■あゝ堂々の伊勢湾上単縦陣
名古屋や四日市と松阪を出航した艦隊は順次伊勢湾上に単縦陣を組んでゆきます。
伊勢湾展示訓練、護衛艦4隻、潜水艦1隻、掃海母艦1隻、掃海艦1隻、掃海艇2隻、輸送艇1隻、試験艦1隻、多用途支援艦1隻、ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、イージス艦こんごう、ヘリコプター搭載護衛艦しらね、等13隻が伊勢湾に集う大規模な訓練です。
ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、イージス艦こんごう、ヘリコプター搭載護衛艦しらね、この参加護衛艦の名を挙げるだけでも熱くなりそうですが、それ以上に熱かった、そう、2010年の夏は暑かったのです、この日は最高気温35度、猛暑日のさなかの展示訓練です。
猛暑日35度という最高気温、伊勢湾洋上ならばさぞ涼しいかと問われれば、待機は循環しているのですから熱いものは厚い、直射日光に加え甲板からの照り返しがありますし、ステルス性を重視した最新艦艇は日影が実は少なかったりします、そして撮影は是非したい。
伊勢湾にて熱中症とならないよう、厳重に給水と必要な塩分摂取を考慮しつつ、しかし撮影します乗艦は多用途支援艦えんしゅう、ひうち型多用途支援艦の一隻ですので、様々な作業へ充てる多目的区画が充分配置されていまして、日影が多い事で有難かったですね。
伊勢湾は海上自衛隊とも様々なつながりあります、伊勢へは鳥羽沖に艦艇を停泊させ、指揮官が航海と日本の安全を祈念することもありますし、伊勢湾は名古屋へ繋がる重要航路の一つです、しかし、船舶が狭水道に多数集中するため、海上交通安全法が適用されます。
この海上交通安全法は日本の国内法ですが、そのなかでも日本の海上交通が多い三海域において適用される特殊な法律です。そしてその三海域といいますのが、東京湾、伊勢湾、瀬戸内海、というもので、伊勢湾が含まれています、難所瀬戸内海並に難しいという事だ。
基本的に海上衝突予防法に準拠するのですが、速力に関しては最高速力12ノットと指定された区間では越えてはならない速力が厳しく明示されています。衝突の危惧があったさいには海上衝突予防法が適用されますし、見張り等でも海上衝突予防法が適用されます。
巡航については海上衝突予防法よりも海上交通安全法は厳しく、追い越し禁止海域が海峡屈曲部分など明確に禁止されています。行会い船関係ではこの行会い船を避ける観点から一方通行が指定される海域があります。行会い船、海上で出会う他の船、という意味です。
中央部を避けて航行する海域が明確されているのも特色で出来る限り伊良湖航路では禁止され狭水道となれば中央部分を航行したくなる中に明確に避けるよう示されている。このほか様々な規制がありますので、これだけ規制されている通り非常に交通が難しい訳です。
海上自衛隊と伊勢湾の関係ですが、伊勢湾展示訓練として横須賀地方隊が主催する海上交通行事を行い、中京地域の国民へ海上自衛隊の能力と海上防衛の意義やその努力と練度を広報する訓練を実施していますが、重ねて伊勢湾機雷戦訓練という訓練も行われます。
伊勢湾機雷戦訓練、掃海艦艇の大規模な訓練が実施されています。これは二月に行われ、四日市や松阪と津に海上自衛隊機雷戦艦艇が集結し、実際に伊勢湾へ機雷が敷設されたとの想定から掃海艇を展開させ機雷を掃討するという訓練です。訓練機雷が実際に使われる。
伊勢湾は世界地図では狭い海域かもしれませんが、世界中の船舶が集まる良港です。交通難所であると伊良湖水道の解説に見てわかるところですが、日本列島は環太平洋弧状列島として、太平洋の高い波の影響を受ける海域にありながら、しかも台風の通り道です。
台風有り荒波ありの凄い地形にあります日本列島、その立地に港を構築するには波の穏やかな場所が必要、このため、志摩半島と渥美半島により太平洋の高波からまもられている地形は港湾として理想的ですし、実際、台風が近づく荒天でも湾内はかなり穏やかという。
さらに台風の際には伊勢湾に位置する知多半島は突風から船舶を守る停泊地として最適な地形となっています、このため重要港湾ですが、日本の海上交通を遮断しようとする勢力からは、この海域に潜水艦などを用いて機雷を敷設することは非常に効果的で、可能です。
日本にとってはこの海域へ機雷敷設されることは、実に痛い。そこで伊勢湾機雷戦訓練を行うわけです、模擬機雷ですが掃海艇が不用意に掃討せず航行しますと感知し浮上し掃海艇へ撃破判定を突きつけます、海底にはいろいろ落ちていて機雷発見難易度は高いという。
海上自衛隊の機雷掃討技術は世界的にかなり高度な水準にあります、これは第二次世界大戦以降、日米が日本は防御用にアメリカは港湾航路閉塞用に敷設した大量の機雷を処理し続けてきたためなのですが、ただ、冷戦終結直後に実は意外な弱点が見つかりました。
