としては有名な物理学者であった、ファインマンをあげねばなるまい。これは彼の自伝『御冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波書店)に出てくる。だから、これは多分異論がないであろう。
積分が上手にできた人としてはこれももう何十年も前に読んだことがあるのだが、マリー・キュリーをあげておくべきだろう。彼女の伝記にはマリーの夫のピエールのところに誰か学生が積分のことを聞きに来たときは大抵ピエールはマリーが来るのを待ったらどうかといったと伝記にある。
ピエールも優秀な学者であったが、マリーが積分計算に秀でていたことを知っていたbibunntoらしい。このくだりは多分エヴ・キュリーの『キュリー夫人伝』で読んだと思うが、ひょっとしたらその後のキュリー夫人の伝記である『キュリー夫人の素顔』であったかもしれない。世の中にはそういう特異な才能をもった人がいるのだということを示すのであろう。
何でキュリー夫人の伝記のこんなことだけ覚えているのか不思議だが、これは私が積分計算するのが下手だという自意識の裏返しなのかもしれない。
晩年にもぶつぶつと独り言をいいながら、カレンダー紙だったかの裏の空白に数学の計算をしていたとは上の『キュリー夫人伝』で読んだことである。そのときにこのひとり言がフランス語だったのか、マリーには母語である、ポーランド語だったのかは書いてはなかったような気がするが果たしてどうだったのであろうか。
(2019.1.19付記)
微分と不定積分とは逆演算であるが、微分計算はたいていできるが、積分となるとだれでもできるとは限らないということがある。
その中でも定積分は不定積分とはちがって特別な方法で積分できることがあるのは、知られたことである。そういう定積分をするために複素解析が発明されたという人もあるほどだ。少なくとも定積分のあるものは複素解析でできるようになった。だが、どんな定積分でも積分できるということはない。
こういう定積分の仕方を概観するような数学エッセイを企画して書こうと何度かしているが、いつも挫折している。そのやり方の一つが「積分下であるパラメータでの微分による定積分の求め方」である。
これについては「微分して積分を求める」というタイトルで「数学・物理通信」の3回にわたって書いた。関心のある方は検索をしてください。