北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

イラン革命防衛隊,RQ-4無人偵察機撃墜!アメリカ軍,タンカー連続襲撃事件受け警戒強化中

2019-06-20 20:19:48 | 国際・政治
■グローバルホーク撃墜は初
 ホルムズ海峡で新しい緊張の火種です、ペルシャ湾とホルムズ海峡でのタンカー連続襲撃事件を受け有志連合と共に警戒を強化していたアメリカ軍の無人偵察機が、撃墜されました。

 イラン革命防衛隊がアメリカのRQ-4無人偵察機を撃墜したと発表しました。イラン南部のホルモズガン州上空で撃墜した、イラン国営プレスTVの報道がCNNなど世界中で引用報道されました。コクカカレイジャス号など六件のタンカー連続襲撃事件を受け警戒が強化されていた中での無人偵察機撃墜は中東地域の緊張を一気に加熱させる懸念があります。

 RQ-4無人偵察機とは。グローバルホークの愛称で知られる、全幅35mという巨大な無人偵察機で、最長36時間に渡り滞空し、監視任務を継続することが可能です。航空自衛隊も導入を計画している機種であり、実用上昇限度は19800m、国際線の旅客機が飛行機雲を曳く高度よりも遙かに上空に留まり、長時間にわたる警戒監視任務に当たることが可能です。

 ボーイング737-700ER旅客機の全幅が34.3mですので、RQ-4機体、この全幅35mという機体がいかに大きいかがわかります。また、36時間という飛行時間は、U-2偵察機やP-1哨戒機では、乗員の疲労という問題から無人機でなければ不可能であり、また、RQ-4は非常に高価な機体ですが、今回のように最悪撃墜された場合でも人的損害だけはありません。

 革命防衛隊はホルモズガン州上空を領空侵犯していたと発表しています。過去にはRQ-170無人偵察機等がイラン側に捕獲された事例や、またタンカー襲撃事件前にはMQ-9無人攻撃機が攻撃を受けていました。しかし、RQ-4はそれよりも遙かに高い高度を飛行するため、意外でした。こういいますのも、高高度を飛行するRQ-4はその分、遠距離を監視可能です。

 SAR合成開口レーダーはEO-IR複合光学監視装置と併用することで130km以遠の1m規模の解像度を有しており、一機で同時に10万平方kmを監視可能とされています、EO-IRにはスポットズーム機能があり、これにより狭視野ながら0.3mの精細画像を200kmの距離でも撮影が可能といい、ホルムズ海峡を監視する場合、対岸のオマーンからも可能です。

 革命防衛隊の主張が事実であれば、これはイラン領内に墜落した事となり後日残骸などが公開されるでしょうが、RQ-4はイラン内陸部の戦術拠点や部隊移動を監視していた事となります。問題はRQ-4の運用が基本的に高高度を飛行する、という点です。これはMQ-9無人攻撃機のように低空に展開する運用を想定しない為で、これまでになかったRQ-4撃墜報道には驚かされた。

 高度19000mを飛行するRQ-4,実際には上昇限度よりももう少ししたを飛行するのですが、それでも携帯地対空ミサイル等では撃墜できず、例えば自衛隊の装備では改良ホーク地対空ミサイルや03式中距離地対空誘導弾、航空自衛隊のペトリオットミサイル規模のような戦域防空システムでなければ撃墜できません、言い換えれば、これが使われたということ。

 平時においても戦域防空システムが使用される、特に平時の手順で有れば旅客機の高度よりも高い高度を飛行する大型機を撃墜するのです、本来の手順で有れば角栄防衛隊はイラン政府を通じて領空侵犯の非難をアメリカ政府に通知すると共に証拠画像等を報道発表し、これが続いた場合に撃墜、という手順を取るべきでしょう。しかし現実は、撃墜でした。

 戦域防空システムが使用されたと共に、現在運用されている無人偵察機の中でRQ-4は最も高い高度で運用される監視型無人機の一つです、これが初めて撃墜されたという事は、アメリカがホルムズ海峡周辺におけるタンカー襲撃を阻止する為に必要な情報を収集する際の障害が増えた事を意味し、その障害を排除する為の次の手段を迫った構図にもなるでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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【京都幕間旅情】五社成就社,東福寺鎮守社は平安朝下建立法性寺と鎌倉期東福寺の結びの社殿

2019-06-19 20:19:21 | 写真
■五社成就社,東福寺三門の東方
 千年前の京都はどのような街並みであったのか、荘園か別の寺社か荒地か、知っていそうで知らない京都の街並みを考えてみました。

 五社成就宮、東福寺は京都五山第四位の歴史を誇りますが、建立は嘉禎年間の1236年という鎌倉時代の寺院です。平安遷都以来連綿と歴史を重ねる京都にあっては、時際的な視点から俯瞰すると東福寺の寺域は元々法性寺という巨大な寺院が日々祈りを重ねていた。

 三門、東福寺の正面に当る伽藍からふと陽の昇る東方に関心を向けますと、一つ鳥居と階段が通じる事に気付かされ、そう思いつつ東福寺は通天橋から本堂へ至る経路がJRも京阪も市バスも一般的であり、三門界隈は観光客が通過するだけと、様子の方に気付きました。

 法性寺とは元々平安朝に政治権力を独占した藤原氏の氏寺、その一つであり、故にその寺域は広大なものでしたが、今日ではJR奈良線の近くに新しい小ぶりな伽藍と共にその名を残すのみです。しかし、その遺構の跡地は現在、五社大明神という神社となっていまして。

 東福寺に寺域を譲った法性寺ですが、歴史は延長年間925年の建立であり現在の御世にも洛陽三十三所観音霊場第二十一番札所に位置付けられる。五社成就宮は法性寺の時代より鎮守社としてこの地に在り、東福寺が興隆を極める今日に在っても東福寺鎮守社へ移ろう。

 実のところ毎回悩まされるのは、災害や天変地異と共に寺社仏閣が被害を受けますと、その原状復帰が課題となります。しかし、現在のように確実に全ての寺社仏閣、特に国宝を有する寺院が現状維持を続ける点は、寺社さえも興隆を繰り返した時代とは違和感を、と。

 五社成就宮とは、寺域には意外なほどに長い石段を上りますと至る社殿は、その名の通り五社を奉じる神社であり、賀茂神社に石清水八幡宮と伏見稲荷に春日神社と日吉神社を勧請し、東福寺とともにこの五社を参拝する利益が叶う神社として位置付けられています。

 檜皮葺一間社流造の本殿建立年月は不詳ですが法性寺の時代に関白太政大臣である藤原忠平が建立した当時には、八坂神社に並ぶ社殿を有していたともいう。法性寺そのものは今日でも小さく残りますが、摂政藤原忠道の時代には総社祭という祭事を行っています。

 総社祭は現在も東福寺の行事として継承されていまして、歴史の連続性を感じます。神社ではありますが鐘楼があり、この鐘楼についても法性寺の遺構の継承というべきでしょうか。鐘楼は東福寺にもあり、鐘楼が重なる事からこの五社大明神鐘楼を東ノ鐘楼という。

 魔王石と比良山明神塔、この五社成就宮には前述の五社と共に鞍馬の天狗が降臨した神威も祀られています。これは東福寺に鞍馬天狗が降臨した訳ではなく、東福寺建立に尽力した九條道家が建立祈願へ法性寺に寄進したものが総鎮守五社成就宮に祀られているもの。

 東福寺拝観へ歩みを進める中には、少しだけ三門を石段へ向きを転じてみる事で、意外な歴史と出会えます。つまりは東福寺が建立以前の歴史というものを目の前で感じる事が出来るのですね。文化財には年月に価値を見出す前の信仰の寄る辺としての寺院の遺構です。

 しかし、前述の寺社仏閣が現状固定のように維持されている状況、思い起こせば寺社さえ興亡に曝される中での興隆を極めた当時には国家宗教として、神道と仏教を包括化した日本型の信仰と権力の関係があり、近代国家へ政教分離を遂げる過程で現状に収斂した、と。

 五社成就宮はじめ一つの文化財として国家は特権付与をしない分に古いものに価値を見出す事で、文化財としての保護を行う。これを怠れば世俗国家となり、内心の自由さえも国家が蚕食しかねない。故に何も変えず続ける事を国家と主権者が望んだ結果、といえます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【防災速報】日本海沿岸津波注意報発令!マグニチュード6.8地震-山形県等に震度六強

2019-06-18 22:40:53 | 防災・災害派遣

 津波注意報発令中、沿岸部の方は海岸から離れて!

