(神戸市灘区 2003年10月19日)
大正、昭和初期に流行した建築様式を持つ旧摩耶倶楽部。然し今はその様な建物も殆んど無くなり、貴重な建物となった。
昭和5年(1930)阪神電鉄及び摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設として、麻耶山中腹に建造された、RC造四階(改装時に五階に増築)の宿泊施設である。一階、二階は宿泊室で、三階は食堂、浴室、四階はホールであった。
昭和19年(1944)金属供出や戦災により鋼索鉄道、摩耶倶楽部共閉鎖となったが、昭和30年(1955)に再開されている。その後昭和35年(1960)所有が阪神電鉄グループから摩耶観光ホテルに変わり、豪華客船イル・ド・フランスの調度品を用いて改装オープン。然しながら、台風の被害を受け昭和42年(1967)に休業した。
昭和49年(1974)摩耶学生センターという合宿施設として再開したが、平成6年に休業となり、そして阪神大震災の被害を受け、今日に至っている。
(関連記事:Maya Club 2009)
(HP版:http://www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/structure/maya-club.htm)
大正、昭和初期に流行した建築様式を持つ旧摩耶倶楽部。然し今はその様な建物も殆んど無くなり、貴重な建物となった。
昭和5年(1930)阪神電鉄及び摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設として、麻耶山中腹に建造された、RC造四階(改装時に五階に増築)の宿泊施設である。一階、二階は宿泊室で、三階は食堂、浴室、四階はホールであった。
昭和19年(1944)金属供出や戦災により鋼索鉄道、摩耶倶楽部共閉鎖となったが、昭和30年(1955)に再開されている。その後昭和35年(1960)所有が阪神電鉄グループから摩耶観光ホテルに変わり、豪華客船イル・ド・フランスの調度品を用いて改装オープン。然しながら、台風の被害を受け昭和42年(1967)に休業した。
昭和49年(1974)摩耶学生センターという合宿施設として再開したが、平成6年に休業となり、そして阪神大震災の被害を受け、今日に至っている。
(関連記事:Maya Club 2009)
(HP版:http://www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/structure/maya-club.htm)