北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】貴船神社,白馬か黒馬か-七夕の短冊に願い溢れる水と絵馬の神社は二十二社下八社の一社

2023-07-19 20:22:10 | 写真
■鞍馬は大河の源流
 京都市内の猛暑と比べれば確かに暑いのだけれども熱いというほどではないという京都の奥座敷を巡りました。

 貴船神社、京都市左京区鞍馬貴船町という鴨川の源流をたどりますと最初の一滴が湧き出てくる立地でして、湧き出てくるというよりも神域の洞窟の奥で岩からしみ出て滴り零れるものが、とくとくと流れを生み、数多湧き水と下流で合流し、川となる。

 貴布禰と神話の時代から崇敬を集める社殿、当地には出町柳から叡山電車に乗り、鞍馬線を終点のすぐ手前の貴船口駅で降り、そこから鞍馬山山麓を貴船山に向かい、そう30分ほど歩く。歩くのは大変という方は貴船口駅から小さな路線バスも運行します。

 本宮参道のこの石階段は、京都を代表する風景の一つとなっていまして、いまはこう人の通りが途切れることも時折あるのですが、それまでゆったりと石段下にて過ごすものの、これも秋の紅葉となれば、そうも簡単にはいかなくなるのだろう、ともおもう。

 雪が降るとどうなるか。東京では山手線が遅れ京浜東北線が停まり常磐線が視界不良となり群馬県だけが平常運転、と聞くのですが、京都では雪が降るとどうなるか、その答えは、金閣寺と貴船神社が混む、といわれる。それほどにこの石階段の風情は独特です。

 きふねじんじゃ、と読みますので鞍馬貴船町という地名の方も実は長いこと、きふねちょう、と読んでいまして、いや叡電の駅名は濁点がつくのだけれども伝統地名なのかと思っていたら、貴船神社は神域であり濁らないが地名は濁点が入る、ということで。

 反正天皇の時代、創建は遥か昔の時代までさかのぼります。そして祀られていますのは水神である高龗神、こうした信仰の関係もありまして、例えば洪水が続く大雨の時節には、はたまた田畑が干上がる干ばつの時節には、祈願祭を開くという歴史が続きます。

 二十二社は下八社の一社、天変地異の際に祈りが集まるという事で二十二社の一翼を担う社殿でもあり、参拝には、確かに散策という気分転換の一環であり生死にかかわる祈りをささげるようなものではないのだけれども、社に向かう際には気持ちは切替わる。

 短冊が、境内には溢れています。いや実はこの短冊はまだ始まりでして、八月十五日の終戦記念日までは夜のライトアップなども行われます。もっとも、少々交通が不便な神域ですのでライトアップの境内を参拝するには散策ではなく心意気も必要なのですが。

 七夕の季節、ちょうどこの参拝の日は七夕の季節という事もありまして、その境内には短冊があふれていました。それで混雑している訳だ、とは考えすぎかもしれませんが、市内では祇園祭が始まった季節、こんな時代ですから短冊も人も願いとともに集う。

 絵馬発祥の神社である。短冊が数多集う様子は七夕神事こと貴船の水祭がちょうど七月七日に執り行われる故なのですが、そもそもこの貴船神社はわが国のおける絵馬、願掛けなどに用いられます絵馬の発祥の地であったりもするのです。これには水が関わる。

 黒馬を、かつて干ばつの際の雨ごい神事に際して朝廷は黒馬を貴船に献上していました。そして長雨の鎮定祈願の神事には白馬を献上していたという。隣が鞍馬山なので馬という訳ではありませんが、これがいつしか木札に描いた馬で代用されるようになった。

 白馬か黒馬か、これも日本が江戸時代に入り安定しますと、雨ごいや長雨鎮定という切迫よりも、個人の願いを絵馬に描いて奉納するよう文化は移ろいまして、しかし人々の願いというものの寄る辺に絵馬は今も残る、貴船神社とはそうした社殿が迎えるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】相国寺,開山堂庭園龍渕水の庭と白洲の美しい方丈前庭とともに思い浮かべる七重大塔

2023-07-19 20:00:23 | 写真
■相国寺の庭園
 庭園というものは人の少ない所ほど心落ち着きそして日常の雑事を別の視点から思い返す事が出来る。

 龍渕水の庭、相国寺の開山堂庭園は、枯山水の趣を湛える静かな庭園で、枯山水といえば龍安寺だけが有名になっている印象を遠方の方から聴きますと、いやいや主流ですしそもそも龍安寺が枯山水庭園を用いるようになったのはじつは最近の事、と返したい。

 方丈前庭は白洲が敷かれていまして、快晴の日には白洲に陽光が当たることで堂宇の奥までを反射光で照らし、それが実に美しい。この相国寺は写生という概念を日本に産んだ江戸時代の画家伊藤若冲に所縁ある寺院、その作品はいま山内の承天閣美術館などに。

 伊藤若冲の弟子相国寺第115世維明周奎の襖絵などは、撮影は出来ないのですが、方丈に並び、往時の情景を今に伝えます。ただ、龍渕水の庭、枯山水風なのですが造営当時にはここに実際に水が流れていたという。これは禅寺庭園には少々稀有といえるものです。

 山水庭園で、確かに豪雨の際には水が溜まりそうだなあと考えさせられるものですけれども、実際には流水が水音を響かせていたといいますので、ちょっと昔の様子、禅寺らしくない庭園なのかもしれませんが、再現したところを見てみたいとも思う好奇心がわく。

