隣人というと、スキな人、弱い人、困っている人・・・などをイメージするが、良く考えると、身の回りには、キライな人、苦手な人、天敵のように自分を攻撃する人もいるようである。
私は仕事として、大企業の営業やマーケティングもしたし、全く毛色の違う介護や福祉の仕事、教育事業もした。どの世界も、スキな人、弱い人、困っている人も居たが、キライな人、苦手な人、攻撃する人もいた。
これは、世のならいのようで、どんな世界でも同じではないだろうか。
今日は、キライな人、苦手な人、攻撃する人のことを考えてみたい。こうした人達をちょっと分類してみた。
1.自分に原因があるケース。幼いころの経験、以前に辛い経験が現実の人間関係に投影されたり(重なったり)、日常の辛い経験で感情転移をしたりする防衛機制が問題のケース。
2.相手に原因があるケース(1の反対だが)。病的な傾向を持っていたりすることも(1も同じだが)。
2のケースは、これは自分の問題ではないと気づくことが重要である。そして、このケースの人をスキになることは、感情面ではかなり難しい。理性的に自己肯定・他者肯定の道を歩めば良いが、自己肯定、自分を大事にするのが重要かもしれない。
1のケースも2に似ていて、理性的に自己肯定・他者肯定の道を歩むことが大切だが、可能性として知覚が変わって、キライがスキになることもあるように思う(眼が覚めるに似た感覚)。相手の方が、固有の存在、他者であると、無意識の世界が納得するとき、スイッチが切り替わるようだ。皆さま、どう思われますか?
さて、今日で、第6章の螺旋状に上昇する意味も終わります(今年の分)。自己実現で、ストレートに近づくのは理想かもしれませんが、現実にはつた科の植物のように、光には向かうものの、こころを防御する、こころの仕組みもあり、螺旋状に人は上昇するようになっているのだなと納得しました。
今回はとても、観念的になってしまいました。経験を積み、来年の今ごろ同じテーマで、何が書けるか、楽しみでもあります。
体験の解釈を変えると世界が変わる 15/15