イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

身を切るような孤独ではなく静まり! (縄文時代の楽しみ方 5/10)

2020-04-17 | 第四章「愛とゆるし」

 Stay Home ! を実行できる私は恵まれているな・・と思います。仕事の関係や身内の世話などで3密の中にも行かざるを得ない方々を思ったり、医療関係者や介護現場の皆様のご苦労を思うと身が引き締まります。私も短期間でしたが、福祉の世界に身を置いたことがあり、リスクの中での激務をされる方々に頭が下がります。

 さて、Stay Home !の私ですが、退屈かというと、時には不思議な出会いに喜び興奮していることすらありました。「世界神話学入門」(後藤明著 講談社現代新書 2017年)という本との出会いがその一つです。出会いは人とだけではないとつくずく思います。そういえばニュートンがリンゴを落ちるのを見て万有引力の法則に気づくのもペスト蔓延下でStay Homeをしていたときのようです(ニュートンと比較するのもおこがましいですが)。

 こうしたネガティブな非常時でさえも、後から考えると大きな恵みが潜んでいたなあと思えることがあるのではないでしょうか。もちろん、渦中にいるときは気づきにくいのですが。今の政権もどうしたわけか経済に固執しすぎて混乱しているように思うのですが、今ここ、に焦点を当てると経済という意味でも意外なチャンスがあるようではないでしょうか。昨日は午前中に老人ホームにいる母とZoom(テレビ会議)を通して会うことができました。私もかつてIT業界で30年近く働かせていただきましたが、その恩恵にこのような形で出会うとは想像もしていませんでした。
 おそらく、Remote Workはいろいろな形でPOST-COVID19(Corona Virus Desease 2019)を牽引していくのではないでしょうか。食料の自給率の低さに危機感を感じたり、自然災害の背後にある森の疲弊(間伐の問題など)に想いを寄せたり、そういった過度な消費社会の中で殆ど顧みなかった世界への扉を開くチャンスがあるのかもしれません。医療や介護、教育、宗教といった人との関わりが大切な活動も、インターネット等の技術革新で大きく変わる可能性を秘めているのではないでしょうか。
 Stay Homeの現実を無為なコストと考えるか希望と考えるか・・・解釈のしかたで世界が変わるかもしれません。

 少し脱線してしまいましたが、「世界神話学入門」に戻りましょう。実はこの本は米国のMichael Witzel という比較神話学者の学説の紹介という側面があるのですが、これこそ私が最近求めていたもののようでした。私は縄文小説を2017年に書くにあたり、縄文時代の精神文化をいろいろ思索しました。故梅原猛先生や中沢新一先生、故ネリー・ナウマンさん、ジャン・ボテロさんなど貴重なアイデアを与えてくれました。しかし、日本神話や伝承などの日本の古層の精神文化の理解は断片的で縄文中期はともかく、縄文後期など難しい時代になると筆が止まってしまいました。

 そんな中、ギリシャ神話やフィンランド神話などの一部に・・・細かいところは文化の差か違うのですが、意味するところが、日本の神話の一部にそっくりであることに気づいたのです。比較言語学などが祖語をもとめていろいろ研究成果を上げてしているように、神話に関しても、時系列的な視点や地理的な視点をもった研究があればなと思っていたところでした。

 それが、私が知らないところであったのです(不勉強でした)。日本を含めた世界の神話研究に遺伝子研究の成果を取り入れ、世界の神話を縄文時代、古代といった限られた時代や場所だけでなく、ホモサピエンスの20万年の歴史と地域を視野にいれた、人類のアフリカからの拡散経路を視野にいれた研究が既にに行われ、日本にも紹介されていたのでした。日本神話は他の地域の神話と比べると一級資料のようで(かつてはいろいろ揶揄された時代がありました)、いろいろ世界的に取り上げられているようです。7-8世紀ごろの政治状況の中で記紀が編纂されてきたという偏りや失われた記憶もあり、例えば月の神の話が余り収録されてなかったり、世界では常識の洪水伝説が乏しかったり(海幸山幸の話に少しあります)、原罪的な話が欠落しているようだったり(イザナミ、イザナギの話の前段)で物足りなく感じていました。しかし、こうした研究により一挙に解決というわけではありませんが、世界の神話で補完することで、縄文時代の精神文化がよりあぶり出される希望をもつことができました。

 さて、この数日。私は日本神話でも世界の神話にも必ず出てくる、太陽と月、そして背後にある地球のことを考え続けていました。U先生の「生き甲斐の心理学」では時々、太陽、月、地球の関係について思索することがあります。これは天文学というより関係性の問題としてです。人間関係でも良いし、組織や社会との関係、あるいは今問題になっているCOVID19といった問題との関係でもよいかもしれません。どのように関係を考えるか。太陽も月もホモサピエンスにとっては狩猟・漁労・栽培・農業・と言った生業上でも重要な対象(暦など)であり、当時の人々もそれを充分知り尽くしていたのだと思います。そして、この3者の関係の上に、生きる上での大事なことを託して神話として伝えてきたのではないでしょうか。

 例えば、私ーCOVID19ー自然 という関係を取り上げてみましょう。それは、地球ー太陽ー月 のような関係があり、この数ヶ月の中では私がCOVID19の情報という太陽に飲まれるような時がありました。太陽に近づきすぎて高温で羽が溶けたギリシャ神話のイカロスやパエトンの墜落になるところでした。

