■明野ヘリコプター紹介
ヘリコプターは大きく減ったもののそれでも航空学校だと納得できる程度の航空機は飛行しています。
明野航空祭、祝賀飛行の大編隊は航過飛行してくれるのは一回だけですので、航空自衛隊の様に編隊を組みなおしてもう一度ということはなく、20年以上前にそれを知らず残念な思いをしたことが有ります、今回も例外ではなく、大編隊は旋回して着陸態勢へ。
89号機、と大書されたAH-1S対戦車ヘリコプターが滑走路へ入ってきます、そうAH-1S対戦車ヘリコプターは96機が富士重工にてライセンス生産されていますので、練習機とは言えもう89号機が目の前に僅かな編隊を組んでいたというのは驚き、完全退役が近い。
UH-2多用途ヘリコプター、富士重工といいますか現在の社名はスバルですが、スバルはベル社と1961年からUH-1シリーズのライセンス生産を行っている関係もありまして、今回はベル421EPIを元に軍用型としてUH-2を開発しています、地味に採用国も増えている。
UH-Xとして川崎重工がOH-1観測ヘリコプター派生型のUH-Xを国産開発する構想がありましたが、防衛省が要求仕様書の性格に掛けなかった事で川重に相談した事が官製談合扱いとなり白紙に、この混乱でOH-1生産再開も実らず、観測ヘリコプターは皆無へ。
OH-1にUH-1JにUH-2と自衛隊航空勢ぞろい、という。なお、UH-2は開発当時、一機13億円程度で500km以上飛行出来る双発の軍用機、ということで世界中を探したものの、そんな安価で高性能な航空機は存在せず、結局国産開発することとなった経緯があります。
500kmの航続距離、師団飛行隊に配備する多用途ヘリとしては踏み込みすぎという指摘が当時はありましたが、今年元日の能登半島地震において、奥能登と近傍の航空拠点である小松基地とが往復で300kmあり、現地での飛行を考えれば500kmは必要だったとわかる。
観測ヘリコプターは、しかし全廃は失敗でしか無かったように思うのです。特にOH-1はデータリンク装置開発も進められていましたし、有事の際は勿論ですが、現在はUH-1に搭載しているTV中継装置を搭載して、空中搬送しリアルタイムで情報収集が出来た筈だ。
TV中継による情報衆主はUH-2でもUH-1でも可能だと反論されるかもしれませんが、多用途ヘリコプターを1機、いや搬送機を含めれば2機以上か、映像情報収集に割くということは、発災当初の貴重な時間に救援物資を運べる機体が2機以上減る事を意味するゆえ。
AH-1Sについても、例えば観測ヘリコプターの場合は現在の厳しい防空環境にぽいて生存できないという指摘があるのですから、観測ヘリコプターと攻撃ヘリコプターを機種として統合する選択肢は合って良かったと思うのですが、両方とも廃止で機数が激減するのだ。
能登半島地震では、ヘリコプターが足りているのか足りていないのかが、自衛隊が送る数のミクロ的な視点で揚げ足取りしている方が観られますが、それ以前に、対戦車ヘリコプターと観測ヘリコプターを廃止しつつあること、自衛隊を削った事が問題の骨子なのです。
災害に際して何か、政権叩きに利用している方が、少なくない数、いや選挙では少数派なのですが揚げ足取り、ポピュリズム的に騒いでいる方を御見受けしまして、これでは政治は良くならないのではないかなあ、と思う。もう少し本質を検証して、理論化しなければ。
南海トラフ地震という、明日起るかもしれない災害を抱えている日本なのです、いま調達計画を強いても間に合わないのかもしれませんが、それでもやらないよりはいい、観測ヘリコプターといいますか、しっかりとしたかつての航空部隊を再建して欲しいと願うのだ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
ヘリコプターは大きく減ったもののそれでも航空学校だと納得できる程度の航空機は飛行しています。
明野航空祭、祝賀飛行の大編隊は航過飛行してくれるのは一回だけですので、航空自衛隊の様に編隊を組みなおしてもう一度ということはなく、20年以上前にそれを知らず残念な思いをしたことが有ります、今回も例外ではなく、大編隊は旋回して着陸態勢へ。
89号機、と大書されたAH-1S対戦車ヘリコプターが滑走路へ入ってきます、そうAH-1S対戦車ヘリコプターは96機が富士重工にてライセンス生産されていますので、練習機とは言えもう89号機が目の前に僅かな編隊を組んでいたというのは驚き、完全退役が近い。
UH-2多用途ヘリコプター、富士重工といいますか現在の社名はスバルですが、スバルはベル社と1961年からUH-1シリーズのライセンス生産を行っている関係もありまして、今回はベル421EPIを元に軍用型としてUH-2を開発しています、地味に採用国も増えている。
UH-Xとして川崎重工がOH-1観測ヘリコプター派生型のUH-Xを国産開発する構想がありましたが、防衛省が要求仕様書の性格に掛けなかった事で川重に相談した事が官製談合扱いとなり白紙に、この混乱でOH-1生産再開も実らず、観測ヘリコプターは皆無へ。
OH-1にUH-1JにUH-2と自衛隊航空勢ぞろい、という。なお、UH-2は開発当時、一機13億円程度で500km以上飛行出来る双発の軍用機、ということで世界中を探したものの、そんな安価で高性能な航空機は存在せず、結局国産開発することとなった経緯があります。
500kmの航続距離、師団飛行隊に配備する多用途ヘリとしては踏み込みすぎという指摘が当時はありましたが、今年元日の能登半島地震において、奥能登と近傍の航空拠点である小松基地とが往復で300kmあり、現地での飛行を考えれば500kmは必要だったとわかる。
観測ヘリコプターは、しかし全廃は失敗でしか無かったように思うのです。特にOH-1はデータリンク装置開発も進められていましたし、有事の際は勿論ですが、現在はUH-1に搭載しているTV中継装置を搭載して、空中搬送しリアルタイムで情報収集が出来た筈だ。
TV中継による情報衆主はUH-2でもUH-1でも可能だと反論されるかもしれませんが、多用途ヘリコプターを1機、いや搬送機を含めれば2機以上か、映像情報収集に割くということは、発災当初の貴重な時間に救援物資を運べる機体が2機以上減る事を意味するゆえ。
AH-1Sについても、例えば観測ヘリコプターの場合は現在の厳しい防空環境にぽいて生存できないという指摘があるのですから、観測ヘリコプターと攻撃ヘリコプターを機種として統合する選択肢は合って良かったと思うのですが、両方とも廃止で機数が激減するのだ。
能登半島地震では、ヘリコプターが足りているのか足りていないのかが、自衛隊が送る数のミクロ的な視点で揚げ足取りしている方が観られますが、それ以前に、対戦車ヘリコプターと観測ヘリコプターを廃止しつつあること、自衛隊を削った事が問題の骨子なのです。
災害に際して何か、政権叩きに利用している方が、少なくない数、いや選挙では少数派なのですが揚げ足取り、ポピュリズム的に騒いでいる方を御見受けしまして、これでは政治は良くならないのではないかなあ、と思う。もう少し本質を検証して、理論化しなければ。
南海トラフ地震という、明日起るかもしれない災害を抱えている日本なのです、いま調達計画を強いても間に合わないのかもしれませんが、それでもやらないよりはいい、観測ヘリコプターといいますか、しっかりとしたかつての航空部隊を再建して欲しいと願うのだ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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