■寺社仏閣と遊興地の分水嶺
京都を散策していますと日本史や日本社会と価値観や文化の源流が見えるところが面白いのですが、関心と理解が無ければ散策するならば別の場所の方がいいのかもしれない。
貴船神社、その創建は反正天皇の時代といい、西暦でいえば430年代まで遡ります。十年一昔といいますし、貴船に隣接する鞍馬山の名を冠した護衛艦くらま竣工が1981年ですが、しかしそれと比べても貴船神社の創建は遥か昔という表現では全く、という。
玉依姫命、神話上の神武天皇その実母が船に乗って淀川から守側とそして貴船川を上ったという故事から、となりますが、すると神話は除いていつ頃からの社殿なのかという事が気になりますが、歴史上残っているのは白鳳6年こと西暦666年の記録まで遡る。
鞍馬寺、その始まりに際しても東寺を造営していた当時の藤原伊勢人に託宣を行ったのは貴船神社の高龗神とされていますので、高龗神の夢のお告げがそのまま貴船神社と理解するほどには、実は奈良時代には定着していた神社だ、ということがわかります。
歴史をある程度理解していないと、京都を観光するよりは渋谷や秋葉原でも歩き回った方がいいのではないか。世界のお客様が増える中に在って、ふと京都散歩には、単に見栄えのいい景色だけを巡るならば、日本にはもう少しほかにいい場所がある、と思う。
唐招提寺、奈良の唐招提寺にて先日起こりました落書きの一例を以て少し考えるところが。また外人か、とおもうなかれ、日本でも沖縄の慰霊碑で悪戯をして放火した地元の若い方の事例がありましたし、京都でもおそらく多かれ少なかれ起きているようにも。
奈良の一件は七夕の少し後の、つまりつい先日、カナダからの外国人観光客の未成年の若者が、唐招提寺が退屈だったので金堂に爪で自分の名前を刻んだ、という事件があり、ほかの観光客が通報、警察の取り調べにおいて、退屈しのぎだった、と話している。
文化財保護法違反というれっきとした犯罪なのですが、唐招提寺の詰めによる傷の落書きは10㎝幅で削られたという事ですから、簡単には修復できません、なにしろ鑑真さんが伝法しました奈良時代の建物ですので簡単に板を張り替えるわけにはいかない。
歴史を知らないと退屈なのかもしれないけれども、変な話、あの太平洋戦争で中国だけでは足りずにアメリカを空母の大艦隊で正面から襲い世界を相手に全面戦争を仕掛けた日本で千年単位受け継がれた寺社仏閣が京都には多い、という周知が必要なのか。
コロッセオ、ローマでも何年か前に落書きをしたロシア人が逮捕され2万ユーロの罰金をいいわたされた事例がありますし、コロッセオが二千年前の建物だと知らなかった、という謝罪になっていないような謝罪もありました。すると観光客を迎えるのは大変だ。
参拝者として神社は迎えており、拝観者として寺院は迎えている。ただ、見栄えのいいだけのものを見たければ、大阪城に、昭和天皇を迎えるために陸軍が第四師団司令部庁舎とともに再建した歴史はある建物、こうしたものをお勧めしたほうがいいのかも。
京都を散策し、寺社仏閣の歴史を紐解くと、日本史や日本文化の見えなくてよい根底部分が見えてくるものです、それは非常に楽しいのだけれども、しかし写真映えするような風景だけを眺めに京都を散策するというのは、本人が満足ならばそれはいいけれど。
文化財、こう一括りにされるものだけれども寺社仏閣は支えてきた人々の願いがある、家族旅行などで寺社仏閣を世界から敢えて京都を選ぶ際には、唐招提寺のようなことが無いように、と考えてしまうのですね。そうすることで歴史は来訪者を受け入れる。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
京都を散策していますと日本史や日本社会と価値観や文化の源流が見えるところが面白いのですが、関心と理解が無ければ散策するならば別の場所の方がいいのかもしれない。
貴船神社、その創建は反正天皇の時代といい、西暦でいえば430年代まで遡ります。十年一昔といいますし、貴船に隣接する鞍馬山の名を冠した護衛艦くらま竣工が1981年ですが、しかしそれと比べても貴船神社の創建は遥か昔という表現では全く、という。
玉依姫命、神話上の神武天皇その実母が船に乗って淀川から守側とそして貴船川を上ったという故事から、となりますが、すると神話は除いていつ頃からの社殿なのかという事が気になりますが、歴史上残っているのは白鳳6年こと西暦666年の記録まで遡る。
鞍馬寺、その始まりに際しても東寺を造営していた当時の藤原伊勢人に託宣を行ったのは貴船神社の高龗神とされていますので、高龗神の夢のお告げがそのまま貴船神社と理解するほどには、実は奈良時代には定着していた神社だ、ということがわかります。
歴史をある程度理解していないと、京都を観光するよりは渋谷や秋葉原でも歩き回った方がいいのではないか。世界のお客様が増える中に在って、ふと京都散歩には、単に見栄えのいい景色だけを巡るならば、日本にはもう少しほかにいい場所がある、と思う。
唐招提寺、奈良の唐招提寺にて先日起こりました落書きの一例を以て少し考えるところが。また外人か、とおもうなかれ、日本でも沖縄の慰霊碑で悪戯をして放火した地元の若い方の事例がありましたし、京都でもおそらく多かれ少なかれ起きているようにも。
奈良の一件は七夕の少し後の、つまりつい先日、カナダからの外国人観光客の未成年の若者が、唐招提寺が退屈だったので金堂に爪で自分の名前を刻んだ、という事件があり、ほかの観光客が通報、警察の取り調べにおいて、退屈しのぎだった、と話している。
文化財保護法違反というれっきとした犯罪なのですが、唐招提寺の詰めによる傷の落書きは10㎝幅で削られたという事ですから、簡単には修復できません、なにしろ鑑真さんが伝法しました奈良時代の建物ですので簡単に板を張り替えるわけにはいかない。
歴史を知らないと退屈なのかもしれないけれども、変な話、あの太平洋戦争で中国だけでは足りずにアメリカを空母の大艦隊で正面から襲い世界を相手に全面戦争を仕掛けた日本で千年単位受け継がれた寺社仏閣が京都には多い、という周知が必要なのか。
コロッセオ、ローマでも何年か前に落書きをしたロシア人が逮捕され2万ユーロの罰金をいいわたされた事例がありますし、コロッセオが二千年前の建物だと知らなかった、という謝罪になっていないような謝罪もありました。すると観光客を迎えるのは大変だ。
参拝者として神社は迎えており、拝観者として寺院は迎えている。ただ、見栄えのいいだけのものを見たければ、大阪城に、昭和天皇を迎えるために陸軍が第四師団司令部庁舎とともに再建した歴史はある建物、こうしたものをお勧めしたほうがいいのかも。
京都を散策し、寺社仏閣の歴史を紐解くと、日本史や日本文化の見えなくてよい根底部分が見えてくるものです、それは非常に楽しいのだけれども、しかし写真映えするような風景だけを眺めに京都を散策するというのは、本人が満足ならばそれはいいけれど。
文化財、こう一括りにされるものだけれども寺社仏閣は支えてきた人々の願いがある、家族旅行などで寺社仏閣を世界から敢えて京都を選ぶ際には、唐招提寺のようなことが無いように、と考えてしまうのですね。そうすることで歴史は来訪者を受け入れる。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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