flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

大垣城

2006-10-01 06:00:52 | 城郭・城下町

(麋城 巨鹿城 岐阜県大垣市 旧国宝)
 西濃の中心地、大垣へは昭和57年に初めて訪れて以来、何度となく足を運んでいる。また、城下町でもあり、街の雰囲気にも現れている。
 大垣城は天文四年(1535)土岐氏族宮川安定によって築城されたという。然し、これ以前にも大垣城の前身があったといわれる。
 永禄四年(1561)氏家直元が城を拡大し、水門川を開削する。そして、天正十一年(1583)からは豊臣秀吉臣池田恒興となった。その後、三好氏、木下氏、加藤氏、一柳氏、羽柴氏、伊藤氏と変わり、慶長五年(1600)関ケ原の戦いの際には西軍石田三成が居城したが、東軍により攻められた。
 その後石川氏、久松氏、岡部氏、松平氏と続き、寛永十二年(1635)からは摂津尼崎より戸田氏が入城。戸田氏十一代で廃藩まで続いた。
 天守等は取り壊されずに残され、昭和11年(1936)に国宝に指定された。然し空襲により焼失、昭和34年(1959)に再現された。
 現存城郭は非常に狭い範囲であり、整備が望まれるが、大垣市では将来に向けた「大垣城郭整備ドリーム構想」を打ち出しているという。
 

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中山道 赤坂宿

2006-10-01 00:00:13 | 街道・宿場町
(岐阜県大垣市赤坂町)
 昭和57年から私は何度か訪れている地。
周辺には、岐阜県最大の昼飯大塚古墳、美濃国分寺等、古代から人々の営みが多くみられる。元々は東山道の道程でもあった赤坂、当時は西隣の青墓に宿駅があったようである。その後赤坂は中山道五十六番目の宿場町となり、谷汲街道との分岐点ともなった。江戸時代の風情そのままの場所は少ないものの、懐かしく落ち着いた風情を持つ。
 濃尾八景にも選ばれた金生山や、こくぞうさんと呼ばれる明星輪寺、金生山から採掘された鉱物を運ぶ西濃貨物線がそれぞれ独特の雰囲気を醸し出している。
金生山から赤坂の町を望むと、遠くに養老山脈、大垣市街、手前に徳川軍が陣を構えた岡山(勝山)そして赤坂の町並みが見える。
      
(関連記事:垂井追分 垂井宿
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