深夜バスに揺られ、早朝到着したアベノハルカスの展望台から見えた二上山。気楽な一人旅だったので、その足で二上山の麓の当麻寺によってから一挙に二上山を登った。当麻寺に寄るのは前から計画していたものの二上山登頂は想定外?であった。今から3年前の3月のことだった。
旅の楽しみ方はいろいろあるようだ。ご当地名物のおいしいものを頂いたり(つまりグルメ)、景勝地で眼や耳などを楽しませたり、時には修学旅行のようにアリバイ作りのようなこともあるだろう。
私の場合は、生き甲斐の心理学をU先生から学び、少し違った楽しみ方を知るようになった。事前に訪問する場所の歴史などをしっかり学んでから(いろいろ学んでいて、どうしても行きたくなるというのが正しいかもしれない)、現地に立つ。そして、そこでどのような感情が湧き出るかを楽しむ。これを欧米ではアース・フィーリングを楽しむというらしい。
その時、当麻寺で白鳳時代の国宝の像を見た時は、涙がでるような感動を覚えた。さらに、持統天皇の甥で政略で死罪となったといわれる、大津皇子の墓といわれるに二上山山腹の鳥谷口古墳を経由して二上山雄岳山頂に行った。思い出深い旅だった。
ご興味のある方は是非YouTubeをご覧ください。
大津皇子は、持統天皇の息子の草壁皇子の政敵の一人であり、天武天皇が崩御されてから持統天皇が真っ先に大津皇子を亡き者としてしまった。その後、持統天皇の一人息子の草壁皇子が亡くなり怨霊を恐れたのか、大津皇子の墓は改葬される。その場所は奈良盆地からみて山の向こうの推古天皇陵のある太子町などではなく二上山(山頂という説が有名)。
その時、大津皇子の姉の大伯皇女が次の歌を詠むのだが、何とも言えない感動を誘う歌である。
「うつそみの人なるわれや明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟世(いろせ)とわが見む」
この歌や、それこそ現地で感じるアースフィーリング(人それぞれだろうが)を見事に小説にしたのが、折口信夫の「死者の書」である。素晴らしい鎮魂の書であるが、その感想は後日述べることにし、今日は大伯皇女の歌を考えてみたい。
この歌の中の「見る」は、ただ見るというよりもっと深い意味があるように思える。何かアイデンティティの統一が綺麗に行われたような、大津皇子と一体となった統合感といったらよいか。その後、大伯皇女は大宝1年まで生き続けたようだ。悲惨な事件が起こってから20年近く生き延びている。それをどう考えるか。私は二上山を弟と見ることで統合され、生き甲斐を持ったのではないかと考える。夭折した大津皇子の生も一緒に生きるような。
世の中には、例えば老年になり生き甲斐を見失い早く亡くなるようなことがあると思う。生きる上で張りは大切だ。病は気からという格言も思い出す。病気になって病院に行き薬をもらうことも大事かもしれないが、もう一つ「自分は何のために生きているか、生き甲斐は何か?」を前向きに真剣に考える必要があるように思う。その時に生き甲斐の心理学はどうかかわるか。
奈良に行きたい 2/10
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森 裕行 | |
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