■■■新潟山形沖地震■■■
 此処より以下に掲載します情報は6月19日にNHK報道を参考に情報整理し、追記したものです。

 マグニチュード6.7の地震は18日2222時頃に発生し、新潟県村上市で震度六強が観測されています。地震の震源は山形県沖の日本海で震源の深さは14km、余震も多く発生し19日0057時に最大震度4の余震が発生しました。地震が海底であった為、1mの津波が予想、気象庁により津波注意報が発令されましたが、19日0105時に注意報は解除されています。

 津波について。地震発生とともに震源が海底であり規模も大きかった事から、気象庁は石川県から山形県にかけての日本海沿岸に津波注意報を発表しました。最大1mの津波が警戒されていましたが、到達した津波は新潟県新潟港で10cmの津波観測、山形県酒田港や石川県輪島港などで微弱な津波を観測しています。19日0105時に注意報は解除されています。

■■■各地の被害状況■■■
 此処より以下に掲載します情報は6月19日にNHK報道を参考に情報整理し、追記したものです。

 負傷者は26名、19日1100時時点でのNHK報道で新潟県と山形県及び石川県と宮城県の広範で転倒等による負傷者の通報がありました。東北電力発表等をNHKが伝えたところでは地震直後から新潟県と山形県で発生した停電は19日0720時時点までに復旧しました。また、庄内空港と秋田空港と新潟空港に佐渡空港と福島空港は被害がありませんでした。

 被害状況について。JR羽越線は、新潟県村上と山形県酒田間で運転見合わせ、新潟県村上市内では複数個所で落石が確認され、国道345号弘法トンネルや県道鶴岡村上線村上市岩崩地区等役24kmの区間が19日昼前の時点で不通、市内で50棟以上の建物に被害がありました。山形県鶴岡市南部三瀬地区では地震直後から断水が報告され復旧作業が進みます。

 JR鶴岡駅前では液状化被害が発生しました。駅前駐車場の一部が液状化し駐車車両等が埋没しています。建物の被害では広範に家屋の屋根瓦や壁面が損傷すると共に、酒田市や三川町でブロック塀や神社の鳥居倒壊、大型商業施設や病院施設ではボイラー破損や水漏れと断水等損害が報告、山形県鶴岡市の温海地区では地割れが複数個所で発見されています。

■■■防衛省自衛隊の対応■■■

 此処より以下に掲載します情報は6月19日に防衛省報道発表を参考に情報整理し、追記したものです。

 防衛省の対応について。自衛隊では震度五強以上の地震発生や津波注意報及び警報発令時に航空機を発進させ、情報収集に当ります。2239時石川県小松基地F-15戦闘機2機、2252時宮城県霞目駐屯地UH-1映像伝送機1機、2305時青森県三沢基地F-2戦闘機2機、2306時山形県神町駐屯地UH-1多用途ヘリ1機、東北地方の部隊が続々と離陸してゆきました。

 情報収集、2314時群馬県相馬原駐屯地OH-1観測ヘリ1機、2318時京都府舞鶴航空基地SH-60哨戒ヘリ1機、2320時青森県八戸航空基地P-3C哨戒機1機、2322時東京都立川駐屯地UH-1映像伝送機1機、2325時神奈川県厚木航空基地P-1哨戒機1機、小松基地U-125救難機1機、2334時青森県大湊航空基地SH-60,秋田県秋田分屯基地UH-60が続く。

 航空機による情報収集で最も対応が速いのは五分間待機、国籍不明機の日本防空識別圏接近へ備える全国の戦闘機部隊で小松基地のF-15が最初に離陸しました。目視で火災の有無や停電を確認するだけでも大きな意味がありますが、F-2戦闘機等は低空侵攻用ポッドが夜間情報収集に役立ちますし、最新のF-35は操縦士のヘルメットに暗視画像を表示できます。

 初動対応部隊、陸上自衛隊全国の駐屯地にはFAST-Forceという災害初動対応部隊ああり、新潟県新発田の第30普通科連隊が2305時に情報収集へ村上市へ、秋田駐屯地の第20普通科連隊が酒田市へ向け2359時にFAST-Forceを出動させています。また、揺れの大きな東北上越地域14の自治体へ連絡幹部をはじめ地方協力本部等要員も情報交換へ出動しました。

 津波注意報の発令と共に海上自衛隊艦船も日本海へ出動しています。日本海沿岸は舞鶴地方隊管区であり、0101時に舞鶴地方隊の掃海艇のとじま、佐渡沖へ向け緊急出港、0120時に水中処分母船1号が同じく佐渡沖に向けて出航しています。航空情報収集では特段の被害は確認されず、また、津波被害も地上に達したものは極小規模なもの、幸いでしたね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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F-35A三沢沖墜落事故と飛行再開目処【2】何故航空自衛隊は105機追加調達を継続するのか

2019-06-18 20:11:23 | 先端軍事テクノロジー
■対米配慮や貿易赤字の的外れ
 F-35戦闘機墜落事故の後に今後のF-35追加調達について懐疑的な報道が、特に二月のF-2墜落事故と比較し、多いような印象があります。その背景に誤解も感じる。

 F-35は欠陥機という報道やトランプ大統領との日米貿易摩擦解消へ更に105機を調達する、というもの。F-35はもちろん現在主力のF-15から頭上を往く旅客機のボーイング737からボーイング787まで、完璧に欠陥の無い航空機というものはありません、問題は運用と共にアップデートできるか、ということ。また105機の追加も新しい話ではありません。

 政府は昨年12月の新防衛大綱閣議決定において、旧式化するF-15戦闘機の後継へF-35戦闘機105機の追加調達を発表しました。先月のトランプ大統領国賓来日に際し、護衛艦かが艦上でのトランプ大統領演説でもこの点が取り上げられています。ただ、昨年の105機追加とは別に日米首脳会談で更に105機を追加する、と誤解されている方も多いようです。

 F-35の追加導入について、憶測報道でしょうか、その理由に対米配慮や対米貿易黒字相殺という視点が示されていました。実はF-35以外にも第五世代戦闘機にはF-22戦闘機という選択肢がありまして、実は航空自衛隊も当初希望していました。また、第4.5世代戦闘機として、F/A-18E戦闘攻撃機やF-15E戦闘爆撃機、EF-2000戦闘機等選択肢はありました。

 しかし、F-22戦闘機はアメリカ空軍専用の機体であり、基本的に対外供与は幾つかの同盟国に対しアメリカ議会が過去否決しています。もっとも報道の対米貿易黒字相殺が事実であればF-35よりも遥かに取得費用が大きなF-22が妥当となります。現実問題としてF-22導入は現実的ではなく、他の選択肢が無かった、妥当な判断であったとは思うのですが。

