田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

中国の激震 山楚では奧目の眼光が鋭く光っていた

2008年05月14日 | 日記
5月14日(水) 晴 寒い朝 久し振りの青空 暖かな午後

TVを付ける毎に中国の地震の酷さが増す状況が伝えられる。
今朝になると新聞の地震の被害が大きく報じられている。
中国が国外の救助隊を受け入れないというのは何故なのだろうか?
現地からの報道も少ないように思えるが・・
被災した人々がビルのしたに大勢いると云われているが・・・
時間の経過と共に生存率が下がるのが切ない。
早急に日本や欧米の先進的救助隊を導入することを決定して欲しいものだ。

東京にいる妻の息子(俺たちはバツイチ同志?)から母の日と云うことで大きな花束が届いたので皆さんにもご覧いただこう。



彼の職業が花屋故豪華な花を贈ってきてくれたのだろう。
お客様に迷惑にならぬような心遣い13日に届いたことも察しがつくことしきり。
因みに彼の店では全国配送をするそうなので是非覗いて見て欲しい。
http://www.f-2005.jp/

午前10時に社会福祉協議会で俺が所属している「たてしな9条の会」が連続講演会を開くので第2回のチラシを印刷した。
集まったのは会員の精鋭者3名F君、それに長老達筆なM氏の三人で印刷折り込み封筒入れ、そしてM氏が宛名書きとなった。

このようなチラシができました。
6月23日(月)午後7時~9時 立科町老人福祉センター
皆様お誘い合わせの上お出かけください。

作業の途中でF君が封筒を取りに行くと云って俺と軽トラで出かけた。
塩沢地区の閑静な住宅、鶏も犬も元気で明るい陽射しの中ニコニコしているように見えた。
途中の田圃の奧に廃屋があるり彼が昔お風呂屋さんだったと云う。
田圃の是塗りをしていた人に声をかけてみると『俺が10歳のころ昭和10年前後までお湯に来ていた』という。
次回は是非建物の中を覗かせてもらおうことにしよう。

12時前に終わり、次に役場「「町づくり推進課」へ行き、明日の講演会に関わる打ち合わせをした。
話をしているときに12時を過ぎてしまったが、今までは昼飯時間になると電気を消して食事をしていたが・・・
今日はなんと電気を付けたまま皆食事をしている。
以前、町長宛に「電気を消して薄暗い所で食事をする役場職員が哀れだし、食事をしながら地産地消のことでも話をした方がよほど健康的だと」メールを送ったことがある。
その影響かは知らないが明るいところで食事をする方がやはり良い。

家に戻ったのは1時前だった。
昼飯のあと久々に天気がよいので外に出てみると、このところの寒さも影響して
山陰になっているところにあるスズランがまだ蕾のままになっている。

少し離れた石積みの中段を見ると、ダメだと思っていたコマクサがしっかりした姿を見せてくれている。
この調子だと夏には花を付けてくれると期待してしまう。

更に西へ廻ると麝香草が綺麗な緑に変わった(冬場はグレー)所に雨蛙が姿を見せている。
まだ背中に土を付けて冬眠から冷めたばかりなのだろうか?
太陽に暖められた石にかじりついてジッとしているが、寒さに驚いているようだ。


    《雉ファミリー観察日記 第5弾》      
部屋に入り窓に近づくと急に目の前で雉が雄叫びを上げた。
急いでカメラを手にして見ると眼光鋭く、下の畑をにらみつけている。

下の畑は別の雉夫婦の縄張りでこの崖が緩衝帯になっているようだ。
そして撫子?に沿って歩きながらも眼光は下の畑を睨んでいる。

隣の芝生はキレイに見えるのは人間社会と同じなのだろうか?
やがて歩き出した方にレンズを向けて望遠に切り替えると・・・・
なんと相方妻雉がいるではないか!!
滅多に見ることはできない妻雉の『奧目半眼』これも“ワニ目”と呼んでも良いのだろうか?

見方によっては恐ろしげな目だが、何処の社会でも妻という名が付くと目が厳しくなると云われているようだ。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする