北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】廬山寺,光る君へ-紫式部邸跡は千年を超える街並みと平安京散策著者角田文衞先生の発見

2024-11-13 20:24:35 | 写真
■光る君へ
 光る君へ、このNHK大河ドラマ放映とともに注目を集める様になりまして新しい京都観光の定番となりつつあるこの堂宇は。

 廬山寺、元々は天台宗寺院であり船岡山の南山麓に鎮座していまして、この一帯にあったころの寺院は與願金剛院という名となっていまして、開山となられました慈恵大師良源さんは、元三大師。第18代天台座主でもあり、比叡山延暦寺中興の祖、と。

 慈恵大師良源、どういう時代を生きたかと問われればこの方を取り立てたのは摂政関白として延喜の治という良政とともに朱雀天皇から村上天皇の時代まで天皇に仕えた藤原忠平が若き良源さんを見出した、かの菅原道真公の晩年の少し後に生まれています。

 二十六ヶ条起請、として比叡山の僧兵の乱暴狼藉を戒める戒律を敷くとともに、これが結果的に僧兵の指揮系統を統一したために強訴が増えたともいわれ、興福寺の祇園感神院こと八坂神社を天台宗に改宗させ京都での勢力拡大を図るなど、いろいろやった。

 元三大師、この名は没後に町衆に親しまれた名で、正月の三日に没したためにこう呼ばれるようになりましたが、角大師とも親しまれ、これは疫病神が京都において猛威を振るったころ、良源さん自身が夜叉の扮装で疫病神を祓ったという歴史に由来します。

 良源さん、疫病は京都の定番のような災害であり、この払いと共に角大師の護符は今も京都各所に報じられていて、角大師の歴史からみますと、日本で最初にコスプレで人気者になった、ということなのかもしれません。源氏物語とコスプレの寺院、というね。

 仙洞御所を下賜され移築、現在のお寺は宝永の大火、天明の大火、と京都市内を焼いた大火災により幾度も焼損していまして、現在本堂となっていますのは御所の仙洞御所を光格天皇より下賜され移築したという歴史があり、境内には皇族天皇陵墓群も。

 紫式部邸跡、現在ではこう親しまれている寺院ですが、しかし幾度も火災や再開発に見舞われた立地、当地がそうした歴史を持つという事は秀吉の京都改造の際にも知られておらず、調査により判明したのはなんと昭和時代、歴史学者角田文衞先生が発見した。

 角田文衞先生、実は手塚治虫の親戚にあたる方、という係累もありまして、いや手塚作品には何か歴史的なものの中に独特の世界観を織り交ぜたもの、火の鳥などまさにそうか、感じさせるのですが、やはり影響というものはあったのかなあ、と思ったりも。

 平安京散策、角田先生は平安京散策という著書を30年ほど前に発表されていまして、これは源氏物語と平家物語といった王朝文学の世界の、所縁ある街路の今を示している、京都散歩の際のなにか少し違ったお手元におすすめの一冊を示していたりします。

 桔梗、不思議な話ですが今年は桔梗が十月末まで美しく咲き誇っていまして、源氏庭を明るく彩っていました、桔梗というのは夏の花ですので、もうすぐ十一月という、暦の上では秋どころか冬が見えている最中にはなんとも不思議な印象でながめるものです。

 源氏庭の桔梗を異常気象に気候変動、と切り捨てるのは情緒というものを理解しますと少し勢いはなく、そう、太陽の傾きだけは既に季節は冬が近いこと示すさなか、不思議な情景、空の色と夏の花々という風情を醸しているのが、わたしはすきだなあ。

 光る君へ。NHK大河ドラマの関係で、寺院自身もこう強調しているところなのですが、ほんの二年前には、これはCOVID-19の影響もあるが、独り占めという単語当て嵌まる静かな庭園拝観を愉しめましたが、いまはこう、不思議な活気が満ちているのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都幕間旅情】廬山寺,慈恵大師良源の寺院は源氏物語著者紫式部邸宅跡地に天台宗の教えを紡ぐ

2024-11-13 20:00:11 | 写真
■源氏物語
 文学の時間だ。

 源氏物語、今回拝観しました廬山寺は源氏物語のゆかりある寺院として知られます。先日、寂光院と平家物語の話題とともに歴史を回想した際、平家物語と来たからには次は源氏物語だろう、と考えたわけではないのですが、大原の寂光院と違い、ここは街なか。

 廬山寺、慈恵大師良源により天慶元年こと西暦938年に開かれた天台宗の寺院です。その歴史は千年以上に上り幾つかの歴史を経て天台圓淨宗天台宗系単立寺院となっていまして、現在は御所東の一角、寺町通の涼やかな風吹く一画に鎮座しています。

 阿弥陀三尊をご本尊として奉じる寺院、このご本尊は重要文化財に列せられていまして、左脇侍観音菩薩、右脇侍勢至菩薩、ともども拝観者を温かく迎えてくれます。そしてご本尊の前には源氏庭、かの源氏物語の世界を印象付ける趣向となっている。

