イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

心がちょっと囚われたときの1,2,3・・・(メメントモリ 2/15)

2011-02-21 | 第七章「光と復活体」

  昨年末から、今に至るまで、新しいサークルのこととか、2-3新しいチャレンジをしている。そのストレスを楽しんでいるのだが、感情面で不安から怒りに、ほっておくとどんどん階段をのぼっていくような(不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱の5段階の階段)ことが2回あった。

 今日、朝テレビを観ていたら、芸能人の結婚式披露宴の話題がでていたが、その中である芸能人が、「某さんのことがかぶって、・・・してしまう」。そんな表現をされていた。心理学で有名な防衛機制で投影とか感情転移があるが、基本的に≪かぶる≫という表現が、ちょっと抵抗ある表現ではあるが、かなり近い表現なのだと思った。

 意識していないか、あるいは殆ど意識しないAさんのことが、現実のBさんにかぶり、ありえない高い理想をBさんに密かに抱いたり、Aさんへの苛立ち(本来は自分へのいらだちもある、そのあたりは複雑なのだが)をBさんに感情面でぶつけたりする。とても理不尽なこころの働きなのである(それで、バランスをとっているので良い面もあるが)。

 Bさんのことが、何か気になる。漠然とした不安感というか・・・そんなことがあったとき、私の場合は(どうも理論的にもそうだが)、不安感とか怒りなどの直接的な、じわっと来る感情は現れないものである。心理療法やカウンセリングで感情を大事にというが、まずは、≪気になる≫そんな心の働きが先に生じるようだ。場合によっては、偏執といっていいようで、何かが頭を離れない。

 そんな時、自分の執着を、自分の理想と現実のギャップと考えて、それを模索し吟味することでギャップを縮めるのがセオリーであるのだが、かぶっているこころの機制がある場合は、なかなかヒットしないものだ。

 Aさんへの高い理想的な思いがBさんにかぶっていては、Aさんのこと(かぶっている)を思い出さない限り無理というものだ。

 かぶることからくる、悩ましい現象があるとき、どうしたらようのだろうか。ちょっと整理したが、こんな風になるのだろうか?もちろん、ちょっと抵抗を感じた場合は、パスしてくださいね!

1.誰かにかぶる。そんなこころの防衛機制があることを知る。できれば、自己事例まで深めてみると、自分の傾向が判る。

2.なぜBさんのことで執着したりするか。その執着は何か本当に意味があるかを思索する。一番よいのは、自分が死ぬ時のことを想像して、今の執着内容を客観視する。つまらないことに執着する自分を感じてみる。

3.自分の理想が凶器にもなることを知る。頭の片隅にこの言葉を入れていれてみる。

 自分の囚われの傾向や、その対策をのんびり行っていると、自分の感情が見えてきたりする。私は、悲しんでいたんだ・・・など。そして、その感情をもつ自分を大切にしつつ、絡まった理想や現実を解していくと、何か回答が見えてくるものだ。

 

メメントモリ 2/10

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