多忙、多忙、多忙。
その一言に尽きる。とは言いながら、これから帰って7時からのテニスには出かけるつもりである。なんといってもボールを管理しているのだから、自分が健康を害しでもしない限り休むことはできない。
明日にはなんとか最終の翻訳の点検をするようにメールで連絡をした。また、わからないところについて仕事を世話してくれた人に問い合わせをした。
まだ、もう一つ費用の表をエクセルでつくる必要があるのだが。
多忙、多忙、多忙。
その一言に尽きる。とは言いながら、これから帰って7時からのテニスには出かけるつもりである。なんといってもボールを管理しているのだから、自分が健康を害しでもしない限り休むことはできない。
明日にはなんとか最終の翻訳の点検をするようにメールで連絡をした。また、わからないところについて仕事を世話してくれた人に問い合わせをした。
まだ、もう一つ費用の表をエクセルでつくる必要があるのだが。
翻訳にここ数日従事して見て、辞書の限界というのを感じている。辞書はやはり人間のつくったものである。また、その大きさもその辞書が売れる見込みがどの程度あるかによって決まるであろう。だから大きさにも限界があり、その収録語彙が限られるのも仕方がない。
普通のポケット辞書というかハンディなものに限れば、専門用語を引いても載っていないことが多くなる。特に医学用語だと日常生活で普通に使われる用語もあるが、やはり専門用語も多くあって、載っていない。だが、それを辞書の限界だということもできるが、逆にほとんどの語が出てくる辞書というのはすばらしい。その編者のご努力には感謝にたえない。
私のもっている英和辞書は高校時代に子どもたちが使っていた研究社の学習辞書とか自分で買った小学館の一般向きの辞書である。岩波書店の英和大辞典もこのごろ仕方なくひいては見るが、少し古めかしい。
独和辞典も子どもが大学時代に使ったものを使っている。独和辞典に関していうと、私の世代には木村ー相良の辞書が、またその後一時期シンチンガーさんの辞書がいいといわれた。いまになってくるとこのシンチンガーさんの辞書も古いとか。
R氏に言わせると独和辞典はその時点で一番新しい辞書がそれまでに発行された辞書の成果を取り込んでいるのでいいという。私の知人のF氏の先生のZさんが編纂した辞書などが比較的新しいようである。
このごろは若い人や経済的に恵まれた人は電子辞書を使っている。ちょっと言葉を打ち込めばすぐに意味が得られる。どうも私のように辞書を引くのが遅い者には垂涎の的だが、結構の値段がするのでなかなか買うことができない。ただ、私が年来してきたような赤鉛筆で下線を引くというようなことが電子辞書ではできない。
私は音楽とか歴史とかにはまったく弱い。
もっとも理科系の学問に強いのかといわれるとそうでもないのでお前の「とりえ」はといわれるとつらい。
そのことはさておき、水曜日にホルンのコンサートを聞いた。これは市民コンサートの公演の一つであるが、その中に「ホルン歴史探訪」という時間があった。角笛からはじまったホルンの歴史を短時間で巡るという趣向である。
狩のときに獲物がいたという知らせに角笛が使われたというのが、楽器としてのホルンの始まりであるという。
また、ポストホルンとかポケットホルンだとかアルペンホルンとかの紹介と実物を見せて、かつそれを吹いてみせるという実演付きである。
音楽そのものはどうもホルンの音に慣れていないせいか、もう一つと思われたが、この紹介はおもしろかった。
それよりもホルンとフルートの合奏で「森の小鳥」というのがあり、これはホルンが森を象徴しており、フルートが小鳥を象徴しているという対照がよく、フルートがホルンによって生きていたのが、印象的であった。
ゴールドスタインの「古典力学」の訳で英語を見るのも嫌になっているはずだのに、またまた期限を切られた仕事を引き受けてしまった。今度は友人二人と知人の奥様の4人である。
もっとも今度はまったく畑違いの医学関係の文章である。訳をお願いした友人も知人もどこでどうやって情報を入手したのかその医学用語にほとんど訳をつけているのはさすがである。もっともそれに細かい注文をつけて訳を改悪しているのが私である。
医師の知人に頼んでその監修を引き受けてもらったが、2月10日から14日まで旅行に出るらしいので、その前にまずくとも訳文を見てもらう必要がある。もっとも翻訳の期限とほぼ期限が同じであるから、なんとかしなくてはならない。
数日続いた不眠が昨夜は解消された。不眠とはいうが、夜の9時くらいから2時間ほどコタツで眠ってしまったために夜中に目が冴えて眠れなくなることが多い。だから睡眠時間がまったくないというわけではない。
そのときに考えるともなくいろいろなことを考える。意識して考えるのではなく、自然に頭が勝手にいろいろなことを考える。特に何か気になることがあるとそれが気になる。そしてなかなか眠りにつくことができない。そうして夜が明けてしまうこともある。
もっとも何を考えたかはあまり朝には覚えていない。もちろん強く覚えていてそれにしたがって何か仕事をするということもないではないが、大抵はとりとめもないことである。
これは夜中に目が覚めるのであるから困ったことといえばそうでもあろうが、一方ではいろいろなことを考える機会を与えてくれているわけだから、一概に不眠だから私にとって困ったともいえない。
別に不眠を楽しんでいるとまではいえないが、それも楽しみの一つと思うことにしている。
急な用事が入って数日前から忙しくしている。慣れない英文のメールを書いたり、また一緒に仕事をしてくれる人とメールのやり取りをしている。
10日間のことだからあわただしい。一緒に仕事をやってくれる人は私の友人や知人であって、信頼がおける人たちである。だが、10日間で仕事をこなすというプレッシャーは大きい。
それだというのに今日は市民コンサートだし、2月6日(土)はテニスクラブの新年会がある。忙しいことに慣れた妻でもこのところの私の忙しさに驚いている。いつもより私に協力的に感じる。
そしたら、ある出版社からは本の原稿ができたかと尋ねられた。昨年の秋に依頼をうけたのだが、1行も書いていない。それで正直に話して、もしどなたかに依頼されるのであればそうしてくださいと返事をとりあえずした。そういえば、2月に出版したいと言われたような気がする。
昨日NHKのテレビで途中から2008年度のノーベル物理学の受賞者である、小林誠さんの講演を見た。もう講演は終わりの方だったので、見たのは「対称性の自発的破れ」のところぐらいだった。
しかし、その後で話を聞いた若者から質問があった。その中でさすがの小林さんもうまく説明ができなかったのが、「なぜプラスの電荷とマイナスの電荷の間には引力が働くのですか」という女子高生の質問であった。
基本的な質問が出たので答え難いのですが、と断ったが彼にとってもやはり難しかったらしく「粒子と反粒子の間のゲージ粒子の交換による力は引力になる」というようにいいかけて言い直しをしていたが、やはりこういう問いに答えるのはとても難しい。
小林さんは世界でも最高の物理学者の一人だと思うが、それでもその説明は十分に納得できるものではなかった。もちろん「場の量子論の計算ではこういう力が働くことがわかる」とは言っていたが、それではかなり素粒子の理論を学んだ人を納得させても一般の人は納得させられない。
これは仕方がないのであろうか。