■C-2輸送機編隊&飛行展示
美保基地航空祭の一眼レフEOS-7Dと連結して撮影しましたコンパクトデジタルカメラG3Xでの速報、後篇です。

鳥取県の美保基地航空祭2019、C-2輸送機初の実戦配備部隊として撮影へ進出しましたが、C-1輸送機は完全にC-2輸送機へ代替されており、そしてブルーインパルスの不参加が要因でしょうか、非常に来場者も少なく、余裕ある昔の様な航空祭を満喫する事が出来ました。

C-2輸送機の五機編隊が中海方向より美保基地へ飛来します。地上のC-2輸送機とともに、輸送機部隊の基地に相応しい構図が醸成されています。双発のC-2輸送機は機影がC-1輸送機を思い出させるもの。第403飛行隊はC-1を運用終了し、C-2飛行隊となりました。

26tを搭載し6500kmを飛行、C-1輸送機の8tを搭載し1500kmという性能とは文字通り世代差を感じます。もっともC-1輸送機には当初50機の量産計画があり、後期型は胴体延長を行い、輸送能力を強化する構想がありました。実際には量産は29機で終了しています。

C-17輸送機の対日売り込みを背景に開発が進められたC-2ですが、C-17はユニットコストこそ250億円程度とされているものの、現実問題、豪州空軍導入のフライアブルコストでは650億円とE-767早期警戒管制機を越えるきわめて高価な航空機となってしまいました。

MV-22可動翼機の17機導入決定の際のように、政府が強い姿勢で公示し、例えば12機とか16機とか、一括で取得を日米首脳会談等で明示するような施策が採られない限り、結果論として、予算が確立するまで待ってくれる国産機、C-2で良かったのかな、と思います。

五機編隊のC-2輸送機、昨年は三機編隊でした。個人的に凄い良い写真を撮る岡山の方が居まして、これ勘違いだったのですが、その方が撮った、と当時思った美保航空祭の写真を視まして、よし今年は岩国ではなく美保だ、と決断しまして、五機編隊が撮れたという。

管制塔とC-2輸送機、航空祭の雰囲気が溢れる構図です。なにしろ開発が遅れまして、C-2はC-Xと呼ばれていた頃に初飛行を撮影した当方、しかし初の美保基地航空祭撮影の際にはC-2格納庫のみ完成していたものの、胴体後部強度不足から配備開始遅延となっていた。

機動飛行へ臨むC-2輸送機、結局、C-1輸送機の後継として戦術輸送機を考えますと、大型の機体よりも便数を多く飛行させる必要があり、前述のC-17よりも優位性があったように思います。二点間輸送と異なり、兎に角C-1輸送機の業務輸送は便数が必要となります。

C-130H輸送機の後継として、C-17輸送機は妥当であったのかもしれません、海外派遣を念頭とした戦域間輸送機という構図で。しかし、C-130Hは16機、理想はこれを8機のC-17で代替する事ですが、残念ながらC-17は2009年製造終了、最早C-17入手は出来ません。

二機編隊の機動飛行、PowershotG3Xという24-600mmズームのコンパクトカメラ、何処がコンパクトなのか疑問符の付く巨大なカメラを一眼レフのEOS-7Dmark2と連結し撮影しました、EOS-7Dを構えつつ慎重に適当にG3Xを操作し、この構図が撮れたのですね。

C-2輸送機、広角側で撮影を。C-17の難点は費用が高い事です、豪州空軍取得費用は驚いた、C-1後継機は便数が要ります。そしてC-2開発本格化の時期には北朝鮮ミサイル対処に中期防当り一兆円規模の捻出を行うミサイル防衛事業が本格化、仮に10機のC-17を取得するには6500億円が要る。

将来を見通す事が出来ないものですが、我が国防衛政策は新しい任務が加わりますと、財政難を理由に、ここ一年二年の我慢だからと無理に予算を捻出し、その状況を常態化させ任務を重ねている印象があります。要するに脅威対象多極化へ制度が対応できていない。ここで無理を押し通せているのは防衛産業です。その是非の余地はあるが。

空挺降下を行うC-2輸送機、北朝鮮のミサイル開発が、例えばクリントン政権時代の朝鮮半島核危機の際、限定空爆等を行ってでも阻止できていたならば、ミサイル防衛は不要、C-17を取得する余裕は出た可能性も残りますが、現実的には不可能だったといえましょう。

マクダネルダグラス社時代にはC-17は空中給油機として改修し得る、ともされていました。まこれならば、と給油方式が気になりますが、例えばKC-767と並行調達し、2機か4機程度であれば、C-2と並行装備、という選択肢ならば、理想だったのかもしれません。政府専用機として、ね。