 40億年とかの期間、太陽、月、地球の関係は隕石がぶつかったりで不安定な時期があったかもしれませんが、概ね一定の関係を保ちつつ静かに関係性を保ってきたのではないでしょうか。月が地球を廻る時にごろごろと音をたてるわけでもなく、正確な時を刻み、静かに時を人類に告げる。あるいは大潮の時に海亀が浜に上がってきたりで、幸を与えてくれる。月は身を切るような孤独ではなく優しい静寂の象徴のように思えます。

 私が太陽に飲み込まれそうになった時。そうした時はいつだったか。COVID19は別として思い当たることが2-3ありました。特に青春時代はどうだったでしょう。過去に囚われ、未来に囚われ、今となっては無意味と感じる他者との比較やメンツ・・・、そして、心配してくれる人の大事な忠告に耳を傾けず、バランスを崩していく。今ここの自分の中の静寂に戻ればよかったのに・・。

 人は人生の中であることに不安を感じ、さらに怒りとして高まり、体調もおかしくなり、やがてウツ、錯乱に陥っていきます。そんな世界に入り込んでいきます。しかし、こうしたことは現代の私たちの専売特許ではなく、10.000年以上つづいた縄文時代を考えても在ったように思います。そんなとき、私たちの祖先はどのように乗り越えていったのでしょうか。多分、それは個人だけではなく社会のノウハウとして伝承されてきなのではないでしょうか。

 日本の精神文化を表す言葉の一つに「汚れと禊ぎ」というものがあります。私たちの青春時代を思うと、特に高校から大学にかけて高校・大学紛争の時代でしたが、自殺した人のことを思い出します。その心情を思うとき、U先生からお聴きしたことでもありますが、この汚れという概念に思い当たります。中原中也の「汚れちまった悲しみ」という詩がありますが、死を夢想するに至る汚れという概念がいろいろ人を苦しめ、時に鬱状態を引き起こし死をもたらしたのではないかと思うのです。しかしながら、記紀には、汚れを禊ぎして落とし、再生の人生を歩むという有名な話があります。おそらく、私たちの文化的DNAの中には縄文時代にもあったかもしれない死と再生(汚れと禊ぎ)の物語が着実に受け継がれてきたのではないかと思うのです。既にご存じのかたが多いと思いますが、古事記の有名な物語を思い出してみましょう。

 イザナミ(女神)とイザナキ(男神)が出会い柱の周りを回って結婚し、イザナミは日本の国土を産んだり、様々な神々を産みますが、最後に火の神(カグツチ)を産んだために命を落としてしまい黄泉の国に旅立ちます。夫のイザナキはイザナミを愛する余り、黄泉の国まででかけてイザナミを連れて戻ろうとするのですが(このところはギリシャ神話のオルフェウスの話に酷似してます)、イザナミとの約束を破ったこともあり怒りにあい一人地上に戻ることになります。その後、黄泉の国の汚れを落とすためにイザナキは川で禊ぎをします。男神一人で様々で衣服を脱ぐなどで神々を生み、丸裸となっての禊ぎで左目からアマテラス(太陽)と右目からツキヨミ(月)、そして鼻からスサノオ(海の神)を産みます。その後、左目のアマテラスに自分の座を引き継ぎイザナキはさります。
 イザナキ(男神)が太陽と月を産むわけですが、この話が縄文時代に何らかの形で残っているのではないかと探してみました。縄文土偶や土器の中にそれらしいものがあるかどうか?

 太陽と月がこの世に生まれる物語は実は日本のイザナキの神話だけでなく世界各地にあります。似た話としても、中南米ではコヨーテと鷲の話の中で太陽と月を入れた箱を開けるといった楽しい神話もあるようです。なんとアフリカにもあるそうです。日本では記紀に現れている物語があるのですが、土偶や土器について思い出してみたところ、長野県富士見町の井戸尻考古館の神像筒型土器が浮かびました。昨年に訪れ親切に解説していただいたものでした。この土器は2018年の東京国立博物館の縄文展にも出品され、その美しさで多くの人を魅了しました。動画がYouTubeにあるのでどうぞこちらをごらんください。土器や土偶の図像を解釈する研究の存在は30歳台から知っていて、私が縄文時代に興味をもつきっかけだったかもしれません。とても魅力的で、井戸尻考古館の「井戸尻」という小冊子からいろいろ学ばさせて頂いたことに感謝しています。この神像の土器の上から覗くと、確かに肩のあたりが球状に二つほどへこんでおり、これが神像が肩のあたりに月と太陽?のふたつの天体を隠し持っているのだという説とつながります。この神像は私の妄想にすぎないのかも知れませんが、日本神話でいうとイザナキに対応しているのではないでしょうか。

 縄文時代も今と同じように、人間の社会ですから様々な悩みがあったと思います。不信感・疑惑感に苛まれること、罪悪感や愛の孤独でウツになること、劣等感で惨めになること・・・そんなときの禊ぎと再生。それはどのようだったのでしょうか?中央高地の神像を見ながら、その静寂に浸ります。

 「孤独は苦しいものですが、静まりは平安に満ちています。孤独ゆへに私たちは他の人にしがみついてしまいますが、静まりは他の人々をそれぞれかけがえのないものとして尊重し、共同体を生み出します。」ヘンリ・ナウエン著 「今日のパン、明日の糧」(日本キリスト教団出版局 43P)

文中掲示以外の参考資料:
「井戸尻 第9集」 井戸尻考古館 2019年
植村高雄先生のYouTube.

縄文時代の楽しみ方 5/10 

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