田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

ため息は幸せが逃げていくと云うが 深いため息なのだ ・ ・ ・

2011年02月25日 | 日記

2月25日(金)  晴れ   雲は多いが 異常に暖かい一日

 

(韃靼(だったん)ソバ僅かに黄色みがっかった、モンゴルでは常食なのだろうか)

このところ気がつくと深いため息をついている。

イスに座るときも前に気がついたときには「ヨイショッ」とか「ふ~っ」とか云うのが気になって注意をしていたときがあった。しかし、昨日の朝のことが、Mが“できた”と声が掛かったあとに、キッチンで準備されものを食卓に運び、自分のイスに座るときに気がついたのが深いため息で“ふ~っ”と云うものだった。

これを耳にした人はイヤな気持ちになるのが判っている ・ ・ ・ その前にも何か動作をする毎にため息がでる。

確かに何となく気怠い気持ちで朝を迎えるのだが、熱があるわけでもなく気のせいだと自分なりに納得しながら一日を過ごしている。意識的に思いついたことは身体を動かして行動することを心しているし、イヤなことが有るわけでもない。どちらかと云えば廻りからは楽しいと云うか嬉しいことが運ばれてくる。

 一昨日もMの友人が蕎麦を打ったからと届けてくれた。蕎麦と云うと親しくしているT夫妻がダッタン蕎麦を種から育て収穫し、小麦も同じように自分で育てた「ユメセイキ」を合わせて、製麺所で乾麺にしたと云って分けてくれた。これも昼飯に食したのが,ダッタン蕎麦40%のもので、エグイ食味が喉越しに感じるのがわかった。

こんな良いことばかりなのだが ・ ・ ・ ため息は何故出るのだろうか?

年度末で関わっていることも整理しなくてはならないし、来年度のこともある。俺個人でやっていることではないので、大して気にすることはないと思うのだが ・ ・ ・ どうやら具体的に動かないとため息は切れそうにもないようだ。

コメント
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