を介在させる情報操作に持っていって、安倍晋三の歴史認識を談話に表現させようとしていることにあるはずだ。

 いわば結果として萩生田光一の発言は有識者会議が安倍晋三の歴史認識を追認する装置に過ぎないことを炙り出していたと言うことができる。

 安倍晋三はこの手の権謀術数には生まれながらの才能なのか、母方の祖父岸信介の血を教えとして引き継いだのか、異常なまでに長けている。

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山本太郎2月6日参院「イスラム国」非難決議退席どこが悪い 結果よりも経緯を大切にしろと教えている

2015-02-10 07:52:47 | 政治


 「生活の党と山本太郎とそのなかまたち」の共同代表の山本太郎参議院議員が2月6日(2015年)の邦人人質事件に関する参院の非難決議採択の際、一人退席したことが一部で問題となって、批判も受けている。退席して、どこが悪いのだろうか。

 自らの考えに従った。批判するなら、退席したことではなく、その考えに向けるべきである。その考えのどの点が間違っているのか、よって、退席は好ましい態度とは言えないと結論づけるべきだろう。

 戦前の日本は戦争の国策に反対すること自体が「非国民だ」、「国賊」だと非難され、国民としての存在を否定された。非難を恐れ、殆どが国策に口を閉じ、国民としての存在を戦争の国策に積極的に協力することに置く翼賛体制化を国民自らも推し進めて、自由にモノも言えない社会にした。

 山本太郎は自らのサイトに退席の理由を書いている。《山本太郎はテロリスト?!》山本太郎オフィシャルサイト/2015-02-06 19:44:39)     

 全文はアクセスして読んで貰うとして、先ず政府対応の検証を求めている。その検証が先だということなのだろう。

 確かに「イスラム国」の今回の2邦人殺害には弁護の余地はない。非難されて当然のテロ行為である。だが、もし2邦人殺害に安倍政権の対応の何らかの不手際が手伝っていたとしたら、「イスラム国」を一方的に悪とする非難決議は逆に安倍政権の不手際を見えなくする役目を担うことになりかねない。

 安倍晋三の2人の殺害後の発言は、「テロに屈しない」「テロの気持を忖度しない」、「国際社会と手を携えてテロとの戦いに万全を期す」を決まり文句としていて、テロとの戦いを優先事項に割き、海外でテロ集団に拘束された場合の邦人を如何に救出するかはなおざりにされていた。

 要するに個々の人命には目を向けていなかった。

 この点からも安倍晋三が最初から身代金要求に応じない姿勢ていたことを見抜くことができる。

 野党にしても非難決議よりも政府対応の検証が先だとした方が検証に対する政府の態度に心理的な圧力をかけることができたかもしれない。

 山本太郎は退席の理由にイラク戦争の総括を求めて叶わなかったことを挙げている。

 アメリカがイラクの大量破壊兵器の存在を大義として2003年にイラク戦争を起こし、日本はいち早くアメリカの行動を支持した。だが、大量破壊兵器は存在しなかった。結果としたことは「人々の主権を奪い、国を破壊した」。

 そして「シーア派による、スンニ派への民族浄化にも近い、虐殺が日常的に行われていた。その中から、生まれた存在が、ISだったと聞きます」と言って、「イスラム国」をこの世界に出現させたそもそもの原因を結果として大義のなかったアメリカのイラク戦争に置き、先ずはそのことを検証すべきだと主張している。

 だが、この論理はイラクはサダム・フセインの独裁体制のままでよかった、そっとしておけばよかったと言っているに等しい。国内の治安維持が少数派スンニ派による多数派シーア派に対する人権の抑圧を手段にフセイン権力への恐怖心を植えつけ、従順さを要求する独裁的手法に頼ったものであっても、治安が維持されていさえすれば問題はないとしていることになる。

 確かにこういった治安維持は生物学的には人命は守ることができるが、精神的に人間らしい命の在り様は抑圧され、守ることはできない。

 大量破壊兵器は存在しなかったものの、アメリカはイラクをサダム・フセイン独裁体制から解放した。後の国造りはイラク人自身が責任を負い、イラク人自身の手による。その成果が現在の混乱であり、「イスラム国」の世界への出現である。

 その原因をつくったのは独裁体制から解放された多数派のシーア派が多数派のままに自らを最優先に重視し、内閣・国会議員・軍・警察・官僚等国家経営に携わる組織の上層をほぼシーア派で占めた。いわばかつての支配層であったスンニ派は冷遇されることになり、国民和解とは正反対の宗派闘争に明け暮れた先鋭な対立構造をつくり出すことになった。

 アメリカの度重なる国民和解の警告にも関わらず、マリキ政権はそれを改めることができなかった。その結果、冷遇されたスンニ派のうち、一部が過激派集団に走って、「イスラム国」を形造ることになった。

 国づくりをどうするかは自身の手に委ねられたイラク人たちの自らの選択の結末であろう。

 全てはイラク人自身の問題である。サダム・フセイン独裁体制を出現させ、30年近くも恐怖独裁体制でイラクを支配させたのもイラク人自身の問題である。

 戦前日本で軍部独裁を許したのも日本人自身に受入れる土壌があった日本人自身の問題であって、今日、歴史修正主義者・右翼の国家主義者安倍晋三を首相に頂いているのも日本人自身の問題以外の何ものでもない。

 その他にも「日本の国会議員が揃って出す決議の内容を意訳されてしまわない様に、一言一句、こちらの意図通りの翻訳で、決議内容を英訳する必要性を提案」 したものの、受け入れられなかったから、退席の理由の一つとしているが、山本太郎の退席の考えがどうであれ、その考えには結果に至るまでの経緯を大切にすべきで、結果だけに目を奪われて経緯を忘れることの警告を見ることができる。

 要するに山本太郎には非難決議に賛成を1票を投じることは結果としての「イスラム国」を悪者視するのみで、経緯に注意を払わないままに全体に合わせるといった翼賛体制的な従属性を演じることになるように見えたのではないだろうか。

 所詮、非難決議は単に一致の姿勢を見せるための形式・儀式の類いに過ぎない。「イスラム国」にとっては痛くも痒くもない、耳に届くか届かないかの騒音に過ぎないはずだ。

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安倍晋三の中東スピーチは身代金要求拒否姿勢の決意表明であり、以後の発言はこのことの自己正当化の強弁

2015-02-09 09:12:31 | 政治


 2015年1月20日、湯川さん及び後藤さんの拘束と身代金要求の映像がネット上に公開された。

 岸田外相は2月2日参院予算委で細野豪志民主党議員に対して「(今年)1月20日(はつか)湯川さん及び後藤さんの映像が公開されるということになりまして、その時点でISIL(アイシル)関係者の犯行による可能性が高いということを把握しました」と答弁している。

 いわばそれ以前は「何者によって拘束されたのか、これについては十分に情報を得ていなかった」としている。

 後藤さんの拘束を外務省が把握したのは昨年11月1日である。 

 後藤さんの妻に犯行グループからメールがあり、そこに身代金要求が記されていたとマスコミが伝えている点については、岸田は「メールで犯人側から何らかの要求があったかは後藤さんの奥様に対する様々なメッセージがあったわけだから、政府としては明らかにするのは控えさせて頂きたい」と、いわばプライバシーに関するという理由で身代金要求があったかなかったについては答弁を避けている。
 
 安倍晋三や岸田が言っていることが事実なのかそうでないのか、細かいことに気になる杉下右京の頭脳明晰には遥かに届かないが、明らかにしないことには落ち着かないものだから、より確実な事実を知りたいとネット上を調べてみて、次の記事に突き当たった。昨年「2014年8月18日」の記事である。見逃していたのか、触れていたが、忘れてしまっていたのかは定かではない。全文を参考引用してみる。文飾は当方。


 《シリアで日本人拘束か 「イスラム国」関与の可能性》asahi.com/2014年8月18日01時36分  

 ドバイ=渡辺淳基
 外務省は17日、内戦が続くシリア北部で日本人とみられる人物が過激派「イスラム国」に拘束された可能性があるとみて、現地対策本部を設置し、確認を急いでいることを明らかにした。

 隣国ヨルダンで業務中の在シリア日本大使館によると、16日にインターネットなどを通じて日本人が拘束されたとの情報を入手し、アンマンに対策本部を設置した。身元や事実関係は調査中だという。

 インターネットの動画サイト「ユーチューブ」で公開された「日本人への尋問」とされる動画では、頭から流血した男性が尋問に対し「ハルナ・ユカワ」と名乗り、「日本から来たカメラマン」などと答えている様子が撮影されている。

 外務省はシリア全土を対象に「退避勧告」を出していた。(ドバイ=渡辺淳基)

 要するに外務省が8月16日にインターネットなどを通じて日本人が拘束されたとの情報を入手したのはネット上に公開された湯川さん尋問の動画がキッカケであった。しかも犯行グループが「イスラム国」の可能性と見ていた。

 動画が現在も残っているか、「ユーチューブ」を探してみた。いくつか残っている。《ノーカット】湯川遥菜氏尋問映像 》がその一つである。明らかに湯川さんと見られる男性が拷問紛いの尋問を受けている。  

 後藤さんが湯川さん救出を目的として昨年の10月23日に「イスラム国」が首都だと宣言しているシリアのラッカに入ったことを直前まで同行していたシリア人ガイドが証言している。ラッカ入りは湯川さん尋問動画を根拠としていなければならない。

