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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

日々新たになる:自立と目的指向と罪悪感 (心の世界は今も縄文時代も 3/10)

2020-08-18 | 第五章「和解と平和」

 今年も8月6日から16日までの期間は、集中して戦争と平和について、さらに祖先の魂を迎えるお盆について考えることができたようだ。そして、「生き甲斐の心理学」の学徒でもある私は、罪悪感・自立性・目的指向性というエリクソン心理学で言われる3つの関係について思いを巡らした。

 罪悪感の原型ができるのは5-7歳のころだと言われている。私の場合は戦後の昭和30年代の初めである。経済活動もだんだん活発になり、タクシーにたまたま乗ったときに、カミカゼ・タクシーと当時言われていたような乱暴な運転に驚いたりしたものだ。そんな時勢を反映してか、小学校に入ってすぐ友人二人と登校中にふざけていたこともあり友人が交通事故に遭って亡くなった。子供なりにショックな事件だったが、立ち直っていくと、一人で静かに自由に物思いにふけったり、さらに自分は自分と積極的に目標を探して始めることが多くなっていく。罪悪感は自立性と目的指向性をどこかで迎え、新たな脱皮を図るところがある。そんなことを「生き甲斐の心理学」から学んだが自分の過去を振り返ると本当だと思える。

 私の場合は7歳になって両親の仕事の関係で自然に恵まれた南西アラスカのシトカという異文化の中で暮らしたため、自立心や目的指向性という面では今考えると良い環境だった。毎日がちょっとした冒険だった。

 ところで、自然に恵まれていた縄文時代の文化や宗教では蛇や貝、イノシシや蛙、女性や水、月といったシンボルが土器などにも多用されることから、死と再生の文化とか言われている。確かに人の死の問題などは宗教の大テーマだと思うが、日常の中で遭遇する小さな罪悪感の問題もある。それは、今も昔も変わらないように思う。家庭の仏壇の前で朝手を合わせたり、近くの神社で祈ったり、あるいは十字架の前で祈ったりする。神仏を好まない人は哲学書を読んだりするのもそうかもしれない。自分や神仏に向き合うことで、なにかが新たになるように、縄文時代の人々も身近な土器や土偶などを日常的に使い新たにされてきたのではないか。いつも祭儀など特別なことをしていたとは思えない。

心の世界は今も縄文時代も 3/10 

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