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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

混沌の中から生まれるもの (古代史の錯乱からの統合 10/10)

2017-07-07 | 第七章「光と復活体」

 小旅行で箱根に行ってきた。この数か月は忙しい日々だったので、心の洗濯といったところでした。そして、ポーラ美術館で「ピカソとシャガール」展を開催していて、じっくり拝観させていただいた。シャガールはU先生から欧米では心理療法でよくつかわれると教えられ、この10年くらいいろいろ研究させていただいたこともある。

   

 自分の自己分析でも、シャガールの絵は無意識の意識化を促すのか、それを見ることでいろいろな貴重な気付きがあった。最近は、自分の生き甲斐を考える上で、美とはなんだろうかなどまじめに考えることも増え、先日にはストレス曲線の勉強会の時にある方より、芸術とストレス曲線との興味ある関係を教えていただいりした。

 一つの絵の中で、多層的な成育史上の記憶がちりばめられ、さらに聖と俗、ストレス曲線と幸福曲線が不思議なバランスを保つ。こんなところから、シャガールの絵は心理療法で効果を上げられるのかと思ったりした。

 ポーラ美術館は今まで何回か来ていたが、今回は余裕のある旅行であったからか、「森ほ遊歩道」があることを知り、のんびりとブナとヒメシャラが茂る近くの森を散歩した。どういう尺度かわからないが自然度8の森ということで、縄文的な森の世界を垣間見るようであった。小川や小鳥のさえずりも良かった。

 しかし、森は不思議だ。シャガールの絵ではないが聖と俗、ストレス曲線と幸福曲線が同時進行するようなところがあり、自分の中である種の心の変化を促してくれるようでもある。

    

 さて、ブログのテーマである「古代史の錯乱からの統合」に戻ってみよう。人生には混乱の中から、一歩踏み出す時がある。それは、少年時代、青年時代、壮年時代、老年時代、死の時・・・いろいろあるかと思う。今日は天武天皇の万葉集の歌を思い出した。持統天皇と共に近江京から抜け出し、裸一貫で吉野に下るときの歌のように思われてならない。すべてを捨てて何かにかけるときの歌といってもよい。

み吉野の 耳我の嶺に

時なくそ 雪は降りける

間なくそ 雨は零(ふ)りける

その雪の 時なきが如(ごと)

その雨の 間なきが如(ごと)

隈(くま)もおちず 思ひつつぞ来し

その山道を 

万葉集1-25 天武天皇

耳我は吉野の神山を意味していると思われるので、雨降りの俗で錯乱的な空間から変曲点の芋峠を越えて雪の聖地に向かう、なにか巡礼のような旅を思い浮かべてしまう。

古代史の錯乱からの統合 10/10

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