北大路機関

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【京都幕間旅情】佛光寺(真宗佛光寺派本山)洛中へ山城国山科と比叡渋谷経て電気街に至る

2019-06-05 20:14:26 | 写真
■親鸞開祖か住房移築聖地か
 梅雨入りが近い中、僅かな時間を見つけ散策していますと、超常現象とは出会いませんが不思議な歴史とは出会う、京都とはそんな街だ。

 佛光寺、下京区の寺院です。寺町電気街という京都一の、とはいえ往時よりもその色彩は薄まった繁華街を京都駅の方へ街並みを眺めつつ散策していますと、広い白壁の続く情景に出会います。寺町通、確かに寺社仏閣は多いのですがその伽藍は凝縮され過ぎている。

 下京区高倉通仏光寺下ル新開町、寺町通を少し離れているのですが寺町通りは豊臣秀吉の京都改造に際し数多くの寺院を御所前に集め、軍事係争から離隔を取らせる事が目的で造成された経緯があり、何れも安土桃山時代の遷座と共に、その寺域を大きく狭めています。

 真宗佛光寺派本山佛光寺、山門を訪ね御堂を拝みますと、100万都市京都市の中心部オフィス街に隣接しているとは思えぬ伽藍が広がります。ただ、その歴史を紐解けば、開基親鸞の時代には、あの東本願寺や西本願寺を上回る壮大な伽藍をこの地に広げていたともいう。

 浄土真宗宗祖親鸞、佛光寺開基の高僧は鎌倉時代初期、専修念仏の布教が早々間もない鎌倉幕府より影響力を懸念され承元年間1205年に越後国へ配流、世に言う承元の法難が起きました。その赦免は建暦年間1212年、親鸞は山城国山科今の山科区へ一宇起こした、と寺伝には伝わります、もっともここの正統性が後々に興隆へ水を差す事になるのですが。

 親鸞の一宇は、元々この倉通仏光寺から指呼の距離にある五条西洞院にかつて在った親鸞の住房、配流と共に取り潰された軒屋を山科に再興したものですが、親鸞開祖か住房移築聖地か、ということで正統性に議論も生じました。要するに親鸞が開祖ではなく、親鸞の住処を移しただけで親鸞開祖として門徒を集めたのでは、と。しかし、この地から山科は実は遠い。

 山城国へ赦免を経て興した一宇は、一説には越後から親鸞は直接東国へ布教へ臨んでおり、京都に帰還していないとも伝わります。しかしそれでも時の順徳天皇より興隆正法の勅号を賜り、その阿弥陀堂が今日の佛光寺となった訳です。佛光寺派は東国での布教を重視しており、親鸞も山科での建立と間もなく関東布教へと旅立っていまして、門徒には武蔵国の領民も多いという。

 興隆正法寺、山科の一宇はこう勅号を賜りましたが、元応年間1320年、法主第七世了源は山科から今比叡渋谷、現在の平安神宮前へ布教の拠点を移す事としました。ただ、元々この御堂は住房であり寺院ではありません、この際に渋谷の山号は興隆正法寺と別れる事に。興隆正法寺はこの直後に廃寺となるのですが、しかし、後述の歴史と共に再興する。

 後醍醐天皇治世下の元亨年間1321年、天皇の夢枕に御仏の後光が差す吉兆があり、この際に渋谷の、しぶたに、と詠むのですがこの地の寺院は名を阿彌陀佛光寺と賜る事になり、ここに佛光寺として歴史が始まるのでした。この頃まだ西本願寺と東本願寺はありません。

 親鸞廟堂、元亨年間1321年にここが本願寺として寺院化します、すると親鸞住居移転先という正統性だけではこの佛光寺に疑問符が付き始める。浄土宗佛光寺はこうした時代に興隆を極めたのですが、問題は今比叡渋谷という山門の位置です。天台宗比叡山延暦寺のお膝元にある佛光寺は度々放火や暴行と拉致等の嫌がらせを受け、大きくなれない。

 応仁の乱と共に佛光寺は戦災に焼け落ちます。しかし、その頃本願寺は京都を棄て北国での布教を通じ急速に勢力を伸ばし、佛光寺は荒廃した京都に在って一時本願寺への帰依さえ動く事へ。御寺の一派が興隆正法寺を名乗り門徒の多くと共に本願寺へ帰依、分裂へ。

 天正年間1586年、転機となったのは豊臣秀吉の京都改造でした。龍臥城とした洛中の地を仏光寺通と改め、この地へ遷座したのですね。そして今日は元応年間1320年彫像湛幸作木造聖徳太子立像等重要文化財を湛え、往時程の広大さこそありませんがこの地にあります。

 電気街に隣接するお寺は現在寛容です、喫茶店などもありますし音楽イベント等、平成時代や令和時代の風情も受け容れる佛光寺となりました。歴史的経緯としては、豊臣秀吉が本願寺に対する牽制にてこの地に遷座を勧請した事は想像できるのですが、寺町通を少し進んだつもりが歴史を遡ればここも寺町、成程京都改造の奥行き深さと共に散策を愉しみました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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