三機編隊で美保基地上空へ飛来するC-2輸送機、C-2は生産計画が縮小されC-1輸送機と同じ轍を踏む事となりそうです。日本経済に余裕があれば、量産し、補助金付きで日本航空や日本貨物航空に平時は貨物輸送機として運用を依頼し、有事の際にはチャーターする選択肢もあったのかもしれません。

C-17輸送機に代えていたならば、取得開始から2機か3機揃ったところでミサイル防衛の時期と重なり、調達再開へミサイル防衛事業完了を待つ内にC-17は製造終了、C-1は延命できず輸送機はC-130と僅かなC-17に。数が足りずC-27かKC-390を検討、なんて事も。

コンバットピッチを行うC-2輸送機、C-17を20機程度取得し、試作機併せ31機のC-1を置き換える構想が、調達途中に予算不足、杞憂でしょうか、これは実例としてAH-64D戦闘ヘリコプターやUH-60JA多用途ヘリコプター等がまさに当て嵌まる事例なのですよね。

C-2輸送機、調達計画の縮小がありましたが、まず数は揃える事が出来た。当時は海外派遣を想定した場合に輸送力が必要で、C-17か国産、取得費用で現実的なC-27やC-130Jは真剣に検討されていませんでした。C-2輸送機は続いて入間基地第402飛行隊へ量産が続く。

小牧基地第401飛行隊のC-130H輸送機後継はどうなるのだろうか、実際現地での話題の一つとしまして、C-130Hは1984年取得開始、初期の機体は運用から35年を経ています。C-130J-30という最新型へ置き換える選択肢や中古の機体を物色する選択肢はありますが。

KC-130Rとして海上自衛隊がYS-11M輸送機の後継に1970年代に米海軍が導入し保管状態にあった機体を非常に安価に取得した事例があります、給油関連装備を外しC-130Rと改修しました。航空自衛隊もC-130Hの後継機にこのC-130R方式は有り得るのでしょうか。

二機が誘導路で重なるC-2、実はC-130H後継にC-2が追加決定される可能性は、あるのかな、と。C-130Rは通常の運用ならば20年程度運用可能とされています。しかし、航空自衛隊のC-130は作戦輸送で40年以上運用の見込み、運用期間が根本から異なるのです。

C-2クルーが管理棟へ。量産計画が下方修正されたC-2ですが、C-130H後継機として、例えばKC-46空中給油輸送機や、CV-22可動翼機というような斜め上の選択肢でなければ、敢えて輸送力で格下、不整地での輸送力は一応高いものの多寡という機種よりは、と思う。

F-2戦闘機機動飛行、美保基地航空祭最後の飛行展示が開始されました。驚いたのは繰り返しますがG3Xの性能、まあまあ写っている。EOS-7Dと連結していて、レリーズで写っているだろう、という液晶モニターでの確認さえせずに撮影しているのに背中が写っている。

FSXとして開発されましたF-2,個人的には好きな、と言いますか自衛隊に必要な航空機と考えます。ただ、航空自衛隊では第一の任務が制空戦闘という事もあり、部内での評判は、と聞いた事も。航空自衛隊は国内に防衛産業があり、今の稼働率が当然と考えていないか。

自衛隊の稼働率に対して、韓国空軍は50%の稼働率を維持する事に苦心し、NATOでも稼働率を50%以下としないよう努力しています。その為に共通部品プール等、兵站努力は物凄い。日本は国内に防衛産業基盤がある為に防衛予算を装備調達と維持に集中できている。

F-2戦闘機はそうした目に見えない部分で重要な位置づけを担っているとも考えます。もっとも、青天井の予算を実現する経済成長と許容する国民世論があれば、こうした考えをせずとも好いのですが、古今東西、この頚木は各国防衛当局の不変の課題でもあるのですね。

さてさて、PowershotG3Xでの撮影の話題とともに、後篇に先立つ前篇ではC-2輸送機の話題が多くコメント投稿を受けましたので、ちょっと持論と共に六月初旬の航空祭を振り返ってみました。振り返りつつ、それほ混雑しなかったのは良かった、と写真を観返した。

米子市内のホテルもそれ程混雑しなかったのは幸いでして、対照的に一ヶ月も後の富士学校祭が御殿場数編のホテルがほぼ満室という状況に対して、良いお宿を米子駅前に確保する事が出来ました。また、米子に松江と日本海の美味しいものを頂く事も出来ました。

美保基地航空祭は曇天と予報されつつ後半は太陽も見えまして、唯一今回は山陰で蟹三昧と出来なかった事は若干残念でしたが、航空祭そのものは愉しむ事が出来ました。しかし改めて、京都から米子は近い、とは言い過ぎにしても遠くは無い、また一つ旅をしたいものですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
美保基地航空祭の一眼レフEOS-7Dと連結して撮影しましたコンパクトデジタルカメラG3Xでの速報、後篇です。

