田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

イソガシイ と 心が亡くなる 

2011年02月19日 | 日記

2月19日(土)  晴れ 午前中に雲が広がるが暖かい 春を思わせる暖さ

直前になっても何人くらいの人が集まるのか?

皆目検討がつかなかった「たてしな歴史研究会」の公開講座もミニコミ誌に広告がでたりすると町外の人から電話が入るようになった。

 今年で6回目となる毎年年度末に向けて、一年間の学習をした集大成として町民の皆さんと町の歴史を学ぶということで続いてきた。準備にはあれもこれもと会員が手分けしてやらなければいけないのだが、会長の鶴の一声と云うかガマのごり押しが当たっているような、後援をお願いした教育委員会・社会教育係にオンブにダッコと云う形になってしまった。

 そう言うことで、公が関わってくれると、流石に広報もしっかりと町内に広まり、俺が予想していた4~50人を大幅に超した人が集まってくれた。町内の蓼科ケーブルテレビも録画採りに駆けつけてくれて、講師にとっても失礼がない想いが出来たことに大感謝をしたい。

70部を用意したレジュメも途中で足りなくなり、慌ててコピーに走った。こう言う講座は来てくれた人は必ずと言っていいほど、友だちに頼まれたなどと資料を自分の分とは別にほしがる。予想以上に多くの資料を用意しないといけないのは判っているのだが ・ ・ ・ 急いでの声に押されてボランティアルームのコピー機の電源を入れたが、これがいけない。相当古い形のコピー機は突然のことには対応してくれない。仕方なく手差しで操作する始末となった。

そういうときに一番に困るのは受付担当の人、彼女たちは講義が始まって資料を素に話が始まると、俺のはまだかい? などと無いことが判っていながら受付に来るのがいる。そういうときにも丁重にお待ちいただく言葉を発しつつ代わる代わるにボランティアルームに足を運んでくる。なんとか10数部をつくり次々に渡したのだった ・ ・ ・  

いろいろアクシデントはありながらも無事に2時間の講義が終わったことはありがたいこと、会場は明日もイベントがあるので、イス机はそのままで解散となった。

「たてしな歴史研究会」この春で丸6年が経過するが、役員交代も無いままに来ている。俺も会計と庶務を背負ったままになっているが、ここらで役を降りたいところだが、それが無理ならば会計か庶務どちらかにしてもらいたい。

大勢のスタッフで運営することが会が盛り上がるものと信じているのだが ・ ・ ・ 

久々のブログUPに愚痴が並ぶとは淋しいこと、これも心が亡くなると言う忙しさに起因しているのだろう。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする