◆万全の想定外への備えが担った自衛隊の任務
想定外の作為と不作為、全開に続き今回は不作為と逃れるのではなく敢えて批判の危険と共に万全の準備を行ったことが結果的に国家を破たんの向こう側へ最後一歩のところで留めた事例を考えてみましょう。
原子力災害ですが、こちらは想定外、ではなくある程度想定されていたことにより対応できた部分があると考えます。十年ほど前に国民保護法などとの関係上、中部方面隊を主力として初めての原子力災害対処訓練が行われています。この訓練を実施するにあたって、電力会社は原発は絶対の安全がある、として訓練の実施に対し頑強に反対したとのことですが、自衛隊側の強い要望により実施されたと聞きます。 こうして原子力事故への頭上での研究と共に実動訓練を行ったことが今回の事態に対応するうえで大きく寄与したことは間違いありません。
当時の時点では、特に中部方面隊管区には原子力発電所が集中している地域があった、という点。福井県の若狭地区原子力発電所集中地域を防衛警備管区として受け持つのと同時に、特に十年前の時点での、北朝鮮武装工作員の有事における日本浸透の可能性、有事におけるか攪乱工作の標的としての日本海側における原子力発電所という問題を含んでおり、特に特殊部隊による強襲を受けた場合、福井県警の対応能力を上回り、発電施設が軍事的な破壊工作に曝された場合について、万全の安全を確保できるという論理は電力会社の側にもなかった、ということがこの訓練実施を後押ししたのでしょう。
加えて装備と編成体系でも、最悪の場合を想定外と言い換えない慎重な準備がありました。福島第一原発への自衛隊派遣について、これを支援する形で米海兵隊のNBC防護部隊であるCBIRFが昨年4月2日から横田基地へ前方展開し、福島第一原発が最悪の場合へと落ちった場合への準備を開始しました。この過程で中央即応集団中央特殊武器防護隊との訓練を実施していますが、主たる訓練は除染であり、決して自衛隊に対し抜本的に優位にあるとは言い難いものだったと聞きます。少なくとも日本へ持ち込まれた装備の範疇で、ということにはなるのですが、ね。
確かに米軍の化学剤へ備える気密テントの冷房能力や、個々人の戦闘靴や眼鏡内蔵型防護マスクなど、自衛隊よりも進んだ装備品はあったとのことですが、これは予算の範囲内であり、能力的には同程度の部隊、しかし米軍は自衛隊が原子力災害派遣で想定していない砂漠地帯や酷寒極地などでの運用を想定しているゆえのものであり、基本的に自衛隊の中央特殊武器防護隊が行った装備体系は間違っていないことをしましたともいえます。もっとも、CBIRFの創設は我が国における地下鉄サリン事件という大都市部でのNBC兵器を用いたテロなどに対処する目的で創設され、この背景に中央特殊武器防護隊の前身である大宮化学学校第101化学防護隊が参考の一部とされたので、当然と言えば当然なのですが。
思い起こせば地下鉄サリン事件に際しても、化学学校は試薬としてサリンと同等の薬剤を用いて、実際に陸上自衛隊の防護装備ではどの程度化学剤に対応できるのか、神経ガスによる攻撃を含めた化学剤による攻撃を受けた場合、地域除染にはどの程度の時間がかかりどの程度で危険が中和されるのか、車両の汚染が安全な程度に中和されるのはどの程度か、戦闘防護服による安全性の維持はどういう姿勢でどういう行動にて任務を継続した場合、どういった時間まで安全性を確保できるのか、等など、文字通り想定外という単語を使えない程にあらゆる可能性に立脚した試験を行っているから、対応できた、ということが今日言えるでしょう。
放射性物質は遮蔽すれば問題なく、除染すれば取り除けるのですが中和はできない。しかし、どの程度ならば危険性を容認できるか、ということを念頭に置いていたからこそ、例えば福島第一原発冷却能力完全喪失に際して輸送ヘリコプターからの放水支援を行う際に、明らかに想定して準備していただろう搭乗員のタングステン防護衣や機体の鉛遮蔽版を以て管理された危険へ対処することが出来たのですし、放射線防護学に立脚した冷静な事前の試算と研究があったからこそ、緊急時の被曝許容量を予め準備し、対応できた、ということは言える、そう考えるのですがどうでしょうか。
加えて、陸上自衛隊ではチェルノブイリ原子力発電所事故におけるソ連軍の対応を相当綿密に研究しており、無謀ということはなく管理された危険の中で危険を冒す、機縁に臨むからこその危険の表面化を管理する徹底した研究があったことも忘れてはなりません。具体的にはソ連軍は原子炉安定化作業に用いた車両と航空機のかなりの数を遺棄し今に至りますが、どういった車両であれば除染に対応するか、という計算さえも用意されていたからこそ、現在のところ派遣された車両は全て除染され、明日あるかもしれない次の任務に向け整備され訓練に用いられています。
結果的な話、ということになるのでしょうが、自衛隊の原子力災害への準備は、一定の水準であった、と様々なところで耳にします。もちろん、核分裂は収束した核燃料の臨界状態により引き起こされるものですから、物理的に核燃料を分離できない限り臨界は止まらず、特に溶解し制御棒を挿入できなくなっている以上、これは現時点でも福島第一原発のすべての原子炉において回収されていない核燃料が臨界を続けており、遠い将来、溶解した燃料棒を回収する技術が確立するまで続くことは間違いありません。
従って、自衛隊の能力は隊員の安全を確保したうえで住民避難を支援し、特に被曝状態にある避難民の除染を行う、電力会社の原子炉冷却作業を行う基盤を構築することにあります。もしかしたらば、原子炉安定化能力も自衛隊に求められなかったか、と問われれば、あるには越したことがないでしょうが、自衛隊は原子力潜水艦のような原子炉を持ちませんし、発電用原子炉を元にした模擬訓練施設を建築できればそれはよかったのでしょうが、原子炉攻撃を行う可能性の訓練などと言いくるめるのはやはり限界があり、このあたり上限でしょう。もちろん、ここで福島第一原発の津波対策が東北電力女川原発と同程度に維持されていたならば、もちろんここまで大事にならなかったのでしょうし、津波により全ての補助電源を失うという全電源喪失を想定していなかったことは、今日の破たん寸前の我が国を生み出しているのですが、対して自衛隊はよくその求められた任務を果たしました。
かつて、我が国では核戦争への準備を行うことが核戦争への恐怖心を低減させ、結果的に核戦争を誘発させるという逆因果関係ともいえる論理が平然と教育はもちろん国会の場でさえも通っていた時代があります。こうした時代があったことを背景に、しかし有事の時、まさしく今回の事故のような自他愛を考えることも出来れば核攻撃という事案も含めることが出来るのでしょうが、備える、という重大な決意と共に教育と研究、装備品開発と部隊の編制、人員訓練と運用研究を行っていたことが、今回の事態に際し自衛隊は想定外の文言を使うことなく、対処できた、そう考える次第です。
北大路機関:はるな
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