 F-35A追加発注は最初の42機導入が決定と同時に予測できました、その理由は三菱小牧FACOの建設です。FACOとは最終組立施設であり、アメリカ以外には日本とイタリアの在るのみです。この建設には一説には四百億円程度の設備投資が行われており、一機当たりの費用に置換えるならば、42機の組立施設にこれほどの投資を行う事は不自然でしょう。

 105機の追加調達はアメリカへの配慮ではないか、と思われるかもしれませんが、航空自衛隊は1971年より導入したF-4EJ戦闘機後継として42機のF-35A戦闘機を取得、続いて導入する105機のF-35Aは1981年より導入しましたF-15J戦闘機の後継機です。F-4戦闘機が古くなった事は事実ですが、続くF-15Jも新しい戦闘機ではない事もまた事実です。

 F-4老朽化は事故率の増大に直結します。現実問題として旧式化したF-4戦闘機は過去に滑走路上での火災事故や部品脱落事故の頻度が上がっており、戦闘機としての性能もさることながら、戦闘機部隊基地が人口密集地に隣接している我が国では、部品や機体、国民感情として老朽化が危険度を時と共に増し続ける機体を維持する必然性は、薄いでしょう。

 古い戦闘機は、構造改修と換装する事で運用は可能です。例えばF-15戦闘機も主翼等の構造材を交換する事である程度の延命は可能ですし、電子装備を新型に置換えれば第一線での運用に耐えます。ただ、電子装備の換装はF-15J近代化改修として行われていますが、一回で42億円程度要し、三度重ねればF-35A取得費用を凌駕します。これは効率的なのか。

 EF-2000戦闘機の事例では、EF-2000は初期型のトランシェ1から最新のトランシェ3Cまで改修と続けており、トランシェ3Cではレーダーが自衛隊F-2戦闘機やF-35戦闘機と同じAESAレーダーを搭載する事となりました。ただ、改修一回にやはり日本のF-15J改修と同程度の費用を要し、イギリス等一部EF-2000保有国は早期退役を開始させています。

 第4.5世代戦闘機は第五世代戦闘機と比較し運用の根本から異なりますが、例えば一個飛行隊をF-15戦闘機の18機と飛行隊長機という編成から、F-4戦闘機時代の一個飛行隊24機編成に回帰する等、定数を増やす前提であれば対応も出来た可能性があります。つまり、F-35Aの105機を取りやめ、例えばF-15Eを140機取得する、という代替案は有り得ます。

 F/A-18EやF-15EとEF-2000であれば、日本国内でのライセンス生産が可能であり、日本国内で予備部品を製造できるならば稼働率を高める事が出来ますし、F-4のように長期間の運用も可能でしょう。また、上記近代化改修費用を丹念に捻出し続けるのであれば、第五世代戦闘機脅威へも対処可能でしょう。ただ、これが財務当局と国民の理解を得られるか。

 実のところ、F-35A戦闘機の105機追加取得に対して、懐疑的な報道を行う識者や解説員の方に聞きたいのは、F-15Jの代替機をどうするのか、という事です。F-22導入日米交渉を行う選択肢、F-15Jを全面的に機体を改修し半世紀以上使う選択肢、一世代前のF/A-18EやF-15Eを大量取得する選択肢、思い切って増税し緊急予算を組み国産の選択肢、等ある。

 報道は自由ですので、F-35以外に選択肢があるような表現を行うならば、例えばオールジャパンで第五世代戦闘機の運用研究を進めて採算度外視で国産機をF-15の老朽化が一線を越える前に緊急開発する提案や、第4.5世代戦闘機を第五世代機の次に導入する妥当性を示した上で取得する等具体的事例を出し、他に選択肢はあったのだ、と論じてほしいですね。

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検証:ホルムズ海峡日本タンカー等2隻攻撃事件,リンペット機雷証拠映像とMQ-9無人攻撃機

2019-06-17 20:01:39 | 国際・政治
■コクカカレイジャス号攻撃
 ペルシャ湾とアラビア海を結ぶホルムズ海峡は中東からの原油供給に依存する日本の生命線の一つ、ここで13日に発生したタンカー2隻の襲撃事件を改めて検証してみました。

 6月13日にホルムズ海峡で発生した日本タンカー攻撃事件、魚雷攻撃という第一報に国籍不明魚雷艇出現ならば海上警備行動実施の必要性と考え、報道は磁気機雷と一転し機雷敷設ならば掃海艇派遣の必要性を考え、続いてリンペット機雷による破壊工作という情報、そしてリンペット機雷では破壊できないタンカー上部構造物への被害と情報が錯綜しています。

 安倍総理大臣イラン歴訪、日本の総理大臣として41年ぶりの訪問と共にイラン最高権力者であるハメネイ師との会談中に発生したホルムズ海峡でのタンカー連続襲撃事件、時間が経つと共にイラン関与説、イラン軍実行説、第三国説が混在していますが、対応を誤れば中東地域での大規模な戦争や緊張に繋がる可能性が大きい。先ず、情報を整理しましょう。

 コクカカレイジャス号とフロントアルタイル号に対するホルムズ海峡での攻撃、日本タンカーとして運行されていたコクカカレイジャス号とノルウェータンカーであるフロントアルタイル号、共に沈没は免れました。攻撃は魚雷攻撃という情報とリンペット機雷による破壊工作という情報、艦砲やロケット弾等の水線上への攻撃と情報が幾度も錯綜しました。

 フロントアルタイル号乗員は攻撃を受け、タンカー爆発の危険から乗組員は全員退避し、イラン海軍に救助されました。火災は大きく、イラン当局が消防艇を派遣し消火を実施、一時イラン国営放送により沈没との報道がありましたが、運航するノルウェー企業フロントライン社により沈没は免れていると発表、乗組員は魚雷攻撃を受けたと証言しています。

 フロントアルタイル号乗員は運行するフロントライン社の発表として、イラン海軍に救助されイラン南部ジャスク港へ回航され、15日までにペルシャ湾の対岸、UAEアラブ首長国連邦のドバイへ到着しました。アメリカ海軍発表として、フロントアルタイル号はホルムズ海洋付近のオマーン湾に漂流、曳航を試みたところ、イラン側に妨害されたとのこと。

 コクカカレイジャス号は二度にわたる砲撃で機関分を破損し、乗組員は全員脱出しアメリカ海軍の駆逐艦に救助されました。機関部の火災は鎮火し、航行に問題は無い為に積荷は別の船舶に移乗させ目的地へ輸送するとのこと。乗組員は砲弾等の飛翔体を目視で確認しており、また船体の破壊は喫水線よりも高く一見して魚雷や機雷の被害ではありません。

 コクカカレイジャス号について、アメリカ海軍発表として火災鎮火後にイラン革命防衛隊の舟艇がリンペット機雷と見られる物体を船体から回収している様子を無人偵察機が撮影、また、攻撃前にMQ-9無人偵察機がイラン側より地対空火器により妨害を受けていたと発表し、攻撃をイラン側の攻撃として非難、イギリス情報機関も同じ見解を示しています。

 タンカー攻撃、確実な情報として三つ。第一に死者は出ていない、第二にタンカーは二隻とも破損したが沈没は免れている、第三に事件現場はホルムズ海峡付近である、以上です。不確定な情報としては、リンペット機雷が用いられたのか魚雷が用いられたのか砲弾が用いられたのか、ということ。現時点で実行犯の画定には至っていませんが、慎重を要する。

 リンペット機雷、旧帝国海軍の重巡洋艦妙高と高雄もシンガポールでこれにやられました。破壊力は小さいのですが、スクリュー等推進装置や舵、冷却水取り入れ口を破壊されますと一時的に軍艦としての機能を喪失します。レイテ沖海戦に生き残った妙高と高雄はシンガポールのセレター軍港に停泊中、イギリス特殊部隊により攻撃、結果、中破しています。

