物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Levi-Civita 記号と一般化されたKronecker のデルタ

2018-01-30 15:30:37 | 数学

Levi-Civita 記号と一般化されたKronecker のデルタについての数学エッセイまとめたいとここ数日思っている。しかし、なかなか構想がまだまとまらない(注1)。

なぜこれが重要かと言えば、Levi-Civita記号の縮約した公式がよくベクトル解析で使われるが、それと一般化されたKronecker のデルタとが関係している。もうずっと以前にそのことについて数学エッセイを書いたのだが、それをもう一度見なおしをしたい(注2)。

実は、上に書いたエッセイを書いたが、その内容が私にも十分にはわかっていなかった。それで再度調べたいと思った。それだけではなく、最近Taha Sochiという人が書いた "Principles of Tensor Calculus" という本を購入したら、その本の第4章に Special Tensors という章があり、これらの関係についても書かれている(注3)。

それで、また始めに述べたことをまとめておく気になった。もっとも本を購入したのは冒頭に述べたことをしたいと思ったから購入したのであった。そのことが出ているのではないかと思ったのはアマゾンコムでこの本の表紙の写真が出ていたのだが、その表紙に出ている数式からこの本には一般化された Kronecker のデルタについての記述があるのではないかと見当をつけた。その表紙に一般化された Kronecker のデルタの式が出ていたので、そう考えたのだが、本当にそうであった。

(注1)前に書いた数学エッセイを改定をはじめてはいるが、中途で頓挫している。

(注2)『物理数学散歩』(国土社)掲載のエッセイ「テンソル解析の学習における問題点」に述べられている。私が知る限りでは他には穂苅四三二『テンソルの理論の理論と応用』(生産技術センター、1977)でしか一般化されたKronecker のデルタについての記述を見たことがない。

(注3)Taha Sochiさんは "Tensor Calculus Made Simple"(Great Space, 2016) という本とその演習書も出版している。こちらはどちらももっていないが。

(2018.6.12付記) 応用上と教育上ではすでに「数学・物理通信」1巻2号に掲載の「Levi-Civita記号でベクトル解析の初歩を 1」に書いたことで尽きている。また「数学・物理通信」4巻1号に掲載した「ベクトル代数再考」も参照されたい。後者はベクトル代数に限れば、Levi-Civita記号は不要という話を書いている。

「数学・物理通信」をインターネットで検索すれば、名古屋大学の谷村先生のサイトにすべての「数学・物理通信」のバックナンバーがリンクされてある。

(2020.12.23付記)
「Levi-Civita記号とベクトル解析」をその後「数学・物理通信」9巻9号(2020.1)に書いた。これがLevi-Civita記号とベクトル解析について私の書いた最新の記事である。

これらの記事の改訂はいまのところまだ行われていない。

アインシュタインのメモ

2018-01-30 12:44:59 | 日記

1月28日の朝日新聞に「天才からの贈り物」という記事があった。これは1922年にアインシュタインが日本にやってきたとき、宿泊した帝国ホテルの彼の部屋のベルボーイにチップ代わりに渡したメモが多額で競売で売れたという話である。

ここでお伝えしたいことはその話の内容ではない。ではなくて、その記事についていたアインシュタインのメモの文章についてである。新聞記事ではアインシュタインの写真の右横にそのメモの写真があった。ところがこの写真が小さくて、なかなか文字が読みとれない。「ルーペはあるかな」と妻に聞いたら、「あそこにあるよ」とありかを教えてくれた。それでその文章を読み取ろうとしたのだが、なかなかわからなかった。

その日本語の訳は新聞に出ていたので、ようやく判断して読みとったのが次のような文章である。

Stilles bescheidenes Leben gibt mehr Gl"uck als erfolgreiches Streben verbunden mit best"andiger Unruhe.   Albert Einstein

(シュティレス ベシャイデネス レーベン ギープト メア グリュック アルス エアフォルクライフェス シュトレーベン フェアブンデン ミット べシュテンディガー ウンルーへ)

カナで表記した発音はドイツ語を読めない人のための単なる手がかりだから、少しおかしいのは我慢をして頂きたい。

この訳は新聞に出ていたのでそれをそのままここに書いておく。

    「静かで質素な生活は、絶え間ない不安に駆られながら成功を追い求めるより、多くの喜びをもたらす」。

いかにもアインシュタインらしい警句とも思える文章である。

「質素な」をbescheidenという形容詞を使っているとか、「不安」をUnruheとか言っているところとかがなかなか読みとるのが難しかった。今週のドイツ語のクラスでこの文章について話題にしてみたい。私はbescheidenは「控えめな」という意味で覚えていた。「質素な」という訳語からはschlichtとかいうような形容詞を予想したのだが、違ったようだ。

ちょっと自信がないのは形容詞とか動詞の語尾変化が正しくないかもしれない。これは私のドイツ語力の限界である。

(注)erfolgreiche Streb をerfolgreiches Strebと書いていたが、いま辞書を引いたら、Strebは女性名詞だったので、形容詞語尾のsを落とした。としていたが、もとにerfolgreiches Strebenに戻すことにした。これはドイツ人R氏の指摘による。

私が一時的にerfolgreiche Strebとしたのは、独和辞典でStrebが女性名詞だとみたからであったが、実は Streb は「支柱」とか「はすかい」とかと訳語であるので、「努力」とかいう意味はない。

独和辞書を引くとstrebenという動詞があるが、これが「努力する」という意味を持っている。それを名詞化したものが Streben である。動詞を名詞化するとドイツ語では、すべて中性名詞となるということを知っていれば、R 氏の指摘がわかる。なんだか面倒な説明だが、こういう説明を R 氏から聞いたわけではない。ここらあたりは私の判断である。

さらに、mit best"andigen Unruheを mit best"andiger Unruheと形容詞語尾を修正した。Unruheは女性名詞だからである。ここら辺はなかなか難しい。

bescheidenという語の代わりに私の思いついた「質素な」というドイツ語はschlichtであった。この語のことに触れたら R 氏は「schlichtにはちょっとネガティブなニュアンスがあるかもしれないね」と言われた。