北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【M-5撮影速報】岐阜基地航空祭2024予行.C-1FTB&C-2輸送機とF-15特別塗装機(2024-11-13)

2024-11-16 20:01:21 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■70周年大編隊
 明日の天気はどうなるのだろうか若干好転の予報もでているようだけれどもさてさて。

 C-1FTBとC-2輸送機、今年の岐阜基地航空祭は、こう、しっかりとC-2輸送機とC-1輸送機、まあC-1輸送機というよりはC-1FTBフライトテストベットという名のだけれども、この編隊飛行というのが、貴重な、変化を前にした情景といえるのかもしれない。

 C-2輸送機は、この試験機塗装は初号機、思い出せば例えばUS-2救難飛行艇は試作機も迷彩塗装となりまして第一線任務につき、先日退役しましたけれども、C-2輸送機の試験機と層のまま現役となって半世紀は飛び続けるのだろうか、迷彩となるのか。

 F-2戦闘機の試験機塗装のまま、エシュロン編隊で異機種大編隊に参加した戦闘機と練習機が岐阜基地上空へ展開して参りまして、エシュロン隊形を崩して大きく旋回してゆく、こう、滑走路へと着陸する機動をとってゆきました。

 機動飛行も好いけれども、編隊飛行というのは、数が多いだけあって、数の迫力というものがある、その編隊が一気に躍動する感じ、そんな情景を撮影できるのがこの瞬間なのだけれども、言い換えればこの後着陸してしまう寂しさもあるのだよなあ。

 エシュロン隊形で、まずどの機体が参加しているのか、特に今年しか見られないのはイーグルの試作機塗装、これは航空自衛隊創設70周年記念塗装という、是非撮影しておきたい塗装のイーグルがどこに来ているのか、という注目するてんが変わってきて。

 70周年の記念マーキングは、実はF-2初号機の垂直尾翼にも描かれているのだけれども、この機動では確認しているところはそんな暇はないよ、となってしまう。もう考えるよりもシャッターを押して撮影しておく、写真の出来は後で確認しよう。

 スペマ機、スペシャルマーキングのF-15戦闘機も、滑走路に進入するときはこの撮影位置よりも南側の、つまり逆光の位置を飛行してしまうので、ちょっと見分けがつかなくなってしまうけれども、イーグルだ、というシルエットは鮮明にわかるのだ。

 異機種大編隊。異機種大編隊。あれ、エシュロンは、と思われるかもしれないけれども、実はこの日木曽川堤防でも、あれ、タッチアンドゴーでまた離陸したぞ、と困惑だった、70の文字を描いて再度飛来してきました、やり直し、なのかな。

 航空自衛隊70周年記念の70を大空に描くこの異機種大編隊、基地から3km近くはなれた木曽川堤防でこの大きさだから、当日は魚眼レンズ、とまではいかずとも、しかしかなりの広角レンズが無いと画角からはみ出してしまうのでは、と思うもの。

 EOS-M5に18-150mmSTMレンズという新装備で撮影しているのだけれども、メインカメラではないので適当にカメラ任せで撮影していましたならば、もうこの70の数字を構成する航空機が何機かフレームを出てしまった、大空に描かれたこの数字が。

 18-150mmSTMレンズから出てしまった、と思ってよくよく数えてみるとこれ、70の”0”という数字を3機編隊で描いているので、はみでてしまったのではなく機数が足りていないのか、まあ、そうだこれが予行なのだよね、と妙に納得してしまう。

 異機種大編隊を完了して、しかし予定として岐阜基地が発表していた機動飛行の時間を超過していたのでエシュロン隊形は組まずにそのまま順次着陸してゆきました。けれども二度も70の大編隊をみることができましたので、ちょっと好い大団円でしたね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-岐阜,名鉄岐阜駅前-ホームラン成るか岐阜基地航空祭

2024-11-16 14:44:10 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 お天気は曇天だがなんとかなりそうなのかと明日を考えつつ岐阜の駅前酒場の話題などをひとつ。

 明日だぞ、岐阜基地航空祭、ということでもう航空祭予行とか難しいことは完了して、お天気とか考えず準備するのみ、もう気が早い人は正門まえで行列しているはず、というのは一寸言い過ぎだろうか。でももう予行という時節ではなく明日の準備だ。

 ハイボールから始める晩酌の薦め。航空祭というのは、おなかが減るのはわたしだけでしょうか、いや間違いではない、飛行展示を撮影するには第一に重要なのが撮影位置、すると昼餉に動くことは難しいですし、朝一で動くから朝食もなかなかキビシイ。

 水分だけはしっかりと、といってもお手洗いが凄いことになりますのでおいそれとがぶがぶ飲料水を飲みますと発汗で揮発しない分はあとあとお手洗いします、すると目のハエには行列ギョウレツDAIGYOURETU,するとやはりこれも控えめに。

