日本の政治は卑弥呼など女王も存在するので、女帝時代がいつからかは結構難しい問題であるが、律令制度ができてからと考えると、まずは持統天皇から始まると考えてよいのではないかと思う(養老律令は現存していることもある)。
そして、その終焉は聖武天皇の子供である孝謙天皇(重祚して称徳天皇)で終わり、以降江戸時代まで女帝は存在しない。持統天皇即位から称徳天皇崩御までの時代は690年から770年とほぼ80年続く。この間女帝は天皇として、あるいは上皇として君臨した。
女帝論は世の中で結構取り上げられているが、私はこの数週間、梅原猛氏の「海女と天皇 日本とは何か」(朝日新聞社 1991年)を興味深く読んできた。そして、複雑な政治状況と、その中を生き抜く女帝を考えてきた。中でも最初の持統天皇と最後の孝謙天皇については、いろいろ考させられた。
暗中模索の政治状況(自己混乱)の中で、どのようにアイデンティティをもち誰に忠誠を誓っていくか。その中では本人の本性というか性格の傾向と渇望が大きな働きをする。持統天皇は、父である天智天皇の思想に近かったのではないかと思う。そして、藤原氏と手を組み女帝時代を築く。その後持統天皇の路線に従った、元明・元正天皇の時代が過ぎ、藤原四兄弟が病死したりする不安定な時代に入る。光明皇后の時代になり、そして独身の孝謙天皇の時代となる。このあたりでどうも政権に質的な変化があったとする梅原猛氏の説であるが(宮子が海女という説)、確かに御陵も持統天皇から元正天皇までは火葬であったが、聖武天皇以降は土葬に戻る。思想的にも、聖武天皇の大仏が象徴的だが、聖武天皇も孝謙天皇も僧形であったり尼僧であったりして異質な気がする。
持統天皇は、ある意味歴史的な資産も大事にしてきたが、孝謙天皇は仏教思想からくる平等思想を徹底しある意味革命的で、身分制度を崩壊させ、最後には天皇の皇統と関係ない道鏡を天皇にするために画策したりする。どちらも命を掛けた戦いをするのだが。持統天皇は壬申の乱、孝謙天皇は仲麻呂の変。誰と手を組むのか・・・それが生き抜くことに直結する。
政治的には持統天皇が成功し、孝謙天皇は草壁皇子の皇統を維持できなかったので失敗とも言えるが、自分の生き方をした点では勝るとも劣らないように思う。このあたりを思索するのはとても楽しい。
まあ、歴史の人物は自分ではなく他者の分からない世界であるが、自分の人生については、まじめに考えなければとも思う。
古代史の錯乱からの統合 7/10
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森 裕行 | |
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