 妙高と高雄へのイギリス軍攻撃は、人間魚雷というX型特殊潜航艇により強行され、日本側は終戦まで共産ゲリラによる暗夜の舟艇破壊工作を疑っていました。リンペット機雷はダイバーが携行できる大きさで、磁気吸着し時限装置か遠隔操作により作動します。小型船ならば沈みますがなにしろ人が運べる大きさ、大型艦は中破させるのが限界というもの。

 リンペット機雷は磁気吸着機雷と説明されます、ただ、一部報道で略して磁気機雷と説明しているものがありますが誤りです。磁気吸着機雷は磁石で船体に張り付き船体を破損させる小型の爆発物、磁気機雷は水中に敷設され船体の磁気等を感知して爆発し船舶を大破乃至沈没させる機雷、これを磁気機雷というのは水素爆発を水爆と略すようで誤解を招く。

 ペルシャ湾タンカー攻撃ではリンペット機雷が用いられた事件が四件続いており、今回もこちらが用いられた可能性があります。もっとも、イランはイエメン内戦への関与が指摘され、イスラエルへ革命防衛隊関連組織がロケット弾攻撃を行う等、周辺国との対立が激化しており、リンペット機雷によるタンカー攻撃首謀者が同一であるかを含め、調査中だ。

 推測です。MQ-9無人攻撃機を狙った携帯地対空ミサイルが大きく逸れて付近を航行するコクカカレイジャス号に命中したのではないか、飛翔体という目撃情報と一致しますし、携帯地対空ミサイルの多くは赤外線感知方式、船舶が最も熱を発するのは機関部からの排熱であり、機関部が火災を引き起こした被害状況とも一致します。破壊部検証が必要となる。

 MQ-9無人攻撃機はRQ-1無人偵察機の拡大改良型としてアメリカが開発したもので、全幅20mと大きい、実用上昇限度は15000mと巡航高度は7600mとなっています。そして携帯地対空ミサイルの有効射高は3000mから4000m程度、日中であればMQ-9は7600mの高度でも目視は不可能ではない、が、携帯地対空ミサイルではMQ-9まで届かないのです。

 リンペット機雷による攻撃が相次ぐ中、アメリカ軍は中東地域の同盟国や友好国と共に警戒監視を強化しています。そこで警戒中のMQ-9がタンカー付近に不審な船舶を発見したところ、不審船舶からの攻撃を受けたが命中せず回避に成功、しかし不審船舶からの攻撃は付近を航行していたコクカカレイジャス号に命中、機関部火災を引き起こした、のでは。

 調査により判明します。イラン側はアメリカの主張をアメリカの自作自演としており、MQ-9にはAGM-114ヘルファイア対戦車ミサイルの運用能力があり、穿った見方ではイランの攻撃に見せかけヘルファイアで攻撃した可能性は残ります。携帯地対空ミサイルは11kg、ヘルファイアは48kg、そしてコクカカレイジャス号の破損部分に物証があります。

 破損部分にはミサイル部品と燃焼剤や炸薬の残滓が確実に残っています。イラン製携帯地対空にMISAGH2というものがあり、2005年からイラン軍と革命防衛隊で運用されていますし、AGM-114はアメリカ軍を始め各国、陸上自衛隊と海上自衛隊も運用しています。他にもミサイルは世界に数多ありますが、破損部分を検証する事で種類は判別出来ましょう。

 イランが日本の首相が歴訪し最高指導者との会談中に攻撃を行うものなのか、と思われるかもしれませんが、この実情は革命防衛隊がイランイスラム評議会直轄の軍隊であり、イラン政府が指揮命令系統を有しているイラン軍とは別の組織である、という事を理解するべきかもしれません、そして日本ならば、この指揮命令系統の重複が理解しやすい筈です。

 幕末の京都を思い出していただきますと、イラン軍と革命防衛隊の指揮系統の違いは類推できるのではないでしょうか、勤皇浪士と幕府軍の関係に、誤解を恐れなければ、ある程度共通性があるのです。幕府と友好関係を持っていたとしても勤皇浪士に襲撃され得る、この為に幕末に外国人は京都に近寄る事が出来ませんでした。こう理解すると分りやすい。

 安倍総理のイラン歴訪は、イランのザリーフ外相が5月16日に来日し、アメリカとイランの対立を前に緊張緩和を目的として要請されたものです。これをトランプ大統領の令和初の国賓来日に際しイランとの緊張緩和を要請され実現しました。イラン政府としては安倍総理のイラン訪問を歓迎した構図ですが、イランは政府の上にイスラム評議会があります。

 イラン政府の行政機構はこの通り複雑なのですが、イラン政府の安倍総理歓迎とは裏腹に、イスラム評議会は歓迎しているかは未知数であり、これはロウハニ大統領の歓迎とは対照的な発言がハメネイ師との会談において示された事からも読み取れるでしょう。中東は緊張が常態化しており、この緊張を冷静に見る為にも、事実が必要、その手段としてコクカカレイジャス号の破損部分を検証する必要があるでしょう。そして日本企業が運行しており、執行管轄権は日本にもあります。

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【日曜特集】第14旅団創設6周年-善通寺駐屯地祭【6】戦車隊と航空部隊(2012-04-29)

2019-06-16 20:08:33 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■老兵74式戦車の迫力
 観閲行進はいよいよ最終段階、第14戦車中隊の74式戦車と第14飛行隊のUH-1J多用途ヘリコプター等が立体的に行進を行います。

 第15即応機動連隊は、第14旅団の即応機動旅団改編と共に第15普通科連隊から改編されました。実は改編が決定した翌年には第14戦車中隊の本部車両として配備されていました96式装輪装甲車へ第15即応機動連隊と明記、行事の訓練展示へ参加した事例もあった。

 96式装輪装甲車は改編が決定した時点で三個中隊が配備される、という話だったのですが、正直なところ自衛隊が保有する96式装輪装甲車は400両程度、その中で四国にそれほど多くを掻き集められるのかなと思ったりもしたのですが、編制完結できたのは御存じの通り。

 96式装輪装甲車もそうですが16式機動戦闘車も配備され、特に96式装輪装甲車は冬タイヤへの交換やチェーン装着も大変である、と昔に北海道真駒内駐屯地の第11旅団で聞いたことがありましたので、実は見た目以上に苦労があるのかな、と思ったりもしましたが。

 しかし、第15普通科連隊は虎の子部隊、その気合いと気迫は様々なところで聞きます。第15普通科連隊は第13師団時代から四国の普通科連隊として伝統がありますし、そして第15歩兵連隊という群馬県高崎連隊の名前を受け継ぐ普通科連隊、当方も応援しています。

 さて善通寺駐屯地と云えば第14旅団、その通りなのですが、第2混成団から受け継がれた歴史があります。そして第2混成団が新編される前までは第2教育団が置かれていました。現在は大津駐屯地に移駐しまして中部方面混成団となりました昔の第2混成団、ですね。

 第110教育大隊は第2教育団と現示の中部方面混成団隷下部隊ですが、大隊本部と共通教育中隊が此処善通寺駐屯地に置かれています。第2教育団の教育大隊は第109教育大隊と第110教育大隊の二つですので、この一つが置かれている、中部方面隊教育一つの拠点だ。

 自衛官候補生、と昨今は名称が改編されましたが、ちょっと自衛官候補生という名称よりも新隊員課程という方がしっくりきますね。新隊員教育というものを担うのが教育大隊の任務、隷下に共通教育中隊が三個置かれていまして、自衛隊員としての基礎教育を担う。

