■満開の桜
ここは静けさの寺院なのですが拝観の際に観桜とともにその歴史まで辿りますと成程感慨深いものが有ります。
立本寺、ここは上京区七本松通仁和寺街道上ル一番町という市電横丁とこどもたちには縁が遠い日活映画館あたりからぐっと住宅地のほうに入りました、ほんとうの街中の寺院です。梅花の季節には梅は香と思いましたが、数が多かれば桜並木も桜は香るのです。
桜花の季節にはどうしてもここに歩みを進めたくなる、というのはこの堂宇を巡り合いましたのは、ふっとした偶然の向こうに出会ったような経緯がありまして、それほど混雑しない、というよりも混雑とは無縁の堂宇は激しく感受性を揺さぶる情感にみちている。
上京区七本松通、静かな一角ですので観光客というのは、もしかしたらばいるのかもしれませんが静かな拝観者だけが歩み進めているという印象で、桜花の季節には花弁が音を吸収するためなのでしょうか、山寺のようなしんとした静寂と微かな蜂の羽音が響くのみ。
COVID-19のいちばん猛威を振るったころ、いや日本では静観していても国際報道では世界中が欧州だけで毎日数千が死亡し、北米大陸もひどいが人口比で南米大陸がひどく、アジアでは集計さえできない地域があったなか、ふと桜を見上げていましたようなお堂だ。
宿坊と高齢者施設とを運営しています立本寺さん、本堂の方へ桜並木が続いているのですが、伽藍の堂宇が哲学的な直線と桜花の曲線とを交響詩のように織り込んだ風景を醸していまして、そう歩けばそれほど長い距離ではないのだけれども、奥深さを感じさせる。
由緒寺院という日蓮宗の本山にあたる寺院の一つで、門構えは入っていいのかな、とおもいつつ観光でなく拝観ならばと但し書きがありまして、凛とした方に力を入れて拝観することとしました。これは遊興の場としないためなのか、過去に何かあったのか、とも。
天文法華の乱、何かあったのかといいますとお寺の歴史については何かあった寺院であり、このお寺は日像さんが開いた寺院という、妙顕寺を開きましたあの日像さんです。創建は1321年、元亨元年に当たる寺院でこの創建年間というものもやはり妙顕寺とおなじ。
妙顕寺さんは上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町、堀川通沿いにありますので若干距離はあるのですが、三宝尊を奉じる寺院という点も同じでして、少し調べてみますと、ここはもともと妙顕寺さんでもありまして、洛中法華二十一寺としてもかぞえられています。
天文法華の乱、洛中法華二十一寺といいますのは室町時代と安土桃山時代の狭間という戦国乱世の時代に京都で影響力を増していた日蓮宗と京都遷都の時代は桓武天皇の時代より京都の奉護を自認する天台宗との対立が、とうとう全面衝突に至った際の寺院のこと。
洛中法華二十一寺は大半が現存しているのですが、天文法華の乱では松本問答という日蓮宗と天台宗の問答の末に論破を自称した日蓮宗の僧侶が上壇の天台宗僧侶から法衣を剥ぎ取る暴行を加え、これを基に反発した天台宗との全面戦争に発展した、というもので。
立本寺のいろいろあった歴史、というものはここを示しています。詳細は後述しますが、一時京都から離れていた一つの寺院が、京都に戻った際の時差などから二つの寺院に分かれてしまった、という。日本の宗教史を遡れば意外と多い出来事なのですけれどもね。
並木一面さくら色という風情とともに、立本寺には庭園も拝観できるという事なのですけれども、ここを見上げますと余韻は花吹雪までだよなあ、と今一度見上げるのです。刹堂は階段がありまして、少し腰かけて、春が来たのだなあ、今年も実感し時を過ごすのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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ここは静けさの寺院なのですが拝観の際に観桜とともにその歴史まで辿りますと成程感慨深いものが有ります。
立本寺、ここは上京区七本松通仁和寺街道上ル一番町という市電横丁とこどもたちには縁が遠い日活映画館あたりからぐっと住宅地のほうに入りました、ほんとうの街中の寺院です。梅花の季節には梅は香と思いましたが、数が多かれば桜並木も桜は香るのです。
桜花の季節にはどうしてもここに歩みを進めたくなる、というのはこの堂宇を巡り合いましたのは、ふっとした偶然の向こうに出会ったような経緯がありまして、それほど混雑しない、というよりも混雑とは無縁の堂宇は激しく感受性を揺さぶる情感にみちている。
上京区七本松通、静かな一角ですので観光客というのは、もしかしたらばいるのかもしれませんが静かな拝観者だけが歩み進めているという印象で、桜花の季節には花弁が音を吸収するためなのでしょうか、山寺のようなしんとした静寂と微かな蜂の羽音が響くのみ。
COVID-19のいちばん猛威を振るったころ、いや日本では静観していても国際報道では世界中が欧州だけで毎日数千が死亡し、北米大陸もひどいが人口比で南米大陸がひどく、アジアでは集計さえできない地域があったなか、ふと桜を見上げていましたようなお堂だ。
宿坊と高齢者施設とを運営しています立本寺さん、本堂の方へ桜並木が続いているのですが、伽藍の堂宇が哲学的な直線と桜花の曲線とを交響詩のように織り込んだ風景を醸していまして、そう歩けばそれほど長い距離ではないのだけれども、奥深さを感じさせる。
由緒寺院という日蓮宗の本山にあたる寺院の一つで、門構えは入っていいのかな、とおもいつつ観光でなく拝観ならばと但し書きがありまして、凛とした方に力を入れて拝観することとしました。これは遊興の場としないためなのか、過去に何かあったのか、とも。
天文法華の乱、何かあったのかといいますとお寺の歴史については何かあった寺院であり、このお寺は日像さんが開いた寺院という、妙顕寺を開きましたあの日像さんです。創建は1321年、元亨元年に当たる寺院でこの創建年間というものもやはり妙顕寺とおなじ。
妙顕寺さんは上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町、堀川通沿いにありますので若干距離はあるのですが、三宝尊を奉じる寺院という点も同じでして、少し調べてみますと、ここはもともと妙顕寺さんでもありまして、洛中法華二十一寺としてもかぞえられています。
天文法華の乱、洛中法華二十一寺といいますのは室町時代と安土桃山時代の狭間という戦国乱世の時代に京都で影響力を増していた日蓮宗と京都遷都の時代は桓武天皇の時代より京都の奉護を自認する天台宗との対立が、とうとう全面衝突に至った際の寺院のこと。
洛中法華二十一寺は大半が現存しているのですが、天文法華の乱では松本問答という日蓮宗と天台宗の問答の末に論破を自称した日蓮宗の僧侶が上壇の天台宗僧侶から法衣を剥ぎ取る暴行を加え、これを基に反発した天台宗との全面戦争に発展した、というもので。
立本寺のいろいろあった歴史、というものはここを示しています。詳細は後述しますが、一時京都から離れていた一つの寺院が、京都に戻った際の時差などから二つの寺院に分かれてしまった、という。日本の宗教史を遡れば意外と多い出来事なのですけれどもね。
並木一面さくら色という風情とともに、立本寺には庭園も拝観できるという事なのですけれども、ここを見上げますと余韻は花吹雪までだよなあ、と今一度見上げるのです。刹堂は階段がありまして、少し腰かけて、春が来たのだなあ、今年も実感し時を過ごすのです。
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