1991年の湾岸戦争を契機に平和憲法の観点から戦闘部隊は派遣できないしそもそも戦闘地域には後方支援部隊を派遣できないし、さらに原則として気合い外派遣が当時の国内法では出来なかったのですが、法整備の上で戦後のペルシャ湾機雷掃海へと向かいました。
ペルシャ湾、この海域は日本へ向かう石油タンカーが多数航行する海域ですので日本は、無関係とは言い難い状況という事で掃海艇を派遣したものの、日本が戦後、向き合ってきました大量の機雷は当然ながら戦時中の旧式機雷ばかりで時代遅れの機雷が相手でした。
イラク軍が敷設したイタリア製やイギリス製とソ連製の機雷を掃海した際、海上自衛隊の器材は最新型の機雷には十分対応できないという厳しい現実を突きつけられたことがありました。結局、機雷処分器具に代え水中処分員が実際に潜り直接機雷処分しましたが、ね。
しかし、この現実を突きつけられたのが平時であり、日本本土が戦争に巻き込まれる前であって本当に良かった、まず、国産機雷処理機材の能力不足を現実的に受け入れ、国産装備優位主義にこだわることなく最新のフランス製機雷処理器具の輸入を決断しました。
機雷処分器具、これは水中ロボットの一種なのですが国産の水中ロボットは湾岸戦争後の機雷処理に十分な能力を発揮できていなかったわけです。そのうえでフランス最新装備を調達しつつ、同時並行で世界の機雷情報を冷静に収集し、機雷掃討情報を再構築します。
国産器材は、フランス製を用いつつ、その上で時間はかかりましたが国産機雷処分器具を開発し、能力的に世界最高度に戻ることが実現しました、掃海艇そのものは海上自衛隊が多数を元々装備していますので、掃海隊群始めそれを扱える高度な乗員もそろっています。
そこに世界に通用する掃海器具が配備され機雷戦情報処理装置や機雷戦ソナーも再構築、世界的に質と量を誇れるものとなっています。この訓練、伊勢湾でやっています。伊勢湾展示訓練よりも、実は集まる艦艇が多い一方、実は伊勢湾展示訓練程有名ではありません。
しかし報道公開は行われているものの、文字通り実戦勝負ですので一般には公開されていません、けれども入港中には一部艦艇が公開されまして、掃海母艦、掃海艇や掃海艦が岸壁一杯に何隻もめざし係留され端から端までと並ぶ、その迫力もものすごいのですよね。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
名古屋や四日市と松阪を出航した艦隊は順次伊勢湾上に単縦陣を組んでゆきます。
伊勢湾展示訓練、護衛艦4隻、潜水艦1隻、掃海母艦1隻、掃海艦1隻、掃海艇2隻、輸送艇1隻、試験艦1隻、多用途支援艦1隻、ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、イージス艦こんごう、ヘリコプター搭載護衛艦しらね、等13隻が伊勢湾に集う大規模な訓練です。
ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、イージス艦こんごう、ヘリコプター搭載護衛艦しらね、この参加護衛艦の名を挙げるだけでも熱くなりそうですが、それ以上に熱かった、そう、2010年の夏は暑かったのです、この日は最高気温35度、猛暑日のさなかの展示訓練です。
猛暑日35度という最高気温、伊勢湾洋上ならばさぞ涼しいかと問われれば、待機は循環しているのですから熱いものは厚い、直射日光に加え甲板からの照り返しがありますし、ステルス性を重視した最新艦艇は日影が実は少なかったりします、そして撮影は是非したい。
伊勢湾にて熱中症とならないよう、厳重に給水と必要な塩分摂取を考慮しつつ、しかし撮影します乗艦は多用途支援艦えんしゅう、ひうち型多用途支援艦の一隻ですので、様々な作業へ充てる多目的区画が充分配置されていまして、日影が多い事で有難かったですね。
伊勢湾は海上自衛隊とも様々なつながりあります、伊勢へは鳥羽沖に艦艇を停泊させ、指揮官が航海と日本の安全を祈念することもありますし、伊勢湾は名古屋へ繋がる重要航路の一つです、しかし、船舶が狭水道に多数集中するため、海上交通安全法が適用されます。
この海上交通安全法は日本の国内法ですが、そのなかでも日本の海上交通が多い三海域において適用される特殊な法律です。そしてその三海域といいますのが、東京湾、伊勢湾、瀬戸内海、というもので、伊勢湾が含まれています、難所瀬戸内海並に難しいという事だ。
基本的に海上衝突予防法に準拠するのですが、速力に関しては最高速力12ノットと指定された区間では越えてはならない速力が厳しく明示されています。衝突の危惧があったさいには海上衝突予防法が適用されますし、見張り等でも海上衝突予防法が適用されます。
巡航については海上衝突予防法よりも海上交通安全法は厳しく、追い越し禁止海域が海峡屈曲部分など明確に禁止されています。行会い船関係ではこの行会い船を避ける観点から一方通行が指定される海域があります。行会い船、海上で出会う他の船、という意味です。
中央部を避けて航行する海域が明確されているのも特色で出来る限り伊良湖航路では禁止され狭水道となれば中央部分を航行したくなる中に明確に避けるよう示されている。このほか様々な規制がありますので、これだけ規制されている通り非常に交通が難しい訳です。
海上自衛隊と伊勢湾の関係ですが、伊勢湾展示訓練として横須賀地方隊が主催する海上交通行事を行い、中京地域の国民へ海上自衛隊の能力と海上防衛の意義やその努力と練度を広報する訓練を実施していますが、重ねて伊勢湾機雷戦訓練という訓練も行われます。
伊勢湾機雷戦訓練、掃海艦艇の大規模な訓練が実施されています。これは二月に行われ、四日市や松阪と津に海上自衛隊機雷戦艦艇が集結し、実際に伊勢湾へ機雷が敷設されたとの想定から掃海艇を展開させ機雷を掃討するという訓練です。訓練機雷が実際に使われる。
伊勢湾は世界地図では狭い海域かもしれませんが、世界中の船舶が集まる良港です。交通難所であると伊良湖水道の解説に見てわかるところですが、日本列島は環太平洋弧状列島として、太平洋の高い波の影響を受ける海域にありながら、しかも台風の通り道です。
台風有り荒波ありの凄い地形にあります日本列島、その立地に港を構築するには波の穏やかな場所が必要、このため、志摩半島と渥美半島により太平洋の高波からまもられている地形は港湾として理想的ですし、実際、台風が近づく荒天でも湾内はかなり穏やかという。
さらに台風の際には伊勢湾に位置する知多半島は突風から船舶を守る停泊地として最適な地形となっています、このため重要港湾ですが、日本の海上交通を遮断しようとする勢力からは、この海域に潜水艦などを用いて機雷を敷設することは非常に効果的で、可能です。
日本にとってはこの海域へ機雷敷設されることは、実に痛い。そこで伊勢湾機雷戦訓練を行うわけです、模擬機雷ですが掃海艇が不用意に掃討せず航行しますと感知し浮上し掃海艇へ撃破判定を突きつけます、海底にはいろいろ落ちていて機雷発見難易度は高いという。
海上自衛隊の機雷掃討技術は世界的にかなり高度な水準にあります、これは第二次世界大戦以降、日米が日本は防御用にアメリカは港湾航路閉塞用に敷設した大量の機雷を処理し続けてきたためなのですが、ただ、冷戦終結直後に実は意外な弱点が見つかりました。
1991年の湾岸戦争を契機に平和憲法の観点から戦闘部隊は派遣できないしそもそも戦闘地域には後方支援部隊を派遣できないし、さらに原則として気合い外派遣が当時の国内法では出来なかったのですが、法整備の上で戦後のペルシャ湾機雷掃海へと向かいました。
ペルシャ湾、この海域は日本へ向かう石油タンカーが多数航行する海域ですので日本は、無関係とは言い難い状況という事で掃海艇を派遣したものの、日本が戦後、向き合ってきました大量の機雷は当然ながら戦時中の旧式機雷ばかりで時代遅れの機雷が相手でした。
イラク軍が敷設したイタリア製やイギリス製とソ連製の機雷を掃海した際、海上自衛隊の器材は最新型の機雷には十分対応できないという厳しい現実を突きつけられたことがありました。結局、機雷処分器具に代え水中処分員が実際に潜り直接機雷処分しましたが、ね。
しかし、この現実を突きつけられたのが平時であり、日本本土が戦争に巻き込まれる前であって本当に良かった、まず、国産機雷処理機材の能力不足を現実的に受け入れ、国産装備優位主義にこだわることなく最新のフランス製機雷処理器具の輸入を決断しました。
機雷処分器具、これは水中ロボットの一種なのですが国産の水中ロボットは湾岸戦争後の機雷処理に十分な能力を発揮できていなかったわけです。そのうえでフランス最新装備を調達しつつ、同時並行で世界の機雷情報を冷静に収集し、機雷掃討情報を再構築します。
国産器材は、フランス製を用いつつ、その上で時間はかかりましたが国産機雷処分器具を開発し、能力的に世界最高度に戻ることが実現しました、掃海艇そのものは海上自衛隊が多数を元々装備していますので、掃海隊群始めそれを扱える高度な乗員もそろっています。
そこに世界に通用する掃海器具が配備され機雷戦情報処理装置や機雷戦ソナーも再構築、世界的に質と量を誇れるものとなっています。この訓練、伊勢湾でやっています。伊勢湾展示訓練よりも、実は集まる艦艇が多い一方、実は伊勢湾展示訓練程有名ではありません。
しかし報道公開は行われているものの、文字通り実戦勝負ですので一般には公開されていません、けれども入港中には一部艦艇が公開されまして、掃海母艦、掃海艇や掃海艦が岸壁一杯に何隻もめざし係留され端から端までと並ぶ、その迫力もものすごいのですよね。
北大路機関:はるな くらま
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