北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

8.15終戦記念日 敢えて問い戦争について考える、不戦と平和の一方を選ぶ瞬間

2014-08-15 23:57:04 | 北大路機関特別企画

◆視野狭窄な集団的自衛権論争とともに

 本日は8月15日、終戦記念日です。我が国は1945年8月15日、ポツダム宣言受諾を公表し第二次世界大戦が終結しました。 

Img_5315a 例年、この8月15日は鎮魂の日として不戦の誓いを新たにする世論が醸成されていまして、戦死者と非戦闘員犠牲者併せて350万、罹災者1000万、非常におおきな戦争でした。一方で、本年は政府の集団的自衛権論争とこの鎮魂の日を絡めた論調が多く、本日はこの点について終戦記念日だからこその視点で論理を広めましょう。

Img_7039 戦争を仕掛けられる側にも問題がある、非戦を貫けば戦争にならない、こうした視点が昨今の集団的自衛権論争への反論としてあります。しかし、この視点は攻められる側の視点を必ずしも反映するものでは無いものではないか、として、終戦記念日の集団的自衛権論争を絡めることへの懐疑点として考えるところ。

Iimg_0935 日中戦争は中国側が過剰反応したことで勃発したのだから中国側に責任の一部があり中国が防戦しなければ日中戦争は無かった、真珠湾攻撃の後もアメリカが反撃に訴えなければそもそも太平洋戦争は起きなかった。これが戦争を仕掛けられる側にも問題がある、非戦を貫けば戦争にならない、とする視点の論理でして、当方としては全く賛同できません。

Img_2923  ここで一つの質問を。不戦と平和の一方を選ぶ瞬間、不戦と平和のどちらかしか選べないとすれば、皆様はどちらを選ぶのでしょうか。不戦とは蹂躙され隷属を強いられ自由意志を奪われる可能性を含み、平和とはその維持のために実力行使の覚悟と実行動を伴う可能性を示します。

Mimg_6916_1  もう少しまともな選択肢を要望したいところですが、究極的な段階まで判断を留保したならば、結局は不戦と平和を両立することが出来なくなり、どちらにするのか、という判断を迫られることとなります。無論生活資産安定平安全てを捨てて第三国に離脱し、一からの再構築、という選択肢はあるにはありますが。

Img_0355 我が国は非戦を国是として、不戦の誓いを事あるごとに再確認し続けてきましたが、軍事力の抑止力や軍事力に対峙することに拠っての武力紛争抑止の努力という選択肢の意味を不戦という言葉で曖昧に扱い続け、結局は半世紀以上を以て自ら選択肢を狭めてきました。

Mimg_2014 国家間の武力紛争は少なくとも複数の国家間の政治関係の延長として、政治関係の延長という表現の背景は、少なくとも講和条件の提示が条約の形を採るため政治の延長という意味なのですが、締結されるため、一国のみの一方的な不戦の誓いはなんともならないところ。

Gimg_8761 故に戦争を起こす一方の意思を持った国家との対峙は、戦争回避の努力を行わなければ結果は変化しません。その回避努力が国家主権を蔑ろにする要求であれば、併合か蹂躙か防衛という選択肢を迫られるものとなり、併合となれば主権は失われその後我が国力が併合した主体の意思の下での他国との戦争に、蹂躙ならば犠牲の後に上記選択肢と同じ結果に、防衛ならば上記選択肢回避の可能性が出てくる。

Abimg_7395 結果的に悲劇を避けるのか受け入れるのか、という選択肢に転換するわけなのですが、悲劇を避ける選択肢を達成する手段が悲劇であり、悲劇を受け入れる選択肢は結果的に悲劇と繋がり、経由地か終着に悲劇が介在する、という非常に厳しい現実があります。

Img_2713 一方で、非戦や不戦が安定に繋がるのかという懐疑点は、現在の中東情勢等を見ますと改めて再認識させられるものがあります。例の一つはシリア情勢、シリアへの軍事介入を躊躇したアメリカはシリア内戦が長期化しシリア反政府勢力を差し置きイスラム武装勢力ISILの跳梁を許しました。

88img_2287_1 不戦非戦を国是とする我が国からはアメリカの姿勢は価値観として歓迎されるものなのでしょうが、ISILはその後イラクに侵攻、対中国武装闘争宣言やロシアの一部を含む中央アジアやアフリカへの勢力圏拡大とイスラム原理主義国家樹立を宣言しており、下手をすれば世界大戦への導火線に着火させかねない状況まで放置しています。

Img_480700 非戦不戦を貫いた結果、第三次世界大戦の脅威が芽生えるのを放置したことになるのですが、非戦を貫けるならば戦争が起こっても放置するのか、戦争が起こっても拡大し自らに影響が及ぶまで放置するのは非戦不戦の目的なのか、このあたりまで考える必要があります。

Img_1714 すると、そもそも非戦不戦は平和のための手段であって、非戦不戦が目的ではないという事に気づかされます。平和を維持するための厳しい判断が求められ、その一手段に非戦不戦があるのですが、このあたりを無視し、形而的に維持していることで最も回避しなければならない結果に続いているという。

Iimg_5660 集団的自衛権論争は、まず第一に平和憲法下でアメリカは日本の同盟国であり同盟に基づく行動を行う必要がある、という日米安全保障条約締結時点で確認すべきところを再確認したもの。積極的平和主義とは手段としての平和から目的としての平和に転換しただけに他なりません。

09thimg_1242_1 しかし、戦争への恐怖心だけをことさら煽り、毛科的に手段と目的をはき違えたまま論争を展開し続けるならば、手段と目的の履き違えは非戦不戦と平和が両立できない選択肢を国民に突き付けるところまで放置しかねないところがあります。当方としては手段ではなく目的としての平和や不戦を目指す道を模索するべきだろう、終戦記念日に敢えてそう考えたところでした。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

 

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