■富士学校祭観閲行進
富士学校祭は今年度例年とちょっと趣向を変えた場所から撮影してみることとしました。
10式戦車を先頭に観閲行進が開始されます。今年は本州に残る最後の戦車部隊、第9戦車大隊、第10戦車大隊、第13戦車中隊が年度末改編による廃止、本州戦車部隊全廃を控えた戦車最後の日が近づいているのですが、やはり専守防衛の象徴といえば戦車だと思う。
普通科教導連隊の観閲行進、将棋が今話題ですが、自衛隊の普通科重視というのは、実は将棋の“歩”がやけに多い、という実情が反映されているのかな、と思うのです。そして普通科教導連隊は96式多目的誘導弾MPMSなど対戦車ミサイルからはじまりました。
96式多目的誘導弾MPMS、射程は非常に大きく1990年代の対戦車ミサイルでは世界最大の射程を誇っていたものの、7両からなる発射システムを連接させる煩雑な方式であり実際は戦術ミサイルシステム、量産費用も高く、対戦車ミサイルとして普及は難しかったもの。
82式指揮通信車、232両ほど量産された装備で元々、小型装甲車として1970年代の高速道路網整備を前に普通科部隊用装輪装甲車として開発されたものの、二度の石油危機により量産が見送られ、とりあえず指揮車として整備、これを元に偵察警戒車などが造られた。
指揮車とともに派生車両として化学防護車、そして駆動系統や車体構成部品などを共通化させ87式偵察警戒車も開発、ファミリー化に成功しています。ただ、老朽化が進んでおり、車内容積の広いフィンランドのパトリアAMV装甲車がこの後継になると思われています。
軽装甲機動車、陸上自衛隊だけで2000両近い車両が配備され、普通科部隊の装甲化を一挙に押し進めた功労者、元々は乗車したまま対戦車ミサイルや機銃を駆使して任務に当る騎兵装甲車的な運用でしたが、装甲車不足の自衛隊では小さい装甲輸送車という位置づけ。
89式装甲戦闘車、冷戦末期に強力なソ連製BMP-3装甲戦闘車に対抗するべく北海道の普通科部隊用に開発した当時としては世界で最も強力な装甲戦闘車で35mm機関砲、79式対舟艇対戦車誘導弾を搭載し重装甲、ただ冷戦が終わり68両が製造されるにとどまりました。
北部方面隊の師団は冷戦時代、第7師団の第11普通科連隊に第2師団の第3普通科連隊と第5師団の第27普通科連隊と第11師団の第18普通科連隊、この4個連隊に装甲車が集中配備されていて89式装甲戦闘車もこれら連隊を念頭に350両量産が見込まれていました。
普通科部隊の装甲戦闘車、ただ、実際に機械化装備に不慣れな普通科が運用しますと、車両整備と乗車戦闘という、防衛線が示す線に依拠する運用ではなく確保地域という面で運用する戦車部隊の運用が馴染まない為、あれは殆ど戦車、という感想が示されたりします。
軽装甲機動車、2中隊の装備で携帯しているのは84mm無反動砲、普通科部隊装甲化の立役者というものの後継装備がスイス製イーグルⅣかオーストラリア製ハーケイとして検討中、小さすぎる装甲輸送車の後継となる為、本車の一部はパトリアAMVが後継となるか。
96式装輪装甲車、小松製作所が開発した装甲車でかなり低コストに成功し、装甲厚はそれほどではないのですが、一両9000万円に収めた、ストライカー装輪装甲車の半額程度で、頑張って安く量産した小松製作所さんの為にもう少し毎年調達できなかったか、とおもう。
装輪装甲車としては小型すぎる、という批判や若干防御力が薄い、という批評もあるようですが、トラックで砲弾の雨の中を移動するよりは随分安全で、小銃班の小規模化や対戦車火器を車外搭載するなどで対応できるし、もっと量産できたのではないかと思うのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
