やっと花粉も少なくなり、春を満喫できる季節に。
ただ、この時期は五月病ではないが、毎年のように「これでよいのだろうか?」と何となく思う季節でもある。学校や職場などが、新年度を迎え環境が変わり、少し慣れて振り返ることができるようになるころかもしれない。
「生き甲斐の心理学」を学び、「自分は何のために生きているのか?」、「生き甲斐は何か?」、「自分を大切にしているか?」という自問自答をのんびりとしていると、今していることは、何かちがうのではないか?という疑問が浮かんだりする。
この20年でも、仕事を例にとると大きな転機が3回あった。仕事というのは、ある時点で自分なりに選んで職につくわけであるが、いつのまにかある種の心地よさを得るようになり、どこかマンネリズムに陥っていく。何か衣服のような自己概念を纏っているのだが、それが自分の手作り服ではなく、大量生産的な既製服になってしまう。それなのになぜか私の衣服。
もう一度、自分の衣服を見つめる。ここの端切れは私が繊維から糸をつくり、そして編んだ部分と認識するとか、このボタンはどこかで買ったものか・・・それから、自分の存在理由のような<傾向と渇望>を考えることも大事だ。ミッションといってもよいかもしれない。自然体である種の心地よさを伴う方向というか。
五月は、自分を点検し囚われから解放されるための道筋を考える良い時なのだと思う。
囚われからの解放 1/10