 前期教育という三か月の教育課程がありまして、小銃の執銃や整備と射撃、行進と戦闘動作の基本の基礎、体力練成や服務規則等を中心とした座学、体力練成や営内生活への順応、こうしたものを行います。ただ、勿論この三か月間だけでは基礎の基礎しか教えられない。

 敬礼動作一つとってもボーイスカウトや演劇部でもなければ中々なじめない動作、しかも欠礼などがあっては大変です。小銃の分解結合等は当たり前ですが自衛官でなければ馴染まない。前期教育はみっちり三か月間で班長さんに懇切丁寧に腕立て伏せと共に学びます。

 後期教育という課程が更に三か月、こちらは第一線部隊で実施され、自衛官教育は基礎だけで半年間を要します。普通科や機甲科に特科や施設科と武器科に通信科と会計科と自衛隊は多くの職種がありますが、OJT,即ちオン-ザ-ジョブ-トレーニング方式で学ぶのですね。

 自衛官としての使命の自覚、宣誓式にて宣誓しますが、特別職国家公務員という憲法上の位置づけと共に国家公務員としての立場と、諸外国や社会制度としては軍人としての素養を身につけねばなりません。そして新隊員は一任期二年間の任期に入るという構図です。

 二年間の任期の内に半年間を教育に充てる。実は日本社会において忘れられているのは即戦力重視や現代的な会社機構でも徒弟制度のようないきなりの実務を経て現場で覚えさせるという方式、結果的に教育軽視となっている事が国際競争力に如実に現れているのでは。

 教育重視といいますか、即戦力で雇用しても教育を行わなければ労働需要の変容と共にその能力は短期間で摩耗若しくは陳腐化してしまいます、自衛隊の場合は新隊員教育に加えてMOS資格教育等素養の練成にかなり尽力しており、この点は学ぶべき点と云えましょう。

 第110教育大隊、その上で大変だなあ、と考えるのは善通寺駐屯地祭が挙行されるのは四月下旬、これをゴールデンウィーク前だ、と思われるかもしれませんが任官が春ですのでいきなりの第14旅団と共にならんでの式典参加となります。第14旅団は精鋭部隊の一つ。

 中部方面混成団隷下の第110教育大隊、大変だなあと思うのは、五月初旬に大津駐屯地祭があるのですね、この為第110教育大隊は善通寺駐屯地から式典参加へと大津駐屯地へ行かなければならない。ゴールデンウィークがあって無い様なもの、といえるかもしれない。

 第47普通科連隊第1中隊も善通寺駐屯地に駐屯しています。第47普通科連隊といえば、海田市駐屯地に連隊本部を置く普通科連隊であり、善通寺駐屯地では無かったのではないか、と思われるかもしれません。しかし、第1中隊はここ善通寺に駐屯しているのですね。

 第47普通科連隊は即応予備自衛官主体の普通科連隊です。元々は第13旅団隷下にありましたが、陸上自衛隊改編により、同じく即応予備自衛官基幹で第10師団隷下の豊川駐屯地第49普通科連隊共々、第2教育団より改編された中部方面混成団へ移管されたのですね。

 即応予備自衛官制度とは年間30日間の教育訓練を行う予備自衛官制度です。予備自衛官制度では年間訓練日数が5日間しかありませんので、新装備の教育訓練は勿論、年間五日間でできる教育訓練は限られたものしかありません。これが30日間となると自由度が増える。

 30日間の訓練は予備自衛官のような分割訓練も認められておらず、即応予備自衛官訓練召集日程が明確に定められています。訓練時間が限られますので、外出時間は現役隊員と比較して明確に少なく、短期集中で戦術訓練等を着実に実施しているという制度がこれです。

 訓練召集を考えますと、西日本地域全域の即応予備自衛官を毎回訓練の為に連隊本部の置かれた海田市駐屯地へ集合させるのは、それこそ四国全域と山陽山陰地方からの隊員召集は距離的にも簡単なものではありません、ここに第47普通科連隊第1中隊の駐屯がある。

 要するに第1中隊は善通寺駐屯地近傍に居住する即応予備自衛官の教育を担っているのですね。制度としては、例えば第14旅団が全力で管区外へ派遣される事態となった際に、善通寺に第47普通科連隊第1中隊を臨時招集する事で後詰や留守部隊、ともできるでしょう。

 考えられた制度ですが、しかし聞きますと年間30日間に確実に訓練召集されるという制度は、会社員での兼業は難しく、第一次産業でも簡単ではないといいます。それでも企業協力金がありますので、家庭内産業の様な小規模な事業者では頑張って任官してくれるとも。

 即応予備自衛官制度は、自衛官の満期除隊と共に志願し登録する制度です。ただ、自衛官経験者でなくとも予備自衛官に任官できる予備自衛官補制度というものがありまして、将来的にこれを拡充し予備自衛官補から即応予備自衛官となる道も、というのですが、ね。

 第47普通科連隊第1中隊、第47普通科連隊は予備自衛官部隊とは言っても装備品については、他の第一線普通科連隊と同等の物を装備しており中隊編成も基本的に同じです、精鋭部隊として最近では2018年西日本豪雨災害にも召集され災害派遣へと活躍しました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G3X撮影速報】美保基地航空祭2019.ブルーホエールC-2輸送機飛行隊完成(2019.06.02)

2019-06-15 20:17:12 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■C-2輸送機編隊&飛行展示
 美保基地航空祭の一眼レフEOS-7Dと連結して撮影しましたコンパクトデジタルカメラG3Xでの速報、後篇です。

 鳥取県の美保基地航空祭2019、C-2輸送機初の実戦配備部隊として撮影へ進出しましたが、C-1輸送機は完全にC-2輸送機へ代替されており、そしてブルーインパルスの不参加が要因でしょうか、非常に来場者も少なく、余裕ある昔の様な航空祭を満喫する事が出来ました。

 C-2輸送機の五機編隊が中海方向より美保基地へ飛来します。地上のC-2輸送機とともに、輸送機部隊の基地に相応しい構図が醸成されています。双発のC-2輸送機は機影がC-1輸送機を思い出させるもの。第403飛行隊はC-1を運用終了し、C-2飛行隊となりました。

 26tを搭載し6500kmを飛行、C-1輸送機の8tを搭載し1500kmという性能とは文字通り世代差を感じます。もっともC-1輸送機には当初50機の量産計画があり、後期型は胴体延長を行い、輸送能力を強化する構想がありました。実際には量産は29機で終了しています。

 C-17輸送機の対日売り込みを背景に開発が進められたC-2ですが、C-17はユニットコストこそ250億円程度とされているものの、現実問題、豪州空軍導入のフライアブルコストでは650億円とE-767早期警戒管制機を越えるきわめて高価な航空機となってしまいました。

 MV-22可動翼機の17機導入決定の際のように、政府が強い姿勢で公示し、例えば12機とか16機とか、一括で取得を日米首脳会談等で明示するような施策が採られない限り、結果論として、予算が確立するまで待ってくれる国産機、C-2で良かったのかな、と思います。

 五機編隊のC-2輸送機、昨年は三機編隊でした。個人的に凄い良い写真を撮る岡山の方が居まして、これ勘違いだったのですが、その方が撮った、と当時思った美保航空祭の写真を視まして、よし今年は岩国ではなく美保だ、と決断しまして、五機編隊が撮れたという。

 管制塔とC-2輸送機、航空祭の雰囲気が溢れる構図です。なにしろ開発が遅れまして、C-2はC-Xと呼ばれていた頃に初飛行を撮影した当方、しかし初の美保基地航空祭撮影の際にはC-2格納庫のみ完成していたものの、胴体後部強度不足から配備開始遅延となっていた。

