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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

沖縄慰霊の日-令和初の沖縄戦戦没者追悼式に想う,現代史に学び時事報道を知り議論する必要

2019-06-24 20:13:38 | 国際・政治
■その犠牲,忘れぬだけではなく
 3.11東日本大震災慰霊の日、報じられた数多の声に印象に残ったものは、震災を忘れないという以上に次の震災が起きないよう皆で考えてほしい、というものでした。

 沖縄慰霊の日、6月23日は1945年に沖縄戦における日本軍による組織的戦闘が終了した日です。帝国陸軍第32軍は沖縄本島に第24師団と第62師団を中心に海軍部隊と軍属に現地召集兵を加え11万6000名で防備を固めましたが、4月2日に上陸を開始したアメリカ軍は総数54万名という大規模な侵攻部隊であり、激戦二ヶ月と三週間、敗北しました。

 令和時代初めての沖縄慰霊の日、冒頭の3.11の話題を昨日沖縄慰霊式典中継を見た際に思い出した。沖縄は現在、中国からの沖縄県南部への地上侵攻という蓋然性の高まりと遥か南の南シナ海での中国海洋進出への最も近い地形という現状、そして在日米軍基地の移設に揺れています。今回は、沖縄戦という歴史、その終戦から74年目にあって、四半世紀と一年後の沖縄戦終結から100年に向けての視点を考えてみましょう。

 祈るだけの平和主義は将来に渡り永続するものなのか。沖縄と基地問題という問題を政治と住民はどう受け止めるのか。少なくとも、今後南西諸島の平和が破綻し、第一次沖縄戦慰霊の日と別の沖縄戦を将来慰霊する事だけは、避けねばなりません。そもそも、私たちはどの程度、沖縄戦を知っているのか、その要因はどこなのか、理解を共有できているか。

 現代史に学ぶ必要はあると思う。アイスバーグ作戦、連合軍による沖縄侵攻は日本本土侵攻への戦略拠点確保という意味がありました。当時は日本領台湾や占領下中国大陸沿岸部、鹿児島県島嶼部が沖縄本島と並ぶ選択肢として存在しました。沖縄と他の地域の違い、沖縄戦を慰霊する事と併せて、平和を祈念するのであれば、もう少し我々は現代史を学ばねばならないようにも、思います。

 米軍基地の問題、首里城からバスで20分程の位置に在る普天間飛行場、宜野湾市の中心部に広がる海兵隊飛行場を本島北部の名護市辺野古、キャンプシュワブ沿岸部に移設する工事は米軍飛行場を沿岸部埋立により移設するという事から沖縄県民世論の多数が反対し、その中を建設が進む。現実問題として建設は駐留規模削減に繋がる施策ではあるのですが。

 朝三暮四という単語ではありませんが、在沖海兵隊は今後戦闘部隊に集約されてゆきます、在沖海兵隊の主力は第3海兵師団と第31海兵遠征群です。アメリカ海兵師団は3個、この内唯一海外へ駐留しているのが第3海兵師団ですが、戦車大隊を持たず軽装甲偵察大隊も中隊編成という小型編成です。海兵遠征群はローテーション方式の即応部隊というもの。

 時事報道を知る必要も。2025年から第3海兵師団の主力は日米合意に基づきグアムへ移転を開始します。普天間飛行場移設が順調に進めば2027年にも移転を完了します。移転規模は戦闘部隊を中心に7000名規模となる。その上で北東アジア地域に地域安定のための抑止力を維持するには、第31海兵遠征群の即応性を強化する必要があり、海兵隊施設を沖縄本島北部に集約するという。

 海兵遠征群という運用は自衛隊には無いものですので馴染みが薄いですが、常設部隊は無く、海兵師団全てから練度の高い海兵大隊や海兵航空部隊を三カ月から六カ月の期間で抽出し、即応体制を執らせるというもの。沖縄本島北部には演習場があり、グアムと違い北東アジア地域へも近い。北部に集約、即ち空軍施設を含め嘉手納以南の施設は全面返還へ。

 嘉手納基地以南の米軍基地を全て返還させる、これは1990年代から政府自民党が慎重に交渉を進めていたもので、2005年の米軍再編日米合意において明確化されました。嘉手納基地は那覇空港から自動車で一時間、嘉手納以南返還は大きな意味が在ったのですね。ただ、普天間移設反対県民世論を観ていますと、嘉手納以南全面返還は求められている事なのか。

 普天間飛行場移設先は那覇空港拡張部分に移駐し、那覇空港の発着枠が不足するならば、貨物便や民間機が発着できる飛行場を名護市辺野古に沖縄空港として建設してはどうか、これは鳩山内閣時代から提案している選択肢です。嘉手納以南全面返還に固執しなければ普天間辺野古移転以外の選択肢はありそうでして、交渉の余地はないものなのかな、と。

 辺野古移設への厳しい県民世論を考えますと、勿論那覇空港へ海兵航空部隊を移駐させる事は相当な調整と返還予定施設の棚上げで混乱は大きいでしょうが、2025年の海兵隊一部グアム移駐開始により在沖米軍規模は縮小し嘉手納基地以南の米軍施設は全て返還、というよりも現状維持、普天間飛行場から米軍移転だけに注力する選択肢を考えてしまいます。

 ただし、時事報道だけでも、南西諸島の緊張はかなり厳しい印象も拭えません。特に沖縄への軍事圧力だけではなく、中国が進めている台湾海峡の緊張と南シナ海での緊張が、中国の国際公序への回帰という施策の変更か日本を含む国際社会のあらゆる努力が無ければ、その結果の緊張増大が日本の都道府県で最も及ぶのはもっとの南の沖縄県である、という現実もありまして。

 航空祭の最中に緊急発進が発令、京都から最寄りの戦闘機部隊、小松基地航空祭では数年に一度ありますが、那覇基地航空祭では頻度が明らかに多い。ロシア最寄の千歳基地で旅客機を撮影している際よりも那覇空港で旅客機を撮影している時の方が緊急発進が多い。弾道ミサイル接近の空襲警報を初めて経験したのも沖縄、中国公船の領海侵犯も日常化へ。

 沖縄は緊張状態にある、という印象なのですが、実は大昔に北海道でも似た印象を受けました。ただ、北海道は第2師団に第5師団と第7師団に第11師団が冷戦時代に抑止力で着上陸を防ぎました、沖縄は中国から圧力を受けてはいますが、ヴェトナムやフィリピンが環礁等を占領されたのに対し第9航空団と第18航空団、日米が沖縄の安定を維持している。

 沖縄慰霊の日、しかし第32軍が沖縄に創設されたのは1944年3月でそれ以前の日本軍拠点は1894年創設の台湾総督府陸軍局であり、1919年に創設された帝国陸軍台湾軍が台湾に拠点を置いていました、沖縄の基地負担軽減へは多国間防衛協力の強化や九州からの緊急展開部隊強化、様々な施策はありますが、沖縄の平和を永続させるためには、祈ると共に必要な施策を、官民ともに現実的に考える必要があるでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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