鳥取県の美保基地航空祭2019、C-2輸送機初の実戦配備部隊として撮影へ進出しましたが、C-1輸送機は完全にC-2輸送機へ代替されており、そしてブルーインパルスの不参加が要因でしょうか、非常に来場者も少なく、余裕ある昔の様な航空祭を満喫する事が出来ました。

C-2輸送機の五機編隊が中海方向より美保基地へ飛来します。地上のC-2輸送機とともに、輸送機部隊の基地に相応しい構図が醸成されています。双発のC-2輸送機は機影がC-1輸送機を思い出させるもの。第403飛行隊はC-1を運用終了し、C-2飛行隊となりました。

26tを搭載し6500kmを飛行、C-1輸送機の8tを搭載し1500kmという性能とは文字通り世代差を感じます。もっともC-1輸送機には当初50機の量産計画があり、後期型は胴体延長を行い、輸送能力を強化する構想がありました。実際には量産は29機で終了しています。

C-17輸送機の対日売り込みを背景に開発が進められたC-2ですが、C-17はユニットコストこそ250億円程度とされているものの、現実問題、豪州空軍導入のフライアブルコストでは650億円とE-767早期警戒管制機を越えるきわめて高価な航空機となってしまいました。

MV-22可動翼機の17機導入決定の際のように、政府が強い姿勢で公示し、例えば12機とか16機とか、一括で取得を日米首脳会談等で明示するような施策が採られない限り、結果論として、予算が確立するまで待ってくれる国産機、C-2で良かったのかな、と思います。

五機編隊のC-2輸送機、昨年は三機編隊でした。個人的に凄い良い写真を撮る岡山の方が居まして、これ勘違いだったのですが、その方が撮った、と当時思った美保航空祭の写真を視まして、よし今年は岩国ではなく美保だ、と決断しまして、五機編隊が撮れたという。

管制塔とC-2輸送機、航空祭の雰囲気が溢れる構図です。なにしろ開発が遅れまして、C-2はC-Xと呼ばれていた頃に初飛行を撮影した当方、しかし初の美保基地航空祭撮影の際にはC-2格納庫のみ完成していたものの、胴体後部強度不足から配備開始遅延となっていた。

機動飛行へ臨むC-2輸送機、結局、C-1輸送機の後継として戦術輸送機を考えますと、大型の機体よりも便数を多く飛行させる必要があり、前述のC-17よりも優位性があったように思います。二点間輸送と異なり、兎に角C-1輸送機の業務輸送は便数が必要となります。

C-130H輸送機の後継として、C-17輸送機は妥当であったのかもしれません、海外派遣を念頭とした戦域間輸送機という構図で。しかし、C-130Hは16機、理想はこれを8機のC-17で代替する事ですが、残念ながらC-17は2009年製造終了、最早C-17入手は出来ません。

二機編隊の機動飛行、PowershotG3Xという24-600mmズームのコンパクトカメラ、何処がコンパクトなのか疑問符の付く巨大なカメラを一眼レフのEOS-7Dmark2と連結し撮影しました、EOS-7Dを構えつつ慎重に適当にG3Xを操作し、この構図が撮れたのですね。

C-2輸送機、広角側で撮影を。C-17の難点は費用が高い事です、豪州空軍取得費用は驚いた、C-1後継機は便数が要ります。そしてC-2開発本格化の時期には北朝鮮ミサイル対処に中期防当り一兆円規模の捻出を行うミサイル防衛事業が本格化、仮に10機のC-17を取得するには6500億円が要る。

将来を見通す事が出来ないものですが、我が国防衛政策は新しい任務が加わりますと、財政難を理由に、ここ一年二年の我慢だからと無理に予算を捻出し、その状況を常態化させ任務を重ねている印象があります。要するに脅威対象多極化へ制度が対応できていない。ここで無理を押し通せているのは防衛産業です。その是非の余地はあるが。

空挺降下を行うC-2輸送機、北朝鮮のミサイル開発が、例えばクリントン政権時代の朝鮮半島核危機の際、限定空爆等を行ってでも阻止できていたならば、ミサイル防衛は不要、C-17を取得する余裕は出た可能性も残りますが、現実的には不可能だったといえましょう。

マクダネルダグラス社時代にはC-17は空中給油機として改修し得る、ともされていました。まこれならば、と給油方式が気になりますが、例えばKC-767と並行調達し、2機か4機程度であれば、C-2と並行装備、という選択肢ならば、理想だったのかもしれません。政府専用機として、ね。

