物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

解析接続、その後

2018-01-15 13:45:06 | 数学

解析接続がようやくわかりかけてきた。

昨日の日曜日にインターネットで探してプリントしておいた、KENZOUというペンネームの方が書いた『「数学Tips」-解析接続ー』のコピーをほぼ読んだ。ほぼ読んだとしか言えないのは、まだ留数定理のところを読んでいないからである。もっとも留数定理のことは一応理解しているつもりだから、障碍ではなかろう。

なかなかわかりやすく書けていて理解の助けに大いになった。欲を言えば、もっと解析接続の方法について体系的に展開されていればもっとよかったのにというぐらいであろうか(2018.1.16 付記参照)。

それでも解析接続の例がかなり例題としてとりあげられていてよい。感謝を述べたいと思ったが、いわゆるSNSでしかコメントを伝達できないようだったので、感謝の念の表明をするのをあきらめた。残念である。

解析接続の例をたくさん挙げているのは、松田 哲『複素関数』(岩波書店、1996)であるから、これらを組み合わせて一度自分なりのエッセイに書いておきたいと考えている。

もっともKENZOUさんは解析接続のことを書くために多くの複素解析の復習事項を書いている。この項目にどのようなものがあるかを下にあげておこう。

1.正則関数 (1.1 極限と連続 1.2 微分係数と導関数 1.3 特異点)

2.複素積分 (2.1 コーシーの積分定理)

3.テイラー展開 (3.1 べき級数 3.2 テイラー展開(級数))

4.ローラン展開

5.留数と留数定理 (5.1 留数 5.2 留数定理)

6.解析接続 (6.1 零点 6.2 一致の定理 6.3 解析接続 )

であり、全部で 29 頁である。くだけた調子の文章であり、親しみがもてるものである。

 (2018.1.16 付記)

解析接続の方法

今村勤『物理と関数論』(岩波書店、1981)52-56 では

1.べき級数展開

2.積分表示

3.関数間関係 

  (Schwartzの鏡像原理によるもの、漸化式を用いる ー(例)ガンマ関数)

があげられている。

後藤、山本、神吉 編著『詳解 数学演習』(共立出版、1979)169-174 では

1. べき級数による直接接続

2. 実関数からの解析接続

3. 積分による解析接続

4. 写像による解析接続

があげられている。上の二つの書の著書の著者たち(今村さんも後藤さんたちも)は大阪大学の開学初期の出身者である。彼らを教えた先生が「解析接続の方法」について意識的に講義をされた結果かもしれない。

松田 哲『複素関数』(岩波書店、1996)148-153 では

1.べき級数による

2.積分表示による

3.部分積分による

4.実軸上で与えられた関数の複素領域への拡張

5.鏡像原理による

があげられている。この最後の書の4.と5.とが関数関係による方法に入るのかと思われる。鏡像原理による解析接続の例はこれらの書にはあげられていない。

(2018.1.17付記)

上にあげたような解析接続の方法でほとんど尽きているかとは思うが、どの書物だったか忘れたが、物理学者の高橋秀俊さんが提唱した解析接続の方法があると読んだことがある。それがどういうものだったか、その内容をよく知っているわけではないので、文献を調べてみたい。これはもちろん高橋さんの本ではなかったと思う。

(2022.7.27付記)

2021.4になって金子晃『関数論講義』(サイエンス社)が発行された。この第6章「解析接続の理論と実際」の6.1節に「解析接続の方法」があり、6つの方法が説明されている。

1.べき級数による方法

2.関数等式による方法

3.対称性による解析接続法

4.Cosin(クザン)積分による方法

5.微分方程式による方法

6.積分変換を用いる方法

の6つが紹介されており、例もついている。

この金子さんの本が一番包括的な議論をしているのではないかと思う。

これ以外の方法になるのかどうかは知らないが、高橋秀俊先生(物理学者)が提唱している解析接続の方法もあるという。これについて書いた本を読んだこともあるのだが、それがどの本であったかはいまではわからない。 


土曜日にブログを

2018-01-15 11:29:03 | 日記

書くのを忘れた。こういうことが最近多くなった。これも年を取ったせいであろうか。わからない。

午前中に算数教育に関係した会に出たので、仕事場に来るのが午後になった。そしてそれから私の先生の量子力学の講義録の入力をするのに忙しくてブログを書くことなど忘れてしまった。

学習会で聞いたことは小学校の先生が忙しくなっているということだけではなく、あまりにも生真面目すぎる人が多くなっているということであった。ある元教師の先生によれば、2,3人の不真面目な先生がいた学校が全体としてはうまく運営されていたと回想されていた。

全員が真面目な先生ばかりだとかえってうまく学校を運営できないのだという。真面目なことがいいというのは一般的には言えることだろうが、どうも生真面目すぎる先生だけだと小学校も運営がうまくいかないものらしい。

いまや、先生方に真剣に「不真面目の勧めをしなくてはいけない」という憂慮すべき時代が来ているのは嘆かわしい。

教育はそれを天職とする人もいるのだろうが、すこし斜に構えた人の方が小学校教育等でいい役割をするらしいと聞くとちょっと複雑な気持ちになる。

いじめなどもどこの学校でもないはずはない。それだのにいじめがまったくないなどという報告がでてくると教育委員会が安心するなどと聞くと、どうかしているのではないかと思うという話もあった。

「いじめを許容する」というのではないが、なかなか根絶するなどということはできないのが実情だという。