 機動飛行へ臨むC-2輸送機、結局、C-1輸送機の後継として戦術輸送機を考えますと、大型の機体よりも便数を多く飛行させる必要があり、前述のC-17よりも優位性があったように思います。二点間輸送と異なり、兎に角C-1輸送機の業務輸送は便数が必要となります。

 C-130H輸送機の後継として、C-17輸送機は妥当であったのかもしれません、海外派遣を念頭とした戦域間輸送機という構図で。しかし、C-130Hは16機、理想はこれを8機のC-17で代替する事ですが、残念ながらC-17は2009年製造終了、最早C-17入手は出来ません。

 二機編隊の機動飛行、PowershotG3Xという24-600mmズームのコンパクトカメラ、何処がコンパクトなのか疑問符の付く巨大なカメラを一眼レフのEOS-7Dmark2と連結し撮影しました、EOS-7Dを構えつつ慎重に適当にG3Xを操作し、この構図が撮れたのですね。

 C-2輸送機、広角側で撮影を。C-17の難点は費用が高い事です、豪州空軍取得費用は驚いた、C-1後継機は便数が要ります。そしてC-2開発本格化の時期には北朝鮮ミサイル対処に中期防当り一兆円規模の捻出を行うミサイル防衛事業が本格化、仮に10機のC-17を取得するには6500億円が要る。

 将来を見通す事が出来ないものですが、我が国防衛政策は新しい任務が加わりますと、財政難を理由に、ここ一年二年の我慢だからと無理に予算を捻出し、その状況を常態化させ任務を重ねている印象があります。要するに脅威対象多極化へ制度が対応できていない。ここで無理を押し通せているのは防衛産業です。その是非の余地はあるが。

 空挺降下を行うC-2輸送機、北朝鮮のミサイル開発が、例えばクリントン政権時代の朝鮮半島核危機の際、限定空爆等を行ってでも阻止できていたならば、ミサイル防衛は不要、C-17を取得する余裕は出た可能性も残りますが、現実的には不可能だったといえましょう。

 マクダネルダグラス社時代にはC-17は空中給油機として改修し得る、ともされていました。まこれならば、と給油方式が気になりますが、例えばKC-767と並行調達し、2機か4機程度であれば、C-2と並行装備、という選択肢ならば、理想だったのかもしれません。政府専用機として、ね。

 三機編隊で美保基地上空へ飛来するC-2輸送機、C-2は生産計画が縮小されC-1輸送機と同じ轍を踏む事となりそうです。日本経済に余裕があれば、量産し、補助金付きで日本航空や日本貨物航空に平時は貨物輸送機として運用を依頼し、有事の際にはチャーターする選択肢もあったのかもしれません。

 C-17輸送機に代えていたならば、取得開始から2機か3機揃ったところでミサイル防衛の時期と重なり、調達再開へミサイル防衛事業完了を待つ内にC-17は製造終了、C-1は延命できず輸送機はC-130と僅かなC-17に。数が足りずC-27かKC-390を検討、なんて事も。

 コンバットピッチを行うC-2輸送機、C-17を20機程度取得し、試作機併せ31機のC-1を置き換える構想が、調達途中に予算不足、杞憂でしょうか、これは実例としてAH-64D戦闘ヘリコプターやUH-60JA多用途ヘリコプター等がまさに当て嵌まる事例なのですよね。

 C-2輸送機、調達計画の縮小がありましたが、まず数は揃える事が出来た。当時は海外派遣を想定した場合に輸送力が必要で、C-17か国産、取得費用で現実的なC-27やC-130Jは真剣に検討されていませんでした。C-2輸送機は続いて入間基地第402飛行隊へ量産が続く。

 小牧基地第401飛行隊のC-130H輸送機後継はどうなるのだろうか、実際現地での話題の一つとしまして、C-130Hは1984年取得開始、初期の機体は運用から35年を経ています。C-130J-30という最新型へ置き換える選択肢や中古の機体を物色する選択肢はありますが。

 KC-130Rとして海上自衛隊がYS-11M輸送機の後継に1970年代に米海軍が導入し保管状態にあった機体を非常に安価に取得した事例があります、給油関連装備を外しC-130Rと改修しました。航空自衛隊もC-130Hの後継機にこのC-130R方式は有り得るのでしょうか。

 二機が誘導路で重なるC-2、実はC-130H後継にC-2が追加決定される可能性は、あるのかな、と。C-130Rは通常の運用ならば20年程度運用可能とされています。しかし、航空自衛隊のC-130は作戦輸送で40年以上運用の見込み、運用期間が根本から異なるのです。

 C-2クルーが管理棟へ。量産計画が下方修正されたC-2ですが、C-130H後継機として、例えばKC-46空中給油輸送機や、CV-22可動翼機というような斜め上の選択肢でなければ、敢えて輸送力で格下、不整地での輸送力は一応高いものの多寡という機種よりは、と思う。

 F-2戦闘機機動飛行、美保基地航空祭最後の飛行展示が開始されました。驚いたのは繰り返しますがG3Xの性能、まあまあ写っている。EOS-7Dと連結していて、レリーズで写っているだろう、という液晶モニターでの確認さえせずに撮影しているのに背中が写っている。

 FSXとして開発されましたF-2,個人的には好きな、と言いますか自衛隊に必要な航空機と考えます。ただ、航空自衛隊では第一の任務が制空戦闘という事もあり、部内での評判は、と聞いた事も。航空自衛隊は国内に防衛産業があり、今の稼働率が当然と考えていないか。

 自衛隊の稼働率に対して、韓国空軍は50%の稼働率を維持する事に苦心し、NATOでも稼働率を50%以下としないよう努力しています。その為に共通部品プール等、兵站努力は物凄い。日本は国内に防衛産業基盤がある為に防衛予算を装備調達と維持に集中できている。

 F-2戦闘機はそうした目に見えない部分で重要な位置づけを担っているとも考えます。もっとも、青天井の予算を実現する経済成長と許容する国民世論があれば、こうした考えをせずとも好いのですが、古今東西、この頚木は各国防衛当局の不変の課題でもあるのですね。

 さてさて、PowershotG3Xでの撮影の話題とともに、後篇に先立つ前篇ではC-2輸送機の話題が多くコメント投稿を受けましたので、ちょっと持論と共に六月初旬の航空祭を振り返ってみました。振り返りつつ、それほ混雑しなかったのは良かった、と写真を観返した。

 米子市内のホテルもそれ程混雑しなかったのは幸いでして、対照的に一ヶ月も後の富士学校祭が御殿場数編のホテルがほぼ満室という状況に対して、良いお宿を米子駅前に確保する事が出来ました。また、米子に松江と日本海の美味しいものを頂く事も出来ました。

 美保基地航空祭は曇天と予報されつつ後半は太陽も見えまして、唯一今回は山陰で蟹三昧と出来なかった事は若干残念でしたが、航空祭そのものは愉しむ事が出来ました。しかし改めて、京都から米子は近い、とは言い過ぎにしても遠くは無い、また一つ旅をしたいものですね。

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令和元年度六月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2019.06.15-06.16)

2019-06-14 20:01:34 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 上皇猊下の京都行幸を受け梅雨入りが待っている今日この頃、上手く行けば今年は梅雨を逃げ切れるかもというなか皆様いかがお過ごしでしょうか、今週末の行事紹介です。

 第2師団創設記念旭川駐屯地祭、北鎮師団の名と共に北海道北部を防衛警備管区とし、極東ロシア軍の軍事圧力を一手に引き受ける陸上自衛隊最精鋭師団の創設記念行事です。師団は第2戦車連隊、第3普通科連隊、第25普通科連隊、第26普通科連隊、第2特科連隊等を基幹とし、師団戦車大隊に代え強力な戦車連隊を隷下に有しているのが特色でしょう。

