もう7-8年前のことだが、信州の陶芸家の方とお話したとき、その方の土地から出てくる土器片の出来不出来の面白いお話をお聞きしたことがある。縄文時代の人々でも土器片からみると土器作りのうまい下手がいろいろあるということだ。なるほどと思った。
緊急事態宣言が10月になって解除され、二日ほど信州の黒曜石体験ミュージアム・星くそ館、井戸尻考古館(巻頭の写真は大花遺跡出土)などを時間を掛けてのんびり見学させていただいたりした。実際に黒曜石の鏃を作成する体験もさせていただいたが、このような体験をすると展示を見る眼も変わってくる。縄文時代の先輩はどのように作っているのだろうかなど好奇心がでてくる。そして素晴らしい先輩の個性や技術に感嘆する。
星くそ館では縄文時代の黒曜石採掘場のありようを見学できたが、3-5mの深さの露天掘りというのだろうか、手掘りで黒曜石のある固い地層まで到達し、湧水などに悩まされつつ木柵などで知恵を絞って作業をした跡を見ることができた。3500年前の金属のスコップもない時代に掘ることは、相当の専門性がなければ不可能だ。どのようなチームを作るか。どのような技術を使うか。黒曜石を採掘した後の流通や発掘時の安全に関わる全て(祈りなども含めて)もある。かつて私もマーケティングの仕事をしたことがあるがしっかりとしたバリューチェインがなければ、このようなことはできない(笑)。
井戸尻考古館でも、時代時代の最高水準の土器と思われる美しい土器や、石器、土製品などを心ゆくまで堪能させていただいた。今回は黒曜石の鏃の体験をした後でもあったので、鏃の出来不出来に興味があったが、時代時代の技術はかつて縄文人は気楽な原始人と思っていたころのイメージとは全く違う。
さて、3500年前とか5000年前の人々の上手下手を見たり考えたりしていくと、自分自身の上手下手、得意不得意のことに想いが巡ってくる。小学校のころは身体が小さかったことによる劣等感からかどういうわけか運動が得意であった。中学生では学校の勉強で嫌いで成績も悪かった国語の克服のことが思い出される。今小説などを書いていることが何か不思議な気持ちになったりする。U先生がよく言われるが病理と個性の美は実に微妙な関係があるのだ。
これは、恐らく縄文時代の祖先にも当てはまるのであろう。学校の成績が悪かったアインシュタインが世界的な成果をあげたように、人面香炉型土器の作者にはドラマがあったのだろう、妄想はとまらない(笑)。
個性の美は専門性とか時代時代の経済的価値のような基準で見られることが多い。しかし、その本質はそれだけでは収まらない。本人の生き甲斐とか自己実現の道。あるいは感情で言えば幸福曲線の道(幸福感や統御感に登り詰める道)という個人の幸福追求のありようと関係すると思う。もちろん社会との関係もあるのだろうが、もっともっと俯瞰すれば違う世界も見えてくる。
下手な私の作品
10/10 宝の幸福曲線
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