 外務省は後藤さんのラッカ入りに対して3回渡航自粛要請を行っている。1回は職員が直接会い、残り2回は電話で行ったと「産経ニュース」が伝えている。   

 これは後藤さんのシリアへの渡航申請を出したことを受けた措置で、後藤さんからシリア入りのより詳しい目的と具体的な目的地を聞き出さずに渡航自粛要請を行ったということはあり得ない。このとき、10月23日というシリア入りの日付も聞き出していたはずだ。

 外務省は後藤さんが10月23日にシリア入りしてその8日後の11月1日に行方不明情報を把握した。その上、マスコミは昨年11月から後藤さんの妻は「イスラム国」から身代金要求のメールを受け取っていたと報じている。

 外務省は後藤さん行方不明情報把握の11月1日当日か、以後の早いうちに後藤さん解放の条件としての身代金要求を把握していた。

 当然、安倍晋三にしても岸田にしても把握していたことになる。

 外務省はヨルダンやトルコのみならず、アメリカとも情報交換を行ったはずだ。アメリカとは行っていなかったとしたら、日本の対米従属主義に反するし、情報収集のあり方に問題が生じる。

 アメリカは現在も自国民が「イスラム国」に拘束されているにも関わらず、2013年6月の北アイルランド開催主要8カ国首脳会議(G8サミット)で採択した「我々は、テロリストに対する身代金の支払を全面的に拒否する」とした首脳宣言を忠実に守り、テロリストに対する人質釈放の身代金支払いを国として拒否する姿勢を貫いている。

 安倍晋三がG8首脳宣言を無視することになるばかりか、アメリカの風下に立つことになる人質解放に身代金を支払うといったことをするのは天皇主義者として、国家主義者として「日本を世界の中心で輝かせる」とした経済的にも軍事的にもそう仕向けたい自らの日本の大国化願望が果たして許すだろうか。大国化願望は自身の自尊心に直結している。自尊心から言っても、アメリカのように毅然としていたいと思ったはずだ。

 アメリカに蔑まれたなら、大国化願望が傷つき、自尊心が損なわれることになる。

 安倍晋三はエジプト、イスラエル、ヨルダン、パレスチナ中東4カ国訪問のうち、最初の訪問国エジプトに1月16日に入り、翌1月17日に中東スピーチを行っている。身代金を支払うまいといった強い意志を持ってスピーチに臨んだ。

 その強い意志が、例えそれが人道支援であっても、「ISILと戦う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」と、「イスラム国」を名指しして、「ISILと戦う」ことを奨励することになる挑発的な文言となった。

 身代金を支払うまいといった強い意志がなければ、「イスラム国」を名指しすることも、「ISILと戦う」ことを奨励することもなかっろう。結果的に、前以て予測していなかったとしても「イスラム国」に対する宣戦布告となったのである。

 安倍晋三はこの言葉の適切性をマスコミに問われたり、国会で追及を受けると、「テロには屈しない」、「テロの気持は忖度してはならない」等々を決まり文句として繰返し強い語調で反論している。

 2月1日の関係閣僚会議。

 安倍晋三「非道、卑劣極まりないテロ行為に強い怒りを覚えます。許しがたい暴挙を断固非難します。テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わさせるため、国際社会と連携してまいります。

 日本がテロに屈することは、決してありません」

 2月2日の参議院予算委員会。

 安倍晋三「テロリストの思いをいちいち忖度して気を配り、屈するようなことは決してあってはなりません」

 2月3日の参院予算委。

 安倍晋三「小池(晃共産党議員)さんの質問はまるでテロリストを批判してはならないというふうに聞こえる」

 「イスラム国」に身代金を支払うまいという強い意志でスピーチの臨んで、あのような言葉を選んだ。結果として「イスラム国」を挑発し、結果的に2邦人とも殺害という結末となった。 

 そこへ数々の批判が向けられることとなった。だが、最初から身代金支払拒絶の意志でいたことは明かすことはできない。できることはスピーチの文言を正当化し、テロと戦うことの正当性の訴え以外にない。

 そのために様々に情報操作し、テロと戦うことの正当性を通して自己を正当化するという強弁となった。

 特に最後の小池議員に対する答弁は、中東でのスピーチの適切性を問うているにも関わらず、そのことには答えずにテロリストと戦うことの正当性のみに拘っている様子からは、その正当性のみに縋った強弁としか受け取ることはできない。

 少なくとも安倍晋三の中東スピーチは身代金要求拒否姿勢の決意表明であって、そこから始まって会議や国会、記者会見等の様々な場面で行った以後の発言は中東のスピーチ自体とそれが招いた2邦人殺害という結末に対する自己正当化の強弁と読むとこの上なく理解できる。

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