名古屋大学名誉教授の小川修三先生が亡くなったのは今年の1月9日だった。
それから約半年が経って、先生の「学問と人を偲ぶ」集会が名古屋大学で12日にあった。私も先生の教え子の端くれとしてその集会に参加した。
5人の方々がそれぞれ先生の学問や人柄等を語った。それらの話を聞いているといろいろ思い出したしたことがあったが、その話の後ではすべて忘れてしまった。
懇親会でもまた、それぞれの参加者がそれぞれの関わりを語った。なかなか思い出が皆さん多いので、時間が予想以上に経っていたので、私は2点だけに絞って話した。
小川先生に叱られたことはないのに、叱られた夢を見たと先生に言ったら、先生は自分の先生の坂田さんには叱られたことがあるが、叱られた夢は見たことがないといって笑われた。
もう一つは静岡県立大学の小出義夫さんがNiu粒子の解釈についての日本語の論文のコピーをもらったという挿話である。そのことから小出氏はこのNiu粒子が新しい自由度を示した新粒子であるとの解釈に小川先生が自信を持っておられたと思ったという。
12日の集会の講演は録音を沢田さんがとっておられたので、どこかで文章化して発表されることを願っている。
(2024.4.24付記) 日本で素粒子物理学を昔専攻した人たち(私も含む)は自分の先生のことを先生とは呼ばないというのが慣習である。例外的に先生と呼ぶのは湯川、朝永、坂田、武谷の年代の先生のことだけである。
それ以外の方々は先生とは呼ぶなとはかなり普遍的に言われてきたことである。だから小川先生などと呼んだら、泉下の小川さんに叱られるであろうかと思う。ここではしかし、世間的な慣習にしたがっている。