 名鉄岐阜駅前、今回お勧めしたいのは、航空祭本番後でみなさん気の合った仲間同士で祝賀会を開くのにちょうどいいお店を、名鉄岐阜駅とJR東海道本線岐阜駅のちょうと間、名鉄岐阜駅の目の前にあります、焼き鳥屋さんというか、酒場というべきかな。

 航空祭はおまつり、おまつりが終わった後はがっとぐっとぐぐいと、呑んでしまおうよ、という話題です。ああ、自動車運転される方はウーロン茶かサイダーでね。完全自動運転車を早く実現してくれ、すると呑んでも乗れる時代がやって来るのに。

 焼き鳥と揚げ物と飲み物一通りそろっているホームラン酒場、ストライク男とかは居ない、もちろんホームラン女もだ、たぶん。いや古すぎというかなんというかそう、このネタが通じる相手ならば、日曜日一緒にどうです一杯、と言いたくなるお店です。

 岐阜市神田町9-18 新岐阜駅前第一ビル1F、そうだよ岐阜にも神田町あるんだよ古本屋もちょっと離れたところにあったぞ、榛名さんの本おいてあったぞ、という立地で。昔は路面電車、岐阜市内線の電停前だったのですが、なにかその雰囲気がのこって。

 ホームラン酒場さん、定休日無で営業開始は1130時から、つまり昼のみができる場所なのですね。店内は、古めかしく見えますが、今年が開業10周年ということでして、そうそのころには岐阜市内線廃線10年なのに、なにか駅前のいい意味で昔らしさ。

 旧市街というわけではないのだけれども、岐阜といえば川重の航空産業、そうおもっているのは岐阜市民にはほとんどいないのではないか、各務原市だしねえ、という感じで元々の岐阜市は繊維産業の町だったそうだ、この裏手が繊維問屋街でもあった。

 繊維問屋街はいまでも一部がスーツとかを安価に供してくれるのだけれども、買い付けの方がその昔、大垣夜行とか寝台特急まで駆使して買いに来て、旅館にも、冷暖房完備、と今の時代一種滑稽に見える看板を維持して暖簾を出しているところも多い。

 競輪場が岐阜市内にあって、名鉄で急行五分先の笠松駅前には、名馬オグリキャップのコスプレをした女の子や男の娘たちが走る笠松競馬場があったりで、いわば夢と野望の台地、大地というには狭いので平野部のやや高い台地、という印象のまちで。

 焼き鳥も若鮎の天麩羅も、何でもおいしかった。不思議なものでうまい肴があると、ちょいと一杯のつもりで云々、と植木等氏が歌ったように、ずいずいとお酒が進んで行く、いや、お酒を進ませる雰囲気を美味くかもせるというのが、良い酒場なのかな。

 岐阜基地航空祭は明日、雨具はじめカメラ関連の忘れ物があった場合は家電量販店よりも三星カメラというお店が良いが、一番のおすすめは名鉄に飛び乗って名古屋駅前のビッグカメラまで出てしまう事、航空祭の後には、こういうお楽しみもあって、いい。

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【京都幕間旅情】京福電鉄モボ101形,藤永田造船で製造されたこの電車は隣に駆逐艦曙建造中に製造されていた

2024-11-16 07:00:33 | コラム
■曙と同じ藤永田生まれ
 京都というのは不思議な縁が頻繁に佇んでいる街なのですがまさか駆逐艦が来るとはなあ。

 京福電鉄モボ101形、そろそろ新型車両に置き換わる為に撮影しておかなければ、と思うものの、旧塗装の内にもう少し撮影しておくべきだったかもしれないものですが、この丸っこい電車がそろそろ嵐電から新型車両に切り替わってしまうというのは、やはり。

 モボ101形は古い、と表現するのは簡単ですが古さは半端ではなく、なんと戦前、1929年から運用されつづけている、車体を更新して運用が継続されています。そして製造したのが、そんな事もやっていたのか、というメーカーによって製造されているのですね。

 藤永田造船所、陽炎型駆逐艦の黒潮や浦風や谷風とか、白露型駆逐艦の村雨とか江風とか、朝潮型駆逐艦の満潮とか山雲とか峯雲とか、吹雪型駆逐艦の曙とか電とか。101系電車の製造開始された1929年というのは、駆逐艦曙が起工式を行った1929年とおなじ。

 曙と同じ藤永田造船所、というのも藤永田造船所が海軍艦艇の建造を開始したのは1919年からなのですが、海軍指定工場に列記されるとともに経営多角化を進めるべく1921年に鉄道車両の製造を開始、鋼管や工業製造機器まで製造する様になっているのですね。

 昭和初期の鉄道車両、外見も古都にふさわしいといいますか、いつから走っているのだろう、というくらいに最早京都の風景に一体化しているところなのですが、工業製品としては、確かに昭和初期の車両というものは寿命を迎えているといえるのかもしれない。

 北野白梅町駅とかに休憩所としてモボ101形をホームの片隅に維持する事は出来ないものかなあ、と想ったり、鞍馬駅のデナ21のような中途半端な保存はしてくれないようにおもったりするのですが、一番あり得るのはそのまま解体なのだろうなあ、と思うのだ。

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