北大路機関

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【京都発幕間旅情】大井神社(静岡島田)天女羽衣流着伝説伝わる社殿は日本三大奇祭にて紡ぐ

2020-05-20 20:07:30 | 旅行記
■帯祭-島田大祭は三大奇祭
 東海道本線は日本の大動脈ですが、歴史の古さも日本有数のものであり沿線には美しい歴史を数多湛えています。

 大井神社。東海道本線島田駅から歩み進め十分、島田市大井町に鎮座しています神社です。旧社格は県社となっていますが戦後においては神社本庁の別表神社に列せられ、大井川の神霊を祀る神社となっています。同じ名の社殿は京都嵐山含め全国に鎮座しています。

 島田駅、東海道本線の拠点駅の一つで普通列車にてゆったりと東海道本線を散策していますと、島田行普通列車と巡り合う事があります。これだけならば単なる乗換駅なのですが、改札から指呼の距離に別表神社が鎮座していると聞きまして、一つ歩みを進めたしだい。

 日本書紀に記された大井川、その名は偉大な水と大きな水の流れを示す瑞祥地名でありまして、六国史によれば貞観7年の西暦865年、駿河国の大井川を大井神として従五位下の神階が贈られ、大井川の神格化が始ります。この頃に創建された社が大井神社の始まり。

 弥都波能売神と波邇夜須比売神と天照皇大神を祭神として祀る神社ですが、弥都波能売神 は水の神であり、波邇夜須比売神 は土の神であるとともに天照皇大神 は光の神、弥都波能売神を三柱の中央に祀る事が、この大井神社が大井川神格化を行った名残りといえます。

 境内は、東海道本線駅前の別表神社としては長大な参道と共に奥に拝殿本殿と清水をたたえた鏡池の情感とが不思議な気風を漂させ、しかし単に神格化された立地ではない事は境内の社務所に隣接した土産物屋が名物静岡おでんを熱々と煮込んでいる点に象徴的でした。

 天女羽衣流着伝説。大井川は中世以前の頃から流着伝説が残されていまして、榛原郡など太平洋にも近い大井神社よりも上流の立地に幾つか史跡と記録が残ります。そして、大井川は天女以上に気ままと思われるものでして度々その流れを換えました、水害ともいう。

 建治年間の西暦1276年、歴史的な大井川の大洪水が発生し、実はこの大洪水の前には大井神社は現在よりも遥かに上流に在ったと伝わります、これは上流で前述の榛原郡に大井神社旧社跡という石碑があり、また御神体として羽衣も榛原のあたりに祀られていたとも。

 島田大祭という、天下の奇祭があります。この祭事は帯祭とも呼ばれていまして、3年に1度、寅年と巳年と申年若しくは亥年の10月中旬に執り行われています。元々は元禄時代に嫁いできました花嫁が、大井神社に参拝し帯を奉納した事が始りというものなのですが。

 帯祭り、という祭事がなにか、羽衣伝説の名残りを思わせる様に感じなくもありません。しかし、この島田大祭は特徴的で、大名号列と見越し渡御に鹿島踊りという、時代祭と御輿に疾病祓いの舞踊を一つにまとめたような大規模なものでして興味深いものなのですね。

 日本三大奇祭というお祭り、この他は有名な山梨県富士吉田市の吉田の火祭、愛知県稲沢市の国府宮はだか祭り、と共に並んでいまして、この背景には大奴という、時代行列の山伏が全員、やっとこの大面を身に着けた大奴の姿にて練り歩くためという。境内に銅像が。

 大井神社は、伝統と共に大井川の河畔に歴史を紡いでいますが、同時に水害の影響も多く、慶長時代1604年には大井川決壊により一時高台に遷座しました、江戸時代には東海道島田宿の発展と共に幾度か遷座しています、現在地に遷座したのは元禄時代の1689年とのこと。

 静岡おでん。静岡県の郷土料理で格式ばったものではなく元々は駄菓子屋で数十円、平成初期にも十円に限りなく近い価格帯、駄菓子感覚で頂く煮込みです。実はビール清酒で名物を一献と思っていたのですが、境内のおでんは子供の社交場、断念し駅に向かいました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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