 90式戦車に10式戦車と87式自走高射機関砲と96式装輪装甲車、極東ロシア軍軍事圧力に備える師団の装備は重厚かつ新しく強力です。旭川駐屯地は駐屯地に第2飛行隊の展開する旭川飛行場地区を有し、飛行場は未舗装滑走路が広がります。師団行事はこの広大な飛行場地区に戦車部隊を始め多くの部隊が展開、観閲行進から訓練展示まで、規模は凄い。

 北宇都宮駐屯地祭、陸上自衛隊航空学校宇都宮校と第12旅団第12ヘリコプター隊第1飛行隊が駐屯しています。第12ヘリコプター隊第1飛行隊はUH-60JA多用途ヘリコプター装備部隊、航空学校宇都宮校はFEC陸曹航空操縦学生課程とEOC計器検定官課程を担います。中央即応連隊と第12特科隊の駐屯する宇都宮駐屯地とは別の駐屯地です、御注意を。

 岩手駐屯地祭、74式戦車とFH-70榴弾砲で知られる岩手県滝沢市に所在する駐屯地です。第9師団隷下の第9特科連隊と第9高射特科大隊及び第9戦車大隊と東北方面隊隷下の第10施設群第387施設中隊が駐屯していまして、IGRいわて銀河鉄道、旧東北本線滝沢駅が最寄り駅となっています。先週の青森駐屯地祭に続き第9師団重戦力を見るお勧め行事だ。

 東北唯一の戦車部隊、岩手駐屯地祭のお知らせは岩手地方協力本部HPをご覧ください、と、こう言いますのも実は第9師団HPを見てみましたらば先週の第9師団創設記念行事は大々的に発表されていますが、この他に行事はありません、と言われていまして、全国の新部隊新編の都度に人員を引き抜かれており広報要員不足の厳しさを垣間見た印象です。岩手地本HPですよ。

 さて撮影の話題を。新型カメラの性能に一々驚かされないよう達観したつもりでいたのですが、CANONのPowershotG3Xについては三月から運用を開始し三カ月、性能に驚かされています。G3Xはコンパクト機種、一眼レフより小型センサーを採用しているのですが、1型センサーという、一眼レフのAPS-Cに準じた大型のセンサーを採用していまして、画質はまあまあ高い。

 G3Xの強みは光学24-600mmというズーム性能にあります、デジタルズームを併用しますと最大2400mmまで延び、京都駅ビルから如意ヶ岳の大文字火床周辺を確認できるほど。G3Xに限らず、コンパクト機種は一眼レフよりも望遠機能に有利でした、それはセンサーが小型である分、センサーに対してレンズ径を取った場合に高倍率としやすいためです。

 しかし、G3Xは1型センサーを採用し、下手なミラーレス一眼よりも大型となる筺体に高倍率の性能を搭載していまして、画質と望遠を何とか両立させています。更にPowershotの中でも上級機種であるGシリーズであり、被写体認識能力や動体追随能力が高く、例えばF-2戦闘機の機動飛行さえ撮影出来ます、片手に持つ支援機種として、驚かされました。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・6月16日:第2師団創立69周年旭川駐屯地祭https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/
・6月16日:岩手駐屯地創設62周年記念行事…https://www.mod.go.jp/gsdf/neae/9d/
・6月16日:北宇都宮駐屯地祭…https://www.mod.go.jp/gsdf/kitautunomiya/index.html

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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ホルムズ海峡で日本タンカー等2隻が攻撃被害,イラン歴訪安倍総理はハメネイ師との会談中

2019-06-13 20:00:15 | 国際・政治
■石油海峡:ペルシャ湾封鎖懸念
 安倍総理のイラン歴訪、緊張高まるアメリカとイランの対立への仲介を期した歴訪中に非常事態です。

 日本向けのタンカーがホルムズ海峡で攻撃を受けました。現在のところ人的被害や大規模な環境汚染などの被害は生じていませんが、ホルムズ海峡はペルシャ湾とアラビア海やインド洋を結ぶ国際海峡、イランやイラクとサウジアラビアやUAEアラブ首長国連邦,バーレーンクウェート等の産油国が石油を輸出する、世界的に見て極めて重要な海峡です。

 タンカー攻撃、AFP通信によれば事件海域はオマーン沖であり、付近を警戒中のアメリカ海軍第五艦隊へ救援信号が送られたと報じられています。NHK報道ではタンカーが攻撃を受けたのはイラン領海に近く、救援信号を受けイラン当局が救援へ向かっていると報じています。ロイター通信によればタンカーの乗員は繰り返し攻撃を受け、総員退去とのこと。

 マリントラフィックAIS船舶位置情報によれば、被害船は、総トン数63000tのフロント-アルタイル、総トン数19000tのコクカ-カレイジャスの二隻です。NHK報道によればコクカ-カレイジャスは東京の国華産業が運行する化学運搬船で、フロント-アルタイルはUAEから台湾へ、コクカ-カレイジャスはサウジアラビアからシンガポールへ向かう途中でした。

 安倍総理大臣は現在、イランを訪問中、総理大臣のイラン滞在中、イランの最高指導者ハメネイ師との会談中に、事件は発生しました。安倍総理のイラン訪問は日本の総理大臣として41年ぶりとなりますが、今回のイラン訪問はアメリカとイランの対立を仲介し、この地域での大規模な武力衝突を回避するという和戦の非常に重要な使命を帯びての訪問です。

 ロウハニ大統領とハメネイ師との安倍総理の会談、イランは核開発疑惑がもたれており、アメリカはオバマ政権時代に核兵器用の核物質濃縮を行わない見返りに商業用原子炉を提供するイラン核合意を欧州諸国と共に妥結しましたが、イランに核兵器開発の疑いは晴れないとして現在のトランプ大統領はイラン核合意を破棄し経済制裁再開を発表しました。

 トランプ大統領は原子力空母エイブラハムリンカーンとB-52戦略爆撃機等を中東地域へ派遣しており、現在は陸軍師団等の派遣はまだ行っていない為、地上侵攻の可能性はありませんが、緊張が高まっています。そしてその緊張が増大する中で、ペルシャ湾沿岸では小型機雷等によるタンカー攻撃が頻発しており、限定爆撃などが行われる懸念はあります。

 ハメネイ師との安倍総理の会談では、イランとして核開発の意図を改めて否定すると共に、アメリカとの戦争は望まないとの発言があり、経済制裁解除はまだ時間を要するとしても、ひとまずアメリカによる軍事攻撃を受ける懸念は、ある程度払拭できたのではないか、事態深刻化の進行を抑える事だけは出来た希望が見えた中での、今回のタンカー攻撃事件だ。

 コクカ-カレイジャスはNHK報道として、攻撃を受け船体全部に火災が発生、退避行動を行ったものの再度攻撃を受けた為、メタノール日本向けナフサ等の可燃物を搭載している為に航行の維持は不可能と判断、乗員21名は総員退去し、周辺を航行していた民間船に救出されました。これによりコクカ-カレイジャスはホルムズ海峡を現在無人漂流中です。

 影響は重大です、ホルムズ海峡封鎖が過去、イランイラク戦争においてタンカー攻撃が在った際には当時の橋本龍太郎運輸大臣が海上保安庁巡視船に自ら陣頭指揮を執り護衛を検討、1991年湾岸戦争に際し湾内に機雷が敷設された際には、海上自衛隊が多国間掃海任務ガルフドーン作戦へ掃海母艦と掃海艇等を派遣しました、それ程に日本には影響が大きい。