富士学校祭は今年度例年とちょっと趣向を変えた場所から撮影してみることとしました。
10式戦車を先頭に観閲行進が開始されます。今年は本州に残る最後の戦車部隊、第9戦車大隊、第10戦車大隊、第13戦車中隊が年度末改編による廃止、本州戦車部隊全廃を控えた戦車最後の日が近づいているのですが、やはり専守防衛の象徴といえば戦車だと思う。
普通科教導連隊の観閲行進、将棋が今話題ですが、自衛隊の普通科重視というのは、実は将棋の“歩”がやけに多い、という実情が反映されているのかな、と思うのです。そして普通科教導連隊は96式多目的誘導弾MPMSなど対戦車ミサイルからはじまりました。
96式多目的誘導弾MPMS、射程は非常に大きく1990年代の対戦車ミサイルでは世界最大の射程を誇っていたものの、7両からなる発射システムを連接させる煩雑な方式であり実際は戦術ミサイルシステム、量産費用も高く、対戦車ミサイルとして普及は難しかったもの。
82式指揮通信車、232両ほど量産された装備で元々、小型装甲車として1970年代の高速道路網整備を前に普通科部隊用装輪装甲車として開発されたものの、二度の石油危機により量産が見送られ、とりあえず指揮車として整備、これを元に偵察警戒車などが造られた。
指揮車とともに派生車両として化学防護車、そして駆動系統や車体構成部品などを共通化させ87式偵察警戒車も開発、ファミリー化に成功しています。ただ、老朽化が進んでおり、車内容積の広いフィンランドのパトリアAMV装甲車がこの後継になると思われています。
軽装甲機動車、陸上自衛隊だけで2000両近い車両が配備され、普通科部隊の装甲化を一挙に押し進めた功労者、元々は乗車したまま対戦車ミサイルや機銃を駆使して任務に当る騎兵装甲車的な運用でしたが、装甲車不足の自衛隊では小さい装甲輸送車という位置づけ。
89式装甲戦闘車、冷戦末期に強力なソ連製BMP-3装甲戦闘車に対抗するべく北海道の普通科部隊用に開発した当時としては世界で最も強力な装甲戦闘車で35mm機関砲、79式対舟艇対戦車誘導弾を搭載し重装甲、ただ冷戦が終わり68両が製造されるにとどまりました。
北部方面隊の師団は冷戦時代、第7師団の第11普通科連隊に第2師団の第3普通科連隊と第5師団の第27普通科連隊と第11師団の第18普通科連隊、この4個連隊に装甲車が集中配備されていて89式装甲戦闘車もこれら連隊を念頭に350両量産が見込まれていました。
普通科部隊の装甲戦闘車、ただ、実際に機械化装備に不慣れな普通科が運用しますと、車両整備と乗車戦闘という、防衛線が示す線に依拠する運用ではなく確保地域という面で運用する戦車部隊の運用が馴染まない為、あれは殆ど戦車、という感想が示されたりします。
軽装甲機動車、2中隊の装備で携帯しているのは84mm無反動砲、普通科部隊装甲化の立役者というものの後継装備がスイス製イーグルⅣかオーストラリア製ハーケイとして検討中、小さすぎる装甲輸送車の後継となる為、本車の一部はパトリアAMVが後継となるか。
96式装輪装甲車、小松製作所が開発した装甲車でかなり低コストに成功し、装甲厚はそれほどではないのですが、一両9000万円に収めた、ストライカー装輪装甲車の半額程度で、頑張って安く量産した小松製作所さんの為にもう少し毎年調達できなかったか、とおもう。
装輪装甲車としては小型すぎる、という批判や若干防御力が薄い、という批評もあるようですが、トラックで砲弾の雨の中を移動するよりは随分安全で、小銃班の小規模化や対戦車火器を車外搭載するなどで対応できるし、もっと量産できたのではないかと思うのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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