北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【M-5撮影特報】岐阜基地航空祭2024事前訓練-70周年祝う飛行開発実験団大編隊(2024-11-08)

2024-11-12 20:05:06 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■C-1FTBを先頭に
 岐阜基地航空祭2024事前訓練の様子を。頑張ってみてもEOS-M5には22mmSTMと15-45mmSTMしか手元にないのですが広角レンズでもこんな感じで撮れるよ、と。

 飛行開発実験団の異機種大編隊がこちらへと向かってきました、こういうのは予行出ないと撮影できない構図、というのもこういう編隊は真下から見上げるように考えているものの、少し離れた場所から真横に見上げた方が圧縮効果で凄い写真となる。

 圧縮効果で、圧縮効果、圧縮、ううむ。今回の写真はEOS-7DではなくEOS-M5に15-45mmSTMレンズを装着して、いわば、景観景況を撮影できるようにして、このレンズも駐屯地祭では多少なんとかなるのだけれども、航空祭では厳しいのかもしれぬ。

 C-1FTBを先頭に異機種大編隊、銀悪露のC-1FTBが際立つとともに、今年の航空祭の低調ぶり、浜松基地がT-4の機動飛行を行わなかったり入間基地が外来の戦闘機による機動飛行を行わず輸送機も2機までしか飛行させなかったことを考えると岐阜が。

 岐阜が、というよりも雲が、少し前までの鮮やかな試験機塗装が急にどんよりと、いうまでもない、機体が日陰に。曇天ではないこの岐阜の空ですが、叢雲と太陽が重なりますと、青空を背景にしていても、まあ。この逆光で撮影したのではないかと。

 太陽が戻った、金色のC-1FTBとともに随伴する特別塗装のF-15や試験機塗装のままのF-2初号機やなんかがそれらしい色合いを見せている、そして改めて思うのがサブカメラにしてもこの15-45mmSTMの、45mm焦点距離で航空機を撮るむずかしさ。

 斜線編隊、エシュロン隊形で岐阜基地上空へ戻ってきた異機種大編隊事前訓練参加航空機たち、この基地からかなり離れた場所で撮影するのは圧縮効果で撮影するとともに、エシュロン隊形もまた圧縮効果で狭まった陣容のように映るという利点があるのだ。

 エシュロン隊形からブレイクターンへ。F-2初号機が旋回を始めた、ブルーインパルスのコンバットローリングピッチのような感じで、ブレイクターンが開始されるのは着陸の準備、航空祭でもこの軌道が見え始めましたら、その飛行展示はいよいよ大団円だ。

 ブレイクターン、広角といいうる45mmでほぼほぼテキトーに撮影したようなこの構図ですが、まあ、これはこれで、岐阜基地が住宅街の中にある基地、というところの一端が分るような構図、望遠レンズで狙いこむその瞬間が広角レンズだとこんなかんじ。

 18-150mmSTMレンズを新しく購入しようかなあ、いい構図なのだけれども、45mmの限界というところか、EOS-Mレンズそのものが先が無い機種で、EF55-250mmを変換アタッチメントとともに使っていましたが、航空機だとまともに動かない。

 EF55-250mmはいいレンズ、なのかもしれないけれどもAFがEFレンズでありEF-Mではないことからカメラに装着するとAFが滅茶苦茶な動きをして、被写体にピントが合う時にはすでに通過している、初期の全自動運転車並みにつかいみちがないのだ。

 構図は良く、そしてEOS-Mについても、ここまでCANONのミラーレスが初歩的となっていると、備蓄してある一眼レフを使い続けるほかないのかなあ、と思う。もっとも、玄人の意見をくださる方曰く、消耗品としてEOS-R7というのはいい、とも。

 EOS-R7、本命のカメラを延命させるための使い捨てには付けえるよ、とは玄人の方の場合、家電と割り切るための発言でして、ううむ、私が欲しいのはカメラなんだよなあ、と思いつつ。18-150mmSTMをどうするか何度目かですが、考えたのでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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掃海艇うくしま-火災事故により沈没,事故現場は福岡県宗像市沖2km-高速13号艇以来の艦艇損失事故

2024-11-12 07:00:53 | 防災・災害派遣
■うくしま沈没!
 非常に残念な事故です。

 海上自衛隊の掃海艇うくしま、が11月11日、火災事故により沈没しました。うくしま、火災事故は11月10日0940時ころ、福岡県宗像市沖2kmを航行中、エンジン部分から出火、海上保安庁へ火災発生を通報するとともに消火に努め、また同じ第43掃海隊所属の掃海艇とよしま、うくしま船体に接舷し、消火支援や負傷者救助等を実施しています。  

 負傷者1名と行方不明者1名、負傷者については海上保安庁巡視船により宗像市の漁港へ搬送され救急車により病院へ搬送されたものの、生命に別条はないとの事です。ただ、行方不明者は火元とされるエンジンルームにいたと見られ、現在も発見されていません。火災は1400時ころ、一時鎮火したものの1450時頃、再度延焼し消火不能となりました。

 総員離艦命令が艇長より発生られたのは1545時、離艦に際しては走錨防止のために投錨などの措置が取られ、行方不明者を除く全員が僚艦とよしま移乗、こののちも海上保安庁巡視船による消火作業が試みられましたが、2200時頃には特徴的な二本の煙突が焼損、明けて11日0050時頃、転覆しました。転覆により鎮火したものの0834時、遂に沈没する。

 事故原因は調査委員会発足間もない為不明ですが、掃海艇という特性上、磁気機雷などの探知を避けるため船体は木造、ベイマツが船体構造物として用いられたため、浮力があり松脂による密閉性は高いものの、木材の弱点として焼損するという特性は避けられず、結果的に沈没という事となりました。艦艇沈没事故は1966年の高速13号艇爆発事故以来だ。

 高速13号爆発事故は、航空機救難に当る高速艇という特性上、ガソリンエンジンを搭載しており、これが爆発の原因となりましたが、この事故では死者は出ていません。ベイマツは油脂を含み燃えやすく、一方、すがしま型掃海艇エンジンルームは当直員が配置されない設計であり、今回の事故の際には非常に残念な事ですが、ここに隊員がいた可能性が。

 うくしま。すがしま型掃海艇の6番艇で、すがしま型はペルシャ湾機雷掃海任務派遣等を受け最新の機雷に対し戦後海上自衛隊が戦時中戦後の遺棄機雷を相手とした実任務用の装備が必ずしも有効では無い事が判明、イギリス製機雷戦装置やフランス製機雷掃討機具を導入するなど新機軸の艦艇として12隻が建造、うち3隻が老朽化を受け除籍されています。

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