をつくりたいという気がしている。これはちょっと誤解を招く表現だが、新しい数学をつくるという意味ではない。そういう意味ではつまらないことだろうが、発見法的に納得できる数学をつくりたいということである。
世には秀才の方々がたくさんいて、それらの方々の数学の理解とか物理の理解とかにもときどき感銘を受けることがあるが、それでもそういうことはあまり多くはない。
数学というモノは論文として提示されるときにはきれいにまとめられて論文が書かれるので、なかなかそのはじめの原点がわかりづらいのである。
たとえば、微分積分学でも数学をつくるというような観点から書き直しをしたいという考えをもった人もときどき出てくる。「数学・物理通信」の共同編集者の N さんなどもそういう気持ちの強い人である。だが、残念なことに彼は病気で仕事があまりはかどらない。
それでときどき会いに行って話をするときにいつも彼の焦燥感を感じてしまう。これは悪いことばかりではないので、ときにはいいふうに回ることもあるであろう。だが、気持ちだけがあせるのはあまり精神的にはよくない。
私にしてもほんとうに自分でも納得できるような事項の方がすくないので、まだ納得したことが点にもなってはいない。点から線になり、それが面へと広がっていくことを期待したいのだが、なかなかそうはいかない。