 海峡封鎖、コクカ-カレイジャスは現在無人です。国華産業によればメタノール等25000tを積載、最初の攻撃は日本時間の本日1200時頃、船体左後部への砲撃で機関に命中し火災発生、炭酸ガス消火器により消火成功しましたが、次の攻撃が三時間後の日本時間1500時に行われ、左中央付近に命中、船倉付近でありメタノール爆発火災の恐れから総員退去へ。

 コクカ-カレイジャス、沈没の危険はないとのことです。しかし、投錨有無は不明です。コクカ-カレイジャスの乗員は全員無事でオランダをUAEへ向かう商船に救助され、現在近くの港湾へ回航中とのこと。ホルムズ海峡付近は潮流が速く、総員退去時に投錨が行われているとは考えられますが、海底地形次第で潮流により走錨する可能性は否定できません。

 メタノール等25000tを積載したまま無人でホルムズ海峡に放置されているという事です。メタノールは原油のような環境汚染は引き起こしませんが、爆発火災を引き起こすため、場合によってはホルムズ海峡の通行に影響が生じる可能性もあります。また、タンカー攻撃は頻発しており、船舶への深刻な損傷事態はありませんが、今後も生じる可能性がある。

 海上警備行動命令が発令され、場合によっては海上自衛隊護衛艦がペルシャ湾とホルムズ海峡にかけてのタンカー護衛任務を展開する可能性があります。南西諸島警戒監視任務等、実任務の多い海上自衛隊ではありますが、ホルムズ海峡航行維持は同じく重要で、タンカー攻撃が繰り返されるのであれば、日本船舶協会等からの護衛要請も考えられるでしょう。

 攻撃目的は何か。アメリカ第五艦隊とイラン当局が対応に当るという情報、現在は情報が錯そうしており確たる情報はありません。しかし、ペルシャ湾では国籍不明武装勢力に対するタンカー攻撃が相次ぎ、サウジアラビア政府はイラン系特殊部隊の関与として批判しています。一方で退船した乗員への攻撃は無く、人員殺傷が目的ではないと考えられる。

 攻撃は砲撃によるものと発表されていますが、現段階では情報が不足しています。ただ、撮影機材は個人用情報端末やカメラ等数多く、今後情報が出されるまで、なんともいえません。しかし、限られた情報から推測しますと、テロ組織関与の可能性、イラン革命防衛隊外郭組織の暴走やペルシャ湾沿岸国と対立するテロ組織による攻撃の可能性、がひとつ。

 イラン関与の可能性、イランは1980年からのイランイラク戦争において、タンカー戦争としてホルムズ海峡での無差別攻撃を実施した事例があります。ただ、ホルムズ海峡を封鎖したいのであれば機雷を敷設すればよく、今回の様に砲撃を行う必要はありません。なお、砲撃は小型船より行われ、艦砲によるものか携帯火器によるものかは判明していません。

 イランと敵対する第三国による攻撃の可能性、イランは国是にイスラエル消滅を掲げイランイラク戦争において通り道に当るイラクに侵攻、革命防衛隊外郭組織のヒズボラはテロ攻撃の過去があり、サウジアラビアと敵対するイエメンのフーシ派勢力へ武器供給等が疑われています。イランへの攻撃へ国際世論を動かす観点から実施された可能性はあります。

 さて。ペルシャ湾沿岸で頻発していたタンカーへの攻撃が、今回、日本船会社船舶に対しても行われ、ホルムズ海峡という国際海峡付近で大量の可燃物を搭載した船舶から総員退去を強いられる状況となりました。確たる情報は不明ですが、我が国は原子力発電所の多くが東日本大震災後の停止状態にあり、化石燃料に依存する中での事態となった訳です、今後の進展に重大な関心があります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】彦根城天守閣,大津城四重五階構造移設後の三重三階地下一階構造天守造営

2019-06-12 20:06:04 | 旅行記
■彦根城天守閣,国宝天守探訪記
 彦根城天守閣、滋賀県が世界に誇る城郭です。この天守閣は彦根城造営に際し大津城天守閣が移築されたと説明されますが、この視点を考えつつ散策してみました。

 近江の地、新快速にて名古屋方面へ向かう際に小高い山の頂上に美しい天守閣につい見蕩れますが、これが国宝四天守閣、最近五天守閣となりましたが、長くから親しまれている彦根城の天守閣です、ここを伊吹山の方へ抜ければ関ヶ原地峡、そして大垣と岐阜に至る。

 金亀城の別名と共に複合式望楼型 三重三階地下一階構造の天守閣、1604年に彦根藩の城郭として造営されました。彦根城の歴史、はこれまでにも紹介してきましたので、今回は天守閣、17世紀初頭からこの地に在り続けています機能美を備えた構造を中心に伝えたい。

 彦根城は中世日本城郭の集大成といえます、多くの城郭遺構を移設した為です。天守閣は大津城、佐和山城から佐和口多門櫓と太鼓櫓門、小谷城から西ノ丸三重櫓、観音寺城からや一説には和田山城から移設されたという太鼓門、天秤櫓は長浜城から移築したという。

 城郭が軍事拠点から行政拠点へと昇格したのは安土桃山時代末期から江戸初期にかけて、成程大津城や長浜城は湖上港湾要塞、小谷城や佐和山城は緊要地形防御の拠点要塞、対して広大な城下町と経済圏の中央に位置する彦根城、行政拠点城郭の典型例と云えましょう。

 佐和山城や小谷城から西ノ丸三重櫓と観音寺城に和田山城は今日、郭の跡などにその遺構を見いだせるのみ、長浜城は復元天守閣が湖北長浜駅前にありますが、当時の遺構は現存していない。なお、彦根城へ移設されました多門櫓については今日、現存していません。

 複合式望楼型という通し柱を用いない構造で、各階が分割して積層された天守閣構造は砲撃や破城槌のような打撃へ堅固という。牛蒡積石垣が基礎に配置されるとともに、下層が突上窓で中層は華頭窓、最上階は外廻縁と高欄とし、防御での銃眼と射界を確保している。

 大津城、彦根城の天守閣は此処からの移築と伝えられていまして大修理の際に資材が見つかった。大津城の方は現存していません、遺構はその周辺が全て京阪浜大津駅となっていまして、江戸時代には堀割も埋設されたといい、その全容を知る事は難しくなっています。

 井伊直継の彦根城、その天守閣を造営したのは1586年に浅野長政が豊臣秀吉の命を受けての事業でした。浅野長政、豊臣政権五奉行筆頭として知られ、関ヶ原の戦いでは徳川秀忠の徳川軍主力に加わった事が評価され、幕府開府後に隠居へ常陸国真壁を贈られた武将だ。

 浅野長政が造営しました移設前の大津城天守閣は望楼型の四重五階構造であったというのが昨今の有力な説という、しかし天守閣は前述の通り三重三階地下一階です。四重五階構造が三重三階地下一階となった背景、昔は素朴な疑問の一つだったのですが考えてみれば。

 大津城の戦い、慶長年間1600年10月13日から10月21日までの大津城主京極高次と西軍毛利元康と立花宗茂及び小早川秀包連合軍による攻城戦です。10月21日即ち旧暦9月21日に大津城は落城していますが、この当日に戦われたのが、天下分け目関ヶ原の合戦だ。

 京極高次の防御は、しかし激戦であったようで、落城したものの関ヶ原の戦いへ西軍の増援を阻止した功績が認められ、一時は落城の責任を執って出家するも、家康は若狭一国と近江国高島郡の9万2000石を贈ったといいます。この時点で、大津城は徹底破壊された。

 彦根城天守閣は大津城天守閣を移築した、と簡単に説明される事が多いのですが、四重五階構造が三重三階地下一階となったように、この時点で大津城天守閣は移築できる部分が大きく破壊されており、私たちが考えるような移築でなく部分利用だったといえましょう。

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