 明治の廃仏毀釈とともに寺域が大きく縮小し、元々檀家に町衆ではなく武家に頼った格式の寺院故に一気に衰退したといいます、ただ、ここで救われたのは伊藤若冲が永代供養料として奉納した絵画で、これを皇室に献上することで多額の下賜金を得て永らえる。

 京都の街並み、昔のままの京都で、というような歴史懐古趣味の方の話をご高説高らかに聞きますと一通り聞いたうえで尋ねるのは、その古い京都というのは、平安遷都の頃で寺院が一つもない時代なのか、鎌倉時代か南北朝の時代か、と思わず聞いてしまうのです。

 南北朝の時代は京都に禅宗寺院が入り始めた頃で新旧摩擦が大きい頃ですし、鎌倉初期の時代と北山文化花開いた際には気候の関係で餓死者続出、東山文化の詫び寂びが珍重される時代は応仁の乱で京都市内全域が戦闘地域という時代である、さてどこに戻すのか。

 地層のように歴史が積み重なり今の京都を醸しているのですし、何より平安遷都の時代から豊臣秀吉の京都大改造の時代と廃仏毀釈文明開化の時代まで、京都というのは左右対称都市や集合住宅に学校制度、長らく日本最先端都市であったことが忘れられている。

 三門や仏殿と流水あるころの龍渕水の庭には懐古と好奇心はわくのですが、しかし京都というものは古いものを淘汰して新しいものが栄えた街でもある。そしてこの禅宗寺院が壮大であることもその一つでしょう、室町時代にここには高層建築物さえあったのだ。

 七重大塔、相国寺をふと拝観する際に、どうしても思い出すのは七重大塔という高さ107mという巨大な仏塔という高層建築物が、応永年間の西暦1399年に造営されていた、ということです。14世紀に日本にそんな建築物が、伝説の出雲大社を除けば最高層という。

 107mの仏塔、京都タワーよりも少し低いですが当時の五重塔よりははるかに高い、八坂の塔こと法観寺五重塔の倍以上、ただ、最盛期、なんの最盛期かと問われると難しいのですが、京都に仏塔が最も多かった時代には二けたの100m前後の仏塔が林立していました。

 京都は変化の街なのだ、相国寺さえ変化しているが芯が継承される限り本質は変わらない故に古都として成り立っている、こう改めて思うのですが、この日変化しそうなのは歴史や景観ではなくお天気の方、雨が降る前に昼餉へと歩みを転じる、お帰りはこちら。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ラファール戦闘機来日決定!日仏共同訓練-新田原基地にて7月26日から7月29日に実施!

2023-07-19 07:00:40 | 防衛・安全保障
■日仏共同訓練
 インド空軍のフランカー戦闘機一月の来日の際に今度はラファールがみたいなあと呟きましたが、現実となりました。

 航空自衛隊はフランス航空宇宙軍との間で日仏共同訓練を日本国内で実施します。この訓練において特筆すべきは、フランス空軍が誇るラファール戦闘機が日本に展開するということです。訓練が実施されるのは航空自衛隊新田原基地、宮崎県の航空自衛隊でF-15イーグルが最初に配備されたマザースコードロンの飛行隊基地として知られる高台の基地です。

 日仏共同訓練の実施期間は7月26日から7月29日、新田原基地と基地周辺空域及び首都圏周辺空域で各種戦術訓練を実施すると発表されています。フランス空軍の参加部隊は、第4航空団第1飛行隊及び第2飛行隊よりラファール戦闘機2機、第31航空団第1飛行隊よりA-330MRTT空中給油輸送機1機、第61航空団第1飛行隊A-400M輸送機が1機と。

 フランス空軍の参加人員は120名という。航空自衛隊は第5航空団のF-15戦闘機3機と第8航空団のF-2戦闘機2機、第1輸送航空隊のKC-767空中給油輸送機1機と第2輸送航空隊のC-2輸送機1機、中部航空警戒管制団と西部航空警戒管制団が参加、首都圏周辺空域という訓練区域の発表はレーダーサイトとの要撃管制訓練等が含まれているのでしょう。
■ラファール戦闘機とは
 ラファール戦闘機が来日するのは今回が初めてです。

 ラファール戦闘機はフランスが独自開発した第4.5世代戦闘機です。もともとフランスはイギリスやドイツとイタリアやスペインと共にユーロファイター計画へ参画していましたが、空母艦載機としての運用性能を重要視するフランスにはユーロファイター戦闘機の計画された機体規模は巨大過ぎ、また独自エンジン採用などもフランスには重要視されていた。

 ラファール戦闘機は完成当初こそ、国際市場での評価はユーロファイターの後塵を拝することとなりました、しかし、ユーロファイターは機体構造寿命問題やAESAレーダー開発遅延問題と相次ぐ近代化改修要求により機体寿命と運用費用の問題を克服できず、徐々に初期のような国際市場におけるポテンシャルを維持できなくなっていました。そこでは。

 ラファール戦闘機はラファールF4.1が最新機種ですが、高い所を狙いすぎない設計と低RCS設計による限定的なステルス性、比較的高い稼働率と低い運用費用がフランス空軍とフランス海軍での運用で証明され、インド空軍では中国第五世代戦闘機へ対抗する切り札として採用、エジプトやクロアチアとギリシャなど採用国を近年になり急増させています。

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