三機編隊で美保基地上空へ飛来するC-2輸送機、C-2は生産計画が縮小されC-1輸送機と同じ轍を踏む事となりそうです。日本経済に余裕があれば、量産し、補助金付きで日本航空や日本貨物航空に平時は貨物輸送機として運用を依頼し、有事の際にはチャーターする選択肢もあったのかもしれません。

C-17輸送機に代えていたならば、取得開始から2機か3機揃ったところでミサイル防衛の時期と重なり、調達再開へミサイル防衛事業完了を待つ内にC-17は製造終了、C-1は延命できず輸送機はC-130と僅かなC-17に。数が足りずC-27かKC-390を検討、なんて事も。

コンバットピッチを行うC-2輸送機、C-17を20機程度取得し、試作機併せ31機のC-1を置き換える構想が、調達途中に予算不足、杞憂でしょうか、これは実例としてAH-64D戦闘ヘリコプターやUH-60JA多用途ヘリコプター等がまさに当て嵌まる事例なのですよね。

C-2輸送機、調達計画の縮小がありましたが、まず数は揃える事が出来た。当時は海外派遣を想定した場合に輸送力が必要で、C-17か国産、取得費用で現実的なC-27やC-130Jは真剣に検討されていませんでした。C-2輸送機は続いて入間基地第402飛行隊へ量産が続く。

小牧基地第401飛行隊のC-130H輸送機後継はどうなるのだろうか、実際現地での話題の一つとしまして、C-130Hは1984年取得開始、初期の機体は運用から35年を経ています。C-130J-30という最新型へ置き換える選択肢や中古の機体を物色する選択肢はありますが。

KC-130Rとして海上自衛隊がYS-11M輸送機の後継に1970年代に米海軍が導入し保管状態にあった機体を非常に安価に取得した事例があります、給油関連装備を外しC-130Rと改修しました。航空自衛隊もC-130Hの後継機にこのC-130R方式は有り得るのでしょうか。

二機が誘導路で重なるC-2、実はC-130H後継にC-2が追加決定される可能性は、あるのかな、と。C-130Rは通常の運用ならば20年程度運用可能とされています。しかし、航空自衛隊のC-130は作戦輸送で40年以上運用の見込み、運用期間が根本から異なるのです。

C-2クルーが管理棟へ。量産計画が下方修正されたC-2ですが、C-130H後継機として、例えばKC-46空中給油輸送機や、CV-22可動翼機というような斜め上の選択肢でなければ、敢えて輸送力で格下、不整地での輸送力は一応高いものの多寡という機種よりは、と思う。

F-2戦闘機機動飛行、美保基地航空祭最後の飛行展示が開始されました。驚いたのは繰り返しますがG3Xの性能、まあまあ写っている。EOS-7Dと連結していて、レリーズで写っているだろう、という液晶モニターでの確認さえせずに撮影しているのに背中が写っている。

FSXとして開発されましたF-2,個人的には好きな、と言いますか自衛隊に必要な航空機と考えます。ただ、航空自衛隊では第一の任務が制空戦闘という事もあり、部内での評判は、と聞いた事も。航空自衛隊は国内に防衛産業があり、今の稼働率が当然と考えていないか。

自衛隊の稼働率に対して、韓国空軍は50%の稼働率を維持する事に苦心し、NATOでも稼働率を50%以下としないよう努力しています。その為に共通部品プール等、兵站努力は物凄い。日本は国内に防衛産業基盤がある為に防衛予算を装備調達と維持に集中できている。

F-2戦闘機はそうした目に見えない部分で重要な位置づけを担っているとも考えます。もっとも、青天井の予算を実現する経済成長と許容する国民世論があれば、こうした考えをせずとも好いのですが、古今東西、この頚木は各国防衛当局の不変の課題でもあるのですね。

さてさて、PowershotG3Xでの撮影の話題とともに、後篇に先立つ前篇ではC-2輸送機の話題が多くコメント投稿を受けましたので、ちょっと持論と共に六月初旬の航空祭を振り返ってみました。振り返りつつ、それほ混雑しなかったのは良かった、と写真を観返した。

米子市内のホテルもそれ程混雑しなかったのは幸いでして、対照的に一ヶ月も後の富士学校祭が御殿場数編のホテルがほぼ満室という状況に対して、良いお宿を米子駅前に確保する事が出来ました。また、米子に松江と日本海の美味しいものを頂く事も出来ました。

美保基地航空祭は曇天と予報されつつ後半は太陽も見えまして、唯一今回は山陰で蟹三昧と出来なかった事は若干残念でしたが、航空祭そのものは愉しむ事が出来ました。しかし改めて、京都から米子は近い、とは言い過ぎにしても遠くは無い、また一つ旅をしたいものですね。
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