急に緊迫してきた、エジプトを発端とする中東情勢の発端はSNSのFacebookなしでは語れないという。新しい情報は新聞やテレビから入手する時代は去り、Facwbookやツイーターなどのインターネットから入手する時代に急速に変わっていくようである。
電車の中で、10年前は新聞を読んでいる人を多く見かけたが、今は携帯かスマートフォーンという時代だ。新聞の織り込みも、新聞の購読者が減り、広報も新聞折り込みをやめるところもでてきている。
しかし、この4-5年のインターネット関係の発展は凄い。自分の生活の中にも、ミクシー、ツイター、などが浸透し、生活スタイルも変わっていった。仕事関係でも5-6年前にホームページを立ち上げた時は、ホームページ作成ツールを高いお金で購入し、時間を掛けてコツコツ作ったものである。
それが、改めてリニューアルをしようとしたら、プロバイダーの提供するサービスは、ほぼ同じ価格で1000倍とかである。しかもホームページ構築ツールはスマートなMTやWordPressで無料でできてしまうのだ。
情報の低廉化は進む。幼いころ街の映画館で高いお金と劣悪な環境で観た映画も、簡単に快適に観ることが出来る。高いお金で調査したことも、インターネットの検索エンジンで無料で見つかる。高いお金と昼夜逆転での国際電話も、スカイプなどで簡単に経済的にできる。
こうした時代。情報そのものもあるが、その解釈について、本物が求められていくように思う。日本だけでまかり通るような偏った解釈はだんだんすたれていくように思う。たとえ、それが社会的に影響力のあるマスコミでも。
例えば国際情勢や文化の比較などの解説を聴いて思うのだが、U先生の生き甲斐の心理学の基礎となっている、比較文化学の知識(英国流の)はもっと日本の中で認められるべきではないかと思う。
神仏を信じて見える世界(世界の様々な宗教)は、神仏を信じない人が見る世界と違う。国際的な文化や宗教を語る時に、その視点を勉強していなければ(人間の持つ強烈な精神力動の一つ)、本質的な解釈が出来ないと思う。
私は、30年近くコンピュータ業界で働き、その中で働いた多くの人を知っている(亡くなった方も含め)。今は違う世界で働いているとはいえ、情報時代の中で役に立たねばならないと思う。
メメントモリ 5/10