若いころは劣等感はあるにしろ、自分の限界をどの程度把握していたかは疑問だ。ある意味生意気だったのだろう。それが、中年、老年期となりさまざまな限界が見えて来る。初めは、それに変に抵抗していたように思うが、ある日、その抵抗がどうもおかしいと思うようになった。
限界を知り、それをありのままに迎え受容する。それは、あきらめるという意味も少しはあるにせよ、その限界の中での積極的な一歩を踏み出すことでもありそうだ。
10年前に行った、比叡山の横川。同じ延暦寺なのであるが、根本中道などと違い殆ど観光客とも出会わない地であった。横川の僧都を当時は源氏物語の浮船を読んで知ったが、実際に行ってみて自殺を試みた浮船を救う人が横川に住んでいたというのは、とても自然だと感じた。今から考えると横川は豊かな縄文からつづく森の文化を背負っているかのようだ。
生き甲斐の心理学を学び始めたこと、U先生からコップの水のたとえを聴いた。コップに水が半分くらいしか残ってない時、二つのとらえ方があるという。一つは、もう半分しかないと嘆く解釈。もう一つは、まだ半分もあると幸せになる解釈だ。ふと考えると、半分しかないという解釈には、念力でもっと増やしてやろうというような気負いが、どこかに存在するかもしれない。そこまで言わなくても、自分の限界を受容できていないことは確かだ、その気負いは反対に絶望に通じてしまう。
半分もあるというのは、逆に自分の限界を知りつつ、何か感謝とか恵みとかを感じるスタンスかもしれない。感謝は、不思議なもので、自分の中に不思議な余裕をもたらすように思う。こころの自由といったらよいかが生まれる。
比叡山の横川にいったのは、何か数年前のように感じていたが、もう10年経っていた。また、行ってみたい。
奈良に行きたい 4/10
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森 裕行 | |
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