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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

≪解釈≫を食べて育つ!(体験の解釈を変えると世界が変わる 1/15)

2011-02-04 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 中学生のときに、クラスで「サウンドオブミュージック」を見に行った。感激して、クラスで話をしたが、ある同級生は、その後一年に3回も見た人もいた。思春期の私にとっては強烈な印象を与えた。映画の冒頭にある、オーストリアの山の景色から主人公が登場するまでの映像、そして最後も家族が山を登るところで終わる。

 人生を山に例える人もいるが、年と共に何か高見に登って行く感じ。そういう人生を歩みたいと最近つくづく思う。高いところに登れば登るほど、自分の立ち位置が判り、天に溶けていく感じ。人は、飲み食いなどの快楽を追求するという意味でなく、本来、生涯幸福であるべき存在だとも思う。

 それが、そうでなく不幸に陥るのは、様々な要因があると思うが、その一つは、体験の解釈の問題がある。幼いころ、青年時代のころ、中年のころ・・・さまざまな時と場所で、私たちは体験し、それを解釈する。解釈は身近な人から影響を受けたり、ロクに勉強もしないで納得したり、いろいろだが、その解釈により簡単に不幸になる。

 だが、高見に登る中で、その解釈を変えることができるチャンスもある。不思議なことに。

 7歳のころ、異文化のアラスカに両親と暮らした。住居はロシア人墓地の隣であった。5-6年前に知ったのだが、その場所はどうもロシア人がアラスカを占領する前に、その地に長らく住み着いているネイティブの古い墓地のあったいわく付きの場所だったようだ。

 そんなところで暮らしていたが、ある晩両親が、パーティーに呼ばれて車で出かけた。夜の闇が支配する中、怖いのでベットで布団を頭からかぶって寝た。そして、深夜、はっと眼を覚ます。両親はまだ帰っていない。夜光塗料で文字盤が読める時計を見ると、丁度午前2時(ウシミツ時)。その時の恐怖は今でも忘れられない。

 アラスカの闇は怖かったが、昼間は、家の裏の木々に友達と登ったりし楽しく遊んだ。防寒具を着て、ちょっとした高いところから枝がハンモックのようにしなるなかソフトに落ちたりすると、何か大地から優しく支えられているように思えた。

 その土地をどう解釈するか、魑魅魍魎の跋扈する闇の世界と考えるか、何か暖かい世界と解釈するか。二つの体験をした。

 今はアラスカだけでなく、この世を闇を含めて、何か暖かい世界ではと思うようになった。辛いことは勿論あるけど。

 体験の解釈を変えると世界が変わる 1/15

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