タイトルを「所在ない一日」としたが、別に暇にしているわけではない。ただ特に書くべきテーマは今日はないということを表している。。だが、ときどきは何か書いていないといけない思うのだ。ある意味で生きている証(Lebenszeichen)である。
昨日に講義録ができたが、手書きでこれに図を一つ入れて完成である。picture環境というので、図を描いたのだが、一つだけとても手間のかかる図があってそれをpicture環境で書くことを断念したのだ。それで手書きで入れるのだが、それにとりかかる前にこのエッセイを書いている。文章の細かなところに気がかかるので読み直しをした。37ページあるので、途中で居眠りをしてしまった。集中していないとすぐに上面だけを読んでしまう。細かな言葉使いがいつも気にかかるので困るが、これが性分なので仕方がない。
最後には自分で声に出して言ってみないといいのかどうか判断が分からないところもある。助詞がいつも気にかかるのだ。日本語としてどうかということだ。誰もそんなにきちんと読む人はいないだろうに。