 紫式部邸宅跡、当地は慈恵大師良源が開山となりました寺院ですが、同時にこの一帯は世界最古の恋愛小説と言われる源氏物語、これを著した紫式部邸宅跡であることが、昭和に入り分かっています。当時の遺構はありませんが、場所がここなのは確か、と。

 京都散歩、と言えば有名な定番は名所旧跡が数多並ぶ東山や北山に嵐山とやまやまやま、という風光明媚な一角があり、これ、考えれば洛中はどうしても再開発、秀吉の京都大改造もそうだし、数多あった大火により再開発を強いられた一画が多いのも確か。

 上京区寺町通広小路上ル北之辺町、今回拝観しました寺院は廬山寺といい、いや昨今は誰でも知るような有名どころになり、此処にも観光客の波、という時代を迎え、これもオーバーツーリズムではないのだけれども時代の変化を迎えている一画という。

 寺町通、そうこの寺院の前の通りは寺町通という、秀吉の京都大改造により造営された寺社仏閣が集中している、本来の京都中心部を目指した通りであるとともに、しかし大寺は当地に遷座するには手狭過ぎ、難しい寺院の集中を生んでいる不思議な一角だ。

 船岡山の南麓にありました廬山寺、天台宗寺院であった寺院なのですが、京都大改造の際に区画整備の対象となり、秀吉が寄進という名の準備した一画に遷ったのが現在の廬山寺の位置でして、そして中心部を目指すも、どうしても御所周辺は手狭過ぎた。

 オーバーツーリズムの先例からこの廬山寺は長く遠い場所に在りまして、その背景には、秀吉により遷座した先は御所の隣、いやもともと寺町通は寺社仏閣を御所防衛の緩衝地帯とするために造営した一画であるためなのですが、それだけに土地が制限されて。

 伽藍の大きさこそが寺の風格、これも寄進や信徒の規模を示すのであながち間違ってはいないのですが、観光地となるのはこういう大伽藍と歴史を誇る寺院であり、どうしても寺町通、となりますと、南のアーケード街のほうが有名になっているのもたしか。

 新京極通とともにアーケード街の寺町は、そう、修学旅行の定番ともなっている場所、アーケードで区切られているために迷子の心配もなく、町衆、というかやくざな人たちも含めて、修学旅行生をまもってゆこうという不思議な風情を醸している。

 修学旅行の定番も御池通が北限という感じで、廬山寺はそこから遥か来た、御所東にあります。歴史は京都大改造とともに始まるこの寺町通ですが、一方で新しい歴史かといわれれば安土桃山時代、京都に在っては新興でも日本にとっては古い歴史なのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌:岐阜-岐阜基地付近,すずやだよ!にぎやかな天丼だね!よろしくね!

2024-11-13 07:01:03 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 榛名さんの総監部グルメ日誌はどんどん総監部から離れてゆくと認識するものですが今回は総監部はないが補給処と基地のちかく。もうすぐ岐阜基地航空祭だ。

 近いぞ岐阜基地航空祭、ということで今回は岐阜基地周辺のグルメ情報をお伝えしましょう。岐阜基地航空祭は17日日曜日、ちょっとお天気が心配といいますか、台風が三つも日本の南方海上を遊弋している最中ではあるのですが、航空祭予行は大盛況だ。

 すずやだよ!にぎやかな航空祭だね!みんなよろしくね!、という。とうとう北大路機関も頭に来たか、とおもわれるかもしれませんがここは各務原市川島の“すずや”という、おうどん屋さん、お得なセットが頂ける。基地から徒歩では無理、自動車で。

 天丼、わしは天丼だ、お前のところの天丼は少しタレが少ないぞ、いいか、少し多い目にたれを掛けろ、わかったな。こんなセリフが“日本沈没”の田所博士の発言にありまして、多い目のタレってどのくらいなんだろう、と思いつつ何も言わずに待つ。

 タレ多め、と注文したわけではないのですが、このあたり、タレ、多めなのですね。大ぶりの海老天を中心にわき役が、品数は少ないがその分その大きさで強みを見せているという感じの天丼がでてきまして、ほめてほめてー、とすずやらしさがみえてくる。

 海老天をさくりっと齧りましたその土台には飯にどっぷりとタレが振りかけられていまして、これが各務原の天丼だ、と突き付けるような、これ真夏に塩分が発汗でハッカンした時などには最良なのだろうなあ、とメシがすすむような天麩羅がおいしい。

 うどん屋さんなので、うどんの美味さもいわずもがな、という。ほうれん草とこのあたりの出汁の風味を示すような鰹出汁と醤油の利いたつゆにどっぷりと、確たる歯ごたえの饂飩が浸されていて、そろそろ寒さを感じる中に、こう、熱いのを掻っ込む。

 すずや、各務原市川島松原町470-10というところにあって、地図を見ると道路がターンAガンダムのAの字みたいな交差点の、もう一歩で木曽川橋梁を愛知県に入る、その手前にあります。航空祭予行合間の時間帯などに、ちょっとお勧めの一軒です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする